23.伝説の親分
「その、ソラルの言う『親分』って?」
会話の中に良く登場するだけに、ベアー達が興味半分に尋ねると
「…もう、だいぶ前のことです」
この森に、一匹のネズミがやってきました。体格は、ベアーさんと変わらないくらいにがっちりしていて、日焼けした腕に碇の入れ墨がしてありました。
何よりも目を引いたのは、右目に黒い眼帯をしていたことでした。
『これかい?これはよ…俺が船乗りの親分として駆け出しの頃、凶暴なイタチにやられちまったのさ』
その親分に、なぜコットの森に来たのか聞いたら
『俺ぁ、常に冒険を求めているのよ。そして、ここに山猫がいるって聞いたんで、山猫と闘うためにやって来たのよ』
話を聞くと、過去にもイタチや野犬や…それこそ、ガルムに匹敵するくらいの強敵と、闘ってやっつけたと言っていました。
「ずいぶん、威勢の良い親分だな」
ベアーが、ちょっと笑いながら言った。
「でも、あながちハッタリでもなかったんです」
それは、親分がやって来て10日後。
『……!』
私達がビックリしたのは、親分が独りで山猫を一匹やっつけたことでした。
『こ、これを…あなたが?』
目の前には、何本もの木の枝が身体に刺さり、絶命している山猫がありました。
『し…しかし、どうやって?』
すると、親分は
『何、力じゃ敵わなねぇからな。ここを使ったのよ』
笑って、頭の部分を指さします。
『この辺りに、木の枝を尖らせて刺しておいて罠を作ったんだ。あとは…あの崖に山猫を誘い出し、ギリギリのところで山猫をかわしたのさ。
勢い余って、ここに落ちたから…聞かせたかったぜ。あの、断末魔の悲鳴ってやつをよ』
もちろん、この一件は山猫を刺激することになったのです。次々と山猫…ガルムの手下が、親分を目の敵にして襲いかかりました。
しかし、親分は独りで山猫に手傷を負わせて、退散させてしまったのです。私達には、とても真似ができませんでした。
一つ心配を抱いたのは、このままではガルムを怒らせ、我々が皆殺しにされてしまうのではないか、と言うことでした。
『何だいおまえ達…山猫と徹底抗戦する気じゃ、なかったのか?山猫と討死するくらいの覚悟があったんじゃないのかい?
そりゃ、命あってこそだが自分は無事に済んで、山猫は全滅させたいなんて、虫の良い話だぜ。自分の命を投げ出す覚悟をシッポに込めないと
歯が立つ相手じゃあるまい!?』
と、どやされてしまいました。実際、その頃の私達には甘い考えが、心の片隅にあったのは事実でした。
『何だ、お前らは!?それでも、シッポのあるネズミかっ!』
親分が次に相手にしたのが、黒手の連中です。
『御託を並べやがって、結局は山猫の言いなりか?ああいう奴らが、いつまでも俺達をそのままにすると思うのか!上手いこと言って、結局俺らを薄汚ねぇだの
取るに足りん存在だのと言って、皆殺しにするつもりだぞ!』
しかし、黒手の連中にその言葉が届く訳もなく…
『てめえら…文句があるなら、腕で来やがれ!この俺様を倒してから、四の五の御託を並べるんだな!』
黒手の連中にも、腕に自信のある奴が大勢いましたから、大乱闘になりました。
しかし親分は、そんな連中をことごとくノックアウトしてしまいました。
「…そいつは、すごいな」
さすがのベアーも、ちょっと度肝を抜かれた様子だった。
「私は、親分の度胸と腕っ節に敬服しました。すると、親分は…」
『ヘッ、そんなことに感心してねぇで…おまえは、この連中を率いてんだろう?ならば俺について来いと胸張ってシッポを立ててろ!空威張りでもかまわねぇ
猪突猛進でも良いじゃねぇか。その代わり、常に仲間の先頭に立って敵の攻撃の矢面に立って、自分の命を捨ててでも、シッポを立て続けるんだ!
そうすりゃ、周りはお前をリーダーとして認めてくれるだろうぜ』
私は、彼を文字通りの親分と決めました。まあ、そう呼ばれることを好まなかったようでしたが…
「それは良いが、事態は悪化したんじゃないか?」
シャドーの言葉に、ソラルはうなずいた。
「そりゃ…山猫は刺激するし、黒手の連中には睨まれるし。確かに、山猫の言いなりにならない覚悟で集まった連中ですが、まだ闘い方や方向性が見えていない
時期でしたから、少しのことで浮足立ったのは事実でした」
私は、山猫に抵抗する野ネズミのリーダーとして、彼らと闘う決意を固めました。
『よし、まずは仲間の意思を確認するんだ。少しでも尻込みする奴は、例えお前が信頼する奴でも、組み入れるな。やる以上は、一致団結だ。
死んでもいい、ってくらいの奴を集めないと、統率が取れないで無駄死にするだけだ』
親分の言葉は、一つ一つが私への教えでした。
『…闘うにしては、武器が乏しいな。相手は、それでなくても俺らの何倍もある身体をしている。武器が必要だが、木の枝ではなあ。枝の先に塗る毒も
俺らを殺すのには十分でも、山猫を倒すほどではあるまい?』
『そうですね…でも、武器と言っても…』
『こういう時に、人間様を利用するのさ』
親分は、ニヤッと笑って言ったのです。確かに、人間達は森の周囲や一部は森の中にも、住んでいました。時折、食糧を失敬しに行くことがありました。
『こういうものを、利用するのさ』
親分が選んだのは、硬く重く鋭いものばかりでした。人間は、それを釘とかフォークと呼んでいるようですが…
『良く、そんなものを知っていますね…』
『何、昔使ったことがあるからよ。身体の大きさが違っても、これで攻撃すりゃ相手は怯むものだ。上手くやれば、相手を倒すこともできる』
私は、親分の話と手際に感心しましたが、実を言うとこんな武器を扱ったことがなく、最初は扱いそのものに戸惑いました。
一方で、私は共に闘う仲間を集めに奔走しました。
山猫に屈するのは厭だと言うものの、いざ命を捨ててでも闘うか…となると、態度が曖昧になる仲間もいました。
『そういう奴を、無理に前線に出すな。かといって、爪弾きにするとかえって厄介だ。後方支援なり、予備軍なり、何らかの使命を与えておくんだ。
要は、自分達も闘うんだと言う気持ちを、自然に高めていくことが肝心なんだ』
結局、すぐにでも闘う気持ちのある仲間は、思ったより少なかったのです。
『まずは武器の扱いと、闘い方の練習からだ。俺は、野ネズミを代表して山猫と闘う!みんなも、命を捨てる覚悟で闘おう!』
嬉しかったのは、みんながこんな私の声に応えてくれたことでした。
『俺は、補佐役。リーダーは、お前だ』
親分はそう言って、仲間の前では補佐役に徹して、私を立ててくれました。とは言え、いざとなると腹に力の入り具合は親分の方が上手です。
仲間を一喝するのは、いつでも親分の役目でした。
『…いよいよ、だな』
闘いの訓練をした私達は、山猫に闘いを挑むことにしました。
『いいか、俺達にとって初めての闘いだ。山猫の力を知ることも、大切なことであって何が何でも勝とうなんて思うな。いざとなったら、引く勇気も必要だ』
リーダーの訓示としては、甚だへっぴり腰なものでしたが、やたらに仲間を鼓舞してはかえって無駄死にさせると、親分に言われていたのです。
『この辺りだ…』
森には、ぽっかり空いたような空間が、何か所かあります。そこだけ、木がなく上から陽の光が降り注ぎ、草花が一面に広がる空間です。
そのそばに、川や泉があれば文字通り楽園と言うか、動物達の憩いの場です。もっとも、山猫には憩いの場であり獲物が集まる格好の場でした。
『確認するが、おとり役は山猫を引き付けるんだ。俺達が、山猫に服従しない連中だということは、分かっているはず。おびき寄せて、攻撃する。
おとり役も、素早く攻撃側に回るんだ』
私達は、早速作戦を実行しました。案の定、辺りをウロウロしていた山猫が、おとり役の仲間を見つけ、襲いかかってきました。
『…来るぞ!』
必死に山猫を引き付けて、逃げてくる仲間達を、私達は息を殺して見守っていました。ところが…
『ククク…後ろにも、眼を付けておくんだったな』
突然、私達の背中から不気味な低い声がしたのです。慌てて振り向くと、繁みの蔭からギロッと光る眼が!
『うわあああっ!』
そう、私達の作戦は見事に読まれていたのです。私は、リーダーとして武器を手に山猫に立ち向かっていきました。
必死に釘を突き出し、山猫の身体を狙いますが、相手の俊敏な動きに全く付いていけません。
『ぐわっ…!』
とうとう、山猫の前足に身体を吹っ飛ばされて、木に激突してしまいました。
『こ…殺される…』
しかし、山猫はほんの様子見とばかり、本気を出さずに去って行きました。
いろいろな意味で、私達の惨敗でした。命を落とした者がいなかったのが幸いでしたが、全員怪我を負っていました。中でも、親分は山猫の爪にやられて
身体に大きな傷があり出血もひどく、その様子に私は焦りました。
『…俺も、ヤキが回ったな。見事に、山猫に手玉にとられた』
『……』
いろいろな意味で、私は意気消沈していました。すると
『お前は、リーダーだろう?お前がそんな顔していてどうする?傷付いた仲間を労わり仲間の闘志を消さないようにし、この経験を次の闘いに生かすんだ。
俺のことなんかは、後でいい』
親分に背中を押されて、私は仲間達の面倒を見ました。幸い、私が危惧したほど仲間達の心は、負けていませんでした。
山猫の怖さを知ってなお、そこから逃げるのではなく、山猫をやっつけようと言ってくれました。
『み、みんな…』
その後、親分は傷が癒えるとコットの森を去りました。
『もう、お前達の団結は本物だ。俺が、いちいち口を出すこともなくなったぜ』
その後、親分の消息は誰にも分かりません。
24.ゴールドとシルバー
コットの森の奥に、岩がむき出しになっている個所がある。
その昔、地震や地殻変動によって隆起したと言われる場所だ。やがて、植物が生え木が育ち、森になったのが現在のコットの森だ。
その岩場には、自然の洞窟や岩穴がたくさんある。山猫・ガルムは、その一角を本拠地にしていた。
内部は複雑な自然の迷路で、野ネズミ達には背丈ほどある岩がゴロゴロあり、山猫ならひと飛びでも野ネズミには落差激しい岩場が続く。
さらに、その洞窟の入口の前には、草木一つ生えていない荒涼とした部分がある。
「……」
そこへ、一匹の山猫がやって来た。銀色の毛に覆われた身体に、虎のような黒い模様が描かれている。山猫は、勝手知ったるとばかり洞窟へと消えていった。
「……」
洞窟に入ると、それまでの明るい場所から一転し薄暗くなる。山猫の目がギラリと光りやや慎重に、奥へと歩を進めた。
「俺だ。ガルム様に、お話がある」
やがて、洞窟の奥に進むと門番のように立ちはだかる、二匹の山猫がいた。
「どうぞ。ガルム様は、奥です」
山猫が奥に入ると、中はかなり広い空間だった。岩の隙間があるので、斜め上の方から陽の光が差し込んでいて、中は、それまでに比べると明るい。
「ガルム様…」
山猫は、奥に向かって呼びかけた。すると、奥の方で影がゆっくりと動いた。
「シルバーか…何か、あったか?」
影の中から、猫の目が鋭く鮮やかな光を放った。
「はい…野ネズミどもに、良からぬ動きが」
「赤い手の連中が、他所者に刺激を受けている…と言う話かな?」
すると突然、横から誰かが割り込んできた。
「ゴ…ゴールド!?」
のそりと目の前に現れたのは、濃い黄色の毛にこげ茶の縦縞が全身に通っている山猫であった。
「相変わらず、ワンテンポ遅い奴だ」
「お前に、言われたくないわ!」
二匹は、敵意むき出しで睨みあった。
「止さんか!」
周囲に反響する声で頭の上から怒鳴りつけられ、二匹はビクッと身体を震わせて、その場に固まった。
「お互いに、自分の失策を棚に上げおって…このような事態を、ネズミ共に始末させるよう、奴らをコントロールをするのが、お前の役目のはず!」
暗闇の中の眼が、ゴールドに強烈な光を突き刺す。
「…申し訳ありません」
続いて、その眼はシルバーにも強烈な光を突き刺した。
「我々に抵抗する野ネズミ共は、血祭りに上げろと言ったはずだ。それを、ここへ来るのに、なぜ野ネズミの死骸の一つも持ってこないのだ!」
「申し訳ございません…」
二匹は、その場にひれ伏した。
「お前達には、余の目的が分かっておろう。その目的達成のため、余はお前たちを片腕と頼むのだ。それがこの様とは…」
二匹は、ますます小さくなる。
「ここで余がクドクド言わずとも、己の使命は分かっておろう!余が、こうして与える意味を、良く考えるのだ!」
シッポと思しき影が動くと、黒い実が二つ転がり落ちた。
「…有り難く、頂戴します」
二匹はそれを口にくわえると、立ち上がってガルムに背を向けた一瞬、お互いを敵意の火花が散る眼で睨み合った。
そして、先を争うようにその場を去ると、コットの森にあるそれぞれの根城に戻った。
“まったく『あれ』を支配しているだけで、威張りくさって。野ネズミ共を、血祭りに上げるのは容易いこと。だが、闇雲に殺ったら野ネズミはもちろん
森の他の動物を警戒させてしまうではないか!直接、歯向かう野ネズミ共は容赦なく殺るわ”
腹の中でガルムに対する不満を爆発させながら、シルバーは前足で例の実を弄んでいたが、次第にうっとりした表情になった。
一方…
“まったく…野ネズミ共への締め付けが甘かったような言い方だが、ジワジワと進めていくと言ったのは、どこのどいつだ。大体、締め付けを強化すれば
野ネズミ共は警戒し結束するではないか。己の欲望の前に、好き勝手を言いやがって…”
ゴールドもまた、ガルムへの不満を抱きながらも、黒い実を鼻先で転がしていたのだが、こちらも次第にゴロゴロ喉を鳴らし、気持ち良さそうな表情を浮かべる。
「…ハラルよ」
「はっ」
「この度の失態、どう始末する?」
「…申し訳ありません」
「詫びの言葉など良い。他所者や、赤手の連中を刺激する者は、お前達の手で排除することになっておろう。それが、このザマか?
お前達が手を黒く染めた意味、分かっているのだろうな?」
ゴールドに睨まれて、ハラルはますます身を固くした。
「分かっているのであれば、くどく言わんわ。早く、結果を見せることだな」
ゴールドの元を去ったハラルは、次にシルバーの元へ向かった。
「ガルム様は、お怒りだぞ。お前達に出来ぬのなら、俺が手を下すまで」
「そ、それは…」
「何だ?」
「それは、コットの森の生き物に、徒に恐怖を与えてしまいます」
「ならば!」
シルバーは、大きな口を開け鋭い歯を剥き出しにした。
「お前の使命、分かっておろう!」
「…はい」
「俺らが、お前達ネズミを根絶やしにすることなど、容易いこと。だが、お前のように俺らに従う姿勢を見せるのなら、むざむざ殺しはしないと言っておるのだ。
そのバランスを崩す者を、お前たちの手で始末しろと言っているのだ!」
「…はい」
引き上げるハラルの、すっかり小さくなった背中を見て
“どうせ、ゴールドの奴にも同じように言われているはず。そうなれば、意地になって他所者を排除するだろう。場合によっては、同志討ちを始める。
いずれにしても、好都合なことだ…”
一方のゴールドも
“これを引き金に、野ネズミどもを皆殺しにするも良し、野ネズミどもを支配することで、ガルム様の力を見せつけ、他の生き物への支配を強固にするも良し。
いずれにせよ、ガルム様のご機嫌を損なうことなければ『あれ』にありつける”
そして、二匹は共に
“あわよくば『あれ』を、我が手に収めることによって、ガルムなど叩き出してくれるのだが…”
「何、ハラルからの使い?」
翌日、ソラルのところへ一匹のネズミがやって来た。
「で、用件を聞こう」
相手は、両膝を地面に突いて黒い手を膝に乗せ、前傾姿勢のまま
「はい。ハラル様からのご伝言…ソラル様とお話を致したく、明日の昼にシフの地まで、お独りで来ていただきたい」
ソラルは、少し考えてから言った。
「承知した、と伝えてくれ」
「はい」
一方、ハラルの元にも、ソラルからの赤い手の使者がやって来ていた。
「…ハラル様とお話を致したく、明日の昼にシフの地まで来てもらいたい。ついては、お独りで来ていただきたい」
ハラルは、少し考えてから言った。
「承知した、と伝えてくれ」
それぞれ、使者が去った後では周囲の者が異口同音に
「あれは罠だ。お前の命を狙う罠だ」
リーダーに言ったが、ふたりとも
「尻込みはしていられんだろう。例え、罠と分かっていても行かねばならん」
と、動じる様子はなかった。さらにふたりは
「それに、独りで来いと言っているんだ。誰も付いて来るな。俺を、卑怯者にするような奴は、俺の手で始末する」
さてその一方、二匹の『使い』は、それぞれの元を離れると途中で合流すると、コットの森の奥へと向かった。そこは…
「戻ったか…で、ソラルとハラルは、何と?」
「はい。承知した、と」
「こちらも」
「よろしい。この後も、頼んだぞ」
ふたりは、何かを受け取ると立ち去り際に、岩から染み出す水に手を出した。すると、それぞれの手を染めていた、赤と黒の色があっさりと落ちた。
「ふたりが揃ったところで、ハラルにソラルを殺らせればいい。リーダーを失った赤手の連中など、簡単に屈する。他所者とやらは、血の海に沈んでもらおう」
岩穴の奥でニヤリと笑うシルバーは、物陰から気配を消してその場から立ち去るゴールドに、気付いていなかった。
翌日の昼、指定の場所にソラルとハラルが現われた。だがふたりとも、顔を布で隠している。
「……」
しばらく対峙していたふたりは、いきなり顔を覆っていた布を取り去った。
「…やっぱりな」
ふたりは、ほぼ同時に言った。
「あんな安っぽい罠に、引っ掛かるソラル様じゃない!」
「それは、ハラル様とて同じことだ!」
ふたりは、背格好が良く似た『影武者』だったのだ。
互いに、ニヤリと笑って対峙していると、そこへ怒気のこもった声が響いた。
「おのれ、野ネズミども!この俺様を欺こうとは!」
ふたりの目の前に、怒りに毛を逆立たせたシルバーが現われた。
「……!?」
突然のことに、身動きが取れなくなったふたりを、シルバーの鋭い爪が襲った。
「うああああっ…!」
一撃で絶命させたことに飽き足りないシルバーは、ふたりの死骸を口にするとその歯で手足を喰いちぎった。
「ククク…抜け駆けの失態は、哀れなものだな…」
背後からゴールドの声がすると、シルバーは血まみれの口で憎悪の表情を作って、相手を睨みつけた。
25.黒い陰謀
「俺の失敗を嘲笑う気か?とことん悪趣味な奴だ!」
今にも飛びかからんばかりの勢いで、シルバーがゴールドを睨むと
「…まあ、落ち着け。ここは、お互い手を組まねぇか?」
意味ありげにニヤッと笑いながら、ゴールドが提案を持ちかけた。
「手を組む…?」
シルバーの口調には、明らかに疑いと嫌悪の色が出ていた。
「野ネズミどもを一掃し、それを俺らの手柄にするのさ」
「俺ら…?俺の、の言い間違いじゃねぇのか?」
シルバーの皮肉に、ゴールドは怒ることも呆れることもなく続ける。
「お前だって『あれ』を、いちいちチマチマもらっていても、つまらねぇだろう?」
ゴールドの口調は、いやに落ち着いていた。
“こいつ…何を、企んでいやがる?どの道、奴がおいしいところを、持っていくつもりだろうが…ここは、話を聞いてやるか”
「で?お前に考えがあると言うのか?」
ゴールドは、我が意を得たりといった顔で
「もちろんだ。まず、その野ネズミ2匹を、利用するとしよう」
「どうする気だ?」
「この死骸を、俺達に歯向かったなどと言いがかりの材料にして、今度は本物のソラルとハラルを呼び出す。そして、どちらが仕向けたとか問い詰めれば…」
ゴールドが、意味ありげに笑った。
「なるほど。奴らのことだ、簡単に同志討ちを始めるな」
シルバーも、その意味を理解してニヤリとした。
「そこを襲うのさ。主だった連中を一網打尽にすれば、後はザコだ」
「で、ガルムにはどう言うつもりだ?」
「そこよ。例の他所者が双方に要らぬことを言って扇動し、黒手と赤手が共謀して我々に歯向かった。そこで、止む無く奴らを壊滅させた…」
「フッ、悪知恵は良く働く奴だ」
「皮肉の応酬は、そのくらいにしようぜ。早速、実行だ」
森の奥に消える、ゴールドとシルバー…その背中を、草むらの中からジッと見ていた影は、シャドーだった。
「ヘッ、薄汚ねぇ山猫どもだ…」
間もなく、森に不気味な空気が伝わった。それは、何かの遠吠えのようだった。
「あれは…!?」
「どうしたい?ソラル…」
ベアーの問いかけに
「山猫が…怒っている…お、俺を呼んでいる!」
「何だって!?」
ガンバがすかさず反応する一方、ソラルは、複雑な表情で何か覚悟を決めたような感じだった。
「おい、ソラル…?」
ガンバが声をかけると、ソラルは
「…行かねばなりません。しかし、独りで行かないと。誰も…そう、誰も一緒に行かず、後を付けることも…まして、ガンバさん達は絶対に来ないでほしい」
「どうして!?」
納得がいかないとばかりに、ガンバが大声を上げる。
「山猫は、赤手と黒手のリーダーだけを呼んでいます。暗黙の掟なんです」
ソラルの仲間が、ガンバに説明する。
「分かったよ。どうやら、時間がなさそうだな。早く、行かねえと?」
ベアーが、ガンバを半ば羽交い締めにしながら、ソラルに言った。
「行ってくる…みんな、後は頼んだぞ」
背中越しに仲間に声をかけて、ソラルは飛び出して行った。
「は…離せよ、ベアー!あ、あいつ…死ぬ気だよ!」
ベアーの腕の中で、ジタバタ暴れるガンバ。それを抑え込みながら
「分かってるさ。だが、どうしようもねぇ!」
「何…おい?じゃあ、ソラルを見殺しにするって言うのかよ!?」
「ソラルは、その覚悟だからさ。自分が身体を張って、山猫の怒りを鎮めようと…」
「馬鹿言うな!山猫が…それで、終わりにするかよ!?」
「ったく!シャドーが、探っているんだ。この一件にゃ、何か裏があるってな。だから、ここは事態を見守るんだ」
「だけど…だけど、ソラルが…あいつの命が…」
半分涙声になるガンバ。
「ガンバさん、お言葉は嬉しいです。俺達も、ガンバさんと同じです。しかし、ソラルはリーダーとしての使命を…手出しは…したいけど…できない…んです」
仲間達も、涙をこらえていた。
「フフフ…今度は、本物が揃ったようだな?」
ゴールドとシルバーを前にして、ソラルとハラルは必死にその迫力に気圧されまいと、腹に力を入れていた。
「どういう意味です?」
ソラルの言葉に
「こういう意味さ!」
シルバーが前足を動かすと、彼らの目の前に二匹の死骸が転がった。
「……!」
一瞬、ふたりは事態を飲み込めなかったようだが、それが自分達の『影武者』であると気付くと、その場に固まったまま動けなくなった。
「どうもこいつらは、良からぬ話をしていたのでな…」
ゴールドの言葉に、ふたりは唖然とした。
「早い話、我々に刃向かう相談を、内密にしていたのだよ。ククク…我々の目を欺けるとでも、思ったのかな?」
ゴールドの言う『良からぬ話』は、ふたりには全く身に覚えがなかった。
「問い詰めたら、こいつらはお前達の代理だと言うではないか。と言うことは…すなわち、お前達の企みと言うことだな!」
シルバーが、ふたりを吹っ飛ばす勢いで大声を上げた。
「と、とんでもない!この、黒手に誓って…!」
慌ててハラルが、弁解しようとする
「フン、こっちにも身の覚えのないことと、はっきり申し上げる!」
ソラルは、ハラルを一瞥して言った。
「お、お前の口から、そんなセリフを聞きたくはない!」
ハラルが、ソラルに噛みついた。
「コットの森の平和のために、お前如きと手を組むことなど無いという意味だ!」
ソラルも、負けじと攻撃する。
「黙れ!よくも、我々の前で見苦しい内輪揉めを!場を弁えろ!」
ゴールドとシルバーに同時に一喝されて、さすがのソラルとハラルは、後ろに吹っ飛び仰向けに倒れた。
「お前ら…この後始末、どうするつもりかな?」
死骸を前足で踏みつけて、ゴールドとシルバーがにじり寄って来た。
「我々が、手を下しても良いのだぞ?それとも…」
山猫の二つの大きな口が、ふたりの至近距離まで迫って来た。
「な…何ですって!?」
戻って来たソラルの話を聞いて、仲間達は驚愕した。
「わ、罠だ!黒手の奴ら…」
「いや、違う!山猫の仕組んだ罠に違いない。俺らは、はめられたんだ!」
ざわつく仲間達を前に、ソラルが大声を上げる。
「静かに!確かに、これは誰かが仕組んだ罠だ。だが、それが誰の仕業であったとしても、今の我々には山猫に対して誤解を解かねばならない」
「まあ、山猫にしてみれば、ソラル達を最も怪しんでいるだろうな」
ベアーが、腕組みをしながら言った。
「いいかみんな、これは野ネズミに対する罠だってことは、分かるよな?それが、我々だけなのか、野ネズミ全体になのか…行ってみなけりゃ分からない」
ソラルは、全体を見渡して一段と大声を上げた。
「よし、みんな行くぞ。相手が山猫でも、ハラル達でも、命かけて闘うぞ!」
一方のハラル達も、団結を強めてシフの地へ乗り込んできた。
「よく来たな。山猫と同じく、俺らからも逃げると思ったぞ!」
ソラルの挑発に
「くどい手を使わず、正面から来たのは褒めてやるぜ!」
ハラルも応戦する。
「……」
睨みあうふたりと、彼らが率いる一団…緊張が高まる中、突然
「止めな、ふたりとも!」
草むらの中から、シャドーが現われた。一同が、ちょっとざわめく中
「ふたりとも、こいつらの顔は覚えてるよな?」
シャドーが連れていたのは、後ろ手に縛り上げた二匹の野ネズミ。
「この間の使いの、偽者か?染めた手と塗った手の違いくらい、見抜けるぞ」
ハラルの言葉に
「それは、こっちも同じこと!くだらん手を使いやがって!」
ソラルがかみつく。すると
「では、ふたりはわざわざ偽者を仕立てて、それぞれのところまで、ニセの伝言をしに行かせたのかい?それとも、こいつらはお互い見知らぬネズミだとでも?」
「……!?」
「どうやら、こいつらを知っているのがいるらしいぜ。なあ、ゴールドにシルバーとやら!」
シャドーが、辺りに響くような大声を上げた。すると…
「おのれ…よくも、計画を邪魔したな!」
姿を現したシルバーに、集まった野ネズミ達がざわつく。
「残念だったな。俺達がそそのかしたため、黒手と赤手が共謀して、山猫に刃向かったから、止む無く皆殺しにした…って筋立てだったっけ?
それより、相方の姿が見えないようだが?」
その言葉に、総毛立ってシャドーに襲いかかったシルバーの姿は、彼の言葉を裏付けていた。シャドーは、シルバーの爪をかわすとソラルとハラルの前に立った。
「…って言うことだ。分かったかい?」
「ありがとう、シャドー」
ソラルは、礼を言ったが
「そ…そういう…ことだったのか!」
ハラルは、シルバーに向かって突進した。
「手を…この手を、ここまでにしたのは…ゆ、許せない!」
「よ、よせっ!ハラル!」
ソラルの叫び声と、辺りに鈍い音が響き渡るのと、ほぼ同時だった。
シルバーの爪が、ハラルの身体を引き裂いたのだった。
「ハ…ハラル!」
真っ赤な血を吹き出し、宙を舞ったハラルの身体が、ゆっくりと落ちていくのを、その場の誰もがスローモーションのように見ていた。
「ハラル!」
ソラルが駆け寄った時には、ハラルは既に虫の息だった。
「お…俺…まちが…て…たんだ。兄さ…ゆ…る…し…」
自分の腕の中で息を引き取った弟を、ソラルは泣きながら抱きしめていた。
第5章・完