異形狩り師 04

 朝霧公園は、司達の通学ルートからは少し外れた所にある。公園と言っても遊具がある訳ではなく、木が多く植林されており、ジョギングや森林浴、ちょっとしたピクニックなどに使われている。

 その少し開けた広場に、トラックが止まっており、その横に学校帰りと推測される、制服姿の女の子が列を作っていた。ちらほらと、私服の少女、そして女性が散見される。甘い物は、世代を越えて女性に人気と言う事らしい。

 司のすぐ脇を、母親らしき人物に手を引かれた幼女が口元をべちょべちょにしながらクレープを食べているのを、母親らしき人が口元を拭いてやっている。その反対側の手には、しっかりとクレープを握っているのが笑いを誘う。

「私達も並ぼ」

 皐が誘う。司も頷いた。

「そうですね。メニューを決めながら、ゆっくり待ちましょう」

 多少、急いだ方が良さそうだ。列はどんどん長くなっていっている。司達もその列に加わった。メニューは豊富なようで、ここからだとやや見づらい。しかし司達の鍛えられた視力なら、この程度どうと言う事はなかった。 皐がうんうん悩みながら、メニューとにらめっこしているのを、微笑ましい気分で見つめながら、司は皐と同じ物を頼もう、と適当な事を考えていた。

 しかし、そんな平和な時間も、ここまでだった。

 絹を引き裂くような女性の悲鳴。それと同時に、二人は陰気の波動に気がついた。

「そんな……あり得ない!」

 皐が動揺の声を上げる。司も動揺していたが、二人して動揺して突っ立っていてもどうしようもない。

 二人は、司が皐を引っ張るようにして悲鳴の方向に走り出した。

 確かにあり得ない事ではあった。このような開放的な場所に陰気が溜まっている事、そしてその陰気に、二人して気付かなかった事。二重三重にあり得ない事であったが、しかし今、それを検証している暇はない。犠牲者が出る前に、結界を張り、異形を討つ。異形狩り師としての当然の義務である。

 朝霧公園は広い。だからクレープ屋のトラックも入ってこられたのだが、今はそれが仇となっていた。陰気までの距離が、遠い。二人は全速力で走る事にした。幻力を、脚に込める。二人の脚が淡い蒼に輝く。これで、百メートル八秒台で走り抜ける事が可能だ。勿論、木々が邪魔をして、そこまでの速度は出せないのだが、それでも十分な速度を得ることが出来た。

 陰気の溜まり場まで辿り着いた。驚くべき事に、そこには先客がいた。

「やあ、司くん、皐先輩」

「仁くん!?」

 確かに、日下仁だった。挨拶を交わしたい所だが、生憎その時間はなさそうだった。

 仁の眼前に、異形がいる。

 額に隆々と一本の角を生やした尋常ならあり得ぬほどの大男。

 まさしく『鬼』であった。

「強敵だな……」

 その吹き出す陰気を感じて、司が呟いた。

「皐先輩、結界を」

 仁が鬼から目を離さずに、言った。

「分かってる」

 皐の服が式服に変わる。同時に呪を唱え始める。

「汝、この世有り得べからざる物、空間を持って、汝を縛る!」

 空間を超えて、久遠もやってきた。九尾の狐が、神気を結界に流す。これで、陰気を持つ鬼は、結界の外に出られなくなった。

 神気は、異形も人間も区別しない。人間の持つ微量の陰気にすら、反応する。人間は中に入る事は出来るが、外に出る事は出来ない。

 まさしく、異形と人間との、デスマッチの檻だった。

 その檻の中に、司と仁が、何の躊躇いもなく、駆け込んだ。既に司は式服を、仁は狩衣の様な物を身に纏っている。

 皐も続いて駆け込もうとしたが、司が止めた。

「皐さん、もう二人、中にいる。狭いから、外にいて」

「……分かったよ」

 皐は不承不承、頷いた。

 司の狙いは、他にもあった。皐を戦いの外に出す事で、仁の動きや癖などを、観察してもらおうというのだ。

 伝わっただろうか。そう信じる。

 司は素手だったが、十握剣は司の意志に反応して、いつでも呼び出せる。式服をまとい、十握剣を呼び出す。蒼い光を放って、十握剣が司の手の中に収まった。

 仁も、自分の得物を呼び出す。和風の、直刀だ。現在の日本刀に進化する過程の、剣。司の十握剣よりは起源は新しいが、それでも十分に古い型の剣だ。それを確認して、司は仁に声をかけた。

「二人で、やるよ」

「うん」

 そう言いつつ、司の注意は二つに向いている。ひとつは無論、鬼に対して。

 そしてもう一つは、仁に対してであった。

 仁の実戦をこの目で見られるのだ。この機会を逃す手はない。出来れば彼の一挙一動を、観察したい所であった。

 しかしそれは夢だ。現実には、彼と共に眼前の鬼を倒さねばならない。観察の機会は、そう無いであろう。しかし機会があれば、見逃さない。そう勢い込んで、司は十握剣を構える。そしてちら、と仁の方を見ると、彼は丹を二つ、口にしていた。司は鋭く問うた。

「今、何を飲んだんだい?」

 仁は驚いた風であったが、特に決まり悪いという事もなく、平然と答えた。

「鬼神丹と、強仁丹だよ。僕の幻力はまだ弱いからね。薬で補っているんだ」

「いつも、そんな事をしているのかい?」

「まあね。僕はまだ、未熟者だから」

 司は注意を喚起した。

「あまり薬に頼らない方がいい。中毒になるかも知れないからね」

 仁は抗弁した。

「この薬には、中毒性はないよ」

 司は首を左右に振った。

「精神的な、中毒さ。この薬無くしては自分は未熟だから戦えない、といつまでも思いこむようになるかも知れない」

 否、既にそうなっている可能性もある。司は仁の幻力を見て、そう思った。

 彼の幻力は確かに司に比べれば、弱い。だがこれは比較対照が間違っているのだ。司はいわば生粋の異形狩り師で、その幻力も生まれつき強かった。左右色の違う両眼はその代償とも言える。

 省みて仁は、元々生粋の異形狩り師ではなく、その幻力も並の人よりは強い、程度しかなかった。それを司と肩を並べるほどまでに強めたのは感嘆すべき事だが、それが薬による物ならば、もっと時間をかけて幻力を熟練するべきではないか、と司は思うのだ。

 薬には依存性がある。一度使ってしまったら止められなくなる。それを司は、精神的な中毒と表現したのだ。

 仁はいつから薬を使っているのだろう?まだ二・三年なら大丈夫だ。苦しいだろうが、止められる。しかしそれ以上に達していたら、その年数に比して、薬の服用を止める事は難しくなる。

 司としては、今すぐにでも止めさせたかった。しかし仁は聞かないだろうとも思う。何より、〈八光流〉の御老人達が、止めさせないだろう。やはり〈八光流〉の老人達は、仁を使い捨ての実験材料としてしか見ていないのだ。

 決めつけるのは時期尚早だろうか?だが手遅れになってからでは遅い。早めに、手を打つ必要があるな、と司は思った。

 だが、ここで思考を停止せざるを得ない事態が発生した。鬼が動き出したのだ。その瞳にあるのは、飢餓感。この鬼は、飢えているのだ。そして、眼前の餌――司と仁の事である――を喰らおうと、両手を振りかざして襲ってきた。

 無論、大人しく食われてやる義理はない。それどころか、自分たちはこの鬼を狩る為に、ここにいるのだ。

「――浅ましい」

 司が呟く。それと同時に跳躍。額の角を、幻力で型作った剣で、狙う。しかし次の瞬間、司と仁を驚愕させる事態が起こった。

 鬼の両腕が、剣の形に変化したのだ。そして、司の幻力の剣を受け止めたのである。

 あり得ない事であった。普通ならば、異形の一部が角だろうが刀だろうが、幻力で覆われた武器には抗えないはずであった。それを、この鬼は、覆して見せたのだ。非常に、危険な事態と言うべきだった。

 司の危機はまだ続いていた。受け止められた幻力の剣に絡みつくように鬼の一部が伸びてきて、司の両腕が囚われてしまったのだ。

 『刺青』を使うか。司が決断した瞬間。

「司くん!」

 仁が叫んで、跳躍した。そして何かを断つ音。その次の瞬間、司の両腕は解放されていた。落下する。司はよろける事もなく、着地した。

「司くん。あの剣状の部分は危険だけれど、肘から上は普通の腕だ。難なく、断てた」

 断たれた鬼の腕は、再生しようとしていた。その再生が終わる前に、決着をつけねばならない。

「仁くん。僕がもう片方の腕を落とす。そうしたら君は、角を落とせ」

「分かった」

「いくぞ!」

 司が再び跳躍する。狙うは鬼の肘。蒼い残光をたなびいて、見事に鬼の腕は切断されていた。

「今だ!」

 司が叫ぶまでもなかった。仁は跳躍し、鬼の角を、その根本から見事に断ち切っていた。

 苦悶する鬼。弱点をやられたのだ、さぞかし辛かろう。再生しかけていた腕も、再生半ばで止まった。ただの肉の幹だ。それでもそれを振り回し、こちらを喰らおうと迫ってくる。

「とどめだ!」

 司は三度、跳躍する。真っ向、唐竹割り。仁も跳ぶ。彼の刃は、鬼の首を両断していた。

 四つに分断された鬼は、その死骸をさらしていた。司は式服から右肩を抜いて、刺青をさらした。そして仁に、話しかける。

「これから、〈斎乃月光流〉の奥義のひとつを、見せる。一度しか見せられないから、そのつもりで」

 仁は唾を飲み込んで、頷いた。

 それを確認して、司は呪を唱えていく。そしてとどめの台詞を紡ぎ出した。

「汝、陰気より生まれ出でしモノよ。我が下僕となりて、生涯を共に有れ」

 次の瞬間、鬼の死骸は消え失せ、司の刺青がまたひとつ、増えた。桔梗の花だ。それを確認すると、司は抜いていた腕を元に戻した。そして皐を呼んだ。すぐに皐が結界内に入ってくる。これから、結界内に充満していた陰気を払うのだ。これは、司にも仁にも出来ない、皐しか出来ない事だ。その儀式も無事に終わり、公園内は平穏を取り戻した。

「司くん、その刺青って……」

 仁が、改めて聞いてきた。好奇心が、畏れを上回っている感じだ。それを確認して、司は仁に応じた。

「異形のなれの果てだ。最早僕の言う事しか聞かない、下僕に堕している。まあ元より異形という存在が、『堕ちた』存在だけど」

 司は説明し終えると、口調と話題を変えた。

「さて、角を回収して帰ろうか」

「その角なんだけど……」

 仁が控えめに提案してきた。

「僕にくれないかな?師匠が、鬼の角を集めているんだ」

 司は気軽に応じた。

「構わないよ。うちではこんな物、一輝様が処分してしまうだけの物だしね」

 それに、仁が『鬼』を退治したというトロフィーにもなる。〈八光流〉での仁の株も、これで少しは上がるだろう。

「それじゃ、僕は早速帰って報告するよ」

 仁が鬼の角を抱えてそう告げた。司達も、その必要があるだろう。クレープは諦めて、急いで調べた方が良さそうだった。

「僕たちは残って、警察を待つよ。鑑識の手を借りて、調べたい事がある」

「君たちは事後調査もするのかい?」

「必要があればね」

 仁は、改まって司に尋ねた。

「……必要が、あると思うかい?」

「うん」

 司は頷いた。今回の件、どうも引っかかる。出来るだけ近い内、出来れば今夜にでも、調査を終わらせるつもりだった。

 おっつけ、警察も来るであろうが、司は彼らだけに調査を委ねる気はなかった。『また異形狩り師が、現場を荒らして……』と思われるのは目に見えていたが、警察の現場検証で見つけられない物を見つけるのが目的なのだから、多少の蔑視は甘受すべきだろうと思われた。願わくば頭の柔軟な上司が指揮に来る事を、司は願った。

「それじゃ、僕たちは残るよ」

「それじゃね、日下くん」

「それじゃ、また明日、学校で」

 そう言葉を交わしあって、司達と仁は別れた。司達はその場に残る。そして、当てもなく探索を始めた。

 何か、あるはずなのだ。こんな場所に、あんな強い鬼を現出させた、何かが。例えば、陰気を集める陣とか、玉とか。そう目立つ物ではないはずだ。ここは、探索のプロに任せた方がいいのかも知れない。人間の手で植林されたとは言え、既に下草も生え、素人が探索するにはあまりにも悪条件だ。

 そう考えている間に、サイレンの音が聞こえてきた。遠目に、パトカーの姿が見える。人間が二人、こちらにやってきていた。

 二人の内、一人は顔見知りだった。もう一人の、若い方は初対面だ。司と皐は二人に向かって会釈した。向こうも会釈を返す。

 若い方が、顔見知りの方の刑事に向かって小声でささやいた。

「斉藤さん、この二人が……?」

「ああ、異形狩り師のお二方だよ」

 そう聞いて、若い方の刑事はしゃちほこばって敬礼した。

「失礼しました。自分は海鳴市警刑事課の近藤と申します」

 名乗られたからには名乗り返さねばなるまい。司は静かに名乗りを上げた。

「〈斎乃月光流〉斎乃司です」

 皐も名乗った。

「同じく、斎乃皐です。よろしくお願いしますね」

 そう言ってお辞儀をする。

「あ、こりゃどうも……」

 近藤もつられてお辞儀を返した。その背をどやしつけて、顔見知りの刑事、斉藤巡査長は二人に話しかけた。

「ここで鬼を見た、と通報が入った物で、早速駆けつけてきたのですが……もう退治なさったようですな」

 司は頷いた。

「ええ。協力者がいましたが」

「ほう。それは誰ですか?」

「〈日下八光流〉日下仁です。彼は僕のクラスメートなんですよ」

 斉藤は頷くと、尋問を続けた。

「どうしてこんなに早く、鬼を退治できたのですかな?あまりにも手際が良すぎると思うのですがね」

「この公園に、屋台のクレープ屋が出ているでしょう。そこに買いに来ていたんですよ」

「クレープを、ですか?」

「はい」

「いけませんか?」

 皐に問われて、斉藤よりも近藤の方が慌てて否定した。

「いや、そんな事はないです!皐さんも、年頃の女の子ですもんね!」

 斉藤は、慌てずに淡々と、司に確認した。

「司くんは、皐ちゃんの付き添いで?」

「ええ」

「なるほどね。そこで、悲鳴が聞こえたから、急いでここまで来た、と」

「まあそうです。正確には、陰気の波動を感じたから、馳せ参じたのですが」

「悲鳴だけでは、動かなかった?」

「そんな事はないと思いますが、屋台からここまで、結構距離がありますからね。女性に悲鳴を上げさせた何かが、終わってしまった可能性もあります。例えば、殺人とか」

「まあ、そうですな」

「どのみち、仮定の話をしても仕方ない。こんな所に異形が出るなんて、前代未聞でしょう。危険だ」

 近藤が、勇んで尋ねた。

「公園を、立ち入り禁止にしますか?」

 司と皐は、首を左右に振った。

「そこまでの必要はありません。ただ、鑑識をお借りしたい」

「私達は探索に関しては素人です。プロの手を、借りたいんです。本来は、私達の仕事なのですが……」

 二人の言葉に、斉藤は快諾した。

「構いませんよ。どうせこちらも、鑑識を入れたかった所だ。どうぞお使い下さい」

 二人は同時に、頭を下げた。

「ありがとうございます」

 鑑識が入って三十分後、鑑識の一人から声が挙がった。別方向を探索していた司達は、すぐにその鑑識の所に飛んでいった。

「これですか?私には、単なるびい玉に見えますが……」

「ええ、これです」

 司は請け負った。

「わずかながら、陰気がこびりついている。しかも内側から、にじみ出るように」

 それを聞いた鑑識員は気味悪そうな顔になった。司は続けた。

「大丈夫ですよ。ここからもう異形が現れる事はありません。陰気の絶対量が足りない。誰かがまた吹き込めば、話は別ですが。少なくとも僕たちにそんな真似は出来ない」

 事実である。〈斎乃月光流〉に、陰気を何かに吹き込むような術は存在しない。既にある陰気を、別の何かに移す術という物ならあるのだが、それは陰気の固まりを別の場所に移す、と言う使い方をする物だった。

「結局、この鬼騒動は、人為的な物、と言う事ですかな」

 斉藤が司に尋ねた。司は頷いた。

「ええ。そう見て間違いないと思います」

「問題は誰がこんな事をしたか、か……」

 司は僭越ながら意見を言った。

「誰にしても、幻力と陰気を扱える人間だと思います。つまり、異形狩り師の可能性が、最も高い」

「…………」

 沈黙が、その場に降りた。『異形狩り師は、異形を狩る者』という定義が崩れたのだ。この沈黙の重さも、司は理解できた。同時に、早期に解決せねばならない事件である事も。

「解決に協力して、頂けますかな」

 斉藤の問いに、司は頷いて言った。

「もちろんです。これは他の異形狩り師に対する、挑戦ですから」

 斉藤が片眉を上げた。

「挑戦?」

「だってそうでしょう。普通人と、異形狩り師との信頼関係を、引き裂こうと言うんですから」

「とりあえず、近辺の異形狩り師のアリバイを調べる所からですかな」

「そうですね。僕たちも、別方向から調べてみます」

「頼みますよ」

「はい」

 司は、しっかりと頷いた。

 帰り道。司は戦いの時、ほとんど蚊帳の外だった皐に語りかけていた。

「仁くんの事、どう見ました?」 

「薬を含んだ瞬間から、自信に満ちあふれている感じがしたよ」

 それが皐の返事だった。それは、司の懸念と一致した。

「やはり、そう見ましたか……」

 それは、薬への依存を示していると見るべきであった。仁は、既に薬に依存している。実際に効果があるかどうかにかかわらず。

「止めさせないとな」

 司は、そう決意して言った。


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