第1話 初めての土曜日(1)

<1>

「「は〜あ〜と〜はぁ〜い〜つも〜、ぜ〜ん〜か〜い〜む〜てき〜!」」
 能天気な歌声がうちのパーティーホールに響く。歌っているのは我が姉君達である。
 ――『ぜんかい』は『ぜんかい』でも、『全開』というよりは『全壊』だな――僕はそう現状を評した。
 巧いか稚拙(へた)かについては論評を避けるとして――僕だって人の事を言えた義理じゃない――楽しんでいることだけは伝わってくる。まぁ、その事については別に構わないのだが……
「母さん、未成年にアルコールを盛るのやめない……?」
 ……あの二人が、明らかに酔っ払っていることは大いに問題だった。
「あぁん、硬い事言わな〜い♪」
 予想通りの母のお言葉だった。しかし、ここで引く訳にもいかない。……まぁ、引かずとしても、どうこうできるとも実のところ思わなかったりはするのだが。それでも、注意を喚起せずにはいられないのである。
「いや、別に法規上のこと言っている訳じゃなくってさ……」
 ……うちの未成年連中は、揃いもそろって酒癖が悪いのである。まともなのは、ザルの燈真と健司、呑まない僕くらいのものだろう。その事実は隠れもしないのだが――どうもうちの成年たちは、その認識に欠けているようなのである。
 ……尤も、単に『事態を面白がっている』だけなのかもしれないが……
「そんな顔してないで、司も楽しみなさいよ。楽しめる時に楽しんどかなきゃ勿体ないでしょ?」
 それは確かにその通りかもしれないが……母さんに言われると、どうにも説得力の面で心許ない。
 だからと言って、ここで宴会の意義などを問うた所で、無意味なのは明らかだった。
 僕は母さんとの不毛な会話を切り上げて、大騒ぎの中を適当に歩き回る事にした。

◆◇◆

 入学祝いという名目で始まった宴会――というより馬鹿騒ぎ――の中、ふと心づいて、僕はイレインの姿を探した。
 彼女は、テーブルの一つの傍で、ぼんやりと立っているように見えた。
 ――様子がおかしい。
 イレインは、人見知りとかする事はないが、あまり自分から話しかけたりする事もない。それでも、あんな風に何もせず立っているだけ、というのは変だ。
 僕は早足でイレインの側に近づくと、彼女の肩に手をかけた。
「イレイン?」
 彼女を呼ぶ声にも、焦燥が混じった気がする。
 イレインは、ゆっくりと僕の方を振り向き――
「あ゛〜〜〜〜〜っ?」
 ……酒臭い吐息と共に、言葉らしきものを吐いた。
 ………………ちょっと、マテ。

 僕はもう一度、イレインの状態を確認する。
 眼――やや潤み、目尻がやや下がって、とろんとした印象がある。
 顔――全体的に、朱を帯びている。
 嗅覚――アルコールの独特な刺激臭が、鼻につく。
 言動――呂律がおかしい。
 ……これらを総合するに――イレインは酔っている。しかも完璧に。

「誰だよ、イレインに酒なんて呑ませたの……」
 ぼやきながら周囲を見回し、犯人らしき人物を物色してみる。
 結果――ほとんど全員、怪しい。
 ……探すだけ無駄だった。
 母さんに桃子さん、フィアッセさん初めソングスクールの在校生・卒業生の面々、僕たちの一族からも何人か、そして巻島のじーさまにさざなみ寮のお歴々、その他エトセトラエトセトラ。
 ……はっきり言って、そこらじゅう容疑者だらけだ。
 考えるのが馬鹿馬鹿しくなって、僕は犯人確保を諦めた。
 すると、さらに別の疑問が頭をもたげてきた。
「なんで酔うんだよ、イレインが……?」
 生憎、僕の疑問に答える者は、誰もいなかった。
「あぁん? あたしが酒呑んじゃいけねーっつーのかぁ?お?」
 ……訂正。いるにはいた。…………答えてくれなくてもいい状態の方が。
 …………イレイン、絡み酒だったのか。
 ……知らなくてもいい事実をひとつ、発見してしまった。
「おりゃぁ! だまってないでなんとかいわんかぁーい!」
 ……単に、呆れて声が出せないだけである。
「お?そーか、酒が足りないんだ?よーしあたしが許す!司も呑めのめ〜っ!」
「なんでそうなる!?」
 思わず抵抗してしまった。イレインが据わった上目遣いで僕を見上げる。
「あんだぁ?あたしの酒が呑めないっつーのかぁ?おぉ?」
 ………………最悪だ。
 しかし、それでも僕は状況を打破すべく、何とか説得を試みた。
「いや、呑めない訳じゃないけど……イレイン、もう酔ってるみたいだからさ――」
 僕の言葉が終わらぬ間に、イレインの眼がさらに据わる。
「あたしは酔ってなんかないっつーの! いーから呑めぇっ!!」
「うわ――モガ……」
 イレインはそこらに転がっていた封の切られていない一升瓶を拾い上げると、封を一瞬で開封して、その瓶口を無理矢理僕の口に押し込んできた。
 物理法則の従うまま、瓶の中身は僕の口腔内を経由して、胃袋の中に流れ込んでいく。

 ――『夜の一族』でも、急性アルコール中毒ってあるのかな?
 薄れゆく意識の中、僕はそんな下らない事を考えていた――

◆◇◆

「ねぇ、ノエル」
 ――小さな子供が、舌足らずな口調で、うちのノエルに話しかけている。
 どこかで見た気がする子供だな……などと思って、次の瞬間苦笑してしまう。
 何の事はない。昔の僕だった。
 あぁ、これは夢なんだな――そう思いつつ、しばらく静観する気分になっていた。
「どうなさいました、司お坊ちゃま」
 優しさと礼儀正しさが最高クラスで調和されたノエルの表情と物腰は、今と全く変わらない。違うのは、僕の呼び方くらいだろうか。
 ノエルの答えに、幼い僕は、何故か――いや、今の僕は理由は分かっているのだが――泣きそうな表情をした。
「どうして、ノエルは僕にそんなに優しくしてくれるの?」
 僕の問いに、ノエルは優しい笑みを浮かべて答えた。
「司お坊ちゃまは、恭也様と忍お嬢様のお子さまですから」
 その答えは、幼い僕を満足させなかった。
「でも、僕は父さんと母さんのホントの子供じゃないよ。ノエルも知ってるでしょ?」
「はい。存じています」
 ノエルでなくとも、それ以外に答えは思いつかないだろう。
「じゃぁ、ノエルが僕に優しくする理由なんてないじゃない……」
 僕はそう言って、涙目になっていた。
 今から思えば――ある意味拗ねていたのだろう。ただその意地を張る範囲が、幼い子供にしては広かっただけだ。
 実の親にすら捨てられた哀しみと、父さんと母さんに救われた事に対する一種の劣等感、そういったものが世界自体への不審となって表れていたのだろうと思う。
 そして、自分に優しくしてくれるノエルが、本当は人間ではないという事を知って、さらにショックを受けていたのだと思う。

「司お坊ちゃまが、どこでお生まれになったかは、あまり関係はありません。司お坊ちゃまは、恭也様と忍お嬢様に引き取られて、お二人のお子さまとして育てられています」
 僕が、過去の自分の心理を考察している間に、話は続いていた。
「心をもつ『もの』は、その生まれではなく、どう育てられたかによって、如何様にも変わります。ですから、恭也様と忍お嬢様に育てられる司お坊ちゃまは、間違いなくお二人のお子さまです」
 ――幼い僕にとって、その答えは斬新かつ衝撃的なものだった。
 今から思うに、この言葉から、『事実』なり『事象』には、複数の異なる『真実』や『見解』が存在するという事を知ったのだ、という気がする。
 呆然と見上げる僕に、ノエルはなおも続ける。
「恭也様と忍お嬢様は、私にとって、大変立派なご主人様です。ですから、私にとって、お二人は喜んでお仕えするに値する方々です」
「……だから、二人の子供である僕にも、優しくしてくれる、って言うの?」
「はい。そうですよ」
 ノエルの答えに、僕はムキになって言い返していた。
「でも、父さんと母さんはすごい人だけど――だからって、僕もそうなるとは限らないじゃない……!」
 興奮している僕と対照的に、ノエルは落ち着いていた。
「先ほども申しましたが、恭也様と忍お嬢様は素敵なご主人様です。ですから、そのお子さまである司お坊ちゃまも、立派な主人になる事ができる、と期待しています。
 それ故に、司お坊ちゃまにも尊敬を払う価値がある、と私は思っています」
「でも、親が偉い人だからって、子供が偉い人になるとは――」
「限りませんね」
 僕の詰問に近い問いに、ノエルはあっさりと答えた。
 そして、今も決して忘れられない言葉を、ノエルは、微笑みながら言った。

「ですから、私の期待に応えて、私の立派なご主人様になって下さいね、司お坊ちゃま」

◆◇◆

「……司、起きるがよい」
 聞き慣れた声と共に、身体を揺すられる感覚。
 ……正直、あまり動きたくない。
 というか……もう少し、浸っていたい……
「司、起きぬと……痛いぞ、恐らく」
 ――なにが?と思考した瞬間。
「司ちゃん、起きないねぇ?」
「しょーがないわね。やっぱりここはこの雫ちゃんが――」
 姉二人の声が聞こえ――
「ひぃっさぁーつ!」
 その声と共に、僕はがばっ!と身を起こした。
 ……眠りの中の思い出に比べると、目覚めはあまり心地よくはなかった。

「なんだ、元気じゃない」
 しれっとした顔で、雫姉さんがのたまう。
「……雫姉さんの『必殺』は、本当に『必ず殺す』になるから……頼むからせめて手加減してよ……」
 僕の抗議に、雫姉さんは涼しい顔で、
「今まで生きてるんだから大丈夫よ。司ってば頑丈だし」
 などと酷い事を言う。
「慰めにも救いにもなってないから嬉しくない……」
「贅沢ねぇ」
「どこがだよ……」
 僕の問いに、雫姉さんは(無い)胸を張ってのたまった。
「美人の姉が起こしてくれるっていうのに、これ以上なにか求める事があるの?」
 ……『起こす』どころか、『永久の眠り』に就かされる可能性を吟味して尚、この起こされ方をしたいと望むものは、余程のマゾヒストか自殺志願者のいずれかだと思うのだが、どうだろう?
 ……覚醒と眠りとの狭間で、ノスタルジーに浸っていたというのに、全くもってデリカシーのない姉達である。
 まぁ、そんな他人の関知し得ない所に文句を言っても詮無い事は、承知してはいるのだが……
「じゃ、司ちゃんはどういうのがいいの〜?」
 皐姉さんの問いに、僕はありきたりな――尤もそれが一番の望みなのだが――答えを返した。
「命に関わるやり方じゃなくて、もっと普通に起こしてくれたらそれでいいよ」
 皐姉さんが答えて曰く。
「でも、さっき燈真くんが普通に起こしても、起きなかったよ、司ちゃん」
 皐姉さんの言葉を受けて、僕は右肩を見やった。
 ……しっかりと、足形がついている。
「人をぞんざいに足蹴にして覚醒を促すというのは、『普通に起こす』とは言わないんだよ、皐姉さん」
 言葉の上では皐姉さんに向けたものだが、無論別の人物に向けて言ったのである。
 その『別の人物』は、しれっと答えた。
「酔いつぶれて寝ている輩を手で揺すって、万一引っ掛けられたりしたらかなわん故な」
 その答えに、僕は首を振りながら嘆息混じりに愚痴った。
「全く、友達甲斐の無い奴だよ……」
 すると、燈真は驚愕の表情で、
「……友達?誰が?」
 ……などとホザく。
 僕はもう一度首を左右してから指摘した。
「……燈真。そのネタもう六回目。いい加減飽きたから、新作を探してきてよ」
 燈真はつまらなそうに、
「友達甲斐の無い奴だ。お義理でも、もう少しマシな反応を見せたらどうだ……?」
 僕は言い返した。
「友達!?誰が……?」
「………………」
 燈真は一瞬硬直すると――返事の代わりに僕を足蹴にしてくれた。
 まぁ――いつものノリである。

◆◇◆

 で、ここはどこだろう?と周囲を見回すと――何の事はない。うちのパーティーホールだった。
 周囲にはやや呆れた風の雫姉さんと燈真、いつも通りアルファー波放出状態の皐姉さん、何か考え込んでいる美沙希ちゃんがいた。
 ……相変わらず、酔うのも早いが覚めるのも早いな、うちの姉達は……
「相川さんとみなとちゃんは?」
 とりあえず、この場にいない二人の行方を聞いてみた。
「何が原因か知らんが……呑み比べを始めおってな。二人して潰れた」
「はぁ……」
 まぁ、そんな所だろうとは思ったが。
「で、今回はどっちが勝ったの?」
「ダブル・ノック・ダウン、だな」
「……成程」
 続きを聞く前に、皐姉さんが嬉しそうに報告する。
「健司くんはみなとちゃんと七瀬ちゃんをおぶって客室でねー、イレインはノエルがお部屋に連れてったよ〜」
 何だかんだ言いつつ、健司は面倒見が良い。無論、ノエルも言わずもがなだ。
「まあそっちはいいや。他の酔っ払いは、あれからどうなったんだろう……?」
 無論、僕が暗にほのめかしたのは、僕が潰れてからのイレインのご乱行の事である。
「司にいろいろ悪戯した後にね、ひっくり返って寝ちゃったわ」
 雫姉さんが、ひどく不吉な事を口にした。
「……『悪戯』って、なに?」
 小悪魔の笑みを浮かべて、雫姉さんが言を続ける。
「例えば、お化粧とか女装とかかしらねぇ……?」
 僕は背中に冷たい汗を感じた。
「…………マジ?」
「うそよ」
 しれっとのたまう、Aの小悪魔。
 ……ちなみに何が『A』かについては、ご想像にお任せする。
「……雫姉さんとは、いつか決着を付けねばならんと思ってたんだ……」
 僕はうそぶきつつ、指の動きだけで指の関節を鳴らした。
「ジョークよジョーク!そんなに怒らないでよ〜」
 雫姉さんが慌ててなだめる。僕は疑念を問うてみた。
「言っていいジョークと悪いジョークがあると愚考するのだけど、どうだろうね?」
「一般論としては賛成だが……司、まだ根に持っておるのか?」
 答えたのは雫姉さんではなく燈真だった。ちなみに『根に持つ』とは、去年の文化祭の事を指して言っているのである。僕は正直に答えた。
「……この恨みは、墓場まで持っていく」
「……恐ろしい事を言うでない」
 燈真は苦笑した。まぁ職業柄、まるきりジョークに聞こえないのだろう。
「え〜、可愛かったのに〜」
 皐姉さんがむくれる。一番喜んでたの、この人だしな……
「可愛くても可愛くなくても、僕にとっては人生の汚点なの」
「ぶーぶー」
 アルファー波発信装置がぶーぶー五月蠅い。それを無視して、僕は燈真に確認した。
「写真とか残ってないだろうね?」
 燈真はしれっと、恐ろしい言を吐いた。
「安心するがよい。全部捌けた。五枚で三千円だったか……」
 …………ちょっと、本気で殺る気が湧いてきた。
 しかし僕の怒りと裏腹に、涼しい顔で燈真がのたまった。
「無論冗句だ。安心するがよい。友人の痴態をそんな端金(はしたがね)で売るものか」
「……今の言で、余計に殺る気が湧いてきたのは僕の気の迷いかな……?」
 それに『痴態』って言わないで欲しい……悲しくなるから。
 僕の感慨をよそに、皐姉さんが合いの手を入れる。
「じゃ、いくらだったのー?」
「五枚一万でも売れたな……というのも無論冗句だ」
「……………………もういい」
 もう、怒るのにも疲れた……
 僕がぐったりと頭を垂れると、今まで会話に参加せずに考え込んでいた美沙希ちゃんが唐突にぽん、と手を打った。
「……お姫様のキス?」
 いきなり脈絡のない言動と台詞の内容の双方に、僕は面食らった。恐らく、みんな同じ気分だろう。
「何の話……?」
 僕が訊ねると、美沙希ちゃんは不思議そうに
「『普通』に起こす、方法……」
 ……と、オッシャッタ。

 ……………………美沙希ちゃん。
 …………反応、鈍すぎ。


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