裁判日記

労災のこと 2



じーちゃんの言った通り、

レポートは その後、とても重要なポイントを背負って
 
私の代わりに走ってくれました。



後から聞いた話ですが、


自死という事故の後、家族は悲しみにくれたり、


後から起こってくるさまざまな問題に対処するのに精一杯で、


労災や、裁判などは 一番後回しになるのだそうです。





「せめて 心が落ち着いてから 考えたい・・」



これが残された遺族の本心だと思います。




でも、後に回せば回すほど、記憶はあいまいになっていくし、


当時の状況を立証するのは難しくなっていくものです。




私の場合は じーちゃんという 超強力なサポートがついていてくれました。




ものすごく冷静に、そして私にこれ以上ない程の愛情を持って、引っ張ってくれていました。




じーちゃんがいなければ、今の私はありえないし、


ここまでがんばることも出来なかったと思います。




じーちゃんの愛情は複雑で単純です。




私のことを、かわいそうかわいそう と 涙するだけではなく、



今後のこと、少なくとも今後10年先を見据えて 


私にとって出来るだけ良い状況になるよう、


時には守り、時には戦う事を 教えてくれました。




もちろん、じーちゃんだけに守られていたわけではありません。



私と一緒に泣いてくれる人も、必要でした。



私が苦しんでいるとき、ほっと息をつけるような

安らげる空間を与えてくれる人たちも必要でした。



たくさんの人たちが、それぞれの愛情をもって、


今日まで私を引っ張ってくれてきたのだと思います。







・・・・さて、レポートが出来上がると 私は社会保険労務士さんを尋ねました。


労働災害について強い と言われている方でした。




とにかく、涙涙で、うまく状況は説明できません。



でもレポートに目を通した後、



「自殺についての労災認定は 駱駝を針の穴に通すほどに難しいのですよ。

でも、出来る限りやってみましょう!」


と言って下さいました。



その前年、


自殺についての労災認定の申請は2000件を超えていた 

と聞かされました。



その中で認定されたのは、たったの3件だったそうです。



それも 海外での事故で、


調べようにも調べられないから認定された・・・


というようなことを教えていただきました。





帰りの車の中で



「あきらめよう。



認定されるなんてありえない。



それを期待していちゃダメだ。



私は私の力で、生活を立て直すんだ・・・」



と呆然と考えていました。