第4章§コットの森を目指せ

16.静寂の港町

ガンバ達を乗せた船は、西日にまぶしく照らされた港に着いた。この港は、コットの森の北側に位置していた。
「何か、あまり大きくない港だな」
ジャックの言うとおり、今の船はこれまでに乗った船の中で、最も小規模だった。
「とりあえず、今夜はこの港で一泊だな」
ベアーの言葉に、異議を唱える者はいなかった。
「それにしても…寂しすぎるな」
その夜、頭の後ろで手を組んだまま横になっていたベアーは、目の前の静かな港の様子を見て呟くように言った。
「おまえも、そう感じるか?」
横からシャドーが声をかけてきた。
「そうじゃねぇか?活気以前に、船乗りや港ネズミの姿が少ねぇ」
「確かにな…」
シャドーは、ベアーと何気ない会話を交わしているようだったが、その視線は鋭く何かを察知していた。
「まあ、こんな港もたまにゃあるだろう。どこの港も、喧騒に包まれてるって考えがよ…ある意味、俺達の勝手かもよ」
ベアーの眼も、油断なく光っていた。
“とりあえずは、様子見ってとこか…?”
相手は、数で来るか力で来るか、あるいは?
「……?」
彼らの鼻に、今まで経験のない匂いが漂ってきた。刺激もなく、不快感もない。むしろだんだん甘い気分になって来た。
“い…いけねぇ…”
ベアーが身体を起こそうとしたが、既に遅かった。
“くっ…か、身体が…”
視線をシャドーの方に向けると、シャドーはうずくまって身動きが出来ないようだ。
“や、やられた…ガ、ガン…”
ベアーはその場に仰向けに倒れると、意識を失った。

「うまく、いったようだな?」
「油断するな。得体が知れている奴らじゃない」
物陰から、数匹のネズミが現れた。
「…大丈夫だ。気を失っているぜ」
一匹が、ベアーの様子を見て言った。
「こっちもだ。眼が死んでいる」
シャドーの様子を窺ったネズミも、同調した。
「よし、奴らを運ぼうか」
良く見ると、彼らは口をマスクのようなもので覆っている。
「いいか、深く息をするな。まだ、ガスが残っているからな…」
彼らは、ベアーとシャドーを後手に縛りあげると、ふたりの身体を持ち上げた。
「…行くぜ」
ふたりがかりとは言え、ベアーの身体を持ち上げたまま、苦もなく運び去る彼ら…だが、夜の港で起きた誘拐劇は、これだけではなかった。
「俺だ。開けてくれ」
ベアー達を連れ去ったネズミのひとりが、建物の裏側で立ち止まると小声で言った。
「……」
すると、建物のブロックの一角が内側に引っ込むと、出来た穴から別のネズミがそっと顔を出した。
「入りな」
そのネズミは、ぶっきらぼうな口調で仲間を招じ入れた。
「これで、全部か?」
奥に通じる通路の途中、先頭に立つネズミが後ろを向かずに聞いた。
「ああ、そのはずだ」
彼らが着いた先には、広々とした空間があった。そこには、既にガンバ達が同じように、縛りあげられて横たわっていた。
「さて、どうする?」
「どうするもこうするも…コットの森を目指そうなんて連中は、ここから、おとなしく帰ってもらうだけさ」
「そう言うこと。こんな事情を知らない余所者に、下手に山猫を刺激されたんじゃあ、俺達の命に関わるぜ」
「力じゃ、俺達は分が悪い。いざとなったら、身体張ってでもガスを使うから、みんなそのつもりでいてくれよ」


意識を取り戻した時、ガンバ達はどうしようもない状況に、置かれていた。後手に縛りあげられ、壁に背を付けるように座らされていたのだ。
「…これは、どう言うことだ?」
ベアーが、怒気を押し殺した低い声を出す。
「おまえ達に、余計なことをしてほしくないだけさ」
「何だと?」
「冒険野郎気取りで、ガルムに歯向かうなってことさ」
彼らを取り囲むネズミ達は、一様にうなずいた。
「へっ、何を言うのかと思えば…冒険者気取りのどこが悪い!?ちっぽけな英雄ヅラの何が悪い!?」
ベアーの口調に、相手は思わず押され気味になった。
「ならば聞くが、おまえ達はガルムに抵抗しないのかい!?なすがまま、されるがまま、泣き寝入りを続けるのかい!?」
シャドーも、大きな声を上げる。
「う…うるさい!お、おまえらに…余所者に、何が分かる!」
ひとりが、思わず声を上げたが
「止せ。言い争っても、無駄なことだ」
それを制したネズミが
「おまえ達には、おとなしくここから去ってもらおう。昼に港を出る船があるから、それに乗ってもらう。そして二度とこの港に、コットの森に近づかないことだ」
「上から目線で、一方的に言われてもなあ…」
ジャックは面白くない、と言った口調だ。
「しかし、その縄は簡単に解けまい?」
ジャックは、憮然とした。
「話は、それだけだ。あとは、時間までおとなしくしていてもらおうか」
すると、彼らはガンバ達に素早く近寄ると、口に布をくわえさせると頭の後ろでそれを縛った。いわゆる猿ぐつわだ。
「む…む…」
ガンバ達は、まだ身体が万全でなかったこともあって、相手に前歯を突き立てる余裕もなかった。そして、彼らがその場を去るとジタバタ動いていたが…
“う…!ま、まただ!”
彼らの身体の自由を奪った、あの匂いがたち込めてきた。
“く、くそう…”
だが、ガンバ達には成す術がなかった。


「う…」
「気が付いたか?ガンバ…」
ベアーの声に、ガンバはぼんやりとした眼で振り返った。
「う、うう…」
意識を取り戻しただけで、まだ頭はぼんやりしていたガンバは、口をモゴモゴさせた。
「猿ぐつわは、外されてるぜ」
「あ…?」
ガンバは、手で口の周りを触って初めて気づいた様子だった。
「ここは…一体?」
「船の中よ。見ず知らずの、な」
「えっ…!」
ベアーが、ちょっと憮然とした顔をガンバに見せた時
「おお、ガンバ…気が付いたか?」
リッキーがやって来た。
「あ、ああ。ところで…みんなは?」
「向こうで、シャドーとボーボが寝ている。ジャックは回復してきたぜ」
「お、俺達…一体、何が?」
「落ち着けよ、ガンバ。まだ、頭がはっきりしていねぇだろう?身体も、どこか痺れていねぇか?」
言われてみれば、何だか自分の身体でないような…
「ありゃあ、毒性の高いガスだな…しかし、分からねぇ」
ベアーが、腕組みしながら呟くように言った。
「そうだな…あれは、何から作ったんだろう?」
リッキーも、思案顔になっていた。
「……」
ガンバも何か言おうとしたが、舌が思うように動かない。
「だから。じっとしてな」
リッキーが、ガンバに一口水を飲ませると、ガンバはちょっと落ち着いた様子で、身体を横にした。
「あ…ありがとう」
「とにかく、ここまで来てUターンはもちろん、足踏みだって…意地でも、コットの森へ行ってやるぜ!」
ベアーの意地に火が点いた。

身体が回復して、仲間が集まった時には水平線に夕陽が沈むとことだった。
「一つ、言えることは…俺達は『招きたくない客』ってことだな」
「事情は、大体察していたが…ここまで徹底されるとはなぁ」
「だが、このまま引き下がれねぇ!」
ベアーの言葉に、全員がうなずいた。
「この船は、陽の向きからして南から南東に、向かっているらしい。パッと見、陸地が見えないが…島でも陸地でも、発見したら移るぞ。
 たとえそこに、山猫がいようとイタチがいようと、そこを足掛かりに目的地へ再び行くんだ!」
「おう!」
彼らは、一丸となってコットの森を目指す決意を固めた。

トップへ

17.夢見ヶ島

しかし、ガンバ達の決意をあざ笑うかのように、船は順調に進むものの、陸地も島影も全く現れなかった。
「…3日か」
ベアーの呟くような声には、苛立ちがにじみ出ていた。
「しかし…見事に、島一つ見えないな」
ジャックが、呆れたように言った。
「チッ…わざと、そういう船に乗せたんだろう?」
苛立ちを募らせるベアーに
「まあ、そうイライラするなって。何か、見えねぇか?」
シャドーが、笑ってある方角を見た。
「何か、って…」
ベアーが、面倒くさそうに身体の向きを変えると、進行方向左側に『変化』が見えた。水平線の向こうに、明らかに雲とは違うものが顔を出している。
「ありゃあ…?」
「噴煙だな。火山があるのよ」
「じゃ、じゃあ…?」
ガンバが、思わず声をあげた。
「海底火山の噴煙、ってこともあるが…?」
リッキーの混ぜ返しに、ガンバがちょっと面白くない顔をする。
「まあ、陸地か火山島か…いずれにしても、ポイントになるな」
急に言葉に張りが出てきたベアーの態度に、ガンバ達は内心で苦笑していた。
「とにかく、何か変化があるのかな…」
ボーボの言葉に、彼らの偽らざる心境が出ていた。
「まあ、鬼が出るか蛇が出るか、はたまた山猫軍団のお出ましか?」


しかし、そんな彼らは次第に表情が硬くなってきた。翌朝、その噴煙を上げていたのが、海に浮かぶ島だと分かったのだ。
同時に、その島の周囲は激しい波に囲まれていることも判明したのだ。
「…泳いでいくには、ちっと厳しいな」
ベアーが眉をしかめるのだから、ボーボに至っては…
「何か、イカダでも作るか?」
リッキーの、やや気乗りしない言葉に、彼らはうなずくしかなかった。
彼らが、慌てて船の中から廃材などをかき集めて作った『いかだ』は、大きさこそ全員が余裕で乗れるが…
“何だか、怪しいな…”
ガンバが腹の中で呟いたように、船から海に『進水』すると、あっという間にバラバラになってしまった。
「こうなるんじゃないかと、思ったよ…」
結局、彼らはバラバラになったイカダを浮き代わりに、それにしがみ付いたままで波に揺られるしかなかった。
目的地は目の前だが荒い波に翻弄されて、なかなか近寄れない。次第に、体力も無くなってくる。
「みんな、シッポに力入れろ!」
ベアーが仲間を鼓舞する声が、何となく空しく響く。
「おいガンバ、おめぇがボーボより先にくたばってどうする!」
イカダから力なく海にずり落ちかけたガンバを、ベアーが後ろから押し戻す。
「あ…ちょっと…眠っちまったか…」
ガンバが、改めてイカダにしがみつく。もっとも、イカダから落ちそうなのは、ガンバだけでない。ボーボは腕をひっかけているだけで
半分意識を失っているようだったし、シャドー達も限界になって来た様子だ。
「こうなったら…」
潮の流れを読んだベアーは、バラバラに浮いていた仲間達を一列にした。
「いいか!何としても、島まで泳ぎ切るぞ!」
ベアーは自ら先頭切って、仲間達を引っ張っていくつもりでいた。さすがに、まっすぐに泳ぐことは出来ないが、潮の流れに逆らわず蛇行しながらも
少しずつ島へと近づいてきた。
「……」
ガンバ達も、そんなベアーの様子を見て必死に身体を動かし始めた。
「…お、おい」
ベアーは、急に引く力が軽くなって自分が押されるように感じたことに、驚きと嬉しさを感じた。
“も、もう少しだ…”
彼らにとって、浅瀬に辿り着くまでがどんなに長く感じたことか…浅瀬を這うように歩くと、何とか島の海岸に上陸した。


「や…やったぜ…」
彼らは疲れ切っていたが、お互いの肩を組み身体を寄せ合って、無事を喜んだ。そして、体力を消耗した彼らは、海岸で身体を休めていた。
「…おいら、お腹空いたよ」
「お、やっとボーボが口を利けるようになったぜ」
ガンバが、からかうように言うと仲間達の笑いを誘った。
「ま、腹減ったのは俺達もだ。食糧捜しと行くか?」
ガンバが立ち上がって、ふと視線の向きを変えると
「あ…!?」
島の奥に通じる場所に、若いネズミが立っていて彼らを見ていたのだ。
「だ、誰…だ?」
相手の態度や眼に敵意がなかったので、ガンバの口調は尻つぼみになった。
「ボクは、この島の者です。あなた方は?」
やや、あどけなさが残る顔の少年だったが、口調はしっかりしていた。
「見ての通り、旅の途中さ。訳あって、乗っていた船を飛び出して、ここに辿り着いたってわけさ」
後ろから、ガンバを押し退けるようにベアーが進み出て言った。
「じゃあ、この潮流の中を…?」
相手の顔に、ちょっと驚きが浮かんだ。
「とにかく、ボク達の住処へ来ませんか。そのままだと、風邪を引いてしまいますよ」
相手の笑顔に、彼らは従うことにした。

「見張りの者が、皆さんが漂着するのを目撃して、知らせて来たんです」
それは、ガンバ達にとってちょっと意外な事実だった。
「それで、ボクが様子を見に来ました。よそからネズミの仲間が漂着するのは、けっこう珍しいことなんで」
「ところで、この島の名は?」
シャドーの問いに
「夢見が島、です。一時、イタチに占拠されていた時には『ノロイ島』なんて呼ばれていました」
「じゃあ…ここが、あの!」
ベアーが驚いたように声をあげた。相手は、ちょっと笑ってうなずいた。
「皆さんの眼を見たら、あの時ボク達島ネズミと戦った、仲間達を思い出したんです。皆さんの眼、あの仲間達に似ている…」
「そ、そんなこと…」
ベアーは、ちょっと自尊心をくすぐられている様子だった。


その夜、彼らは島ネズミたちの歓待を受けた。その歓迎ぶりは、彼らの感覚をはるかに超えたものだった。
「さあ、ご遠慮なく。滅多にないことだけに、皆が張り切りまして」
島ネズミの長と言う、初老のネズミに勧められるまま、彼らは目の前のもてなしを口にした。
「何しろ、この島に来るネズミは多くありませんので…」
「それはまた、どうして?」
シャドーの問いに
「この島は、周囲を流れる早瀬川に阻まれ、ネズミ達が自由に泳いで行き来できないのです…」
「はやせがわ…?」
「島の周囲の、激しい潮流です。我々は、早瀬川と呼んでいます」
「なるほど…」
「それに、この島は火山を中心としているので、豊かな土地が少ない。その土地も人間にほぼ占領されていますから、我々が棲める土地は限られているのです。
 そのため、ここに棲もうと言うネズミは、ごくわずかです」
「名前とは裏腹な、厳しい環境の島だってわけだ…」
ベアーの遠慮ない言葉に、相手は
「…おっしゃる通りです」
「まあ、わけはともかく…俺らも遠慮しないタチでね。遠慮なく、頂きますよ」
珍しく、ベアーが初対面の相手に磊落な態度を見せるので、シャドー達は少々可笑しく感じながらも、宴に加わった。
「聞くところによると、皆さんは山猫と闘いに行かれるとか?」
「ああ。目的地は、コットの森ってんだが…何か、知っているかい?」
「いいえ…ただ、ボクが昔冒険した時、ある森の中で山猫に遭遇したことがあります。とても身体が大きくて、爪が鋭くて、眼が…眼力って言うのか
 眼にものすごい力を感じました。あの時は…もう、仲間と共に必死に逃げて、何とか振り切りました」
彼らを案内した若者の話に、ベアー達の眼が真剣になる。
「で、その時に山猫は何匹もいたのかい?」
「いえ…一匹だけでした」
「そうか。俺達が相手にしようとしている山猫は、群れているらしいんだ…」
若者は、絶句した。
「あ、あんなのが群れたら…ボク達なんか、ひとたまりもありませんよ?」
「そうかも知れねぇ。でも、俺達は行くんだ!いや、俺独りになっても行く!」
突然、ガンバが話に割り込んで大きな声を上げた。
「おいおい、こいつ…調子に乗って酒でも呑んだか?」
ベアーが、ちょっと眉をひそめ、若者に苦笑して見せたが…
「お、おい。どうしたい?」
若者の頬に涙が伝わっているのを見たベアーは、驚いた顔をした。
「あ、すみません…思い出しちゃって。ボクが、必死にある港町に辿り着いて、この島を助けてほしいと言った時、相手がノロイと知ると誰もが逃げたんです。
 でも、独りだけ『俺は、独りでも行くぞ!』と、声を張り上げてくれた仲間がいたんです…あの時のことが、思い出されて」
「そ、そうだったのかい…」
その時、若者を呼ぶ女性の声がした。
「……!?」
思わず、声のした方を見たガンバ達は、そこにいた美しい女性に息を呑んだ。

トップへ

18.旅と冒険と男と女

「姉さん。どうしたんだい?」
若者の言葉が、ふたりの関係を端的に彼らに紹介した。
「ご挨拶に来たのよ。この島にやって来るネズミは、滅多にいないじゃない」
「そうだったね」
それから、彼らはかわるがわる彼女に自己紹介したが…
「あなたの、お名前は?」
ガンバは、声をかけられてシッポがピンと緊張した。
「あ、お、お…あの、ボクは、ガンバ…」
しどろもどろの口調に、ベアー達は笑いを必死に噛み殺していた。
「ガンバさん…いいお名前ね」
相手に微笑まれて、ガンバはガチガチになっている。
「それにしても…皆さん、山猫と闘おうなんて」
「いえ、男の血ってのが、騒ぐだけなんで」
ベアーが答えると
「昔…この島がイタチの脅威にさらされた時に、弟の呼びかけに集まって来てくれた、勇敢な仲間達がいました。それはもう心強く、ありがたく、嬉しかった。
 その森に棲む仲間も、助けを待っているに違いありませんわ」
「おっしゃる通りです」
シャドーの言葉に、みんながうなずく。
「そこで、まあ…こんなにしてもらっておいて、何ですが…まあ、その、長居は無用と言いますか…」
シャドーが続けると、相手は深くうなずいた。
「そうですね。ただ、この島を離れるには…早瀬川が邪魔ですし、港がある島の南側は人間が多いですよ。どうやって…」
「何、山猫と闘おうって我々です。人間の一人や二人…」
相手は、かぶりを振った。
「そんなこと…人間は、卑劣な罠や薬を、使うんですよ?」
「確かに。あの時のチーズは、なかなかの味だったよな?」
リッキーに軽く背中を叩かれて、ボーボはちょっと複雑な顔をした。
「まあ、ご心配は有り難いが…俺らもそれなりの経験と、知識はあります」
ベアーが、笑って見せた。

その夜遅く…
「お前にすれば、あれが女の嫌らしさ…か?」
横になったシャドーに声をかけられたベアーは
「…てやんでぇ。声がでけぇよ」
「思わず、リリーさんを思い出しちまったぜ」
「おい、おめぇ…酔ってるな?」
「程度はともかく、な」
「呑んだ上での愚痴や絡みは、下の下のそのまた下だぜ」
ベアーが、吐き捨てるように言った。
「愚痴だの絡みだの…聞こえが悪いこと、言うない。想い出話よ」
「へっ…俺が、そう言うのが大っ嫌いと、分かっててのことだろうな?」
「そうさ。今なら、お前に殴られても痛みは、半分くらいしか感じないだろうしな…」
「…馬鹿馬鹿しい」
ベアーが、シャドーの言葉を遮るように言ったが、シャドーは口を閉じなかった。
「あの時は、お前と死ぬ気で殴りあって、ボロボロになって、身体は動かねぇ上に彼女は…リリーさんは、お前に駆け寄って…」
暗闇の中だが、シャドーの目から涙が流れているのを、ベアーは感じていた。
「ま、その前から分かってたけどよ。リリーさんの気持ちは、俺ではなくお前に向いていたことは」
「分かっていて、あんなことしたのかい?お前は…」
ちょっと驚いた口調で、ベアーが聞いた。
「ああ。俺は、男だからな」
シャドーは、冗談半分な口調だったが
「ヘッ、男が聞いて呆れらあ…」
ベアーの口調には、明らかに馬鹿馬鹿しいと言った雰囲気があった。
「それなのによ、リリーさんの親切や、心配や…そこから思わずもれる彼女の言葉を、うるさいとか、嫌らしいとか…」
「おいおい、もういいだろう…」
ベアーが、いい加減話を切り上げようとするが
「そして、お前ときたら…結局、男の旅に出るんだって…放浪を決め込んで、何年だ?リリーさんを捨てて、何年になる?」
「馬鹿っ!それ以上言うのなら、表に出ろっ!」
慌ててシャドーの口を塞いだベアーは、シャドーを睨みつけた。


翌朝、シャドーとベアーの顔にあざが残り、鼻血の跡があっても、仲間達にはいつものことで、特に騒ぐことはなかった。
「ど、どうしたんですか?ふたりとも…」
しかし、島ネズミ達…特に、彼女には驚愕以外の何物でもなかった。
「いえね…昨夜、ちょっとはしゃぎすぎて…」
歯切れ悪く、何とか取り繕おうとするシャドー。一方、ベアーは黙ったままだった。
「どうして…?」
彼女は、ふたりを平等に手当てした。ちょっと恐縮した顔のシャドーに対し、ベアーは特に感情を出さなかった。
「何か、変じゃないか?ベアーの態度」
その様子を見ていたガンバは、傍らのリッキーとジャックに言った。
「変…って?」
ジャックの言葉に、ガンバは
「だって、あのふたりがケンカするのはいつものことだ。それを、手当てしてもらってんのに、ありがとうでも、嬉しいでもない顔じゃないか」
「でも、余計なことするな…って顔でもないぜ?」
確かに、リッキーの言うとおりだった。
「まあ…でもさあ…」
口の中でブツブツ言うガンバに、ジャックが
「何だい、まるでガンバがあの姉さんに、優しく傷の手当てをしてもらいたいようじゃないか?」
すると、ガンバの顔が紅潮し、シッポに緊張が走った。
「んなこ…と!な、何言うんだよ!」
慌てて、ジャックに喰ってかかろうとしたガンバだが、ジャックにあっさりかわされて、前のめりに倒れてしまった。
「おやおや、どっか擦りむいたか?あの姉さんに、手当てしてもらったらどうだ?」
ジャックに、背中からからかわれたガンバは
「う…うるせえ!こんなの、かすり傷にもならねぇや!」
立ち上がりざま大声を上げると、そのままその場から走り去った。
「…ありゃあ、惚れたな」
腰に手を当てた格好で、ガンバの背中を見送ったリッキーが、ポツリと言った。
「ああ。あれは、初恋っていうより、本気で異性を意識したって感じだな」
ジャックも、苦笑しながら答えた。

「ガンバ、ちょっといいか?」
ベアーに声をかけられたガンバは、ちょっと怪訝そうな顔をした。
「ガンバ、俺達の目的は何だ?」
ふたりきりになると、ベアーは唐突な質問を投げかけてきた。
「何だ、って…コットの森を目指しているんじゃないか」
ベアーは、黙ってうなずいた。
「だったら、いつまでもグズグズしていられねぇ、ってこと分かるな?」
「な、何だよ…いきなり、変なこと…?」
ベアーの態度と言葉に、当惑顔のガンバに
「お前、あの姉さんに惚れたんだろう?」
図星をぶっとい槍で突き刺されたガンバは、言葉を失い固まった。
「…分かりやすい奴だぜ。まあ、お前もいっぱしの男だ。女に惚れるのは、至極当然で当たり前だがよ。だが、今の俺達にゃ命懸けで闘おうって相手がいる。
 それに向かって、これまでも『冒険』を続けてきたんだ。今の俺たちにゃ、女に惚れてる余裕なんて、ないんだよ。ガンバに酷だと承知で言うが…
 あの姉さんとやらのことは、忘れるんだ!いつまでも引きずってるようなら、お前をあの早瀬川とかに叩き落すぞ!」
本気でビンタを喰らわせかねない勢いで、ベアーはガンバに言った。その勢いにガンバは、ガックリとうなだれた。
「…分かってるよ。でも…俺、初めてだよ。女性に…こんな気持ちになったのは」
すると、ベアーはガンバの肩に両手を置くと
「分かるぜ、その気持ち。初恋みたいな上っ面じゃねぇ、本気の恋だな。だとしたら、相手を悲しませるな。いつ帰ってくるか分からない
 生きて帰ってくるかも分からない…そんな日々を、本気で惚れた女に送らせるな。そんな思いをさせるな」
「……」
「相手を悲しませたくなかったら、冒険を捨てるんだな。冒険を捨てたくなかったら、相手のことを忘れるんだな。まして、相手が自分を惚れてくれているのなら
 なおのことキッパリ決断するのが、男ってもんだ!ヤワなシッポでどっちつかずでは、いられないんだよ。分かったな?」
うなずくガンバの目から、涙が落ちていた。
「じゃ、明日にはここを発つぜ。いいな」
去り際に、ベアーは少し離れた物陰に向かって
「…と、言うことだ。分かったか?馬鹿野郎」
そこには、シャドーが目に涙を浮かべて聞いていた。


翌日、ガンバ達は島ネズミ達に別れを告げることにした。
「そうですか…もう、発たれるんですね」
若者が、名残惜しそうに言うと
「何、丸四日お世話になって身体も回復したし、あまりグズグズしてられないんで」
ベアーが、笑って答えた。
「…そうですよね。皆さんには、目的がありますからね。旅のご無事と、目的の達成をお祈りしています」
「ありがとう。こちらこそ、世話になった。この恩は、忘れないぜ」
その時…
「おい、ボーボ…お前、いい加減にしろよ!」
背後から、ガンバの大きな声がした。思わず、振り向くとガンバがボーボの前で怒っている。
「ど、どうしたんだ?」
「あ…ボーボの奴、ここに残りたい、何て言い始めやがって…」
「どうして?」
「散々、ご馳走になって居心地が良くなったんだよ!もう、呆れた奴だな」
すると、ベアーがボーボの前に立つと、腕組みして低い声で
「ボーボ、号令をかけてやろうか?ん?」
ボーボはちょっとうつむいて
「分かった。最後まで、ついて行くよ」
ベアーは、ニヤッと笑うと
「よし!ボーボ様の号令だ、みんな行こうか!」
「おう!」

トップへ

19.コットの森への長い道程

それからガンバ達は、人間の眼をくぐり抜け、猫の爪をかわし、森に南に位置する港にたどり着いた。
「さて、コットの森は、北東か北西…あまり、真北から偏ってはいないと思うが、正直位置がはっきり把握できていない」
「まあ、北に向かう船に乗れば、とりあえずは?」
「ああ。いま、ガンバとシャドーが調べに行っている」
「それにしても、人間どものしつこさときたら…」
ジャックが苦笑するのも、無理はなかった。
船に乗っている人間はともかく、陸の人間は、ネズミを見ると悲鳴を上げ、手が出ない。薬で攻撃することもあるが、こちらは余裕で逃げられる。
それが、この島の人間は実にしつこく追ってくる。
「何でも、かなり前に病気が蔓延したんだそうだ。その病原菌を、俺たちネズミが媒介したと言うんだろう?こういうことには、人間様は無知で始末が悪い」
ベアーの言葉に、一同はうなずいた。そこへ、ガンバとシャドーが帰ってきた。
「どうだった?収穫はあったか?」
「ああ。これから、ここを出る船がある」
「北に向かうのか?」
「いや、厳密には東なんだ」
「大丈夫なのか?」
「途中の港で、船を探そう。都合良く北の方に向かう船が、ないんだよ」
「なるほど、あの早瀬川を避けてるんだな」
「まあ、ガンバのためにも、早瀬川は避けないとなあ」
「リッキー、それどういう意味だよ?」
「誰かさんに、早瀬川に叩き落されかねない、ってことさ」
「チェッ、嫌味だなあ…」
「ハハハ…まあ、ともかく一旦東へ向かう船に乗り、次の港町で降りてみよう」
全員、シャドーの言葉に従うことにした。

「何でぇ、小さな船だな」
ベアーは一目見て呟いたが、港にいる船はどれも同じくらいの大きさなので、比較対象のないガンバには、とっさに大小は判別できなかった。
「しかも、年季が入ったと言うか、オンボロと言うか…」
確かに、お世辞にも新品さはない船だった。
「ああ…まだ、耳の奥がガンガン鳴ってるよ…」
ガンバがぼやくのも無理はない。島を離れる時に乗った船は、小さい上にエンジン音がやたらと船底に響いていた。
それに伴う振動も絶えず、おかげで次の港に着いた頃には、さすがのベアーもくたびれた様子だった。
「とにかく、ここからコットの森方面に向かう船を探そう。それと、どうやらあの森に近づくネズミは、招かざる客として扱われるようだから…
 今度は、慎重に近づこうぜ」
「そ、それによ、少し身体がフラフラだぜ。情報収集の時間も取って、2〜3日ここに逗留しねぇか?」
ジャックの提案に、異を唱える者はいなかった。
「まずは、落ち着く場所を探そうか」
彼らは、港にある倉庫の片隅に落ち着いた。そして、翌朝から港町に散って、情報収集に走った。

「結局、分かったことは…この港から、コットの森があると思われる方面への船は全く無いってことか」
「それに、陸路を取るにも背後の山が難関になるな」
「しょうがない。山に囲まれた入江みたいな場所じゃあ…」
沈みかかる空気を払拭しようと、ガンバが声を上げる。
「何とかなるさ。まだ、何か情報がつかめるかも知れないじゃないか!」
「…ガンバの言うとおりだな。クヨクヨしないで、やっていこうぜ」
珍しくベアーが、ガンバの空元気に乗って来たのを見て、シャドー達はちょっと驚いたが、それをあからさまにしなかった。


翌日、再び港町に散った彼らは、少々奥の方まで入り込んで行った。
「…ちっと、まずかったかな?」
追っ手をまきながら、リッキーは物陰で呟いていた。港ネズミに怪しまれ、いきがかり上ケンカを買う羽目になったのだ。
“理由はともかく、覚悟を決めなきゃ…待てよ、今度は平手じゃねえかな?”
そっと、表の様子を窺っていたリッキーは、今のうちと物陰から出た。すると
「君、そっちは迷路だ。港に出るなら、左に行きたまえ」
背後…と言うより、頭上から声をかけられて、リッキーがビックリして振り向くと
「……」
そこには、小柄なネズミが立っていた。まず目を引くのが、太い縁の丸いメガネ…そのレンズは幾重にも渦を巻いている。
「ん?我輩の顔に、何か付いているかね?」

“ふぁあ…”
案内された住処には、本がぎっしりと積まれていた。ガンバ達は、それを唖然とした顔で見ていた。
「あ、彼らが俺の仲間…です」
リッキーが紹介すると、ガンバ達はそれぞれに挨拶した。
「で、こちらが…」
「オホン、我輩はネズミである。名前に頓着はしていないが、周りからは先生とか学者とか呼ばれているが、単に他のネズミより知的好奇心が強いだけだ」
相手の妙な自己紹介と、まず目を引く渦巻きレンズのメガネに、ガンバ達は笑っていいのか、真顔でうなずくべきなのか、迷っていた。
「で、君達が知りたいのは…コットの森、だったね」
「ええ…」
「すると、山猫を相手にし行くつもりかな?」
『山猫』と言うキーワードに、彼らは我に返った。
「そうです。ここから、コットの森へは…?」
「待ちたまえ…ええと…」
学者先生は、地図を広げた。
「いいかね、ここが今居る港町。そして…コットの森は、この辺りだ」
「……!」
彼らが思わず絶句したのは、想像以上に目的地が遠いことだった。
「我々が、ふつうに歩いて行って、ひと月弱の距離であろうな」
「船は…」
ガンバが言いかけて、口をつぐんだ。地図上、コットの森の近くに、これと言った港は描かれていなかった。
「さよう。最も近い港からでも、一週間の距離。おまけに、この港から出る船は、その港に寄港しない」
「…地道に歩け、ってことかい?」
ベアーが、やや自嘲気味に言った。
「それと、君達が相手にしようと言う山猫だが…」
開いた本に描かれていたのは、刺すような眼、大きな歯、鋭い爪…そこらの猫とは全く異なる『野獣』だった。
「こ、これが…?」
ガンバは、身体の震えを抑えられなかった。
「さよう…山猫は、この辺りにいる猫と比べると、少なくとも倍の…いや、三倍近い大きさの身体である。その動きは俊敏。性格は、凶暴・獰猛・狡猾・残忍…」
次々と並べたてられる不利な言葉に、彼らは沈黙した。
「まあ、我輩もかつてはそれなりに冒険したものだが…山猫は、相手にしたくない存在であったな。それに…」
学者先生は、ちょっと言葉を切った。
「これは噂だが、コットの森の山猫は群れを成し、仲間を率いているという。それが事実なら、山猫の生態から見ても考えにくい。
 我輩としては、非常に興味を抱く一方で、何かとてつもなく嫌な感じも覚える」
「そこなんで…俺も、そこが引っ掛かるんです。その山猫のボス…ガルムとやらは、何か術でも使っているなんてことは?」
ベアーの問いに、学者先生は
「術…?うむ、催眠術のような?」
腕組みをすると、何事か考えていた。
「あり得ない話では、ないと考える。もし、そうだとしたら…我輩からの忠告として、そのガルムとやらの眼を見ないことだ。人間のように、道具を使っているとは
 考えにくいから、眼力で相手を操っているのが自然であろう」
「…なるほど」
ベアーは、相手の話にうなずいていた。
「ついでと言っては何だけど…」
そこへ、シャドーが割り込んできた。以前に、自分達の意識を失わせた『謎のガス』について、質問を投げかけた。
「ふーむ…不思議な現象であるな。刺激も、不快感もなく、むしろ甘い感じ…それを、人間でなくネズミ達が使っていた…」
「そうなんですよ。俺が言うのも何だが、ネズミの仕業にしちゃ、あまりに出来過ぎているというか」
「我輩も、君の意見に賛同する。そこには、何か裏がありそうだが…迂闊な断定は避けておこう。言えるのは、何かの植物から有毒成分を取り出したのであろう。
 動物性の成分では刺激が強く、甘い感じがするものはほとんどない。その植物であるが、決して暖かいとは言えないコットの森だ。南洋に生息するような
 独特の植物ではなさそうだ…」
いろいろ話を聞きたい半面で、何かと考え事で自分の世界に入り込んでしまう相手に、ちょっと閉口しかけていた彼らは、ボーボの腹時計が鳴ったのをいい潮時と
学者先生にいとまを告げることにした。
「いろいろ、お話ありがとうございました」
「何、君達の役に立てたならば、我輩も嬉しいよ」
学者先生は、改めて彼らを見ると
「我輩も、もう少し若ければ君達と共に行くのだが…」
「だったら、一緒に行こうぜ」
ガンバが声をかけるが、相手は首を横に振った。
「いやいや、止めておこう。その代わり、是非とも君達の冒険話を聞かせてくれ給え。きっと、そこには後学のため有意義な内容が、詰まっているに違いなかろう」
「ああ、きっと来るよ。なあ、みんな!」

彼らは気付かなかったが、学者先生はその分厚いメガネレンズの下で、涙ぐんでいた。
“あの時の…イタチと死闘を繰り広げた時の仲間に、そっくりな彼らだ…きっと…”
立ち去る彼らの背中を見送りながら、心の中で呟いていた。

20.旅の発端へ

それからガンバ達は、船を乗り継ぎこの間とは別の港に着いた。
「とにかく、こっから先は要注意だぜ。何しろ、俺達は『お尋ね者』同然だ」
ベアーの言葉を、大袈裟と言う者はいなかった。
「で…コットの森へは、一週間くらいかかるんだろう?」
ガンバの言葉にジャックが
「テクテク歩いたら、の話さ。人間様の荷馬車なり何なり、潜り込もうぜ」
「で、寄りたいところがあるんだ…」
リッキーが、やや遠慮がちに言いだした。
「例の村、か?」
それは、リッキーが瀕死のネズミを発見して、山猫のことを知り、ジャックと出会った、あの村のことだった。
「そうだな。全ての…俺達の旅の発端は、そこだからな」
ベアーも、リッキーの言葉にうなずく。
「そうか、山猫のことが、何か…」
「バカ!声がでかいよ!」
思わず声を上げたガンバを、シャドーが制した。それを見て、苦笑したリッキーは
「まあ、ガンバの言うように、何かつかめるかも知れない。これは、俺の考えだけど…あの村かその周辺に、鍵があると思うんだ」
すると、ベアーがニヤリと笑い
「珍しく、意見が合ったじゃねぇか?」
リッキーの背中を、軽く叩いた。リッキーは、ちょっと面喰った様子だったが
「俺もだ。奇遇だな?」
シャドーも、笑いながら言った。
「何だよ、俺だけじゃないのか」
ジャックが、尻馬に乗ると
「お、俺もさ。なあ、ボーボ?」
ガンバが、ボーボを巻き込みながら続く。
「な、何だよ…みんな…」
仲間内の他愛ない軽口に、破顔一笑のリッキー。
“……”
そんな彼らを、物陰からジッと見る視線があった。


翌日、ガンバ達は街道を行く荷馬車の荷台に紛れていた。
「天気良好なれど、雲やや多し…か?」
荷台の幌の破れ目から外を見ながら、シャドーがやや呑気な声を出す。
「ほんとだ。晴れてるけど、雲も出でらあ…」
ガンバもつられて、外を覗きながら呟くように言った。すると、シャドーは黙ってその場を去った。
「……」
シャドーが向かったのは、荷台の奥だった。大きな荷物が、一見無造作に積み上げられているが、荷台の揺れに合わせてお互いを支えあっている。
その荷物の陰に、ジッと身を潜める影があった。シャドーは、音を立てずに影に忍び寄ると、急に気配を見せた。
「……!?」
慌ててその影が振り向くと、シャドーは素早く相手の口に布切れを押しこんだ。そして、相手がひるむ隙に背後に回ると、羽交い締めにした。
「…ウ…ウ…」
必死の抵抗も空しく、シャドーの腕は解けない。さらに、これまたいつの間にかベアーが、目の前に立ちはだかっていた。
「……!」
ベアーは、顔色一つ変えず相手の腹に一発、拳を突き刺した。
相手は一瞬、大きく目を見開いた。そして、口をモゴモゴ動かしていたが、ゴボッと血反吐と共に押し込まれた布切れを口から吐き出すと
力無くグッタリとなった。
「おい、殺していないだろうな?」
シャドーが手を緩めると、相手はその場に崩れ落ちた。
「何、急所は外したぜ」
「その代わり、手加減しなかった?」
「てやんでぇ…」
チラリと相手に視線を向けたふたりは、共通してあることに気付いた。
「妙に、黒い手をしてるな…」
黒い手袋をはめているのではなく、手首の辺りから指先まで、まんべんなく手が黒い。
何かに染まったような感じだが、身体全体は典型的な鼠色であることを考えると、不自然なくらいだった。
「う…ぐ…ぐうう…うう…」
しばらくすると、相手は意識を回復した。
「おい、まだ腹が痛むだろうが、質問に答えてもらおうか?」

結局、そのネズミからはこれと言った情報を、聞き出せなかった。
「思ったより、口の堅い奴だったな…」
その後、そのネズミを荷馬車から『叩き出した』ベアーは、不満げな口調だった。
「まあ…あんなものだろう。ただ、感じたのは俺らを邪魔者扱いする連中、組織的だな。結束しているというか…」
シャドーの言葉に、仲間達が一様にうなずく。
「…なるほど」
「問題は、その組織的になっているネズミの数…どの程度の規模の結束なのかだ」
「とは言っても、コットの森のネズミ全てが、その『組織的』になっているとは、思えないな」
リッキーは『あの夜』のことを思い出しながら言った。
「少なくとも、あの村の連中全員が、黒い手をしていなかった…」
「もし、あの酒場にいた連中が、みんな黒い手をしていなら、俺もリッキーも、その場で『口封じ』されていただろうな」
ジャックも、あの夜のことを思い出していた。
「でもさ…何でだろう?何で、助けようとする俺達を、邪魔者にするんだろう?」
ガンバが、少し口をとがらせて言った。
「そこだよ、ガンバ。前に、俺達を妙な手で追い出した連中のこと、覚えてるか?」
「…忘れるもんかよ!」
「俺が奴らに『泣き寝入りを続けるのか』と言ったら、奴らがむきになった…どうやら図星だったようだが、単に泣き寝入りしているようには思えねえ」
「それは、山猫を怖がるあまり、ハナっから抵抗できないって、諦めてるんじゃ?」
「俺も、ガンバと同じ考えだな。たださえ強敵な山猫が、群れているんじゃ…抵抗するしない以前の問題になるだろう」
「だがリッキー、山猫の脅威が長く続いていたとしたら?逃げ回っているのも疲れる。抵抗すれば命はない。山猫を刺激することは、徹底して避けたいから
 俺達のような存在にやたら神経質…とも、考えられないか?」
ジャックの意見に、仲間達はうなずいた。
「だがよ、事情がそうだとしても、奴らの黒い手や、俺達の意識を失わせたガスは…?俺には、そこが引っ掛かる」
「確かに…ベアーの言う『組織的な連中』がいるとしても、あまりに徹底的だな。今も誰かが、監視しているかも知れねぇ」
シャドーの冗談半分の言葉に、彼らは複雑な顔をした。


「…奴ら、まだ諦めないのか」
「はい。今回の件、お役に立ちませんで…」
「まあ、気にするな。予想は出来ていたわ。しかし、目障りな」
そこは、土の中を掘って作った穴倉のような場所だった。薄暗い明りの中に、ネズミが4匹集まっていた。
そのうちのひとりは、この間ベアーに荷馬車から叩き出された、例のネズミである。
「…もともとは、我々の手落ちから知れてしまったこと。撒いた種は、刈り取らねば。我々ネズミ達全ての命が、危険にさらされる」
「まさか、森を抜けだす奴がいたとはな。この辺の連中は見て見ぬふりをするが、あんな余所者が居合わせたばかりに!」
「まあ、そう言うな。あの冒険野郎に何ができると、甘く見ていたのも事実だ。だが、ああやって仲間を引き連れてきたのは、我々の誤算だったな」
「誤算どころか…!我々が犠牲の矢面に立ち続ければ、ひいては森全体の生き物を守ることになるのだ。それを…他所者が、何も知らずに!冒険者気取りで!」
「まあいい。おとなしく、引き下がってもらおうと思ったのだが…それでも来る以上は、覚悟の上なのだろう。山猫に接触する前に、ガルム達に知られる前に
 我々の手で、奴らを始末しなければならん」
「もうひとつ、気になるのは…」
ひとりが、意味ありげに言葉を切った。
「例の、反抗する連中か?」
もうひとりが、ボソッと言った。
「奴らが、連中と接触しないとも限らんな」
「とんでもない!そんなことになったらば、火に油を注ぐどころか、火薬を投げ入れるようなものだ」
「落ち着け!奴らの存在が、すぐに連中に知られることはない。火が燃え広がる前に、火種をもみ消せば良いことだ」
「…はい」
「いいか、ここが正念場だ。コットの森の生き物の、存亡をかけた正念場だ。森の生き物が、山猫に根絶やしにされないためにも」
そう言って、ひとりが拳を握って右手を出した。その手は、真っ黒だった。
「コットの森の、未来のために」
その場にいたネズミ達が、同じように黒い右手を出した。
「この黒手に誓って、コットの森を守る!」


一方…
「ここから、例の村だ」
ガンバ達は、村の入口まで来ていた。
「…お出迎えは、なさそうだな?」
腰に手を当てて、周囲を見渡しながらベアーが言った。
「拍子抜けかい?」
シャドーの軽口に、ベアーはニヤリと笑った。
「まず、行ってみたいところがある」
そんな二人をよそに、リッキーはちょっと真剣な顔で言った。そこは、前にリッキーとジャックが、哀れな仲間を葬った場所だった。
ところが…
「なっ…!?」
そこは、乱雑に掘り返され、彼の死体はなく、墓標は破壊されていた。
「……!」
言葉を失ったリッキーは、怒りに震えていた。
「リッキー、気持ちは分かるが…俺達の敵は、ここのネズミじゃなく、山猫だってこと見失うなよ」
背中からのベアーの低い声に、リッキーは黙って小さくうなずいた。

第4章・完
第3章へ目次へ戻る第5章へ