大正十三年の京都は駅前にビルディングがなく、静かな狭い寺町通りを単線の路上電車が中原のすむ出町まで達していた。 梶井基次郎が丸善の書棚に「檸檬」の爆弾を仕掛けたのもこの頃である。中原と富永の「倦怠」が成熟したのはこういう古い消費都市の寂寥の裡であった。
大岡昇平「中原中也」