奇想流離譚 03

〈3〉

 警察の事情徴収を終えて、私は事務所に帰ってきた。ホルスの部屋に入って、シートに座り込む。そのままへたり込みたい気分があったが、我慢する。するとホルスが、こんな事を言ってきた。
〈何か飲み物を作って、一休みして下さい。そんな疲れた状態では、いい知恵も出ないでしょう〉
 お見通しだった。私は肩をすくめて、ホルスの忠告に従う事にした。
 事務所にはコービーメーカーもあるが、私自身は紅茶党だ。湯を沸かしてポットに注ぎ、茶葉が開くのを待つ。そして茶葉をこしてティーカップに注ぐ。砂糖もミルクも入れない。ストレート。頭の疲れを癒すのだから砂糖は入れた方がいいのかも知れなかったが、これは私の主義だ。そう簡単には、変えられない。
 ティータイムを取って、疲れを癒した所で、もう一度ホルスの部屋へ向かう。そしてシートについて、HMDを装着した。

〈それでは、何から始めますか?〉
 ホルスが訊ねてくる。私はしばし黙考した。先程の戦闘が相手にとってどういう意義を持っていたのか。それを探る事。これが第一だ。第二に、相手がどこからやってきたか。イコールそこがアジト、とは考えにくいが、そこに第二の罠が張ってある可能性はある。その罠を踏み破って、新たな情報を得る事。これがベターだろう。
 ホルスにそれを伝えると、ホルスは難色を示した。
〈真由。重要な事を忘れていませんか?あなたは今、記憶喪失中なんですよ?サイファの力もろくに使えない、そんな状態で、相手の罠を破れますか?〉
 私は力強く、請け負った。
「破れる。破ってみせる。私自身のために」
 それを聞いたホルスは、最早私を制止しようとはしなかった。
〈分かりました。最早、何を言っても無駄でしょう。私に出来る事で、真由を支援します。最善のバックアップこそが、私に出来る最善の行動でしょうから〉
「ありがとう、ホルス。私のわがままに付き合ってもらって」
〈ただしひとつ、約束して下さい〉
「何を?」
〈必ず、帰ってくると〉
「当然よ。最強のサイファが、こんな所でやられてたまるものですか」
 ホルスは微笑したようだった。少なくとも、私にはそう感じた。それだけの間が、実際にあったのだが。
〈そうでした。あなたは最強のサイファでしたね。私は慎重になりすぎていたのかもしれません。動揺していたのですね。真由が、記憶を失ったと言う事で〉
「普通は動揺する物よ」
 私は優しく、ホルスをいたわった。
「私が普通じゃなかっただけ。最強の、サイファであっただけ」
〈今は感じられますか、サイファの力を〉
「正直言って、まだ。だけど、先程の戦いで、力の使い方は思い出したような気がする」
〈それはいい兆候ですね。このまま実戦を重ねていけば、少なくともサイファの力は、取り戻せるかも知れません〉
「そして、誰が私の記憶を奪ったか、もね」
〈そうですね。それが判明する可能性は高い。真由。どうか気を付けて〉
「ええ。ありがとう。それじゃ、データの解析を始めましょうか」
〈了解しました〉
 ホワイトアウトしていたHMDに、データが乱舞し始める。私の目では追えない速度で、データが解析・整理されていく様を見るのは一種爽快だった。ホルスは優秀な人工知性体だと、改めて思う。
〈真由。装甲服のシリアルから、購入先が判明しました。ただし、この会社はダミー会社です。このダミー会社は……軍がよく使う会社名ですね〉
「この件には、軍が絡んでいると?」
〈分かりません。しかしこのデータから推測するに、その可能性はあります〉
「フム……購入者名は?」
〈アダム・スミス……良くある偽名ですね〉
「アダム・スミス氏ね。そいつなら、よく知っているわ。覚えているなんて変だけど」
 以前、軍の失態を隠すためにサイファが動員された事があった。その時の責任者というか、とりまとめ役が、アダム・スミスだった。
 もしこの線が切れていなければ、私は手がかりをひとつ、得た事になる。
「あの時のアダム・スミス氏は、今どこにいるのかしら?」
〈装甲強化兵研究軍団……ビンゴですね〉
 その瞬間、私はHMDをしたままシートから立ち上がっていた。
「自称アダム・スミスをとっちめる。そして何故私を襲わせたか、聞きだしてやる」
〈それには彼の帰り道を襲うのがベターですね。この辺りなどどうでしょうか〉
 ホルスが示した地図の辺りは公園になっていた。昼間は人で溢れているだろうが、夜は一転して人通りが少なくなるに違いない場所。
「そうね。ここがいいわ。ここで、アダム・スミスを待ち伏せる」

◆◇◆

 夕方。逢魔が時。
 おおまがどき。大禍時。大いに禍々しい時。
 昔の人間は、この黄昏の空間では魔に会う、と信じていたという。黄昏時の、何もかも曖昧にしてしまうような独特の空気は、確かに魔に出くわしそうな、そんな雰囲気を持っている。
 尤も、今回襲う側なのは、魔などというロマンティックな物ではなく、私なのだが。
 襲われる子羊は、アダム・スミス。まだこの偽名を使っているかどうかは確認が取れていない。だが名などは今回問題ではない。私が目標としている当人であるか否か、それだけが、肝要だ。
 この公園で遊ぶ子供達は、この時間になると家に帰ってしまっていた。こちらとしては、好都合だ。目撃者を減らす努力をせずに済む。
 やがて日も落ち、暗闇が辺りを支配する。この時刻になって、一台の車が角を曲がってきた。ホルスが私に囁く。
〈目標の自家用車です。真由、準備を〉
 どんな準備だか。そんな事を考えつつ、私は腰掛けていた鉄柵から腰を上げて、車が通るタイミングを見計らって飛び出した。急ブレーキの耳障りな音。車は私に触れる寸前で止まっていた。ナイスタイミング。だが自画自賛している暇はない。車の中から、飛び出してくる男が一人。
 「危ないじゃないか! 急に車の前に飛び出してくるなんて、自殺でもする気か!」
 私は微笑を浮かべて応じた。
「いいえ。あなたを待っていたのよ。アダム・スミス」
 間違いない。あの時会った、アダム・スミス当人だった。私は微笑を浮かべたまま、つかつかと近寄ると、アダム・スミスの襟を掴んだ。
「聞かせて貰いましょうか。あんな玩具に、私を襲わせた理由を」
 アダム・スミスは狼狽していた。それも当然か。いきなり飛び出してきた女に詰問されて、混乱しない方がどうかしている。
「君を襲わせた?君は誰だ?いや、君は……千堂真由か!」
「その通り。私は千堂真由よ。この私をあんな玩具で、まさか拘束出来るなんて思っていなかったでしょう?戦闘データでも取りたかったのかしら?それなら正式に依頼書を持って、事務所を訪れてからにして貰いたいものね」
「あんな玩具とは、何の事だ?一体君は、何の話をしている?」
「とぼけないで。軍が、装甲服にサーヴァントを入れて、実験的に部隊を編成していた事は調べてある。その部隊が全滅した事もね。私が、全滅させた。正当防衛だけどね」
 昼間の事件の顛末も、既にホルスを介して調べてあった。警察の後を追うように軍のトレーラーがやってきて、軍事機密を楯に、装甲服の群を残らず引き取っていった。
「あれは……あの計画は、破棄されていたんだ!本当だ、信じてくれ!」
「そう言われても、私がその計画の犠牲になった事は確かよ。どうして破棄された計画が再浮上してこんな事になったの?」
「計画が破棄された理由は……実験体が盗まれたからなんだ」
「盗まれた? あの玩具が?」
「そうだ。何の目的でそんな事をしたのか、軍には分からなかった。それが今日、今になって判明した訳だが。まさか、君を襲うために盗み出したとはね」
 一応、話のつじつまは合う。軍の実験体を盗み出し、私を襲わせる。
 だが何のために?何のためにそんなリスクを犯したのだ?それともリスクなど無く、軍も一枚噛んでいるのか?
 いや、それなら計画を破棄する理由にはならない。何のために、そんな事をしたのか。それは、私が襲われたと言う事自体に言える事だ。何のために、誰が?その疑問が、またひとつ、増えてしまった。
 私はアダム・スミスの襟を離した。聞くべき事は聞いた。後は思考の時間だ。
 去っていく私の後ろ姿に、アダム・スミスが話しかけていた。
「おい! 本当に今回の件は軍は関係ないんだ! 信じてくれよ! でないとおれが銃殺になっちまう!」
「分かったわよ。軍には報復しない。これでいいんでしょう?」
「あ、ああ」
「それじゃあね。アダム・スミスさん。ごきげんよう」
 後は背中越しの会話はなかった。車の去っていく音がする。
 軍への線は切れてしまった。軍への疑惑もだ。軍が単なる被害者だとすれば、後は誰がそんな事を行ったか、と言う疑問が残る。誰が私をあの玩具に襲わせたか、と言う疑問と同じだ。
 誰が? 何のために?
 全てはそこに辿り着く。言ってみれば先程のアダム・スミスへの尋問も、その事に辿り着く証拠固めにしかならなかった訳だ。
〈ご苦労様です、真由〉
「ホント、ご苦労様だったわ」
 ホルスが労ってくれた。私は疲れた返事しか返せなかったが。そんな私に、ホルスが声を低めて確認してきた。
〈真由。最後のカード。使ってみますか?〉
 最後のカード。それは私を襲った装甲服の連中が使っていたワゴンから抜き取ったデータだ。どこから来て、どこへ帰る予定だったか、そのワゴンのナビにはしっかりと記録が残されていた。最後のカードとは、その場所だ。
 そこへ行ってみれば、何か分かるだろうか?それともまた、同じ謎へ辿り着くだけだろうか?
 ともかく、行ってみなければ始まらない。
「ホルス。最後のカード、切るわ」
〈了解しました。十分に、お気を付けて〉
「ありがとう」
 ホルスから温かい激励の言葉を受けて、私も少しばかりやる気を取り戻した。
 目的地までは、タクシーで移動する。無人操縦の、ロボット・タクシーだ。目的地を入力すると、自動的に最適コースを割り出し、目的地まで連れて行ってくれる。
 その柔らかなシートに身を埋めて、私は思考を再開した。

 誰が。何のために。この二つとも、考えてみればサイファの力さえまともなら、たちどころに判明するはずだ。今はそれがないために、こんな、まどろっこしい手段で手がかりを探していかなければならない。相手は、それを期待していたのではないだろうか。すなわち、私が本当に記憶とサイファの力の使い方を失っている、と確認するために、こんな茶番を演出したのではないだろうか、と言う事だ。つまり、相手は、私がサイファの力を振う事が出来ない事を知っている、と言う事になる。これは相当に不利な事なのではないだろうか。
 相手は相当なサイファか、それとも組織か……その両方という線もある。むしろその方が自然だろう。組織力を持ったサイファ。これは相当に厄介な敵だ。
 サイファは基本的に一匹狼だ。その力を使って組織に尽力する、と言う事はほとんど無い。自分の主義に従って、自由に生きている。
 かく言う私もそうだった。ホルスに残された私の行動データを見て分かった事だが。
 尤も、組織から依頼を受けないと言う事はなくて、その依頼が自分の主義に沿う内容ならば、組織からだって依頼を受けていた。軍からすら依頼を受けていたほどだ。企業、個人、依頼人の素性さえはっきりしていれば、そしてその依頼が私の主義、正義、と言い換えてもいいかも知れないそれと合致していれば、私はその依頼を受けていた。
 私は他人に頼る事を嫌う人間だったから、情報屋という人種とは殆ど付き合いがない。だから今も、自分の足で情報を集めている。尤も、情報屋に聞いても無駄な情報を集めているのだから、彼らを頼ろうとするのはお門違いと言った所だったが。

◆◇◆

 記憶と、情報。それらには、大した区別はないのかも知れない。
 個人的に保有している情報が記憶だ、と定義すれば、記憶だって、情報の一部になってしまう。細かい感情の動きや、疎の人間独特の感性すらも、情報たりえる。逆に、情報を個人的に入手すれば、その情報は記憶という名前に変化してしまう。暗記がいい例だ。情報の、記憶化。記憶と情報とは表裏一体で、区別し難い。
 個人的に持っている情報は記憶だ、と言う定義も、どこか胡散臭い匂いがする。それらは公開した瞬間に、公共の情報となってしまい、個人情報としての価値が無くなってしまうのだから。だから、情報屋などという商売が成立するのだ。
 彼らは、金と引き替えに個人的な記憶を情報として相手に売り渡す。そして、公共的な情報となる前の新しい情報を、個人的な記憶として蓄積し、商品とするのだ。
 ならば、記憶とは何だろう。何を持って、記憶と呼べばいいんだろう。
 私は記憶を失っている。しかし個人的な情報と言うべき物は、持っている。これも、記憶ではないのだろうか。ホルスに記憶されていた行動記録だって、そうだ。それもまた、私の記憶たりえる物に違いない。
 そして今日の行動。その記憶。それらもまた、ホルスの中に行動記録として情報化されるのだろう。私の記憶が、情報化される瞬間だ。もちろん私の記憶全てを情報化する事は出来ない。抜け落ちている情報だってあるだろう。だがそれは、記憶とて同じ事だ。段々と薄れ、曖昧になっていく記憶という物は、記録し損ねた情報に似ている。
 情報を引き出そうとしても、別のキーがなければその情報を引き出せない。そういう状態。
 私の記憶喪失状態も、そう言う状態なのだろうか。何かのキーがあれば、思い出せるのだろうか。そして、サイファの力も。
 正直な話、サイファの力さえ、思うがままに操れるようになるのならば、記憶はどうなっても構わない気がしている。その記憶の中に、危険が潜んでいたとしても。
 私の中で大事にしていた記憶も消えてしまうが、そう言った記憶はまた作り直せばいいと思う。これからの人生で。
 勿論、戻ってくるのならば記憶は戻って来るに越した事はない。その中にはきっと、大切な物が、ひっそりと影を落していたはずだから。
 大切なもの。大切な記憶。何かが引っかかった気がした。しかしそちらに意識を向けると、ひょいっと逃げられてしまう。焦燥感。
 私は一体、何を忘れていると言うんだろうか。
 私は、何を忘れている?
 焦ってもしょうがないと言う事は理解しつつも、そこに何らかの手がかりがあるかも知れないと思えば焦りも増す。
 私は何者なんだろう。
 私立探偵で、最強のサイファで、女だ。
 恋人でもいたというのだろうか。しかしそんな甘い記憶とは縁がなかった気がする。何せ私はサイファだ。相手が例えサイファであったとしても、気の休まる時はなかっただろう。独りで暮らしていたのは、きっと伊達ではないはずだ。独りでいる事に、安らぎを感じていたから、というより、独りでいる時しか、安らぎの時間がなかったから。そう思える。
 誤解だろうか。最強のサイファは、そんなにナイーブな存在だったのだろうか。可能性はある。例えどんな事にも。
 例えば、私のサイファの力の暴走で、記憶が失われてしまった、と言う事にも可能性はある。
 人間には自己と他者を隔てるフィルタのような物が存在するが、サイファのそれは曖昧だ。いや、曖昧に出来る、と言った方が適切かも知れない。そうやって自己と他者を曖昧にする事で、読心や過去視などを行うのだ。
 しかしこれには危険性があって、しかしこれには危険性があって、自己と他者の境目が曖昧になって、どこまでが自分か分からなくなる、と言う危険がある。サイファはそのための命綱のような物を用意して、読心などを行うのだ。しかしその命綱無しに他者の心の中に入ってしまったら、どれが自分か分からなくなって出られなくなる。無意識のうちに行ってしまった読心などには良くある事だ。私も、その症状なのかも知れない。
 夢の中で誰かの心に触れてしまい、自己と他者の境が曖昧になっている状態。そんな状態では、確かに記憶喪失状態にもなり得る。だが私は、夢の中で誰の心と触れたというのだろう。
 普通は、眠っていても、心のフィルタは存在する。サイファが眠っていて無意識のうちに読心の能力を発揮してしまったとしても、普通は成功しない。心のフィルタが、その力を跳ね返すからだ。
 成功したとしても、心のフィルタが違和感となって、サイファにとっての命綱となる。朝起きて、自分が誰だったか分からなくなる、と言う事は普通起こり得ないのだ。
 しかし私は最強のサイファだ。普通人や弱いサイファのフィルタなど、易々と突破してしまっていたという可能性は否定できない。そうしておいて自分が分からなくなってしまったというのは自業自得という物だろうか。しかし私とて、無意識のうちの能力発揮までには責任を持てない。
 そもそも、無意識のうちにサイファの力を発揮してしまう、と言う事が有り得ない、と私は思う。私ならば、最強のサイファならば、余計にそうだ。

 可能性としては、私が眠っている間に、強力なサイファが私の心のフィルタを突き破り、記憶を滅茶苦茶にしてしまった、と言う物だ。
 しかしそれにしては私が気付かない、というのはおかしい。何せ私は最強のサイファなのだ。結局のところ可能性の話で、実際性は薄い。
 ただし、私と同等のサイファならば、ひょっとしたら私にすら気付かれずに私の記憶の操作も可能かも知れない。そんなサイファがいるのか。いたとしたら誰か。こんなことをしたのは、何か目的があっての事か。悪戯か。
 考えてみれば、私が最強のサイファと呼ばれる所以も、『現在確認されている中で』という条件付きだ。もし、未確認の強力なサイファがいたら。そして、私を狙ってきたら。
 私は車内の気温が急に下がったような悪寒を感じた。未確認の、強力な、敵。もし相対したならば、戦う以外に無いだろう。妥協点は、ない。私の側にあったとしても、そんな物、向こうが消し去ってしまった。
 私の記憶を取り戻したければ、戦う以外にないのだ。もし、そんな敵がいたとしたらの話だが。

◆◇◆

 タクシーが目的の場所に着く。
 そこはいかにも隠し事に向いていそうな、寂れた倉庫だった。中に人影は、今の所、無い。私はサイ・ブラスターを構えて倉庫の中に侵入する。と、突然倉庫の明かりがついた。やはり、罠だったのだ。予想が当たって、ぞくぞくする。予想が当たって嬉しい気分と、これから起こる事に対する未知への恐怖で。
 私は声を大にして言った。
「ご招待に応じたわよ。誰か知らないけれど、お客様を待たせる物じゃないわよ」
 すると倉庫の正対側に、人影が現れた。忽然と。この感覚は……瞬間移動か。
「驚いてくれないのかね」
 高い男声で、男は戯けたように言った。私は言い返した。
「その程度のマジックじゃね。拍手が欲しければ、もっと演出に凝る物よ」
 男は奇術師の装束を着て、仮面を付けていた。だから表情の変化を見る事はできない。瞬間移動を使える、サイファか。
 私は懐のサイ・ブラスターを意識する。対サイファ用の、今の私にとって最強の武器。ジャケットの前を開けておいたのは正解だった。いざとなればすぐにサイ・ブラスターを取り出せる。恐らくその『いざ』と言う時はすぐに訪れると思われるが。
 この奇術師が、私の知りたい事を素直に喋るとは思えない。ならば、力尽くで喋らせるまでだ。
 私は声を張り上げた。
「昼間、私を襲わせたのはお前か?それともお前達か?」
 つまり、こいつ単独の犯行か、それとも組織の一員としてやったのか、と聞いたのだ。私は恐らく後者だと思うが、ともかく奇術師の反応はこうだった。
「さてさて、何の事やら見当がつかぬ。もう少し詳しく教えて貰わんとなあ」
 私は詳しく教えてやる事にした。
「昼間、私の昼食後に装甲服を着た一群が私を襲ったの。そいつらは珍しい事に、装甲服の中にサーヴァントを入れていてね。それはどうやら、軍の実験体だったようなのよ」
「それと我と、何の関係があると申されるのか」
「そいつ等が乗ってきたワゴンのナビに、この場所がインプットされていた。そうして来てみたら、あんたが出現した、という訳。因果関係は充分だと思うんだけれど、どうかしら?」
 くっくっく、と、奇術師は肩を揺すって笑った。いちいち気に障る奴だ。
「ここは我が舞台。ここで起こった事なら、我はどれだけ離れていても察知する事が出来る」
「それならば、ワゴン車が四台も出入りしていたのなら、すぐに察知出来たでしょうね。あなたはそれに干渉したのかしら?しなかったのかしら?しなかったのならば共犯と見なすけど、いかが?」
 奇術師は戯けて見せた。
「なかなかに厳しい舌端であるなあ。我が無関係である事を、どうしても否定したいか」
「そうね。私はあなたがこの件に無関係だとは思わない」
「我が舞台に無断で入り込み、出ていった者をただ我が見逃した、ただそれだけでも、汝は我がこの件に関係有りと見なすのかね」
「ええ」
「何故か、聞かせて貰おうではないか」
「ワゴンに乗せられていた物は、装甲服よ。ワゴンに乗せるには、それ以外の人員が必要になる。ましてその装甲服は、軍から盗み出された物。それを見過ごしただけでも、あなたは有罪よ」
「有罪、か」
 奇術師はマントを広げ、そして朗々と宣告した。
「なれば更に罪を重ねても問題は無かろう?例えば、ここで汝を殺してしまっても、な」
「開き直りにしか思えないけどね」
 私はサイ・ブラスターを取りだした。右手に構える。
 戦闘の、始まりだった。

◆◇◆

 奇術師はマントを広げたまま、大きく跳躍した。そしてその胸元から赤い薔薇を三本、飛ばしてきた。その先端は槍のように鋭い。
 私は身を逸らしてその薔薇を避けた。すると薔薇は地に堕ちることなく、空中で方向転換すると、私めがけて再突撃してきた。
 私は素手の左手で、その薔薇たちを掴んだ。
 エーテルコートのお陰で、薔薇の刺で傷を負う事もなく、薔薇は私の手に収まった。
 薔薇は狼狽した風に私の手の中で震える。その薔薇を、私はへし折った。すると薔薇はただの薔薇となり、私が放り捨てると地面へと散らされた。
「サイファの力が無くとも、なかなかの身ごなしだ、千堂真由」
 奇術師が空中で感嘆した。そいつに向かって、私は指摘した。
「今の私はサイファの力が使えない、それを知っていると言う事は、お前もこの件に関わっている、という何よりの証拠ね」
 奇術師はわざとらしく、仮面に覆われた口元を押さえた。
「感嘆の言葉も迂闊に発せられぬなあ。確かに、我はこの件に関わっておる。汝の記憶を奪った男の名も、知っておる」
 私の瞳に閃光が走った。
「どうやら意地でも、あなたから聞き出さねばならない事が出来たみたいね」
 奇術師は戯けて言った。
「おお、どうやら口を滑らせてしまったようだ。これでは容赦して貰えぬだろうなあ」
「ええ。絶対に、容赦しないわ」
 私はこいつを生け捕りにして、私の記憶を奪った奴の名を聞き出さねばならない。そいつの、居場所も。その為には容赦などしていられなかった。まあそうでなくとも、手加減も容赦も、初めからする気もなかったが。
 ふと心づいて、私は苦笑の発作に耐えねばならなかった。こいつはひょっとしたら先の発言で、自分の身を保証しようとしたのではないだろうか。つまり、私に万一にも殺されないための、保険だ。ああ言っておけば、私はアイツを殺しはしない。つまり殺されずに済む、と言う訳だ。
 それに気付いて、私は残酷な衝動に駆られる自分を意識した。

『――喰らう』

 喰らう? 何を? 私には理解出来ないその衝動は、しかし消える事はなかった。
 むしろあの奇術師を見るにつれ、その衝動は増してきてさえいる。

『サイファ――喰らう……』

 サイファを、喰らう?それはサイファが発するエネルギーを喰らうと言う事か?それとも……サイファ自身を喰らうと言う事か?
〈どうしましたか、真由?〉
 私の異変に気付いてか、ホルスが私に語りかけてきた。
「ホルス。サイファを喰らうって、どういう意味?」
 ホルスは一瞬黙ったものの、結局は答えた。
〈そのままの意味です。サイファ、その力を喰らう、という意味です。もちろん、食われた相手のサイファの力は、消失します。あなたが最強のサイファであり続けた理由は、そこにあるのです。相手のサイファの力を喰らい、成長する。本来、成長という概念がほとんど存在しないサイファの力を、あなたは他者から奪うという方法で伸ばす事が可能だったのです。そしてそれは、今も可能でしょう。サイファを見て、喰らいたいという衝動に駆られていますね、真由?〉
「……ええ」
〈いい兆候です。あなたの最強のサイファの力、『サイファ喰い』は、あなたの中で眠っていたと言う事です。そのサイファは、あなたの敵ですね?〉
「ええ、そうよ」
〈なら、思う存分に喰らいなさい。そうしたら、記憶の一部分でも回復するかも知れない〉
「……この、衝動のままに行動しても構わない、と言う事?」
〈そうです。それは、真由にとって正常な衝動です。サイファの捕食者。それがあなたなのですから〉
「何だか、あまり気分は良くないけれど、分かったわ。私はアイツのサイファの力を、喰らう。その事で、分かる事もあるでしょうしね」
〈はい〉
 私の視線を受けた奇術師は、戯けた風で両手を広げた。
「おや、我を見る目つきが変わりましたかな。我を喰らいたい、そう言う目つきですぞ」
 私はその言葉を否定しなかった。アイツは私の敵であると同時に獲物なのだ。それを自覚して、戦わねばならない。そしてアイツも知っているのだろう。自分が、獲物として見られている事を。だから、降りてこない。私の射程に、入ってこない。しかし。
 私にはサイ・ブラスターがある。これを有効に使えば、アイツを引きずり下ろす事も可能だろう。
 どう使う? 私にとって最強の武器を。私の意志に従う、この銃を。
 私の意志に従う、と言う事は、私のサイファの力をある程度反映する、と言う事だろうか。だとしたら話は簡単だ。サイ・ブラスターを介して『サイファ喰い』をやればいい。ただ飛行能力を奪うだけでいい。それで、私はアイツのサイファの力を、喰らう事が出来るはずだ。
 サイファの力の喰らい方自体は、もう思い出していた。後は、実践するだけだ。
「……戦いに必要な事は、全て思い出してしまったようですな」
 奇術師が言った。私は言葉を返す。
「ええ。お陰様でね」
「……結局は我も、駒のひとつに過ぎなかった、そう言う訳ですかな」
「そうかもね。でも、同情はしないわ。せめて私の、糧になって頂戴」
「そう簡単には参りませんぞ。我にも意地がある故、必死で抵抗させて頂く。窮鼠、猫を噛むと申しますからな」
「あなたは鼠と言うほど弱くもないし、私も猫の立場を楽しんでいる訳じゃない。戦いは、これからよ」
 場の空気が張りつめる。
 この空気、嫌いじゃない。『サイファ喰い』とは違う意味で、ぞくぞくしてくる。これも、私の悪癖だろうか。戦いを、好むという。決して好戦的ではないが、戦いとなればそれを思い切り楽しむ。この奇術師には悪いが、私にとってこの戦いは、既に娯楽の域に達してしまっていた。生命を賭けた、娯楽。尤もこの奇術師も、戦いを娯楽として見ているような気がした。

 さて、相手は宙に浮いている。空中浮揚のサイファだ。瞬間移動のサイファでもあり、念動力のサイファでもある。正に奇術師。そんな相手にどう仕掛けるか。
 私は相手が仕掛けてくるのを待つ事にした。サイ・ブラスターで空中浮揚のサイファを喰らってしまえば話は早いのだが、それでは面白くない。相手の全力を叩き潰して、そうして『喰らう』のがいいのだ。優越感の混じった、エクスタシィ。
 私が動かない事に焦れたのだろう。奇術師が再び、薔薇を構えた。今度は五本。投擲する。薔薇は複雑な軌道を描きながら、私に迫ってくる。その全てを、叩き落とす。しかしそれだけでは、薔薇は再び私に向かって突撃してくる。この薔薇を破壊するくらいの力がなければ、この薔薇は永遠に私を襲い続けるだろう。
 今度はへし折るくらいのつもりで、手刀を打ち込む。一本に構っている間に二本に回り込まれた。だが関係ない。振り返っての手刀で、二本まとめてへし折る。これで三本。残り二本は、正対方向から襲いかかってきた。私に刺さる寸前に、受け止める。そうしてへし折り、五本全てを片づけた。
 私は頭上の奇術師に向かって、挑発した。
「どうしたの?薔薇を投げるだけがあなたの全てなの?この程度じゃ、熱くなれないわ」
 奇術師は挑発に乗ったか否か、分からなかった。仮面を被っているから、表情の変化を読む事も出来ない。だが今度は、トランプを取りだしてきた。そして言った。
「では次のステップと参りましょう。このカード、全てを受けきれますかな?」
 そしてトランプのカードを空中にばら撒いた。ばら撒かれたトランプは空中で静止し、複雑な軌道を描きつつ私に迫った。
 技としては先程の薔薇と変わらない。だが次はカードだ。数が尋常でないし、打ち落とした程度ではすぐ復活してしまうだろう。
 これだ。この緊迫感。この緊張感。
 これが私のサイファの力を高ぶらせる。
 私は手に『サイファ喰い』の力を込める。これで、打ち落としたカードはただのカードになる。サイ・ブラスターをホルスターに戻し、両手を空ける。そうして私は、カードの群を向かい撃った。
 手刀がカードに触れる都度、力が少しずつみなぎる感じがする。カードに込められた念動の力を、『喰って』いる証拠だ。
 勿論両手だけでは捌ききれず、幾枚かは私の体に届く。だがエーテルコートに阻まれて、私の身体に傷を付けることは叶わない。
 しかし数枚だからこそ、エーテルコートで防げている訳で、これが数十枚となると、私のエーテルコートでも過負荷に達するだろう。私はカードの群を、時には叩き落とし、時には避けて、捌いていく。
 この、充実感がいいのだ。戦いの、充足感。
 不意に、頭上から殺気を感じて、そちらにも注意を向ける。
 奇術師は、細剣を抜いて、自ら私に襲いかかってきたのだ。カードの群は、まだ尽きない。
 ぞくぞくする。
 カードを捌きつつ、奇術師の細剣を捌ききれば、私の勝ち。少しでも失敗すれば、私の負けだ。
 さあ、どちらだ?
 目くらましか、一枚のカードが私の眼を狙う。私はそれをはたき落して、突き込んできた細剣をかわし、奇術師の腕を取った。そのまま後ろに回し込んで、極める。
 そうして私は、奇術師の喉笛に食らいついた。さながら、吸血鬼のように。
「おおおおおぅおぅおぅぅ……」
 奇術師が意味不明の呻きを上げる。私にサイファの力を吸い上げられている、その感覚を味わっているのだろう。不快感か、それとも快感か。どちらとも知れない。私は喰う側だから。
 未だ空中に留まっていた幾枚かのカードが、ひらひらと地に堕ちる。カードを支えていた、奇術師の念動力が消え失せた所為だ。
 奇術師は最早、サイファではなかった。
「勝負がついたようね」
 私は奇術師に言った。腕を極めたまま。
「どうやら、そのようであるなあ」
 細剣を手放し、奇術師は変わらず戯けて言った。腕を放してやると、極められていた腕を振りながら立ち上がった。そんな彼に、私は言った。
「さて、教えて貰いましょうか。私の記憶を奪ったのは、誰なのか」
「そう言えば、そんな約束もしたよのう」
 あくまでも戯けて奇術師は言い、はっきりとその名前を口にした。
「北斗破軍(ほくと はぐん)。そのお方が、お主の記憶を奪いなさった相手であるよ」
 私は問い質さずにはいられなかった。
「何のために?」
 奇術師は戯けて首を振った。
「何のために?何のためもござらんよ。ただ勝者が、敗者から奪った、ただそれだけの事にござる」
 それは衝撃的な言葉だった。そんな行動記録など、ホルスには記録されていなかったからだ。
「私が、戦って、負けた?いつの事?」
 奇術師は厳かに言った。
「昨晩の事にござる」
「昨晩ですって!?……それは確か?」
「勿論にござる」
 念のため、ホルスに確認してみる。昨晩、私がどこかに出かけたか。
 しかしそんな記録は、無かった。
 そんな私を見て、奇術師はおかしそうに肩を揺すって嗤った。
「サイファ同士、必ず顔を突き合わせねばならないと言う事もございますまい?確かに昨晩、汝は破軍殿とお会いしておりますよ」
 確かにサイファ同士ならば、顔を突き合わせなくとも会話したりする事は出来る。現実空間でも、夢空間の中でも。
「……まさか、夢の中?」
「その通りでござる」
 なるほど、それならば納得も行く。ホルスに行動記録が残っていなかった事も、眠りから目覚めて初めて記憶を失った事に気付いた事も。それが夢の中の出来事、いや、戦いならば、現実世界では朧にしか分からないだろう。
 夢の中、いや夢世界とでも言うべきか、私はその中で戦った事はない。戦いの充足感が、得られないからだ。目覚めてしまえば、その世界は崩壊する。そんな世界は幻と同義だと思っていたが、どうやら認識を改めねばならないようだった。
 奇術師が、初めて、真面目な口調で口を開いた。
「『我、夢に胡蝶となるか、胡蝶、夢に我となるか』と申すでありませぬか。夢と現実とは、実はさほどに、かけ離れた世界ではござらんよ」
「多層化した世界の内の、たかが二つ、という訳か……」
 『世界』という、大きなものを形作る、多層化した小さな世界たち。現実世界も、この中に入る。この小さな世界達は、互いに干渉し合いながら大きな『世界』の中に存在している。
 今回の、北斗破軍による私の夢世界への干渉も、考えてみれば大したことではないのかも知れない。世界同士が、互いに干渉し合う事を考えてみれば。 
 しかし現実問題として、私は北斗破軍に干渉されたお陰で、記憶を失った。これは恐らく、確かな事だろう。ならば、奴とは夢世界を介してしか、相対する事が出来ないのか。それとも、現実世界でも会う事は可能なのか。それだけでも、随分と差が出てくる。
 現実世界で対処出来るなら、話は簡単だ。北斗破軍に会って、記憶を返させる。しかし夢世界でしか会えないというのであれば、私はかなりアドバンテージを失う事になる。私は未だ、サイファの力の制御を取り戻していないし、夢世界で自由に行動する、などという器用な事は出来そうになかったからだ。北斗破軍に負けたのも、その辺りが原因なのではないだろうか。
 夢世界で自由に行動する事、これは重要な事に思えた。
 自宅に帰ったら、試してみよう。そう決意して、私は奇術師に背を向けた。
「お帰りになるのかね」
 奇術師が言った。私は首肯する事で返事を返す。すると奇術師が、意外な事を言った。
「今日は破軍殿は、いらっしゃる事はないであろう。明日は、セトという男を訪ねるがよろしいですぞ」
「セト?」
「汝の持っておる、サイ・ブラスターの制作者であるな。他にも、役に立つ事を聞けるかも知れませぬ」
「……なぜ、私に親切事を?」
 奇術師はまた、戯けた風を見せた。
「なあに、我に勝った、その代償と思えばよかろ。安心されよ。偽情報は、混ぜておりませぬ」
 そう言って、奇術師はからからと笑った。
「それじゃ、有り難く情報は頂くわ」
「おお。気を付けてな」
 敵であった相手に気遣われるというのも妙なものだ。私は待たせてあったロボット・タクシーに乗り込んで、家路についた。


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