私が私をすきなわけ


その2




更なる苦難・・・



それは 仕事関係から始まった。





家が建ったのは3月のおわり。引越しは4月・・・・




多くの企業がそうであるように、御多分にもれず 



うちの職場も 恐怖の「決算期」だった。





その前年は、知ってる人は知ってるだろうが、私の関わる職場の会計のやり方が



全国的に ころっと変わった年でもあった。



何十年も続いた会計の方針がころりと変わる・・・




今日まで、やってきた仕事をもう一度洗いなおせってもんだった。




おまけに 頼りにしていた事務長が 体調不全でいきなり退職。



全部の責任が 私ひとりの肩に乗っ掛かってきた。




目の前には、書類の山。



やり方わかって挑む仕事なら いざ知らず、



やり方もど素人の私が これを全部こなさなくちゃいけない・・・







泣けたよ・・・・。まじ 泣けた。






同じ仕事してる よその事務員さんの言葉だが



「死んでもできません」と上司に言ったら



「死ぬ前でいいから、やってね」と 言われたとか・・・恐ろしや恐ろしや・・・。







とにかく、誰かがしなくちゃ前には進めなかった。



そして、そこには 私の他には誰もいなかった。






「出来るか!! バカヤローーーーーーッ!」



と叫んだ第一回目。






この崖を上りきったら、楽になれる・・・





そう確信して、仕事をこなし、やっと終わった・・・って思っていたら、



更に巨大な崖がそびえ立っていた・・・そんな事の繰り返しのような決算期・・・。





めったに無い事とはいえ、仕事地獄を見た気がした。






子供がいなかったら、もっとマシな仕事が出来るのに・・・



もっと丁寧で完璧な仕事が出来る力はあるはずなのに・・・



何度も何度も、頭をよぎるこの思い。







でも、子供達にとっても、私しかいない以上、



仕事か家庭か どちらかを選ばなくちゃいけない。





時間は 限られる。残業は出来ない。



でも、許容量を超えた仕事の山。






更に、上の子は、引越し後すぐの入学で、情緒が混乱していた。





せめて、1ヶ月は上の子から、目を離したくなかった。





ぎりぎりまで仕事をこなし 飛ぶように帰宅して



それから持ち帰った仕事をこなす・・・・・。





ここで、まじめな人は 落ち込むはずで、私はまじめなはずだった。




何もかも、ちゃんとしなくちゃいけないと 思い込むタイプのはずだった。



でも、夫の亡くなった理由を考えた時、





仕事が理由で 病気になるのも、死んでしまうのも、絶対いやだった。






で、仕事を投げ捨てた。





「私に出来る精一杯の事はします。」



「でも、これ以上を望むのなら、出来る人、雇ってくれ。」



「私はいつでも辞めてやる」





この3つの言葉をお守りに、目を血走らせて仕事と家族を守っていた。







そして・・・






その年の決算が終わる。






完璧でなくて、いっぱいミスだらけで、雑で。



でも、私の精一杯だった。



そして、ミスも多々ありつつも、大きな失敗も無く、何とかその年度は終了した。



・・・いや、最近大きなミスが見つかったんだけどね。うはははは(汗)





そこで、なんだか悟ってしまった。




出来ない事は出来ないと 大きな声で叫んでもいいんだ。



まず自分が一番。それから家族。 仕事なんて私の変わりは幾等でもいる。





自分の能力の限界も見たけど、限界以上の働きをしている自分にも会えた。








そして、次は職場のお引越し。







古くなった職場から、鉄筋コンクリート建ての建物へのお引越し。








業者に9割は任せたとはいえ、 残りの一割は自分達の仕事だった。



そして、移転後の式典等の雑務も事務サイドに乗っかかる。






荷物運びの為に、トラックを借りてきて、月を見ながら運転して、
(注・この時はまだ大型ではありません)



子供を保育園で待たせながら 走り回っている母。





「やってられるか バカヤローっ!!!」と



夜空に向かって叫んだ 第二回目・・・。






それでも 乗り越えることは出来た。





やっぱり完璧でなくて、ミスがいっぱいで、許容量超える仕事の山を



ふんずけるように こなしていった。






男の人がいないから、どうしても男性っぽい仕事までこなさなきゃいけなかったのだ。





何時もグチを聞いてくれる叔母に、



せめて、上の子が 後一年遅く生まれていてくれたら・・・とか



何で私ばっかり こんな目に遭うんだ・・・とか



とにかく グチグチ言いながら、



それでも、叔母になだめてもらいつつ 励ましてもらいつつ過ごした一年だった。






昨日の日記で、「家を建てるまでの過程が うんぬん」書いてたけど



そうじゃないな・・・




家を建てた事と、仕事と生活が落ち着くまでの怒涛の半年。




この二つだね。




ここで、何かが吹っ切れたような気がする。





自分に対する信頼が生まれたと言うか



自分の力の限界を見たと言うか、



それから、自分の力の可能性も 見えたのかも知れない。







その年の初冬、夫の5年目の命日がめぐってきた時、



今までになく、穏やかで落ち着いた私がいた。





ほんの少し、自分を肯定してやれる私がいた。





過去の間違いも、悔しさも、受け止められる土台が



その頃から作られはじめた気がする。