幻想世界譚 07

〈4〉戦闘開始

〈1〉

 皐のいう通り、数日の間は特に目立った動きは見られなかった。
 不思議な事に、司のクラスでは《異常》すら収まってしまい、このまま何事もなければ、この現象は終わってしまったのではないかと思えるほどだった。
 しかし皐は油断していない。他のクラスや他の学年すらも調査を行い、結局《異常》は収まっていない事を突き止めた。
 司達のクラスに《異常》が発生していない理由については分からない。皐がいるから警戒しているのか、それとも単なる偶然なのか。判断はつけかねるが、それでも分かる事はあった。
「クラッカーは、堪え性がないって事かな」
 昼休み、今日は司の作った弁当を二人してつつきながら、司はそう話を振ってみた。
 皐はだし巻き卵を頬張って飲み込むと、少し考え込む素振りをみせて答えた。
「サイコパスだからといって堪え性が全くないとは限らないけれど、確かに私がいるにしては不注意だね」
「皐ちゃんがいることに未だ気付いていないのか、それとも挑発か、か……」
 司が言葉を引き取ると、皐は頷いた。
「挑発にしては中途半端だし、不注意にしては偶然が重なりすぎてるけれどね。多分アイツは私達が奔走してるのを見て、喜んでいるんじゃないかなって思う」
「嫌な性格だな」
「確かにね。まあ、善良な性格のクラッカーなんて聞いた事無いけど」
「君がそう言うのなら信じるよ。それで、これからどうする?」
「司くんは、どうすればいいと思う?」
 皐に切り替えされて、司は唸った。
「どうにも手詰まりだな。少なくとも現状のままじゃ、いいように遊ばれるだけだっていうのは分かったけど。だからといって、こちらに次の手がはっきりとある訳じゃないし」
「相手が痺れをきらせるまで待つっていうのも一手ではあるんだけどね。あんまり私の好きな手じゃないんだよね。かといって、職員室まで乗り込んでいったのに、何の動きもないんだもの」
 皐はため息をついた。
「ここの先生達、男女交際に寛大だよね。普通なら歓迎するべきなんだけど……今回に限っては、それじゃ困るんだけどな」
「それについては同感だ。まさか職員室で、先生の口から『避妊はちゃんとしなさいよ』とか聞かされるとは思わなかった」
 その時の様子を思い出し、二人して赤面する。顔の熱を振り払うように頭を振って、皐は再び口を開いた。
「ひょっとしてやっぱり、私こと戦術戦闘知性体が来た事を、クラッカーは気付いていないのかな。そんな筈はないんだけど」
「あるいは、戦術戦闘知性体に脅威を感じていないのか……」
「だとしたら、私の脅威を教えてやる必要があるね」
「それは同感だけど、一体どうやって?」
 司の問いに皐は答えず、何やら一心不乱に考え込んでいたが、やがて決心が付いたように顔を上げた。
「決めた。アイツから遊び道具を取り上げる。そのためには許可を取る必要があるけど」
「……何の話だい?」
 いきなりまくし立てられても、司にはさっぱり分からない。皐もそれに気付いたのか、腰を入れて説明する風になった。
「要するに、クラッカーの世界に対する干渉を無理矢理排除するの」
「そんな事ができるのかい?」
「できるよ、一応はね。まあ根本的な解決にはならないんだけれど」
「まあ、それはそうか。患部を残したまま、他の部分を治療するようなものだからね」
「うん。結局の所、クラッカーを排除しない限りこの世界の危機は残ってる訳だから、私の仕事は残ってる訳だけれど。でもアイツから世界への干渉権を取り上げる事は、戦術的には有効だと思う。」
「この世界に干渉したくてクラッカーはここにいる訳だからね。それが出来なくなれば、クラッカーは存在意義を失う。そうなれば尻尾を出す可能性も出てくるか……確かにいい手だとは思うけど、どうして最初からやらなかったんだい?」
「言ったでしょ?私はこの世界に過剰な干渉をするためにここに来たんじゃない。クラッカーを倒すためにここに来たんだよ。その為にクラッカーと同じ事をしたんじゃ本末転倒じゃない」
「まあ一理あるか……」
「だから、できればやりたくなかったんだけどね。でももう手段を選んでられない。私の沽券に関わるもんね」
「皐ちゃん、結構負けず嫌いだったんだね」
 司の何気ない感想に、皐はつんとすまして答えた。
「そうだよ。そしてやきもち妬きでワガママなの。覚えといてね」
「よく覚えとくよ」
 司は真面目くさって答えた。
 さて、基本戦術は定まったが、まだ問題は残っている。皐は『許可』と言ったが、一体どうやって許可とやらを取るつもりなのだろうか。そう考えている司を見透かしたように、皐は口を開いた。
「司くん、携帯電話持ってる?」
「ああ、一応持ってるけど……どうするんだいこんな物?まさか、電話で許可を取る訳にもいかないだろうに」
「まさかって、その通りだよ」
「何だって!?」
「別に驚くほどの事じゃないと思うけどな」
「いや、驚くと思うよ普通は……」
 携帯電話の電波は、異世界に通じたりはしないだろう。それともまさか、通じたりするんだろうか?馬鹿な事を、司は考えた。
 考えている事が顔に出たのだろうか。皐は可笑しそうにくすくすと笑うと、司に手を差し出した。
 その手に携帯電話を渡しながら、司は訊ねてみた。
「その携帯で、どうやって君の上位者と連絡を取るんだい?」
「電話はかけるものだよ。勿論、この携帯電話をかけて連絡を取るの。まあ普通は思いつきもしないだろうけどね」
「まあ確かに思いつかないね。電波の届く所に相手が居そうにないし」
「実際、通信に利用するのは電波じゃないからね。でも電話をかける、という動作は重要なんだよ。動作というものを行う事で、世界に私の行う行動を認識させる事ができる。他者に、私が何を行っているかが分かるようになるの」
「誰にも分からない行動は、効力を発揮しない、と?」
「そう。行動、結果。いずれかが欠ければ、他者に自分が何を行っているか、何を行ったかが分からせる事ができない。そんな行動に意味はない。他者が理解できてこその行動なんだからね。言葉に当てはめれば分かりやすいでしょ?」
「フム。その国で通じる言葉を使わなければ、コミュニケートは取りにくい。不可能ではないにせよ、かなり困難になる。それと同じ事なのかな」
「まあね。尤も今、私が行おうとしているのはちょっとイレギュラーに入るんだけど。それでも私が何かをしている、それを他者に伝えるには行動するのが一番いいんだよ」
「それが例え、異世界への通信であっても、その行動を他者に伝えなくてはいけないのかな?」
「勿論。その行為の目的が常識的だろうと非常識だろうと、それに関係なく他者に自分の行動を伝えなくては、世界に対してその行動は作用を及ぼさない。クラッカーですら、この原理からは逃れられないんだよ。尤も、アイツ自身が気付いているかどうかは疑問が残るけどね。行動、そしてその結果としての作用。それが世界に自分というものを伝えるためのルールなんだよ」
「どんな事であれ、行動なくして作用はない。それが世界のルールという訳か……」
 世界のルールという事は、勿論クラッカーですら逃れられない、という訳だ。それは先ほど、皐の言にもあった。行動自体は分からないが、確かにその作用は司が確認している。確認される事によってその行動は世界に認識されている、という事か。
 まてよ、とそこで司はふと考え込む。
 だとすると、もしこの世界に司の様なイレギュラーがいなければ、クラッカーの行為は世界に認識されなかったという事になる。それは前提が間違っているのだろうか。
 否、と司は思い直す。
 認識されなければ、その行為はあろうとなかろうとどうでもよく、そんな行為は無いのと同様、つまりそれは、無いものなのだ。それが良い事かどうかはともかくとして、確かにそれだけは言える。
 ならば逆に言えば、クラッカーの行為は司達に認識される事によって初めて実現した、という事になるのではないだろうか。それがなにを指し示すのか、分からないが。
 電話をどこかにかけていた皐は必要以外に殆ど言葉を発しなかったが、それでも相手には伝わったのだろう。「分かりました」と言うと、皐は電話を切った。
「やってしまっても構わないって」
 皐の言葉は予想通りのものだった。喜ばしい事に。
「クラッカーの行為は本来なら有り得るべきでない現象。それに対抗するための行為であれば、多少の無理も通る。簡単に言えばこんな所らしいよ」
「フム。有り得ない、ではなく、有り得るべきでない、なんだね」
「今回のは完全に人為的な物だからね。自然現象としてはまず起こり得ないけれど、どんな事も可能性自体はゼロじゃないから。もしこれが自然現象なら、こんな許可は下りなかった、って事だと思うよ」
「もしこれが自然現象だったなら、僕は君と出会う事もなかったんだろうな」
 だとしたら、クラッカーは一つだけ良い事をしてくれた。司は心の中で呟いた。
「それで、これからどうするんだい?クラッカーの邪魔をする、という様な事を言っていたけど」
「うん。これからやるのは、簡単に言えば世界の書き換えかな」
「世界を、書き換える?クラッカーの様にかい?」
 司が眉をひそめて問うと、皐は「うーん」と小首を傾げてから答えた。
「半分正解、かな。私は今この場にあるものを書き換えるのではなくて、世界に対する干渉権を書き換えるんだよ。どっちにしても書き換えって行為には変わりないけど、アイツと違って世界そのものには影響を与えない。ただ権利を書き換える事で、クラッカーからこの世界へ干渉する能力を取り上げるんだよ」
「……そんな事ができるなら、最初からやっていればよかったのに」
「言ったでしょ。どちらにしろ、世界に対する干渉には変わりないって。本来ならやっちゃいけない事なんだよ。あくまでこの許可が下りたのは、対クラッカー戦における戦術行動としてなんだから」
「まるっきり、戦争みたいだな」
 司の比喩に、皐はくすり、と笑った。
「この世界の人にとっては、まるで神対神の戦争に見えるだろうね。何しろ、自分が絶対に関われない次元で行われるんだから」
 皐は表情を改めて言った。
「でもね、覚えておいて司くん。私は神じゃないし、そのつもりもない。クラッカーがどう思っているか知った事ではないけど、アイツが何と言おうと、私達は神なんかじゃない。少なくとも、絶対的な存在じゃないんだよ。だから争いもするし、勝つ事も負ける事もある」
「だからこそ、勝つための努力をしなければならない、か。分かった。それで僕は何をすればいい?」
 司の言葉に、皐は答えて言った。
「私の手を、繋いでいてほしいの。しばらくの間」
「手を……?」
 司は当惑した。それが何だというのだろう。
 しかし皐は真剣だった。
「私はしばらく、精神をこの閉ざされた世界全体に広げて、世界の書き換えを行う。だから司くんは、君の感触を私に伝えておいてほしいの。私がちゃんと、ここに帰ってこられるように」
 恐らく皐の真意の半分も、司は理解してはいなかっただろう。だが十分だった。皐が帰ってくるために、手を繋いだままでいるという、一点のみを理解していれば。
「気をつけて」
 何に気をつけるのか、それすら理解せぬまま、しかし真情を込めて司は皐に囁く。皐も微笑みで、その言葉を受けた。
「それじゃ、始めるよ」
 宣言して、皐は司と手を繋ぐ。指の一本一本を、絡めるように。ぎゅっと力を込めた手に、僅かに汗が滲む。それが、どちらが流した物かも判別がつかない。皐が目を閉じると、司は不安に駆られ、皐の手を握った。より強く。
 皐は見た目は、目を閉じただけに思える。しかし実際は、自分の理解を超えた事が行われているのだろう。司はそう想像し、無事に皐が目を開くよう、祈った。それ以外に何もできない事を、悔しく思いながら。
 これはまるで拷問だと、司は考え、いやそれは違う、と思い直す。
 これは、戦いだ。自分との。
 どれだけ皐を信頼できるか。どれだけ司は焦慮に耐えられるか。待つ事もまた、戦いなのだと、司は待つ身になって初めて、それを理解した。
 信じろ、彼女を。必ず帰ってくると。クラッカーになど負けないと。その為に自分がいるんだ。皐が負けないために。勝って、ここに帰ってくるために。
 自分は今、皐の一部なのだと司は考える。皐がここに帰ってくるための、帰還装置。
 僕は君を待っている。だからここに帰っておいで、早く。
 この想いも、皐の力になるだろうか。なるに違いない。いや、ならなくてもいい。そうする事で、僕はより強く、彼女の事を想う事ができる。より強く、彼女の事を信じる事ができるのだ。
 それは力だ。この戦いに勝つための。
 司は祈っていた。ずっと。

〈2〉

 皐は、その精神知性体は、何もない虚空を漂っていた。
 しばらく、その浮遊感を楽しむ。人間として肉体を持っていた時には、味わえない物だ。
 しかしすぐに飽きる。何もない、本当に何もない虚無の空間というのは、戦術戦闘知性体である皐にとっても、長時間の滞在は苦痛になる。
 ただ純粋に浮遊感を楽しむ事から、自由に行動できるように精神を慣らす。その作業が終わると、皐は知覚能力をフル稼動させた。
 それは、まるで自分自身を世界全体に広げていくような感覚だった。世界イコール自分にしていくような感じ。どんどん、自分という物が希薄になって広がり、世界と同一になっていく。このまま自分という物が消えてしまえば、その時、桂木皐は世界と同一になるだろう。だがそれでは意味がない。自分は帰らねばならない。司の元へ。
 皐は司と手を繋いだ、その感触を意識する。自分の肉体を。
 繋いだ手はは帰還装置であると同時に、皐が皐のままである為に繋いだ命綱。自分の身体を介して、司の手の感触、そしてその強い心の動きを、感じ取る。司の戦い、祈りを感じ取る。
 司の手と、自分の手を介して流れ込んでくる、司の祈りを感じ取って、皐は感心した。彼は、自分が思っていたよりもずっと優秀だ、と思う。
 戦術戦闘知性体である皐は、流れ込んでくる司の強い想いも、武器として利用する術を知っている。司の祈り、想いは、皐にとって命綱であると同時に、自身を強化する武器でもあるのだ。
 司の想いを吸収して、皐の精神はより強く、世界に広がっていく。もう希薄化しても、消えてしまう事はない。司がいる限り。
 皐の精神はこの閉ざされた世界全体に広がり、広がりきる。このまま世界の、個々の存在にアクセスすれば、彼女はこの世界の全ての存在を意のままに操る事が可能になるのだ。そんな事は、皐は望まないが。
 しかしアクセス自体は完了間際に、何物かによって阻まれる。
 例えるなら、寄生体のようなイメージ。それが、世界の至る所に存在して、その被寄生物に対して干渉している。これが、クラッカーの干渉能力のイメージなのだろう。
 皐は意識を集中させる。感じるのは最早、世界中に存在するクラッカーの寄生体だけだ。自分の力と、司にもらった想いの力を合わせ、イメージの衝撃波に変えて解放した。
 皐を中心にして、イメージの波が、閉ざされた世界全体に広がっていく。波に触れた部分から、寄生体のイメージが消し飛んでいく。成功だ。
 波が広がり、世界の端に到達し、その余波が消えても、皐は気を抜かなかった。クラッカーの干渉能力は、自己修復能力を持っているかもしれないと判断したからだ。跡形もなく消し飛ばしても、復活するかもしれない。だが、しばらく待っても、その気配はなかった。それを確認して、皐はようやく僅かに気を抜いた。しかしすぐに張りつめる。まだ、やるべき事は終わっていない。
 皐はもう一度、力を充填する。互いの手を介して流れ込んでくる、司の真剣な想いが心地いい。そのイメージは清流の様で、皐はその流れを受けて、心が洗われるような気分になる。このイメージを何の防備も無しに受ければ、溺れてしまうくらいに心地よいだろう。だがそれはできない。これは真剣勝負だ。
 蓄えた力を、再度解放する。今度は、世界全体を包み込むようなイメージ。個々の存在をひとつひとつ、桂木皐という存在情報でコーティングしていく。皐の存在情報をバリアにして、クラッカーの干渉からその存在を守るのだ。同時にそれはクラッカーの攻撃に対する警報装置にもなる。この世界の何(いず)れかにクラッカーが干渉しようとすれば、皐にはそれが分かる様になるのだ。
 長い目で見れば、今皐がやっている事も、クラッカーと大差ない。自己の都合で他者の情報を書き換えている、という行為自体は同じ事だ。ただそれが目的であるか受動的な結果であるかの差だけである。だから皐は、早急に決着をつける必要がある。クラッカーとの決着を。
 全ての作業が完了したのを確認する。世界全体に広げられた皐の知覚に映るのは、硝子細工のように透明で無機的なオブジェの群れだ。全てが同じ材質、桂木皐という存在情報で型作られたオブジェ。あまり気味のいい物ではなかった。皐にとっては。
 この寒々しい光景を打破するためにも、クラッカーとは早急に勝負をつけなければならない。皐はそう決意して、司の手を、そして自分の身体を意識する。司の元に戻るために。
 身体が浮上していくような感覚。肉体に魂が戻るような感じだろうか。皐は浮遊感に身を任せ、覚醒していった。
 ……司が祈り続けたその時間は、実際にはさほど長くはなかった。皐が目を開いた時、昼休みは終わっていなかったのだから。
 しかし司には、もう何時間も待ったかのような疲労が、どっと襲ってきた。長い長いため息をつく。
 皐は目を開くと、手を強く強く繋いだまま、司と目を合わせて、微笑んだ。
「ただいま、司くん」
 やや疲労の色を見せながらも気丈に微笑む彼女に、司も頷いて答える。
「お帰り、皐ちゃん」
 帰還装置としては、合格かな。司は心中でひとりごちた。皐の手を離そうと手の力を抜く。だが手は離れなかった。皐がより強く、司の手を握ってきたからだ。皐はそのまま、司にもたれかかった。
「大丈夫……?」
 こんな言葉をかけることしかできない自分がもどかしい。もっと、彼女の力になりたいのに。司は知らず歯を噛みしめていた。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけ。でももう少し、このままでいさせて欲しいな」
「うん」
 それは構わなかった。そんな些細な事でも、皐の為にできる事があるのは嬉しい事だ。だが、と司は思う。もっと、彼女の力になりたい、と。司は意を決して皐に話しかけた。
「皐ちゃん。もっと、僕にできることはない?」
「え?」
 きょとんとして司を見つめ返す皐に、司は繰り返した。
「僕にできる事。もっと皐ちゃんの為に、何かしたいんだ。僕にできることがあったら、遠慮無く言ってほしい」
「……難しいね」
 それが皐の返事だった。
「司くんは司くんにできる事を、しっかりやってくれてるよ。今だって、司くんのお陰で随分と助かったんだから。だけど言いたい事も分かるかな。じっと待ってるのは辛いって事も。だけどこれ以上の事を、私は君に対して求める事はできないよ。だって、これ以上は私の領分だから」
 きっぱりと、皐は言い切った。司は少なからず落胆して答える。
「残念だな。僕にでもできる事があれば、もっと自分に自信が持てるんだけど」
「自信持っていいよ。私が帰ってこられたのは、司くんのお陰なんだから」
「そう言われても……どうも実感がないからね。自分が何をしたか分からない、というのは結構不安だ」
「私の保証じゃ、駄目かな?」
「こればかりはね。むしろ、僕の気持ちの問題だから」
 全く、どうしようもない。しかし無い物ねだりをしても仕方ないのもまた確かな事だ。司は未練を振り捨てて、皐に問いかけた。
「それで、君のやりたい事は上手くいったんだね?」
「うん。それはちゃんと上手くいったよ。これでクラッカーはこの世界の全ての物に対して干渉する事はできない。勿論、権力という干渉材料は残ったままだけど、私がその気になれば、それをも取り上げる事もできる。クラッカーがこの世界にいるための個人情報をいじってやれば済む事だからね」
「クラッカーがやってきた事の裏返し、という訳か……」
「まあ、そうなるのかな。私とクラッカーの違いって、やっぱりそれほど差が無いのかもしれないね」
「それは違うと思うな」
 慰めなどではなく、司は皐に反論した。
「手段か目的か。それだけでも随分と違いがあると思う。目的が正当なら何をやってもいいという訳ではないけど、少なくとも皐ちゃんのやっていることは、正しいと僕は信じてるよ」
 司の言葉に、皐は何故か、くすりと笑った。
「やっぱり司くんは優秀なパートナーだね。私が自分を信じる以上に、私の事を信じてくれてる。司くんがそう言ってくれるお陰で、私は自分に自信が持てるんだよ」
「好きな子の事を信じるのは当然さ。尤も、僕だって君の事を無条件で何でも信じるって訳でもないけれど」
「うん。だからこそ信用できるんだよ、君の言葉は」
「……そういうもの、なのかな」
 首を捻る口調の司に、皐は頷いた。
「そういうものだよ。君は軽々しく言葉を使わない。だからこそ信じられる。君の言葉は、多分君自身が思っているよりも、ずっと重い。君の言葉が心に響くのは、そのせいかな」
「無口ならいいというものでもないと思うけど?」
「無口である事と、言葉を軽く扱う事とは、相反する要素ではないよ。実際司くんは、そう無口な方でもないでしょ?」
「まあそうかな」
「言葉が軽いというのは、心が伴わないという事。言葉というものにはそれ自体に力があるけれど、その力を正確に使うには、使う者の心が絶対に必要なんだろうね」
「言葉を使う、心構え?」
「そうなるかな。司くんにその自覚があるかは分からないけど、少なくとも君にはその素質があると私は思う。だからこそ、君の言葉は重いんだよ」
「やっぱり、誉められてるのかな」
「もちろん」
「それじゃお礼言っとかないとね。ありがとう」
 その言葉に、何故か皐は吹き出した。
「変なの」
「……どうしたのさ?」
「だって、私がお礼言ってた筈なのに、いつの間にか司くんがお礼言ってる。なんだかあべこべ。可笑しい」
「……フム」
 そういえば、そういう話の流れだったような気もする。
「まあいいさ。別に減るものでもないし。誉められたのは事実だからね」
「それじゃ、私もお礼言っとく。ありがとう、助かっちゃった」
「それは、パートナーとしての勤めなんだから構わないのに」
「じゃ、これでおあいこという事で」
 司は微苦笑した。
「皐ちゃんも、その言い方、なんだか変だ」
「そう?」
 そうして司と皐は二人して、しばしの間、笑いあっていた。
 その間だけ、戦いの事は忘れて。


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