第4章 緑が島を目指せ

1.海賊さん、こんにちわ

それから、ガンバ達がどうしたか…くだくだと書くこともあるまい。

「…潮の匂いがしてきたな」
馬車の荷台の隙間から、ひょいと顔を出したヨイショが言った。
「どれ…?」
傍らのガンバも、鼻を動かしてみるが…
「……?」
怪訝そうな顔をしていると、ヨイショは
「ハハハ…まだまだ、だなガンバ!」
と、ガンバの背中を軽く叩いて荷物の中に潜り込んだ。
「チェッ…」
ガンバが、少し面白くない顔をしていると
「うーん、僕の鼻も潮の匂いを感じませんけどね…」
いつの間にか、ジュンが横に来ていた。
「だろう?ヨイショめ、俺をからかったな…」
ちょっと眉をしかめるガンバ。
「でも…ヨイショさんは、本当の意味で海の男ですよね…」
ジュンは、ちょっと遠くを見ながら呟くように言った。
「まあな…海の上じゃ、ヨイショは頼もしい存在だぜ。だけど、ジュンも海賊の末裔だろう?俺なんかより『海の男』じゃねぇか」
すると、ジュンは軽く首を横に振った。
「とんでもない…実は、その逆なんですよ。僕、ケンカは弱いし知識だって大したことないし、長い距離を泳げないし…そのくせ、何かといえば
 『お前は、ラモジャの末裔だ』って言われて…それはそれで誇りですけど、重荷でもあるんです。今回の旅だって…半ば勢いでした。バカにされて口惜しくて…
 だったら、伝説のお宝を発見してやる、なんて口走ったために…でも、途中で帰ったりしません。絶対に、お宝を発見するまでは…」
「そうそう、その意気だぜ!」
今度は、ガンバがジュンの背中を叩く番だった。


翌日、陽が西に傾き始めた頃にガンバ達は港町に着いた。
「ここから、緑が島へ向かう船が出ているはずですぞ」
「出てりゃあ、いいがな…」
イカサマが聞こえよがしに自分の言葉を揶揄するが、ガクシャはそれを無視した。
「…ウホン、で…どの船が該当する船か、みんなで手分けして捜そうではないか」
「そうだな。一刻をあらそう旅じゃねぇが、ちょっと寄り道したからなあ…あんまり、のんびりしてられねぇぜ…」
ヨイショの言葉に、ガンバが身を乗り出した。
「そういうこと!さあ、みんなで捜そうぜ!」
言うが早いが、飛び出して行ってしまった。
「ガンバ…!ったく、あのバカ…落ち合う場所を決めてねぇじゃねぇか」
小さくなっていくガンバの背中を見送りながら、ヨイショは呆れたように呟いた。
「大丈夫ですよ。きっと、この場所に戻ってきますって」
忠太が、おかしそうに笑いながら言った。
「だろうな。ま、ここいらを『その場所』にするか?」
「そうしましょう」
「では、私はここに残ります」
早々と、シジンが役割分担を申し出る。
「お…おいらも…」
ガンバに取り残された恰好になったボーボも、手持ち無沙汰な調子で言った。
「…大丈夫かい?ま、それほど妙な雰囲気のある町でもなさそうだがよ」
ヨイショは、ふたりの様子にちょっと眉をしかめたが
「その時は、その時です」
シジンにしては、珍しくちょっと呑気な口調の受け答えに、ヨイショ達は思わずお互いに顔を見合わせたが、そう言うのならと、彼らはそれぞれに港町へ散った。
「……」
しばらく町を駈け回っていた彼らは、共通した感想を抱き始めた。
“これだけ広い町なのに、妙に活気がねぇぜ…”
町が広いだけに、港もかなりの大きさだ。人間も大勢いる。もちろん、ネコも。
しかし、それに比例するように、港ネズミや船乗りネズミ達の姿がいてもいいはずなのに、それが少ない。いや、ほとんどいないと言っていいくらいだ。
“何だか、いやな予感がするぜ…”
イカサマは、足元に転がしたサイコロの目を見て呟いた。

「おい、そこの奴…待ちな」
背後から呼び止められて、ヨイショはゆっくり振り返った。
「見ねぇ顔だな…ああん?」
相手のふてぶてしい態度に、ヨイショの表情も険しくなる。相手は、三匹…
「おめぇらこそ、何だい?呼び止めといて、その態度は?」
すると、傍らのひとりが食って掛かる。
「何だと?そういう態度を取ると…」
すると、ヨイショを呼び止めた奴がそいつを制しながら
「おめぇ、ここがダーナ様の縄張りだって、知ってんだろうな?」
「…ダーナ?誰だ、そりゃ」
吐き捨てるようなヨイショの口調に、抑えられていたひとりが怒り出して、ジタバタと暴れる。
「ケッ、ダーナ様の名も知らねぇとはな。いいだろう、俺達が教えてやるぜ!」
彼らは一斉に、ヨイショに襲い掛かってきたが…
「チッ…歯ごたえのない奴らだ。さっきの威勢はどうしたのかねぇ…」
ヨイショは、それでも口の中を切ったと見えて、口から流れる血を拭き取りながら傍らで、無残にノックアウトされた彼らを見ていたが…
「…まさか!こうしちゃ、いられねぇ!」
ふと、何かに気付いたようにその場を後にした。そして、彼らが落ち合うはずの場所に戻ると…
「……!」
果たして、シジンとボーボの姿がない。
「シ…シジン!ボーボーッ!」
慌てて、彼らの名前を叫んだが返事はない。
「まずい…他の仲間も!」
その時、そこから少し離れた場所…砂浜の一部が、モゾモゾと動いて…
「…ボーボ!」
中から、砂まみれのボーボが顔を出した。
「ペッ、ペッ…ああ、ひどい目に遭った…」
続いて、シジンも同じように砂まみれの状態で現われた。
「ど、どうしたんだい?ふたりとも!」
「それが…訳も分からず、いきなり襲われて…ボーボが砂地を必死に掘って、その中に隠れていたんですよ」
「で、他の連中は?」
緊張した表情で、ヨイショがシジンに訊ねるが
「さあ…隠れる前は、誰もまだ」
シジンの返答は、事態が悪い方へ進んでいることを意味していた。
「マズイな…」
その時、ヨロヨロとこちらに近づく影が。
「ガ…ガクシャ!どうした、大丈夫か?」
ガクシャは、全身にアザが出来ていた。
「何…骨は折れていない。ちょっと派手にやられたが…この通り、メガネは無事だ」
ガクシャは、強がっているつもりらしい。
「どうやら、見知らぬヨソ者は、徹底的に排除するつもりらしいですぞ」
シジンに手当てしてもらいながら、ガクシャは自分の見解を述べる。
「ああ。ダーナとか言っていたな…そいつらの親分らしい」
「か、海賊…じゃないの?」
ボーボが、半ベソの表情で言う。
「いや…だとしても、海賊の風上に置けねぇチンピラだぜ!」
ヨイショは、拳を握って大声を上げた。
「どうも、そのようだぜ…」
物陰から姿を現したイカサマも、誰かに二、三発パンチを食らったような顔をしていた。
「イカサマ…お、おめぇも…」
「へへ、お返しに倍は殴ってやったぜ」
続いて、こちらに駆けて来る影が…
「み、みんな…!」
忠太とジュンだった。
「何だか、尾行されているようで…町中の雰囲気が怪しいから、急いで引き返して来たんです。でも、皆さんがいて良かった…」
「いや、そうでもないぜ…」
ヨイショの、押し殺したような声にジュンはハッと気付いた。
「ガ…ガンバさんが…!?」
「ああ…それより、まんまとしてやられたって、感じだぜ…」
そう、彼らは少なくとも自分達の倍以上の数のネズミ達に、囲まれてしまっていた。
「くそう…」
数の差からして、彼らには抵抗できる雰囲気ではなかった。


「あ…ててて…」
薄暗い部屋の片隅で、モゾモゾと影が動いた。
「ちっきしょう…いてて…ここは、どこだ?」
顔を歪めながら、辺りを見渡しているのはガンバだった。
「……」
埃っぽく、雑然と物が置かれていて、薄暗く…どうも、倉庫らしい雰囲気だった。
“それにしても、誰が?どうして…?”

ガンバは、独り港町を走り回っていた。そして、港にいたネズミに声をかけた。
『ちょっと聞きたいんだけどよー、緑が島ってとこへ行く船は、どこだい?』
すると、相手は…それまでごく普通に雑談していた二匹は、ガンバのことを胡散臭そうに一瞥すると、プイと背を向けて立ち去った。
『な、何でぇ…愛想ねぇなあ』
ガンバは口を尖らせたが、見知らぬ土地でこんな素っ気無い態度を取られるのは別に珍しくないから、気を取り直して走り出した。
『よお、ちょっと聞きたいん…』
ところが、ガンバに対して素っ気無いのは他のネズミ達もことごとくそうだった。
“何だか、様子がおかしいな…”
さすがのガンバも、この雰囲気に嫌な感じを覚えた。そして、とりあえず仲間達のもとへ引き返そうとした。
「……!」
ガンバの目の前に、ちょっとふてぶてしい態度のネズミが立っていた。
「だ、誰だ?おまえはっ!」
しかし、相手はガンバをジッと見たままでいる。そして、突然走り去った。
「あっ…!ま、待てっ!」
ガンバは、そのネズミを追いかけて走った。しかし慣れない町だけに、あっという間に見失った。
「ちっ…どこへ行きやがった…?」
ある建物の角で、ガンバが逃げたネズミを追って辺りを見渡していたその時…!
「グッ…!」
突然、背後から何か硬いもので後頭部を思い切り殴られた。ガンバは、訳が分からないまま気を失ってドサリと倒れ伏した。
「気の毒だがな…この町でチョロチョロするからだよ。馬鹿な奴だ…」
さっきのネズミが、木の棒を手にしながらニヤッと笑って言った。

一方、その頃…
「ヘヘヘ、分かってんじゃねぇか。そう、抵抗しない方が利口だぜ」
数で敵わない上に、各々が手に武器を持っていたのではさすがのヨイショ達も、不承不承ホールドアップしないわけにはいかなかった。
「おまえ…その様子じゃ、それなりに経験しているようだな?」
ひとりが、ヨイショに近づいて聞いた。
「あ、ああ…」
「フン、使えそうだぜ。残りは…大したのがいねぇが、まあいいか。ダーナ様のために働いてもらうぜ」
相手の勝手な言いぐさに、ヨイショ達は不愉快そうな顔を見せたがそれが精一杯の抵抗だった。彼らは、周囲を囲まれてある場所に連行された。
「このなかで、おとなしくしてな!」
彼らは、突き飛ばされるようにある場所に入れられた。
「くそう…一体、何がどうなってんだ!」
ヨイショが、今まで押さえていた感情を爆発させた。
「す、すみません…僕らが尾行られているのに気付かずに…」
ジュンが、弱い声で言うと
「そうとばかりも、限らねぇよ…どうやら、俺らはマークされていたようだしな」
イカサマが、答えていると…
「エッ…そ、その声は?」
奥の暗がりから、聞きなれた声が誰何して来た。
「エエッ!?」
「ガンバ…!」
「な、何だい…みんな、揃って…?」

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2.運命は、サイコロ次第?

彼らは、おたがいの身に起きたことを話した。そして…
「どうやら、俺達が来るべきところじゃなかったようだな…」
「わ、我輩のせいでは…ない、ですぞ」
ガクシャが、慌てて予防線を張る。
「ヘッ、誰のせいって問題じゃあねぇだろう?」
「イカサマの言うとおりです。彼らが、一体何者なのか?ヨイショの聞いた、ダーナとは何者なのか…?」
と、シジンは慌てて口を閉じた。その耳が、誰かの来る気配を察知したのだ。
「シッ…」
すると、しばらくして入口にさっきの奴が現われた。
「全員出な…ダーナ様が話があるってよ」
「……」
彼らは、ちょっとムッとした表情のまま付いていった。逃げ出してもすぐに捕まってボコボコにされるか、下手すりゃ命が危ないのは分かっていたからだ。
「ダーナ様、連中を連れてきました」
とある場所で、入口を覆っている厚手の布の前でそいつは中に報告した。
「よし、入れ…」
中からの声を聞いて、ヨイショはちょっと怪訝そうな顔した。だが、それをあからさまにはせずに、ガンバ達と共に中に入った。
「……」
中は、質素な部屋だった。正面の壁に、古びた地図が貼ってありいくつかの印がついている。
そこにいたネズミは、その地図を見て…つまり、彼らには背中を向けて…いた。腰に重そうな剣をぶら下げ、頭部を薄い布を包んでいる。
「おまえ達は…この辺りの連中では、ないな?」
相手は、ガンバ達に背中を向けながら尋ねた。
「それがどうした?俺たちを、こんな目に…」
ヨイショが、それ以上言うなとガンバの肩を掴んだ。そして…
「ああ…船乗りにゃ、決まった居場所はねぇからなあ…」
ヨイショの低い声に、相手はピクッと反応した。そして、ゆっくりこちらを振り返った。
「お、おまえは…?」
「久しぶりだな…え?」
ガンバは、相手がヨイショの知り合いだと分かるとちょっと安堵したが、すぐにそれが思い違いであると察した。
ヨイショのダーナを見る目は、笑っていなかったからだ。
「これはまた…奇遇ってやつだねぇ。おまえにこうして逢えるとは」
ガンバは、その時初めてガクシャも硬い表情をしていることに気づいた。
「へへ、二度と見たくねぇ面だったがな」
「へらず口を…まあいい。そっちの相棒以外は、見たことないが…安っぽい連中従えて、海の男気取りかい?相変わらず、ガキっぽいねぇ」
「フフ…女のおめぇに、言われたかねぇな」
ヨイショのセリフに、事情を知らないガンバ達は驚いた表情で、改めてダーナを見た。
「何だい?女が海賊の首領をしているのが、そんなに珍しいかい?」
ダーナは、ガンバ達に食ってかかる。
「いや…みんなは、君があまりに女性としての魅力を兼ね備えていないことに、驚いたのであろうな」
すかさず、ガクシャが皮肉を決める。
「何だと…シッポなしが!」
ダーナも負けじと言い返すが、ガクシャは表情を変えなかった。
「まあいいさ。俺達が、あのノロイをやっつけたと言っても、おめぇには関係ないことだものな」
ヨイショが勝ち誇ったように、ちょっと口元に笑いを浮かべて言った。
「はん、何かと思えば寝言かい?おまえは、昔からその口に相応な大口を叩いていたが…もう少し、現実味のあることを言いなよ」
ヨイショは、すかさずガンバの肩をギュッと掴んで、ガンバが敵意をむき出しにするのを抑えた。
「…まあいい。これは思わぬ収穫だったよ…訳の分からん連中に鞭打ったって、出来る仕事は限られている。その点、おまえ達なら使いやすいな」
ダーナは、独りでニヤニヤ笑っている。そして、部下を呼ぶと彼らを再び倉庫のような場所へと連れ込んだ。

「ヨイショ…あいつは、一体?」
「海賊の末裔…今では、ダーナと名乗っていたとはな。何でも、男が生まれなかったからあいつが跡継ぎとして、教育されたらしい。
 まあ、海賊とは名ばかりで、海賊の風上に置くこともできねぇ、柄の悪い女よ」
ヨイショは、手短に説明する。と、傍らのジュンの表情に気付いた。
「ん?どうしたんだい、ジュン…」
「あ、あの紋章は…」
「あの紋章…って?」
「ダーナの服の襟に…あれは、間違いなく『黒鷲のドラン』の紋章だ…」
「黒鷲のドラン?」
「ご先祖と、敵対関係にあった海賊の一派です。狙った獲物は、どんな手を使っても力ずくで奪い取る…」
「なるほど、そういうことですか…」
「何でぇガクシャ、独りで納得して…」
イカサマが、からかい半分に声をかけると
「いえね、例の本の一節に…こんな記述がありましてね」

かなたで助けを呼ぶ声聞けば、疾風(かぜ)の如きに駆けつけて

救いを求むる手を見れば、力の限り差し伸べる

黒い翼に戦い挑む、胸に輝く紅き矢は、正義を貫く勇者の印…

「恐らく、その『黒い翼』とは、ドランのことを指しているのでしょう」
ガクシャの話に、みんなは一様にうなずいた。
「で、みんな…そうと分かれば、奴らの前でラモジャのことを口にするな…面倒なことになりかねないからな」
ヨイショが、仲間達に釘を刺した。ガンバ達は、ちょっと緊張した顔でうなずく。と、ふと思い出したように
「イカサマ…こんな時、おまえのサイの目はどういう目を出すんだろうな?」
ガンバが、ちょっと雰囲気を和らげようとして言った。
「まさか『一』と『八』で、一か八か…なんて目は出まい?」
珍しく、ガクシャがまた皮肉を決める。イカサマは、ちょっと澄ました顔をして
「さあてねぇ…『四・二(しに)』目が出なきゃ、いいんだが…?」
そういって足元に、サイを振った。
「一・六の半…」
「と、いうと…?」
「一の目は『天』で、六の目は『地』だ。つまりよ、天国か地獄か…どっちかだってことさ」
「ヘッ、地獄だったら閻魔様の鼻っ柱を、ひと齧りしてやるぜ」
ガンバの言葉に。ヨイショも呼応する。
「俺も、地獄の鬼をことごとくノックアウトしてやらあ」


それから、ガンバ達はダーナの部下達にこき使われる日々が続いた。彼らは、何組かに分けられると港での荷役や、使いっ走りにされたのである。
その『ネズミ使い』の荒さは並みではなく、最初のうちこそ仕事が終わるとねぐらでぼやきあったものの、誰もが疲れから口を利くことすらしなくなった。
「…ガンバ、大丈夫か?」
とうとう、ガンバまで黙ってしまったのを見てヨイショが心配そうに訊ねた。
「ヘヘ…大したこと、ねえよ」
だが、近づいてみると手ひどくやられている。
「お…おい!」
ヨイショがビックリして近寄ると
「ヘッ、ヨイショのに比べりゃあ…あんなヘナチョコパンチ…」
傍らでこれもまた顔を腫らしたボーボが、泣き言を言う力さえ無いように黙って座っているのを見て、ヨイショは大体の事情を察した。
恐らく、ボーボがヘマをやらかして奴らにやられているのを見て、ガンバが割り込んだのだろう。そして、奴らに食って掛かって、袋叩きに遭ったのだろう。
“ちきしょう…”
ヨイショは、思わず拳を握って肩を震わせた。だが、今の自分には…
“いずれ、チャンスがきたら…だが、その時のためにも、せめて自分だけでもまともでいないと…”

…その翌日、荷役をしていジュンは目の前で自分と組んでいた忠太が、フラフラと倒れをたのを見て、慌てて駆け寄った。
「ち、忠太君…?」
と、彼にある影が近づいて左手を肩にかけた。その手は、忠太を覗き込むように屈んでいたジュンの身体を起こした。
「……!」
次の瞬間、ジュンの目の前に右拳が迫っていた。相手は、監督役の部下でヨイショ並みの体格だ。たちまち、ジュンは後ろに吹っ飛ばされた。
「てめぇは、持ち場に付いてろ!」
怒鳴り付けられた上に、倒れた忠太を無理矢理立たせようとする相手を見て、ジュンは怒りがこみ上げてきたが、
立ち向かう勇気が出なかった。
“……!”
だが、相手が自分を見たその目が『お前など、相手にもならない…』と、見下しているのを見た瞬間、ジュンの心の奥でくすぶっていたものに、火が点いた。
「ん…」
「おっ、気が付いたか?しっかりしろ、ジュン!」
ぼんやりと目を開いたジュンは、状況を把握できない様子だった。
「……?」
「気分は、どうです?」
シジンに声をかけられても、ジュンの目は虚ろだった。
「だいぶ、ひどくやられていましたからねぇ…」
傍らのガクシャも、心配そうだ。そして、オロオロとした顔で近づいてくる忠太に
「意識が戻ったから、一安心だよ」
慰めの言葉をかけるが、忠太は涙を流している。
「ボ、ボクのために…」
ガクシャは、黙って忠太の肩に手をかけると軽くその肩を叩いた。
「ち…忠太く…ん、だい…じょう…」
細い声が、うわ言のようにジュンの口から漏れてきた。忠太は、ガクシャを押しのけるようにジュンのもとへ駆け寄った。
「ボクなら、大丈夫。ジュンさん、しっかりして!」
涙声でジュンに呼びかける忠太の声に、ジュンはうっすらと笑いを浮かべた。
「良かった…君が、無事で…」

あれからジュンは、例の部下に立ち向かったのだ。しかし必死に攻撃したものの、相手にはパンチは届かず逆にパンチを食らって、倒されてしまう。
『もう少し、殴り方を覚えてから来るんだね…』
相手は、ますます馬鹿にしたように言い放った。ところが…
『……』
ジュンは、ゆっくりと身体を持ち上げ始めたのだ。
『そうかい…もっと痛い目に遭いたいらしいな…』
相手は、ジュンの襟首を掴むとグイと身体を起こした。
「後はよ、血だるまになって白目むくまで、叩きのめしてやったぜ」
まるで愉快なことをしてきたかのように、そいつは仲間に話をしていた。仲間もまた、痛快な話として聞いていた。
「馬鹿な奴だぜ。俺達に刃向かおうなんてよ!」
「あいつらをとことん、こき使おうぜ。ちょっとでもフラついたら即、仕事は倍。歯を食いしばっているようなら、望み通り5倍にも10倍にもしてやる!」
「お、良いアイディアじゃねえか。ハッハッハ…」
すると、突然…
「おまえ達、馬鹿なことをしてくれたね!」
背後に、ダーナが立っていた。
「ボ、ボス…いや、その…」
「いいかい、私はあいつらを飼い殺しにしろと言ったが、叩きのめせとは言っていないんだよ。余計なことをしてくれて…」
ダーナは、ちょっと不満そうな顔の部下達を睨みつけた。
「これで、あいつらはますますこっちに従わなくなるじゃないか…いいかい、あいつらは遊びで旅に出るようなお子様じゃない。
 何か、あいつらを駆り立てる『目的』があるに違いないんだ。それを、力ずくで口を割らせようとしても逆効果だから、あいつらを軟禁状態にして
 動きを見張っているんじゃないか!」
部下達は、ダーナの迫力と話の内容にただ小さくなっている。
「いずれあいつらは動く。それを尾行て、最後に横取りをするも良し。手がかりをつかんで、出し抜くも良し。馬鹿どもが…まあいい、別の手を考えるとしよう」

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3.時化だ、嵐だ、脱走だ

それから3日後の早朝…
「おいっ、起きな!」
突然ガンバ達は、叩き起こされた。
「な、何だ…?」
事情も分からず表に連れ出された彼らは、こちらを見て笑うダーナに表情を変えた。
「おやおや、全員寝起きが悪いねぇ…」
ふてぶてしい態度に、彼らはますます仏頂面になる。
「まあいい…全員、この船に乗りな」
ダーナが指さしたのは、それほど大きくはない貨物船だった。
「あんた達のことだ…どうせ、海の男だとか何とか言って、陸での仕事は性に合わないんだろうしね」
「へっ、ご親切なこった」
ヨイショが、吐き捨てるように言った。しかし、ダーナはニヤニヤ笑っている。
「いいかい、この船は朝には出港するからね。早く、乗り込むんだ。中では、私の部下が面倒見るよ」
「何だい、やっぱり監視付きかい…」
イカサマが、斜めを向いて言った。
「ふふ、私でなくて悪かったねぇ」
ダーナの皮肉に、イカサマはそっぽを向いたまま『ケッ』と言う顔をした。
「…行こうぜ、みんな」
それまで黙っていたガンバが、低い声で仲間を促した。
「お…おい、ガンバ…」
ヨイショが少し苦い顔をするが、ガンバはお構いなしだった。
「いいじゃんか。抵抗したら、みんな袋叩きに遭うだけだぜ…俺はともかく、みんなが殴られるの、見てられねぇぜ」
「フン、良い子気取りかい?気に入らないね!」
すかさず、ダーナの左手がガンバの胸ぐらを掴む。ガンバは、その手に思いっきり前歯を突き立てたい気持ちを必死に押さえて、その代わりダーナを睨みつけた。
「まあいい、どのみち私の監視の目から逃れることは、出来ないんだからね!」
ダーナは、ガンバを突き飛ばすように手を放すと、部下に命じてガンバ達を船に連れて行かせた。


「どういうつもりなんだろう、ダーナの奴…」
目の前に広がる海を見ながら、ガンバは傍らのヨイショに言った。
「…さあな」
ガンバ達は、船の中でどんなことが待っているのかと構えていたが、これと言ったことをさせられるわけでもなかった。
「…いわゆる『船の缶詰』ですよ」
ジュンが、ちょっとまじめな顔で言った。
「船の缶詰…?」
ガンバの言葉に、ジュンはうなずく。
「つまり、この船に僕らを閉じ込めておこうと言うんです」
「何だって?」
「恐らく、この船はしばらく港には寄らないでしょう。そして、寄ったとしても僕らは降りることを許されない…」
「じょ…冗談じゃない!」
「陸の上ならともかく、海の上じゃ逃げ場はないからな。体のいい牢獄だぜ」
ヨイショが、頬杖を突きながら呟くように言った。
「こ…こうなったら、どこか陸地でも島でも、何でも見えたら海に飛び込もうぜ!」
「全員で、か?」
「どう言うことだよ、ヨイショ?」
「ああして、さりげなく見張られているんだぜ?俺らが集まりゃ、奴らも集まる」
ヨイショが小さく顎で指した方には、ダーナの部下の顔が見え隠れしている。
「じゃあ、みんなバラバラの位置から同時に…」
「どうやってタイミングを計る?それに、もし誰かが逃げ損なったら?」
「そんなこと…言ってたら、キリないよ!」
「声がでけえよ…ともかくだ、今はじっとしてるしかねえぜ」
こんなことは、初めてではなかった。だが、いつもなら殴り合いになってもヨイショに食ってかかるところだが、今はそれが許されそうにない。
ガンバは、不満を顔いっぱいに出したままその場を去った。
「ったく…あいつは、昔からああだからなあ。その場の状況ってやつを、ちっとも理解しねえ…」
ヨイショは、ジュンに苦笑して見せた。ジュンも、それに合わせて苦笑して見せたが、ジュンはそう言うヨイショこそ、ダーナの部下を殴り飛ばしてでも
ここから仲間達を逃がしたいと言う気持ちでいることを、分かっていた。


翌日、海はひどい時化に見舞われた。
「…すごい風だ。波も荒いし、こりゃ、相当揺れるぞ」
表の様子を見に行ったヨイショは、すぐに引き返してきた。仲間達は、今日は一ヶ所に固まっている。
「それにしても、何だってこんなところを通るんだい…」
ガンバの口からは、ちょっとしたことですぐ文句が出るようになった。
「さあな…船を操舵してるのは、人間だからな」
賛意を待っているガンバの言葉を、ヨイショがあっさりと切り捨てる。ガンバは、少し口をとがらせたがそれ以上何もしなかった。
「……」
船は、波に揺さぶられているのと、その波に逆らい何とか進もうとするエンジンの振動とで、ただならぬ状況だった。
「それにしても、強引と言うか…こんな海域を、わざわざ通らなくても?」
ジュンが呟くように言った。
「恐らく、まともな船ではないのであろうな。多少の危険を冒しても、他の船を避けて通りたい…」
ガクシャの意見に、シジンがうなずく。
「なるべく、他の船が通らない海域を選んでいるようですね」
「でも…自分達だって、沈没の危険があるのに…?」
忠太は、ちょっと納得出来ない表情だった。
「ま、事情は分からねえけどよ、他にも一刻を争っているのかもしれねぇしな」
ヨイショが、腕組みしながら言った。と…
「お、おいら…もう、駄目…」
ついにボーボが、ダウンしてしまった。
「しっかりしろ…と、言ってもこの揺れじゃあなあ…俺も、落ち着かないぜ」
心配そうにボーボに声をかけたガンバも、その表情に余裕はない。
「みんな、ここはじっとしてる方が良さそうだぜ」
ヨイショの言葉を待たずして、みんなは元気のない顔で壁にもたれていた。そんな彼らを、見張る目が…
「フン、奴らもなかなかしぶといな」
「まあいいさ。奴らの地獄は、これからだぜ。奴らは船を降りることも、逃げ出すことも出来ねえ。そのうち、錯乱し始めるだろうぜ…」
彼らは、不敵な笑いを浮かべてガンバ達を見ていた。

時化はその翌日には収まったが、ガンバ達には2、3日の間揺られていたように感じるほど、ひどい揺れだった。
「あーあ…お腹すいた…」
ボーボの言葉が、全員の回復を告げた。それを合図にしたように、彼らは甲板に出ると思い思いに日光を浴びていた。
彼らは、特に仕事を言い付けられるわけでもなく、何かをやらされるのでもなかった。しかし、絶えず…それこそ、夜中も交代で…見張られている以外は
全くの自由だった。それはすなわち、暇でもあった。
「……?」
仰向けに寝ていた自分の顔を、覗き込むように見ているガンバに、ヨイショはちょっと怪訝そうな顔をした。
「もう、10日だぜ?」
ガンバが、からかうようにヨイショに声をかけた。
「…それが、どうしたい?」
「へへへ、そろそろヨイショが我慢できなくなってるんじゃないかと、思ってさ」
「ちっ、くだらねぇ…何かと思えば。それとも、ケンカでも売っているのか?」
以前のことを思い出したヨイショは、馬鹿馬鹿しいと言った表情を見せた。
「腕で来るなら、いつでも相手になるぜ。だがよ…」
ヨイショは、ゆっくり身体を起こすと
「そういう雰囲気じゃあ、なさそうだもんな…」
ちょっと意味ありげに言った。ガンバも、横目で自分達を見ている影を確認して
「確かに、そうだ」
そう言って、ガンバはその場を離れた。彼らの裏手では、シジンが座っていた。
シジンは、何か口の中でブツブツ言っている。思えば、例の港町に着いて以来シジンは全く酒を飲んでいない。
そろそろ、禁断症状ってやつが出てきたか?と思ったが、よく見ると詩にならない詩を、口の中で呟いてるだけだった。
“いつものことか…?”
仲間のもとに戻ると、ガクシャは地図を広げて何か計算している。ボーボは、失敬してきたジャガイモを頬張っている。
少し離れたところで、イカサマがサイコロを転がす音が聞こえる。忠太とジュンの姿が見えないが、ふたりでどこかへ行ったのだろう。
まあ、姿が見えないからと言って騒ぐこともない。
“これも、いつものことだ”
ガンバは、大あくびをするとその場に座り込んでウトウトし始めた。これが、文字通り『嵐の前の静けさ』だと言うことには、全く気付かずに。


…水平線の向こうから、黒い雲が迫ってきた。
「嫌な雲だな…」
ヨイショの言葉を待つまでもなく、その雲が意味するのは本格的な嵐の前触れだった。ガンバは、前に嵐の海でひどい目に遭ったことを思い出した。
“この船は、大丈夫だろうな…”
時化の激しい海域でも、強行突破するくらいだから嵐に怯むことはないだろうが、それと船の安全性とは別問題だ。
「……」
次第に、空は黒い雲で覆われ始めた。風が徐々に強くなり、波が荒くなってくる。
「いよいよ、嵐の中に突入だぜ…」
少し緊張した顔で、ガンバが呟く。船は、次第に揺れが大きくなってきた。ガンバ達は一ヶ所に固まった。
甲板に通じるドアが、風に煽られガタガタ音を立てる。表では、雨が激しく船体を叩いているのが、その音で手に取るように分かる。
「…みんな、話がある」
突然ヨイショが、低い声で言った。仲間達が、思わずヨイショの顔に注目した。
「この嵐に紛れて、ここから逃げ出すんだ」
「……!」
突拍子もない話だけに、さすがにガンバも声が出なかった。
「危険性は、百も承知だ。だが、このままズルズルと奴らの監視のもとで、飼い殺しにされるよりは…」
事態の打破を考えているのは、みんな同じだった。しばらくうつむいていた彼らが、顔を上げた。そして、全員の目がうなずき合った。
「よし、決行は今夜だ。夕方、少し遠いが陸地を確認している。みんな、無事にそこへ泳ぎ付いてくれ」
「へっ、命懸けは初めてじゃねぇしな」
ガンバが、ちょっと無理な笑顔を見せた。
「そういうこったな…」
イカサマが、足元にサイコロを転がしながら言った。
「イカサマ…どんな目だい?」
ガンバが訊ねると、イカサマは足元の出目を顎で指し示すように
「一・六の半」
「たとえ行きつく先が地獄だとしても、ここよりはマシだろうぜ…」
ヨイショの言葉が、彼らの決意を表していた。

…しばらくすると、彼らのいた場所の明かりが消えた。
「よし、行くぜみんな…」
ヨイショの低い声が、号令を発した。
「いいか、みんなこれにつかまれ。この嵐だ、波の荒さは半端じゃねぇぞ。流されねぇように、しっかりつかまるんだ」
ヨイショは、細長い木の板…人間が見れば、壊した木箱の木片に過ぎないが…を抱えて言った。
「ようし、みんな行こうぜ!」
決意を固め、仲間達に声をかけるガンバの頭上で、雷鳴が轟く。
「それっ!」
彼らは、荒れ狂う海へと飛び込んだ。ダーナの部下達はそれに気付かなかったが、もし気付いていても、とても追いかけられる雰囲気ではなかった。
「うわっ…!こりゃ…」
ガンバ達の覚悟を上回る激しさで、波は彼らに襲い掛かってきた。あの船を呑み込まんばかりの高さに持ち上がった波が、一気に頭の上から落ちてくる。
もがいても、もがいても、目の前の水はなくならない。一息でいい、空気が吸いたい…しかし、手を放したが最後で一気に波に流され、呑み込まれてしまうだろう。
「くそう…どうなってんだい!」
彼らにとって、最大の『誤算』は海水が予想以上に冷たかったことだ。
「こ、ここは…き、っと…冷たい、潮が…ワップ!」
ガクシャの言葉も、途切れがちだった。
だが、問題はこの冷たい海水がどんどん彼らの体温を奪い、身体が麻痺させてきたことだった。
“く、くそっ…ここで…終わり、か…?”
意識が朦朧としてきたヨイショは、目の前に仲間が何匹いるのかさえ分からなくなっていた。
そして、自分も次第に意識が遠のいていった…

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第4章・完
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