眼-eye- 04

 不意に、ノックの音が響いた。ドアの向こうには人影が見える。
「どうぞ」
 真由が声をかけると、人影がドアを開けて入ってきた。ヘルメットにマスクを付けた奴が複数、十人はいる。そいつらは物騒なものを下げて、おれと真由を取り囲んだ。
「北斗七輝、だな」
 おれを取り囲んだ奴の一人が、そう声をかけてきた。
「答える必要があるのか?人の事務所にずかずかと入り込んで来るような奴らに」
「答えろ」
 銃を構えなおして、そいつはそう言った。おれは応えた。
「そんなものが、おれに通用すると思っているのか?」
 虚喝だ。だが効果はあった。おれを取り囲んだ奴らの間に動揺が走ったのだ。一瞬、銃口が揺れる。おれは心の中で、口の端を吊り上げた。どうやら、こいつらは知っているらしい。おれが、サイファだという事を。いや、こいつら自体は、知らないかもしれない。だが、こいつらを動かした奴は、知っている筈だ。さて、こいつらは吐くかな、自分の所属を。あまり吐きそうなタイプには見えない。だが装備や所持品から、大体の所を割り出す事は、ホルスならできるだろう。
 決めた。こいつらは、ぶちのめす。
 おれは無造作に一歩踏み込むと、突きつけられた銃のひとつを掴んだ。
「悪いな。あんた達には、やられ役になってもらう」
 言うと同時に、一発食らわせた。相手が吹き飛ぶ。どうやらサイファの力が無くても、おれのガタイは見かけ倒しでは無いらしい。一発で、ノックダウン。
 部屋にいる、真由以外の人間全員に、動揺が走ったのが分かった。包囲が乱れる。乱れながらも、真由を取り囲んでいた一人が、銃を構えなおしながら叫んだ。
「お、女がどうなってもいいのか!?」
 おれは親切に応えてやった。
「良くはないな」
 おれの右隣を取り囲んでいた奴の襟首をひっつかんで、ぶん投げる。悲鳴と共に、そいつらはもつれ合いながらもんどり打って倒れた。
 おれはそのまま、真由に向かって突っ込む。邪魔しようと二人が立ち塞がったが、お構いなしに吹き飛ばした。相手のガタイも決して悪くはないのだが。ひょっとしたらもう、サイファの力が働いているのかもしれない。本当にこいつら程度、素手で片づける自信が沸いてくる。
 真由を片手に抱いて、彼女を取り囲んでいた残りを片づける。片手は使わなかった。代わりに脚を使ったが。蹴りだけで、四人を倒す。
「う、撃て!」
 人数が激減してようやく発砲する気になったと見える。だがこちらとしても、的になってやる気にはならない。倒れ伏している一人を楯にしてやった。
 銃声は響かなかった。例え防弾装備に身を固めていても、仲間を撃つ気にはならないらしい。大した思いやりだ。ま、自分が楯にされた時に撃たれたら敵わん、と思っているのかもしれないが。
 銃声の代わりに、罵声が響いた。
「お、お前、生きている人間を楯にする気か。それでも正義の賞金稼ぎか!?」
「おれを正義の味方だと定義するなら、おれの敵であるお前さん達は悪の手先、という事になるがね」
 言うと同時に、おれは楯にしていた奴をぶん投げた。さっきと同じく、当たった奴と投げられた奴とが耳障りな悲鳴を上げながら、もつれあって倒れる。
 人間二人をぶん投げても、おれの体力にはまだまだ余裕があった。真由を抱えたまま、残りの奴らにまたしても突っ込む。猪突猛進、と言ってくれるな。おれに飛び道具があれば、そいつを使ってるさ。通用しそうな、飛び道具があれば。
 一人につき、一発ずつで充分だった。弱い。
 おれの腕の中で、真由が嬉しそうに声を上げた。
「七輝さまは、やっぱりお強いですね。記憶が無くても、充分に」
 おれは真由を降ろして、肩をすくめた。
「ま、こいつらが弱いだけかもしれないがな」
 真由はおれを誉めてくれたが、おれとしては真由を誉めたい気分だった。銃を向けられても、怯えずに毅然と立っていた。おれを信じての事かもしれないが、あの姿は美しかった。本当に強くて、佳い女だ。
 おれはその気持ちを言葉にする代わりに、行動で表わした。真由を抱き上げて、軽く頬に接吻。
 さて、おれに直接ぶん殴られた奴は声も上げずに伸びているが、スローイングの的にされた奴は、一人だけうめき声を上げていた。そいつの側に落ちている銃を取り上げ、マスクを引っぺがす。どこにでもいそうな、中年の親父だった。ま、そこらの中年よりは、よっぽど鍛えてはいるんだろうが。
 おれにマスクを引っぺがされた中年親父は、呻きながら声を上げた。
「ば、化物め……」
「正義の味方の次は化物呼ばわりか。ま、お前さん達に人間だと思われて撃ち殺されるよりは、化物だと思われて生き延びる方がいいさ。ところで……」
 おれは一旦言葉を切ると、そいつの襟首を掴み直した。
「お前達は何物だ?誰の指示で動いている?それだけ、答えてくれればいい。修理代は、そいつに請求してやる」
 酢を飲んだ表情で、中年親父の表情が固まった。やはり、答えないか。
「答えたくないなら、それでいいさ。答えたくなるようにしてやってもいいんだが、それも面倒だしな。ま、これだけは答えてくれ。おれと真由を、どうするつもりだった?」
 中年親父は、ようやく重い口を開いた。
「女はどうでもいい。お前を、所定の位置まで連行するつもりだった」
「所定の位置とは何処だ」
「それは……知らない。後で、指示される予定だった」
 真由が声を漏らした。
「念が入っていますね。誘拐、でしょうか」
「にしちゃ、実行犯が弱すぎると思うがな」
 おれが肩をすくめると、中年親父は悔しそうに顔を歪めた。言い返したい所だが、実際にあっけなくのされた身としては言葉も無し、といった所か。
「目的がおれだけだったとすると、真由はどうする気だったんだ?」
「俺は知らない」
「誰が知っている?」
「…………」
 ま、この程度の誘導尋問にゃ引っかからないか。舌打ちする気にもなれない。重ねて質問する。
「お前達の目的は、やはりサイファか?」
 男の表情が一変した。恐怖の表情に。
「お、お前……サイファだったのか?」
「どうやら、そうらしい」
 すっとぼけた答えだが、確証はないのでそう答えるより他はない。しかし男の反応は激変した。顔面を恐怖に満たしながら、もがき、罵声を張り上げる。
「ひ、ひぃい……は、離せ化物!疫病神!人でなし!」
 酷い言われようだが、しかしはっきりした事がひとつ、ある。こいつは、サイファを知っている。おれ以外のサイファを。そして、サイファの何たるかを。
「聞きたい事がまた増えたな。おい、お前にとってサイファとは何だ?」
「さ、サイファだと?」
 喘ぎながら男は答えた。
「サイファとは……化物だ!精神異常者だ!サイファなんて、みんなそうだ!」
 偏見、と言っていいだろうか。しかしおれは、おれ以外のサイファを知らない。おれが精神的に健常であるかどうかは知らないが、ここまで罵倒されるほど歪んでもいないつもりだ。少なくともこの男に、これだけの事を言わせる何かが、おれの他のサイファにはある、という事だろうか。ま、こいつの知っているサイファが特別、という事も有り得る話だが。
 もがく男の首筋を叩いて気絶させる。これで全員、大人しくなった。しかし真相は分からず、だ。
「ホルス。こいつらの装備をサーチ。該当する武器その他から、近い装備をしている奴らを、探し出してくれ」
〈了解〉
 ホルスの部屋に一人を放り込む。青い光が一瞬走って、消えた。サーチ終了だろう。
 データの検索はホルスに任せて、おれはこいつらの所持品を漁る。しかし大したものは出てこなかった。ま、当然とも言える。人一人拉致しようとしていた奴らが、身分証明など持ってはいないだろう。
〈検索終了〉
 さして時間をおかず、ホルスの声がそう告げた。
〈七輝。彼らの装備は、武装警官のものと一致します。ただし、身分証明する品が何も無かった所を見ると、武装警官を騙った別の組織、と考えるのが妥当だと思います〉
「武装警官ね。しかし本物か偽物かは分からない、と。ホルスは偽物だと考えるんだな?」
〈はい。本物の武装警官であれば、身分証明の品を持っているはずです。また、あなたを拘禁するのに、わざわざ拉致するような手間をかける必要もないでしょう。正式な逮捕状と、自己の身分証明。それだけで、あなたを逮捕拘禁できるのですから〉
「私も、彼らは偽の武装警官だと思います」
 真由も、ホルスの意見に賛成した。
「加えて言うなら、わざわざ武装警官である必要など無い、と私は思います。抵抗される可能性は考えられるでしょうが、しかし何の証明も無しについてこい、というのは不自然です」
「二人とも、こいつらは武装警官を騙った別組織だと思うんだな?」
「はい」
〈その通りです〉
「おれも論理的に考えた訳じゃない、ただの勘に近いが、こいつらは偽物だと思う。本物にしては、やり口がスマートじゃない。いきなり得物を突きつけて、ついてこい、だからな」
 そんな脅しのような強引な拘引を、いくら武装警官とはいえ、行うとは思えない。
 しかしそうなると謎が出てくる。誰が、どんな理由で、おれを拘引しようとしたか、だ。下っ端は、おれがサイファだという事を知らなかった。だが、下っ端が知らないからと言って上も知らない、という事はないだろう。おれがサイファだと知っていて、それでもこの程度で拘引できると思っていたのだろうか。それとも示威行為か。だとしたら迷惑な話だ。まさか、おれが大人しく着いてくると思っていた訳でもあるまい。抵抗は覚悟の上の筈だ。おれの力を、測っている?それが一番、ありそうな話だった。ま、迷惑な事には変わりないのだが。
 そいつらは、おれの力を知って、何がしたいのだろう。何を欲している?おれに、何かさせたいのか。おれの力が欲しいのか。今の時点では、答えを出しようがないとは分かってはいるのだが。
〈七輝、申し訳ありません〉
 ホルスが唐突に、そんな事を言いだした。
「どうした?」
〈私がデータをサーチした範囲が甘かったようです。あなたに敵愾心を抱いている組織はない、と断言しておいてこの騒ぎです。私が甘かった、と言わざるを得ない〉
「お前の責任じゃないさ。こんな突発事、神様でもなけりゃ予測できないだろうぜ。お前も、万能じゃないって事さ。それでいい」
 責任があるとしたら、こんな事を仕組んだ誰かだろう。少なくとも、ホルスの責任ではない。
 何にせよ、ここをこのままにしておく訳にはいかない。おれは真由に、ここで見張っているよう言い置くと、屋上へ向かおうとした。地上階より、屋上の方が人目に付きにくい。別に閉鎖されている屋上でもないから、浮揚車でもあれば簡単にここまでたどり着けるだろう。そう推測してドアへ向かおうとしたおれに、ホルスが呼びかけた。
〈七輝、これを持っていって下さい〉
 そう言うと、ホルスのある部屋から空気の抜ける音がした。行ってみると、壁の一部がスライドして、簡単な火器が並んでいた。ホルスの部屋は、武器庫でもあったらしい。その軽火器群のうち、ひとつがスポットライトで照らされていた。
〈あなたの武器です。サイ・ブラスター〉
「サイ・ブラスター?」
〈知性体の精神力を、物理的エネルギーに変換して射出する火器です。あなたの、専用武器と言っていいでしょう。それは恐らく、あなたにしか使いこなせない〉
「どうして?」
〈単純に引き金を引くだけでも、これは膨大な精神エネルギーを要求します。例えば真由では、一・二回発砲すれば精根尽き果ててしまうでしょう。これを使いこなすだけの精神エネルギーを保有している人間は非常に少ない。七輝、あなたはその数少ない人間の一人です。それもサイファである事が、関係しているのかもしれません〉
「そうか……」
 生返事を返しながら、サイ・ブラスターを取り出してみる。わりと重い。大型のブラスター並の重さだった。重さだけでも、真由には厳しそうだ。安全装置の類は見当たらない。「暴発はしないのか?」
〈発砲しようという意志が伴わなければ、その銃は発砲できません。意志の力が火力であると同時に、安全装置でもある訳です。フルオート、セミオート、それも意志の力で制御します〉
「要するに、考えれば良い訳だ」
〈はい。逆に言えば、自意識のない状況では、絶対に発砲できません〉
「おれの他のサイファが撃てる可能性は?」
〈ない、とは言い切れません。ですが可能性は低い。サイファである、イコール精神エネルギーを大量に保有している、という訳ではないでしょうから〉
「あくまでも、精神エネルギーの保有量が全てを決する、という訳だな。サイファかどうか関係無しに」
〈はい〉
「大体分かった。持っていこう」
 腋下にホルスターを装着して、サイ・ブラスターをそこにぶち込む。そうしておいて、改めて部屋を出た。
 部屋の外、階段には誰もいなかった。血痕も、ない。古いエレベーターもあるが、それは使わない。だが何事もなく屋上へは辿り着いた。屋上には大型の浮揚車が止まっていて、そこに二人、見張りがいた。相手がこちらに気付く。
 おれは相手の銃がこちらを向く前に、サイ・ブラスターを引き抜く。二連射。
 トリガーを引いた瞬間、おれの中から何かをごっそりと引き抜かれるような感覚が襲ってくる。それが、手の中のサイ・ブラスターに、正確にはその中の何かに流れ込んでいく感じ。なるほど、これはきつい。しかし耐えられないほどではなかった。むしろ大した不快感でもない。慣れれば済む、程度のものだった。おれにとっては。これが常人なら耐えられないほどのもの、らしい。実感はないが。
 エネルギーの矢が正確に二本、二つの銃に突き刺さる。爆発はしなかった。融解する。手加減しよう、とおれが考えていた所為かもしれない。なら直接当てとけば、ショック・ガンの様に麻痺させる程度で済んだかもしれない。ま、試すのは後でも構わないが。機会は今後、いくらでもあるだろう。生きていれば。
 おれは改めてサイ・ブラスターを突きつけて、手を挙げろ、と促す。二人は手元の銃を眺めやり、顔を見合わせて、素直に手を挙げた。おれは近づいていって、二人の首筋に、一発。気絶させる。
 浮揚車の運転席には誰もいなかった。後ろの座席にも、誰もいない。全員、外に出ていたらしい。好都合だ。
 おれは気絶させた二人を座席に放り込むと、事務所に戻った。
「真由。屋上に浮揚車があった。こいつら全員、それに放り込もう」
 軽量のブラスターを持って倒れ伏している奴らを見張っていた真由は、肩の力を抜いて答えた。
「そうしましょう。後片づけをして頂けないのは面倒ですけれど」
 おれは肩をすくめた。
「ま、物を壊されなかっただけマシだと考えるさ。後片づけはおれがやろう」
 真由は頭を振った。
「いえ、後片づけは私がやります。七輝さまはこの人達の後片づけをお願いします」
「その方が効率がいいか。分かった、そうしよう」
 後片づけは真由に任せて、おれは伸びている野郎共を肩に担いで、エレベーターに放り込む。五階まで運ばせて、降ろす。それを三回繰り返した。後は、まとめて浮揚車の後部座席へと放り込んでいく。全員を放り込み終えて、事務所へ引き返すと、もうすっかり片づいていた。
「なんだ、もう片づいたのか」
 おれが声を上げると、真由は微笑みながら応じて曰く、
「あら、七輝さまも片づけをやりたかったんですか?」
 おれは苦笑した。
「いや、片づけは苦手だ。それより真由」
「何でしょう?」
「あいつらの乗ってきた浮揚車の通信ログを読んで、奴らの上と話をしてみようと思う。ホルス、できるか?」
〈通信ログを読みとる事は可能です。ですが、七輝の思った通りに事が運ぶ可能性は低いと思われます。それでもやりますか?〉
「ああ。ここで待っていても埒があかないからな。やられっぱなしというのは性に合わん。何かしら、やり返してやりたい」
〈分かりました。七輝のWIS回線から、直接車両の通信回線にハックします。七輝、問題の車両まで、移動してください〉
「分かった。真由はどうする?」
「私も、七輝さまと行きます。ここで待っていても、あまり意味はありませんから」
 おれは頷いた。真由がおれの側にいれば、危険があっても彼女を護る事ができる。ここに置いていくよりも安心できた。ま、おれの自信過剰かもしれないが。後悔したくなければ、彼女をしっかり護る事だ。
 再び、屋上へと向かう。念のため、階段で行ったのだが、起きた奴はいなかったらしい。無事に、浮揚車まで辿り着いた。運転席に乗り込む。真由は助手席。彼女に後部座席との隔壁を降ろさせておいて、おれは通信機のスイッチを入れ、WISでホルスに話しかけた。
「ホルス、準備完了だ」
〈了解。車両番号確認。これからジャックします。七輝は、心の準備を〉
「そんなものは必要ないさ。早い所、頼む」
〈分かりました。解析を開始します――解析完了。通話可能です〉
「相手の位置は、探れるか?」
〈発信源は、移動しています。走行中の車両のようです。持ち主は、エリザ・ギースニデル……いえ、これは偽装です。車主不明。無人で走行しています。そこから先は……回線の秘匿レヴェルが非常に高い。私には、未知のタイプの回線です。七輝、あなたが電脳空間へ接続した時の状況に近い〉
「どういう事だ?」
〈分かりません。可能性で示唆しますが、相手もまた、サイファであるかもしれません〉
「またサイファ、か。まあいい。相手と交信する」
〈了解。回線自体はは繋がっています。通話可能〉
 おれは通信機のマイクを取り上げた。
「おい、どこのどいつか知らないが、聞こえているか?」
「聞こえているよ」
 耳障りのいいテノールで、誰かが答えた。
「君がこうして話をしているという事は、私の部下は全員倒されたようだね」
「ああ。全員昼寝中だよ。全く、迷惑な事をしてくれたもんだ。迷惑料は、しっかりふんだくらせてもらうぞ。お前は、誰だ。名を名乗れ」
「仰せのままに……と言いたい所だが、そうもいかなくてね。これでも忙しい身なんだ」
「なら、こんな馬鹿げた遊びをしてないで、とっとと労働に励んでいろ。他人様に迷惑をかけるもんじゃないぜ」
「悪いが、これもまた仕事でね。君には迷惑な事だろうが、それこそこちらのスケジュール通りなんだ」
「そんな迷惑なスケジュールは、今すぐ破棄してくれ。でないと力ずくで、撤回してもらう事になる」
「君は自分の力を信じているようだ」
 そいつこそ、自分の力を信じ切っているような口調で、そいつは言った。
「だが慢心は、いずれ自身を滅ぼす。気をつけたまえ。北斗七輝君」
「その言葉、そっくりお返しするよ」
 おれは言い返した。
「お前はおれの名前を知っている。だがおれは、お前の名を知らない。こいつは不公平だ。もう一度言う。名を、名乗れ」
「ならば」そいつは言った。「君達にちなんで私も名乗ろう。私は、セトだ。そう呼んでくれたまえ」
「随分と縁起の悪い名を選んだな。セトは、ホルスに討たれる運命だぜ」
「そう。それもこちらの思惑の内」
 とんでもない事を、そいつは言いだした。
「君達が私を倒す事、それもこちらのスケジュールに入っている。早く私を殺しに来たまえ、北斗七輝君」
「おれとしても残念だが、そうもいかない。おれは、賞金稼ぎだ。殺し屋じゃない。手配もされていない奴を、殺す訳にはいかなくてな」
「その心配は、無用だよ」
 またしても不気味な事を、そいつ、セトは言い出した。
「ある種、私は君と同種の存在だ。君がここに来れば、それが分かるだろう。尤も、それまで君を試させてもらうが」
「願い下げだな。できれば関わりたくない。だがそうもいかなくなりそうだな。おれが、お前と同種の存在だと?」
「そう。君が勘違いする前に言っておくと、サイファである事とは、これはまた別の問題だ」
「サイファである事とは別の問題か。何の事だか、思いつかないな」
「サイファという単語に、惑わされない事だ。真実は、そこから見える」
「真実ね……」
 舌打ちしたい気分だった。こいつの、セトの言う事が訳が分からないという事もある。だがそれ以上に、真実という言葉が、気に入らなかった。
 真実とはやはり、恣意的な物だ。人それぞれに真実という物は存在する。こいつは自分の真実とやらを信じているらしい。それは個人の勝手というものだが、それを押しつけられる側としては、たまったものではない。
 セトが、おれが知らない何かを知っているのは確かだろう。だが、それがおれにとっての真実たりえるかどうかは、また別の話だ。おれは、おれが信じられるものを信じる。押しつけられた真実など、必要ない。だが。
 知る必要が、あるかもしれない。セトの言う、真実とやらを。それが即、おれの真実になるとは思えない。しかし今の状況を打開する、何か手がかりにはなるかもしれない。思考する為には、その材料が必要だ。少しでも多くの材料が。セトが何か知っているというのなら、喋らせてやろう。そこに辿り着くまでに、何をされるか分からない、というのが問題だが。
「セト。おれを試すと言ったな。何をするつもりだ」
 セトは平静な声で答えた。
「君の能力を試す。肉体的な能力、精神的な能力。その全てを。君が私の元へ辿り着けたとしたら、それは即ち、私の試練を君が乗り越えたという事だ」
「つまり、おれに危害を加えたい、そういう事だな」
「そう解釈して構わない」
「ならひとつ、約束しろ」
「何かな」
「おれ以外の人間には、手を出すな。それが条件だ」
「七輝さま!」
 咎めるような真由の声。しかしおれは、この線は譲る事はできなかった。おれにとって真由は大事な存在だ。護りたい、存在。ホルスも大事な仲間だが、真由は殺されたらそれで終わりだ。人工知性体、電脳世界で自由に生きる事のできるホルスとは違う。ホルスの手は後々も借りる事になるだろうが、場合によっては、真由は少しの間、おれの元から遠ざけるつもりだった。真由の咎めるような声も、それを悟っての事だろうが、しかしおれは譲るつもりはなかった。嫌われようがどうしようが、真由には生きていてもらいたい。
 おれの考えを余所に、セトの声が響いた。
「君の側にいる限り、君の大事なものも危害を加えられる事になるだろう。それは、仕方のない事だ」
 おれは真由に向き直った。
「という事だ。真由、しばらく……」
「嫌です」
 きっぱりと、真由は言いきった。
「私は、七輝さまの側を離れるつもりはありません。七輝さまが何と仰っても、これだけは、譲れません」
「真由!」
「私は七輝さまのパートナーです!被保護者ではありません!」
 おれの剣幕を正面から受け止めて、凝と見つめてくる彼女の瞳には、力があった。そのまま、おれと真由は、見つめ合う。睨み合うほどではないが、しかし色気に欠ける雰囲気である事も、また確かだった。
「美しい話じゃないか。連帯感情、いや愛情、かな?」
 虚ろなほど陽気な声で、横槍が入った。
「断っておくが、君のパートナーを君から引き離したからといって、何の危険も無くなるという保証はできないよ。例えば、人質にとる、とかね。直接危害を加えるという事はないかも知れないが、君と関わったという事で、何らかのトラブルに巻き込まれる、という事は十分に有り得る事だ」
「……おれ以外の人間には、手を出すなと言ったはずだが?」
「私個人としては約束しても構わないよ。だが、私だけが君を試そうとしている訳ではないのでね」
「お前以外の組織の人間も、おれを狙っている、と?」
「そういう事だ。君はこの世界において、君自身がが思っているよりずっと重要な役割にいるんだ。それだけは、教えてあげよう」
 勿体ぶったセトの言葉に、おれは反論した。
「役割なんて、他人に押し着せられたものは、おれには必要ない。おれは、おれだ。それ以外の、何物でもない」
 本心だ。しかし、強がりでもある。おれはおれ自身でありたい。おれは常にそう思っている。だが、自己の思惑とは別に、他者から役割を割り当てられる事は誰にでもある。例えば、何かである事を期待されたり、とか。それは、個人の意志ではどうにもならないものだ。おれがただそこにいるだけで、他者から何かを期待されるという事は、決して不自然な事ではない。特におれは、自分の記憶を無くしている。前の自分が他者にどんな役割を与えられていたか、或いは与えられようとしていたか、分からない。それが、不安といえば不安だった。自分の知らない所で何かが決せられているという不快感もある。それが自分の事だとしたら尚更だ。
 おれは、一体何者だったのだろう。その疑問がまた、浮上してきた。セトの一言で。セトの言葉を敷衍するならば、これはサイファである事とは無関係らしい。サイファである事、それ以外に、おれには一体何があるというのだろう。サイファである事に、惑わされるな、か。全く、敵ながらセトの言葉は正しい。サイファであるという事におれは満足して、それ以上おれは自分の正体を知ろうとも思わなかった。おれはどうやら、知らねばならない。おれが、何者なのか。それを知る為には、セトのゲームに乗るしかなさそうだった。癪な事だが。奴が何を知っているのか。それをまずは、知る事だ。それが即、おれ自身を知る事に繋がるとは、限らないが。
 おれはもう一度、真由に向き直った。
「真由。迷惑をかけると思うが……」
 皆まで言わせず、真由は頷いた。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。足手まといにならないよう、勤めさせて頂きます」
 忍び笑いが、通信機から漏れてきた。
「相談はまとまったようだね。結構な事だ。それでは、第二ステージと参ろうか」
 浮揚車が動き出した。おれの操作も無しに。遠隔操作されているのだろう。おれはホルスに訊ねた。
「どこから操作されているか、分かるか?」
〈不明です。七輝、これは通常の遠隔操作ではありません。私の干渉を、受け付けない〉
「……セトもやはり、サイファだと思うか?」
〈恐らくはそうでしょう。それ以外に、説明のしようがありません〉
「私達を、案内するつもりでしょうか?」
 真由がそう呟いた。
「案内か。何処へかな。少なくとも、奴らの都合のいい場所には違いないだろうが」
「郊外へ、向かっているようですね」
 真由の言う通り、浮揚車は郊外へ向けて加速していた。おれ達の住む下町よりさらに外、郊外の、荒野へと。ふと心づいて、おれは真由に尋ねた。
「真由。おれ達のいる、ここは、一体何処なんだ?」
 真由は一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに気を取り直して答えてくれた。
「ここは、火星です。マーストーク。火星の、首都です」
「火星、か」
 遠くを見やる。広大な、荒野だ。壮大な眺め。人間の造った都市が、ちっぽけなものに思える程の。入植初期の頃のコロニーが、今の都市の原型になったのだろう。衛星都市の類がないのは、その習慣が未だ抜けていないからに違いない。
 しかしおれは観光に来たのではない。何者かに、連行されているのだ。連行と言っていいだろう。おれの意志で、そこに行く訳ではない。知りたいという欲求はある。だが、どこの誰とも知れない奴に試される覚えはないし、できればそんなものは御免被りたい。だがおれの意志とは別に、おれを試したいという奴が、次から次へと襲いかかってくるのであれば、せめてその理由なりとは知りたかった。相手に説明の意志があるのであれば、言いたい事は言わせてやろう。考えるのは、その後でもできる。生きてさえいれば。
 唐突に、WISに警告音のようなものが響いた。
〈七輝、大変です〉
 ホルスだった。先程のアラームは、本当に警告音だったらしい。
〈何者かから、被照準。この浮揚車は、狙われています。狙撃を受ける可能性、大〉
「やっぱり遊覧飛行とは行かないか」
 ぼやきながら下を見やる。既に荒野だ。地面まで、何百メートルあるだろうか。さすがに、無傷で飛び降りるという訳には行かないだろう。おれに空中浮揚の力でもあれば別なのだが。しかし、撃たれるというなら、飛び降りるしかないか。せめて高度が下げられるなら、成功の自信も増すというものだが。
 運転席のドアを開ける。ロックされて、開かない。問答無用で蹴破る。強い風が乱気流となって運転席で渦巻いた。その中で、おれは声を張り上げる。
「真由、こっちへ来い!」
 真由は一瞬の躊躇いもなくおれに飛びついてきた。それを抱きとめて、おれは飛び降りた。ドアの外へ。
〈脅威接近〉
 直後、ホルスの声が響く。しかし構ってはいられなかった。安全に、着地できるか。おれの全神経は。そこへ向けられていた。
 頭の中で、撃鉄が下りる。弾ける。地面が迫る、その様子がスローモーションに見える。おれは真由をしっかり抱いて、足を地面に向ける。
 衝撃……は、なかった。
 着地、成功。我ながら信じ難いが、おれはあの高さから飛び降りて、無事だったらしい。抱きしめていた真由はというと、おれが彼女の顔を見て初めて緊張を解いた様子で、ほっと一息ついていた。どうやら無事らしい。
 不意に、爆発音。おれと真由は申し合わせた様に上を見やる。おれ達の乗っていた浮揚車は、何者かの攻撃を受けて爆発していた。爆炎のオレンジ色が、夕闇に映える。おれはホルスを呼び出した。
「ホルス。何があった?」
〈ミサイル攻撃を受けました。浮揚車はその攻撃で、跡形もなく消し飛んでいます。後ろの襲撃者もろとも〉
「そうか……」
 セトとの通話ですっかり忘れていたが、運転席の隔壁の向こうには、おれ達を襲った奴らが伸びていたのだった。そいつらは、空の藻屑と消えた訳か。別に同情する訳ではないが、あまり気持ちの良いものでもなかった。あいつらは、今のように使い捨てにされる覚悟があっただろうか。あったとは思えない。仮にその覚悟があったとしても、使い捨てにしていいという法もあるまい。セトの組織が攻撃の主だとしたら、所属してあまり居心地のいい組織とは言えないな。おれは爆炎の残り火を見ながら、心密かにそう思った。


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