12.すったもんだの再出発
船が座礁して3日が経った。
「やっと、人間達はいなくなったようだぜ」
船の中を見に行ったジャックが、戻って来ると仲間にそう言った。
「ってことは、漏れた油の始末も終わった、ってことだな」
ベアーが、ゆっくり身体を持ち上げながら言うと、ジャックはうなずいて
「ああ、かなりきれいになったぜ」
「それにしても、すげぇ騒ぎだったな…」
ガンバが、周囲を見渡して言った。その船底は航海していた時と比べて、ガランとして殺風景になっていた。
「まあ、荷物だけでも早く運び出したかったんだろうな」
シャドーは他人事のように言うが、あれからと言うもの、天井が大きく口を開けたかと思うと、何やら巨大な物体(クレーンのフックだった)が
大音響と共に降りて…と言うより落ちてきた。
そして、人間がバタバタ行き来して、荷物が次々と無くなっていって…ものすごい騒ぎだったのだ。人間があれだけ騒いでいたのだから、ガンバ達には
天変地異にも等しい騒ぎだった。
「まだ、耳がガンガン鳴ってるよ」
ガンバがぼやくのも無理はない。彼らは行き場を失い、船底の片隅でジッと隠れていたのである。
「ねえ、人間がいなくなって、この船はどうなるの?」
ボーボの言葉に
「そうだな。このまま、ってわけにもいかないだろうから、この船を沖まで引っ張って行って、どこか近くの港まで持っていくさ」
シャドーが、相変わらず他人事のように言った。すると
「何、呑気な事を言ってんだい。あらかた荷物を出したら、こんな船は用無しさ。いつまで経っても、ここから動かさないぜ」
ベアーが、ちょっとムッとした口調で言った。
“どっちなんだろう?”
その時は、ふたりともそれ以上は言わなかったし、ジャックもリッキーも黙っていたし、ガンバ達にはもとより意見は出ない。
しかし、後から思えばこの会話が、すったもんだの始まりだったのだ。
しばらく後、ガランとした空間になった船底で、ガンバ達が車座になっていた。
「まあ、結論から言やぁ…いつまでもこうしていたって、仕方ないってことさ」
ベアーが、腕組みをしながら言った。みんな、それに異論はない。
「で、問題はどうするか…だろう?」
シャドーの口調に、ベアーがちょっと険しい眼になった。
「ともかく、ここでジッとしていたって、埒は開かねぇ。こんな座礁した船、さっさと出て行くに限る」
ベアーは、半ば命令口調で話を進めようとする。
「出ていくのは賛成だがよ、その後はどうするんだい?延々、泳いで行くのか?」
シャドーの口調も、真剣味を帯びていた。
「この辺りは、岩礁だらけ。せめてイカダくらいなくっちゃなあ」
ベアーの眼に『うるせぇなあ』と言う色が、出てきた。
「でもよ、見ての通りきれいさっぱり…人間ども、こういう時は必要最低限を運び出したら、後は乱雑にしていくもんだが…それもほとんど残っていねぇ」
シャドーは、仲間の顔を見渡すように言った。
「……」
リッキーもジャックも、黙っていた。ガンバとボーボに、意見があるわけがない。ただ黙って、成り行きを見守っていた。
「結局、イカダを作る材料すら見当たらねぇんじゃ、俺らにはお手上げさ」
「だけど…!」
シャドーの言葉を遮るように、ベアーが声をあげた。
「……」
その声の勢いと、何を言うのかと言う思いから、彼らの視線がベアーに集まった。
だが、ベアーにはその後の言葉が続かなかった。
「まあ、食料も乏しいからな…悠長なこと、言ってられねぇのも確かだ」
シャドーの言葉に、一同…特にボーボの顔が曇る。
「そこで、あと2日…それまでに、何の進展がなければ、その時は覚悟を決めて、材料かき集めてここを脱出、ってことでどうだい?」
シャドーの提案に、ベアーは黙っていたが
「…それが最大公約数、じゃねぇのかな」
リッキーの言葉に、小さくうなずいた。
「よし、いざと言う時のための材料集めを、しとこうじゃねぇか」
これで、まずは落ち着いた空気になった。
翌日の昼…
「あれ…おおい、ベアー!船が近づいてくるぞ」
ガンバの声に、ベアー達が集まってきた。
「本当だ…何しに来るんだ?」
「見たとこ、はしけ程度の船だな」
ガンバは、前に寄った港で『はしけ』を『はしか』と言い間違い、仲間に笑われたことがあったので、またからかわれるのではないかと、ちょっと複雑な顔をした。
「…近づいてくるぜ」
「着ける気だな、ありゃ」
ガンバの気持ちをよそに、ベアー達は船のことを気にしている。
やがて、その言葉通り船が横付けになって、数人の人間が各々何かを手に、座礁した船に乗ってきた。
「とりあえず、警戒しろよ」
ベアーの言葉に、物陰に隠れたガンバ達の目の前で、人間達が慌ただしく動いている。何か測ったり、印を付けて回っている。
「ありゃあ、陸の人間だな」
ジャックが、呟くように言った。
「そんな感じだな…」
ベアーの眼から、次第に警戒心が薄れていった。
「それにしても、何をしてるんだろう?」
ガンバの疑問は、みんなの疑問だった。そのうち、シャドーが思い出したようにその場を離れた。
「ったく…まあ、船の人間でなけりゃ、大丈夫だろうが」
ベアーは、ちょっと呆れた顔でシャドーを見送った。
「とにかく、俺らはここにいるんだ」
ベアーが、ガンバの頭を押さえるように言った。ガンバは、口の中で何事かをブツブツ言っていたが、抵抗はしなかった。
「どうも、危なくなってきたぜ」
しばらくして帰ってきたシャドーは、真顔で言った。
「人間ども、この船を爆破する気だ」
「爆破…って、おめぇ…」
ベアーは、ちょっと戸惑ったような顔をした。
「ああやって測ったところに、ダイナマイトを括り付けて、点火する気だぜ」
「……!」
「なるほど、港まで引っ張って行かれねえ、かといって放っていくわけにもいかねえ。だったら、適当な大きさにしちまおう…ってわけだ」
ジャックが、少し呆れたように言った。
「ともかく…早いところ、ここから逃げた方がいいと思うぜ」
「同感。下手したら、部分的にやり始めないとも限らねぇぜ」
リッキーの言葉に、ガンバもうなずいていると
「どうやって?まさか、あのはしけに潜り込もう、ってんじゃあ?」
ベアーがちょっと眉を寄せるが
「他に、どうしようって言うんだい?」
シャドーの言葉に、ベアーは沈黙した。
“……”
ふたりの顔を見比べたガンバは、ここにきてシャドーがイニシアチブを取っていることが、ベアーには面白くないのだと気づいた。
「まあ、人間がああしてバタバタしているし、ここにいつまでもいられねぇのも、確かだしな。いい機会かも知れねぇ」
ガンバには、ベアーが空威張りをしているように見えて、内心可笑しく感じていた。
「そろそろ、人間様はお帰りのようだぜ」
リッキーが仲間達を促すように言った。
「…行くか」
ベアーを先頭に、彼らは船を出てはしけへと向かった。
「こ、こりゃ…?」
ガンバが、思わず声をあげた。
「はしけなんか、こんなものさ。特に持って帰るものはねぇし、空っぽ同然だ」
それでも、彼らはわずかな段ボール箱に隠れるようにしていたが…
「おい、何かいるぞ?」
人間の声がした。見つかったか…?やがて、西日を背に人間の影が近づいてくる。
その手に、殺虫剤のスプレー缶を持っているのを見たベアーは
「チッ、俺はハエじゃあねぇ!」
言うが早いが、その場を飛び出した。
ガンバ達が声を上げる間も、引き留めようと動き出す間も与えない、一瞬の出来事だった。人間は、ドタドタとベアーを追い回していたが、やがて諦めたのか
おとなしくはしけから引き船に移った。
だが、引き船が動き出しても、ベアーが帰ってこない…
「おい、ベアーが…?」
心配そうな声を上げるガンバに、シャドーは何も言わない。ガンバは、その場を離れてベアーを探そうとするが…引き船が動き出すと、カラに近いはしけは
波に煽られ思いのほか揺れる。ガンバも、自分の身体を支えているのが精一杯だった。
「着いたな」
思ったより短い時間で、引き船は停まった。
「そうだ、ベアーは?」
ガンバが飛び出そうとした時、頭の上でドタドタと音がした。
「ネズミがいたって!?」
「ああいうのは、まだ出てくるぞ!」
同時に、ガンバ達に危機が迫る声が頭の上から降ってくる。
「やばいな…」
「海に逃げるか?」
「仕方ねぇな」
シャドー達は、汚い港の海に飛び込んでいく。ガンバは、ベアーのことが気になるが、ここは仲間と共に海に飛び込んだ。
13.海の男への第一歩
「ほら、しっかりしろボーボ!」
シャドーに腹を押されて、口から水を吐き出したボーボは、蒼い顔をしたままぐったりと横たわったままだ。
「いくら泳ぎが苦手だって…ちょっと情けないな」
リッキーの言葉に、ガンバは眉を寄せた。
「んなこと…ボーボも必死だったんだし…」
港の中を泳ぐのは、ガンバでなくても気持ち良いものではない。汚くて、臭くて、ゴミが浮いていて…
『わあっ…た、助けて!』
途中で、ボーボが悲鳴を上げた。
『ど、どうした!?』
ガンバが振り返ると、ボーボが離れた場所で溺れている。
『ボーボッ!』
慌ててガンバが、ボーボのもとに行く。
『どうした!?しっかりしろ!』
すると、ボーボは安心したかのように力なくガンバにもたれかかる。
『ワッ…やめろ、ボーボ!重い…し、沈むよ!』
海の上では、ガンバはボーボを支え切れない。慌てて下に潜り込んで、両腕でボーボの身体を持ち上げた。
“ん…あれ、は?”
よく見ると、ボーボの足に何か絡み付いている。
『あ、シャドー…ちょっと、ボーボを支えていてくれよ』
言うが早いが、ガンバは海の中に潜り込んで、ボーボの足に絡まっている物を取り去りに向かった。
「結局、何てことない紐が、足に絡まっただけじゃないか…それで、全く動けないならともかく…」
リッキーは、慌てたガンバに対する皮肉のように呟いた。
「まあ、とんだ騒ぎだったな」
ジャックの言葉に、仲間達が苦笑する。しかし、ボーボは水をしこたま飲んでしまい、それも汚い海水だけに気持ち悪いとしきりに苦しむ。
さすがに自業自得だ、と口にする者はいないが、眼はそう言っていた。
「何か、おいら…迷惑かな?」
その夜、回復したボーボは弱々しい声で言った。
「何、言ってんだよ!んなこと、ないよ!」
だが、ガンバが強い口調で言えば言うほど、ボーボは黙ってしまう。
“そりゃ…シャドー達の言いたいことは、良く分かるけどさ…”
ガンバは、今までに経験したことのない、複雑な気持ちになっていた。
『てめぇ!文句があるなら、俺に言え!』
ボーボは、確かに鈍くて、不器用で、町にいた時も仲間とのイザコザの原因になった。そんな時、ガンバはボーボをかばって矢面に立つことが、珍しくなかった。
町にいる時には、それでも良かった。仲間がそっぽを向いても、ふたりで何とかやっていけた。そのうち、自然と仲間と元通りになっていた。
でも、海の世界は勝手が違う。
「……」
お互い、黙りこくってしまった。ガンバは、いつの間にか考えや行動が、シャドー達に近づいているのを覚えた。ボーボも、それを敏感に感じていた。
この空気が耐えられないガンバは、沈黙を破ろうと軽口を叩き始めた。
「でも…でもよ、介抱してくれたのがベアーだったら、お前の腹に拳を突き刺すか顔が倍になるくらいの、往復ビンタだったろうぜ?」
ガンバが、勝手な想像を浮かべて笑いをかみ殺していると
「チッ、何を勝手に。俺のことを、鬼軍曹のように言うんじゃねぇや」
いきなり背後から、太い声がした。ガンバが恐る恐る振り返ると、ややくたびれた姿のベアーが立っていた。
「ベ…ベアー…?ぶ、無事だった…か」
「フン、何とかご無事さ。にしても、ガンバ…」
ベアーはガンバに近づくと、右手の指を広げてガンバの頬をギュッと掴んだ。
「意外と、このお口は、よろしくねぇな?」
ガンバは、唇が前に突き出るような格好で思うように口が利けず、泣き笑いのような顔をするしかなかった。ベアーが、本気でないことを信じて。
「まあいいさ。シャドー達は、あっちだな?」
ベアーから解放されて、頬をさすっていたガンバに、ボーボが
「ガンバ…また、ベアーの手の跡が顔に付かなくて、良かったね?」
「んだと!?」
ガンバは、わざとらしくボーボを睨んで見せた。
翌朝、ガンバは今までと変わらない雰囲気のベアー達を見て、内心ホッとした。この間のゴタゴタを、彼らが引きずっていないかと、思っていたのだ。
「さて、早速だがここから先の進路を、決めようぜ」
ベアーの号令で、彼らは車座に座った。
「ざっと見たとこ、この港はけっこう広い。船の出入りも頻繁だ」
「ってことは、コットの森へ行くのに適した船が、見つけやすいな」
シャドーの言葉に、ベアーがうなずく。
「で、当ては見つかったのかい?」
ジャックが、やや呑気な口調で言う。
「バーカ。それは、これから捜すんだよ。手分けしてな」
すかさず、ベアーが突っ込みを入れると、ジャックは『そうかい…』という顔で、肩をすくめて見せた。
「で、ふたり一組で行動する。と、言うのも…港ネズミの雰囲気は、他と同じ感じだが人間がな。神経質と言うか、荒っぽいというか」
「なるほど。俺たちを、悪いモンの運び屋のように、目の敵にする人間がいるからな」
リッキーが、真面目な顔で言う。
「ああ。どうも、そういう人間が目立つ港町だぜ」
ベアーは腕組みしながら、仲間に言い聞かせるような口調で話す。
「そこで、単独行動は避けよう…ってわけだ」
シャドーは、傍らから何か取りだした。
「組になるのは、これで決める。枝の先に彫った数字が、一致したモン同士で行動するんだ。いいな」
くじ引きをしようと言うわけだ。
「ほら、一本取りな」
シャドーは、ガンバとボーボに一本ずつ取らせた。その後、めいめいに取って行き…
「ってことは、俺とジャック、ガンバとリッキー、ベアーとボーボ…この組み合わせで決まりだな」
ベアー達は、何てことない顔をしていたが、ガンバはちょっと落ち着かない顔でボーボを見た。
「……」
ボーボは、情けない目でガンバを見る。その目が言いたいことが、ガンバは良く分かるが、どうしようもなかった。
「じゃ、日没をめどに、ここに帰ってこい。解散だ!」
ベアーの声に突き出されるように、ガンバ達はそれぞれに散って行った。
「……」
去っていくガンバの姿を、ぼんやり見ていたボーボに
「さて、俺達も行くとするか?」
ベアーが、背中から声をかける。しかし、振り返ったボーボは情けない顔をしている。
「何だ何だ、そんな顔しやがって…」
さすがのベアーも、腰に手をあててちょっと呆れた顔をした。
「まあ、ちょっと荒っぽいのもいるがな、おまえも海に出た以上、いつまでも怖がっていちゃいけねぇや」
「…う、うん」
いつものベアーなら、腹に力を入れろと怒鳴り付けそうな、弱々しい返事だったが
「そうだ。気持ちを、前に持って行けよ!」
ベアーとしては、磊落な調子で背中を軽く叩くつもりで右手を上げたのだが…
「ヒッ…!」
勘違いしたボーボは、身を固くして目をつぶってしまった。
「……」
フンと、鼻から息をもらしたベアーは
“まずは、その肝っ玉を、もう少し大きくしねぇとなあ…”
腹の中で、呟いていた。
「まあいい、俺達も行こうか?」
ふたりが並ぶと、体格は似たようなものなのに、一回りくらいの差があるように感じるのは、鍛え方の違いだろうか。
この妙な凸凹コンビが、港町で目立ったことは言うまでもない。おどおど歩くボーボは、チンピラ風には格好の『標的』なのだが…
「うっ…」
ふと気付くと、後ろに腕組みしたベアーが立っているのである。
「な、何か用かい?」
ちょっと緊張気味の相手に、ボーボはやや上ずった声で
「あ、あの…コットの森、に行くには…どの船が、いい…のかな?」
コットの森と聞いたら、相手はたちまち引いてしまう。
「い、いや…知らねぇ…」
たださえ、怪しいふたりなのに…と、声をかけた相手は次々と逃げていく。
もっとも、ボーボは後でベアーにどやされないように、必死に威勢良く声をかけている『つもり』でいただけなのだが。
その夜…
「ボーボ、今日は疲れたろう?」
ガンバは、ボーボのことを心配していた。
「うん。でも、心配いらないよ」
「そう…なのか?」
ボーボは、ガンバに笑って見せた。無理やりな作り笑顔でもなさそうだが、ガンバにはどことなくぎこちない笑顔に見えた。
「ベアーに、言われたんだ。もっと自信を持てって。腹に力入れて、背中伸ばせって。何だか、そうしたら、おいら強くなれそうな気がする…」
ガンバは、強くなろうとするボーボを、見守ってやろうと決めた。
14.リッキー宿命の?港町
2日後、ガンバ達は目的地への船の中にいた。
「比較的短いルートが取れて、良かったぜ」
「この先は、海も穏やかそうだしな」
「まあ、嵐でも来ないことを祈ろうぜ」
ベアー達が、珍しく悠長な会話を交わす中、リッキーはちょっと沈んだ顔だった。
「リッキー、何か元気ねぇみたいだけど…?」
ガンバが声をかけると
「ん?いや、何でもねぇよ」
「そうか?」
ガンバにとってベアーやシャドーは、ちょっとかしこまると言うか、先輩・後輩の間柄のような距離感を感じていた。
それに対してリッキーは、共に頬にベアーの手の跡を残した間柄と言うか、何となく気が合った。それだけに、リッキーの表情が気になったのだ。
そして、それは以前のようにまた港町でイザコザを起こすのではないか、という不安にもつながっていった。
当のリッキーもまた、不安と言うか良からぬ予感を覚えていた。
“このままだと、当然あそこに着くな。やれやれ、こりゃ宿命ってやつか?”
リッキーに限らず、船乗りネズミには『出来れば行きたくない場所』がある。
因縁の相手がいたり、過去にイザコザを起こして追い出されたり、故郷の町もその一つであることが多い。
“あの港町に、降りねぇわけにもいかないし、降りたら最後…無傷でいられるわけねぇだろうしな”
ちょっと考え事をしていたリッキーの背中を、ベアーがポンと叩いた。ちょっとビクッとしてリッキーが振り返ると
「アーガスの港にゃ、降りにくいんだろう?」
落ち着いた声で話しかけてきた。
「…ま、まあ」
“チェッ、分かってたか…”
「ま、おまえのことだ…たとえ、がんじがらめに縛りあげても這い出るだろうから、港町に降りるなとは言わないが…
いいか、俺達の『本当の敵』は、山猫だってことを忘れるなよ?」
ベアーの言葉に、リッキーはうなずいた。
彼らが乗った船は、一週間後に寄港した。
「うわぁ、大きな港だなあ…」
ガンバが思わず声を上げたのも当然で、アーガス港はこの辺り随一の大きさを誇る港であった。大小様々な大きさの船が行き交い、汽笛やエンジンの音が
周囲に賑やかに響いていた。
「何だい、たった3日で出ちまうのか?これだけの港だっていうのに」
ジャックは、冗談混じりの口調で言った。
「何なら、居付いてもいいぜ?住み心地は良さそうだからな」
ベアーが返すと
「へへ、住むには広すぎるぜ。ただ、いろいろ見て回るにゃ、ちょっと時間が足りないってことさ」
「まあ、このくらいの逗留時間なら、下手なゴタゴタを起こす暇もあるまい?」
「ごもっともで」
「そういうことだからな、ガンバ!」
ジャックとの磊落な会話から、一転してベアーはガンバに声をかけた。不意を突かれたガンバは、反射的に直立した。
「はい…っ!?」
ベアー達が、その様子に腹を抱えて笑う中で、リッキーは少々愛想笑いのようだった。そのうち船が接岸すると、ベアー達は船を降りたが
リッキーは船を降りるふりをして、彼らと行動を別にした。彼が向かったのは、船底だった。
「……」
しばらくすると、港ネズミらしい影が近づいてきた。
「お、おまえ…!」
「久しぶりだな」
「どう言うつもりだ?」
「旅の途中さ。たまたま、だ」
「…ばらして、いいのかい?」
「おまえに面ぁ見せたんだ。なあ?」
「ブーテスは、腕を上げたぜ。覚悟決めた方がいい」
「それだけかい?」
「馬鹿言え、これ以上はアンフェアだ」
『情報屋』と呼ばれる、顔なじみのネズミが去っていくのを見て、リッキーは
「覚悟を決めろ、か…」
自嘲気味に、ちょっと笑った。
「よく来たな、リッキー」
相手…ブーテスは、リッキーよりやや身体つきの大きなネズミだった。
「まあな、この港町に寄った以上、おまえを無視できまい?」
「相変わらず、口だけはいっぱしだな。まあいい、サシの勝負といこうじゃないか?」
「望むところだ」
場所は、使われなくなった倉庫の片隅。周囲には、誰もいなかった。彼らの『勝負』は一対一の殴り合い。蹴ったり、噛みつくのは無しだ。
「覚悟はいいな。行くぜ!」
言うが早いが、ブーテスがリッキーに襲いかかる。左右のパンチが、リッキーの顔面を右に左に揺さぶる。一方、リッキーも負けていない。
“腕を上げた…?相変わらずの力任せじゃねぇか”
左右の細かいパンチを繰り出して、ブーテスをぐらつかせる。
『パワーのブーテス、テクニックのリッキー』
ふたりは、昔から何度『サシの勝負』をしたことか。やがて、ブーテスがこの町のボスになり、リッキーが風来坊になっても、リッキーが帰ってくると勝負が始まる。
“クク…今日は、おまえを地獄に叩き落としてやるぜ…”
ブーテスは、不敵な笑いを見せていた。
“なるほど…カッとなって突進してこねぇのは、腕を上げた証拠かもな”
リッキーは、冷静に相手を観察していた。
「……」
やがて、両者とも動きが鈍くなってきた。リッキーは、相手の懐に飛び込もうとしたが、ブーテスの右がリッキーの顎に炸裂した。
「……!」
ガクッと膝が折れて、リッキーがダウン。しばらく仰向けになっていたが、これでくたばることはなかった。だが…
“う…こりゃ、マズイな…”
リッキーは、思ったよりダメージが深くて、足が重くなっているの感じた。そこへ、ブーテスは猛然と襲いかかる。
リッキーは防戦一方、鉄の棒を背に追い詰められてしまった。
“……!”
そこへブーテスが右アッパーを放ってきたのを見て、リッキーは顎をガードした。しかし、相手の狙いは腹だった。
強烈無比、正確無比な左右のパンチが、立て続けにリッキーのボディーの急所に突き刺さった。
「ウ…グッ…グ…グエッ…!」
リッキーは鈍いうめき声と共に血反吐を吐き、その場に崩れ落ちて悶絶していたが、やがて意識を失った。
リッキーは、仰向けになってベッドに寝かされていた。意識を回復した彼は、ぼんやり眺めた天井板のシミに、見覚えがあった。
“また、ここに来ちまったか…”
そして、無意識のうちに息を吸い込んだ途端
「う…っ、つ…く…」
腹部に、激しい痛みを覚えた。そうだ、ブーテスのパンチをまともに食らって…しかし、このままでは起きあがるのはもちろん、寝返りさえ打てそうにない。
“ま…いったな…こりゃ”
すると、部屋のドアが開いた。
「気が付いたようだね」
入って来たのは、白衣姿に首から聴診器を下げたネズミだった。頭に一枚布を被ったような帽子を載せ、耳を出している姿は昔のままだ。
「セ、センセイ…お、お久しぶり…」
「何が、お久しぶりだね!君って奴は…」
怒鳴りつけられる息が、酒臭いのも相変わらずだ。
「…はい」
リッキーは、小さくなった。
「リッキー、君もいい加減に落ち着いたらどうだい?この町では、ブーテスがいるが…君さえその気になれば、どこでも住むところはあるだろう?」
これじゃ、コットの森に行くなんてことは言えないな、と思っていると
「あなた、リッキーのお仲間が…」
看護師姿のネズミが、ドア越しに声をかけた。
「…お通ししなさい」
すると、ベアー達がぞろぞろ入って来た。各々が、センセイに挨拶すると
「で、リッキーの容体は?」
ベアーの問いに
「見ての通りだよ。腹部を集中的に強打されて、内出血がひどい。変な話だが、腹筋が鍛えられていたおかげで、内蔵破裂に至らずに済んだ感じだね。
4〜5日は、絶対安静。まして、旅に出ようなんて…」
「…ですか」
ベアーは、ちょっと苦笑すると
「では、リッキーのことを、お願いします」
丁寧に頭を下げると、仲間と共に部屋を出て行った。
一週間後、先にアーガスを発ったベアー達を追いかけるべく、リッキーは港にいた。
「…君は、どうしても行くのかい?」
リッキーは、黙ってうなずいた。
「そうか…」
「センセイだって、昔…立派な武勇談があるじゃないですか」
相手は、小さく首を横に振った。
「いいや…あの時の私は、今の君のように冒険心にあふれていたんじゃないよ。ただ、死に場所を求めていただけさ」
「……」
「君は、止めたところで無駄だろうから、代わりにはなむけの言葉を贈るよ。僕はね…一度、君とゆっくり酒でも飲みたいと、思っているんだよ…」
冒険を求めるのも、未知の世界を探るのも、正義の心を見せるのも…
全ては、生きて帰ってきてこそ、その価値ありき。
冒険を求めし若者よ、死んで本望などと言うなかれ。
経験は、他の者に伝えてこそ価値あるものだ
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15.生死は問わず!ガンバは、お尋ね者?
リッキーを残しアーガスを発ったベアー達は、コットの森に向けて順調に進んでいた。
「ねえガンバ、次の港は、まだなのかな…?」
「もう少しだってよ、ボーボ」
「でも、その先は…まだ長いんでしょ?」
「さあな。とにかく、リッキーとシャドーが出会ったて言う町まで行って、そこからがコットの森への旅になるんだから…」
甲板で呑気な会話を交わすふたりを、物陰から覗き見る影があった。
「……」
その視線は、好奇ではなく敵意を帯びていた。
“奴め、上手いこと名を変え、傷をごまかし、化けたつもりだろうがな…あのシッポ!あの先が房になっているシッポは、ごまかしようがないようだな”
どうやら、視線の先はガンバのようである。
“ともかく、奴は素知らぬ顔で港に降りるつもりだな。相変わらず、いい度胸だ。だが、今度という今度は…”
すると、視界に入って来たのは…
「よお、ベアーも日なたぼっこか?」
「そんな呑気なモンじゃねぇがな。たまにゃ、お天道様を拝んでおかねぇとよ。いつも船底にいたんじゃあな」
たちまち、視線に動揺が走る。
“チッ…あんな仲間を連れやがって。ちょっと厄介だな…あの様子だと、他にもあんなのがいるかも知れねぇ”
「シャドーとジャックは、出てこないのか?」
「さあ…?気が向いたら、じゃねぇのか?」
“…と、言うことは奴らは5匹か。ようし、目的地は分かってんだ。先回りして、網を張ってやる”
物陰から飛び出したのは、小柄なネズミだった。そのネズミは、巧みに姿を隠しながら甲板を移動すると、パッと身を躍らせて海へ飛び込んだ。
「へへ、あの船は鈍足だからな」
彼は、海面を漂流していた木片にしがみつくと、バタ足の要領で泳ぎ出すと、少し離れたところを航行中の船に向かって行った。
ガンバ達を乗せた船が、次に港に着いたのはそれから2日後だった。港の中には、件のネズミが移った船が既に停泊している。
「アーガスに比べると、小さいな」
港を見渡し、降りる気まんまんのガンバに、ジャックが声をかけた。
「ガンバ、気を付けておけよ。ちょっと良からぬ感覚を、覚えているからな…」
ガンバは、聞きたくない説教を聞かされたような顔をした。
「もう。俺も、シロウトじゃねえや」
「そうじゃねぇ。何か起きる暗示、ってやつさ」
「まあ、ここに限らず油断すると、トラブルが起こり災難が降りかかってくるもんだ。まあ、出港までに戻ってこいというルールは、いつもと同じだからな」
彼らは、港町に散って行った。
「……?」
ガンバが、妙な気配に気づくまで、時間はかからなかった。
“尾行られてる…?”
しかし、勝手の分からない町なので、逃げ隠れできない。
“仕方ない…”
ガンバは、船に引き返そうとした。だが…
「……!」
細い路地で、行く手を阻まれた。振り返ると、後ろにも…
「な…何だ、おまえたちは!?」
行きがかり上、大声を上げざるを得なくなったガンバだが、相手は不気味に笑っているだけだった。
「だ、だから…何なんだ!?」
すると、彼らは一斉にガンバに襲いかかって来た。
「うわっ…!」
ガンバは、何とか相手をかわして逃げようとするが、多勢に無勢とはまさにこのことで、ガンバは何匹もの体重の下敷きになり、身動きが取れないばかりでなく
全身の骨が悲鳴を上げる始末。
「く、くそう…一体、何だってんだ…放せ!解け!」
あっという間に全身を、がんじがらめに縛られたガンバは、何とか抵抗を試みるが動くのは口だけだった。
「とうとう捕まえたぜ。今度という今度は、これまでの罪を償ってもらうぞ!」
ガンバの前に出てきたのは、船の中でガンバを睨んでいた件のネズミだった。
「はぁ…?」
ガンバの顔には、敵意と憎悪と疑惑の表情が交錯した。
「とぼけるな!だったら、言ってやる!いいか、強奪、窃盗、詐欺、傷害、暴行、密告…これまで、俺達を何度苦しめたか!」
「だから、何の話だっ!知らねぇものは、知らねぇ!」
「ふざけるなっ!」
相手の蹴りを喰らって、ガンバの身体は転がった。
「くっ…な、何しやがる!」
ガンバの眼は、既に臨戦態勢だが…
「何だ、その眼は?自分の罪を棚に上げて、俺達にケンカを売る気か?ガミー!」
「ガ、ガミー!?」
ガンバの声には、明らかに『誰だ、そいつは?』という口調を帯びていた。
「まだ言うか!この頬の傷、上手く誤魔化したな!」
相手は、ガンバの右の頬をつねるように触った。
「……!?」
次の瞬間、相手の顔に明らかな動揺が浮かんだ。
「ワッ!や…やめ…やめろよ!」
いきなり、相手はガンバを力づくで裸にしようとしたのだ。
「い…イテッ!な、何…痛てぇったら!この野郎!」
相手はものすごい形相で、ガンバが縛られているのに、無理やり服を脱がそうとする。その上、ガンバが抵抗するのでなおのこと悲惨な状況になっていく…
「……!」
相手は、ガンバの腰の辺りを裸にすると、呆然とした顔をした。周りを取り囲んだ連中も、何かざわめき始めた。
「…じゃねぇ。こいつ、違う…」
周囲の空気を察したガンバは、大声を上げた。
「やい!話はゆっくり聞くから、こいつを解け!」
ガンバは、身体が自由になると周囲を睨み渡した。
「…勘違いだった、ってわけだな!?」
先程のネズミをはじめ、連中は声が出ない。
「返事がねぇってことは…てめぇら!覚悟しやがれ!」
ガンバの脳裏に、チラッとベアーの怒りの形相が浮かんだが、それすら蹴飛ばす勢いで彼らに向かって行った。
「さあて、話を聞かせてもらおうか?」
立場が逆転して、今度はガンバが腕組みをした格好で、相手に迫った。周囲にはガンバの一撃で、あえなくダウンしたネズミ達が転がっている。
「お…お、おまえは?」
「俺は、ガンバだ!がんばり屋のガンバ、ってんだ!」
すると、相手の表情に驚愕と恐怖と混乱が交錯した。
「いい名前じゃないか。がんばり屋のガンバ、か」
ガンバの背中から、声がした。びっくりしてガンバが振り返ると…
「……!?」
ガンバは、信じられないようなものを見たような表情で、口を開けて声も出ないまま、唖然とした。
そこには、自分と顔も背格好もそっくりのネズミが、立っていたのだ。
「あ…あ…?」
「そうさ。俺が、そのガミーさ。悪いな、あんたをひどい目に遭わせちまって。この連中ときたら…勘違いの上、寄ってたかって」
ニヤリと笑うその右頬に、ネコの爪痕と思われる古傷があった。
「おい、俺に文句があるのなら、聞こうじゃないか?何を、償ってほしいって?」
ガミーは例のネズミに近づくと、胸ぐらをつかんで言った。
「くっ…」
「どうした?言いたいことを、忘れちまったか!?」
ガミーは、相手の胸ぐらをつかんだまま、グイッと持ちあげた。すると、服の隙間から腰の辺りにある、これまた立派な傷が覗いた。
「やれやれ、こう言う弱い者に強いってのを…卑怯者って言うんだよっ!」
ガミーは、相手を突き飛ばすように手を離した。
「失せやがれ!シッポに芯が通っていない奴らめ!」
ガミーの一喝で、彼らは散り散りに退散した。
「ところで、ガンバとか言ったな。旅してんのかい?」
「ああ。コットの森を、目指しているんだ」
「コットの森!?悪いこと言わないぜ。そんな危なっかしい橋渡ろうとしないで、俺と組まねぇか?冒険も分かるけどよ、命をみすみす捨てるのは…」
ガンバは、反射的に首を横に振った。
「俺は、決めたんだ。それに、仲間がいる」
「そうか…分かった。俺としたことが…一匹狼のガミー様が、仲間を欲しがるなんて」
ガミーは、自嘲気味に笑った。
「なるほど、ガンバもえらい目に遭ったな」
ジャックが『それ、見たことか』と言う顔で、笑った。
「ちぇっ、いい気なもんだ」
「ところでガンバ、またイザコザに関わっちまったな」
シャドーの、落ち着いた言葉にガンバは身を固くした。
「で、でも…今回は」
「言い訳無用!ガンバ、気を付けっ!」
ベアーの声が、頭の上から落ちてきた。
“う…!”
ガンバは、思わず眼を閉じて直立不動の姿勢を取った。すると、ベアーはニヤッと笑うと、ガンバのおでこを指で突いた。
「……!?」
冗談と知ると、ガンバはその場にへたり込み、その様子に仲間達の爆笑が響いた。
第3章・完