第3章 過去(むかし)の古傷
§1.出会い
…奴と、出会ったのはどのくらい前になるだろうか。
その頃、俺も血気盛んな若造だった。ケンカっ早い方ではなかったけど、堪忍袋の尾は容易く切れた。
ある日のこと、当時棲んでいた町には代々『キング』を名乗るボスネズミ集団が、幅をきかせていた。
その頃の『キング』は、ワンマンでタイコモチ連中に囲まれ悦に入っていた、誰だってその横っ面を殴り飛ばしたくなるような奴だった。
当然、そのタイコモチ連中とはそりが合わず、しばしばケンカしていた。
あの時も、この間の礼だと言われ囲まれていた。1対7か8か…数に怯む俺ではないが、力と卑怯な小技で押さえ込まれて羽交い絞めにされた上に
顔といわず腹といわず、容赦なく殴られ蹴られ…血だるまになっていたところへ、奴の声がした。
「よおよお、おめぇらケンカのやり方を知らねぇな?身動き封じて、好き勝手にまあ…よほどシッポの腐った連中だな!」
彼らの後ろから、いつの間にか体格のいいネズミがこちらを見ていた。
「何だと!?てめぇ、俺らがキング様の部下と分かって言ってんだろうな!後になってゴメンナサイでは、済まされねぇぞ!」
「フン、キングだかコングだか知らねぇがな、てめぇらみたいなシッポが腐ったような連中のボスなら、知れたものだ」
「何だと!」
「やるなら、相手になるぜ。ケンカの仕方を、その身体で覚えるんだな!」
それからの大立ち回りは、未だに忘れることができない。かすり傷程度は負ったもの、そいつは独りで連中をことごとく…
文字通り、足腰立たないくらいに叩きのめしたのだ。
「ヘッ、その程度かい。歯ごたえのねぇ連中だぜ」
そして、俺のところに近づくと
「大丈夫かい?見たところ、それなりにケンカ慣れしているようだがな…まあ、あんな連中にフクロにされたって、気に病むこたぁないぜ」
「…み、見ない顔だな。名前は…?」
「そうだろうな。風来坊の俺のツラを、覚えている奴の方が少くねぇよ。名前も…まあ、こう言う時に備えて、ガミーって言う名前にしているけどな」
これが、ガミーとの出会いだった。
その夜は、俺の住処で過ごした。奴の磊落さは、誰でも“仲間”にしてしまうような、不思議な魅力を持っていた。
「で、この後はどうするんだい?」
「旅を続けるさ。風来坊には、家も故郷もねぇしな」
「そうじゃない。キング達のことさ。ああ派手にやっちまったら、おまえがターゲットになる。いくら何でも、キングの一味を独りでは相手には…」
すると、ガミーはグイと酒をあおるとニヤリと笑って言った。
「俺は、逃げるのが、嫌いだ」
酔った勢いかと思ったが、奴の目はしらふだった。
「…冗談抜きで、キング達を相手にするのは止せ。第一、数が違いすぎる…」
「それは、いちいち手下のチンピラを相手にしてたら、の話だろう?こういうケンカは、大将の首根っこを押さえた方が勝ちさ」
そう言って、ニヤリと笑った。嫌らしい笑いではなく、自信に満ちた笑いだった。その翌日、奴はふらりと住処を出て行った。
最初、てっきり黙って旅立ったのかと思ったが、夕方に帰ってきた。多少、ケンカでもしたような雰囲気で。
「何でもねぇさ」
俺の質問に、奴はただ一言答えるとその日は横になった。翌日、またふらりと出かけたので俺はそっと後をつけた。
だが、奴は町をうろつくだけ…そのうち、チンピラネズミに囲まれた。
「おめぇか?キング様を呼んで来いと、でけぇ声張り上げているのは!」
驚いたことに、相手はキングの取り巻きでも5本の指に入るゾロと言う奴だ。
「そうだが。おまえらの親分のところへ、案内してくれるとでも言うのかい?」
「馬鹿を言え!キング様が、おめぇのようなチンピラと、対等に逢うとでも思っているのかっ!?」
「フン、チンピラにチンピラ呼ばわりされちゃ、世話ねぇや」
「…何だと?そこまで言うなら、腕できやがれ!」
構えるゾロに、奴は猛然と立ち向かっていった。
“い…いかん!”
俺は、ゾロのパワーもテクニックも知っている。今度ばかりは相手にならない…!
「……!」
だが、それはあっけなく杞憂に終わった。奴は、ゾロのパンチをあっさりかわすと膝を折り、身体を低くした。
そして、隙のできたゾロの顔面目がけて下から伸び上がるように拳を突き上げた。ゾロの身体が宙に舞い、ドサリと落ちた時には奴は失神していた。
それから3日後、ガミーの望み通り“大将”が出てきた。いつもはタイコモチ連中に囲まれて、ふんぞり返っているものの、あいつだって叩き上げで
ここまで上りつめたのだ。単なるチンピラとは訳が違う。
「おまえか、俺と勝負したいとほざいているのは?」
「そういうこった。待ってたぜ」
体格差は…奴もそれなりの身体をしているが、キングはもっとヘビー級だ。
「そうか。なら、遠慮はしねぇ…叩き殺されても、恨みっこなしだぜ!」
言うが早いが、キングは猛然と奴に襲いかかった。
「……!」
ベキッと鈍い音が響き、血しぶきが飛んだ。キングのパンチが、モロに命中したのだ。情け容赦のない連打が、奴の顔面を右に左に激しく揺さぶる。
周囲はドッと盛り上がったが、俺としては見ていられない。だが…
“あ、あいつ…”
そう、あれだけの攻撃を受けているにもかかわらず、奴はグラついていない。失神しているのでもない。それが証拠に…
「……!」
それまでにない、骨が砕けたような鈍い音が周囲に響き渡った。そこにいた連中の誰もが、キングが奴にトドメを刺したのだと喝采した。しかし!…
ドサリと倒れ伏したのは、キングの方だった。キングは、たった一発であごの骨を砕かれ血だるまになって気絶していた。
喝采は悲鳴に似た叫び声に変わり、周囲の連中は一斉に退去した。
「見たろ?俺は10発浴びても、びくともしねぇが…奴は、たった1発でこのざまだ。俺に言わせりゃ、こいつなんかちょっと場慣れしたチンピラよ」
翌日、俺は奴と共にこの町を後にした。お互い、これ以上この町と関わっていても何の得にもならないと、考えたからだ。
「そういや、おまえの名前を聞いていなかったな…?」
町を出る時、奴は思い出したように俺に聞いた。
「何をいまさら…俺の名前はアカハナって言うんだ」
奴は、俺の顔をじっと見ていたが、突然大声で笑い出した。
「アッハッハハハ…名は体を現す、ってな!」
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§2.放浪の日々
それから、俺とガミーはいくつかの町やエリアを転々とした。
自ら風来坊を以て任じている奴だけに、一つの場所に腰を落ち着けることを知らない。同時に、必ずイザコザを起す。
たいていは、その町やエリアの“顔役”を相手に大立ち回りを演じて、相手を完膚なきまでに叩きのめしてくる。
そのバイタリティーには、呆れるほどだった。
「そろそろ、この町にも飽きたなあ…」
夕陽を眺めながら、欠伸交じりにこう言い出したら2〜3日中にふらりと旅立つ合図である。
「今度は、北に向かってみるか…」
ガミーの行動指針は、文字通り“行き当たりばったり”だった。風向きも小道具も関係ないただの感覚だけ。
しかも、方向感覚はいい加減で、いつの間にか前にいた場所に来ていたことも良くあった。
え?お前は、どうしてガミーと行動を共にしていたのかって?
実は、あの頃俺は自分のいたエリアを飛び出し放浪を気取っていたのだ。
当時、エリアを仕切るリーダーは、今は亡きゲンコツと言うネズミでこれが文字通り、すぐに拳骨が飛んで来る頑固親父だった。
オヤジに拳骨をもらわなかった奴は、あの当時誰ひとりとしていないだろう。ちょっとした悪さで、脳天にゴツン。ちょっと派手にやらかすと
たちまち拳骨で殴り飛ばされた。
まあ、あの頃の俺らにとって石頭の融通の利かない頑固者…すぐ小言や説教が飛び出して、いつまでも自分らを半端者扱いする、煙ったい存在でしかなかった。
俺は、オヤジに何とかして自分を認めさせたい一心で、その当時できたばかりのテレビ塔のてっぺんへ、一気に駆け上がった。
降りる時も、下で見ていた連中が、オロオロしているのがおかしくてツツツ…と、軽快に降りて見せた。下に降りると、俺は仲間達に囲まれて喝采された。
そこへ、仲間達を掻き分けてオヤジが来た。
俺はジッと見つめるオヤジに対して『どうだ』と言う顔をした。すると、オヤジの顔が一気に紅潮して…
「……!」
目の前にでっかい火花が散って、自分の身体が宙に浮いたのを、はっきり感じた。オヤジ渾身の拳骨を食らったのだ。鼻から口から血が流れ
奥歯がガタガタになった。オヤジは、何も言わずただ俺を睨みつけた。
今から思えば、あの時のオヤジの目はとても哀しく辛そうな目をしていた。
しかし、俺は有無も言わさず殴り飛ばされたことが気に食わず、その夜に黙って町を飛び出していたのだ…
「で、いずれその町に、戻るつもりなりか?」
ガミーに尋ねられた俺は、ちょっと返事に窮した。正直、帰りたい気持ちはある。町を飛び出し、いくつかの町やエリアを転々としてみて分かった。
やはり俺は、あの町に棲む町ネズミなのだと。
「今更、その親父さんとやらの拳骨が怖くて帰れねぇわけでも、あるまい?」
痛いところを突く。一番の問題は、奥歯をへし折られるくらいの拳骨を食らうことより今更、どの面下げてゲンコツ親父の前へ出ればいいのか…
しかし俺には、ガミーの言葉が白々しく聞こえた。奴は、ゲンコツ親父がどんなネズミか知らないし、しょせんは他人事だ。
「もう少し…放浪を続けたいな。俺が、頭を冷やすって…意味でね」
ガミーは、ニヤリと笑った。だが、これがガミーを結果的に死に追いやった傷を、奴に負わせることになる『発端』となったのだ…
しばらくして、ある町にたどり着いた俺達はそこで凶暴なネコが、町ネズミ達の脅威となっていることを知る。ガミーにとって、ネコは恰好のケンカの相手だ。
たちまち目の色が変わった。
しかし、そこの町ネズミ達は口々にあの『ゼロ』にだけは手を出すなと、恐怖に怯えた顔で言う。
「臆病なことを言って、尻込みし続けていたって、何の解決にもならんぜ」
しかし、ガミーの言葉はしょせん余所者が事情も知らずに騒いでいるに過ぎない…彼らは、俺らを『現場』に案内した。
ゼロによって無残に殺された、町ネズミの様子を見せるためだ。それは、想像以上に悲惨な光景だった。
全身、裂傷と爪を突き立てられた無残な傷口が。そして、手足やシッポまで食いちぎられて…俺は正視に耐えなかったが、ガミーは黙ってその無残な死体を見ていた。
その様子を見て、俺は気になっていた。
しばらく一緒に行動していて、奴の性格はそれなりに把握したつもりだ。このままでは、奴は自分独りでも戦う…と言い出しかねない。そこで俺は、裏から手を回した。
町のリーダー格に説得を頼んだのだ。だが、返事は冷たかった。
これ以上、ゼロを刺激することは我々にはできない。もし、ゼロに手を出すつもりなら、その前に我々がお前達を『阻止』せねばならないと。交渉は決裂した。
後は、奴を止められるのは俺しかいない。
「この町を、出て行こう。今すぐに、だ」
しかし、ガミーはニヤッと笑って言った。
「言ったろう?俺は、逃げるのが嫌いだぜ」
正直、俺の力ではガミーを止めることはできないと諦めかけていたその時…
「お願いですから、無茶なことを考えないで下さい」
我々の前に、一人の女性が現われたのだ。彼女の名をエレアと言った。
「…お願いです」
呆然と自分の顔を見ていた男二人に、彼女は強い口調で繰り返した。
「ど、どうして…?俺たちのことを…」
我々の問いに、彼女は目に涙を浮かべて言った。
「…私の兄も、ゼロに殺されたんです。兄は、仲間達が誰ひとりゼロと戦おうとしないのに憤慨し、独りで立ち向かいました。そして、無残な最期を…」
「……」
思わず涙で声を詰まらせたエレアに、俺達は言葉を失った。
「私は、あなた達が兄のように殺されるのを、見ていられないんです!」
その言葉に、ますます俺たちは言葉が出てこない。と、表でこちらに近づいてくる声がした。エレアは、それに鋭く反応すると物陰に身を隠した。
我々が、驚いていると入口に現われたのは、町ネズミのリーダー格の手下達だ。
「おい、ここにエレアが来ていないか?」
彼らの、今にも中に踏み込んで家捜しをしそうな態度と、口調から我々は大体のことを察した。
「いや。誰だい?そのエレアってのは?」
自慢ではないが、こういう時に巧みにしらばっくれるのは、俺の得意とするところだ。
「おまえさん達の知ったことじゃねぇよ。ただな、あの小娘に余計なことを吹き込まれて、面倒をおこされたんじゃ…」
「フン、どうやら見当違いだったようだな。いいか、余所者のおまえ達が下手にゼロを刺激したら、俺達まで危ねぇ。そんな事態はごめんだからな!」
彼らが出て行った後、我々はエレアを裏の抜け穴から逃がした。我々は、どこに行っても住処の見えにくい場所に、いざと言うときの緊急脱出口を設けていたのだ。
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§3.守るべきもの
2日後、我々は密かにエレアと逢った。彼女の兄の話を聞くためだ。
「兄は…ゼロがこの町の脅威となった頃から、仲間達に共に戦おうと言ってきたのですが、誰ひとりとして賛同してくれなくて…」
『何だって!?ゼロがこの町を去るのを待とうだって!冗談じゃない、今までに仲間がどれだけ殺されていると思っているんだ?』
『だがな…我々全員で奴に刃向かってとして、勝機はあると言うのか?全員で戦って、全員がむざむざと殺されたら…
この町はどうなる?』
年寄り連中の言葉に、若いネズミは首を振った。
『ゼロは…あの悪魔は、俺たちを皆殺しにするつもりだ!遅かれ早かれ、俺達は全滅させられてしまうよ!』
結局、話し合いは物別れに終わりました。そして、追い討ちをかけるように…
『おまえが、あくまであのゼロに立ち向かうと言うのなら、我々と関係のないネズミとしてくれ。その結果、おまえがどのようなことになろうとも
我々は一切関知しない。またおまえの行動がもとで、ゼロを必要以上に刺激することとなり、我々にその危害が及ぶようであれば、我々は永久におまえと
その身内を許すことはないだろう』
結局、兄はこの町の仲間と関係を断ち切った上でゼロに戦いを挑んだのです。そして…無残な最期を…
もちろん、仲間達は誰ひとり兄を弔ってはくれませんでした。そればかりか、一部の者は私まで反逆者扱いして…確かに、未だにゼロの犠牲になる仲間は
後を絶ちません…それでも、一部の仲間達は私をかばってくれていたのですが、その仲間達まで心無い者達に嫌がらせをされているのを見て
私は、仲間とは縁を切った生活をすることにしたのです。
「つまり、この町の連中は、本当に守るべきものを、勘違いしてるってわけだ」
話が一段落したところで、ガミーが呟くように言った。
「町の連中が守りたいのは、しょせん自分自身さ。自分に火の粉がかかってこないなら、危険な存在も見て見ぬふり…情けねぇ!」
怒っているガミーを見て、俺は奴の本気を確信した。
「でも…止めて下さいね。あなた方まで、兄のような…」
これまたガミーの本気を感じたエレアは、オロオロした態度で言った。
「何、心配するなって。俺は、本当に守るべきもののために戦うのさ」
奴の本気は、翌日から現われた。町をくまなく調べて『戦いに適した場所』を探しプランを立て始めたのだ。
ところが、その途中…
「……?」
町ネズミ達が固まっている。俺とガミーは、互いに顔を見合わせると後ろから覗き込んでみた。果たして、そこには町ネズミの無残な死体が横たわっていた…
“またか…”
事情が分かれば、長居は無用だ。それでなくても、俺達は睨まれつつあると言うのに。
「…おい」
その場を離れようとしないガミーの背中を突付いて、俺はその場を離れた。少しして、俺を追いかけるようにやってきたガミーは
「何だか、おかしくなかったか?」
「…ああ。俺も、気付いた」
ちらりと見ただけだが、死体には相変わらず無数の裂傷や爪を突き立てられた痕がありまさに『惨殺されたこと』を物語っていた。
しかし…
「あの表情は…?」
ゼロに追い詰められて、絶体絶命のピンチに陥り、なぶり殺しにされ…そんな末路を辿った者なら、その表情は恐怖と苦痛で歪むものだが…
あの死体はまるで何か楽しげな夢でも見ているかのような、穏やかな顔だった。
「一体…どういうことだ?」
事情を解せないまま、俺達は住処に戻った。住処では、一緒にかくまうように暮らし始めたエレアが、中をきれいに整理してくれていた。
「…それは、悪魔の笛です!」
我々の話を聞いたエレアは、顔をこわばらせた。
「兄も…その笛で一種の催眠術にかかったようになって…!」
「悪魔の笛…!?」
「ゼロの持つ武器です。その笛の音を聞くと、身体の自由を奪われて言いなりになったり、攻撃されても痛みを感じなかったりするそうです。
実際、兄は何度か危険な目に遭いましたし、そんな仲間を救ったこともしばしばで…」
「…なるほど」
「ちよっと、厄介だな…」
「ま、まさか…あなた方は…?」
「言ったじゃねぇか。俺は、本当に守るべきもののために戦うって」
ガミーは、オロオロするエレアに対してちょっと笑って見せた。
それから1週間後、俺達は作戦に出た。
プランとして、ガミーが身体を張ってゼロをおびき寄せ、建物の隙間の狭い空間に誘い込む。そして、ガミーを追い詰めて意識が集中してといるところへ
俺が上からコンクリ―トの塊を落とす…と、言うものだった。
もちろん、タイミングを誤ればガミーを潰しかねない。また、その瞬間に逃げられてもダメだ。心配する俺に、ガミーはいつもの調子で笑って見せた。
「その時は、その時さ」
俺としては、ガミーがうまく所定の場所にゼロをおびき寄せてくるか…一緒に行動できないだけに、気がかりだった。
もしも、その前にゼロの爪にやられたら…!?俺は、頭の中の妄想を必死に振り払いながら、待っていた。
「来た…!」
俺は、用意したコンクリートの塊に差し込んだ木の板に手をかけた。その時が来たら、てこの要領で落下させるのだ。
そして、ちらりと様子を伺った。
「……!」
俺は、危うく声を上げそうになった。ガミーの身体が、血で真っ赤になっていたのだ!
だが、ここで声を上げるのはもちろん気配を察知されても、計画は台無しだ。俺は、必死になって呼吸を整え『その時』を待った。
下からは、ゼロを挑発するガミーの声…そして、うなり声を上げて近づいているゼロ…
“今だ!”
俺は、一気に木の板に体重を乗せた。ガラッと言う音と共に、ガミーが声を上げる。
「こっちだ、こっちだ!ノロマな猫ちゃん!」
…後からガミーに聞いた話だが、この時ゼロは頭上の“異変”に気付いたようだ。咄嗟にガミーは、ゼロを挑発した。
この時の、一瞬のためらいが勝敗を決した。
グシャッという鈍い音が響き、続いて苦しげなネコの悲鳴のような声が…俺が落とした、コンクリートの塊はゼロの下半身を潰したのだ。
ゼロは、ものすごい形相でガミーに前足を伸ばし、その爪で攻撃しようとしたが、思うように動けない。
ガミーは、予め確認していた抜け穴から逃げだした。
その様子を上からそっと見ていた俺は、まずはホッとしてそれから慌ててその場を離れた。そして、落ち合うと俺は何を置いてもガミーの身体を気遣った。
しかし…
「なあに。この程度は、かすり傷よ」
ガミーは、いつもの磊落な笑顔で答えた。
結局、ゼロは後足を痛めて思うように動けなくなり、かつてのような脅威は去った。
だが、当然のように町の連中は我々を賞賛することは全くなく、妙な空気が流れていた。
「傷は、どうだい?」
ガミーの傷は、思ったより深かった。何でも、ゼロが口にしていた笛を奪おうと、木から飛び降りた時にやられたのだと言う。
奴は、俺が見舞うと『この程度はかすり傷だ』と言い張っていたが、エレアさんが看病している時にはおとなしくしていた。
そして、エレアさんにしきりに言う。
「ところで…あんたもこの町にはもう、未練はないんだろう?むしろ、この町の連中とおさらばしたいんじゃないのかい?」
エレアさんは生返事をしていたが、ガミーはお構いなしだった。
「まあ、女ひとりでよその土地へ行っても暮らしにくいだろうし…どうだい、俺たちと一緒にこの町を出ないか?」
後から思えば、奴なりの求婚だったのだ。
こうして、半月ほどしてガミーの傷も何とか癒えたようだったので、俺達はその町を後にした。
その前に、エレアさんは彼女の兄の墓標に報告をして、何かを取り出した。それは、丸い形をしたボタンだった。
鮮やかな黄色が、印象的だ。
「兄の形見です。これで、私はいつまでも兄と一緒です」
そう言って、エレアさんはそれを大事そうに荷物の中にしまった。その後、さすがにエレアさんが一緒では、ガミーも以前のような無茶はしなかった。
(もっとも、身体の傷のこともあったのだが…)
そして、しばらくして俺の棲んでいた町へ戻った。
俺は、覚悟を決めてゲンコツ親父の前に出て、今までのことを詫びた。親父は、ジッと俺の顔を見ていたが
「…いい面になって帰ってきたな」
口元に、ちょっと笑いを浮かべて言った。
「だが!」
不意を突いて、脳天にゴツンと来た。俺が、半ば呆気にとられていると
「もう二度と、こんなことをするんじゃないぞ」
俺は、親父の目に涙がにじんでいるのを見て言葉を失った…
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