良寛詩のこの一節を上田閑照さんは「西田幾多郎―人間の生涯ということ」で次の様に解説しておられます。
世の中に出て何かきちんとしたことをするのはどうも気が向かない、「騰々」というのは「のほほんとして」ということらしいのですが、この句もただ一生ぶらぶら暮らしてしまったというのではなくて、生き方として、この世で生きることの全体を手離してのんびりするということです。禅ではこれを「大閑(おおひま)があく」と言います。
(正しくは)わが宿の老梅すでに蕾せり冬のさなかに春めぐむらし 河上肇
生涯身を立つるに懶(ものうく) 騰騰として天真に任す