奇想流離譚 04

〈4〉

 シャワーを浴びる。今日一日の疲れが、溶けて流れていくようだ。そして、新たに身を引き締める思い。
 残念ながら、今日はまだ、終わっていない。
 体を拭き、私は明日の服を用意して、全裸のままベッドに入った。その方が、夢世界を捕まえやすいと思ったからだ。枕元には、サイ・ブラスターを忍ばせてある。寝室の明かりを消し、私は目を閉じた。
 気配を感じる時のように、夢世界の鍵を探る。段々と襲ってくる眠気の中で、私は眼前に夢世界が開くのを待った。
 そして、私は眠りについてしまう。だが、意識が分離したかのように、眠っている自分を意識できる。半覚醒状態といった所だろうか。それとも、夢世界を捕まえる事に、成功したのだろうか。今の状態では、何も分からない。
 ひょっとしたら夢世界というのは、現実世界と並行して存在するのだろうか。それならば、今の状態も納得がいくのだが。
 やがて半覚醒状態も過ぎ、私は完全に眠り込んでしまった。その時。
 視界が、ぱあっと開けたような感覚があった。続いて見えたのは、白と青の世界。真っ白な空間に、青い何かがぽつぽつと浮いているのが見える。
 何だろうかと覗き込んでみると、それは青い繭に包まれた人間だった。パジャマを着た人間。どうやらこの青い繭は、普通人も持っている、自他を区別するフィルタを視覚化したものらしかった。
 私の繭も見つける事が出来た。裸で眠っている、私。自分をこうして見下ろすのは、妙な気分だった。しかしどこか、おかしい。よく見てみると、私の繭には破れ目があった。ここから、夢世界にアクセスしているらしい。
 夢世界内から、自分を見下ろしてみる。全身が、青い膜で覆われていた。自他を区別するフィルタが、青い膜となって現れているのだろう。これでこの世界でも、自分が分からなくなると言う事はないはずだ。
 歩くとも泳ぐともつかぬ、奇妙な浮揚状態で前へ進む。考えてみれば、私はこの世界に来る事だけを考えていて、そこで何をするかという目的がなかった。さて、どうするか。このまま帰ってもいいのだが、それでは少々癪だ。何か目的を果たして、帰りたい。
 例えば、北斗破軍の繭を見つける、とか。
 しかし、現実的には不可能だろう。私は、ソイツの顔も知らないのだ。もし隣に寝ていたとしても、分からない。十把ひとからけの他人と、同じだ。この広大に広がる世界の、どこを探せばいいと言うのか、それも、分からない。要するに、この世界で、私から北斗破軍を探す事は不可能だ、と言う事だ。面白くない結論だ。
 しかしこの空間には、青い繭の他には何もない。それが何となく、不満だ。もう少し、代わり映えのする光景が見れたらいいのに、と思う。
 だが、ここはこれでいいのかも知れない。夢空間とは、安らぎの空間だ。悪夢を見る者もいるかも知れないが、基本的には皆、安らぐ夢を見ているはずだ。ここは本来、活動をする空間ではない。サイファである私は、意識活動を行う事が出来るようであるが。肉体活動はどうだろう。恐らくは、出来るはずだ。私はこの空間で、北斗破軍と戦った、と言うのだから。この、今まさにこうして思考している『私』という状態で、恐らくは戦ったのだろう。
 この、今の『私』という状態は、一体どういう状態なのだろう。意識を肉体から取りだした状態に何となく似ているが、それにしては肉体とのリンク状態というか、現実世界にあるはずの肉体の状態が何となく分かる、という状態だ。
 不思議な感覚だ。心は肉体を離れているというのに、肉体を感じられるというのは。幽体離脱とは、こういう状態なのだろうか。私には幽体離脱の経験がないから、想像する事しかできない。正確には、その記憶がないから、か。ま、今の私にとってはどちらでも同じ事だし、どちらでも良い事だが。
 しかし幽体離脱というのはいい例えだと思う。あれは現実世界に自分の意識を飛ばす技だが、今の状態は別の世界に意識を飛ばしている。それだけの違いだ。
 さて、これからどうしようか。本格的にやる事が無くなって、私が次の行動に悩んでいると、不意に声が響いた。老いた男性の声だ。
『やれやれ。凝りもせずようやってくるな。お前さんは』
 呆れたようなその声には敵意を感じないが、しかし声がどこからやってくるか分からない。私が警戒していると、笑いの波動が直接、脳裏に響いてきた。
『無駄じゃよ。この世界には、距離の概念はない。中途半端にしかサイファの力を扱えない今のお前さんでは、わしの姿を捉える事は不可能だろうて』
 悔しいが、その通りだった。私には、この老人の声をした何者かの姿を捉える事は、出来なかった。しかし声は届くだろう。勝手にそう推測して、私は声を発した。
「あなたは私の敵か、それとも中立か、どちらなのか、それを聞かせて欲しい」
 声はいくつかの間をおいて、返ってきた。
『今は中立、と言っておこう。じゃが昨日のように、ここを荒らすようなサイファの使い方をしたら、今日は許さん』
 私は安堵した。それなら安心だ。
「それなら気遣う必要はないわ。私は今日は、ただここに来たかっただけだから」
『そうまでして、手がかりが欲しいかね』
「ええ」
 私が即答すると、声の主はまたしばしの間、沈黙した。
 暫くこの沈黙は続くかと思われたが、杞憂だった。声の主は重い口を開いたからだ。
『激烈な戦いじゃった。それも道理。何せ、『この世界』の、命運がかかっておったからのう』
 私は唖然とした。『世界』の、命運?
「それで、私が負けて、『世界』は、この幾多の世界は、どうなったの?」
 声の主は、厳かな声で告げた。
『滅びる。昨日、そう定まった』
「昨日、定まった、ですって?私と北斗破軍との戦いは、そんな意味を持っていたの?」
『戦い自体に意味はない。意味があるのは、その結果のみ』
「だから、どうして私と北斗破軍との個人的な戦いの結果が、『世界』それ自体の存亡に関わってくるのよ!」
 声の主は嗤った。嘲る風でもなく。
『最強と評されるサイファが二人、この符号に意味がないと思ったのかね。そもそもお主等が戦う羽目になったのは、まさしく『この世界』の命運がかかっておったからよ』
 そんな情報は、ホルスには入力されていなかった。恐らく私自身、信じていなかったのだろう。エラーとして、処理してしまったのだ。
 しかし現実はシリアスだった。あるいは、意地悪だった。ホルスに入力しなかった情報は、とても重要だったのだ。まさか、『この世界』自体を揺るがす戦いになるとは、その時の私は、思ってもいなかったに違いないから。
 しかし、北斗破軍。彼と戦う事までインプットしていなかったというのは、どういう訳だろう。きっと、訳があるに違いないのだが。
 ホルスに話しかけられないのがもどかしい。私は覚醒しようかと思ったが、思いとどまった。もう少し、この『声』を聞いていた方がいいと思ったからだ。
 私は『声』に訊ねた。
「北斗破軍。彼は今、どこにいるの?」
『ここにはおらぬ。つまりまだ、眠ってはおらぬという事じゃな』
「……そう」
 声の主は嗤った。今度は嘲りを込めて。
『闇討ちでもする気かね』
 私はむっとした。声も自然、憮然となる。
「違うわよ。顔を見ておきたかっただけ。どうせこの世界で、どうこう出来る相手ではないようだし」
 声の主は言った。
『それは違うな。この世界だからこそ、北斗破軍を直接どうこう出来るのだ』
「……どういう事?」
『北斗破軍は、不死のサイファなのじゃ。だからこそ、夢世界でお主は戦ったのじゃ』
 私は愕然とした。不死の、サイファ、人間ですって?そんな馬鹿な。
『厳密にはサイファと人間とは違う種族じゃ。それは、お主の人工知性体も言うておったろうが。北斗破軍は、不死の、サイファじゃ。人間ではない。だから殺すには、同等のサイファの力が必要だった。千堂真由。お主のような、な』
「『サイファ喰い』……」
『そう。サイファの力そのものを喰ろうてしまえば、北斗破軍は消滅する。それが恐らく、唯一の奴の『死』じゃ。いや、もうひとつ、あったかの。『この世界』の消滅。これで、奴も、死ねる。他の諸々同様に、な』
「まさか、北斗破軍は……」
『そう。奴は自らの消滅を願って、『この世界』を消滅させようとしておる。お主と戦って、死が叶わぬと知ったからじゃ』
「そんな事はない。私はまだ、生きている。『サイファ喰い』の、サイファもある」
『再戦する気かの。北斗破軍と』
「ええ。あなたの話を聞いて、ますますその気になったわ」
 北斗破軍は『この世界』全てと無理心中しようとしている。それは絶対に止めねばならない事だ。
 なぜ?何故私が、こんな苦労をせねばならない?何故私だけが、危険を冒して、一度負けた相手に再戦を挑まねばならない?
 答えは簡単だ。私にしか出来ない事だから。北斗破軍を止めるのも、彼を殺す事も。
 北斗破軍は『不死』のサイファを持った男だ。それを殺すには、そのサイファの力を喰らうしかない。『サイファ喰い』の力を持った、私にしか出来ない事だ。
 まして私には、北斗破軍と戦う理由がまだある。
 私の、記憶だ。それを返して貰わねばならない。北斗破軍は『記憶喰い』のサイファでもあるのだろうか。それとも、私が、思い出したくないだけ?そんな馬鹿な。たかがそんな事で、ここまで完璧に記憶を失う事など有り得ない。確かに、思い出して後悔する事はあるだろう。だが、それを恐れていては、私の過去は永久に戻っては来ない。
 そう。私が取り戻すのは、私の過去だ。過ぎ去ってしまって、もう取り戻す事は不可能な物だ。しかし、それでも大切な物には違いない。今の私を形作った、私のルーツだ。今はそれが、断ち切られている。取り戻さねばならない。
 しかし北斗破軍は、何故死にたいのだろう。この世に絶望したから?
 それは可能性としては有り得る話だ。そこに至る経緯も、複数が考えられるだろう。恋人を失ったとか、不治の病に罹ったとか。
 北斗破軍の身の上で、不治の病にかかったら最悪だろう。文字通り、永久に苦しまねばならないのだ。何十年も生きて、その病気の治療法が確立されるまで。
 考えてみれば、『不死』というのも一種の病気に思える。永遠に死なないのではない。永遠に、死ねないのだ。自分で得たそれならば、まだ自業自得だろう。しかし北斗破軍のそれは、自動的な物だった。彼が『この世界』を恨んで心中しようとするのも、考えれば納得がいくような気がした。あくまで、彼の立場で、だが。
 私の、あるいは他の者の立場で考えたならば、やはり納得出来ないだろう。何の前触れもなく、殺されるのだ。そんな事は、看過出来ない。止める力を持つ物が、それを止めようとするのもまた、自然な成り行きだろう。今回は、たまたまそれが私だった、それだけの話だ。
 私は決して、世界を救う勇者ではない。ただの、サイファだ。それが私の矜持だろう。押しつけられた役割を演じるのではなく、自発的に、やるのだ。
『北斗破軍と再戦するのであれば――』
 声の主が、久々に口を開いた。
『――再戦するのであれば、お主に有利な世界を選べ。ここは、お主にとって有利なフィールドではない』
「そうね。何となく、居心地が悪いもの」
『お主のサイファの力が、ここは自分のフィールドではないと、お主に警告しておるのじゃ。ここはむしろ、北斗破軍に向いたフィールドと言える』
「死にたがっている男が、自分に有利なフィールドを選んだ?どういう事?ここでしか戦えないから?そもそも死にたいのなら、何故私と戦うなどと言う冗長な事をしたの?死にたいのなら、素直に喰われればいいのに」
『自殺したいから『サイファ喰い』をしてくれ、と言われて、お主、やれるかよ?』
「それは……出来ない事はない。だけど、後味は悪いわね」
『それを気遣っての事じゃ。自分の目的を隠し、お主に戦いを挑んだ。自分に有利なフィールドである事を忘れて、の』
「余計な気遣いね。私は戦いは好きよ。だけど無駄な戦いは回避したい。北斗破軍が私に気を遣って戦いを挑んだというなら、余計なお世話、というしかない」
『それは、北斗破軍もお主と同じ病気を持っておるからじゃろうな』
「……どういう事?」
『戦いの中にいつも、何かを見いだそうとする。見いだそうとしながら戦う、という事じゃよ』 
「……私と同じ悪癖を、北斗破軍も持っていると言う事?」
『その通りじゃ。戦い自体に意味など無いというのに、お主等はそれに何かしら意味づけをしようとしておる。お主等自身の矜持のために。自己中心的な考えじゃな』
「でも、戦いに意味など無い、と達観してしまったら、これまでの戦いで散っていった者たちはどうなるの? 塵芥も同然、という事なの? そんなのは、認められない。だから私は戦いに意味を求める。いつも」
『戦いで散る者たちのために、意味を求めるというのかね。それは、傲慢な考えじゃ。戦いで散っていく者たちは、戦いに意味など求めてはおらんよ。ただ、消えていく。それだけの存在じゃ』
「それでも、残されたものは意味を考えてしまうのよ。戦いの、意味を」
『奇特な事よな。誰も、それを望んでなどおらぬのに』
「誰が望んでいようといまいと、関係ないわ。だって、私自身にとって必要な事だから」
『認めるのじゃな。自己中心的な行為だと』
「ええ、認めるわ。しかしこの行為を止める事も、無い」
『愚かな、とは言わんよ。確かに愚かしいが、人がその愚かしい行為を積み上げて現代に至った事も、また事実じゃからの』
 その声の言葉で、私は悟った事があった。
「あなたは、人間の敵でも味方でもないのね。ただ、人間を、観察しているだけ」
『その通りじゃよ。この世界を通してな。この世界こそ我そのものと言っても過言ではない。我は、この世界を、愛している。この世界だけを、愛している』
「だからこそ、この世界を破壊しそうになった、私と北斗破軍とを、意識せざるを得なかった。そういう事ね」
 この『声』の主は、恐らくはこの世界の管理人か何かだろう。神、と言い換えてもいいかも知れない。尤も、それ程の力は無いようだが。何せ、私と北斗破軍の戦いを、傍観する事しか出来なかったのだから。
 しかしだからといって、私はこの存在を侮ったりしない。何せこの世界の『主』だ。敬意を払うに値するだろう。

 私はそろそろ、帰る事にした。もう聞く事も、無くなったから。
「話を聞かせてくれてありがとう。何も、お礼は出来ないけれど」
『この世界で何者にも干渉せなんだ、その事だけで十分じゃよ。――千堂真由』
「何?」
『昨日はお主は、北斗破軍とはここでしか戦えなかった。だが明日は、それを変えて見せよ。それが、勝機じゃ』
「わかったわ。ご忠告、感謝する」
『達者でな。『この世界』が存続する事を、願うておるよ』
 私は頷いた。それが、夢世界での最後の記憶だった。急速に視界が狭まり、私は本当の眠りに落ちた。


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