眼-eye- 05

〈6〉

 おれ達は夕暮れの荒野に、取り残された。
 これがセトの言う『第二ステージ』だったのか、或いはセトの言っていた、おれを狙う別組織の仕業なのかは分からない。だがどちらにしても、おれ達が今立たされている立場は、決して快適なものとは言えなかった。地理的にも、精神的にも。
 抱き上げていた真由を降ろして、おれは近場の岩に座り込んだ。真由も隣に腰を下ろす。そうして、作戦会議の体と相成った。
「さて、これからどうしたらいいと思う?」
 おれがそう切り出すと、真由が口を開いた。
「このまま帰ってしまう、というのも一つの手段だとは思います。ただそうすると、また明日も同じ事の繰り返し、ということにもなりかねませんが」
〈真由の見解に、私も賛成します〉
 ホルスが続いた。
〈元凶を叩かない限り、今日のような事は何度でも起こるでしょう。セトの発言が、それを裏付けています〉
 おれは二人の言葉に頷いた。
「おれもそう思う。元凶を叩かない限り、同じ事の繰り返しだ。ただそうすると問題がひとつ、ある。元凶とは何処か、或いは、誰か、だ。それが分からない限り、やはり、同じ事の繰り返しになるだろう。おれが、生きている限り」
「それが、よく分かりません」
 真由が声を高めた。
「何故、七輝さまが狙われるのでしょう?確かに七輝さまは、特殊な力を持っています。ですが、あのセトという男は、それは関係ないと、その様な事を言っていました。七輝さまには、他に何があるのでしょうか?」
〈七輝が記憶を失っている、その事と何か関係があるのかも知れませんね〉
 ホルスが言った。
〈記憶を失っている、その記憶の内容と、記憶を失ったという事実と、どちらに関係するのかは私には分かりません。ですが、まるっきり関係がないとは、言えないかも知れません〉
「こんな事が起こり始めたのは、おれが記憶を失ってからだからな。ありそうな事だ」
 だが、だとしたら、おれの記憶に一体何があるというのだろう。或いは、一体何があったというのか。おれが記憶を失ったきっかけは、何だったのだろうか。
「真由。おれは昨日、何か変わった事をしたりしなかったか?」
 あまり期待はできなかったが、そう聞いてみる。予想通り、真由は首を左右に振った。
「いいえ、特に気付いた事はありません。いつも通りの七輝さまだったと思います」
「そうか……」
 大して落胆する気にもならなかった。そんな変わった事、例えば頭を強く打ったとか、そんな事があったのなら、朝の時点で真由が気付くだろう。逆に言えば、そういう変事がなかったのに、おれの記憶は失われた訳だ。記憶とは、そんなにあやふやなものだろうか。ある意味では、そうかもしれない。自分にとって都合良く、自分でも知らないうちに記憶を改竄してしまっている、という事は良くある事だ。だが。
 おれの記憶喪失は、そういうレヴェルの問題ではなくなっている。そもそも記憶を失わねばならない程の、都合の悪い事実とは何だろうか。そんなもの、滅多に転がってはいない。
 都合の悪い事実か。誰にとって都合が悪いのか。普通に考えれば、おれにとってだろう。だが、どんな都合の悪い事実が、おれの記憶にあったというのか。おれには心当たりがない。ま、当たり前だが。しかし記憶を失う前のおれに、そんな都合の悪い事があっただろうか。そんな事実があったら、真由やホルスが知っているはずだ。だが、二人とも何も知らない。そんな事が有り得るだろうか。だとしたら、考えられる事は、おれにとってではなく、誰かにとって都合の悪い事実があったのではないか。誰に取ってか、それは分からない。犯罪の記録とか、そんなチャチなものではないだろう。もっと大がかりなものに違いない。人一人の、記憶を消してしまわなければならないほどの、それは重要な事だったに違いないのだから。
 セトが、おれのこの考えを聞いたら、何と言うだろうか。ふと、おれの脳裏にそんな事が浮かんだ。あいつは、少なくとも今のおれよりも多くの事を知っている、はずだ。おれ自身のことについても、今のおれよりも多くの事を知っている事は考えられた。今おれに何が起こっているのか、おれの周りでなにが起こっているのか、そもそも、その起点となっているらしいおれとは何者として扱われているのか。それを知るには、セトの元へと行かねばならない。だが、どうやって行く?浮揚車を撃墜された今、おれ達にはその術がない。考えてみれば、おれがセトに会うには、能動的な手段ではほぼ不可能なのではないだろうか。受動的な、セトが用意した手段でなければ、奴と会う事はできないのかも知れない。それは、奴の思うつぼなのではないだろうか。しかし、おれはそれでも、奴に会わねばならない。聞き出す事が、聞きたい事が、多すぎる。
 だが、セトにとってのメリットとはなんだろうか。おれと会って、奴にどんなメリットがあるというのだろう。おれを手中に入れる、それ自体がメリットだとはおれには思えない。おれにそれ程の価値があるとは思えないのだ。おれはサイファであるかも知れないが、権力など何も持たない、ただの賞金稼ぎに過ぎない。その筈だ。だが、そうではないと奴は言った。それは一体、どういう意味だったのだろう。この世界において、重要な役割におれはいると奴は言った。どんな役割だろう。見当も付かない。おれは、おれであって、おれでしかない。それが、おれの自身に対する評価だ。おれに何らかの価値があるとは思えないのだが。おれにとっては、おれ自身である事はそれ自体が価値ある事なのだが、セトはそんな事は望んでいないだろう。
〈七輝、何を考えていますか?〉
 唐突に、ホルスの声が響いた。その声で、真由が凝と、こちらを伺っているのに気付く。おれは、考えていた事をどう言葉にするか一瞬迷ったが、結局、要点だけを口にする事にした。
「おれは、セトに会いたい。そうしなければいけない気がする」
 真由が問い返してきた。
「それは、襲われている理由が知りたい、という事でしょうか?何か、別の理由がありませんか?」
「鋭いな」
 おれは素直に感嘆した。
「確かにおれは、今襲われているその理由も知りたい。だがそれ以上に知りたい事が、ある。おれは一体何者なのか。何者として扱われているのか、それが、知りたい。それを知ってどうしようという考えは、今の所ないんだが」
 真由はおれの眼を見つめて言った。
「七輝さまは、七輝さまです。それでは、いけませんか?」
 おれも真由の眼を見つめ返して答えた。
「おれ自身は、それでも構わない。だが、それでは駄目だという奴がいるんだ。その理由が、知りたい。おれにどんな役割を期待しているのか、それを知りたい」
 真由はおれの答えを聞いて、嘆息したようだった。彼女はおれの眼を見つめ直すと、微笑して口を開いた。
「やはり、七輝さまは、七輝さまだという事ですね。探求心が強いと言うか、自分が知りたいと思った事は知らずにいられない。そんな人でしたね。北斗七輝という方は」
「そうだな、そうかも知れない」
 おれは頷いた。
「そんな身勝手なおれでも、付いてきてくれるか?」
 真由は、さして意外そうな顔もせずに答えた。
「帰れ、とは、もう仰らないんですね」
「言った所で聞かないだろうからな。今日一日で、学習したよ。それなら、一緒にいる事を認めて、護りきってみせると自分に言い聞かせている方がいい」
 真由は頭を振った。
「私は、護られるだけの女にはなりたくありません。僅かでも、お役に立って見せます」
「ああ。期待してる」
 おれはそう答えた。言葉面だけではない。真由がそう決意しているのなら、頼るべき時には頼ろうと思う。実際、これまでそういう場面はあったのだ。これからも、あるだろう。その時は、よろしく頼む。そういう事だ。
〈私も協力しますよ。七輝の失われた記憶というものに何があるのか、興味があります〉
 ホルスが言った。そう。こいつも、仲間だ。例え人間でなくとも。
 ホルスはおれに協力してくれるが、おれがホルスに返せるものは、物質的には存在しない。そもそも、人工知性体という存在は物質的なものに対して興味が薄い。彼らに対して代償を払えるとしたら、知的興味、それしかない。常に興味を払うに値するかどうか、おれは試されているのかも知れない。だがおれは、それを意識した事はない。それだからこそ、ホルスと上手くやっていけているのだろう。肩肘張らず、仲間として。
 仲間か。おれと真由、それからホルス。おれ達は、上手くやっているチームだろう。他の奴らは、どんなチームを組んでいるのか、或いは一人きりでやっているのか知らない。だがチームとは、ただ効率的に標的を倒し、生き延びる為のものではない。少なくとも、おれ達はそうだ。何かをしてもらうのが仲間ではないが、何かをしてやれるのは仲間だけだろう。おれが今、そういう状況にある訳だ。何かをしてやれると同時に、何かをしてもらっている。真由にも、ホルスにも。いずれこの問題が解決しても、おれ達は共にあるだろう。共にありたいと思う。生きている限りは。 さて、おれ達がいくら知りたがった所で、先方が手を出してこなければ何もできないのが現状だ。相手が殴りつけてきた手をひっ掴んで殴り返すしか、おれ達には反撃方法が用意されていない。最悪、おれ達はそれでも構わないのだ。襲撃がないのなら、帰って、休む。襲撃されたなら、反撃する。それだけの事とは言える。ただし、襲撃されたら、何らかの手段で親玉に会う必要がある。そして、二度とおれ達に手を出せないようにしてやる。ちょうど今、その分岐点に立たされている訳だ。これから、どうするか。
 しかし長く考える必要はなかった。荒野の方角から、数台の浮揚車が走ってくるのが見えたからだ。おれはホルスに、その浮揚車の車主を調べさせる。回答、不明。つまり、大いに後ろ暗い所のある奴が使っている、という訳だ。どうやら、次のリアクションの登場という事らしい。
 そいつらは、おれ達に近づいてくると、窓から乗り出して、問答無用で発砲してきた。こういう状況は予測していなかったが、おれ達に喧嘩を売りたいというなら買ってやる。ただし、高くつく事を、覚悟して貰うが。
 おれは岩に身を隠して、サイ・ブラスターを引き抜いた。真由も、小型のブラスターを取り出す。
「真由。あいつらの浮揚車を一台頂く。一台は、残しておいてくれ」
 おれの言葉に、真由は緊張した面もちで頷いた。
 真由が首肯したのを確認して、おれは合図に移った。三、二、一、ゼロ。おれと真由は岩陰から身を乗り出した。銃を構えている奴から順に、狙い撃ちしていく。連射する必要はなかった。一射で一人づつ、撃ち倒していく。おれの射撃の腕もさることながら、真由の腕も相当な物だった。小型のブラスターで、狙撃銃を使うように、正確に相手を撃ち抜いていく。
「大したものだ」
 おれが感嘆すると、真由は緊張でこわばった、それでも笑顔を見せた。
「言ったはずですよ。私は、護られるだけの女にはなりたくありません、と」
「ああ、そうだな」
 おれは頷いた。そうしながら、また一射。また一人が、もんどり打って浮揚車から投げ出された。
 浮揚車は全部で六台あったが、一台に何人乗っていやがるのか、撃ち倒してもまた射撃主が現れやがる。浮揚車は一定の距離で散開すると、おれ達が遮蔽物に使っている岩を取り囲むように機動を変えた。
「いよいよ本気にならないといけないみたいだな」
 おれがひとりごちると、真由も緊張の面もちで首肯した。おれと真由は、背中合わせになって立つ。おれは叫んだ。
「真由、手加減無用だ。一台残ればいい。ぶっ飛ばせ!」
「はい!」
 宣言通り、おれ達は手加減しなかった。射撃主ではなく、その浮揚車に向かって、射撃する。
「くたばれ」
 おれは呟きながら、トリガーを引く。おれの意志が、サイ・ブラスターに流れ込み、先程までよりもより強い閃光となって浮揚車に突き刺さった。浮揚車は一瞬身震いすると、閃光を発し爆散する。乗っていた者ごと。無情なやり口だが、こちらとしても命がけだ。やられる前にやらねば、今度はこちらが射撃の的になってしまう。実際、相手が発砲した弾痕が、おれ達の四方八方に残っている。命中を受けた事はまだ無いが、それは単に相手の腕の問題のようだった。手加減しているという風では、ない。
 おれはサイ・ブラスターの威力で、一射一台を始末できるが、真由はそうはいかないようだった。連射して、燃料タンクを狙っている。一撃では装甲を貫通できないが、二射・三射と立て続けに射撃を受けると、装甲が耐えきれずにはじけ飛ぶ。そこにとどめの一射が飛ぶ、という訳だ。高速で移動している浮揚車の、ほぼ一点を狙って射撃できるのだから、真由の射撃の腕は相当に高い。おれより上かも知れなかった。
 おれが三台、真由が二台。合わせて五台の浮揚車が爆発炎上した。炎上した残骸が、おれ達を囲む様に散在している。残りの一台は、入念に、射撃主だけを撃ち倒した。射撃主が出てこなくなった所で、おれは徐ろにその浮揚車へ駆け寄る。飛び移る。そして運転席のドアをこじ開けて、サイ・ブラスターを突きつけた。
「停めろ」
 運転手は、酢を飲んだような表情で、ブレーキを踏んだ。浮揚車が停まった所で、真由が駆け寄って来る。彼女はまだ、ブラスターを構えていた。用心深い。ま、この状況では仕方ない事だが。
「降りろ」
 おれは運転手に再度指示する。運転手は一瞬躊躇ったが、結局おれの指示に従う。手を挙げて、浮揚車から降りてきた。その強ばった顔を見て、おれは苦笑した。
「安心しろ。おれ達は、お前が乗っていた浮揚車が欲しいだけだ。余計な真似をしなけりゃ、撃ち殺したりしない。ま、先に撃ってきたのはそっちだからな。正当防衛だ。恨むなよ」
 運転手は恨みがましい声で、口を開いた。
「……指示されてやった事だ。おれの意志じゃない」
 おれは失笑する所だった。まさかここで、自己正当化の言葉を聞くはめになるとはね。衝動を押さえつけて、おれは質した。
「指示か。誰の、指示だ?」
「上の、上の指示だ」
「だから、その上とは誰だ?」
「……知らない。おれ達は、下っ端だから」
「どんな組織に所属していたのかも、知らないという訳か?」
「……そうだ」
「そんな事で、よくやっていけたものだな」
「金は、入ってきた。指示された事をやっていれば」
「どんな事をやっていた?」
「…………」
「ま、人には言えないような事をやってたって事か。それじゃおれに殺されても、仕方なかったかも知れないぜ」
「お前、賞金稼ぎか!?」
「まあね」
「待て、おれには賞金はかかっていないぞ!早まるな!」
「他人には問答無用で発砲できても、自分の命は惜しい訳か。当然と言っちゃ当然なんだろうが……甘ったれるなよ」
 おれは怒気を堪えて言った。
「人を殺す気があるのなら、自分も殺される気で来い。他者にリスクを要求するなら、自分もそれ相応のリスクを覚悟するべきだ。いいか、お前が死にたくない様に、他人も大抵は、死にたくないんだ。自分がされてどう感じるか、少しは考えてから行動するんだな」
 これでこいつが恐れ入るとは思わなかったが、言わずにはいられなかった。
 自分が死にたくないように、他者も同じように死にたくないのだという事は当たり前のようだが、しかしその当たり前の事を平然と無視できる人間が多すぎる。だからこそ、賞金稼ぎなんて職業ができてしまったのかもしれない。少なくとも、賞金稼ぎの仕事は、生死に関してはフェアだ。自分の生命をチップにして、金を稼ぐ。殺す覚悟と同時に、殺される覚悟も必要になる。無論、殺されたくないのは同じ事だが、それでも今のこいつよりはまともだと言えるだろう。全ての賞金稼ぎが、そうだとは言えないが。
 言葉と共に怒気を吐いて一息つくと、おれは尋問に戻った。サイ・ブラスターを構え直して。相手の怯えを堪える表情が、この状況では、妙に滑稽だった。
「お前の上役とやらとは、どうやって連絡を取っていた?できるなら今、それをやってくれ」
「それは……できるかどうか分からない。いつも、向こうから通信してきたから。こちらから呼び出す事はなかった」
「一方通行か。まあその方が、使い捨てる方としても気が楽かも知れないな」
「おれは、使い捨てられたのか?」
「今の状況をどう思う?お前がそれをどう思っているか、それにおれは干渉するつもりはないぜ」
「…………」
「ま、お前さんの境遇にはおれは興味はない。おれが興味があるのは、お前の上役とやらだけだ。宣言通り、お前の乗ってきた浮揚車を頂く。お前は、好きなようにしろ。ま、これを期に真面目に生きていく事をお勧めするぜ。賞金首リストに載ったら、おれは次は、容赦はしない」
 紙のように白っぽくなった顔の運転手を無視して、おれは運転席に乗り込んだ。真由もブラスターを片手に、助手席に乗り込む。死体が中に転がっていないのは幸いだった。エンジンスタート。車輪収納。おれ達はこいつらがやってきた方向に向かって、浮揚車を走らせる事にした。低速で。
 走らせながら、通信機をオンにする。しばらくはホワイトノイズが流れるだけだったが、やがて聞き覚えのある声が、通信機から流れてきた。
「やあ。壮健かな。北斗七輝君」
 セトの声だった。半ば、予想通り。おれは通信機のマイクを取り上げた。
「お陰様で、わりといい運動をさせて貰ったよ。やはりお前の差し金か」
「まあ、大体の所はね」
 控えめな答えが返ってきた。
「真っ直ぐにこちらに向かってもらう気は、最初から無かった。言ったはずだよ、色々と試させてもらう、とね」
「悠長な事だな。その間に、他の組織とやらの横槍が入って、おれがそっちに行ってしまったらどうする気だ?」
 セトは悠然とした風で答えた。声だけだが。
「多少は困る。だが、君の価値を正確に理解しているのは、恐らくは私だけだ。今動きを見せているのが私だけだというのが、その証と言えるだろう」
 おれは拍子抜けする所だった。
「何だ。お前が他の組織などとほのめかすから、複数の組織が動いてるものだと思っていたぜ。要するに、今はお前の事だけを考えていればいいんだな」
「今は、そう。その通り。だが油断はできない。いつ、横槍が入るかは私にも分からない。あまり悠然と構えられても、私としても困るね」
「お前としては、どうしてもおれに自分の元へ来てもらわないとならない訳だ」
「ああ、そうだね。それまでどうか、死なないようにしてくれたまえよ」
「殺されなきゃ死なないさ。どうしてそこまで追いつめられなければいけないのか、理解できないんだがな」
「追いつめられれば、君の力は覚醒する。覚醒しやすくなる。そうではないかな、北斗七輝君」
 確かにそれは、セトの言う通りだ。おれは追いつめられれば追いつめられるほどに、サイファとしての力が覚醒する。恐らくは、より強く。例えば、数百メートル上から飛び降りても、無事なほどに。しかしそれが、何を意味するかは分からない。セトには何か目的があるのだろうが、それが何かも、分からない。おれの限界を測っているのか。それにしては、やり口が中途半端な気もする。こいつは、一体何がしたいのだろう。おれの感覚としては、遊ばれている、というのが最も近い。気分は良くないが、もしそうだとしたら、シリアスな生命のやり取りというものは、セトは考えていないのかも知れない。あくまで、セトのレヴェルでは、だが。おれにとっては浮揚車が狙撃された時も、先程多数のチンピラに襲われた時も、シリアスな危機だった。だがその程度の危機、セトは危機とは認識してはいないだろう。確かに、おれはその危機を乗り越える事ができた。それを最初から予測していたとしたら、今のこの反応も納得がいくような気がする。遊ばれる立場のおれとしては、面白くないが。
「セト。何が狙いだ?」
 おれの問いに、セトはやはり悠然とした声で答えた。
「私の狙い。目的かな。私の目的とは、君に会う事だ。そして、君にこの世界の真実を伝える事。最後に、君が私を殺す事だ」
「おれがお前を殺す、か。前にも言ったと思うが、おれは殺し屋じゃない。手配もされていない奴を、そう易々と殺す訳には行かないんだがな。死にたいのなら、勝手に死ね。おれが手を下すまでもないだろう」
「そういう訳には行かないのだよ、北斗七輝君。私に会えば、それが分かる」
「会えば分かる、か。まるでお前が、人間じゃないみたいな言い分だな」
「ある意味ではそう、その通りだ。私は人間というカテゴリーには収まりきれない存在だ。そして君も、そうなんだよ。北斗七輝君」
「おれが人間という枠からはみ出しているというのは自覚してるよ。それが、サイファという存在なんじゃないのか?」
「私は君に言ったはずだ。サイファという言葉に惑わされるな、とね。しかし君の言葉は真理の一部を突いている。サイファとは確かに、この世界における人間という枠からはみ出した存在だ、という解釈は成り立つ。しかし、それだけが真実ではないのだよ」
「セト。言いたい事があるなら、今言っても構わないだろう。思わせぶりな言葉は止めにして、はっきり物を言ったらどうだ?」
「そうはいかない。それでは観客が、満足しない。それでは、我々が存在している意味がなくなる」
「観客だと?」
「そう。そう呼んでも差し支えないだろう。君と私は、その観客に生かされていると言い換えても良い。エンターテインメントとしての人生、エンターテインメントとしての戦い、そして今この会話もまた、エンターテインメントとして供されている」
「その観客とは、誰だ」
「我々には直接、それを関知する事はできない。そういう次元に彼らは存在する」
「関知できないとは、政治的にか。それとも、物理的にか。そんなシステムが、いつできた。それではおれ達は、闘技場の剣闘士じゃないか。おれの人生そのものが、エンターテインメントだと?冗談じゃない。おれの人生は、おれのものだ。他人の娯楽の為に、生きている訳じゃない」
「私も、そう思っていたよ」
 意外な事を、セトは言いだした。
「私もそう思い、そう願って生きてきた。だが結局、世界のルールを破壊する事は、できなかった」
「世界のルール。それが、おれ達と観客とやらとの線を引く仕組みか」
「仕組み。そう、その通り。だが、それは我々人間が、この世界の人間が創りだした物ではない。そしてこの世界の、オリジナルの仕組みという訳でもない」
 そこで一旦言葉を切ると、セトは思い直したように口調を変えた。
「君とは、もっとゆっくりと話がしたい。こんな無粋な機械越しではなく、顔を合わせてね。だから、私の元へと来て欲しい。辿り着く事を期待している。北斗七輝君」
「会いたいというなら会ってやるさ。ならどうして、わざわざ自分でそれを妨害したりするんだ?」
「悪役としての使命さ」
 快活に、セトは答えた。
「ただ、私は悪役としてもあまり才能はないらしい。君には物足りない危機だった事だろう。しかしできるだけの趣向は懲らせてもらう。今度は少し、手強いよ。ま、そこまでは案内させてもらうとしようか。わざと迷わせるというのも面白いが、時間がかかると、観客がだれてしまうのでね」
 おれは頭を掻きむしりたくなった。
「だんだん訳が分からなくなってくる。一体お前はどっちの味方なんだ?おれか。観客とやらか。どちらの立場に立っている?」
「私は、私の為に事を行っている。きみと同じだよ、北斗七輝君」
「自分の為、か。それが一番、まともだよ。お前から初めて、まともな答えが聞けた気がする」
「自分の為と言いつつ、君も他者の為に必死になれるだろう。それは、まともではないのかな?」
「どうかな」
 おれの返事に含み笑いを返すと、セトは通信を切った。ホワイトノイズが車内に流れる。ふと、車内に振動。そして『自動運転』の表示がウィンドウに出る。セトの案内とはこれだろう。
〈外部からの干渉を確認。どうしますか、七輝?〉
 ホルスの報告に、おれは首を左右に振って応じた。
「どうもしなくていい。そのまま、外部の誘導に従って移動する。招待してくれると言っているんだ。招待されるさ。饗応に何を出されるか分からない、というのが不安だがな」
「信用していいのでしょうか」
 真由が疑問を掲示する。おれは頷いた。
「恐らくは大丈夫だ。着くまではな。だからゆっくり休んでいたらいい」
 そう言っておれは、シートに身を預けてリラックスして見せた。
「信用しているのですね。あのセトという男の言う事を」
 真由は重ねて問うてきた。おれは真由を見やって答えた。
「気に入らないか?」
「……え?」
「おれが、セトを条件付きででも信用している事を。気に入らないならそう言ってくれていい。だが実際、他に手がないのも事実なんだ」
「それでは、不満があっても従うしかないじゃないですか。七輝さまの仰りたい事が、分かりません」
 憤然としている真由を見やりながら、おれはいい加減に聞こえるように応じた。
「愚痴さ」
「はい?」
「気に入らないなら、溜め込むな。愚痴でも言って、発散するのがいい」
「……はい」
 真由はそう返答すると、深呼吸をひとつした。そして改めて、おれの方を向いて口を開いた。
「七輝さまは、あのセトという男を、随分と信用しているように思えたんです。セトと会話している七輝さまは、何というか、楽しそうと言うと語弊があるかも知れませんが、私にはそんな風に見受けられました。私など置いてけぼりで、どんどん知らない所へと言ってしまうような気がして、それが不安です」
 おれは身体を起こして真由を見つめた。
「置いていったりはしない。一緒にいるさ。おれも、真由と別れたりはしたくない」
 気休めなどではなくおれの真情なのだが、真由にそう受け取られるとは限らない。おれが彼女の顔色をうかがっていると、真由はくすり、と微笑んだ。
「はい。置いていったりしないで下さい。そうでないと私、後ろから七輝さまを撃ってしまうかも知れませんよ」
 その言葉が冗談か本気か、判別がつかない。ただはっきりと分かっているのは、女は怖い、という事だ。怒らせないに越した事はない。しかしだんだん思考が卑小化していっているようで、それが我ながら情けない。それを誤魔化すのに頭を掻き回すと、真由が隣でくすくすと笑っていた。顔が赤くなるのを隠す為に、おれは大声を張り上げた。
「ホルス!お前の意見はどうだ?」
〈私の意見?今更それを聞いてどうするのですか。もう目的地は決まったのでしょう?私には、今できる事はありません。目的地に着くまでは、ゆっくりさせて貰いますよ〉
 おれは舌打ちしそうになるのを堪えた。
「意地の悪い事言いやがって……」
〈心外な。私は冷静に、今私ができる事を報告したまでです〉
「そうかなあ……」
〈それ以外に、何があるというのです?私が七輝のフォローをしなかったからといって、私が責められる謂われはないと思いますが〉
「やっぱり、分かってたんじゃないか」
〈まあ、そのくらいは〉
「ホルス!」
〈愚痴は聞きませんよ。私の性能が勿体ない。その様な事に、私を使わないでください〉
 明らかに、からかいを含んだ口調で、ホルスが言った。真由もくすくす笑う。面白くないが、これもまた、ひとつのコミュニケーションなんだろう。そう思いつつ、おれは車に揺られていた。


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