裁判日記

労災のこと 4



ヒアリングが終わり、半年が過ぎたころ、

労働基準監督署から、職場に電話がかかってきました。


「いづみさんですね。大事なお話がありますので、当方まで出向いてください。」


「電話ではいけませんか?」と私。


「電話ではちょっと・・・・」



いろんな事がありすぎて、神経過敏になっていた私は、

誰に対しても、素直に接する事が出来なくなっていました。



「また、何かが私を傷つけに来た?」



電話の第一印象はそうでした。


その前の月まで、私は精神科にかかっていましたから。


あまりにいろいろな事がありすぎて、眠れなくなってしまったのです。



お医者様は ゆっくり過ごして下さい といわれるけど 

それはゆっくり出来る環境のある人に言える言葉だよ・・・・とほほほ。



とにかく、忙しくて、忙しくて・・・・いいえ、忙しくしとかなきゃ 

自分のねじが壊れてしまいそうで・・・・。


日常生活が苦痛で苦痛でいけませんでした。



たとえゆっくり出来たとしても、今の生活パターンを崩す事は、

また、新しい苦痛を招く気がして。


ゆっくり過ごす・・・なんて 考えられなかったのです。


心を出来るだけ刺激せず、日々与えられた仕事をこなして、そして1日1日を無事に終えること


これが、その頃の私の生活の全てでした。


それでも、来い と言われたからには行かないわけには行きません。



夏のある日、彼の亡くなった町へ、一人で出かけて行きました。


彼と過ごした家、彼と歩いた道、何もかもが辛くてつらくて 


そして、彼の命を奪ったあの建物・・・・・。



心の中から叫びだしそうな何かを 飲み込んで、私は労働基準監督署の建物に入りました。


そして、そこで思いがけず 労災認定の知らせを受けました。


「良かったですね」と言ってくださった職員の方。


・・・・うん、本当によかった・・・・・よね?・・・・


いろいろな説明事項を聞いた後、帰途につきました。


でも不思議と「良かった」とは思えませんでした。


前方に見えてくる「あの建物」・・・


これから入ってくる労災のお金は、彼の命の代償だ。


大事に大事に使わなくちゃいけないお金だ・・。


でもね、でもね。
こんなお金なんか欲しく無かったよ。



あなたが生きていてさえくれれば。


お金なんて要らない!!!  帰ってきてよ、お願いだから・・・。



会いたい 会いたい 合いたい!



もう一度一緒に暮らしたい!。




駐車場で ハンドルに突っ伏してわんわん泣きました。



ひとしきり泣いた後、気を取り直して、子供達の待っている町へ向かいました。




罰当たりと思う人もいるかも知れない。


ラッキーな人 とおもう人もいるかも知れない。


最後はやっぱりお金に換算しか出来ない事もわかるけど、


それでも、私は、彼に戻ってきて欲しかった。


彼と一緒に夢見ていた 生活も、これからは私一人で作っていくんだ・・・・。