幻想世界譚 04

〈3〉戦う意味は

〈1〉

 どうしてこんな事になったんだろう。
 湯気を立てる夕食を目前にして、司は呆然としていた。
 夕食は桂木皐改め、皐が作った。実は密かに危惧していたのだが、彼女の料理の腕はかなりのものだった。危険を察知したならすぐにでも交代しようとしていた司だが、結局彼女の手際を眺めやるだけで終わってしまった。
「どうしたの、食べないの?」
 頂きます、と行儀良く手を合わせて、皐は既に食べ始めている。とりあえず司も一口食べてみた。
「……美味い」
「よかった」
 嬉しそうに微笑む皐を見て、悪くは無いなと思い、いやなにかちがうぞ、と司は悩む。
「そうだ、なんでいつのまにか君がうちに泊まる事が決定してるんだ!?」
 箸を置いてうがーと吠える司に、皐はご飯をぱくつきながら答えた。
「だって、私住む所無いんだもの。パートナーがいるなら住まわせてもらうの、当然でしょ?」
「……当然なのか?」
「そ。だから君もそんな慌てずに堂々としてなさい」
 家主より堂々としている居候に言われていたら世話はない。しぶしぶ司は箸を取ったが、この状況を納得していいものかどうか、やはり悩んでいた。
 桂木皐が居候宣言した後、二階の客間はいつのまにか、彼女の部屋へと文字通り変貌していた。あまりの手際の良さに呆然としていた所、皐が横から解説した。
「さっき実演して見せたでしょ?私もその気になれば、この世界を自由に改変する事ができるって。これはその些細な一例だよ」
 なるほど、と思いつつ、司は抗弁を試みた。
「でも、この家は両親のもので、撲は仮家主に過ぎない。勝手に、しかも女の子を住まわせるなんて……」
「その点も問題なし。もうすぐじゃないかな、かかってくるの」
 何が、と問う間もなかった。二階の自室に設置してある子機が自己主張を始めたからだ。
 電話の主は、どこにいるとも知れない父親からのものだった。型通りのやり取りの後、父親は爆弾を投げつけてきた。
「そっちに皐ちゃん、もう着いたか?」
 思わず皐の方を振り返る。当の本人は、にこにこと笑って司の当惑を受け止めていた。再び、父親との会話に戻る。
「なんで父さんが皐ちゃ……桂木さんの事知ってるんだよ?」
「何だ、もう名前で呼び合う様な仲になったのか?まあそれはそれで結構だが……」
「そんな事はどうでもいいっ!質問に答えろ父さん!」
 電話口で怒鳴りたてる息子の声を馬耳東風と受け流し、父親は飄々と言を継ぐ。
「いやいや、どうでもよくはないぞ司。お前が不甲斐ないからだな、親がこうやってお膳立てを……」
「しなくていい!いいから質問に……」
「皐ちゃんから聞いたらいいじゃないか」
 それもそうか、と納得しかけて司は首を振った。それでは意味がない。
「皐ちゃんは今忙しいんだ。とりあえず父さんの口から聞きたい」
「まあ構わんが……皐ちゃんは俺の知り合いの娘さんだ。今度日本に帰る事になったらしいんだが、まだごたついててすぐに帰れんらしい。で、その間うちで預かる事にしたんだよ」
 司は再び皐の方を振り返った。皐はやはり笑顔で、司の視線を受け止める。司は再び父親との会話に戻った。
「息子独りの住む家に可愛い娘さん放り込んで、何かあったらどうするんだよ?」
「何かあるのか?」
「何かあるの?」
 申し合わせたように、父親と皐が同時に聞いてくる。司はムキになった。
「なんかある訳無いだろう!だからって配慮が足りないって言ってるんだよ!」
「何もないなら問題ないだろう」
 涼しげに父親はのたもうた。さらに続けて曰く、
「何かあってもいいぞ、お前が責任取るならな」
「馬鹿も休み休み言え!」
 勢いでそのまま通話を切った。その後で少しだけしまったな、と思う。だが後の祭だった。
「何かあってもいいんだって。よかったね司くん」
 意地の悪い笑みを浮かべる皐。司は思わず頭を抱えた。
「冗談は程々にしてくれないか。本当に襲われたらどうするんだよ。そうならないって保証はできないよ」
「司くんも健康な男子だしね。まあそれはともかく……」
 皐は笑みを消して司に正対した。
「やろうと思えばこんな風に、いくらでもお膳立ては可能だよ。だけど本当はやっちゃいけない」
「疑似世界に干渉する事になるから、か」
「そう。私も本来ならしてはいけないんだけど、必要最低限の改変は仕方なかった。自己保全システムが、私にはなかったからね。でも、危険な行為には変わりないんだけれど」
「危険?どんな」
「敵に私が来た事を知られる危険、だよ。もう実際知られてるかも知れない。何しろここは相手のホームグラウンドだからね」
「それでも、この改変は仕方なかった訳か……」
「うん。『私』をこの世界で保証してくれる存在。それはこの任務にはどうしても必要だった」
「そこが、今ひとつ分からない」
「え?」
 皐は虚を突かれたように目を丸くする。司は構わず続けた。
「どうしてそんなシステムが必要なのか。僕なんかを代わりにするくらいなら、無くてもいいんじゃないかと思えるんだけど」
「そんな事はないよ」
 皐はかぶりを振った。
「繰り返すけど、自己が保証されていない、というのは恐ろしい事だよ。戦術戦闘知性体である私にとってもそう。司くんも、今まで味わってきたでしょ?似たような恐怖を」
「……なるほどね。それで、僕を選んだ理由は?」
「君でなくちゃ駄目なんだよ。私と同じ世界を共有できる存在でなくちゃ、私を保証する事はできない。君はこの世界ではバグ、イレギュラーだけど、だからこそ君と私とは同じ世界を共有できる」
「なるほど……君もまた、この世界じゃイレギュラー、って事か」
「まあね。そうでなくちゃ意味がないんだけど。でないと『アイツ』を倒すなんて不可能だし」
「倒す、か……」
 軽く聞こえるが、その言葉はイコール殺す、としばしば同義で使われる。司は訊ねてみた。
「君が追っているその人物、見つけたらどうするんだい?」
「殺すわ」
 簡潔で明瞭な答えであった。司は重ねて訊ねる。
「補導とか逮捕とか、そういう手順は無しで、いきなり殺す、と?」
「そうよ。『アイツ』はこの疑似世界に飛び込む前から犯罪者だった。さらに疑似世界に手を加えるなんて重犯罪を犯したんだから、助かる道なんてない。私を送り込んだ上位者は、手間を省いたっていう訳ね」
「物騒な話だな」
 正直な感想だった。司が甘いのか、彼女の上位者が辛いのかは、司には判別できない。
 ひとつだけ分かっているのは、そのために皐がここにいて、そして彼女が追っている人物を殺さない限り、彼の苦悩は続く事になる、という事だ。司にとっての選択肢はひとつしかない。
「ねえ、嫌になったかな?」
「何が?」
「私が人殺しのための存在だと分かって、協力するのが嫌になったかもしれない、そう思って」
 司はかぶりを振った。
「いや、どの道僕の意志は変わらない。君に協力して、その犯罪者を殺し、元の真っ当な世界を取り戻す。僕にしか意味はないに違いないけれど」
 頷いた皐は、唐突に質問の方向を変えた。
「ねえ司くん。君は『倒す』じゃなくて『殺す』と表現するんだね」
「どうせ同じ意味さ。なら直接的な方が分かりやすい」
「そっか」
 皐がそれで納得したのかどうか、司には分からない。しかし少なくとも彼女の表情に翳りは見られなかった。
「それじゃ、下で晩ご飯にしようか。私が作るから、司くんはゆっくりしてて」
 急に飛び出した日常的な台詞に、司は我にかえった。
「だからちょっと待った。だから年頃の男女がひとつ屋根の下に住むなんて……」
「親御さんの許可も取った。私の方は問題なし。これ以外になにかあるのかな?」
「……僕の精神的安定は?」
「襲いたかったら襲ってみてもいいよ。そう簡単に襲われてあげないけど」
 軽快に階段を駆け下りていく皐の後ろ姿を眺めやりながら、司は頭を抱えていた。

〈2〉

 夕食の後片づけが済んで、二人はリビングでお茶をすする。幸い皐も紅茶党らしく、コーヒーと紅茶を別々に淹れる手間が省けたのは幸いだった。斎乃家では父親のみがコーヒー党のため、食後は別々に淹れなければならなかったのだ。
「それじゃ、お風呂の前にちょっと真面目な話をしておこうか」
 すっかり居着いてしまった皐が、カップを置いて告げた。司もカップをソーサーに戻す。
「これから二、三日は特に何もないと思う。その間、私は挑発行動にでるわ」
「挑発?」
「そう。と言っても、出てこいと言って出てくる相手じゃないからね。むしろこちらの存在を知らしめてやるの。戦術戦闘知性体がお前を処罰しに来たぞ、って」
「どうやって?」
「簡単よ。私が目立てばいいの。そしたら向こうが勝手にこちらに興味を持つわ。そのうちに私の正体にも気付くはず。私を操ろうとしても、私は『アイツ』の手の内にない、スタンドアローンの存在だからね」
「出る杭は打たれる、しかしその杭が打てないと分かったら……」
「杭自体を排除しようとするか、別方向から攻撃しようとするでしょうね。そこからが本番。多分君にも迷惑がかかると思うわ」
「フム。具体的には?」
「君と私を引き離そうとすると思う。でも絶対にそうさせてはならない。そこで負けないようにして欲しいの」
「難しい要求だな。でももし、学園内に『ソイツ』がいなかったら?」
「学園が『アイツ』の本拠である事は多分間違いないと思う。だけど仮にそうでなかったとしても大した問題じゃない。興味を持たない部分に手を加えたりするはずはないから」
「なるほどね。ともあれ、僕はとにかく君から離されないように頑張ればいい訳か」
「そうだね。でも気を付けて。向こうは権力使い放題だから、どんな手を使ってくるか分からないよ」
「権力か……」
 苦い顔で司は唸った。正直あまり近寄りたくない類のものだ。しかし、それと戦って勝利しなければ、最終的な勝利もない。
 ならば、やるしかない。
「分かった。覚悟しておこう」
「うん、ありがと。それとね、これも重要な事なんだけど……」
「……なにかな?」
 司は緊張して皐の言葉を待つ。皐は告げた。
「明日の朝ご飯、どっちが作る?」
「は……?」
 思わず間抜けな反応になってしまった。皐はすまして、
「ご飯食べてエネルギーを補給するのも大事な事だよ。言うでしょ、腹が減っては戦はできぬ、って」
「まあそうかもしれないけど……」
 脱力して司は応じた。身構えていたのが馬鹿馬鹿しく思える。皐が不満そうにむくれた。
「だって、朝ご飯なんて当番決めとかなきゃ、どっちも寝てたらどうするのよ?お弁当だってあるのに」
「学食があるじゃないか」
「あれ、司くん学食派なんだ」
「弁当にまで手を出す気はなかったからね」
 自炊しているとは言え、司もさすがにそこまで凝っていられなかったのだ。
 すると唐突に皐がぽん、と手を叩いた。
「それじゃ、明日は私がお弁当作ってあげようか」
「いいよそんな、手間もかかるのに」
「朝ご飯のついでみたいなものだよ。そんな手間のかかる事じゃないと思うよ」
 理屈から言えばそうかも知れないが、司にとって朝ご飯とは、簡単な卵料理にトーストとインスタントのスープに紅茶、というメニューの事である。どう考えても、それ以上に手間がかかるのは明白だ。
 それに第一、同じ中味の弁当を持ってきていたら、冷やかされるじゃないか!
 司はそこまで考えて皐を見やった。彼女はどう考えているんだろう。
「皐ちゃん、同じ弁当なんて持っていって、面倒な事になるかも、とか考えない?」
「面倒な事って?一緒に住んでるのに、これ以上面倒な事が起こり得るかな?」
「まあそうかもしれないけど……」
 司は悩んだ。皐の言にも一理ある。かと言って、自分からそれを公表するのもどうかと思うのだが。
 司の考えを見透かしたかのように、皐が言った。
「司くん、その手の照れは捨てた方がいいよ。何しろこれから、もっと大変な事になるんだから。シリアスな面も、そうでない面もね」
「そうかも知れないけれど、人間、羞恥心は捨てたくないな」
 司は顔を撫でた。皐も頷く。
「羞恥心こそ、人間の理性の証だものね。だけど、あんまり私の事を過剰に意識しないで。一緒にいて当然、って顔でいて欲しいの」
「難しい注文だな」
 今日初めて会った可愛い女の子を意識するな、という方が無理な話だ。こちとら、年頃の男子な訳だし。
 司が悩んでいると、皐はさらにとんでもない提案を掲示してきた。
「そうだ、いっそ婚約者って事にしちゃおうか」
「何だって!?」
 今日、この手の問い返しを何度行っただろう。司は頭の片隅でそんなくだらない事を考えた。尤も、これはその中でも最大級に属する。
「婚約者って……意味分かってるのかい?」
「婚約、結婚の約束をした者同士、って事だよね。結婚って言うのは……」
「単語の語意を聞いてる訳じゃないよ!大体、そんな事公表したらどうなるか……」
「一緒にいる大義名分ができる、そう思わない?」
「思わないね」
 司はにべもなく切り捨てた。いくら戦うためとは言えども、司にも譲れない線はある。
「婚約なんてのは互いに愛し合っている者同士がするべきだ。いくら君の言う事でも、それは簡単に認められない」
「そう?私は君の事好きだよ」
 実にあっさりと、皐は答えた。司は呆気にとられて声も出ない。
「もちろん、君の全人格を愛してる、なんて事言うつもりはない。だけど、今日一日話してて、君に充分好意を抱いてる。急に君が婚約者だ、なんて言われても、まあいいかな、って納得してもいいくらいにはね」
 さすがに皐も完全に平静ではいられなかったらしい。彼女の頬が赤いのを認めて、司は顔がほてるのを感じた。
「くそ、何をやってるんだ僕は」
 声に出して、頭を振る。しかし顔の熱さは取れそうになかった。さらに皐が上目遣いで追い打ちをかける。
「司くんは、私の事嫌いかな?」
「そんな事はないさ。しかしそれとこれとは話が別というか何というか」
 狼狽する司の醜態を見て、皐の方が先に理性を回復したらしい。皐は深呼吸をひとつして、司に語りかけた。
「司くん、別に今すぐ私を愛しなさい、なんて言わないよ。だけど認めて欲しいな。そしたら一緒に居やすくなるし、不審に思われる事も少なくなるし。それに一緒にいれば、君の事を守りやすくもなる。戦術面から見ても悪い話じゃないと思うんだ」
「勝ち残るために、か。シリアスだな」
 照れていた自分が馬鹿に思える程に。司は顔の体温が低下していくのを感じた。
 そんな司の表情を見て何と思ったか、皐はかぶりを振った。
「勝つためだけじゃないよ。もちろんそのためでもあるけれど……私だってその後の人生捨てる気はないんだからね」
 何故かむくれながら、皐は続ける。
「何度も言わせないでよね。私は、君だったらそういう事になっても構わない、って思ってるんだって」
 むくれた皐の頬が赤いのを認めて、司は照れ隠しに頭を掻き回した。
「ああもう!黙ってないで答えてよ!イエスかノー、さあどっち!?」
 照れが限界に達したか、キレる皐に司は問いかける。
「今すぐ答えないといけないかな?」
「今すぐ!」
「そっか。なら僕の答えは決まった」
 深呼吸をひとつして、司は答えた。
「僕の答えは、イエスだ」


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