眼-eye- 06

〈7〉

 夕闇が去って、空は漆黒のローブを身に纏っている。星が、綺麗だ。もう夕飯時は過ぎてしまっただろう。ま、補給できないのは痛いが、一食くらい抜いたって大過ない。おれはそうだが、真由はどうだろう。そう思って彼女の方を見やると、視線が合った。真由は軽く頷く。問題なし、という事か。
 正面には岩壁が広がっている。まさかこの速度で突っ込むつもりではあるまい。その可能性もないではないが、同じような手を二度も使われても、驚く気にもなれない。万一飛び降りる事になったら、今度は前よりも数段楽だ。殆ど足が着く高さで浮揚している。スピードはあるにしろ、おれはその程度の事なら問題ないだろう。真由も。
 そう思いながら岩壁を見やっていると、ふと違和感を感じた。その違和感の正体を知る為に、さらに岩壁を注視する。
 入り口が、あった。小さな物だが、明らかに洞穴などではない、人工物で構成された入り口だ。よくもまあこんな所に、と思わないでもないが、普段は偽装しているのだろう。物資の供給はどうしているのだろうか。ふと、下らない事がおれの頭をよぎった。そんな事、おれには関係ないというのに。
 入り口に近づくにつれて、それは思ったよりも大きなものである事が分かった。鋼鉄製の、大きな扉が付いている。と、その扉が開いた。両開きの扉だ。その中に、浮揚車は迷うことなく突き進んでいく。
「いよいよですね」
 真由が、緊張の面もちでブラスターを握りしめた。おれはそんな真由の肩に手を置いた。
「ああ、いよいよだ。だがそんなに緊張するな。ガチガチになってたんじゃ、いざという時に動けなくなる」
「はい」
 真由は素直に頷いた。おれも、頷き返す。それで、意志の疎通は十分だった。
 浮揚車が、駐車場といった風の一隅に停まる。そこで、おれ達は浮揚車から降りた。さあ、ここから何処へ行ったらいいのか。考えていた時間は、しかしさほど長くはなかった。向こうから、案内を寄越してきたからだ。老年の、執事風の男。どうにもぶっているが、しかしその服装は、この無機物がひしめくこの場所には、いかにも不似合いだった。
「北斗七輝さまと、お連れの方、ですね」
 老紳士の確認に、おれは頷いた。すると老紳士も頷き、「こちらへ」と先導を始めた。無論、ついていく。無機物の集積場所に見える、この駐機場には不似合いな、大きな樫の扉がある。それを躊躇いもなく、執事風の男は押し開いた。
「ほお……」
 感嘆の声が、おれの口から漏れた。
 扉を抜けると、そこは豪奢なホールだった。正面階段から、二階へと上がると正面にまた大きな樫の扉が見える。上を見上げると、豪奢なシャンデリア。まるで、どこかの城の中のようだった。
 舞台装置が虚構めいていれば、演出もまた、虚構めいていた。二階の扉が押し広げられると。中から一人の青年が現れた背は高いが、痩せている。しかしひょろ長い印象はなかった。細身の長剣を、磨いたようなイメージ。顔つきも鋭い。そいつは、聞き覚えのある声でおれに話しかけてきた。
「よお北斗。直接会うのは、久しぶりだな」
「……兵頭か」
 こいつが、目の前にいるこの男が兵頭か。しかし何故、こいつがこんな所にいる。こいつも、セトの仲間だったのか?
「兵頭。お前どうしてこんな所にいる。センターに連絡とやらはどうした」
「したさ。そしたら突然、お前が賞金首のリストに載った」
「なんだと!?」
「みんな驚いたぜ。あのSクラスサイファの北斗七輝が賞金首だ。みんな、尻込みしちまった」
「お前は、そうじゃないみたいだな。やる気十分に見える」
 二階から伸びる大階段を一歩一歩降りてきながら、兵頭はニヤリと笑った。
「実のところ、俺は楽しみにしてたんだ。こういう日が来る事をな。サイファ同士でやりあえる、そんな日を」
「おれは、何の犯罪も犯しちゃいないぜ」
 一応そう言ってみたが、兵頭は頭を左右に振った。
「実際にこの世界で犯罪を犯したかどうかなんて関係ない。お前は、今は犯罪者だ。そうレッテルを貼られたんだ。理不尽には違いないだろうが、諦めろ」
「お前だったら、諦められるか?」
 おれの問いに、兵頭はニヤリと笑って答えた。
「俺はあきらめの悪い男でね。寄ってくる蠅は、叩き潰す」
「なら、おれと同じという事だ、兵頭。おれもお前の言葉に納得できない。しかしなぜ、おれが賞金首になったんだ?その理由を、知っているか」
「いや、知らない。ただ、あっちでは結構な騒ぎだぜ。Sクラスのサイファと言えば、お前の他に七人しかいなかったんだからな」
「お前も、その内の一人という訳か?」
 兵頭はニヤリと笑うだけで答えなかった。肯定も、否定も、しなかった。なかなか測りがたい奴だ。手強いと感じる。今は敵に変わった、相手。おれはその実力を知らない。知っていたのかも知れないが、覚えていない。真由も、知らないだろう。兵頭の事すら知らなかったんだ。それは無理もない。おれは真由の肩を押した。後ろへ。真由は一瞬抵抗したが。おれが重ねて押すと。素直に後ろに下がった。そんな真由を見て、兵頭は意外な事をのたまった。
「その女が、お前のサーヴァントか。なるほど、良くできたサーヴァントだ。さすがA級。B級の俺のサーヴァントとは出来が違う」
「真由が、サーヴァントだと?違う。彼女は、人間だ」
「今のお前からは判別できないだろうが、俺にははっきり分かるんだよ。その女は、サーヴァントだ」
「どうやって判別付けるんだ?まさか腕を折って、なんて言うなよな。そしたらおれは、真由を守る為に戦うぜ」
 兵頭は苦笑したようだった。
「サーヴァントの為に戦う?やめとけやめとけ。俺もどうせ、そんな女には興味はない。今、興味があるのはお前だけだ。北斗七輝」
「それを聞いて安心したよ」
 おれは兵頭と真っ正面から向き合いながら、そう答えた。サイ・ブラスターを意識しながら。見れば兵頭も、レイガンを持っている。まだ構えてはいないが。
「で、どうする兵頭。昔の西部劇みたいに、早撃ち競争でもやるか?それともコイントスか?」
「お前と真っ正面から撃ち合うなんてごめんだな」
 兵頭は言った。言うと同時に、兵頭の姿が掠れていく。消えていく。なんだ、なにが起こっている?
 やがて兵頭の姿はすっかり消えてしまった。しかしそこに存在しているというか、兵頭の気配のような物は感じられる。しかし、どこにいるか、特定できない。言うなればこのホール全体に、兵頭の気配を感じるのだ。ホールが、兵頭になったかのような錯覚を覚えさせるほどだった。
「兵頭。何をした?」
 おれはどこへともなく問いかける。どこに兵頭がいるか分からないから、仕方のない事なのだが。するとホールに反響するように、兵頭の声が聞こえてきた。
「これが俺の、サイファとしての能力だ。自他の境界線を曖昧にし、存在確率を揺らがせる事で、その場全体に俺という存在が在るという現象を引き起こす事ができる。今このホールは、俺であって俺でないもので満たされているんだ。俺の奥の手だが、これを破ったものは、未だかつていない。さあ、これを敗れるか、北斗七輝!?」
 おれは答えた。
「破らなければ勝てないというなら、破ってみせるさ」
 答えながら、兵頭の言った言葉の意味を吟味してみる。
 兵頭は存在確率を揺らがせる事によって、この場全体に兵頭という存在を広げたという事らしい。それはつまり、このホールの中全てが兵頭であるという事だ。しかし、存在率が確定していない以上、このホールのどこにも兵頭という存在はない事になる。このホールのどこにでもいて、どこにもいない状態。まさしく今の兵頭は、そういう状態だった。シェレディンガーの猫。箱を開けてみるまで、いるかいないか分からない。このホールは今、シェレディンガーの箱の中という訳だった。これが、兵頭のサイファとしての能力か。大したものだ。
 不意に、背後から殺気!おれは咄嗟にその場から飛び退く。レイビームが今し方までおれが立っていた所を通過して、壁に当たって穴を穿った。なかなか高出力のレイガンだ。当たる所に当たれば、即死確定だろう。
「なかなかやるじゃないか。これで終わると思っていたが」
 相変らずホール全体から、兵頭の声が響いてくる。おれは答えてやった。
「この程度で終わってるなら、おれは今日三度は死んでるよ。もっと本気でかかってきたらどうだ?」
 兵頭は怒るでもなく、飄々とした風で言った。
「一発で死ねた方が楽に逝けると思ったんだがな。まあいい。お前が望むなら、ちょっとペースを上げてみようか」
 今度は右側から殺気。おれは再び飛びすさる。眼前をレイビームが奔る。今度は左上から殺気。休む間もなくおれはレイビームから身体を守る。全く、サイ・ブラスターを抜いている余裕もない。いや、今、できた。レイビームが襲ってくる一瞬の間隙に、おれはホルスターからサイ・ブラスターを引き抜いた。しかし、それでなにができるというのか。何かが、できる筈なのだ。しかし、レイビームをかわすのに意識を取られて、なかなか思考がまとまらない。
 眼前から閃光。おれは頭を仰け反らせてかわす。次は真上。その次は左から。サイ・ブラスターを抜いたまま、おれは兵頭の攻撃をかわすのに専念せねばならなかった。このままじゃ、じり貧だ。何か、手はないか。
 脇の下、あばらの辺りから殺気!こいつは、射出口の距離もコントロールできるのか。おれは転がって、レイビームをかわした。そのままレイビームの雨が降ってくる。二転、三転して跳ね起きる。そこまで来て、ようやく思考がまとまり始めた。
 おれは殺気、レイビームの射出口の大体の位置を感じ取る事ができる。ならば、サイ・ブラスターでそれを打ち壊す事はできないだろうか?できないかもしれない。だが、やってみる価値は、ある。
 転がっている間に、おれは階段の最下段付近まで来ていた。そのまま、階段を数歩、駆け上がる。背後から殺気。おれは振り返って、その殺気めがけて、サイ・ブラスターを撃った。何かが弾ける音。レイビームは、発射されなかった。成功か?
「なるほど。そのブラスターはただのブラスターじゃないな。存在率を限りなく高めたとはいえ、未だ不確定な要素を未然に潰す事ができるとは」
 兵頭の、感嘆の声が聞こえた。
「しかし、そこまでだ。俺自身には何のダメージもない。その程度では、俺はやれないぞ、北斗」
 それは確かに、その通りだった。おれは対兵頭戦における防御策を発見したに過ぎない。積極的な、攻撃策が必要だ。しかし、こんなどこにいるかいないかも分からない奴を相手に、どうやって戦えばよいのか。それを考える時間稼ぎにはなる。今の手は。
 おれは再び階段を降りて、ホールの真ん中に陣取った。肩の力を抜いて、リラックスしながら両手でサイ・ブラスターをホールド。つま先立ちになって、どの方角からでも対応できるように姿勢を作る。
 殺気が現れた。頭上と正面。二カ所同時だと!?サイ・ブラスターで潰しながら驚く俺に、兵頭はご親切に解説してくれた。
「俺は存在率を自由に操作できる。存在率を複数の場所で高めてやれば、今のような真似は簡単にできるという訳さ」
 だからこういう真似もできる。そう言いながら兵頭は、三カ所から同時にレイビームを発射してみせた。おれに向かって、ではない。何もない空中に向けてだ。デモンストレーション。三つの光線が、交差して消えた。
「さてそれじゃ、お互い手の内を見せ合った所で、第二ラウンドと行こうじゃないか」
 戯けた風で、兵頭が宣言した。
 上下左右から、レイビームが乱舞する。おれはその間をかいくぐり、時にはサイ・ブラスターで発射口を潰しながら、次の手を考え始めた。身体は始終動いていても、頭の中は妙に醒めていて、まるでこうして兵頭の射撃をかわしながら戦っているのが、非現実的にすら感じるほどだった。まだ肉体の限界まで余裕があるのか、それは分からない。だが、今の状況では有り難い事だった。
 おれのサイ・ブラスターは、おれの意志力を原動力として機能している。正確には、最・ブラスターの中の何かが、おれの意志力を原動力としている、というべきか。それが何かは、分からない。調べてみるべきだったかもしれないが、後の祭りだ。流石に、今バラして調べてみようという気にはなれない。とにかく、そういう代物だ。おれのサイ・ブラスターとは。意志力を原動力としているという事は、おれの意志をある程度反映しているという事だ。それは、いくつかの例から判明している事実だ。また、サイ・ブラスターは不確定要素にもある程度干渉する能力があるらしい。それは先程の兵頭の言葉から判明した事だ。この二つは、何を意味しているのだろう。眼前をよぎったレイビームを避けながら、俺の思考は持続している。
 おれの意志を反映する武器。不確定要素にすら干渉する能力を持つ武器。そんなサイ・ブラスターを有効に使う手は何だ?それを考えるには、まず兵頭がどういう状態にあるかを考える必要がありそうだった。
 兵頭はこのホールのどこにでもいて、何処にもいない状態。一言で表わすなら、そう言う状態だ。このホールならどこにでも、好きな場所に現れる事ができるだろう。逆に言えば、そういう一瞬しか、兵頭を狙い撃つチャンスはないという事になる。一般的には。だが、おれにはサイ・ブラスターがある。この武器は、不確定要素すら打ち砕く事のできる性能を持っている。ならば、このホールの、兵頭である不確定因子を片っ端から吹き飛ばしていくか。いや、それは非現実的だ。このホールに満ちている、一体どれほどの不確定因子を潰せば、兵頭のとどめを刺す事ができるというのか。考えただけでぞっとする。何億何十億、あるいはそれ以上という数の因子をひとつひとつ、狙い撃ちしていく?それならまとめて焼き払う方が効率的だ。まとめて焼き払う、か。おれのサイ・ブラスターにそういう発射機能が付いていたら、話は簡単なのだが。しかし実際は、そうではない。できて、連射程度でしかない。せめて兵頭の実像なりと、捉える事ができれば、サイ・ブラスターでも十分勝機が見えてくるのだが。
 兵頭の攻撃は、いよいよ激しさを増してくる。四本のレイビームが一度に五本、六本と増える。おれはそれを時には避け、時には撃ち潰しながら、思考を続ける。膠着状態。そう他者には見えるだろう。実際に、そうだとは一概には言えない。おれは今の所手詰まりだが、兵頭の余力は知れない。まだ何か、奥の手を持っていそうな気もする。おれの過大評価か。だと言うならそれでも構わない。しかし、おれの勘が、告げている気がする。この程度では、終わらない、と。どんな手段を、兵頭が残しているかは分からない。だが、まだ何か余裕のようなものを感じる。余裕があるという事は、奥の手があるという事だ。頼るべき二の太刀があるという事は、一の太刀に余裕ができる。場合によっては隙ともなり得るが、兵頭はそんなへまはしない。万一へまをしても、こんな状況で、どうやって隙をつけるというのか。並の人間ならとっくにお陀仏だろう。おれでも、気を抜けば同じ事だ。またしても、サイ・ブラスターと回避運動でレイビームの射線をかわす。そうしながらおれば、どこにでもあって、どこにもない状態とは、どういう状態なのだろうかと考えた。
 恐らくは、おれの想像を絶するような状態なのだろう。それが、想像できる。想像できるというのはよい兆候だ。そこから、答えを見いだす事ができる。的はずれだとしても構うものか。殺されない限り、おれは生きている。生きている限り、考え、試す事はできるのだ。そうしていつか、正解へと辿り着いてやる。そんな決意はともかくとして、おれは想像せねばならない。兵頭の、今の状態を。どこにでもいて、どこにもいない。それはつまり、ここが兵頭の核であるとかそういう部分はなくて、不確定因子の全てが兵頭であり、要するにそこから兵頭が別の不確定因子に逃げ出す事ができなければ、おれは兵頭を倒す事ができる、という事ではないだろうか。或いは全ての不確定因子に、兵頭が逃げられなくする、そういう状態に持ち込めば、兵頭の本体が出て来ざるを得ない。だがどちらも非現実的だ。そもそも核という物のない兵頭の存在情報を、どうやって追いつめたらいいと言うのだろう。不確定因子は、それ全てが兵頭であるという核になりうる。それ全てを破壊するという行為が非現実的である以上、追いつめるという手段もまた、廃案にならざるを得ない。だがまてよ、とおれは思いつく。全ての不確定因子が兵頭であるという核になりうるのであれば、そのひとつを撃ち抜けば勝負は決するのではないか。当たり前の事のようだが、ひょっとするとこれは重要な事なのではないだろうか。要は、そのひとつが兵頭にとって致命的であればよいのだ。さらに、おれのサイ・ブラスターはおれの意志に反応して威力を変える。ならば、効果もまた、変えるのではないだろうか。兵頭である、という因子を撃ち抜けば、それがあたかも、兵頭自身を撃ち抜いたかのように作用する、という事は考えられた。都合の良い考えだろうか。おれにとって都合が良いというのは確かだ。だが今の所、それに賭ける以外にチャンスがない。サイ・ブラスターの性能を信じて、やってみるまでだ。
「よく避ける」
 兵頭が感嘆の声を再び発した。
「ここまで避け続けたのはお前が初めてだよ、北斗。だがこれで終わりだ。おれも、本気を出す」
 確定因子にまで高められようとしている不確定因子の群れが、おれを取り囲む。その数は尋常な物ではない。これを一声発射されれば、確かにおれは何もできずに蜂の巣だろう。だが、好都合だとも言える。先程思いついた手段を、試してみるチャンスだ。尤も、外せば、終わりだが。
 おれは兵頭を思い浮かべる。それを手近なひとつの因子へとイメージを重ねる。兵頭のイメージと因子とを扉にして、兵頭へと届け、とおれは念じる。念じる力は意志の力だ。サイ・ブラスターのエネルギー。その矢が兵頭を貫くよう、おれは念じながらトリガーを引いた。くたばれ、兵頭。
 おれの体内から力をごっそりと引き抜くようないつもの感覚とは別に、細く鋭い氷のようなイメージがおれの脳裏を一瞬走った。その氷は矢となって一つの小さな的を貫き、その背後にあった大きく広がる精神イメージへと突き刺さる。兵頭の困惑、動揺。そんなものがおれに伝わってくる。その氷の矢を辿るように、サイ・ブラスターの射線が兵頭を、確かに貫いた。
 イメージの波が去ると、おれは跪いていた。今のは結構、こたえたらしい。そして向こう側、階段に寄りかかるように、兵頭の姿があった。胸を、撃ち抜かれて。駆け寄ってきた真由の手を借りておれは立ち上がると、兵頭の元へと歩いていった。
 先に口を開いたのは、兵頭だった。
「よう。あの状態から、よく俺を殺せたな」
 おれは真情から応じた。
「こいつの、サイ・ブラスターのお陰さ」
 へっ、と兵頭は口を歪めた。
「道具は所詮、道具に過ぎない。それを活かし切った、お前の機転の勝利だよ」
「そうかもしれない。だが、サイ・ブラスターがなければ、おれもお前に殺されていた。その点だけは、確かだ」
「……仮定論は現実には勝てない。今ここにある現実は、お前が勝って、俺が負けた。それが、全てだ。細かい要素なんて、俺にとってはどうでもいい事さ」
「……お前にとっては、勝ち負けが、全てなのか?」
「……いいや、そうでもない。心残りって言っちゃ何だが、ひとつ頼みが、ある」
「何だ?」
「俺のサーヴァントだ。引き取ってくれないか?俺のアジトにいる。お前のサーヴァントと違ってB級だが、あれでも愛着みたいな物があってな。他の奴には、渡したくない」
「分かった。引き受けよう。他に言い残したい事は、ないか?」
「ない」
 明瞭に、兵頭は言いきった。
「一度でいいから、サイファ同士で戦ってみたかった。その望みが叶ったんだ。もうこれ以上、この世界で思い残す事はない……おい、北斗」
「……なんだ?」
「俺は、このゲームを辞める。だがお前は続けざるを得ない。おまえはこのゲームから降りる事はできない。で、こんな事を言うのも変だが、がんばれよ」
 おれは頷く。元より、負けるつもりはなかった。
 兵頭は言いたい事を言い終えると、もうなにも言わなくなった。物言わぬ、屍。おれは彼の目を閉じさせてやった。そうして、軽く黙祷。見れば真由も、同じように祈っていた。
 ふと心づいて、おれは真由に尋ねた。
「真由。お前は何の神を信じているんだ?」
 真由はきょとんとして、おれを見つめ返してきた。
「神様、ですか?いいえ、私は不信心者です。特に信じている神は、いません。敢えて言うなら……七輝さま、あなたです」
「おれ?」
「はい。私にとって、唯一信じられる対象。それが七輝さまです。私が信仰しているとしたら、その対象は七輝さま以外に考えられません」
「おれは全能じゃないぜ。間違う事もあるし、失敗する事もある。それでも、信じていられるか?」
「でも七輝さまは、その誤断や失敗を他人の責任にしたりはしません。その姿を見て、私はこの人なら信じられる、そう思ったんですよ」
「いつ?」
「七輝さまと、出会った時です」
 嬉しそうに、真由は言った。
「だから今も、きっと七輝さまが勝つと信じていました。そう願って、叶えてくれる方だと思っていましたから」
「辛勝だったがな」
 事実通り、俺が報告するが、真由は嬉しそうに微笑むだけだった。そんなにおれが勝った事が嬉しいのか。いや、勝てた事自体はおれも嬉しい。だが同時に、手がかりも同時に失ってしまった気もする。それに、短い間だったとはいえ、交流のあった相手だ。自分の手にかけるのは、あまり心地よい体験ではなかった。
 ぼうっと突っ立っているおれの横顔に、何か柔らかい物が触れた。振り向いたおれは、それが背伸びして抱きしめてきた真由の胸であった事に気付いた。柔らかい、暖かな、心安らぐ、感触。
「……真由?」
 おれの問いかけに、真由はおれの頭を抱え直して、静かに答えた。
「何も、仰らないでください。私にはこうして、慰めてさし上げる事しかできませんから。こうしている事で、少しでも七輝さまが元気を取り戻してくださるのなら、私はいつまででも、こうしています」
「……ありがとう」
 大の男が、女の胸で慰めて貰うのは、見ようによっては情けない光景に違いない。だがおれは、真由の心遣いが嬉しかった。だからしばらく、こうしていた。
 おれにはこうして、帰る所がある。真由の側が。そういう場所があるというのは良い事だとおれは思う。兵頭はどうだったのだろうかとおれは想像する。確か、B級のサーヴァントがいるという話だった。サーヴァントが何か分からない。だが、おれに託すという事は、それなりに大事なものだったのだろう。遺言は、守ってやらないとならない。そういえば奴は、真由の事をA級のサーヴァントだと言っていた。サーヴァントとは何か、それを言わずに兵頭は逝った。その答えを、この先にいる者は、持っているだろうか。正直、知らなくても良いという気分もある。だが、ここまで来たらついでのようなものだった。分からない事は、全て解決しておきたい。物知りになった、と単純に喜んでいられる状況では、恐らくはないだろうが。逆に、ひとつ知ればその度に、深みにはまっていくような、そんな気がする。底なし沼か。その先には、何がある?何が待っている。それでも、行かねばならない。おれが、俺自身を知る為に。恐らくは、セト自身が待っている、そこへ。
 おれは真由の頭を軽く抱いて、身を引き離す。真由も心得たもので、すぐに身を離した。それを待ち受けていたかのように、老執事が前へと進み出た。倒れ伏している兵頭の方は、一顧だにしないで、おれ達に話しかけてきた。「おめでとうございます。すぐにセト様が、お会いになるそうです」
「同士討ちのチケットは、首領様への拝謁権、という訳か」
 おれは鼻を鳴らした。気に入らないが、これもまた、セトの用意したテストとやらなのだろう。とりあえずの間、付き合うより他はなかった。


よろしければ感想をお願いします。

『作品タイトル』『評価(ラジオボタン)』の入力だけで
送信可能なメールフォームです。
勿論、匿名での投稿が可能になっております。
モチベーション維持の為にも、評価のみ送信で構いませんので、
ご協力頂けると有り難いです。

メールフォームへ移動する前に、お手数ですが
『作品タイトルのコピー』をお願い致します。

ここをクリックすると、メールフォームへ移動します。


前へ 目次へ 次へ→