裁判日記

裁判のこと 5



5年の間


私は、なくなった夫・・・彼のことを考えるとき、とても複雑な気持ちになるのでした。


悲しくて悲しくて、気が狂いそうな程、泣いて泣いて。


でも、心の中には彼への恨みもありました。



夫のことを想って、泣いて、悲しむ未亡人を 世間は期待します。


間違っても、自分が可哀想・・・なんて言っちゃだめなのです。


わが身をすてて、夫の為に泣き伏す未亡人。


そんな姿を見て、世間は安心して、「まっとうな未亡人」の評価を下すのです。



だって、彼が死んだのは、私のせいだから。


私が彼にちゃんと尽くしていなかったから 彼は死んでしまったのだから。


もっと早く、彼の苦しみに気がついてみんなに伝えなかったから。


そう、どれも本当の事。


そして


全部私のせい


全部、全部私のせい。


だから
間違っても、彼のことを攻められない。


悪いのは私。


一番罪深いのは 私。





でも、


置いていかれた私と子供達。


いいえ


ほったらかしにされてしまった私と子供達。



本当に死ななきゃいけないほど、私は悪いことをしてたのですか。


後に残された 沢山の責任や問題。


それらを全部私に押し付けて、


それでも、あなたは死ななきゃいけなかったのですか?




結婚は、愛情と責任を前提とした契約です。


そして、子育ては、共同作業ではぐくむものです。


だけど責任も、後始末も、全部私に「任せたよ」の一言で、


ほったらかしにされた私と、そして子供達・・・・。




ほったらかしにされた事を 肯定しようとするなら


「彼がいなくなって 少しはラッキーだった」と思うことにしよう・・・に行き着きます。


でも、そんなことを考える人間を他人は許しません。



やっぱり、



自分自身を責め続けなきゃいけないのです。


世間も、そして私自身も それで納得できるのです。



底知れないほどの絶望と、悲しみと 

同じ重さで存在する 自責と 言いようのない恨みと。



納得できない、納得できない、納得できない納得できない・・・・


出てこない答えを求めて、私の心はまた、迷路に入ってしまう・・・



・・・・・・忘れよう。・・・・・・


考えても しかたのないことだもの。


答えを求めることよりも、とにかく明日の生活だ・・・・。



そして 走って、走って走って 全速力で走り続けて。


うまく表現できません


でも、彼のことを思うとき、


単純な悲しみ以外のいろいろな思いも湧き上がってくるのを止められませんでした。