異形狩り師 07

 司は十握剣を握り直す。この役目を負うてから、ずっと使い続けてきた相棒だ。そして、傍らにはこれから先の相棒がいる。さらに背中には、待っていてくれる守りたい人がいる。 一歩も、引けない。引くつもりもない。

 異形の鬼が、こちらを睨み付けてきた。

 こちらも睨み返す。気迫ですら、負けるつもりはない。神気が、燃え上がるように立ち上った。司の気迫に答えるように。

 けく、けく、けく。奇怪な笑い声が、眼前の鬼から響いてきた。

「勝てると思うておるのかよ」

「普通の鬼八匹分の陰気を持つ鬼ぞ」

「主らがどうあがこうと、勝てる訳がない」

 司は鼻で笑った。

「普通の鬼八匹の方が、手間取る分相手取りにくいくらいさ。正直、一匹にまとまってくれて手間が省けたと思っているよ」

 けく、けく、けく。

「ならひとつ、勝負と行くか、斎乃の」

「主の味はどんな味かのう」

「人はやはり、生で喰らうのが一番よ」

 けく、けく、けく。

「どうやら脳みそまで陰気に冒されたらしいな。その陰気、斎乃の名にかけて、断つ」

 司は十握剣を八相の形に構えた。

「いくぞ、『善鬼』!」

『心得た』

 鬼は、けく、けく、けくと嗤った。

「来るが良い、斎乃の」

「返り討ちじゃ」

 その言葉を無視して、司と『善鬼』は跳躍した。鬼も、四本に別れた腕を振りかざして迎撃の構えを見せる――はずだった。

 鬼は、下手に考える頭が八つもある為、腕をどう動かすか、各自の頭で齟齬がでたのだ。結果、腕は妙ちくりんな方向で空を切る結果になった。司と『善鬼』は何の抵抗もなく、角を各々一本ずつ落としていた。

「ええい、何をしておるか!」

「主こそ、何をしておる。腕を動かすのは、主の役目じゃろうが!」

「他人に労を押しつけて、じぶんは見物か。主はどれ程偉くなったつもりじゃ!」

 司は冷笑した。

「無様」

 司にあざ笑われた事で、八つの頭はますます喧嘩に熱くなっていった。

 そんな様子を見て、司は言った。

「見るも無様、聞くも無様。お前の存在自体が、無様。これ以上、貴様が存在している意味はない。消え去れ」

 そう宣言すると、司は再び、八相の形に十握剣を構える。これが司の、基本形なのである。司は反対側に飛び降りた『善鬼』に向かって言った。

「好きに斬っていいぞ。角は、僕が落とす」

『承知』

 司は再び、跳躍した。『善鬼』は地を駆ける。その速さ、まさに神速。

 司は額に残った角を落とした。同時に身体を捻って一回転し、首を切り落とす。

 その間に、『善鬼』は鬼の身体を八つに分割していた。

 鬼の姿が解け、元の八人いた老人の姿に戻った。ただし、死体になって。

 それもかなりスプラッタな死体だった。胴がほぼ完全に切り離されている物がほとんどで、内臓が異臭を放っている。

「戻れ、『善鬼』」

 司が命ずる。ややこしい事になる前に、司は警察に連絡するつもりだった。その為に、善鬼がいては話がややこしくなるだけである。

 善鬼は司の命通り、刺青の中に戻った。それを確認して、司は式服を解いた。ブレザーの中に入っている、携帯電話を取り出す。そして登録番号から、海鳴署刑事課の番号を呼び出した。

 コール四回で、繋がった。

「はい、こちら刑事課です」

「すみません、斎乃です。課長と変わって貰えますでしょうか?」

「あ、はい。少々お待ち下さい」

 少々の間が空いて、中年から老年への移行期に当たる様な落ち着いた男声が、静かに問いかけてきた。

「異形関係、ですかな」

 司は少し考えて、事情を四捨五入して説明する事にした。

「〈日下八光流〉、ご存じですよね?」

「勿論。それがどうかしましたか?」

「その流派を、たった今、壊滅させました」

「何ですと!」

「事情は追って、説明します。現場で。とりあえず現場へ、ご足労願えませんか?僕たちも、そこで待っています。場所は、日下神社です。それでは用件のみで、失礼します」

 司は通話を終えた。後は、警察が押っ取り刀で駆けつけてくるのを待つばかりだ。

 皐が陰気を払い終えて、司の元へ近寄ってきた。

「警察を呼んだの?」

「ええ。このまま帰ったら単なる殺人犯ですからね。先手を打っておきました……あんまり見ない方がいいですよ。夢に出てきたら大変ですから」

「大丈夫だよ。私、そんなに繊細に出来てないから」

 そう言いつつ、死体の方はなるべく見ないようにしている皐である。賢明だ、と司は思った。司もあまり、積極的に見たいとは思わない。それほど凄惨な死体だった。

 この死体群、生前は鬼だった――そう説明して納得して貰えるだろうか。

 証拠無しには無理だな。司は相結論づけた。とりあえず当局に拘束されるのは仕方ない事だろう、と司は思う。だが皐は勘弁してもらおう、と司は虫のいい事を考えていた。

 証拠は、ある。勝ち目のない戦いはしないのが〈斎乃月光流〉である。それでもまあ、死ぬ事だってあるが。その証拠品を証拠として認めて貰えるか、司の命運はその一点にかかっていた。

 認めて貰えなかったら?その時は司は殺人犯だ。おまけに異形狩りの一派を潰した張本人。十三歳とはいえ、死刑は免れないだろう。

 事、異形狩り師に対する法は厳しい。特権がある分、転がり落ちる時は普通人より高い所から落ち、痛い目に遭う、と言う訳だ。

 法だけでなく、実務的にも異形狩り師は管理され、見張られている。異形狩り師に対する監査機構がそれだ。

 その他、外国の異形狩り師、例えば『教会』等、日本の異形狩り師は特異な立場に置かれている。

 ひとつには、日本の異形狩り師の一種古風で伝統的な手法が、最早時代遅れになってきている、と言うのもあるだろう。

 『教会』などは、近代兵器を改造して異形にも通用する兵器を大量に量産していると聞く。そういった物が、これからの主流になるかも知れないし、ならないかも知れない。

 しかし『教会』はカソリック、プロテスタントで微妙に異形に対するスタンスも違うし、互いの教義を巡って対立したりしている。当分は、日本に自分たちのやり方を強要するような余裕はないだろう。

 日本人は、自分たちのやり方で、異形から身を守らねばならない、と言う訳だ。監査機構が活気づく一因である。

 警察が到着して、司は予想通り、目撃者兼容疑者として当局に身柄を拘束される事になった。だが、司は毅然として発言した。

「この惨劇を演出したのは自分だとは認めます。ですがその時、この死体群は鬼だったんです。その死体達の、胃を解剖してみれば分かります。朝霧公園で見つかった物と同様の物が見つかるでしょう」

 担当の刑事――名前は何と言ったか――は、司の発言を頷いて聞いていた。そしてすぐ、司法解剖を行うよう指示した。

「もし君の証言と事実が一致すれば、二つの事件が一気に解決する事になるな」

「そうですね」

 朝霧公園の一件は、もう少しで迷宮入りになる所だったのだ。解決して良かった、と思うべき何だろうか。

「それと、これは監査機関の管轄になりますが……」

 そう前置きして、司は話し始めた。

「この〈日下八光流〉の敷地のどこかに、鬼を育成なり培養なりする研究をしていたという証拠品、恐らく巻物があるはずなんです。それを見つけだして貰えれば、僕の無実は証明できます」

 刑事は苦い顔をして言った。

「無実か……これだけの被害を出しておいて無罪、というのは、俺はなんだか納得がいかないがなあ……」

「それは刑事さんが、こいつらが鬼になる過程を見ていないから言えるんですよ。あれは、本当に醜かった。そして、鬼になってまでプライドに固執していた。人間の暗黒面を一身に背負ったような鬼でした。倒されて当然ですよ――例え、元が人間だとしても」

「そこに、良心の呵責が入る余地はなかったのかい?」

 刑事がそう問うてきた。この惨状の事を言っているのだろう。司は答えた。

「正直な所、そんなよりはありませんでしたね。現出した鬼を倒すので精一杯でしたし、何より僕は、鬼になる前から八光の老人達が、嫌いでしたから」

「意趣返し、とそう言う事かい?」

「いえ、そう言う訳ではないです。ただ、友人の敵討ち、と言うのはあったと思いますが」

「友人……行方不明の、日下仁の事かい?」

「ええ。彼も、鬼にされていましたから」

「それで、君が斬ったのかい?元友人であった、鬼を?」

「ええ。それが、仕事ですから」

 刑事は首を左右に振ると、司の肩を叩いた。

「異形狩り師ってのも、因果な商売なんだなあ」

「……ええ」

 それを理解して貰えただけでも、司の気分は随分と楽になった。例え鬼と化していても、友人殺しには違いないのだ。それと分かっていて斬らねばならなかった司の心境は、いかなる物だったのか。皐ですら、その心境を正確に図る事は出来なかった。

「司くん……」

 皐が心配そうに、人垣の向こうから司を見ていた。その視線に気付いて、司は皐に笑いかけた。

「大丈夫ですよ、皐さん。すぐ、帰ってきますから」

 こんなありきたりな言葉で、安心させられるとは思っていない。だが、その時の司には、それ以上の言葉が思いつかなかった。

「それじゃ、行こうか」

 刑事に促され、所轄へ連行される時も、皐は不安そうな顔で司を見守っていたが、司は気楽そうな表情で手を振った。

 皐は何も言えず、ただ去っていく司の後ろ姿を眺めていた。今生の別れにならない事を祈りながら。


 どんな小さな所轄にも、異形狩り師がいる以上は、監査機関から出向してきている人間が一人以上はいる物だ。

 司はその人物――後藤と名乗った――から、事情徴集を受ける事になった。

 事情徴収は司には冗長に思えた。司が日下神社についた所から、細かく喋らされたのだ。

「――それで、君が見た時には、彼は既に鬼になっていたとすぐに分かったのかな?」

「……いえ、すぐには分かりませんでした。ただ、人以外の物になっている事だけは、はっきりと分かりました」

「それはどうしてかな?」

「神気が、体の中に入っていかず、垂れ流しになっていたからです」

「その神気では、陰気は払えなかった?」

「はい。その質の神気ではありませんでしたから」

 神気にもいくつか種類がある。

 司が扱う物だけで主に三つに分類される。

 ひとつは、剣に流して斬る事で相手を浄化する為の神気。

 ひとつは、剣や腕、足から相手に飛ばす事で、遠距離攻撃用として使う神気。

 そしてもうひとつは、相手に直接流し込む事で相手を浄化する神気。

 どれも、幻力で応用できるが、神気の方が効力は断然上だ。

 そして、前二つは陰気に反応してそれをうち消す効力があるが、三つ目のような、ただ流し込むだけの神気や幻力には、陰気を打ち消す能力はない。

 他に、皐が使う浄化の為の神気など、数えれば十指に余るだろう。

 〈斎乃月光流〉だけでそれだけあるのだ。他の流派も入れたら相当な数になるだろう。

 後藤がそれを承知で質問してきたのかは分からないが、司にはいちいち冗長な質問に思えてならなかった。

 尤も、官憲の尋問という物は、冗長で意地の悪い物だと相場が決まっているので、司は辛抱強く、後藤の質問に答えていっていた。

 司の見る所、尋問者である後藤という男は、基本的な所は押さえてあるが、一歩踏み込んだ知識という物は、あまり持ち合わせていないように見受けられた。

 幻力と神気や陰気等という様な基本的な物は押さえてあるが、そこから枝分かれした物になるとお手上げ、と言う感じである。

 大丈夫なのか、この男。司は危惧したが、ひょっとしたらそれは全て演技で、こちらの言う事など先刻承知なのかも知れなかった。油断は出来ない。何せこの男は監査機関の男なのだ。どんな手を使って、こちらの揚げ足を取ってくるか分からない。司としては、誠心誠意、質問に答えるだけだが。

「それで君は、親友が鬼になったと分かった訳だ。その時、どう思ったかね」

 司は、正直に答えた。

「八光の老人達を、殺してやりたいくらい憎みました。出来る事なら、自分の手で殺してやりたいとすら思いました」

「フム。八光の老人達に対する殺意は認める訳だね?」

「はい」

「とすると、八光の老人達の『鬼化』は願ったり叶ったりだった、と言う事になるが、認めるかね」

 司は驚いた。

「そう言う視点で見ている人がいるなんて、考えても見ませんでしたよ」

 そこで、少し司は考え込んだ。そして、ゆっくり口を開いた。

「しかし、そうですね。後藤さんの言う通りかも知れません。八光の老人達をこの手で殺す、大義が手に入ったのは事実なんですから。思い返せば、老人達の退路を断った気分でいた事は否めませんね」

「退路、とは無論、八光の老人達が無罪になる事、だよね」

「それだけではありません。あの老人達がのうのうと生きている事、それ自体が許せなかった。仁くんは僕に斬られたのに、何故張本人は生きているのか、とね」

「正直に言うんだね。その発言が、自分に不利になるとは思わないのかい、君は」

「自分に正直に発言して、それで不利になるならそれで構わないと思っていますから」

 後藤はがりがりと頭を掻いた。そして司に向かって言った。

「強いな、君は。しかし正しい事が、全て正しいと認められるとは限らない。それは覚悟しておいた方がいい。正しいと認められるどころか、その発言を武器として用いる者も、中にはいると言う事を覚えておいた方がいいな、君は。これは個人的な、忠告なんだが」

 司は微笑した。

「まるでご自分の経験を語られているようですね。それはともかく、ご忠告は、有り難く承ります」

 そこで、一人の男が取り調べ室に入ってきた。後藤に耳打ちすると、数枚の資料を彼に手渡し、部屋を出ていった。後藤はそれに目を通すと、司に向かって口を開いた。

「斎乃くん。君の審議の日程が決まった。急な話だが、明後日だ。それまではここに泊まってもらう事になるが、我慢してくれると嬉しいな」

 司は肩をすくめた。

「しょうがないでしょう。僕は一応、容疑者ですからね」

 そんな司に、後藤はさらに言を継いだ。

「それからこの事件は、刑事事件ではなく、退魔師事件として扱われる事になった。審議は、監査機関が行う事になる」

「分かりました」

「随分落ち着いているね。初めてなんだろう、こんな事は?」

「ええ。でも、審議が刑事事件として扱われないだけ安心できました。これで、思うがままに発言できますから」

「思うがままに、ね。審議は決して軽くはないぞ。それは、覚悟しておいた方がいい」

「それも、個人的な忠告ですか?」

 後藤は肩をすくめた。

「まあ、そんな所かな。私個人は、君に好印象を持っているからね。今までの話、それを話す時の態度、口調、そういったものから、僕は君が無罪だと思っている。だから、判決もそうなるよう、祈っているよ」

 司は僅かなりとも驚いた。

「あなたは……弁護士だったんですか?」

 後藤はニヤリ、と笑った。

「いいや。僕は検事側の人間だ。だから個人的な感傷は排除して、明日の審議に臨まなければならない。でも、今伝えておくのは別にルール違反じゃないだろう?」

 司は微笑を浮かべた。

「ええ。恐らくは」

「それで君の判決が、有利になる訳でもないからね」

「そうなんですか?」

「ああ。決めるのはあくまでも裁判長だ。私じゃない。君にとって有利な発言をする事は出来るが、それは私の任じゃないからな」

「僕には、国選弁護士が付くんですよね?」

「そうなるな。有能な弁護士が付く事を期待していてくれ」

「そうします」

 後藤も僅かに微笑んだ。

「素直だな、君は。真っ直ぐだ」

 司は自分の顔を片手で撫でた。

「そうでしょうか?自分では、ひねくれ者だと思っているんですが」

「君が自分の事をそう思っているなら、それは大きな誤りだな。大人の私が言うんだ。間違いない」

「例え大人だって、間違う事だってあるでしょう」

「見る目が大人だと言う事さ。君はまだ子供だが、それ故に、真っ直ぐだ。このまま、真っ直ぐに伸びていってくれる事を、期待しているよ」

 それが審議前に司にかけられた、後藤の最後の言葉だった。


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