§第4章 スタッフ列伝§

出崎 統氏(2011年4月・没)

テレビアニメ創成期から、虫プロでアニメーター・演出家として活躍。
虫プロ在籍中から東京ムービーのアニメ制作に携わるなど、幅広く活動されていた。1970年に虫プロが制作を手がけた
「あしたのジョー」で監督を務められ、いくつかの作品の演出や絵コンテなどを経て、東京ムービーの作品に監督として参加されたのは
「じゃんぐる黒べえ」から。
前述の通り、二つの相反する作風の流れをくむスタッフがひとつの作品を仕上げるのに、試行錯誤の連続だったであろうことは
想像に難くない。それを、上手に融合させて東京ムービーの「作風」に仕上げた立役者と言える。

ガンバに関していえば、原作を読んだ氏はすぐにその世界に興味を抱きアニメ化に当たりネズミを通して、海を舞台に「旅」を描いていく
と言う方向で、基本的な構想を立てたと言われている。それは、ノロイを倒しに行くという「旅」であり、若者の「旅」である…
そして、旅はたとえその目的が何であれわくわくするような高揚感に満ちたものであり、それを描いていきたい、と思われたそうです。

各スタッフのお話を総合すると、アニメ化を持ち出した楠部三吉郎氏はまず、出崎氏に声をかけ、氏が中心となって大まかなキャラクターや
ストーリーの「原案」が作られたようである。
その後、後述の芝山氏・椛島氏・小林氏などを交えながら、キャラクターや話の流れを確立していったようである。


芝山 努氏

東映動画に入社後、テレビアニメ制作1期生として数々の作品を手がけた。Aプロへ移籍後、東京ムービーの作品を多く手がける。
その後、Aプロは「シンエイ動画」となるがここを経て「亜細亜堂」を設立、現在に至る。
東映動画出身の芝山氏だけに、リアルさを追求する自分たちの作風は虫プロ流とは、肌が合わないと、当初は感じられていたそうです。
しかし、徐々に東京ムービーの仕事を通し虫プロ流の作風と、交わっていく。
その最初の接点となったのは、ガンバでも何話か脚本を手がけられている吉川惣司氏であったという。それまでは、人物の動き一つ取っても
リアルに動きを出そうとしていた(出すものだと思っていた)のが、中間の動きを省いた作画をする。そして、その方が面白い…
リアルな動きの表現から、省略することの面白さを分かりはじめた頃…言い換えれば「Aプロの画風」ができた頃だったという。
氏は、画面設定・レイアウトを担当されていましたが、これは椛島氏の推薦によるものだそうです。
そして、各話の絵コンテを見ていてその内容によってはいろいろ書き込む人もいれば、略す人もいてそれによってレイアウトもどこまで
書き込むかを決めていらしたといいます。
その点で、出崎氏のコンテは感情の盛り上げ方とか、細かい心情を仕草で表現する手腕はさすがだと思われたとか。


椛島義夫氏

東映動画を経て、Aプロに移籍。「巨人の星」をはじめ、数多くの作品の作画監督・キャラクターデザインを手がける。
その後、スタジオ古留美に移り現在は、アニメーション制作会社「夢弦館」主宰。

この作品の制作についてお話を聞いた時、それまで日本の児童文学を題材にしたアニメはなかったと思ったし、原作を読んでみても面白い
と思われたそうです。
氏にお話が来た時点で、前述の出崎氏が描いていた「企画の構想」は出来上がっていて、それを元にしてああでもないこうでもない、と
キャラクターのデザインについて何枚も絵を描いたと、回想されています。
ちなみに、第1話の作画はAプロ(東映系)が第2話の作画はマッドハウス(虫プロ系)が担当しているが、椛島氏曰く
「第1話は(画が)騒がしい。第2話が丁度いいくらい」だそうで、氏も出崎流の作画に少なからず影響を受けられたようです。

ちなみに、ガンバ達の動きとして特徴的なスピーディーな走り方は「二コマ三枚」といわれる手法です。
1枚目は前足を突いて後ろ足を上げた状態。2枚目は後ろ足だけで立ち前に向かって身体を伸び上がらせている状態。
3枚目は、後ろ足で地面を蹴って前足を伸ばし、着地寸前の宙に浮いた状態。
この3枚の画を2コマづつ撮影したものを、繰り返すことで走っているように見せる手法です。
同様に、手足の動きを小さくした「チョロチョロ走り」や、立って二本足で歩く時の「トコトコ走り」の他、イタチが走る時の動きの基本も
「二コマ三枚」が基本である。作品中、何度となく使われているこの手法は、東映動画流の「教科書」ではあり得ない手法と言える。

キャラクターについては、出崎氏と共同でデザインを決定されたといいます。ごく初期の企画書の中に、出崎氏がキャラクターの原案を鉛筆画で
描かれたものがありますが、これを見るとガンバやヨイショはほぼこの時の案どおりのキャラなのに対して、ガクシャやシジンなどは
全くイメージの違うキャラです。
椛島氏のお話によれば、このふたりだけは氏が全部イメージを決めたとのことで、個人的には最後の戦いでシジンを「殺したかった」とか。
それも、いつの間にかやられて死んでいた…的な殺され方で。
また、後に「グリックの冒険」がアニメ映画化された時椛島氏はキャラクターデザインとレイアウトで参加されている。
また、今でも若いアニメーターに「ガンバを描いて下さい」と頼まれるそうですが、そういうキャラはガンバだけだというところからも
未だに残る作品なんだ、と感じられるそうです。


小林七郎氏

東映動画に入社後、劇場作品やテレビアニメの背景担当として参加。その後、現代制作集団に移り、同じ年に「小林プロダクション」を設立。
数多くのテレビアニメ作品で美術監督を務められている。
(なお「小林プロダクション」は、2011年に解散した)
この作品では従来の「背景」の作画に、いろいろ実験的な手法を取り入れたと氏は懐述されています。
そのため、当時の撮影スタッフに「これが背景か?」と、言われたほどだそうです。
ガンバの冒険では、意図的にたタッチを荒々しくされたといいます。それは、ネズミの視線に立った時、人間にはちょっとした小物であっても
大きくオーバーラップして映るだろうから、その「迫力」を出そうとされたそうです。
また、キャラクターの色指定もされたといいますがネズミはほとんどが茶系統の地味な色なので、変化をつけるのに苦労されたとか。
その中で、ヨイショの赤と青の縞の服は一番成功したと思っていらっしゃるそうです。
擬人化されていながら、あくまでネズミの世界・視線を大事にしてそれを追求していった作品でしたが、そこへあえて荒々しい美術を持ち込んだ
小林氏とそれを許容した出崎氏の感性は、あくまで「画面の後ろに控えていた」背景が、表現として前に主張し始めた好例といえる。


山下毅雄氏(2005年11月・没)
大学卒業と前後して、作曲活動に入り大学の演劇学部の公演用音楽を手始めに、活動の場をラジオ・演劇・テレビ番組・CM・映画…と、
広げていった。総作曲数は7400曲以上に及び、ヤマタケさんの愛称でファンも多い。

ガンバの冒険の作曲のお話が来た時、音楽の路線は「ディキシー」で行こうと決められたとか。しかし、ストーリー的な「資料」は何もなく
日本にはディキシーの楽団はわずかなので、寄せ集めメンバーで「お茶を濁した」そうです。
そのため、後半の展開つまりアクション的な音楽は作らなかったとのこと。
ちなみに、氏の場合イメージができたらあとは深く考えずバーッと作られるのだとか。そして、必要なメニューに基づいて曲を作るのではなく
「このくらいで足りるだろう」と言う数の曲をまとめて渡し、後は好きにアレンジしてくださいといったやり方で、相手に曲を提供されているとか。
ガンバに関しては、オンエアをみてよくもまあこれだけ細かく選曲してくれたと、思わずスタッフに感謝されたそうです。

主題歌を歌われている「河原裕昌」さんは、氏の事務所にバイトとして出入りされていた俳優さんで、歌は決して上手くないけど面白いから
という理由で抜擢されたとか。ちなみに、現在は「河原さぶ」のお名前でドラマの脇役などで活躍されていらっしゃいます。
この作品では、ガンバ達の感情表現用の音楽として、OP・EDのアレンジバージョンが多く使われている。中でも、ソプラノの女声のスキャットは
最終回のラストシーンなどを中心に使われているが、このスキャットは「伊集加代子(現・伊集加代)」さんが歌われたものです。
某インスタントコーヒーのCMでのきれいなスキャット(♪ダバダ〜)をはじめ、数多くのテレビ番組(大岡越前・クイズタイムショック〔旧〕
プレイガール・11PM・時間ですよ…)でその声はおなじみ。
アニメでも「アルプスの少女ハイジ」「ルパン三世〔旧〕」「アタックNo.1」「ワンサくん」などの主題歌・エンディングを歌われています。

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