私が私をすきなわけ


その1





「自分を好きになりなさい」という言葉があります。



これね簡単そうで、なかなかできない。






自分の中のマイナスイメージばかり見えてる時は 絶対無理。



で、マイナスイメージの無さそうな人を見て、ため息ついて「いいなぁ」と言う。





若い頃は 



美人であるとか、家庭が裕福であるとか、異性にモテルとか・・・そんな人みて



自分を卑下したりする。





もう少し、大人になったら



心に悩みのなさそうな人とか、家庭が円満な人とか、



社会的に成功したと言われる人とかを見て、うらやましがってしまう。





人は人、自分は自分って思って



自分のいい所を見つけるんだ・・・って理屈で考えてみても、



心が強烈にマイナスイメージに向いている時は、



そんな余裕なんてないから、自分ひとりでは絶対無理。




誰かの言葉や、励ましが ものすごく必要になってくる。時には薬も。





私の事を言って 恐縮だけど



私は、今の自分がかなり好きだ。




ターニングポイントは 「家を建てた」事かも知れない。



あまりに俗物でごめんなさい。



でもね、ほんと そうだと思うんです。




「家を建てた」と言うのは、単なる区切りであって、



家を建てるまでの過程が、重要だったと思う。




ダンナの残してくれた保険金だけでは 笑えるほど足りませんよ、



本当に無理ですよ と



沢山のメーカーさんや、工務店さんに言われるたびに



比例するように私の「家」に対する望みは高くなっていった。






「何が何でも、私の理想の住まいに住んでやる!!!



こんなに私は不幸になったんだもの。そのくらいの幸せは掴んでやる!!!」





こんな感じ。







・・・・・怖いな 今読んでみると・・・






夫に対する自責の気持ちももちろんあったけど、私はその気持ちに蓋をした。



その気持ちに振り回されて、生活する事、子供を育てる事を投げ出すわけには



行かなかったので。



「ごめんね、いつか、心と 生活が落ち着いた時、



私は、自分ととことん向き合ってみるから」と 謝りつつ。



でも、それは同時に、思い出にも蓋をする事だったんだと 今、思い知っている・・・。






最初は、2年後くらいに どこかに住まいを決めて 職場の寮を引っ越すつもりだったけど



計画練り直し。



幾等の資金が必要か、その後、生活できるだけの余力は残るのか



子供の学区、児童館、職場からの距離、



母子家庭だから安全で気楽な土地柄でないと不安だし←一戸建だからね





電卓はじいて、時期は 長女小学校入学の時、




それまでに 幾等くらいのお金が必要




私の給料、年収、・・・   はじくはじく電卓を。





電卓握り締めて、住宅カタログの本に突っ伏して寝入った事も何度かある。





休みの日には、手間のかかる2歳3歳になったばかりの子供を連れて



マンション、ハウスメーカー、中古住宅、一生懸命見て回った。





日々の生活は、本当に 「食う」「寝る」「働く」 だけで無我夢中だった。




その合間を縫って 病院にも通ってた。





「ゆっくり生活してください」とドクターもカウンセラーさんも言うけど



ゆっくりなんて できる人に言ってくれ。



私は忙しかった。 本当に忙しかった。




そして4年後




資金も何とか目標額達成し、家は建った。




しかし・・・私には更なる苦難が待ち受けていたんだよね・・・・。