凶気の桜  〔2002/10/17東映系公開〕

“真っ白な怒り”の行方



2001年夏。“神がかり”的に出会ったと彼が語る原作が遂に映画化された。マルチクリエーター・ヒキタクニオ氏の小説デビュー作「凶気の桜」は、映画「GO」の撮影当時、主人公・山口の怒りそのものに今の自分の気持ちがシンクロしたと語る。そんな彼の思いを受けたのが、ミュージック・ビデオなどを手掛けてきた映像作家・薗田監督。そしてピップホップ界のK DUB SHINE。自らが企画に携わった渾身の作品でもある。「“今の日本”の映画が作りたくなった。」と語る彼は、まさに心から突き上げる熱い思いを放とうとしていた。思いっきりヤバイ映画である。ピップポップの精神でもある“リアル”な手法により映像化されたこの作品は、病理に犯された日本の現実をそのまま投影していることからも、破壊的に痛みを伴う。映画の冒頭では、画面からこちらに向かってカウンターパンチを叩き込んでくるのだ。


日本の象徴“渋谷”を舞台に、ネオ・トージョーと名乗る山口進(窪塚洋介)・市川勝也(RIKIYA)・小菅信也(須藤元気)ら3人が「奪還・強制・排泄」と称し、芳醇な日々の快楽に埋没する若者達に向かい「日本を駄目にするな!」と憤り、次々とこぶしを振り上げる。この怒りの根源こそがこの映画の痛烈なるテーマとなっている。そんな3人も、右翼系暴力団「青修同盟」に目をつけられ、次第に血の通わないどす黒い世界へと呑みこまれていく。3人三様が、それぞれのアイデンティティーを必死で模索し、自分の居場所を捜してゆこうとする。彼らは若気の至りから今日の日本への憤りを“暴力”で叫びながらも、“その”暴力のおとしまえに向かって疾走していく。・・・散ってゆく桜。汚れる事を拒みつづけ、真っ白な戦闘服に身を包んだ山口の思いの行方は、私達の胸の中なのかもしれない。


ただともすると、暴力称賛作品と取られかねない事からも、“取扱説明書”『〜狂い咲き 「凶気の桜」の流れ〜(※右)』をぜひ手にして、彼らの思いに耳を傾けてほしい。「“狂”気」ではない・・・彼らは狂っているのではない。ただその思いは、もやは止めようがないほど、生身の人間が凶器と化している。が、「凶“器”」ではない・・・血の通った痛い青春映画だ。


映画のプロモーションではHMVでのさまざまなイベントが渋谷を中心に、地方都市で展開された。彼らのトークイベントでは、痛いほど思いを語る彼の姿が、今も鮮明に脳裏に焼き付いている。その思いをしっかりと胸に刻みたいと思う。そして一人の俳優として、一人の窪塚洋介という等身大の青年として、これからも私達にメッセージを放ち続けてくれるだろう。



「GO」から「凶気の桜」


日本における在日の問題を青春ドラマとして取り上げた2001年の「GO」との出会いにより、改めて自分とは何かというアイデンティティーを意識し、現代の日本が内包する問題に気づかされたという。そんな彼は、たくさんの書物に触れ、さまざまなことを考えながらも混沌とし、何かに戸惑い怒っていた。そんな頃に出会ったのがこの「凶気の桜」だったと語っている。


「GO」の製作発表当時にはちょうど忌まわしいテロが勃発し、アメリカの報復が始まった。そんな彼は、迷うことなく“戦争反対”を掲げていた。世界は赤が崩壊し、日本を取り巻く世界情勢も激変してきた。が、世界はまさに政治、経済、宗教、民族などあらゆる意味ですでに危機的な状況にきている。平和の中に育ちなれた今の若者にとって、全ての価値観をも全人類的規模で再構築していかなければならないということに気づいてほしいと真剣に感じたに違いない。


いまにも、世界の主導的立場にあるアメリカが戦争を仕掛けかねない危機的な状況をも視野に入れ、世界の中の日本のあるべき姿を考え、それらに警告を促す作品でもある。日本はあらゆる神を受け入れた国だと語る彼は、時として妙な宗教にでも入信してしまったのかとささやかれた時期もあったが、そうではない。例え尊い神を信じる宗教であっても、国家に宗教が持ち込まれると戦争すら聖戦になりうるのが人類の歩んできた歴史でもある。欧米の文化の基礎に根ざす一神教的世界観は、ともするとそれ以外のものに対して極めて排他的な一面を覗かせる。だからこそ、民族宗教に根ざしつつも多神教という日本の歴史を背景に、神も仏もキリストも同じ器の中で考えられるような日本人だからこそ出来ることがあるのかもしれない。“戦後”時代は終わりを告げ、今こそ世界における日本人としてのあり方を考え直す時期が来ているのかもしれない。そういう意味で「GO」から「凶気の桜」への流れは、彼にとってまさに出会うべくしてであった作品だといえる。一言付け加えるとすれば、今の彼はすでにその地点にはいない。世界情勢も刻一刻と変わりつつあり、また彼自身もさらにその先を歩いている。2001年、彼が立っていた場所・・・それがこの「凶気の桜」だ・・・。


暴力ではなく和


ともすると右寄りなナショナリストを取り扱った作品ということもあり、暴力への継承などととられかねない作品でもある。でも彼は、暴力それ自体でなく主人公山口が“暴力に向かっていく姿”にシンクロしたと力強く語る。アメリカナイズされている今の日本に、何の疑問も持たず日々の芳醇な生活に埋没している現代の若者の象徴“渋谷”を題材にした作品ということもあり、すべて実際の渋谷ロケを敢行した監督の熱意もすごい。そんな若者たちを片っ端から殴る山口たちだが、本当はむしろそのバックに存在する大きな力や価値観といったものに対しての怒りであろうと推測される。そういう中で、ずるく賢くなければ生きられない象徴に江口洋介演じる“消し屋”、“権力”に象徴される暴力団や政治結社というという恐ろしい集団、もっと恐ろしい“巨大権力”アメリカ・・・。が、忘れてならないのは、そう怒りながらも、“和をもって尊しと成す(聖徳太子)”というメッセージを同時に放っているこどだろう。右、左・・・そういうことを超えたところにある神の領域のような利害などに左右されない価値観を、人間は持たなければならないのだと。

◆ラストシーンとシナリオ 執筆中
OnlyOne! yosuke fan's Web
UP
UP
 
「凶気の桜」

©凶気の桜製作委員会
/東映ビデオ(DVD)

「メイキング・オブ凶気の桜」

©凶気の桜製作委員会
/東映ビデオ(DVD)

  
 




『〜狂い咲き
 「凶気の桜」の流れ〜』
 著者:森 淳一
「和への軌跡」
2002年10月に公開される映画「凶気の桜」。そのメッセージに連なる「和」への軌跡を辿る。「GO」との出会いから、日本という国を意識し、歴史・政治・民族・国家・・・多くの書物に触れたくさんの事を考えた自身が、この作品に出会い、感じたバイブレーションを余すところなく語る。愛する渋谷がアメリカの企業、思想、文化に侵されていく時代の流れ・・・彼が感じた思いをあなたも感じてみてください。山口進について、ヒップホップの精神、原作者ヒキタクニオ氏との対談など。(文:yuma)
   
©新潮社/
凶気の桜製作委員会

(定価 \1,300
【新潮社の規定により画像を使用しています。】







(文:yuma ・2002/11)
 <Staff>
  監督:薗田賢次  / 原作:ヒキタクニオ著書「凶気の桜」(新潮社刊)
  音楽:K DUB SHINE  / 脚本:丸山昇一
  主題歌:「ジェネレーションネクスト」(キングギドラ)
  製作:黒澤満、早河洋  / 企画:遠藤茂行、木村純一
  プロデューサー:國松達也、福吉健、服部紹男
  照明:井上幸男  / 美術:佐々木尚  / 録音:柴山申広
  編集:薗田賢次、大畑英亮
  
 <Date>
  配給:東映
公開時に使用したバナー

Copyright © 2001.6 ゆま All rights reserved. *“Only One!yosuke's fan” is a private web site managed by yuma.