二月十三日。
言わずもがな、バレンタインデーの前日ってヤツだ。
彼氏付きの女性陣は、レストランの厨房を乗っ取って借りてチョコ作りに精を出している。
そして彼氏は、日常を共に過ごすその女性がいないこともあって辺りをフラフラしているのだが、その顔にはどことなく笑みが見える。
戦争中だというのに、まったくもって幸せそうであった。
とまぁ、こう書くと彼氏彼女にのみ有効なイベントっぽいが、そんなことは全然無いわけで。
厨房には、彼氏に渡すためにきゃあきゃあ言いながらチョコを作る女性陣とは別の、もっと切なげな表情を露にした女性が幾人か見受けられた。
不安と期待。相反する感情を混ぜ合わせた、そんな表情。
その表情をする女性に、彼氏と言えるような男性はいない。
つまり、そういうこと。
バレンタインデー。
またの名を「告白デー」と言う。
一日遅れのバレンタイン
一日経って、二月十四日。
今日も今日とて、同盟軍の本拠地であるシグナルホワイト城に連行された遊びに来たトランの英雄・ランゼット。
いつもと違ってどうも城全体の雰囲気が甘ーいピンク色をしていると思ったが、そういえば今日はバレンタインとかいう忌まわしい日だったことを思い出す。
そう、忌まわしいのだ。
思えば三年前は散々だった。
チョコを貰うことは出来たのだ。まぁその辺は良しとしよう。
しかし、しかしだ。いかんせんその量が半端なかった。
そして、せっかくくれたモノを無碍にすることも出来ず、彼は全てを食しきったのだ。そう、「これだけあればトラン湖を埋め尽くせるんじゃあないか?」ってぐらいの量のチョコを、だ(しかも本当に貰いたかった人からは貰えなかった)。
おかげで当時の齢は二十足らずだというのに、糖分の摂取しすぎで生活習慣病の危機。
三年間の放浪の旅における粗食生活でなんとかその危機は脱したものの、もうあんな思いはゴメンだった。
と、思っていたのだが。
彼はこのシグナルホワイト城に来ることは多いが、戦闘要員として駆り出される場合が多い。
よって、見知った他人というのは三年前に共に戦った者くらいで。
さらに、いつもいつも軍主の気まぐれでここまで連れてこられる彼だから、今日というこの日に城に来ることも本来なら無かった。
そんな彼にチョコを用意しようなんて輩は、いるわけもなく。
つまり彼は、この場に限って「チョコをもらえない哀れな男」グループの一員なのである。
そんな自分の立場を自覚しながらも、周囲の甘ったるい雰囲気に当てられて、彼は思っていた。
(もらえないならもらえないで、ムカつくものだ)
と。
そんなわけで周囲に負の気を散乱させながら歩くランゼットの左方から、美青年メンバーの一人であるフリックが駆けて来る。
どどどどどどどどど……
そしてその背後には、轟音+砂煙を巻き起こしつつ進軍してくるフリックファンの女性たち。ちなみに先頭を切るのは、例の金髪の女子学生である。
程なくしてランゼットの元にやってきた青雷殿が、開口一番に言った。
「ら、ランゼット!!そこをどいてくれ!!」
走りながら言う彼の表情に余裕は無い。普段のりりしさを欠片も感じない彼を見つめながら、ランゼットは考えた。
(せっかくチョコくれるっていうのに逃げ回るなんて、贅沢な上に失礼なヤツだな。世の中には欲しくても貰えない男子も大勢いるというのに…あームカつく)
そんな彼がとった行動。
「はっ!!!」
気合一声、手持ちの棍でフリックの足を払う!!
「ぐぁぁっ!!!?」
もともとの勢いも手伝って盛大にこけてしまったフリックは一瞬で囲まれてしまった。まさしく四面楚歌。
「ランゼット、おまえぇぇ〜〜〜〜!!!!」
「さらばフリック、君の事は忘れない……」
人の波に埋もれ行くフリックに、ランゼットは故人に向けるような口調でそう言い放った。
合掌。
フリックを黄泉送りにしたランゼットが次に向かったのは、酒場にいるであろうビクトールのところである。
さて、ビクトールという男は人格面で非常に慕われるものを持つ男であり、さらにあらゆる経験に基づく彼の行動は目を見張るものがある。
実際、多くの人が彼の機転に何度も救われたし、それはランゼットも同様。そんな彼をランゼットは尊敬してもいた。
そんなイイ感じのビクトールだが、なぜか彼がチョコを貰う場面というのを想像できない。どうしてもできない。
つまり、今の自分と同類だと勝手に決めつけ、その悲しみを共有しようというのである。
酒場に入ったランゼットは、いつもビクトールが座っている席を見やる。
案の定、ビクトールはそこにいた。ランゼットの立ち位置からでは彼の背中しか見えないが、また酒でも飲んでいるのであろう。
「ビクトール、ここは空いているか?」
「おぉランゼット、来てたのか」
ビクトールの横に座ると同時に彼は見た。見てしまった。
ビクトールがチョコを頬張っていたのを!!
衝撃が走った。半ば無意識に、ランゼットは確認の意を込めた発言をする。
「ビクトール、今食べているのはチョコか……?」
「ん?あぁ、何だか貰っちまったから、酒のつまみにでもなるかと思ってな」
(……何ということだ。いつの間にかこの熊風情は人間に大昇格していたらしい…)
普段はこんな失礼極まりないことを考えるランゼットではないのだが、あまりにこの事実が衝撃的で、どうもおかしくなってしまったらしい。
その上いつもよりやや幸せそうな彼の顔を見ていると、余計に精神がかき乱された。
実際にはそのチョコは「同じ故郷」のよしみでバーバラが義理であげたもので、ビクトールもただ珍しいものが食べられたから嬉しそうにしていただけである。
でも、そんなことをランゼットが知る由も無く。
そんな発狂寸前な彼がとった行動。
「ビクトール…」
席を立ち上がりながら、ポン、と彼の肩に手を乗せて。
「ん?なんだ?」
「死ね」
どがああああああぁぁぁぁぁぁぁんんん!!!!
いきなり『裁き』発動。
「俺が何したってんだあああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!?」
『裁き』に身を滅ぼされながらも、叫び声に似た抗議の声をあげる。その辺はさすがだ。
しかしそれもつかの間、叫びが止んだそのときには、かろうじてヒトの原型をとどめた「何か」が横たわるだけだった。
「ふ……酒場を彩る煤けた熊の置物もまた、風情の一興……」
訳がわからないことを口走りつつ、ランゼットはその場を後にした。
ちなみに『裁き』による酒場の破壊は、ビクトールの持ち合わせで修理されましたとさ。
再度、合掌。
――――ここで時を少し戻して、城内の庭園。
どこからともなく、力の抜ける音楽が流れてくる。
そしてその音楽の中心にいる人物らは、えもいわれぬ雰囲気をかもし出しながら語り始めた。
「おおぉ、シモーヌっ!!今年もついにこの日がやってきましたよ!」
「そぉうだとも、ヴァンサン!!恋人たちがさらにその愛を深め、そして何より新たな愛の芽が出づるこの日!!」
『バレンタインデー!!』
絶妙にハモりながら手を合わせるこの二人は、一声発するたびに大げさな仕草を象る。
周りから人の気配が次々と消えていくように感じるのは、我々の気のせいだ。
「しかしシモーヌ、私は一つ気になることがあるのだよ」
先ほどの勢いはどこへやら、急にしぼんだ口調になるヴァンサン。仕草もちょっとそれっぽくなっている。
「新たな愛の誕生、それはとても素晴らしきこと。しかしそこまで行き着くには、様々な障害、試練があると言えないかい?」
「ふぅむ、確かに。バレンタインの特性上、女性の勇気無くしてその愛の成立はありえないだろうね。しかし女性にその勇気を求めるのは、少々酷かもしれない」
シモーヌの言葉に頷きながら、さらにヴァンサンは言った。
「人は得てして、恋に関しては臆病になってしまう……そのせいでせっかくの愛の芽が潰えるのを、わたしは非常に心苦しく思うのです」
「ヴァンサン、それはつまり……?」
シモーヌが怪訝な表情で先を促す。ヴァンサンはここぞとばかりに、不可能な体勢で喋り続けた。
「そう!!我らの心の友が、その危機を迎えている心の友が、確かにいるのです!!彼らはお互いを強く想っていながらも、そのあまり遠慮してしまっている。そこで私の古くからの知人である彼らに、ぜひ協力したいのですが…」
実際その人らと知り合ったのは三年前である。とても「古く」とは言えないと思うのだがどうだろう。
「しかし、これらはあくまで彼ら自身の問題。わたしが関わっていいものかどうか……」
そこでヴァンサンは沈み込むようにしながら口を閉ざした。シモーヌはそんなヴァンサンの肩に手を置き、諭すような口ぶりで言葉を紡ぎだす。
「ヴァンサン、聞いてくれないか。確かにその二人の恋愛に対してきみがどうこうするのは良くないことかもしれない。しかし」
ヴァンサンは黙って耳を傾けている。シモーヌはその仕草をだんだんと大きなものにしてきた。
「その二人があと一歩をどうしても踏み出せないというとき、その一歩を後押しすることにどうして非難ができるだろう?心の友を思ってのその行動に非を荒げるような輩はいないと、ぼくは思うよ」
はっと、ヴァンサンがその顔を上げた。
「ヴァンサン、ぼくもぜひ協力させてくれないか。そして我々が、その二人の愛の花を咲かせようではないか!」
言葉とともに、びしっと決めポーズ。それにヴァンサンも呼応する。
「シモーヌ…きみはいつも私の悩みを吹っ切ってくれる。素晴らしい友を持って、わたしは幸せだ!」
「おぉ、それはぼくとて一緒だとも、ヴァンサン!!」
「では早速行きましょう!」
『心の友を救うために!!』
がしっと手を取り合って、二人は庭園を去っていったという……。
とまぁ、こんな事があったのです。
それだけ。
――――で、時を戻して現在。庭園にて。
「いない……」
庭園に備え付けられてあるテーブルセット一式でいつも優雅なティータイムをしている二人が、今日は見当たらない。
あの二人は例の独特の雰囲気によって他人を遠ざけているが、話をしてみると結構イイ人であることが判る。
二人とも元赤月帝国の貴族らしく、ランゼットと話が合う分野も少なくない。だから、ランゼットはたまにあの二人に混じってティータイムを満喫することもあった。
今も、まぁバレンタインなどには縁がないであろうあの二人の元へ来たのだが、いないのだ。
「……………待つか」
ただちょっとした所用で席を離れているだけかもしれないと思い、彼はイスに座る。そして他にすることも無いので、ただじっくりと首をめぐらせた。
……こうしてのんびり辺りを見回すと、さんさんと輝く日光に、様々な花が自己主張する庭園。小鳥はさえずりながら空を舞い、同じくして五匹のムササビが宙で列をなす。
最後のがイマイチ気になるが、とにかく、心和む平和がそこにはあった。
「ふぁ〜……」
二月にしては随分暖かいこともあり、彼の意識を眠気が覆う。
少しくらいいいか、と彼はそのまま眠気に身をゆだねた……。