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栢 山 田 植 歌 |
大正 昭和初期のころこの栢山一帯では 6月中旬に田植えが行われていました |
この田植え歌はいつのころからか毎年の田植えの際に 農家の女性たちが |
田植えの調子を取るために歌ったものです 農作業の様子や 鶴 亀などめでたい |
動物が 詠み込まれており 豊作への祈りが込められています |
箱根馬子唄 長持唄 |
箱根馬子唄 | 東海道の難所 箱根八里を上り下りする馬子たちが 商売道具の馬に | |
客を乗せて 客サービスと気晴らしに得意ののどで歌ったものだと | ||
いわれています | ||
箱根長持唄 | 参勤交代の大名行列の後尾で 長持ちをかつぐ人足が | |
この長持ち歌を歌って 新たな気力を養ったと言われています | ||
小田原山王原大漁木遣唄 |
大漁木遣り唄(たいりょうきやりうた)は 相模湾一帯の漁民に古くから歌われていました |
漁業に従事するときの仕事唄と婚礼 神社祭礼時の儀式唄をかねている例として |
全国的にもめずらしいものです 現在山王原地区では 山王原の祭礼で歌われています |
昭和55年8月『山王原大漁木遣唄保存会』と改名し一段の継承に努めています |
小 田 原 囃 子 |
保存会名 | 小田原囃子多古保存会 | |
昭和35年 | 小田原囃子多古保存会結成 | |
昭和44年 | 県指定無形民俗文化財 | |
昭和52年 | かながわの民俗芸能50選 |
多古の白山神社に伝わる小田原囃子は 江戸葛西囃子系統のもので | |
江戸と文化の交流が盛んだった小田原には 早くから伝わっていたようです | |
当時寺町にあった歌舞伎小屋 『桐座』 の囃方から多古の若者が習い覚えたと | |
言われています |
小田原囃子については 次ページで詳しく解説してございます |