眼-eye- 08

《9》

 真由は話し始めた。
「当初、このプロジェクトは、軍の強化人間を創ろうという発想から生まれました」
 セトが口を挟んだ。
「そのプロジェクトなら知っている。確か、とうの昔にご破算になったプロジェクトだったと思うが」
「ええ。その筈でした。シムカ・ジェムが発見されるまでは」
 セトが舌打ちした。この男、シムカの事については感情的になる傾向がある。何か、謂われがあるのだろうか。おれはそんなセトの反応を横目で見ながら、真由の話に聞き入った。
「シムカ・ジェムが発見されて、文字通り無尽蔵のエネルギーが確保できました。そこで軍は考えました。この実験施設自体を、秘匿できないかと。その鍵になったのも、シムカ・ジェムでした」
「軍は、火星軍はシムカ・ジェムが異世界へのゲートである事を知っているのか?」
 そう問いかけるセトの口調は落ち着きをやや失って見える。しかし真由は構わず、首を左右に振った。
「いえ、あくまでシムカ・ジェムによる装置の成功だと考えました。シムカ・ジェム自体がそういう特性を持っていたとは、考えなかったのですね」
「結局は、同じ事だ」
 セトが深いため息をついたので。おれは言い募った。
「何が、同じ事なんだ?」
 セトは首を左右に振った。
「シムカ・ジェムが世界間移動用のゲートとして使われた、という事だ。私はそれを防ぐ為、これまで活動を続けてきたというのに」
「シムカ・ジェムは今でも謎の結晶体だ。お前が知っている事だけが全てじゃないだろう。隠していても、いずれ、誰かが見つけだす」
「それを私は、ずっと阻止し続けてきた。この組織は、その為のものだ」
「どうしてそこまで偏執的になれる。世界がシムカ・ジェムで繋がった程度、どうだというんだ?」
 セトは厳かに言った。
「メタ世界単位での混乱が起こるだろう」
「メタ世界?」
「我々の世界をミクロな世界と仮定すると、それを包括するマクロな世界だ。現在においては、思弁上のものに過ぎないが、しかしそれは確かに、ある」
「そのメタ世界が混乱すると、どうなるんだ?」
「各々のミクロな世界で、大混乱が起こるだろう。どんな混乱かは、その世界の性質による。水の多い惑星なら大洪水が起こったり、逆に水が全くなくなったり、する。そんな混乱が、各世界で起こりうるんだ」
「どうしてそれが分かった」
「いくつかのシムカ・ジェムの入出力エネルギーから、各シムカの常動エネルギーは一定値を示す事が分かった。それが即ち、世界が安定しているという証になる。そう定義するんだ。それから、いずれかのシムカにエネルギーを注ぎ込むとどうなるか……」
「そのシムカ・ジェムはエネルギー過剰状態になるな」
「その状態を観測した。地獄だったよ」
 セトの口調は重く、皆が口を閉ざすのに十分な重量を持っていた。
 その重い沈黙を振り払って、おれは再度口を開いた。
「しかし、それが先程の話とどう結びつく。真由の話では、軍の奴らは新たな世界へと扉を開いただけだぜ」
「それが、シムカへとエネルギーを注ぎ込む行為なのだ」
「なるほどな。それは有り得る話だ。それで真由。その世界は結局どうなった?」
「細かい経緯を省略すれば……崩壊しました。施設ごと」
「何年、持った?」
「一八年、です」
「お前と同じ歳か」
「……ええ」
 おれは真由の頭をぽん、と叩いてやった。
「運が、良かったな」
「……はい」
 真由の顔色はそれ程晴れる事はなかった。その時の惨状を、思い出したのかもしれない。「という事は、軍によって消滅したシムカがある、という事か」
 感傷を打ち砕く声で、セトが言った。精力的な男だ。とても、ベッドで暮らす病人には見えない。
「それで話が途中になったが、君はその世界で何をされた?どんな手術を受けたりしたのかな?」
「カプセルに入れられて、促成培養を受けました。その後、戦闘などあらゆる訓練を受け、そのデータを提供し、最期に、処分されれる予定でした」
「処分だと?」
 おれは驚いたが、真由は平静だった。
「はい。私達はテストタイプ。私達のデータを元にプロトタイプが創造され、量産タイプが創られる予定でした」
「お前が生き残れたのは、まさに奇跡、という訳か……」
 まゆはゆっくりと微笑んだ。
「そうですね。そう言えるかもしれません。この世界が崩壊しなければ、私は七輝さまと出会う事もなかったのですから」
「雨の日、だったか?」
「え?」
 唐突におれが言いだした言葉に、真由はすぐに心当たりに突き当たる事ができなかったらしい。おれはさらに言い募った。
「お前は傘も持たずに手荷物だけ持って、雨に濡れてたんだよな。雨宿りくらいすればいいものを」
 真由の顔に、理解の色が広がる。おれは、彼女の頭にてをぽんと置いて訊ねた。
「なんて、言ったんだ?」
 くすりと笑うと、真由は答えた。
「迷子の子猫を拾うのは趣味だ、付いてこい、って」
「なんて奴だ」
 おれはその時の俺自身と真由に、呆れかえった。
「おれがアブナイ奴だったらどうするんだ」
「すぐに、警察に通報していたでしょうね。そして私は保護されて……今は何処にいたにいたのでしょうか」
「その方が、良かったかもしれないぜ」
 真由はきっぱりと頭を振った。
「そんな事はありません。私は今の生活に、満足しています」
「もっと平和な生活だって送れるだろうに」
「七輝さまがそう言われたら、どうお返事しますか?」
 おれに返答に窮させておいて、真由はセトに向き直った。
「以上の事情から、この世界がサーヴァントでいっぱいになる、或いは生存競争になるほどの脅威になる、という事態は避けられると思います」
「サーヴァントを創りだしていたのがこちらの世界のものだったとはね。それには気付かなかった。失礼した」
 セトは素直に頭を下げたが、その眼光は鋭いままだった。
「しかし、サーヴァントが生物種として優劣であるという事実は変わらない」
 おれは口を挟んだ。
「そんな事、関係ないだろう。人間何十万何百万に中に紛れ込んだ、たかが数千程度」
 セトはおれの口上を聞き流した風で、真由に尋ねた。
「サーヴァントは、子供は残せるのかな」
「可能……だと思います」
「なら君と北斗君との間には、サーヴァントのハーフが産まれる訳だ」
「それがどうした」
「サイファとして究極の位置にいる北斗七輝、そしてサーヴァントの肉体性能。この二つは、人類の危機たりえないかな」
「たりえるとしたら、おれに聞くんだな。人類を滅ぼす意思があるかどうか。答えは、否だ。これでいいか」
 セトはため息をついたようだった。
「君がそう言うなら信じよう。我々にはそれしか手段がない。それで延ばし延ばしのままになっていたが、北斗七輝君。君のサイファとしての能力を紹介しようそれはすごく単純だ。可能性を、支配する能力だ」
「何だ?そんな事、兵頭もやっていたじゃないか」
「彼のあの能力とは質が違う。勿論、やろうと思えばああいう事も可能だろうが、君の能力は、やろうとした事が既に結果として決定されている、という事だ」
「……つまり、おれが撃とうとした相手は、撃たれる前に死ぬ事が確定している訳か」
「その通り。サイ・ブラスターのビームや銃弾、拳その他などは、全て結果を演出する為の過程に過ぎない。しかもさらに恐ろしい事が、ある。君は失敗をしない、という事だ」「失敗をしない、だと?おれはこれまでの人生、たくさんの失敗をしてきたぜ」
「それは短い目で見た時の一時的な現象に過ぎない。長い目で見た時、きみはその失敗によって、返って利益を得る事になる。そんな経験は無いかい?」
 セトのその言葉を聞いて、鮮明に思い出したシーンがあった。セピア色がかって。おれの脳内のスクリーンで再生される。
 ――おれは夕食を食いに出たが、そこで雨に降られた。振らないと予測していたのだが。くそったれと思いながら、おれは自宅へと引き返そうとした。その視界に、見えたのだ。
 白いサマードレスに同色の鍔広帽を被り、憂鬱そうに雨を見上げていた少女が。視界を動かさなければ入らなかったであろう、その立ち位置は微妙な所にあった。しかし気付いてみればおかしな所だらけだった。こんな余所行き用のサマードレスに、小さな旅行鞄。傘も持たずに、何処へ行こうというのか。
「何処へ行くんだ?」
 疑問が、素直に口をついで出た。
 少女が、おれを振り返る。綺麗な瞳の少女だと思った。力強い瞳。生気に満ちた瞳。しかしその口から漏れた言葉は、意外な、ものだった。
「帰る所、無いんです」
 まるでおれに挑戦するかのように、そう言ってのけた少女は、おれを凝と見つめていた。おれもその視線を受け止めるように、見つめ返す。その間、何秒あっただろうか。おれは肩をすくめると、少女に向かって言った。
「迷子の子猫を拾うのは趣味だ。ついてこい」
 そう言って歩き出す。横目で振り返ると、確かに付いてくる少女の姿があった――
 おれは額に手をやる。じっとりと汗が滲んでいた。
「今のはなんだ、セト?急に、記憶が――」
「戻ったのか!?」
 おれよりもセトの方が慌てた風だった。
「一部分だけだが、戻った。真由との出会いのシーンだ」
 おれが努めて冷静に返すと、セトもやや落ち着いたようだった。
「……そうか、その程度なら、問題ない」
「問題ないとは、どういう意味だ」
「その程度ならば、世界に対する反作用も、反応しないだろう、という意味だ」
「世界に対する、反作用?」
 また新しい単語が出てきた。こいつは一体、何を意味するのか。おれの記憶喪失と、関係があるようなのだが。
「観客達がこの世界を閲覧すると決めた時、一定時空でメタ的な膨張が起こる。それを阻止する為の自然現象が様々な世界ではとられているが、この世界では、最強のサイファである君の記憶を奪取する、という方法をとったんだ。念のために言うと、私が決めたんじゃない。世界という、マクロ的な意識集団が決めた事だ」
「……おれの記憶程度で観客とやらが納得するなら安いものだ。そういう事か?」
「君の気持ちは分からないでもないが、そういう事じゃない。あくまで、これは自然現象の一部として捉えて欲しいんだ。それに、確かに観客達も喜んだ。主人公である君が、いきなり記憶喪失だったんだからね」
「……観客とやらは、おれのこれまでの一部始終をずっと見ていた訳か」
 セトは頷いた。
「そう、そして今も、見ている」
 おれは危うく、サイ・ブラスターを引き抜く所だった。その衝動を押し殺すと、セトは苦笑した。
「先にも言ったはずだよ。観客達は、私達の絶対に干渉できないところにいる、とね。例えサイ・ブラスターでも、その壁を超えるのは不可能だろう。それに、何人、いや、人と数える事すら可能かどうか、そんな者を無尽蔵に相手にして、君は勝てると思うかい?」 セトの言葉を聞いて、おれは肩の力を抜いた。それを見て、せとは微笑すると、こう言葉を繋げた。
「さて北斗七輝君。他に私に何か聞きたい事は無いかい?無いならば、私を早く、殺して欲しいのだが」
 そのセトの要望に、おれはしばし考え込んだ。
 このまま治療を受けているのが苦しいから殺してくれ、というのとは訳が違う。セトは病人だが、そんな事は考えてもいないだろう。こいつに聞きたい事なら他にもある気がするし、この先幾らでも増えてきそうな気もする。だが、それを全てセト任せにする、というのもどうかとは思う。だがあれこれ迷うよりも指針にはなる事は間違いないだろう。そうしてあれこれ考えた挙げ句、おれが口にしたのはこんな言葉だった。
「セト、お前はどうして死にたい?」
「生き物として、全うしたいからさ」
 それが、セトの答えだった。
「私は、不死なんだ。それが私に与えられた、サイファの能力だった」
「不死か。それじゃ殺しても死なないんじゃないのか?」
 セトが嘘を吐いているとは、おれは思わなかった。ただ、疑問点を付く。殺しても死なないのでは、殺した意味がない。セトは泰然として答えた。
「殺したら死ぬのさ。ただ、殺しても生き返る。私に生命維持装置が付いていないのは、そういう事情だ。ま、今はそう大病を患っている訳でもないのだがね。だがいずれ、死ぬ。そして生き返る。病弱なままの体でね」
「……フム」
「その輪廻を断ち切るには、君のサイ・ブラスターしかないと気付いたのはつい最近だ」
「シムカ・ジェムを持っているお前なら、こんな物すぐにでも作成できただろう。どうしてそうしなかった?」
「サイ・ブラスターは所有者とセットで力を発揮する武器だ。君でなくては、扱えない。君のサイ・ブラスターの中にいるシムカ・ジェムが、君を選んだのかもしれない」
「シムカ・ジェムが、おれを、か……」
 馬鹿げた妄想だとは思わなかった。シムカ・ジェムは正体不明の結晶体だ。一部では意思を持っているとさえ言われている。サイファがシムカの機能の一部、異世界とのゲートを開くと言うことができるとすれば、シムカもサイファの機能の一部、意思を持っていると言う事は十分に考えられる事ではないだろうか。尤も、個体差もあるかもしれない。おれのシムカが、たまたまそういう性質を持っていた、という事もあるかもしれない。まあ、かもしれぬの連続では話にならない。事実としては、一つだけだ。サイ・ブラスターはおれにしか撃てなくて、セトはおれに撃たれたがっている。シンプルだ。シンプルでないように見せかけているのは、おれの心だ。原理は単純、しかし複雑に見えるのは想いが単純ではないからだ。どこかでそんな文を読んだ気がする。まさしく、その通り。原理は単純、複雑なのはおれの心一つだけ。セトを、殺したくないと考えているおれがいる。あれだけ弄ばれても、おれの心にはセトに対する殺意は沸いてこなかった。セト自身を好感情で見ているから、と言うのも無論あるだろう。決してこいつは、悪い奴じゃない。必要に応じて非情にもなれる男、そんな気がする。そういう男こそが危ないのかもしれなかったが、しかしそれでもおれはセトを殺す、という事に躊躇いを感じていた。簡潔に言うのは難しいが、おれはこいつに利用価値を認めている。そう簡単に、くたばって貰っては困るのだ。 一行で片が付いたが、つまりそういう事だ。おれに、セトを殺す意思は、無い。
 しかし問題なのは、セト自身の気持ちだ。もう永く生きて生き飽きた、と言う気分でいるのかもしれない。老成した、と言う雰囲気をセトから受ける事はなかったが、何度も死んでは蘇る、というのは確かにぞっとする経験には違いない。それをさしおいて、おれはセトに生きておいて欲しいのか。
 その通りだ。おれは自分勝手な理由で、セトに生きておいて貰いたい。こいつの情報は貴重だし、情報収集能力も高い。加えて言えば、おれはこいつに好意らしき物を抱いている。こいつとは、いい友人になれそうな気がするのだ。しかし、これはあくまでも個人的感傷だ。他の者が、何というかは知れない。
 おれは片手でサイ・ブラスターを持ったまま、真由に問いかけた。こいつを殺すか否か、と。真由は頭を振った。
「個人的感情では、この方は殺すべきではない、と思います。打算的感情でも。しかし、この方がそれをどう思うか、結局はそこに集約されると思います」
〈私も、真由以上の答えを導き出す事はできません。これはあなたの問題です。私達の問題にすり替えるのは、卑怯でしょう。自分で考えなさい、七輝。あなたには、それができます〉
 確かにホルスの言う通りだった。個人的問題を、あたかも連帯責任のように見せかけるのは、卑怯だ。それが例え、このような事例であったとしても。これは、おれとセトとの個人的な問題だ。真由とホルスは、関係ない。
 セトはそんなおれ達のやり取りを微笑して聞いている。自分から口を挟む事はなかった。自分の命がかかっているのに。いや、もうこの男にとって、自分の命すら、他者の物のように感じているのかも知れなかった。
「セト。お前の命は、お前の物か?」
 おれの口から、奇異な質問がついで出た。普通、自分の命は自分の物に決まっている。だがセトはこう答えた。
「永い事死んできた。裏を返せば、永い事生きてきた、ということでもあるのかな。そのなかにあったオリジナルの人生という物はあったはずなのだが、今はそれも上手く思い出せない。ここにいるのは、最早、情報収集機能体と化した人体だよ」
「お前は自分を生きていると定義するか?死んでいると定義するか?」
「死んではいないだろう。生きているよ、恐らくはね」
「そうか。ならおれは、お前を殺す」
 自分でもあっさりとした宣言だった。当事者二人は泰然とした物だったが、真由とホルスはそうでもなかったらしい。口を挟んできた。この大事な時に。
「七輝さま、よろしいのですか?この男を、ここで失っても?」
〈人間的な信頼性には欠けますが、情報の信頼性は高い。このような提供者を失うのは損失だと考えますが〉
「落ち着け、二人とも」
 おれは苦笑して、二人をなだめた。
「おれが殺すのは、サイファとしてのセトだ。人間としてのセトじゃない」
〈……説明を、願えますか?〉
「驚きで声も出ない風の真由に変わって、ホルスがそう告げた。
「私もできれば説明を願いたいな」
 ずっと黙っていたセトも、そう口を挟んできた。


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