代表者からの伝言(エッセー)


 今日は、日本ペットロス協会のホームページに目をとめていただきまして、 ありがとうございます。
あなたは、つい先ごろ動物病院のドクターから大切なわが子の命は、もうそれほど長くはないと告知されたため、とても気落ちされているのかもしれません。

 また、愛する子を失ったばかりで何も手につかず、ただ茫然と日々を過ごされているかもしれません。あるいは、大切な子を亡くして数カ月が経っているけれども、今もその死を受け入れられずにひとり苦しんでおられるかもしれません。

 また、ペットはまだ若くて元気だけれども、前もってペットロスについての知識を少しは持っておこうと考えられて恐る恐るこのホームページをご覧になっているかもしれません。

 今あなたがどのような状況におありだとしても、ペットロスについてのご関心を持ち、弊会にアクセスしてくださったことにまずは感謝いたします。

 以下のエッセーは、私が日ごろ考えたり感じていることをつづったものです。長年考えてきたこともあれば、最近気づいたこともあります。飼い主とペットの関係を考える上でご参考になったり、愛する子を喪(うしな)ったお悲しみから回復する一助となっていただければ大変うれしく思います。

日本ペットロス協会 吉田千史

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 つれづれペットの草 ―人間と動物の関係を理解するためにー

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罪業意識の生起と殺処分コンプレックス


 人間の取りうる行為の中で、もっとも悪いこととはなんだろうか。それは人間にとってもっとも重い罪とは何かと言い換えてもよいかと思う。それには多くの人が人殺しだと答えるのではないだろうか。では人間が動物を殺すことは、どうなのだろう。

 アジアの仏教圏では伝統的に生きものを殺(あや)めることを禁じてきた。仏教徒として守らねばならない掟(おきて)とされる五戒には、不殺生戒(生きものを殺さないこと)をまず第一にあげている。その後には、不偸盗戒(盗みをしないこと)、不邪淫戒(性に関して乱れないこと)、不妄語戒(うそをつかないこと)、不飲酒戒(酒を飲まないこと)がつづく。

 これらは古代インドの仏教者によって定められたが、人間のおこないの中で最たる悪事と考えるものを五つあげて重い順に示したのであろうか。そうであるとすれば仏教徒は、殺生禁断を守らないことをもって最大の重罪だと見なしたことになる。

 殺生禁断とは、殺生を禁ずるという意だが、これには殺人のみならず鳥獣や魚を殺害することや、それらを狩猟・捕獲することの禁止も含まれている。つまり殺人と同様に動物も殺してはならないということである(註)。

 ペットロス体験者の中には、飼い主としての責任を重く感じて、自分のせいであの子を死なせたと考える人が少なくない。それが悲嘆者を罪の意識を伴った抑うつ感情に引き込む有力な原因ともなっている。

 この思いは時として、さらなる飛躍を見せて自分があの子を殺(あや)めたという思考に拡大されていくことがある。ペットロスの臨床では、「私があの子を殺したんです」と思いつめて語るクライエントさんは珍しいことではない。

 そのようなとき、悲嘆者はペット愛好家たちがもっとも蔑視する不要になったペットを施設に送り込んで殺処分する身勝手な飼い主に自らもなったような気分に襲われるのである。

 ペットを愛する飼い主にとってペット動物の殺害に自ら手を染めることは、もっとも行ってはならない恥ずべき行為であり、厳罰に値するのだ。あの子を見殺しにしたという思いにとりつかれた飼い主は、そのために自らも相応の重い罰を受けねばならないと考えやすい。

 飼い主心理から見てペットは大切な子どもであり、安心と癒しを与えてくれる安全基地となる母親のような存在でもある。そのような点から、ペットを自らの手によって死なせることは子どもを殺めたような、親を殺めたような、あるいはその両者を同時に殺めてしまったような絶望的な気分に陥っていくのである。

 子殺しにも親殺しにも匹敵する殺害者意識を抱えた悲嘆者は、出口の見えない重苦しい罪悪感を持つことに加え、このような責め苦を負わなければならないのは、自らが過去に取り返しのつかないような何か悪いことをしたからではないかという因果応報的な罪業感を伴うことが多い。

 罪業(ざいごう)とは、仏教の中核をなす思想である。それはある事柄が起こったとき、そうなるには以前に何かの原因となるおこないに加えて、誘因(これを縁とよんだ)となるおこないがあったからであり、それらのおこないを合わせて業(カルマ)と称した。そして、それらの中の災いとなる結果を生む行為が罪業になると考えた。

 これは今生の人生のおこないばかりでなく、過去世である前世や前前世や前前前世・・・にわたって悪いおこないとなる悪業をなせば、いつかその結果として良くない報いを受けるというものである。

 その報いは今回の人生のあいだに受けるか、死んだ後にあの世に行って次に生まれ変わるまでのあいだの滞在期間(この時間を中有(ちゅうう)または中陰(ちゅういん)といい、四十九日間とした。これが今日、遺族の喪中の期間にあたる)に受けるか、さもなくば次に生まれ変わった来世か来来世か来来来世・・・のどこかで必ず受けるという冷酷でしつこい教理なのである。

 つまり、ひとたび犯した悪い行為は決してチャラになることはなく、時空を超えてひとたび放たれたブーメランのようにいつか必ず自分に帰ってくるという容赦のない末恐ろしい哲理である。ただし、これには救いもあり、罪障となる悪行ではなく善行を積めば反対に果報として先々よい結果も得られるとしている。

 この罪業感にも何がしかの効用を認めるとすれば、それは自らのおこないのどこが悪かったのかがわからないとはいえ、その罪業を受け入れることによって降りかかった災難は自分に責任があるとして自らを慰め、さらにはあきらめへ導く動機になるというささやかな利得であろうか。

 ともかくも飼い主はペットとの死別によって、何よりも大切な存在を有無なく取り上げられたと感じて不幸のどん底に突き落とされる。そのさい自らがペットに対して行ったことに重大な落ち度があったと思うときや、ペットが死亡した正当な理由が見つからなかったり、この理不尽さに納得できないでいるとき、飼い主は自分の勝手な都合であの子を殺してしまったという思いに取りつかれていくのである。

 そして、こうなる自分はよっぽど過去に何かの悪事をはたらいたに違いないと思い込んでゆく。ペットロス体験者が持つこのような特異な殺処分コンプレックスは、ペットと暮したことのない者にとっては、まったくといっていいほど理解できないだろう。

 しかし愛するペットを亡くした喪者であれば、それが通常の悲嘆であれ、不幸にして病的なエピソードをかかえたのであれ、その質や量になにぶんかの相違があったとしても押しなべてこのコンプレックス(心的複合)は認められる。

● 罪業感と殺処分コンプレックスを生む三つの理由

 では、どうして現代のペット愛好家の多くが、ペット動物の死に際してこのような罪業意識を深める殺処分コンプレックスを背負うようになってしまったのだろうか。それには次の3つの理由があると思われる。

  1. ペットの死別体験が飼い主の死を回避しようとする防衛本能を著しく刺激すること。
  2. 飼い主はペットに対して贖罪意識を持つこと。
  3. 呪術・宗教的職能者や葬儀者らによる過剰な罪業感の植えつけがあること。

 1は、ペットの死別体験が飼い主に備わる死を遠ざけようとする防衛本能を陰に陽に活性化させることがあげられる。飼い主にとって愛するペットに死なれることは、もっとも怖ろしいことである。

 そのためペットが生きているときから、あの子がいなくなることは努めて考えないようにしてきたし、ペットの死を連想させるあらゆる事物も縁起でもないこととして遠ざけてきた。

 残念なことに、この中にはペットロスの知識を持つことも含まれていると思う。このことは逆説として、飼い主には本能的怖れや拒絶感に抗してペットの生前からのペットロス教育が必要であることを示唆している。

 こうして私たちは死を抑圧の対象としてきたが、それだけに現実にペットの死に直面したとき、飼い主はひどくあわててしまいパニックを起こしてしまうのである。身近な大切な存在の死は、常に死を避けながら環境に順応しようとふるまう人間の本能装置を脅(おびや)かし、一時的に人格の統合性を失わせる。

 ペットを生かそうとたゆまぬ努力をしてきた日々の行動が虚しい徒労に終わったとき、飼い主は死に抗(あらが)うことのできなかった敗北感と挫折感ととともに、飼い主責任の重さに苛(さいな)まれていく。この重圧感は、ペットの死を忌み嫌う飼い主にとっては、ほとんど必然のことである。

 しかし自らや近しい者の死を避けようとする人間の本能的欲求は、日ごろは意識されることなく心中深くに蔵されている。だが愛するペットの死が想像もしていなかった形で突然おこったり、その亡くなり方が無残なものであったときなど死の衝撃を激しく感じ、死への怖れとして強く自覚されていく。

 ペットの死が与える脅威は、飼い主の静かに眠る死の回避本能を目覚めさせて心理的な恒常性をかき乱す。その結果として、本人をして不殺生の掟(おきて)の破戒者であり禁忌の重罪を犯す者としての意識を揺り起こすのである。

 2は、飼い主に生ずるペットへの贖罪意識である。贖罪とは、犯した罪やあやまちに対して財物その他をささげて贖(あがな)うことをいう。飼い主は悲嘆のさなか、自らがいかに身勝手な飼い主であったかを思い罪悪感と申し訳なさに襲われていく。

 ペットが生きているあいだ、彼・彼女らを大切に扱うことなく、こちらの一方的な都合で慰み者のように消費したエゴイスティックな極悪人のように思えてきて自ら苦しみ始めるのである。

 これはペットからもらったものの大きさに対して、そのお返しとしてこちらが与えたものがあまりに少ないと感じることによっている。つまりペットと飼い主のあいだでなされる給付と反対給付のプラス・マイナスの帳尻が合わないまま先にペットに死なれたために、取り残された飼い主は不完全燃焼を起こしてしまうのだ。

 ペットロスによって生まれる後悔には、彼・彼女らへの返礼が十分に果たされないうちに先立たれてしまったことへの後ろめたさと自責の念があると思う。自分とペットとの関係は対等であったとはいえず、等価な社会的交換が成立していないという不均衡な思いは、死別後の飼い主のストレスをより強めていくだろう。

 このような得も言われぬ不全感を持つ飼い主にとって罪の意識を弱め、とがめをまぬかれる行為が残されているとすれば、それは追善供養を行うことである。追善供養とは、死者の霊に食べ物などの物品をお供えして感謝の念を表し、死者の冥福(あの世での幸せ)を祈る行為をいう。

 ペットの生前、お世話や介護などの飼養管理が十分に果たせなかったという思いを強く残している飼い主であれば、死後のペットの霊魂にささげる供え物は唯一できる返礼として重要な意味を持ってくる。

 ペットの死を境に飼い主のなすべき作業は、飼養から供養に変化していくのであるが、供養を熱心に行なうことによって傷心する飼い主の贖罪心理は徐々に薄れていく。しかしこの不平等感がいつまでもつづくようであれば、罪業意識を抱えた殺処分コンプレックスはその後も薄らぐことなく持ちつづけると考えられる。

 3は、ペットの死別体験者を支える人々の中で、伝統的にかかわってきた宗教家、占い師、霊媒師・巫者(シャーマン)などの呪術・宗教的職能者や葬儀葬祭従事者らの対応の問題である。

 この人々は死後の動物への鎮魂・慰霊と遺体の処理方法を巡ってそれぞれが信ずる作法にしたがって執り行うことを求める。そのさいそれらの行為を怠ることによって生ずる障(さわ)りや祟(たた)りといった霊的な災いを誇大に語ることによって、従来よりいたずらに喪者の不安を扇動してきたように思われる。

 その結果、喪者の脳裏にはペットの霊への怖れとともに罪障感や罪業感が刷り込まれていく。このようなことが累代にわたって繰り返されれば、それはもう人々への長期にわたる立派な洗脳であり宗教的、霊的支配となる。

 この問題は、亡くなった動物に恨まれているのではないかと危惧したり怖れを抱く日本人の動物霊に対する憑依文化や怨霊史観とも深く関連している。日本の精神文化は、神道と仏教が混交してできたものであり、今日の私たちもその影響を免れない。

 ペットを喪った人が何に悲しみ、何に憂いているかといったことも、本人のあずかり知らぬところでこれらの影響を受けている。よってペットロス体験者をつぶさに見ていくことにより、日本人の死生観や動物観の本質をうかがい知ることができる。

 以上、罪業感と殺処分コンプレックスの生まれる背景を見てきたが、このもととなる殺害者意識がもっとも明瞭に表れるのが、ペットを安楽死したときである。飼い主はペットの長命を願っていたにもかかわらず、現実はその真逆にペットの命をここで縮めねばならない。

 飼い主はこの煩悶する葛藤を振り切って、まだわずかに残っている愛する子の命を苦痛を取り去ることと引き換えに終らせる。これは、じっさいは動物への医行為として獣医師に処置してもらうのだが、それを決めるのは飼い主である。この苦渋の決断が飼い主に深いダメージを与えないわけがない。

 このとき獣医師をはじめ看護士や動物病院カウンセラーらの役割は大きいといわねばならない。動物病院スタッフは飼い主に安楽死を行うことの意義(ペットの安楽死は、むげに動物を殺すことではなく、苦痛を取り除くための飼い主の慈悲心からでた最後に行う治療であるということ)をあらかじめ十分に時間をかけて説明し、納得してもらうことが極めて大切な作業となる。

 この行為が不完全な中で安楽死に踏み切れば、飼い主は重大な心理的障害を起こす可能性がある。これらのことをよくよく理解したうえでペット・伴りょ動物の安楽死はなされなければならない。

 飼い主の殺処分コンプレックスが発露し短絡的に誤った方向に行動化される場合、もっとも注意しなければならないのは自死の誘惑であろう。自殺は、もっとも自らを憎む行為であり、自己処罰欲求の最たるものである。ペットの死ののち飼い主自らの死(タナトス)の欲動が顕在化するのは、ペットを殺めたと思うことへの懲罰意識の高まりによる。

 また、このような意識が高まる背景には、ペットが生きている間はペットの生の部分と同一化していた飼い主が、ペットが亡くなることによってペットの死の部分と同一化していくことから死への願望が強まることも一因としてあげられる。

 さらには自殺者の死んでお詫びしますという表明は贖罪感に起因するものであり、それはペットの命と引き換えに自分の命をさし出して償(つぐな)おうとする行為といえる。あの子もいなくなり、この世に自らをとどめ置く用もなくなったと思う飼い主は、もはやこの世には不要な存在だと考え、自らを殺処分の対象にしてしまうのだ。

 それは不要になったペットが人知れず殺処分されて世の中から消えていくことと重なる。その意味から、自死は社会からの抹殺であり、この世からお払い箱となって追い払われて、あの世に放逐されることに他ならない。あの世に追放された飼い主の魂は、あの子を探し求めて異界をさまようことになろう。

● 日本のペットロスは特殊な方向にすすんでいる

 ペットとの関係は、ペットの死とともに終わるわけではない。飼い主はペットを喪った後、長い喪(も)の期間をじっと耐え忍んでいかなければならないのだ。悲嘆者はその間も喪った子を心の中では生かしつづけており、生前とは異なる形だが語りかけをし、ともに暮らしているのである。

 これでわかっていただけただろうか。ペットロスから立ち直れていない人は、前の子が心の中に居すわっているために次の子をいつまでも新たに招き入れることができないでいるのだ。

 ペット業者がペットといると楽しいですよ、癒やされますよといって人にペットを飼うことを勧めるのは良い、動物病院がペットと飼い主のために、もう一頭ペットを飼うことを勧めるのも良い、ペットショップがこんなかわいい衣服や便利なグッズがありますよと飼い主に勧めるのも構わない。

 しかし、ひとたびそのペットが死んでしまうと、今までかかわってきた人びとは、波が引くように、いっせいに飼い主から引いていくのである。そして飼い主はひとり取り残されるのである。これは私が言っていることではなく、ペットを亡くした多くの悲嘆者が語っていることである。

 そして次に悲嘆者は藁(わら)をもつかむように支援を求めた先で抜きさしならぬ罪業感や罪障感を刻印づけられる。そのうえ、亡くなった子はあなたの悲しむ姿を望んではいないとか、泣くとあの子は成仏できなくなるなどといわれて悲しむことを禁じられるために、ますます悲嘆が内にこもってこじれていく。

 この日本的背景を持った負の連鎖の結果、新たなペットが飼えずにペット離れを起こしたり、ペット嫌いになる人びとを増やすという後遺症を生んでいるのである。

 このような悪循環が目下のわが国で確実に進行しているが、この現象は世界的に見てもやや特異なペットロス体験の部類に属するのではないかと思われる。果たしてこのままで良いのだろうか。

 「ペットロスは正常です。ペットロスの悲しみを無くすことはできません」とだけ言って何もしないのであれば、それはサポートでもケアでもなく、それは放置かネグレクト(無視)に等しい。このような不条理な境遇に貶(おとし)められている飼い主が、次の子をふたたび迎えたいと心底思うだろうか。

 飼い主の精神保健から見ても、もはやこれ以上、罪業感を伴う殺処分コンプレックスを助長するペット愛好家を増やしてはならないと思う。ではそのためにはどうすればよいのか。それは常々申し上げている通り、ペットロスのサポート体制を全国的に整備することに尽きるが、その前にまずは、しっかりケアのできるペットロス・カウンセラーを作ることが先決といえる。

(註)現実のこととして、今日われわれは動物殺しを日常的に行なっている。毎日の食習慣として動物の肉や卵を食べているからだ。とりわけ日本人は、歴史的にも牧畜民ではないにもかかわらず、食をはじめとする全般の生活スタイルは牧畜民のそれである。

 朝はパンにバターをぬり、ハムや卵を食べ、コーヒーや紅茶には牛乳を入れて飲む。昼は動物の骨でとったダシのきいたスープの麺を食べる。三時には乳脂肪でできたクリームが乗ったスイーツを味わう。夜はおいしい肉料理をほおばる。これらは明らかに畜産民の食事形態だ。

 また常日ごろ所持するお気に入りのバックやサイフやベルトや靴は動物のからだの表面をなめした皮製品である。このように私たちのライフスタイルと文化は動物の屠殺(とさつ)の上に成り立っている。

 しかし多くの人々は動物の解体現場に直接立ち会う機会はなく、肉製品も皮革製品もパーツに分かれてきれいに加工されて提示されるために、家畜の殺害に加担しているという実感は乏しい。動物の殺しは自らとは無縁のどこか遠い出来事のように思われているのが現状である。今日、動物殺害が現実味を持って感じられる場となっているのがペットロス体験である。


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犬の減少が止まらない


 国内での家庭犬の飼育頭数はここ数年じりじりと減りつづけている。ペットフード協会の調査によると、昨年(2015年)は、とうとう991万7000頭(推計値、以下同)まで後退してしまった。2011年の1193万6000頭から2015年までの4年間を平均すると毎年約50万頭の割合で減っている。

 犬の飼育頭数が減少しはじめた理由を、ペット関係者はさまざまに論じている。ある著名なドッグトレーナーは、それは犬の寿命が延びたからだと雑誌に書いていた。しかしそんなはずはなかろうと思う。確かに犬の寿命は延びてきてはいる。だが寿命の延びはここ数年にはじまったことではない。

 この30年来犬の平均寿命は、ほぼ毎年わずかだが伸びつづけており、それに呼応するかのように飼育頭数も増えていった。もし犬の長寿化が原因ならば、この30年間のどこかでそのような兆候が一度や二度はあってもよさそうなものだが、そのようなことはなかった。

 またある研究者は、犬離れが進行しているのは猫の方が好まれるからであり、その理由は猫はしつけや散歩などの飼養管理に手間がかからず、場所もそんなにとらないからだという。

 確かに、犬を飼わない理由として、『十分に世話ができないから』という人が非常に多いことは、ペットフード協会のデータにも表れている。しかしこのことも犬が減りだしたここ数年になって言われ始めたことではなく、その前から言われていたことである。

 また猫の方が好まれるなら、そのぶん猫の頭数が少しは増えてもよさそうなものだが、じっさいは猫の飼育頭数はこの10年以上にわたって横ばいの状態をつづけている。飼い主が犬派から猫派に乗り換えたのならば、猫がもっと増えなければならないはずだが、猫の数は頭打ちの状態でいっこうに増えていない。

 また一方では、ペット不可の住宅事情のために増えないのだという見解もある。これもペットを飼わない理由として従来から常に言われてきたことであり、そのことはやはりデータにも表れている。

 しかしこれも犬が減りだした今になって言われ始めたことではない。じっさいはペット可の住宅やマンションは毎年増えているのである。つまり、ペット不可の住宅は全国的にむしろ減ってきているはずなのだ。なのにペットが増えない、それはどうしてなのか?

 またお金がかかるので飼いたくても飼えない人が増えているからだという意見もよく聞く。確かにそういう人たちもいるだろう。しかしそうならば、日本の個人金融資産1700兆円のうち半分は70歳以上が保有しているということだが、その世代の人たちの犬離れがなぜ起こっているのか。少なくとも70歳代の人びとについては、かかる費用の問題だけではないことは確かだ。

 家庭犬が減ってきた理由が、犬の長寿化でも世話で手間ひまがかかるでもなく、猫が好まれるからとか住宅事情や経済的理由でもないとすれば何だろうか。ここで一つ考えておかなければならないのが、日本の人口数の減少である。

 2015年に行われた国勢調査によると、日本の総人口は1億2709万4745人であるという(2016年10月26日、総務省発表)。これは前回調査した2010年に比べて96万3千人の減少であり、1920(大正9)年の調査開始以来、初の人口減であるという。

 一方、同時期の犬の頭数をみると、2010年の1186万1000頭から冒頭に示した2015年の991万7000頭と、この間に194万4000頭減少している。この5年間で人間は96万人減り、犬は194万頭減っている。統計上のこととして、わが国では人が一人いなくなると、犬が2頭いなくなるのである。

 人間の減少と犬の減少との間にどれほどの相関性があるのか、筆者には不明である。仮に犬の減少に人口減少が影響を与えているとした場合、猫の数は減っていないのだから猫は人口減の影響を受けないということになり、なにがなんだか訳がわからなくなってくる。

 私は犬の減少に関して、上にあげたさまざまな理由よりもさらに重要な要因があると考えている。それはペットロスにかかわる問題である。このことはペットフード協会の調査結果からも読み取ることができる。

 それは犬を飼わない理由(犬飼育の阻害要因)を聞いた調査データである。それによれば、『別れがつらいから』犬を飼わないという人が2013年は飼わない理由の4位であったのが、2014年は3位となり、2015年は2位に上がっているのである。

 愛犬との死別のつらさから新たに犬を飼わなくなる人が年々増えているのだ。飼い主のペット離れという形をとってペットロスの問題が表面化しているのである。

 犬が減ってきたということは、前の犬が亡くなっても次の犬を飼わない人が増えたということか、初めて犬を飼う人が減ったかのいずれかであろう(この両方もありうる)。その中で別れがつらいから飼わないというのは、言うまでもなく大半は前者の人たちである。

 私の主張は、愛犬家は犬を喪っても今までならばしばらくして次の犬をお飼いになっていたのが、ここ数年次の子を新たに飼わなくなっているということであり、そういう人たちが目下の日本には増えているということである。

 ちなみに、ペットフード協会の2015年の犬を飼わない理由の1位は『十分に世話ができない』、3位は『お金がかかるから』、4位は『死ぬとかわいそうだから』(注 これもペットロスの問題です!)、5位『集合住宅に住んでいて、禁止されているから』、6位『最後まで世話をする自信がないから』、7位『以前のペットを亡くしたショックが癒えていないから』(注 これは完全にペットロスの問題!)である。

 愛犬との情愛と絆(きずな)を大切にする人々が増えるにつれて、その喪失による衝撃とダメージが大きくなりすぎてしまい、十分な回復をみないまま犬離れを起こしているというのが、近年のわが国におけるペットロスの一つの特徴的なエピソードといえるのではないかと思う。

 この場合、犬離れには飼いたくても次の子を飼えなくなっていく人と、犬はもうこりごりだとなり犬嫌いになっていくという二通りのタイプがある。この両者はいずれも死別の悲嘆をその後もずっと引きずっている人たちであることには変わりはない。その意味で、日本人のペットロス体験は諸外国と比べて、やや特異な方向に向かって進んでいるといえそうだ。

 これは日本人のメンタリティに深く根ざした人間と動物の関係の問題であり、このような結果をもたらすペットロス体験がわが国に浸透しつつあるとすれば、海外のペット事情やペットロスのデータはさほど参考にならないということである。

 動物関係者であれば、ペットの死からペットを飼わなくなる人の話を一度や二度は聞いたことがあるはずだが、関係者らはそのことをあまり深刻な問題として捉えてこなかった付けが回ってきたのではないかと思う。

 しかし今、この現象が全国的に拡がり始めているのである。犬が減ってきたことと、猫が増えないという二つの原因にペットロスが深くかかわっているということにペット業界はまだ半信半疑のようだ。

 ペットとの別れによる悲嘆のこじれが、飼い主のペット離れを助長させ、犬の飼育者数を減少させていることに動物関係者はまだ気づいていない。ペットロスの重篤化は、ゆっくりと進行してきたために見逃されやすいうえに、動物専門者もペット愛好家もペットロス問題を触れずに避けてきたという構造的な側面を持つ事象なだけに、気づきにくい盲点となっている。

 飼い主の犬離れがすすんでいるということは、犬と暮らすことを総合的に判断して利益よりも不利益の方が多いと考える人が増えたからではないだろうか。犬を飼うことが喜びや恵沢とならず、逆にさまざまなストレスやリスクを及ぼすと思うようになってきたのではないかと思う。

 人と犬が暮すことは、両者がともに利益を享受できる相利共生的な関係になるのではなく、人間が一方的に悪い影響を受ける片害作用のある関係だと捉える人にとっては、犬を飼うことが負担となり苦役となるにちがいない。

 ペットフード協会のアンケートでは、『どのようなサービスがあっても現在ペットの飼育はできないという理由』についても聞いているが、その1位は住宅事情でペット禁止だが、2位は『死んだときに悲しい・別れがつらい』という、やはりペットロスの問題であった。

 しかし、飼い主たちが今どのようなペットのサービスを求めているか(『あったらいいと思う飼育サービス』)という別の調査では、ペットの世話やしつけの代行や、保険に関するサービスなどの需要が高く、ペットのターミナルやロスに関する飼い主ケアの要望は上位17項目の中にも入っていなかった。

 このことは飼い主サイドでは、ペットとの死別の悲嘆に苦しみながらも未だペットロス・ケアの重要性をよく認識していないことを示している。飼い主自らが抱える問題点を十分に自覚していないのである。これには教導すべきペット専門者の側にも飼い主サポートについて理解の乏しいことがその一因にあると思われる。

 今後、動物にかかわる専門者は、ペットロス体験者へのサポートと飼い主への事前のペットロス教育に相応の努力を払わなければならない。気づいた時には手遅れとならないためにも、今からペット・伴りょ動物を亡くした人々や、これから亡くしていく人々への実質的な支援に取り組んでいくことが急務といえる。

【関連項目】
 『人がペットを飼わない本当の理由〜ペット飼育の阻害要因』
 『もう二度と動物は飼わない』

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ペットと動物的退行(後編)


● 悲嘆とペットロス退行

 さて次に、飼い主に起こる退行の2番目にあげたペットとの別れに伴う退行について話をすすめよう。これは今まで述べてきたようなペットと接することによって起こる退行とは反対に、ペットとの接触・交流が奪われたために起こる退行である。すなわち、ペットロスを原因とする自我エネルギーの撤退withdrawalの問題である。

 先に飼い主と生前のペットが接することから起こる退行を人間・ペット関係における1次的退行と呼んだのに対し、このペットロス退行は、その後に来る退行という点から人間・ペット関係における2次的退行といえる。またやはり先に、ペットの生前における「正常な病気」への退行についても触れたが、それは新たな生命を得て情愛をはぐくむときに生じる特異な心理現象だった。

 しかし別れによって愛する対象を失ったときにもやはりウィニコットのいう「正常な病気」としか言いようのないさまざまな退行的変化が生じる。人生における邂逅(かいこう)と離別という命の始まりと終わりに立ち会うとき、人は常軌を逸しやすいようだ。

 日ごろからペットと自己愛的な同一化を強く果たしていた飼い主であれば、ペットを愛することを通じてしか自分を愛し認めることができなくなっているかもしれない。そのような人がペットを喪えば自らの存在が脅かされる自己喪失の危機に陥る可能性が大となる。

 自己喪失とは自己を見失う体験であり、これからどうすれば良いのかがわからず途方に暮れたり、人生に生きる意義を見出せなくなってひどく落ちこむような状態をいう。愛するペットの終焉によって飼い主は自らの命も終わりを迎えたような生命感情を喪失した状態に置かれる。これは一時的に生命力が枯渇した、いわば半死半生のような容体であり、心理的な仮死状態に陥っているといえる。

 ペットロス体験が人によっては想像以上の衝撃となるのは、もっとも大切な自己へ向かう愛が侵され脅威にさらされるからでもある。そのため、そのような状態を迎えるつらさを全面的に回避するためにペットが死んだことをかたくなに認めようとしない人がいる。あの子が死んでいなくなってしまえば自分がどうなってしまうのかが皆目わからなくなる恐怖から逃れようとするのである。これが自己愛の急激な侵襲被害から身を守るためにペットの死の否認が起こる背景と考えられる。

● 時間を喪失するペットの死

 愛するペットの喪失により、人はしばしば時間感覚を失う。時の喪失である。時間が止まってしまったように感じるかと思うと、1日、1週間、1か月が短く感じたり、逆に長く感じられたりする。また、1日や1週間が短いか長いかということさえわからなくなる人もいる。それは月日のことなど、どうでもよくなってしまうからである。時間の観念にさえ関心をなくしてしまうのだ。ペットが亡くなったその日から時間が意味をなさなくなるのである。ペットロスの衝撃が、時を刻む意識を狂わせるのだ。

 では、悲嘆者の心理的時間は襲撃を受けたまま何も動いていないのだろうか。時の流れが淀んだまま、ほんとうに何もかもが立ち止まってしまっているのだろうか。そのとき、飼い主の時計の針は先に進むことなく静止しているように見える。しかし、じっさいは時間の針は巻きもどされるように盛んに過去に向かって動いているのである。この死別後に起こる心理的撤退は、過去にもどってもう一度やり直したいという願望にもとづいている。

 死別によって意識は過去に退いていく。とくにペットが亡くなるときにもどっていく。意識は死期に集中し、なぜあの子は死んだのか、あの子の死に方はあれでよかったのだろうかという点に注意は集約され、そのことに固執していく。ペットが死に至るまでの情景がありありと繰り返し思い起こされ、飼い主はそのことにとらわれていく。そうなるのは、そこにかえってもう一度やり直せばあの子の命は取り返せたはずであり、そうであればあの子は今も生きているはずだという強固な想いが生じるからである。

 また、そこにつねに意識がもどるのは、そのことにもっとも強い心理的ショックを受けているからであり、そのために大きな葛藤を生じていたり、ときとして恐怖体験にさえなっているからだ。飼い主には亡くしたペットの顔や姿が走馬灯のように寝ても覚めても想起される。ペットの死後、飼い主は生前とは性質が異なる新たな没頭に支配されて退行していくのである。

 この反復される想起は、死別の脅威をなだめたり、混乱する心を整理して再び立ち直っていくために必要な自己治癒のための時間となるだろう。したがって、このような繰り返される想起は苦痛ではあるが、抑えるべきではなく、それらは枯渇するまで、すなわち出尽くすまで自由に放出させておくことが有効な対処法となる。

 ペットロスは、もうあの子に会えないという純粋な落胆に加え、もはや子どもにも母親にも立ちかえって退行する悦楽を味わえない幻滅や苦痛を伴っている。この退行喪失(退行させてもらえないことへの喪失感)とも呼ぶべき現象は、ペットロスの抑うつ症状を生み出す一因をなしていると考えられる。

 また、先に生前におけるペットは飼い主の潜在的不安や葛藤を軽減してくれる旨を述べた。そのペットが消えていなくなった今、その抑制の蓋がとれることによって、もともと抱えていた不安や葛藤があれば、それらがペットロス悲嘆の中に入りこんでより深刻な不安や葛藤の症状を形成する場合があり、このことがペットロスの重症化の一因にあると考えられる。

● ペットとの別れと食欲

 ペットを失ったとき、人は深い悲しみの中で無力感にとらわれて食べ物も喉(のど)を通らなくなることがよく起こる。この食欲低下は、現実の出来事を受け入れたくないという心因からくる身体への転換症状としての部分が大きい。このとき、食べ物はペットロス体験を象徴しており、それを食べたくないとは、咀嚼(そしゃく)して飲み込みたくない、消化吸収もしたくないという想いを代表している。それは愛するペットの死を受容したくないという飼い主の意思を端的に表している。

 また、ペットの死に対する自責感や後悔から自己処罰感が強まり、あの子は食べられなかったのだから、自らものうのうと食べてはいけないと思いやすい。さらに飼い主が食不振をもたらすもう一つの原因としてあげられるのが、ペットが生きていた過去にもどりたいというこの退行欲求に関係すると思われる場合である。

 私たちは食べなければ心身は衰弱し、エネルギーは撤退を余儀なくされる。その結果、成長と発達は止まるが、そうなれば以前の状態にかえれると思うのである。ペットがいたころにもどりたいと願えば食べなければよいと思ってしまうのだ。したがって、ペットロスの悲嘆者の食思不振には心理的な拒食傾向―食べてはいけないと自分に禁止をはたらきかける部分―がどのくらい入り込んでいるかが問題となる。

 このとき、とくに喪中の初期であれば、飼い主はペットの死を否認して表象(イメージ)の中であらゆる手段を講じてでもペットを生かしつづけようとする。そのときペットも同様に過去に連れもどせれば生き返るというファンタジックな思考に取りつかれやすくなる。永遠のペットを望む飼い主の願いが退行心理を生むのである。

 先にも述べたように、ペットの生前飼い主はペットと同一化しているが、この心理機制は通常ペットが死亡してもしばらくは解除されずに死の否認とともに、ときにはより強く保持される。このような場合、自らが退行的な行動をとることは同時にペットを過去に退去させることでもある。すなわち飼い主が食べずにいることは、同じく表象の中のペットにも食べさせずにいることであって、そうすることでペットも同様に元気な頃に立ちもどらせたいという無意識的な思考がはたらいていると考えられる。

 そのとき、もう一つの退行因子として飼い主の心理的固着点(未解決の部分であり、いちばん引っかかっている点)となっている直接の死因が起こる前の時点に立ちかえろうとする力動がはたらく。この現象は見方によっては、ペットの生前にはペットの力を借りて昔にかえる退行を果たしていた飼い主が、ペットの死後はそれが叶わなくなったために、ペットの力なしに独力で退行している姿ともいえる。

 しかしペットの死の否認をしつづける喪者であっても与える脅威や葛藤の大きさからそこへの回帰が起こると考えられる。その場合、心中では愛するペットをファンタジックに作り出して生かしつづけることによって、その想像上のペットと架空の心理的同盟関係を結んでともに退行を試みている姿と考えられる(空想上のペットとの偽同盟的退行)。

 ところで、ペットロス悲嘆者に起こる摂食障害の中には反対に過食に走る人がいる。この場合の心理機制は、またいままでとは異なり、別のいくつかの原因があると思われる。一つは、いま述べたような食欲不振により過去に退行してもどろうとすることとは逆に、大量に食べて早く成長・発達をとげて先に進みたい、一刻も早くここから脱したいという欲求にもとづいている。これは退行ではなく時計の針を早急に進行させて早くここを抜け出して未来の時に行きたいという願いの表れと考えられる。

 さらにいま一つは、ペットと食物が同値とみなされているような場合であり、その飼い主の食が進み過剰に取り込む状況は、ペットを手に入れたいとか、ペットをわがものとして手放したくない、さらにはペットを食べて体内に取り込んで一体化をはかりたいなどいずれもペットを生かしつづける願望の結果として食欲を亢進させている状態が考えられる。

 この場合、ペットは重要な愛する対象となっている点から、ペット=愛情であり、ペット=食物であるから、ペット=愛情=食物の関係が成り立つ。すなわち、この過食は愛情を代償である食物に転嫁した取り入れintrojectionであり、この行動は愛情が分断された飢餓感と分離不安にもとづいていると考えられる。

 さらに飼い主は、愛する子が死に至るも生前から引きつづいてペットと同一化(同一視)している点から見て、食べ物を大量に摂ることは、飼い主表象の中に今も生きつづけるペットを死滅させないために食餌・ご飯を与えている姿と考えることもできる。飼い主がふだん食べている以上に食物を摂取しているとすれば、その増えた食餌量分はペットのものであり、それはペットに与えているのであり、ペットとともに食べているといえる。

 これは精神的な意味での死者との共食を連想させる。しかし死者供養としてなされる共食は亡くなった者の霊魂とともに遺される者が食餌をとるのであって、それは相手が死亡して今や霊的存在となっていることを前提としている。しかしこの場合は、死の否認あるいは死の隔離isolation(あの子と死は無関係だとして両者を別のものとして引き離す防衛機制の一つ)として使われており、その行為はあたかもあの子が死んではいないことを自ら(自我)に納得させるために行われる偽装的なアリバイ工作のようである。

 なぜ人は悲嘆中にそのような回りくどく厄介なことをするのだろうか。 それはペットの死後においても死の明瞭な自覚がない以上ペットはまだ生きているのであり、したがってペットを空腹やもろもろの災厄から守っていかねばならないことは、引きつづき飼い主に課せられたもっとも大切な仕事となっているからである。

 飼い主にとって、ペットの命を少しでも永らえさせようとする努力は、ペットが生きている間だけのことではなく、たとえペットが死亡してしまったとしても、その実感がない間は、いままで通りペットを飼養し生かす日常の作業はそのまま継続されている。飼い主は死別後もしばらくはフードと水を毎日欠かさず生前と同じ所定の位置に置いたり、何ら汚れていないのにペットシーツを日々取り換えるなどしてあたかもペットが今も生きているように作業をつづける。

 長年にわたって慣れ親しんできたこの習慣は、いったん出来上がった日々の傾向秩序としてすぐには改めることはできない。これらの虚しく過去を引きずった退行的な行事は、飼い主が当惑する喪に適応していくための必要なやむおえざる儀式であり、通常は本人の納得がゆくまで、すなわち死別を認められるようになり、その諦(あきら)めがつくまでつづけられることが多い。

● 動物霊の憑依とファクシミリ病

 さてここでペットの死別に際して、ときとして飼い主に起こる興味深い退行現象のひとつについてその概略を簡単に紹介しておこう。それは動物的退行というにふさわしい行動であり、ペットロスの悲嘆心理の性質を一面でよく表している。

 この現象は喪者に見られる行動としてすでにチズックら(1977)によって人間の死別で報告されている「ファクシミリ病(そっくりな病気) facsimile illnesses」といわれる心身症(身体表現性障害)である。それは遺族が死者の亡くなる最期の症状とそっくりな心身症状を示すもので、この症状に強弱の違いはあるが、死別後や命日前後から出現することがある。これは仮面悲嘆反応ともいわれるものであり、抑圧された悲嘆の一種とされる。

 ある30代の独身男性は、愛犬を病気で亡くしたが、その犬は死のまぎわに苦痛の表情を見せながら苦しそうにギャンとよく鳴き叫んでいたという。彼は愛するペットの死後、深い悲しみに襲われたが、苦痛に耐えがたくなるとその犬が最期に示したギャンというつらい鳴き声を同様の表情とともに部屋の中でひとり叫ぶようになった。彼はそんな自分がおかしくも思えたが、苦しみがこみあげるたびにそうしていた。

 またある中年女性は、フラフラと歩いては何度も倒れる神経症状を示しながら死亡した愛猫を看取ったが、喪中時のみならず1年後の命日にもその愛猫の死期の行動とよく似たようなめまいとふらつきを起こし、歩くこともままならなくなり寝込んでいた。またある20代の女性クライエントはペットの死後、生前ペットが患ってつらそうにしていたのと同じ部位に気質的異常がないにもかかわらず痛みを起こし、夜になると死亡したペットがいつも横たわっていた寝床にいって同じような姿をして寝ていた。

 これらはほんの二三例に過ぎないが、これらの飼い主に共通する点は、死にゆくペットの最後の容体に強い衝撃を受けており、その記憶が鮮明に焼きついて少なからず心的外傷を起こしていることであった。すなわち、その最期の別れの姿は想像していたものとはひどくかけ離れたものであり、不本意なかわいそうな死なせ方をしたという意識が強く、一様にその死を悔やんでいた。

 このように飼い主がペットの表情や仕草を擬態化するには自らと、他者に向けて何らかの利得が備わっていると考えねばならない。少なくともこれらの擬動物化・擬ペット化された飼い主の行動をかたわらにいる家族が見れば死亡した動物の霊が乗り移って憑(と)りついたと思ってしまうだろう。そのように考えた家族は悲嘆者のことをあれこれ心配しはじめ配慮を加えるだろうが、それは飼い主にとって自らに関心を払ってもらえることであり同情されることでもある。

 この奇妙に見える現象は動物霊が憑依したのではなく、飼い主のペットへのさらなる一体化を求める同一化願望にもとづいている。このようなことが起こる原因としてまず考えられるのは、死の否認と亡くしたペットへの再会の望みである。飼い主は記憶にあるペットの行動を自己の身体を用いて模倣することによって再現させている。こうして飼い主は、ひとり二役を演じて亡くした子を再生させてみせるが、少なくともその間はペットは生きているのであり、愛する子がすぐ近くにおり会えている実感を伴っている。

 以上、ペットの生前から死後に至る飼い主の退行現象をさまざまに見てきたが、それらの多くは健康的で治癒的、創造的な面をもっている。しかし一部においては不健康で病的、非創造的な退行もあるといえる。ペットの生前のこととして、動物と暮らすことにより飼い主が社会から引きこもって内向きになり、他に関心をなくすネガティブな退行的行動が起こる危険性については注意を喚起しておきたいと思う。現実を忘れる逃避行動としてペットは最良の相手となる。私たちは、そうしようと思えばペットと付き合うことによって社会から目をそむけ、人との接触を断っていくこともできるのだ。

 また、そのような人がペットを亡くしたとき、さらに引きこもってネガティブな退行的感情や行動にとらわれていってしまうリスクも見ておかなければならない。しかし、どのような退行が起こるにせよ、私たちの身と心はじっさいのところはひとたび過ぎ去った昔にはもはや戻ることはできない。過去に落捨した時にかえってもう一度やり直すことは叶わないのだ。そのことは愛する子を喪ったとき、飼い主は恐ろしい事実として厳しく突きつけられるのである。だが、生きものには死が訪れることや、時間はもとにもどせないという冷酷な現実を教えるのも、やはり彼らなのだ。

 動物たちと接することによって彼らは、私たち人間も限られた時間の中に生きる動物であることを気づかせる。彼らは、自らの生き死にのすべてを足早に見せることによって、私たちにも同じように生き死にのあることを教える。飼い主は動物が死ぬことによって自らも動物のように死ぬことを知る。そのうえで動物たちは、私たちの心の中に生きるゆたかな動物性をよく見なさいと言っている。私たちに目をよく見開いて自らの足元をしっかり見よと黙示しているように思う。

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ペットと動物的退行(中編)


● ペットによって原初的没頭を起こす飼い主

 次に、ペットの生前における二つめの退行、すなわち飼い主がペットの母親的代役を担うことによって起こる退行について考えてみたい。多くの飼い主はペットを子どものように認識することはすでに述べたが、そのことは一方で飼い主が自らをペットの母親のように捉えていることを意味している。飼い主の自己表象としての飼い主表象が母親表象に近いー私はこの子のママよと飼い主さんは自らを思っているということですーということは、人間・ペット関係にさまざまな影響を及ぼしている。

 たとえば、子犬や子猫や小鳥を飼い始めると、人はペットの母親―生母ではなく育ての母親(養母)であり、代理母ないしは継母(ままはは)―として常に注意を払うようになり飼養管理やペットの健康に意識を集中していく。その心境は病気やケガを起こしやすい小さな子どもをかかえた母親とさほど変わらない。それゆえ飼い主は動物の養育に深くのめり込んでいき他のことがらへの関心が薄らいでいく(だから、ペットといると嫌なことは忘れるというメリットがそこから生まれる)。

 そうしてペットの命を守り育てることに熱中していくが、その過程でペットのわずかな行動の変化や反応にも敏感になり、一面でナイーブな精神状態におかれていく。これはペットが若齢期にあるときだけではなく、病気や高齢で世話や介護が必要になったときでも同じである(だから、飼い主は終始、神経質になることを余儀なくされるために心身を消耗しやすく、そのためにノイローゼやうつ状態になりやすいというデメリットもそこから生まれる)。

 また、ペットが若い時から何かの障害や疾病を持っていれば、飼い主は過敏で不安定な精神状態を常に持ちつづけなければならないかもしれない。このような飼い主の心理は、イギリスの精神分析家ウィニコットが人間の母親が赤ん坊を生み育てるときの精神状態を称して「母親の原初的没頭」Primary maternal preoccupationと述べたこととよく似ており、そのセオリーでほぼ説明できる。

 ウィニコットは母親となった女性の臨床的観察から、置かれている環境がそれぞれ異なっていても赤ん坊を出産すると、どの母親もみな一様に赤ん坊の方に強い関心と注意が向かい子育てに没頭していくと述べている。そのさい母親の感受性は非常に強くなり繊細で傷つきやすくもなるという(だから、ペットを介護するときでも協力者やペットシッターなどが必要であり、自宅でひとりでペットの最期を看取った場合などトラウマ体験になりやすく、したがってペットロスのリスクも高くなりやすい)。

 このように、他のことが考えられなくなり子育てに夢中になってとらわれていく変化は赤ん坊の世話をしていくうえでの必要な退行であり、ウィニコットはこの状態を称して「正常な病気」ともいえる反応だと述べている。

 つまり、母親は新しい生命を授かったとき、その命を守り育てていくために自らの心身を病的ともいえる退行状態に落とし入れることによって赤ん坊の養育に適応しようとする。この心理生理的変化は、その目的を達成するためには理にかなっており、それは病的といえる容態だがこのような特異な環境下では、そのような異常性がむしろ正常(通常)といえる反応だと捉えられている。

 飼い主はペットを飼うと「はまる」とよくいう。ペットと暮らし始めると、ペットのもつ愛らしさや従順さにすっかり惚れこんでしまい、深い愛情を注ぎこむようになる。ペットの方も、飼い主に愛着を示すようになり依存していくようにもなる。愛する大切な対象がおり、その相手も自分を好いて必要としてくれる。この相思相愛のような充足感は他に勝るものはなく、その愛情生活にペットはぴったり入り込むのである。

 これは飼い主の養育願望が満たされて母親としての喜びが得られることと深くかかわっている。ペットは私たちを子どもにもどしてくれるだけでなく、母親にもさせてくれるのである。この母性と養育にかかわる本能行動の満足は何物にも代えがたいだろう。ペット動物との絆(きずな)とは、飼い主とペットの互いの本能衝動によってがっちりと形成された情愛的な結合(ボンド)なのだ。

 両者の結びつきが本能、すなわち生得的な動因によって規定されているということは、飼い主にとってそのペットとの出会いはどこか運命的であり必然的なものに感じられていくだろう。本能行動であれば、それは盲目的で選択の余地がないほど決定的であり、理性も知性もはたらかずに如何ともしがたいのだ。よって、その関係性が解体に帰する喪失体験は運命によって決定づけられていた結びつきが破砕されていくことに他ならず、飼い主は並々ならぬ衝撃とストレスを被ると考えなければならない。

 母性や養育本能というと、女性の特権のように思われがちだが、事実はそうともいえない。たとえば、日本人の性格研究などでも、成人男性のなかには父性よりも母性の方が強い人が多いこともいわれてきた。これは日本人男性は父性面が乏しいということではなく、母性の方が父性より強い人が多いということである。なかには人間の子育てが奥さんより好きだという男性がいるし、動物園や水族館の優秀な飼育員のなかにも男性が大勢いる。私のクライエントさんのなかにも、ペットの世話や介護を熱心に行ない、そのことに大きな喜びと生きがいを感じている男性も今ではめずらしくなくなった。

 実は男性・女性を問わず多くの飼い主は、そうすることで世間の煩わしさからしばし解放されているのである。心を奪われるように我を忘れてペットの養育に深く入り込んで没頭しながら退行できる幸福感を得ているのだ。そう考えると、なぜ多くの現代人がペットペットといって彼・彼女らをかたわらに置き始めたのかの謎のひとつが解けるように思う。

 そのペットを介して本能的充足を得て至福の時を与えられていた人が、ペットを突然取り上げられてしまう危機、それがペットロス体験となる。この人にとっては幸福の源泉である母親となることを取り上げられることに他ならない。母親の役割を奪われた飼い主は、母であることを否定されたに等しい喪失感に襲われることになる。

 私は子どもにかえることをもって退行というと先ほどから述べてきたが、上記の点からもおわかりになる通り、表象としての母親にかえることをもって退行と考えることもできると思う。これは子どもがえりが進んで退行が下れば嬰児となるが、そうなれば子どもが生存していくには必然的に母親の影が濃くなっていく。その先をさらにたどれば、母親の体内に入って胎児として母親の一部をなしていく。

 このように発生の道すじをさかのぼれば両者は限りなく接近し一体化していく。母親がえりと子どもがえりは一見異質のように思えるが、もともと母子は未分化で合一化されたファンタジーの世界にあったことを考えれば、両者は心理学的にはむしろ接近した存在といえる。


● 動物神と太母信仰

 ところで、この飼い主とペットがさらに親密さを増し、両者の関係がいちだんと深まるにつれて、飼い主の心の中でその動物を巡ってある大きな変化が生まれてくる。それは飼い主から見てその動物が子どもの位置から母親的な位置に変容していくことである。

 ペットとの深い交わりは、両者の母子の関係をいつしか逆転させて飼い主が子どもとなり、ペットを母親的な存在として感じ始める。動物が大きな母性的な存在に感じられていくのである。すなわち飼い主には動物は母であるという太古から人間が抱きつづけてきた根深い動物表象が表れてくる。

 動物が母であるという信念は、神観念の誕生と同じくらい古い。それは動物は神であるという信仰とつねに一体であり、このことは宗教の起源とも密接にかかわっている。原始の人びとは、動物に神性を見出すとともにそこに万物を生み育てる母性を見出していた。地母神信仰に見られるように大地と母と動物の三者は一つであり、それが神だと信じたのである。

 狩猟を生きる糧にしていた原始人たちにとって、最大の関心は動物でありその豊猟であったはずだ。自分たちの生殺与奪は動物たちが握っており、彼らを仕留められるかどうかに一族の存亡がかかっていた。自分たちの運命はその始まりから彼等に委ねられていたのである。

 人間の誕生に動物がかかわったという神話は多い。動物が太母(たいぼ)であり人間はその母なる動物によって造られたという創世神話は、世界の各地に存在している。古代エジプトであれば山羊が、北欧やインドでは牝牛が、北アメリカではコヨーテが、ギリシャでは牝鹿が、古代ローマでは狼(日本語のオオカミも大神からきている)が、人間を生み育てたという神話を持っている。これらは何を意味するのだろうか。

 原始人や古代人の動物に対する意識は現代人に比べてはるかに厳粛であり、極めて切実であったと考えねばならない。彼らにとって、動物たちは豊饒をもたらす畏怖と崇拝の対象であり、したがって彼らの中に万物を生み出す神々や太母・グレートマザーを見たとしても何ら不思議ではない。

 人類の深層心理に普遍的に認められるこの動物観は、今日に至っても現代人の無意識の古層に受け継がれている。この問題は三つめの退行因子である動物が母性的表象を担うことによって飼い主が子どもの立場になっていくことと関連している。

 飼い主はペット動物に癒やされ慰められるという。だから彼らが愛おしいという。だが、癒すとか慰めるという行為は、母子の関係からいえば、本来母親が子どもにすることであって、幼子(おさなご)が母親にすることではない。おそらくわれわれは、原始の時代から母性と動物性は極めて接近した属性であることを感じ取っていたのだろう。

 今日、飼い主は本当のところペットに何を求めているのだろうか。私は多くの飼い主は心の奥深いところでペットに母性的情愛を求めているのではないかと思う。動物の中に母を見ているのである。飼い主は動物の中の母なるものに包まれて安心していっとき子どもにもどっているのだ。

 多くの人々がペットを身近に置くようになった背景には、それだけこの社会から母性が欠如し始めていることがあるのではないか。現代社会に貧困や犯罪やテロや戦争が拡散する原因もそこにあるのではないか。母性的情愛を喪失した社会は、何かの形で補っていくしかない。そこから恢復(かいふく)する手だてとして人々が求めた対象が動物愛でありペット愛の世界ではないかと私は思う。


● 動物性に包摂される人間性

 では、人は動物と接すると、どうして退行してしまうのだろうか。この不可解な大きな謎を解くにあたって、まず始めに考えておかなければならないことは、人間の起源にかかわることとして、われわれはかつて動物であったという問題がある。

 心理的退行は現在から過去に回帰しようとしてはたらく無意識的な力動だが、それは個人史においては成育歴の遡及であり、そのベクトルをさらにたどれば、個人を超えて家族や部族や民族の過去にさかのぼっていく。その先をさらに下ってゆけば種族としての人類の系統発生を逆進して、行きつく先は自ずと動物の段階になっていく。

 つまり、退行の極致はいま飼い主の目の前にいるその動物のようになることである。しかし動物回帰する、すなわち人間が動物的段階に帰るとは、いったいどういうことなのだろう。これは何かことが起こると意識を常に元の状態にもどして物事を見直そうとする人間の指向や欲求と関係しているのかもしれない。私たちの心の奥には、危機を感じたときなど古巣に帰ろうとする帰巣本能があるように動物的なものに原始回帰しようとする性向を持ち合わせているのではないかと思う。

 困難なことが起こると、私たちは今までの歩みがこれで良かったのかどうかを振り返る。反省や内省とはそういうことだろう。過去にもどって、そこからもう一度考え直そうとする。原点に立ち返って物事を考える。その原点とは過去の自分であり、自分が自分として始まるときであろう。退行するとは、自らと一族のたどってきた系譜をさかのぼって生い立ちに至ろうと先祖返りする行為であり、それを神話的に述べれば、始祖となる祖先神を捜(さが)す試みとなる。

 これは言い換えれば「動物としての人間」という視点に立ちかえることではないだろうか。私たちは消耗するだけの機械でもなければ、情報を処理するだけのコンピューターでもない。私たちは現に生きる生身の傷つきやすい感性と本能装置を付与された精神生理体としての動物である。人間性の中に息づく動物性に目を向けずに人間を理解することはできない。私は人間性とはむしろ広く動物性の中に包摂される属性だと考えている。

 人間を理解するにあたり、人間を動物から切り離すのではなく、動物性の中に人間性がすっぽり組み込まれていると見なければならないと思う。このことは人間が動物種の一類であるという生物学上の事実からも明確に言えることである。私たちは哺乳動物だといわれる。哺乳類the mammalsという名称は、18世紀の分類学者リンネの造語だが、それは動物の中でも特に母親がおり、母親のからだのどこかには乳房mammaがついていて、生まれ落ちた子は皆一様に、口唇を用いてその乳房に吸いついてしたたり落ちる乳汁をもらって生き延びてきた一族、というくくりをいっている。

 哺乳する動物という点では、人間も他の哺乳類と何ら変わるところはない。この点では犬も猫も兎もハムスターもフェレットも人とさしたる差異はなく同類である。そのためにわれわれから見て、彼らの行動は理解しやすく共感もしやすい。ペット動物となる多くの動物が哺乳類であるという理由もうなずける。

 人間・ペット関係の骨子となるテーマは、飼い主とペット動物間における愛着attachmentとその喪失lossである。愛着はペットの生に関連し、喪失は死に関連する。愛着と喪失の問題はともに、動物界における生存と死滅の現象の中から見ていかなければならない。愛着理論を構築した精神科医のボウルビィが、なぜあれ程まで動物の行動と心理にこだわったのかといえば、それは人間理解には広く哺乳する動物としての人間を知ることが重要だと考えていたからに他ならない。 (続く)

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ペットと動物的退行(前編)


● 飼い主の不安や葛藤を食べてくれるペット

 現在の発達段階から以前の段階に後もどりすることを心理学では退行regressionといっている。一般的には「子どもがえり」といわれているものであり、それは何かを原因として今の状態から過去のより未発達な状態にもどってしまうことをいう。

 飼い主はペットと接触すると嫌なことを忘れるという。また、心が安らいで元気になるとも、純粋な気持ちになるともいう。このような心境には童心に帰ってくったくのない自由な解放感に浸れるという部分があるように思う。ペット動物は私たちを子どもの時代にかえしてくれるのである。女性であれば少女に、男性であれば少年にである。

 またさらには、女性であれば心の奥に抑え込んで日の目を見ることのなかった少年の心がペットとの交流によって呼びさまされるかもしれないし、男性であればやはり抑え込んで影のように生きてきた少女の心が呼び起こされるかもしれない。ペットと楽しく遊んでいるうちに飼い主の表象はさまざまな刺激を受けてファンタジーのなかで、永遠の少女や永遠の少年にさせてくれるのである。

 いっときでも子ども時代に帰れるというのは、大きな喜びだ。子どもになってしまえば、大人としての重い責任を果たさなくて済むし、社会人としてのさまざまな制約からも逃れられる。困ったことや嫌なことがあっても泣き叫べば周りが何とかしてくれるし、同情もしてくれる。仮に自分に非があったとしてもそれ以上とがめられることもない、それが子どもだ。

 そういえば、しばらく前に記者会見の席で政務活動費の不正を追及されて、人目もはばからずにひどく泣き叫んだ県会議員がいた。あれは多少演技もあると思うが、強い衝撃と緊張を強いられたために彼は子どもにもどってしまい、ああいう行動をとったのだと思う。子どものとき大泣きして駄駄をこねればそれ以上は責められることもなくうまく急場をしのげたことを、彼は大人になってもやっているのである。これも退行現象の一事例だが、ただし、あれはほとんど失敗だった。

 ペットとの接触・交流に関していえば、飼い主は一時的部分的な退行を果たすことによって現実のさまざまな不安から逃れることができる。ペットを愛着対象とすることにより飼い主は何の心配もないのびのびした自由な子どものような心境になって安心と安全を得ている。退行は飼い主の自我の防衛として広く使われているのである。すなわち、飼い主はペットを日々の不安や葛藤に対する防衛に役立てているのだ。

 今日、ペット動物は飼い主の心理的サポート役を担っており、精神介助を行う新たな使役動物としての役割を課せられている。多くの現代人がペット飼育をするようになった大きな理由の一つにこのことがあると私は考えている。ペットは飼い主の不安や恐れを食べてくれるのである。これがペット動物による癒し効果の本質であり、この機制は心理的な退行にもとづいている。

 また、私たちはペットが病を得た時、早く元通りの元気な姿にもどってほしいと願う。そのとき飼い主はペットが健康だった以前の状態を取りもどそうとする。私たちにとってペットが健康を回復するとは、ペットが以前の時間にもどることを意味している。要するに、ペットが元気を取りもどすこととは、過去にもどることであり、飼い主はタイムスリップするように過去に帰ることを望んでいるのである。このような願望も退行心理を生み出す引き金(トリガー)となる。筆者は以上のようにペット動物とのかかわりの中で飼い主が起こす様々な退行現象を総称して動物的退行と呼んでいる。


● 対象愛と自己愛を含むペット愛の特殊性

 人間・ペット関係のなかで飼い主に起こる退行現象は、大別して次の3つが存在する。第1は、いま述べたようなペットが生きている間に飼い主が起こす退行である。第2はペットとの別れにさいして飼い主の悲哀過程で起こる退行。これは死別後、亡くしたペットに会いたくなって、あの子が生きていた以前の状態にもどりたいという想いが強まったときなどに起こる心理である。強い思慕の念にかられたり、懐かしさを覚えるとき人の意識は、ペットとともに歩んでいた過去の時間に少なからず帰っているものである。

 この時間の逆行はさらに進んで先の駄々っ子のようによりいっそう昔に子どもがえりする後もどりも含んでいる。ペットを喪った飼い主の中には、悲しみのあまり転げまわって大泣きしたり、怒りにまかせてわめき散らすなど欲求不満の耐性が極端に低下してしまう人がいる。そのように感情が高まって抑制の効かない幼児的な行動が見られるような場合である。

 第3は、そのペットロスの悲嘆者が専門的グリーフケアを受けているあいだに起こす治療的な退行である。これは面接時におけるクライエントのカウンセラー(治療者)への依存性の問題と関係している。クライエントはペットの死後その依存対象をペットからカウンセラー(治療者)に変えて転移感情を示すことがあるが、それは生前そのペットにどの程度依存していたかにもよる(今回この第3の解説は割愛する)。以下、第1・第2の退行心理について順を追って考えてみよう。

 第1は、人間が動物と接触・交流をはかることによって起こる防衛的な退行であり、これを人間・ペット関係における飼い主の一次的退行と称することができる。これは飼い主とペット動物の心理的相互作用(人間と動物が互いに心を通わせてコミュ二ケーションをはかる)の結果おこる退行である。これは通常、多くの飼い主が経験しているところであり、概して健康的で可逆的な退行である(註1)。

 この心理機制には以下の三つの原因が考えられる。一つめはペットとの自己愛的な同一化にもとづく自我退行であり、二つめは飼い主がペットの母親的代役を担うことからくる退行。三つめは二つめの母子の役割関係が逆転してペットが母親的役割を持つことによって飼い主が子どもの立場に置かれることから生じる退行である。これら三つの背景因は互いに関連し合っているが、飼い主によってその強弱の程度は異なっている。では、一つめから見ていこう。

 飼い主心理から見て、ペットは私のものであり、私的な所有になるものである。ペット動物は外的対象として外観は個としての独立を保っているが、飼い主にとっては自己に属するもの、すなわちペットは飼い主のマイン(私のもの)だといえる―したがって、ペットロスとはマインの喪失といえる―。ペットは他の誰のものでもない、あの子はぜんぶ私のものであり、私だけの子なのだ。この自己所有による私的感覚が強まれば、ペットは私の延長物となり、私の一部になっていく。

 私的所有の対象は自己に帰属し、自己そのものにもなりやすい。すなわち、ペットは私に取り込まれていくことにより私自身を構成する一部分となっていく。この機制はペットによる飼い主の自我補強となるだろう。ペットとは、飼い主に心理的に摂取(取り入れ)され、その心中に入り込んで一部分を占めることによって生き残っていく存在なのであろう。

 私たちがペット愛と称しているものの中には、対象愛としてのペットだけではなく自己への愛が隠れている。飼い主が表明する「私とペットはいっしょ」であり、「私とあの子は一心同体」という世界はペットとの同一化を示すものであるが、そうしてペットを愛するとは、とりもなおさず自身を深く愛していくことでもある。飼い主はペットに対して自己愛的な同一化を起こしているという点からペットは私が愛する私の一部分をなしている(註2)。

 人間とペット動物の境界が不鮮明となり、あいまいになってひとつに溶け合う感覚は、深い情愛的きずなを生むだろう。飼い主にとってお互いに分かり合えているという思いは強い一体感や共有感をはぐくむ。この体験は乳幼児と母親の間に生じる一体感を伴った原初的な愛の形態に類似している。母子の情愛は、すべての愛の起源であり原型といえるが、飼い主・ペット間における情愛は、その母子関係を範型としてさまざまに形を変えて異種間でファンタジックに再現されている。

 赤ん坊や幼い子どもは、母親と自己との区別のつかない境界の不明瞭なファンタジーの世界に生きている。彼らは自己を主体とした未分化な一人称の世界によって構成されており、母親は自己の一部となっている。そこでは投影同一化を主体とした自己愛が中心となる。ペットとの接触・交流はその原初的な母子一体感の記憶を想起させ、それによって飼い主の自我は退行していくと考えられる。飼い主がペットに対して自己愛的同一化するとはそういうことである。

 どうしてペットがそれ程までにいとおしくかわいらしいのか、またどうしてペットの喜びがわがことのような喜びに感じられるのか。また、ペットがほめられると、どうして私がほめられているような錯覚におちいるのか。さらにはペットの苦痛がどうして私の苦痛に置き換わってつらくなっていくのか。それはそこにいるペットは私であり、ペットは私の鏡像であるからに他ならない。

 そのように考えると、ペットとは所有者である飼い主と一体化をはかるために存在する動物、すなわち同一化動物であるといえるように思う。退行的な同一化ができるという愉悦の対象を求めて人が作った人工的な動物、それが愛着動物としてのペットであるといえると思う。私たちは、このようなペット愛の持つ特殊な構造についてよく見ておく必要があるだろう。


● 人間の無意識を活性化させるペット

 また、飼い主がペットを擬人化することと退行心理の関係についても考えておかなければならない。飼い主はペットを人間のように扱う。なかでも人間の子どものように見立てていることが多い。飼い主心理として、ペットは子どもとして認識されている。それは犬を犬と言わず、猫を猫と言わずに「男の子」や「女の子」といったり、「うちの子」という表現を好んで用いることからも推測される。以前のエッセー『忘れえぬ言葉』の中で紹介した愛犬を亡くしたご婦人も「この子は犬ではないんです。私の娘なんです」といっていたようにわが子であり、わが娘として見ていた。

 このように多くの飼い主は通常、意識の表層レベルではペットを私の所有になる私の子と考えている。しかし、ペットの中に人間の子どもを見ているとは、果たしてそれだけだろうか。人間の子どもといってもそれは誰を見ているのだろう。飼い主心理から読み解けば、そこで見ている子どもとはかつての自分であり、さらには私の心の奥に今も現に棲んでいる子どもの心の部分ではなかろうか。つまりペットを通して、飼い主は私の中の私の子を見ているのだ。

 飼い主はペットの瞳をそっと覗(のぞ)き込む。そこに写る小さな人影は幼いころの私だ。その子どもは過去の自分であり、さらに私の中に今も確実に生きつづけている少年や少女である。ペットと接触することによって人は自らの中に潜んでいる童心が生き生きと活動しはじめる。ペットとの出会いとは、飼い主の中の忘れかけた純粋で無垢な自分と出会う体験でもあると思う。

 自己愛とは、その自分を愛することである。自分を愛するとは、現在の自分だけではなく、現在に至るまでの自分をも含めて愛することでもある。私は子どもだったころのかつての自分を愛し、なおかつ今も私の中に宿っている子どもの心性を愛する。そのあどけない子どもにもっとも近い存在がペットである。私たちの遠い精神の記憶を思い起こさせるもの、それが動物である。

 ペット動物は人間の無意識を刺激して活性化させる。そのような精神の変容を起こさせるペット動物と心を通わせるうちに、いつしか彼らとの融合感や一体感をもちはじめる。ペットを愛することは、私を愛することでもある。ペットを愛することで優しい許容的な気分になって他者に寛容になったり、自己に対しても肯定的で受容的になっていく背景には、ペットそのものへの愛から始まり自己愛がはぐくまれ、さらに他の対象へ情愛が拡大されていくペット愛の持つ特異な性質が深くかかわっている。そう考えなければ、ペットを愛しかわいがることによって自他への肯定感が増し、好ましい社会性が飼い主に醸成されていく理由の説明がつかない。この現象はアニマルセラピーの治療原理にも深くかかわってくる事柄である。 (続く)

(註1) 退行現象は、ペット動物にも起こる。犬や猫が飼い主と戯れているときなど、犬猫も幼児的行動を見せてくることがある。その行動の多くは、飼い主を母親と見立てた母子関係の再現である。犬猫など哺乳類のペット動物は、温順な性質とかわいらしさを重要な要素としている。そのペットとしての要件を満たした品種とするには幼形成熟(幼若性を残したまま大人になる奇形種。こびとなどがその例)の個体をセレクトして遺伝的に固定化することである。そうすることによって3〜4身頭ほどの幼子のもつ愛らしさをいつまでも保持することができる。

 また、通常ペットとなる動物は大人になる前に去勢・避妊をして性成熟を抑えることによって発情と妊娠出産、さらには子育てができないようにコントロールする。すなわち、私たちはペット動物を未成熟な発達の初期段階に留め置いて退行させたまま維持管理する努力をしている。このことは多くの飼い主がペットに対して愛玩性や親和性のみを求めて彼・彼女らの種に固有な性と生殖や繁殖にかかわる生理心理を飼養上の煩わしさとして求めていないことを示している。

 動物を去勢・避妊する行為は元来、畜産動物や労役動物の飼い馴らし・馴化のために行ってきた手技であって、それをそのままペット動物にも援用している。その点では、ペット・伴りょ動物は他の家畜と飼養管理の発想や方法は同じである。この動物を去勢して労役につかせる行為は、中国などの旧大陸における宮廷の宦官や子どもの美声を保つために去勢するイタリアのカストラードなどのように観血的処置を施して特異な役務につくという点で共通性がある。

人の去勢は一方で、戦利品である奴隷におこなったり、犯罪者への刑罰としてなされた歴史が広く諸外国にある。人間の断種と動物の断種では歴史的にはさて、どちらが先行したのか。観念的には、動物に対する方が先だつように思われるが、本当はどうなのだろう。フロイトは人間のあらゆる不安の根源には去勢不安と去勢コンプレックスの問題があると述べているが、そうであるとすれば、現実の世界では人が人に施す方を先行させていたと考えてもおかしくない。

(註2) 私たちはペットを愛するというが、多くの飼い主がそのペットたちにかける愛情の中にはペットへの対象愛に加えて飼い主が自らにいだく愛、すなわち自己愛が多分に含まれている。すなわち、ペットを飼養することによってはぐくまれるペット愛とは、ペットに向かって注がれる愛のみならず、飼い主自身に向かう愛を増大させていく特質があると考えられる。

 その意味から、ペット愛とは対象愛と自己愛の両部分を合わせもつ中間愛といってよいかもしれない。対象への愛と自己への愛の両者の交差したところに生まれる特殊な情愛、それがペット愛に他ならない。また、ペットを自己愛的同一化の対象とするといっても、ペットそのものへの純粋な対象愛がまったく失われるはずもなく、ペットへの対象愛と自己愛に向けられる心的エネルギーの配分は、個人によっても異なると考えられる。

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中国人の魂はどこへゆく

 しばらく前、在日中国人の方とお話をする機会があった。その人は日本に来て十数年になるが、今は日本人と結婚して暮らしているという。最近の中国事情についての話になりその感想を求めたところ、返ってきた答えが興味深かった。

 彼によれば、今の中国人の多くは共産主義教育のため来世やあの世を否定し、人間には霊とか魂といったものはないために、人は死ねば終りだと考えているという。だから、生きている間がすべてなので、生きているうちにやりたいことをやろうとし、そのためになるたけお金儲けをしようとするようになったという。その彼もかつて学校で共産主義の思想教育を受け、その後の改革開放政策の洗礼にさらされたひとりだったが、自分はそのようには考えないということだった。

 現代中国人は、人間は死ねば何も残らないという死生観の持ち主なので何をやっても許されると考えているということのようだった。それゆえに、多少強引であっても自己主張し、生きている間にすべての欲望を満たそうとする。ここに張り子の虎のように中身のない形ばかりの共産主義思想と、貨幣を神と崇めて利己心を大肯定する資本主義精神と、独善的ともいえる中華思想が結びつくことになった。その結果この国はどうなったか。世にもまれな専横的なモンスター国家が出現したのである。ここにきて中国漢民族の悪しきリアリズム指向とエスノセントリズム(自民族中心主義)がより鮮明になった感がある。

 私は彼に「でも、中国にも坊さんはいるでしょう」と聞くと、彼は吐き捨てるように「坊さんも金儲けのことばっかりです」といった。これには私も苦笑せざるを得なかったが、そのことに関しては、今となっては日中ともにあまり変わらないかとふと思った。

 中国が日本に与えた文化的影響には計り知れないものがある。それは誰もが認めるところである。聖徳太子が遣隋使船を派遣して以来千四百年の時が経つ。この間、わが国は中国からの進んだ文物の取り入れに余念がなかった。歴史的に見てもっとも深く長い付き合いのある国が中国である。唐招提寺の鑑真和尚や、空海の師匠の恵果阿闍梨、道元がただ一人の正師といった如浄禅師、鎌倉幕府を陰で支えた蘭渓道隆、インゲン豆をたずさえてやってきた隠元和尚、法然や親鸞が信心を確立するためには絶対に欠かせない存在であった善導など、数えあげればきりがないほど日本人は中国人のお世話になっている。

 しかし、あのような中国の賢者たちは、いまは一体どこに行ってしまったのだろう。老子や孔子や墨子を生んだあの清廉な中国はどこにあるのだろう。かの国の賢人たちは世を厭うて竹林の奥深くにこもってしまったのだろうか。

 昨今の中国の印象といえば、にわか経済力を背景にして軍事的脅威を周辺国に与える傍若無人な三等国家であり、中国人といえば自国の製品を信頼せずに観光そっちのけで日本製品を買い漁るさもしい姿だ。

 目下、中国の覇権主義がいちだんと露骨になっている。中国本土からはるか離れた南シナ海の通称舌(した)といわれる部分の公海を一方的に自国領だと宣言して岩礁を埋め立てては軍事施設を建設している。その行為は隣国を鼻であざ笑ってまさに赤い舌を出してあっかんべーをしているように見える。

 中国の人民解放軍が第一列島線を踏み越えて日本国領の与那国島以東の石垣島や宮古島などに侵入してきたら、国土防衛のために自衛隊が出動して戦うことになる。そのとき、戦争反対とか平和的な話し合いで解決をなどと能天気なことはいってられなくなる。

 今日の状況からいって、わが国が他国に戦争を仕掛けたり、かつてのように領土的野心から周辺国を併合するようなことなど絶対にあり得ない。もはやそんなことをする必要もないからだ。しかし、こちらが戦争を望まないとしても、相手国の軍隊が自国領に侵略してくれば話は別である。そうなったときには軍事には軍事で対抗するしかない。そのとき国土と国民を守るために自国の防衛軍が戦って排除するのは当然のことである。そのとき双方の兵士の血が流れる。自衛隊員にも死傷者が出ることになる。

 また今後、公海上などで中国艦船と自衛隊艦船や米艦船などとの偶発的な接触により戦いが起こらないとも限らない。また、中国軍機によって日米の民間船や旅客機が標的にされてしまうことがあるかもしれない。中国はこのままいけば、日本・フィリピン・東南アジア諸国をはじめアメリカやインドなどを敵にまわして取り囲まれていくことになる。そのとき韓国は、どちらにつくのか。判断を誤って中国側につけば、この喧噪な日和見主義の民族国家はふたたび亡国の憂き目を見ることになる。

 問題は、中国人のすべてが皆悪いということではなく、良くないのは現政権を支配する独裁的な中国共産党政府と中国軍の指導層であって、それらを一掃すれば済むことである。そのときにはアメリカやインドやフィリピン等々の多国籍軍とともに自衛隊も後方支援をして戦いに参加することになる。そうして戦いを征して真に民主化した新国家を中国大陸の南北や東西に複数作っていけばよい。もちろんチベットやウイグルや台湾は完全に独立させる。

 新政府は、民主主義や公民権を体得した日系中国人やアメリカ系中国人など世界に散らばっている中国系の人々が母国に帰って国内で弾圧されている民主活動家らとともに打ち立てればよい。そういった自由と平等と人権を建前とする民主化された国造りのためならば日本やアメリカも援助を惜しまないだろう。

 今年(2015年)は、戦後70年にあたる。この70年間、日本は戦争をすることなく、戦争に巻き込まれることもなく、また他国に蹂躙されることもなかった。自衛隊員もひとりの戦死者を出すことなく過ごしてきた。後世このような太平の時代は、世界史の中でも奇跡と称されていくかもしれない。このような平和が可能だったのは、日本人の不断の努力にもよるが、中国(中華人民共和国)が曲がりなりにも理性を保っていたからである。

 しかし、これからはそうはいかない。先に成立した安保法制なども、遅きに失した感がある。この法案に危機感を抱いた学生や主婦や戦争体験者らの気持ちもよくわかるが、その危機感はもっと早くから持たなくてはならなかった。

 そして戦争反対を叫ぶのなら国会前ではなく、危機を演出する隣国に向かってすべきなのだ。デモるのは安倍政権にではなく、わが国の主要都市に核ミサイルの照準を合わせて脅威を与える近隣の複数の国家に対してである。戦争反対を訴える相手を間違えてはいけない。平和慣れした人々の意識が東アジア情勢の変化についていけなくなっているのが現状だ。

 戦後の日本人にとって自衛隊や軍事の話は暗黙のタブーとなってきた。あの忌まわしい戦争を二度と繰り返してはならないという自戒とともに、戦争を頭から否定し、そのことについて冷静に考えることさえ回避するようになった。戦争や軍備の話を持ち出すだけで相手を戦争の讃美者だとか、国を戦争に導こうとしていると非難する。このような過剰な戦争アレルギーが長く続いてきた。この戦争恐怖症ともいえる状態のために日本人は平和を叫びこそすれ実際に戦争を抑止し平和を維持するためのあらゆる努力を怠ってきたと思う。

 周囲を中国やロシアや北朝鮮など常識の通用しない前近代的な軍事国家に取り巻かれているわが国が、今後生き延びるには外交・防衛ともに並みの知恵と装備では済まなくなっている。誰が戦争を好むか。まともな人間なら殺し合いの戦争を肯定するはずもない。相手に戦争を起こさせないようにすることが、最大の専守防衛だが、相手に武力を行使する意図があるとすれば、事前に敵地や敵軍を攻撃して未然に自国を守ることがあってもいいはずだ。さらに、テロリストに誘拐拉致された邦人救出に自衛隊の特殊部隊がでていって何の罪もない人がむざむざ殺される前に助けに行ってほしい(そのとき隊員が十分な武器を携帯するのは当然のことだ)。

 また先々中国がどこかの国と戦争を起こしたり、国内が内戦となった場合、大量の避難民が日本に押し寄せることは必至だ。これは朝鮮半島に異変が起きた時も同様である。彼・彼女らにとって近場にあってこれほど平和で住みやすい国はどこにもない。その数は目下のようにヨーロッパを目指すシリア人など中東からの難民の比ではないはずだ。それは何万人・何十万人などといったものではなく何百万人、いや放っておけば何千万人という単位にも及んでしまうだろう。

 そうなったとき日本は、人道的配慮から一定数(少数でよい)の人びとを受け入れていかなければならない。その人々が住む地域を国内のどこに作るのか。昨今は、国内の港町の商店街などにすれば、中国人は大型船でやってきて爆買いしてくれるありがたいお客だが、次に来るときは大挙して定住先を求めてやってくることを知っているのだろうか。地方都市の商店主や住民は船に乗って買い出しに来る目下の中国人が、いずれはボートピープルの難民として保護を求めて押しかけてくると考えたことはないのだろうか。

 かの国の政治体制も経済体制も、もういつまでも持つまい。あと数年は何とかなるとしても、その先は保証できない。そうなったとき、国家としての統治能力を失った為政者がとる道は常に戦争しかない。中国が真の民主化をはたし、国際社会の中で世界の人びとから尊敬される民族となるためには、かつて日本が第2次大戦で世界を敵に回してなめたような辛酸を経なければそのことは体得できないのかもしれない。

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ペット三等国・日本の面影(後編)


●いびつな日本のペット産業

 最近は実態が伴わないために、やや鳴りをひそめた感があるが、従来から犬猫の飼育頭数はまだまだ増えるという楽観論がある。そのようにいう人たちの根拠のほとんどはアメリカのペット事情だと思われる。アメリカでは、犬は約5000万頭、猫は5000万頭以上(正確にはわからないが犬より多いといわれている)が飼われている。アメリカの人口は3億人なので、3人に1人以上が犬か猫を飼っていることになる。アメリカは文字通り世界最大のペット大国だ。

 それに対し、わが国では人口1億2000万人に対し、目下のところ犬猫を合わせても約2000万頭であり、先に述べたように6人に1人が犬猫を飼っているに過ぎない。日本も先々アメリカ並みのペット事情が見込まれ3人に1人が犬猫を飼うようになると思われるので、そうなれば今の倍のペット数となり、ペット産業も今の1兆数千億円の市場から倍に成長するという話である。しかし、この強気の予測は今や絵空事となり、ペット業界は将来有望であり、まだまだ伸びると吹聴していた人たちは、大ぼら吹きになりつつある。

 私はペット数がむやみに増えればよいとは思わない。また、ペット産業がただただ巨大なマーケットに成長すればよいとも願っていない。そういったことよりももっと大切なことは、真にゆたかなペット文化を作ることであり、飼い主とペット動物(伴りょ動物)が幸福感を増大させながら、ともにゆたかに生きていける社会の仕組みを作っていくことだと思っている。それが私にとってポストモダニズムを考えるうえでの指標の一つになっている。その結果としてのペット数の増加であり、ペット産業の成長ならば、何も文句は言わない。

 しかし、現状はペットが市場経済の道具としてあまりに乱暴に使われすぎている。ペット動物が生産から流通、販売に至るまで一般の消費材と何ら変わることなく物として常に生産性とコストを考えながら作られては売られている。ペット業界はゆがんだ形で肥大化したのである。

 例えば、秋田市では今でも駅前にペットの移動販売車がやってきて生きた動物を売っているという。これなどは昔日のペットの屋台売りと何ら変わらず、今日では動愛法に触れる行為である。秋田警察は即刻、取り締まるべきである。また、しばらく前には再び、劣悪な環境で犬猫を繁殖していた悪質なブリーダーがマスコミでも話題となった。幾度となく繰り返される惨事である。

 日本のペット産業には、現代のいびつな市場原理が凝縮されている。私はペット動物を市場経済の利潤追求の対象にしてはならないと思っている。なぜならば動物の命と動物の遺伝子は、彼らが長い進化の過程を経て獲得してきたものであり、それは人間のものではなく彼らのものであり、人間はその一部を彼らからおすそ分けしてもらい、それを人類の共通の資源であり、大切な公共財―宇沢弘文のことばを借りれば「社会的共通資本」―として使わせてもらうと考えなければならないと思うからである。

 目下の日本のペット業界における最大の問題は、ブリーディングから流通、販売に至るそれぞれの分野でペット専門者の仮面をかぶった人間は大勢いるが、ほんとうのペット専門者が少ないということである。いやしくもペット専門者ならば、乱雑な交配を繰り返して母子ともに健康を害するまで疲弊させ、その結果として先天性障害や奇形を数多く作り出し、その子を発達早期に母親から引き離し(母性剥奪)、悪環境のショップで生体販売するという何重にもわたる過誤を犯すことなどとても恥ずかしくてできないはずだ。

 そういったことを臆面もなくやりつづけて改めようとしないペット業者は、経営者からそこではたらく従業員までペットの専門者でも何者でもないと断言できる。恥ずかしげもなく、そんなことをしつづけることがペット専門家でないことを証明している。一般人やペット愛好家からもその非人道性を指摘されても改めないペット産業の従事者とは、いったい何者なのだろうと思う。

 ペット業者は業者で、俺たちはペットの専門家じゃないと嘯(うそぶ)くかもしれない。また生業(なりわい)として家族や従業員の生活を守るためにやっているんだと、開き直るかもしれない。しかし、外国からもひんしゅくを買い、後ろ指をさされている粗雑なブリーディングや反時代的なペットショップの生体売りをこれ以上つづけることは、自らと業界の致命傷になるのみならず、ひいては海外における日本の地位と信用を落とすことにもなる。

 わが国のペット事情の後進性に心痛めている人は存外多い。外国人から日本のペットショップの現状を指摘されて恥ずかしい経験をした人も多いだろう。しかしこれはペットを飼う側にも自制が求められる。飼い主も、ペットショップで生きた子を安易に買い求める習慣は、今後改めていかなければならない。欧米人などは日本の遅れたペット事情について何も知らないと思っていたら大間違いなのだ。彼らは全部知っているのである。

 これはある盲導犬協会の方から聞いたことだが、以前、欧米のある国の盲導犬団体に盲導犬として用いる犬種を輸入して国内の施設で専門的に育種繁殖したいと申し出たところ、日本に提供するとその犬種の遺伝的形質が駄目にされてしまうという理由で断られたという。もちろんそこでは獣医師や専門飼育者の管理下でブリーディングを行う予定だったが、日本のペット・ブリーダーやペット行政に対する不信感から拒否されたのだった。

 これほど悲しく恥ずかしい話もあるまい。日本のペット業者は、国民の名誉や誇りを貶(おとし)めているばかりか、補助犬ユーザーにも不利益を与えているのだ。わが国は動物のことになると、依然としてアジアの三等国家になってしまうのである。


●アジア的後進性の中にある日本のペット

 以前ある著名な出版社から連絡があり、あるコミックの監修をしてほしいと頼まれたことがある。話を聞くと、そのコミックはそこの出版社が発行する週刊少年マンガ雑誌に毎週連載しており、人気を博しているという。それを逐次単行本にしているということだったが、さっそく全巻を送ってきたので見てみると、田舎から都会に出てきた天然ボケのような主人公の女の子(エロかわいく、男性読者向けにサービス精神旺盛なキャラクターに見えた)が、ペットショップに勤めるようになり、そこでいろいろな事件が起こるというストーリーだった。

 犬好きの主人公が、ペットショップで懸命にはたらく姿には好感がもてた。その店長のお兄さん(これまたカッコいい)も動物や飼い主のことをよく考えている人だった。登場する動物たちも表情豊かに描けていて、このコミックを見て将来はペットの仕事に就きたいと思うティーンもたくさんいるにちがいないと思った。

 なぜ私が呼ばれたのかといえば、ストーリーの今後の展開として、しばらくペットロスをテーマにしたいと作者と編集者は考えており、そのアドバイスがほしいということだった。もとより、断る理由もなかったので私は承諾し、それから資料をさしあげて説明したり草稿を見せてもらっては手を加えるなどして協力した。ほどなくペットとの死別をテーマとするその繊細な章は発表され、私の役割はそれはそれで終わった。

 しかし、このコミックには、もともとひとつ大きな問題があった。それはショップの中で生きた子犬をケージに入れて、さもあたり前に売っていることであった。当初、私は送られてきたコミック本を見るなり、そのことが気がかりになったので作者と編集担当者に指摘して、それを改めるよう言った。しかし改めるといっても、すでにそのシーンは何冊も本になって出てしまっている。

 編集者によれば、このコミックは海外でもすでに出版されているということだった。私は欧米でこのコミックが出たら生きたペットが店で売られている様子を見た欧米の読者からは当然、動物虐待だと強い抗議を受けるだろうと思い、そのことを編集者に問いかけた。すると彼らもそのことはすでにわかっており、そのため海外版は欧米では出版せずにアジア地域のみで出版しているということだった。

 出版社側は、このコミックをヨーロッパや北米で出せば問題になることをとうに知っていたのだった。作者も編集者もペットショップの生体販売に問題があることを知りながら国内やアジア向けにそのシーンを描きつづけているのだった。

 私は作者と編集者に、それならばこれからストーリーの中で主人公や店長らを含めて話し合った結果、それを止めていく方向に話を持っていくようにすればよいと提案した。そうすればこのコミックは良い評価を受け、ペットものとして将来残っていくだろうともつけ加えた。しかし、彼・彼女らは、私の意見についぞ耳を傾けることはなく、そのようなストーリー展開にはならなかった。

 私はこのマンガ家も出版社も、生体販売を止めないペットショップとあまり変わらない人たちだと思う。動物が金になることを知る。売れるから売る、商売になるからつづける。売れるから書く。商売になるからつづける。問題の起こるところからは、そっと手を引く。わからなければつづける。そこにはモラルも動物福祉の発想もなく、それが動物に発達障害や愛着障害をもたらし、ひいては飼い主へ悪影響を与えていくことを考えようともしない。これがペットに関するアジア的後進性の現状である。

 わが国は、物やサービスを作って売る産業にしても、科学技術や芸術文化にしても、世界のトップレベルを走っている分野が少なくない。しかし、ことペット産業とペット文化となると、非常に立ち遅れているのが現状である。その理由を問われれば、さまざまな答えを用意することはできる。しかし、いくら理由をあげて改善すべき点を指摘しても、それを当事者たち―もちろん行政当局者も含む―が改めようとしなければ、何の前進もない。

 わが国のペット産業の最大の課題といえば、そこに携わる人たちに変わろうとする意志が乏しいことだ。私には性懲りもなく、生体販売をつづけるペットショップの一角でぬけぬけと動物病院を経営する精神がどうしても理解できない。また、その病院でペットの健康のためと称してはたらく獣医師や看護士の心理がさらに理解できない。

 私には彼らは動物福祉を掲げながら、動物から得られる経済的利益を追求することと、その既得権益を守ることにしか価値をおいていないように見えるのである。この罪は小さくない。彼らはこれはビジネスだと言うかもしれない。しかし、己の糊口をしのぐ行為としてはその代償があまりに大きすぎる。このままでは動物も人も不幸になるばかりである。

 そのような点から見れば、ラフカディオ・ハーンが生きた明治時代と、今もあまり変わっていないかもしれない。ハーンが暮らしたころの日本は、社会全体が貧しく、そんな中でアジアの三等国を脱して一等国になろうと皆ががんばった時代である。じっさいは野良犬・野良猫どころの話ではなかったかもしれない。ペットも炎天下や寒空の屋台で売られていただろう。だが、今はそんな時代とちがう。

 しかし、ことによったら今は昔と変わらないどころか、もっと後退しているのかもしれない。というのは、ペットの生産や売買を無計画かつ野放図に商品経済の中に組み込み、余剰が出たり不要になれば行政が公費をかけて殺害するというおぞましい行為にわれわれは手を染めているからである。そういった現実をなかば容認してきたわれわれの方が、ペット動物に対してはるかに無慈悲で悪逆になっているといえるかもしれないのだ。


●2020年までの課題

 かつてのように猫を怖れ怪しむことをしなくなった現代人、とりわけ現代の動物商たちは、猫や犬を経済利潤の対象としか見なくなった。その彼らに良心や信を期待してペットショップの生体販売を自主的に止めてもらうことは、もはや不可能に近い。もし自主的に進めているのならとうに止めているはずだ。なぜ不可能なのかといえば、彼らは自分たちの行っていることに悪の自覚が何もないからだ。悪意がないのである。悪行をしているという実感があれば、良心もうずき反省もするだろう。

 しかし彼らには長年の商習慣が板につき、罪悪感も呵責の念もなければ後ろめたさもないために良心に恥じることもない。だから、感覚の麻痺した彼らに良心や品位といった面からの職業的規律を期待することなどありえないのだ。そうなればあとは、公権力によって行政が動くしか手がないのである。

 だが、その肝心の行政が立ち遅れている。わが国のペット産業の後進性は、ペット動物にかかわる行政機関の後進性でもある。環境省の動愛法の制定や改正過程を見ても、ペット業者にお伺いを立てて顔色を見ながら行っている。そのやり方は、まるで泥棒を取り締まる会合に泥棒を招待して話を聞くようなものである。

 先の動愛法改正で、夜の12時以降はペットショップでペットを売ってはいけないなどという法律は、12時までならペットを自由に売ってもよいということを国が認めたことになる。まことに愚かな取り決めであり、悪法である。ペットショップなどはこれで生体販売のお墨付きを正式にもらえたとしてみな喜んでいたという。

 環境省は結果としてペット文化の停滞に手を貸しており、ペット業界の前近代化を固定化させているのである。環境省が経産省のようになって、業界の利益・不利益を忖度(そんたく)するようになっては百年たってもこの問題は解決しないだろう。環境省はいつからペットの業界団体の利益を擁護する官庁になったのだろうか。

 今後、ペット産業にかかわる者が職業的誇りと使命感を持ち、尊敬される業界人を目指したいのなら、外国人のみならず一般の人びとやペット愛好家からもその非人道性を指摘され、揶揄されるような生き方は改めなければなるまい。ペット産業は賤業ではないはずだ。

 ペットにかかわる職業は、ペットの生命を預かり人間の福利厚生にはたらき、この国のペット文化を育てていく役割をになった尊く重い仕事のはずである。よいペット動物を産み育て飼い主に提供したり飼い方を指導することによって、ペット動物と人間の共生をはかり両者の福祉と幸福の実現に寄与する。このいたってシンプルな命題の実行者が動物にかかわる職業人であろう。

 しかし、この実践はじっさいにはきわめて高度な専門性と経験を有する者にしかできない行為である。だが、それが今後この分野の職業人として生き残っていくための唯一の道であり、存在理由であろう。そんな志(こころざし)もなければ理念もなく、ただ動物を食い物にして利益を上げることしか眼中にない商売人が寄せ集まって、いったいこの国のペット文化をどこに持っていこうというのだろう。このような者がペット専門家の顔をしてペット文化の未来を語るなど、これほど滑稽でグロテスクなこともない。これが現代社会の病理でなくして何であろう。

 2020年には、東京オリンピックが開催される。その際、大勢の外国人がこぞって日本にやってくる。その折、町のペットショップにも立ち寄る。そこで彼・彼女らは、未熟なうえに発達の悪いやせ細った子犬や子猫が狭くまぶしいケージに入れられて下痢や嘔吐をしながら鳴いている憐れな姿を見る。そのまなざしは、公園や河原の片すみで瀕死の子犬や子猫を発見したときとほとんど変わらないだろう。

 そして、彼・彼女らは驚きの悲鳴をあげる。日本人はなんと残酷な野蛮人なのだと。日本人は親切で、おもてなしを大切にすると聞いたが、動物たちに対してこんなひどいことをやっているのか。これで日本はホスピタリティのある文化国家といえるのかと。

 かつてお隣の韓国は、オリンピックを開催したとき、ソウルの表通りに立ち並ぶ狗肉(犬の肉)を食べる店を閉鎖させて、表から見えない裏通りに立ち退かせたという。それはその場しのぎの施策のようでもあったが、だがそうやって当局は曲がりなりにも、その前近代的な問題に介入を示した。私たちは彼らの行為を嗤(わら)えるだろうか。犬を食べることと、生きた子犬を発達早期に母親から引き離して生体販売する虐待行為とは異なるが、動物に対するアジア的後進性を示す点では同じである。

 では、環境省でも厚労省でも農水省でも総理府でも消費者庁でも文化庁でもどこでもよい、果たしてわが国の役人には、時代錯誤的な生体販売をやめないペットショップに対して韓国と同じことを断行する気概があるだろうか。

 動物福祉の活動家からは、やはり2020年までに犬猫の殺処分数をゼロにするという声も聞く。大賛成である。だが、生体売りのことも忘れてはなるまい。これは子犬・子猫への生涯にわたる愛着障害や分離障害をもたらす明らかな虐待行為である。いずれにせよ、東京オリンピックまであと5年しかない。もういい加減、ペット三等国はやめにしよう。そして、日本をペットに関する法律が世界でもっとも厳しいといわれる国にしていこう。

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ペット三等国・日本の面影(前編)


●ラフカディオ・ハーンと野良猫

 明治期に日本で暮らしたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、その随筆『日本の面影』の中で、猫と日本人について興味深いことを語っている。それによれば、島根に住んでいるころ、屋敷の庭に野良猫がよくやってきたという。ハーンは、その猫を手なずけようとしたが、どうもうまくいかなかったようだ。そのくだりが面白いので、引用してみよう。

 私の屋敷に無断で侵入してくる猫もいる。そのやせ細った野良猫はなかなかの大泥棒で、私も幾度となく更生させようと試みたが、結局は駄目であった。性(たち)が悪い上に、たまたま尻尾(しっぽ)が長いので、猫又(ねこまた)という化け猫ではないかというよからぬ噂(うわさ)も立っていた。
【ラフカディオ・ハーン 池田雅之訳「新編 日本の面影」(角川ソフィア文庫、平成12年)241頁】

 時は明治24年、西暦1891年のこと、場所は出雲の国の松江。当時も野良猫がいたのである。しかもその野良猫は、やせ細り、性(たち)が悪く、シッポも長かったという。シッポが長いからなんだと思うが、これが大きな問題だった。当時はシッポの長い猫は、さきざき化け猫の猫又になると信じられていたのである。

 猫又の話は、私の敬愛する鎌倉時代のエッセイスト・兼好法師の『徒然草(つれづれぐさ)』にも出てくる(蛇足ながら、拙き本エッセーの『つれづれペットの草』というタイトルは、厚かましくもこの不朽の名作にあやかっている)。それはある夜、仕事を終えて帰宅途中の男が、不意に猫又に襲われて気が動転する話である。ただしそれは猫又ではなく、帰ってきたご主人を見つけて暗闇の中から飛びついてきた飼い犬だったというオチになっている。

 そのころ猫は年経ると化け猫になって人に食らいついて殺すといわれて怖れられていたのである。ともかく化け猫・猫又の話は古くから広まっており、明治になってからもこの迷信は出雲地方にも根強く残っていたようだ。ハーンの話をつづけよう。

 出雲にも、生まれつき長い尻尾の猫がいることはいる。しかし、尻尾が長いまま育てられることは滅多にない。化け猫になるのは、猫の生来の習性であると言われているから、それを抑えるには、仔猫のうちに尻尾を切るしかないとされている。もちろん、尻尾の有る無しにかかわらず、猫には魔性があり、死体を踊らせる力があるのだ。それに猫ほどの恩知らずもいない。
【同書 241-242頁】

 と、かなり手厳しい。ここで興味を引くのは、出雲では長いシッポの猫は忌避され、ほとんどが子猫のうちに切り落とされるという点である。確かにシッポには、なにやら人智を超えたパワーがありそうだ。そもそも人にはないものなので、シッポはすでに人智を超えているのかもしれない。そのためシッポは畏怖もされ、蔑視もされた。「シッポをつかむ」といえば、ごまかしたり、隠し事をしていた証拠をつかんだ意味合いだし、「シッポをだす」という表現も、人をだましたり、隠し事をしていたことがばれて、化けの皮がはがれる意味で使ったりする。

 つまり、シッポは人間を化かしたり、だましたりする悪い奴が持っているものなのだ。そんな平気で人を化かすものが、化け物であり、したがって猫は化け物なのだ、と私ではない、当時の出雲人たちは考えたのである。そのために、悪のパワーを宿している怖いシッポは早いうちに切り取ってしまわねばならないのだ。

 しかし、シッポがあるのは猫だけではない。犬にだってある。その犬のシッポは悪事をはたらかないのか。犬が化け犬になるという話は聞かないし、化け犬にならないためにそのシッポを切るという話はさらに聞いたことがない。犬のシッポは良いが、猫のシッポは駄目だとすれば、それはなぜなのか。この日本人の思考は興味深いが、シッポを切れば、猫の生来の性質が変わって、化け猫にならないという発想がまたよくわからない。

 もし猫の性質を変えたいというのであれば、シッポを切るのでなく、そのつけ根にあるタマタマを切り取る方がしっくりくる。去勢・カストレーションである。それをせずに、どうしてシッポになるのか。動物の去勢文化を持たなかったこの国では、去勢の代用としてシッポを切ったのかなどと考えてみたりもする。

 さらに日本にはシッポの短い和猫が多いのも、上の理由から、それが好まれたので増えたのかと思う。なお、短尾の日本猫は日本人が長年にわたって猫のシッポを切りつづけたから、いつの間にか短くなったのではなく、突然変異が固定化したのであろう。猫は本来、シッポが長いものである。

 断尾は通常、シッポが壊疽を起こしたり、けがなどのためやむなく切除するほか、犬の場合であれば、労役上障害となるシッポの凍傷などを防ぐため事前に切り取ったり、背中の筋力をつけるためだったりした。また、この習慣がその犬種の容姿として定着したためにファッションや美容目的で断尾されたりした。しかし、化け猫予防のために猫を断尾するという話は、それまで聞いたことがなかった。化け猫化を阻止するという理由で猫の断尾をする習慣が諸外国にあるのか、寡聞にして私は知らない。

 だがそもそも化け猫というのが、どんな猫なのか判然としない。当時の日本人だってじっさいは猫又を見たわけではないだろうから詳しく説明できる人もいないだろう。誰も見たことがないだけに、よけいに想像は膨らみ、恐怖心もいたずらに増幅してしまうのである。

 よく化け猫というと、夜な夜な行燈(あんどん)の油をなめに来るなどという。昔は行燈の油には、鯨油やナタネ油を用いたのであろうか。私の知る限り、猫の中には油が好きな子がいる。以前飼っていた一匹の猫もオリーブオイルが好きで、私がそのビンを持っていると、そばに寄ってきては中身をほしがった。少しあげると、ペロペロとうまそうになめていた。

 この猫は、ピーナツオイルも好きだった。この子は洋猫のチンチラペルシャの男の子で、物静かな品のある子だった。16歳まで生きたが、その間とくに変わったこともなく、もちろん化け猫にもならなかった。この猫が、わが日本国の中世に生を受けていたら、行燈の油が大好きになっていただろう。当時なら、猫又と呼ばれていたかもしれない。

 私は想像するのだが、むかし一匹の大きな野良猫が闇夜の中をどこかの屋敷に忍びこんで行燈の油を栄養補給のためにペチョペチョとなめているところを家人に見つかってしまう。気づかれた猫は「み た な〜」という顔をして薄明りの中で例の悪鬼のようなうめき声をあげたとしたら、家人は腰を抜かさんばかりに狼狽して「化け猫だー、猫又だー、助けてー!!」と大騒ぎするだろう。いつの世でも、つねに怖れは怖れから生まれるものである。


●誤解を受けてきた家猫

 猫が不吉な動物として嫌われた話は、以前からいろいろと聞いている。西洋でも家猫は途中からイベリア半島に入ってきたせいか、悪魔の手先のように思われた時もあったという。またこんな体験もした。かつてインドに行ったとき、ニューデリーで大学の先生とタクシーに乗った。しばらく走ったころ、突然タクシーの運転手がただならぬ形相をして車を止めたので、何事かと思って隣にいたその先生を見ると、彼も不穏な怖れにも似たような顔をしている。聞くと、タクシーの前をいま黒猫が横ぎったのだという。

 それから運転手とその先生は、なにやら話し始めたあと、運転手は外に降りていって、道のわきに立つヒンズー教の神像の所まで行き交通安全の祈りをささげたのだった。もちろんこの先生もそうすることを望んでのことである。黒猫が目の前をよぎると災いが起こるという迷信は、日本ばかりでなくインドにもあるのだ。

 こんな話を聞くと、黒猫を飼っている人はどうなるのか、毎日目の前を横ぎられていると思うのだが、この人たちは毎日不幸に見舞われているのかといいたくなってくる。ちなみに、このインド人の先生は、れっきとした地元の大学の准教授というインテリで、しかも専門は動物学だった。この先生が大学では、黒猫が横ぎると災いをもたらすから注意しようなどとまちがっても教えていないことを信じたい。さて、ハーンは、先につづけてこんなことを言う。

 日本の諺(ことわざ)では、こう伝えられている。「犬は三日飼えば、その恩を三年は忘れない。しかし、猫は三日でその恩を忘れる」。さらに、猫はいたずら好きである。畳を裂き、障子に穴をあけ、床柱で爪(つめ)を研ぐ。しかも、猫は呪(のろ)われた動物なのだ。仏陀(ぶつだ)が入寂(にゅうじゃく)の際に、猫と毒蛇だけが涙を流さなかったことから、この二匹の動物だけは極楽浄土に行けないと言う。これらに限らず、まだほかにもあれこれ理由があって、出雲では猫はそんなに可愛(かわい)がられていない。たいていは野外に追いやられ、そのまま野良猫として一生を送らざるを得ない。。
【同書 242頁】

 これはまったく不当な話だと思う。私はこれを読んで、日本ではなぜ野良猫がいっこうに減らないかの理由がほぼわかった気がした。日本人の猫に対する怖れにも似たネガティブなメンタリティが野良猫を作り出す原因になってきたのである。この猫を薄気味悪い生き物として毛嫌いする風土はどこかで今もつづいているのではないかと思う。

 また、ハーンも言うように、猫は恩知らずだともよくいわれる。しかし、私は最近、ネットのYouTubeで、たいへん主人思いの猫がいることを知った。それはアメリカだろうか、野外で犬に襲われている飼い主の子どもを助けようと走っていき犬に体当たりした後、逃げる犬の後を追いかけて追い払った勇敢な猫くんの映像だった。私はいたく感動してしまい、その後何度もその映像を見た。それでも猫は恩知らずといえるだろうか。

 またハーンは、猫はお釈迦さんが亡くなるとき、涙を流さなかったので極楽には行けないと言われていると述べているが、一説によると、日本の猫は仏教経典をネズミの害から守るために仏僧が大陸から連れてきたともいわれている。もしそうならば、仏教が朝鮮半島の百済から正式に入ってきた宣化3年(538)、一説に欽明13年(552)以降のどこかの時点で、日本に連れてこられて帰化したことになる。猫がネズミの害から仏典を守ってきたとすれば、それなりに彼らはお釈迦さんや仏教に貢献してきたのである。

 ハーンは、猫の欠点をいろいろとあげつらっているが、個人的には猫が嫌いだったわけではないようだ。その証拠は、その屋敷に引っ越してくる時、「妻セツ、女中、子猫とともにわずかな家具をたずさえて」転居したとハーンの研究者で、本書の訳者の池田雅之氏があとがきで述べているのである。

 ハーンは、別の猫をちゃんと飼っていたのである。ということは、ハーンがここで述べている猫に対するひどく偏った見解は、当時の人びとの猫観であって彼自身のものではないということだろう。もし猫の習性がそうだと信じていたら、とても怖ろしくて飼えたものではなかったはずだ。

 しかし、ハーンは屋敷の庭に来る野良猫に対しては、性(たち)の悪い大泥棒だと容赦しない。きっとこの猫は可愛げがなく、ハーンを見ると威嚇したり、ものを取るだけ取ってはすぐに逃げ去るかしていたのだろう。おそらくこの猫は誰に対してもそうであったにちがいない。もはや、人に心を開くことはなく、人間をだれも信用できなくなっていたのだと思う。

 だが、人間がどう思おうと、この野良猫にしてみれば泥棒稼業をしているという意識はまったくなかっただろう。思想家のデリダは、猫は自らが裸であるという意識や感情を持たないがゆえに、彼らは裸で生活しているわけではないと述べているが、それと同様に彼らには盗みをしているという意識がない以上、それは盗みではない。彼は努力して確保したなわばりにある獲物を彼の習性にしたがって捕獲しているだけで、人間のものをかすめているつもりもなく、人間はむしろその邪魔立てをする警戒すべき厄介者くらいに思っていただろう。

 野生動物であれば、自然に自生する野生の動植物を捕って食べればよいが、彼らは野生から引き離されて人間社会に連れてこられたから周りには自然の食べ物はとくにない。野良猫は東南アジアの寺院にいるような地域猫、コミュニティ・キャットなどとは異なり、近隣住民が共同飼育しているわけではないので皆から積極的に食べ物を与えられることもない。

 ハーンも野良猫(野猫)に関しては、当時の日本人と同じように認識不足だったと思う。彼は野良猫たちを以前からそこに棲みついては盗みをはたらく迷惑な野生動物のように見ているが、その見方は誤っている。まず野良猫たちは、野生種ではない。彼らは、かつて野生動物だった山猫を人間が野生から引き離して人為的に飼い馴らして作り上げた社会的な家畜である。家畜というのは、人がつねに介入して維持・管理しなければならない生物である。

 そうして作られたなかば人工的な生き物なので、終生人間が面倒を見て養育していく必要がある。彼らは、もはや人間なしに一人では生きてゆけない身なのだ。それにもう自然にももどれない。いまさら山猫にもどって、山奥で狩猟生活をして暮らせと言われても、それはできないのだ。そのため人間に捨てられた彼らは、人家の周囲を生活圏として仕方なく自活していくしかない。よって、彼らにとっての狩猟といえば、人間の所有物をかすめ取っていくしか手立てがないのだ。

 これは動物としては本来の姿とは似ても似つかぬ不自然きわまりない境遇であって、それは野生動物でもなく、愛玩動物(ペット)でもないというどっちつかずの奇妙な存在なのだ。いつの日か、誰かが飼養を怠ったため彼らは仕方なしに野良に出て自生し繁殖せざるをえず、やむなく人のものをとるようになったのである。

 やせ細った大泥棒の野良猫にしたのは、いったい誰か。ろくな食べ物も与えられず、寝床もない中で、敵視する人間にいつ襲われるかわからないギリギリの緊張の中で生きてくれば、やせぎすのこすっからそうな相貌にも変わるだろう。人の息遣いが絶えず聞こえる人里で、人を拒否しながら生きていかなければならない彼らの心理はゆがまざるを得ない。

 そもそも、人とは無縁に自然の中で生きてきた野生猫を家畜化して人馴れさせたのは誰か。ネズミを捕らせる使役動物として、あるいは寂しさを紛らわす愛玩動物として彼らを身近に置いたのは誰か。その飼育を途中で放棄して見捨てたのはいったい誰か。それはわれわれ人間である。断じて彼らは好き好んでノラ社会のアウトローとして泥棒の道に入ったのではない。その原因を作ったのは、すべて人である。

 その猫が増えすぎたといって一方で公費をかけて自治体が大量処分する。そんな度し難い矛盾の中に日本の野良猫たちは置かれてきた。私は、ペットの殺処分に行政が経費をかけるなら、もっと新たな飼い主探しに公費をかけるべきだと思う。それが身勝手で強欲な人間にできる、せめてもの償いではないか。

 さらに、行方不明となったペットの捜索(これは生き別れのペットロスの問題)やペットの死別ケアに行政が介入して公務員がそういったことを行ってほしいと思う。それらの活動には公費をかけるだけの価値がある。それにこれらは、ペットと暮らす人間にかかわる問題でもある。

 ペットロスのサポートは、飼い主という人間への支援を目的としている。犬猫数が14歳以下の子どもの数より増え、統計上は6人に1人が犬猫と暮らす時代になった今、行政がこれらの問題に取り組むことは、多くの人びとへのサービスになる。ペットのことといっても、私が問題にしているのはペットに関連した人間の精神保健上のテーマを述べているのである。

 こういった話をすると以前から、ペットやペットを飼っている一部の人々のためだけに公費を使うことは、公平さをもととする税金の使い道として不平等だという議論があるが、それはちがうと思う。なぜならば、どの分野であれ公費を投入してもそれが全ての人が恩恵をこうむるという領域は初めから存在しないからである。これは子育て、教育、福祉医療、公共施設の建設等々でもそうである。それぞれにかかわりのある人々だけが利益対象となる。

 昨年来行われていた御嶽山噴火後の救助や不明者の捜索も、被災者や遺族という一部の人々のために、多くの公費を使っている。子育て支援なども、子どものいる夫婦にとっては恩恵になるが、子どものいない夫婦にとっては、恩恵にはならず逆に負担となる。よその子の家庭のために、どうして私がそこまで税金を払わなければならないのかと不満に思う人もいるかもしれない。それにも一理ある。ただお断りしておくが、私はそれらに公費を投じなくてよいと言っているのではないことは付記しておきたい。 (続く)

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人がペットを飼わない本当の理由〜ペット飼育の阻害要因

 
 ペットフード協会は、毎年ペットに関するさまざまな調査を行っているが、今年(2014年)公表された『2013年 全国犬猫飼育実態調査』は、いろいろな意味で驚きの結果を報告している。その一つは、『ペット飼育の阻害要因』すなわち、人がペットを飼わない理由についての調査項目が新たに加わったことであり、その詳細が調べられている。それによれば、20代から60代までの現在犬猫を飼っていない人と、今後飼いたいと考えている人(現在飼育なし&飼育意向あり)1061人にアンケートをしたところ、犬猫を飼わない理由は以下のようであったという。

    複数回答 単数回答
1位 集合住宅に住んでいて、禁止されているから 33.6% 28.2%
2位 十分に世話ができないから 26.3% 12.4%
3位 お金がかかるから 23.8% 7.5%
4位 別れがつらいから 22.4% 7.9%
5位 死ぬとかわいそうだから 21.0% 6.6%
6位 以前のペットを亡くしたショックが癒えていないから 12.4% 6.3%
7位 最後まで世話をする自信がないから 11.5% 3.3%
8位 家や庭が狭いから 9.8% 2.5%
9位 しつけをする自信がないから 8.8% 1.2%
10位 子供の世話で手一杯だから  8.0% 4.0%
11位 アレルギーの家族がいるから 7.3% 4.2%
飼ったことが無いので大変さがわからないから 7.3% 3.0%
  その他 8.4% 7.3%
  あてはまるものはない 5.6% 5.6%
(註)順位は、複数回答の結果をもとに筆者がつけたが、単数回答ではやや異なる。


 この結果を見て、私はやはりそうかと思う一方、このままではさらにまずいことになるのではないかと心配になった。それは1位から3位が住宅事情、世話ができない、経済的問題と従来からよくいわれてきた理由だったが、つづく4位と5位と6位がいずれもペットロスにかかわる理由で占められていたからである。4位の「別れがつらいから」というのは、新たに次のペットを迎えてまたあのつらく悲しい想いをするくらいなら飼わないほうが良いというものであろう。この人たちには、ペットをかわいそうな死なせ方をしたという後悔や罪悪感が拭いきれずにいるのではないか。5位の「死ぬとかわいそうだから」というのも、死んでゆくペットがかわいそうだということに加え、彼・彼女らを見送っていかなければならないつらさに耐えられないという悲愴な想いを残しているのかもしれない。また、6位の「以前のペットを亡くしたショックが癒えていないから」というのは、まさしく悲嘆から回復できずに今もペットロス状態にあることを示している。

 この4位・5位・6位を合わせると複数回答(好きなだけ理由をあげる)では、実に55.8%になる。これは犬と猫を分けて調べた結果でも大差はないという(犬は57.9%、猫は54.2%)。すなわち、この調査では二人に一人強の人がペットとの死別に絡んで、次のペットを飼えずにいることになる。また、単数回答(一つだけ理由をあげる)の場合では、この三つを合わせると20.8%となり、約5人に1人という計算になる。ちなみに、単数回答では「別れがつらいから」は、「お金がかかるから」を抜いて3位に浮上している。このことは、ペットを飼わない理由が、かかる費用の問題よりもペットロスによる別れのつらさを問題にする人の方が多いことを示している。

 上記の4位・5位・6位の三つの訴えは、通常のペットロスの悲哀プロセスでは、いずれも急性期症状、すなわちペットを亡くしてから日数があまりたっていない期間に多いエピソードである。とくに6位のペットを亡くしたショックが癒えていないという表明は一般的には、死別直後に多いエピソードである。この調査には、調査対象者が前のペット死別からどのくらい日数がたっているかの表記がないために、正確には言えないが、今ペットを飼っていないといっても、この人たちのすべてが最近ペットを亡くした人ばかりではないはずである。この回答をした人たちの中には死別から何カ月も何年もたっている人もいるにちがいない。

 だとすれば、その人たちの中には、通常の経過をたどって立ち直っていくペットロス体験者ではない人がいる可能性がある。通常のペットロスの死別反応であれば、いま述べたように4位・5位・6位の訴えは、急性期のエピソード症状として表れるが、時間経過とともにそれらの表明は徐々に減っていき、回復に向かっていく。そして、しばらくして立ち直って再び次の子が飼えるようになる。しかし、これらの症状が収まらずにいつまでも持ちつづけるのであれば、それは正常(通常)とはいえないペットロスということになる。この正常とはいえないペットロスが、ペットは好きだが新たにペットを迎えることができずにペット離れを起こす人や、ペット嫌いになっていく人を生み出す温床になっているのである。

 また、この三つのペットロスにかかわる要因を飼い主の世代別で調べたデータを見ると、いずれも年齢が高くなっていくほどその割合も高くなる傾向が認められる。さらに、70代の人びとだけを対象にして調べた結果では、犬の飼い主は「別れがつらいから」が、「最後まで世話をする自信がないから」とともに1位を示し、「死ぬとかわいそうだから」が2位、「以前のペットを亡くしたショックが癒えていないから」は5位である。70代の猫の飼い主の結果でも、「死ぬとかわいそうだから」がやはり2位となるなど、いずれもペットロスに関係する問題が新たにペットを飼わない大きな媒介要因となっていることを物語っていた。これは飼い主が高齢になればなるほどペットロスの衝撃とダメージが大きくなっていると考えられることと、その結果ペット離れを起こしていく人が増えていることを示している。このことは、高齢者のペット飼育とペットロス問題には、とくに注意を払う必要があることを示唆している。高齢者の孤独や疎外感の軽減にペットは非常に有効だと考えられるが、ペットの飼養管理や終末期介護の手助け、さらには死別後の支援体制までを配慮したうえでお年寄りにペットをすすめるべきである。

 また、冒頭の阻害要因7位の「最後まで世話をする自信がないから」ペットを飼わないという理由も、この人たちのなかには、老齢ペットの介護や終末期ケアを行っていくことや、ペットの最期の看取りへの不安や恐れが潜んでいるのではないかと思う。ペットロスは一般的には、ペットが死亡してから起こると思われているが、じっさいはペットが亡くなる前からすでに始まっている。準備的な悲嘆である。この最後まで世話をする自信がないとは、最期の世話や看取りをする自信がない、ペットの死はつらいから御免こうむりたい、といっているように私には聞こえるのである。

 さらに今回の調査では、犬猫を多頭飼いしている人にその理由を聞いている(「複数頭飼育の理由(複数回答)」、調査対象者322人)。それによれば、「1頭だとペットが寂しがると思ったから」(42.9%)、「ペット同士で遊ぶので、運動不足が解消できるから」(35.4%)、「1頭の時よりもペットに癒されるから」(17.7%)などに混じって、「亡くなったときでも、他のペットに慰められるから」と回答した人が9%、「ペットロスを防ぐため」と明確に答えた人が7.8%いるという。前者は後者とほとんど同じ含意と見てよいと思うので、両者を合算すると16.8%になる。

 この16.8%の飼い主さんたちは、すでにペットロスへの予防線を張って別の子を飼っているのである。これはペットロスがあるから早くからもう一頭飼っておこうとする飼い主の防衛的な行動である。興味深いことにこの人々には、今まで述べたようなペットロスがペットを飼わない阻害要因になるのではなく、反対に新たな子を迎える促進要因になっているのである(ペットとの死別直後に淋しさやつらさに耐えかねて、新たな子を衝動買いする人の場合でさえ、ペットロスが次の子を迎える促進要因だといえる)。仮に飼い主たちがペットロス対策という動機で皆がそうした行動をとるとすれば、多頭飼育者がさらに増えることで全体のペット数は減らずにすむか、むしろ増えていくことになるかもしれない。

 だが、死別に備えてもう一頭飼っておくことが悲嘆の回復によいと、そう単純にはいえない。一頭の子が亡くなっても、もう一頭いるから別れはつらくないかというと、そんなことはないからである。新たにペットを飼い始めたとしても、前からいる子への愛情がなくなるわけではないだろう。ペットロスの悲嘆の程度は、そのペットにかけていた愛情の程度に大いに左右されるので、多頭飼いすれば「これでペットロスは解消!」とはならないのだ。それは親にとって、長男を喪っても、次男がいるから長男の死別は悲しくないなどということがないのと同じである。

 しかし、一頭飼いのペットを亡くした飼い主さんの中には、人生のすべてを失ったような虚しさと強い絶望感に襲われる人がいることも事実である。そのような人を見ていて、あともう一頭いれば悲しみ方はもう少しちがったかもしれないと考えてしまうこともある。だが、多頭飼いをしているクライエントさんの中にも、亡くした子が特別な存在であれば、喪ったときの悲しみと落胆は非常に大きなものになる人もいる。よって、もう一頭ペットがいれば、そのペットに慰められて、ペットロスを防げると断言することはできない。

 ペット業界はいままで、ペットを大切にする飼い主の情や、動物の命をいとおしむ人々の慈悲心に支えられてここまで成長してきた。加えて近年は、ペット飼育は心身の健康に良いセラピュティックな効果があるとか、子どもの療育にもよいというAAT(動物支援療法)やAAA(動物支援活動)に関する科学的データが増えるにつれて、動物関係者はそれらを大きなセールスポイントにするようになった。ペット産業や獣医療関係者をはじめ動物にかかわる人々にとって、動物には癒し効果があるということほど好都合なことはなかったのである。この言葉ほどペット飼育を推奨するうえで決定的となり心強い味方はなかった。そのため動物関係者は、こぞって飛びついたのである。この言葉を錦の御旗とすることによって動物専門者はこの分野ではたらく誇りを持てるようになったし、自分たちの存在理由も強化された。また、業界のイメージも以前に比べてずいぶん良くなっていった。

 それに対し、ペットロスの問題は、ペット関係者にとって従来からあまり表沙汰にしたくないテーマだった。ペットが死ぬつらさを世間の人々が知れば、ペットを飼わなくなるという危機意識があったからである。ペットの死の問題は、なるべく奥にしまって触れてほしくない事柄だった。しかし、ペット関係者がいくら口をつぐんでみたところで、飼い主のペットロスの悲しみや苦悩が消えるわけではないし、そのつらさをカムアウトすることをやめさせることもできない。ペットロス体験者の口に戸口を立てることはできないのである。

 最近は、ひんぱんにペットロス関連の書籍が出版されるようになった。そのなかには、ペットロスのサポートを行っている宗教家や動物関係者やカウンセラーなどが書いたものもあるが、ペットを愛する人が自らのペットロス体験を詳細につづったものも増えてきた。どのような人が執筆するにせよ、こういった本が数多く世に出てくることは、それだけペットロスが市民権を得てきた結果だと解釈したい。ペットロスのことは動物関係者が心配するまでもなく、飼い主たちが一番心配していることである。ペット産業の従事者が、ペットを愛する人々のことを思うのなら、ペット喪失によって希望をなくして引きこもっていく人に何らかの手を差し向けたいと考えるはずだ。

 ペットの死別問題をオープンにして取り組むことは、ペット産業の成長に水をさすことにはならない。その理由は、ペットロスのケアをして支え手となることによって飼い主のペット離れを防ぐことができるからであり、そのためまた新たな子を迎えられるようになるからである。そうなることが、ペットロス・サポートの目標の一つでもある。飼い主が立ち直って次のペットを飼い再びペットライフを楽しめるようになる。その循環を断ち切らないようにすることは、ペット産業全体とっても大きなメリットになる。ペットロス・ケアは飼い主個人のためだけにあるのではなく、ひいてはペット産業のゆたかな発展につながることを認識してほしいと思う。日本が範としてきたアメリカのペット産業界は、ペットロスに関してすでにその認識を持っている。

 それにしても、今年のペットフード協会のデータをつぶさに見ると、ペットロスに関連してペットを飼わなくなる人がいかに多いかに驚かされる。先の4位・5位・6位を「ペットの死や別れがあるから」などと一つにまとめて集計すれば、飼育阻害要因の断トツの1位に躍り出る。単数回答の方でも、三つをまとめれば2位になる。これらの結果は、私が危惧してきたことが現実となってきたことを物語っている。その意味から、このデータは筆者が以前から主張してきたことを部分的に立証してくれている(同エッセー『もう二度と動物は飼わない』を参照ください)。

 ペットロス問題がペット産業とペット文化発展の逆風になるか、それとも追い風になるかは、これから飼い主や動物専門者への正しいペットロス教育をすることと、しっかりしたサポート体制を構築することにかかっている。それにはペットの死別ケアがしっかりできるペットロス・カウンセラーが必須となってくる。そのカウンセラーは作っていかなければこの国には生まれない。この人たちは、自然に天から降ってくることもなければ、地から湧いてくることもないのである。時間をかけてひとりひとり育成していくしかない。この問題は、何か目新しいペットロス・グッズを作って広めたり、葬式をただ盛大に行えば解決できるというレベルの話しではないのだ。

 ペットフード協会が、このような調査を昨年から始めたのも、国内での犬猫の飼育頭数や飼育世帯数が減少しはじめたからだろう。犬猫以外のペットも減りはじめている。ペット数が全体として減ってきたということは、冒頭で示した1位から11位までのさまざまな理由で飼えない人たちが増えていることを表している。そんな現状の中で、この減少を食い止めるには、ペットロスをはじめ他の飼育阻害要因を動物関係者もペット愛好家も皆で知恵を出し合いながら協力して一つ一つ解決していくしかない。この努力を惜しめば、ますます飼い主のペット離れが進むだろう。

 私は単純にペット数が増えれば良いとは思っていないし、ペット産業がただ巨大になれば良いとも考えていない。私が望んでいるのは、ゆたかな人間とペットの文化をこの社会が持つことである。ペットロスからペットが飼えなくなる人や、ペット嫌いになる人がいるのはとても残念なことだと思うので、そういう人はなくしたいと望んでいる。ペットとの別れにさいして、先の4位・5位・6位の問題が、ゆたかなペットライフを阻害している一大原因だとすれば、ペットロスのグリーフケアもそこに一段と焦点を合わせていく必要がある。それらに伴う罪悪感(申し訳なさ)や後悔や死別のショックの軽減を明確な援助目標にすることが、より良い回復につながるはずである。来年以降、このペットフード協会の調査結果がどうなるのか、目が離せない。

(註)『2013年 全国犬猫飼育実態調査』は、ペットフード協会のHPで見ることができます。

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■楽曲『ボクが傍にいるから・・・』考

(1)

 筆者はしばらく前、ペットロスの悲嘆ケアからみて、立ち直りの効果が期待でき、しかも優れた抒情性を持ったペットロスの曲に出会った。それはシンガーソングライターの今井優子さんの歌う『ボクが傍にいるから・・・』という作品である。この楽曲が今、ペットを失った人々の間で、静かに広がりつつある。

 このCDは、ベルウッド・レコード(キングレコード系列)から2012年7月にリリースされている。この曲はすでにインターネットのYouTubeに2008年から、イラストレーターのMARUさんの絵本動画との合作のDVDとして発表されており、これはだれでも自由に見ることができる。このイラストがまたジーンとくる素晴らしい作品で、両者のコラボがとてもよいのだが残念ながらこのDVDはまだ発売されていない。

 この作品は、悲哀作業の促進にはたらくと思われる。すなわち、ペットロス体験者は心から十分に悲しませてもらえるのだ。しかし、この曲のよいところは、そこにいつまでもとどめ置かれることなく、そこから拾い上げられてお別れを肯定的に振り返ることができるような配慮がなされている。これは救いである。そのような点からこの作品は、伴りょ動物を喪った人が慰められて未来に希望が見いだせるヒーリング・アートといえると思う。

 無謀にも、筆者はこの楽曲について、いささか論評してみたいと思った。だが、私には音楽に関する素養がない。過日、今井さんから、この曲は16ビートでできており、自分が作る曲は8ビートより16ビートが多いとお聞きしたことがある。しかし、それがどういう意味なのかよくわからない。そもそもビートが何であるかがわからない。そこでビートを岩波の国語辞典で調べてみたが、『さとうだいこん』としか出ていなかった。『さとうだいこん』のことではないはずだが、それ以上のことはわからない。よって、この作品の旋律のことはひとまず横に置いて、まずはその詞文のほうから見て行くことにしようと思う。冒頭は次の4句から始まる。

 柔らかな 光の中で
 澄んだ空気と優しい香り
 ボクは今 雲の上から
 愛しい君を見守っているんだ  

 ここでは、すでにあの世に旅立った一匹の猫のボクが主人公である。ボクは作者の今井優子さんが飼っていた愛猫であり、天寿を全うする。物語はボクが昇天して雲の上に乗っているところから始まる。そこは柔らかな光に包まれて空気は澄み、優しい香りも漂うほのぼのとしたとても居心地の良さそうなところだ。そこに昇ったボクは、そこから愛しい飼い主の姿を見守っている。

 この4行が導入部であり、これによって物語の状況設定がなされる。しかもこの初段は情景描写が視覚的感覚的になされているために、視聴者は感覚をともなった映像を見るようにその天国のイメージ世界にすんなり入り込んでいくのである。この詞は主人公が死亡したところから始まるという一見奇妙な出だしなのだが、このことがさほど違和感なく受け入れられるのは、提示される天国が「柔らかな光」と「澄んだ空気」と「優しい香り」という心地よいアメニティ空間として表現されているからである。そのために聴き手は癒されるようにすっかりリラックスしてしまうのだ。しかし物語はそこから一気に落下するように現実の世界に引きもどされる。

 ボクの写真立て ボクの首輪握りしめて
 泣きじゃくる君の横顔 胸が痛むよ・・・  

 次に主人公はそこから視線を落として地上を眺める。するとボクの写っている写真立てやいつも使っていた首輪を握りしめて泣いている君が見える。この視線の推移はあの世からこの世への視点の移動だが、今井さんの詞はここでもカメラをパンさせて人物を追うように映像的だ。詞はつづく。

 いつまでもずっと一緒に居る約束したはずなのに
 こんなに悲しませてごめんね・・・
 今すぐ君の傍で
 擦り寄って悲しみを消してあげたい
 ボクの自慢のシッポで
 頬つたうその涙ぬぐってあげたい
 君の笑顔戻るまで ここにいるから・・・  

 この段では主人公のボクの内面が開示される。君の悲しむ姿を見たボクは胸を痛める。それはいつまでもともに暮らす約束をしていたのに、それが果たせなかったからでもある。愛する者との間には約束が常に交わされる。それは永遠の愛の約束だ。しかしその契りは果たされることはない。なぜならば、永遠につづく物事などはこの世には何も存在しないからだ。

 とりわけ動物との関係がそうだ。ともにいることを欲しても動物たちの寿命は極端に短い。犬猫でも長くて十数年の命だ。だから彼らとの間でいろいろな約束を交わしたとしてもー約束といっても、それは飼い主が一方的に取り決めるものだがーそれはたいがい反故にされる運命にある。すなわち動物との約束とは、飼い主の願望の表明にほかならない。この作品はその意味から、ペット・伴りょ動物を失った飼い主の永遠の願いを歌ったものであるといえる。

 この詞はすでに亡くなって霊的存在となった猫の目を通して語られるが、その点からみて、この作品は二つの複雑な構成要素をかかえている。一つは、この世とあの世が交錯する世界を設定し、この世の人間に亡霊となった猫が想いを伝えるという点であり、他の一つはその語りを本来語ることのない動物を擬人化して人間の言葉を語らせる点である。

 ここでいう人間の言葉とは、作者の言葉である。ボクは作者である今井さんの言葉を語る猫であり、したがってこの猫は今井さんの分身であり、鏡像でもある。今井さんの言葉をしゃべる猫は、今井さんと同じような思考をし、同じような感性を持ち、同じような世界を共有している。よって別れに際しても、同じように悲しむ。

 ここでは飼い主がペット動物を人間化することと、アーチストの芸術的創造として動物を人間化することの二重の擬人化の支配を受けている。よって、この作品は当然のこととして作家の動物の死生観や霊魂観が問われるが、今井さんは動物にも魂があり彼らも人と同じように死ぬと天国に往くと考えている。そこは雲の上の青い空の虹色に光る橋がかかったところだ。

 この作品は哀歌(エレジー)とも異なるし、鎮魂歌(レクイエム)とも異なっている。またペットとの死別体験を扱っているにもかかわらず、一方的に悲しみを誘うだけの陰うつさをわれわれに感じさせない。その理由の一つには、天国の明るい情景描写があると思われる。ここでは天界は澄みきった青空に七色の虹がかがやくあでやかな光彩の世界として描かれている。死後ペットたちの往く彼岸の世界は苦しみのない平和な光の楽園なのだ。この桃源郷のような郷愁さえ伴う天国のイメージは今井さんも認める通り、作者不詳の詩『虹の橋・レインボーブリッジ』にその一部を負っている。

 また詞のモチーフは、クリスチャンの母親の影響もあると本人は言う。確かにそういったこともあるかもしれない。しかしこの作品の全体を通してみた印象は、むしろ伝統的な来世観や霊魂観の影響を強く受け継いだ作品であり、人々の心の内奥にたゆとう死後の理想世界についての遠い記憶を呼び起こすような音楽に思えるのである。アーチストとは、生の喜びを謳いあげるとともに、人間の無意識の底に流れる死の原光景を物語る人をいうのであろうか。

(2)

 筆者はこのDVD作品を視聴して、これは現代の能だと思った。能楽は世阿弥によって大成されたが、その形式から複式夢幻能といわれる。複式というのは、ストーリーが前半と後半の二場構成になっているからであり、夢幻能といわれるのは、物語の展開が作中人物のまどろむ夢や幻のなかで進行するからである。

 これを世阿弥の能の定型例から説明すれば次のようである。諸国を巡る旅の僧がある名所旧跡を訪ねる。するとそこにひとりの見知らぬ人物が近寄ってきて、そこで以前起こった歴史的な出来事を語り始める。そして自分はその当事者であり主人公であると僧に告げて消えてゆく。

 その夜、僧がうとうとしていると夢に昼間出会った人物が、今度は生前の容姿を身にまとって再び現れ、この世にあったときのことをさらに詳しく話し始める。僧は夢うつつの中でその一部始終を聞いていたが、その人物は語り終えるとひとさし舞を舞い、供養を願ったのち、異界に帰ってゆく。この人物は、この地に縁の深い幽霊であり、自らの想いを伝えにやって来たのだった。ひとり残された僧は、ふと我に返りこの体験を深く考えあぐねる。ざっとこんな内容だが、世阿弥はこのような物語を花鳥風月の自然描写を織り混ぜた幽玄の美をもって表現するのである。

 この場合、諸国一見の旅の僧はワキ(相手役)であり、シテ(主人公)は死者である。能は霊的存在があの世からやってきて、この世の誰かに想いを伝えようと問わず語りに語りかける物語が多い。ここで興味深いのは、主人公の亡霊は一度、白昼に僧のもとを訪れるが、その夜、再び彼のもとを訪れる。しかし今度は僧の表象である夢の中に現れるのである。

 幽霊が昼間、一般人と同じように名所旧跡を歩き回ることがあるのかどうかはよくわからないが、これを心理学的に解釈すれば、それは僧が見た白日夢と考えられる。白日夢とは覚醒して意識のあるときに見る夢をいい、幻覚とされる。この僧は昼間、幻覚を見、その夜、夢でそのつづきを見るのである。すなわち夢幻能は、ワキの人間の幻視や幻聴など変性意識の産物であり、シテ(主人公)といっても、それはワキの人物の見る夢の中に生きる存在であり、能役者はワキの表象世界のエピソードを演じているのである。

 しかし、とりわけ僧の昼間の体験が幻覚であれば、この体験は僧の精神が作り出した主観的事象ないしは病理現象ということになり、客体としての幽霊ということではなくなってくる。だが中世の人間は、こういった現象を霊的体験として深く信じていた節がある。では現代人にこういったことが起こったとしたならば人はどう捉えるだろうか。結論から言えば、多くの現代人はこういった話しにはすでに懐疑的なのではないかと思う。

 だがこの場合、愛するペットを亡くした悲嘆者で、しかも再会の望みを捨てきれずに強く思慕する飼い主の前にこのようにペットが現れて何かを語り始めたとしたらどうであろう。飼い主はその体験を単なる幻覚や根拠のない刹那の夢として簡単に切り捨てるだろうか。そんなことを考慮しながら、『ボクが傍にいるから・・・』を改めてみると、このモチーフはむしろわれわれにとって古くて新しいことに気づかされるのである。

 戯れついたカーテンの傷
 窓ガラスにボクの足跡
 寂し気に散らばるオモチャ
 フードボウルもあの日のままだね  

 死別は時を止める。愛する子の死とともに、あらゆる活動は停止し、すべてが「あの日」のままになる。喪失からしばらくの間、ペットのグッズやケージなどが触れられなくなる人がいる。それらは片付けられることなくそのまま放置される。それを片付けてしまえば、あの子がいなくなったことが強く実感されてしまうし、それは死の現実を認めることになる。あの子のいない暮らしに耐えられないと思えば、人はこの状態をつづけようとする。この詞曲は今井さんの実体験から生まれたが、つらい別れを体験した人でなければ感じないことが、ありのままに語られていることからもそのことを察することができる。

 泣き疲れたまま眠る君の傍に降りて
 丸くなって寄り添いたい、、、あの頃のように
 そして伝えたいよ、いつも優しさで満たしてくれた君へ
 こんなに愛をくれて、、、ありがとう  

 本作品は実像と幻想を織り交ぜながら、この世とあの世の両界を行き来する存在との交流を描いている点から見て能と共通のテーマを負っている。また歌詞が二部構成からなり、泣き疲れて眠っているワキの少女の傍(かたわ)らに霊が降りてきて想いを伝えよとする後半の場面構成なども夢幻能的である。またDVD動画では最後にシテの猫は少女の周囲の空中をひとさし演舞して見せているのである。

 きっといつか逢えるよ
 君の事 誰よりも大好きだから
 ずっと君を見てるよ
 青い空 虹色に光る橋から
 だから涙ふいて、ほら 笑顔見せてよ
 いつか逢えるその日まで ボクが傍にいるから・・・  

 この楽曲はペットロスというペットを愛する現代人に向けた今日的なテーマのように見えるが、じっさいは死別した愛する対象と彼岸(ひがん)すなわち、あの世で再び会えると信じる太古から人々が持ちつづけてきた普遍的テーマを扱っている。そしてこの作品は、人や動物は死んだらどこへ往き、それからどうなるのかという人類が未だ明確な回答を得ていないテーマを含んでいるのである。ペットロス体験者は、悲嘆中にこれらの霊的な問題に突き当たることが多い。そして、そのような霊的課題を自らに問いかけることは、悲嘆者がペットロスから回復するうえでの重要な喪の作業となる。

 ペット愛好家の中には、伴りょ動物とともに楽しく暮らすことに最も大きな価値を置いているために、ペットといることと人生を切り離して考えることができない人も多い。そのような人がペットロスを体験すると、この先あの子なしでどうやって生きてゆけばよいのかがわからない絶望的な気分と不安感に襲われることがある。それはちょうど、つなぎとめていた糸が切れてなんの目的もなく空中を漂う凧のように、人生の進むべき方向性を見失った感覚といってよいかもしれない。そのような人にとっては、伴りょ動物と深いきづなでつながるとは、自らがこの世と深くつながることに等しいのである。

 では、はたしてそのようになった悲嘆者はこの楽曲によって立ち直っていくことができるのだろうか。言い換えれば、この歌曲にはペットロスの悲嘆者を回復に導く効力があるのだろうかということである。しかしこの問いが、やや見当ちがいであることは筆者も承知している。なぜならば、この詞歌は悲嘆療法を目的として作られたわけではないからである。この作品は独立した一個の純粋芸術であって心理治療や音楽療法の治療材として開発されたわけではない。

 だが、そうであるにもかかわらず私は冒頭で、この作品は立ち直りの効果が期待できると述べ、悲哀作業の促進にはたらくと思われると書いた。その筆者の意図は明白である。私はこの曲に喪の作業を進める上で、一定の効果があると考えているからである。喪の作業が進むとは、この曲を聞いてすぐに寄るべない悲しみから解放されるとか、うつ感がとれて気分が涼やかになるということではない。つらいことだが、死を受け入れ、愛する者のいなくなった環境に苦しみながらも自分を適応させてその生活に慣らしていく過程が喪の作業であろう。したがって、その道のりが楽しいはずはない。

 目下、この曲は弊会のホームページにも掲載されているが、ペットと死別した視聴者の中には聴くとかえって悲しみに襲われるのでつらいと訴える人がいる。だが、それはペットロスから目をそらすことなく悲しみに向き合っている姿であって、その行為は悲嘆の促進にはたらいているといえるのである。グリーフ(悲嘆)ケアの点から大切なことは、死別者は思いきり泣いて十分に悲しみを解放する時間を持つことだが、そうすることはすでに悲嘆に立ち向かって取り組んでいることを示しており、この楽曲はその貴重な場を提供しているといえる。

 そういえるのは、この歌は作者が別れの悲しみから目をそむけずに見つめた結果、一つの霊的解決を見出すことによって喪失を乗り越えていった作品だからであり、その成立過程がこの作家の喪の作業に他ならないからである。この曲は亡きペットたちに代わって彼らの意思を飼い主たちに伝える仲立ちをする歌であり、霊の依代(よりしろ)(神霊があの世からやってきて、一時的に宿る場所やもの)となるような作品である。その点から見て、この楽曲は亡き子を偲(しの)び動物の霊をとむらうためにペットロスの悲嘆者が訪れる現代のお社(やしろ)といえると思う。

(3)

 さて、今井さんは『ボクが傍にいるから・・・』を作詞作曲するに先だって、すでに別れをテーマにした重要な作品を発表している。それが25歳のとき作詞作曲した『穏やかな夏の午後』という楽曲である。現在、この作品は本人によって『亡き恋人を想う歌』という副題がつけられている。これは愛する人との死別を扱った今井さん自身の体験にもとづく楽曲であり、『ボクが傍にいるから・・・』の先行作品と呼べるものである。

 両者は動物と人の喪失体験の違いがある他に一方は空、もう一方は海をテーマにするなど詞の内容やその展開が異なるにもかかわらず、この二つの作品には深い関連性があり両者には共通点がいくつも認められる。そのことは二つの詞を見比べてみることによってよりいっそう理解される(末尾の表参照)。両者の詞に共通するモチーフ、それは「光の中」「約束」「あの日」「青い空」そして「見守る」である。これらについて分析することは、作者の悲嘆に対する見方や取り組み方を垣間見るだけでなく、広く喪者一般の心理を理解する点からも参考になると思われる。よって、次にこの詞について見ていくことにしよう。『穏やかな夏の午後』は、このように始まる。

 白いテラスで 海をみている午後
 潮風感じて
 沖を行く船 光る飛沫の中
 遠くへ 消えてく  

 『穏やかな夏の午後』も『ボクが傍にいるから・・・』と同様に冒頭の4行からなる導入部によって場面状況が示されており、やはり視覚的イメージの湧く情景が設定されている。しかしこの作品では、海浜から遠く離れて光る飛沫となってゆく一艘の船をさしたる感興もなく無表情に追う。それはあたかも愛する人を亡くしたことによって情感を喪失してしまったかのようであり、その描写からは愛する人が光に包まれて遠い世界に消えていったことが暗示されている。人も動物も死者のおもむく世界はつねに光の中だ。この冒頭の抑制の効いた情調性のない情景描写によって作者の心の傷の深いことが静かに表明されている。

 海が好きだったあなたと話したいから
 なにも持たずにここへ訪れた  

 次に、なぜ海にひとり来たかが語られる。悲嘆者にとってとりわけ大切なことは、亡くなった人との対話である。それができる場所は彼の好きだった海だ。そして砂浜に立ったとき、あの記憶がよみがえる。それは恋人との間で交わした約束だ。

 ねえ あなた覚えている?
 この砂浜のどこかに
 二人で埋めた貝殻
 探しに来るはずだったけど
 そんな約束果たせずに 今は一人  

 彼との約束とは、砂浜に二人で埋めた貝殻を探しに来ることだったが、もうそれも叶わなくなった。そして今となっては広い砂浜のどこに埋めたのかさえわからない。それからは、心の中に秘めていた「あの日」の想いがあふれ出す。

 寄せる波音 強い陽射しの中
 裸足で駆け出す
 そうねあの日も こんな雲の切れた
 青空 だったね
 

 あなた笑って「自分らしく生きろよ」と
 たった一言遺して目をとじた・・・
 あなたが名前呼ぶ声
 あなたの温もりさえも
 輝いてたあの夏が
 誰より幸せだったから
 Ah思い出になるなんて 切なすぎて・・・

 作家は傷心から回復するために作品をつくる。この作品は死別の悲しみから立ち直りつつある過程で書かれたことがわかるが、まだ十分に回復に至っているとはいいがたいように思われる。この詞曲は今井さんが恋人を亡くしてから3年後に作られている。3年を経たこの時点でも「あの日」のことをなつかしむ余裕はなく、過ぎた思い出として心の奥にしまいこむことはできずにいる。

 あれから辛い夜明けを
 何度も迎えたけれど
 あなたのくれた勇気と
 二人で過ごした あの時間を
 この胸に抱き生きてくわ 見守ってね・・・

 しかし、時はいつまでもそこに立ち止まっていてくれない。彼のためにも悲しみを乗り越えて前に進まねばならない。立ち直って歩んでいくことが、生きる勇気を教えてくれた彼への最大のお返しともなる。そして何よりもともに過ごした二人だけの思い出はこれからも失われることはない。

 私たちは死者に対しても生前に引き続いてつながりを求める。遺される者には、故人との間に永続するきづなが必要であり、その一つの表れは、自分をいつまでも見守っていてほしいと死者に願う想いである。先だつ人に見守る人・守護者になってほしいという想いは、遺族のもっとも切実な願いかもしれない。それは愛する大切な人に去られた後も、引きつづきその人を精神的な拠りどころとしていくからである。生前、支えていてくれたように、死後も変わらず支え手でいてくれることを望む。私たちは死者の助けを借りながら、死者のいない新たな人生を再構成して切り開いていくのだ。

 死後、見守る守護霊となるのは人ばかりではない。動物も同様である。守護動物、聖獣、スピリチュアルアニマルと呼ばれるものが、それである。『ボクが傍にいるから・・・』の猫もまさにそれだ。守護動物となることによって、飼い主をあの世から見守り、また必要があれば傍までいって助ける。そうして、この猫は生きる場所と霊格を与えられて守り神や神霊の使いとなって、これからも飼い主の表象世界の中を飼い主とともに生きつづける。

 そうなることを願ったのは、他でもない遺される側の人間である。人は死者がそうなってくれることを望み、いつの日かそうなったと信じる。喪者は死者が守護者になったことを確信することで深い安寧を得る。そう信じることによって人ははじめてタイトルにある穏やかな心境になれる。昇天したペットが心穏やかになってくれることで、飼い主の心の傷も癒やされて穏やかになれるのだ。そして、現にそのようになったとき、遺された人の悲哀は終わるのだろう。

穏やかな夏の午後、ボクが傍にいるから・・・
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■忘れえぬ言葉

 
 いまから16〜7年前のある日、ひとりの女性から相談のお電話をいただいた。彼女の年齢は60歳前後。愛犬をガンで亡くした方だった。動物の異変に気づいて病院に連れて行ったときにはすでに手遅れで、その2か月後にあわただしく死亡したという。14歳だった。

 死別から5か月ほど経たころご連絡をいただき、お電話での相談と面談を行った。初回は電話での相談だったが、そのときこの方の語ったことがとても印象深く今も耳の底に残っている。お寺のご住職に自分が死んだとき、お墓に犬のお骨をいっしょに入れてほしいと頼んだら、人と動物は違うから一線を引かなければと言われたという。

 このご婦人が電話の向こうでゆっくりと静かに語る内容は、ひとつひとつが筆者の胸に染み入るものであり、ペットロスとは実にこういうものだと教わった。よって、ここに再現しようと思う。

 波が押しよせるように、何回も何回も悲しみが来ました。
 気がヘンになりそうになると、
 お線香をあげて犬に話しかけています。
 メリーとは、子どもと同じように話が通じあっていました。
 あっという間に何か宝物をもっていかれた感じです。

 失ってからの初めの3か月はどうやって暮らしていたか、
 何もわかりません。
 またこれから、自分で何をするのかもわかりません。
 ただ気力がなく、悲しく、虚しい気持ちです。
 胸に鉛(なまり)が入っているように気持ちが落ち込みます。
 5年、私の命が短くなってもいいからメリーを返してほしい。

 メリーがいるだけで、こんなに家の中が明るく、
 主人ともども知らずにメリー中心に生きていました。
 あんな小さなからだで、ひとりあの世に行き、
 私もいっしょに行ってあげたい。
 早くメリーのところへ行きたいと、
 はじめの3か月はそう頭の中で思っていました。

 自分の娘を亡くしたような感じがします。
 近所の人に、ずいぶん優雅な悩みねえ、
 だって犬でしょ、といわれました。
 すごく傷つきました。
 人は、これは犬だからいうんだなと・・・
 これは犬ではないんです。
 かたちは犬だけど、私の娘なんです。

 私が死んだら、骨の半分は海でも川でもいいから捨てて、
 メリーの骨を入れてほしいとひとり息子に頼みました。
 そうしなければ気がすまないのです。
 それができれば、どんなに幸せなんでしょう。
 土に還ってずーっと、いっしょにいられる。

 メリーがいるので死は怖くありません。
 私が死んだら、きっとはじめに迎えに来てくれる。
 足がはやかったので、はじめに駈けて来てくれる。
 そのあと、両親や戦争で死んだ兄が迎えに来てくれる、と思う。

 私が死んだら、私も走っていくでしょうし、
 両方で抱き合って再会を喜べるという想いがありますから、
 なにも死が怖くありません。
 それは確かです。

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■千の風と無常の風と

 
 ペットを亡くした人たちの間で「千の風になって」のCDや本を送ったり送られたりすることが行われている。また、ペット霊園の慰霊祭などでもこの曲がよく流されている。この詞と歌が、ペットロス体験者たちの間に浸透して大きな影響を及ぼしていることは、もはや疑う余地がない。

 千の風で吹く風は、風の中でもポジティブで積極的な風である。この楽曲から立ち直るきっかけをつかもうとしたり、新たに生きる希望を見出そうとするペットロス体験者も大勢いることだろう。しかしこの詞はグリーフ(悲嘆)・ケアの観点からいって、ひとつの大きな問題をかかえている。それは冒頭から始まる「私のお墓の前で泣かないでください」と言っている点である。

 この日本語詞(新井満氏訳)の大意は、次のようである。お墓の前で泣かないでください。私は死んでないし眠ってもいない。だからお墓の中にはいない。私は風になって、大空を吹きわたっている。また、光や雪になって降りそそいだり、鳥や星になって、あなたを見守っている。だから泣いて悲しまないでほしい、というものである。

 私はペットロスのご相談にみえるクライエントさんとこの詞を巡ってお話をすることがある。だが、お墓の前であっても、どこであっても悲しかったら我慢しないで泣いていいんですよ、と必ず言うことにしている。そう言わなければ、悲しみを強くこらえてしまう危険性があるからだ。悲しみの感情を抑圧することが、死別からの順調な回復にいかによくないかは今まで述べてきた通りである。

 しかしこの歌詞は、死別者に泣かないでほしいと言っているのである。愛する対象に先立たれた人の偽らざる心情としては悲しくて仕方がないにもかかわらずである。であれば、喪者は自然な情感に逆らって本心を押し殺さざるを得なくなる。その結果は、泣きたいが泣いてはならないというアンバランスな葛藤を生むことになる。それが心身の良好な状態(ウエルビーイング)を保つのに良いわけはない。

 この歌詞を真に受けて悲しみを強く抑圧し、泣く行為を完全に封じた場合、喪者はしばし楽な気分になるかもしれないが、悲嘆を閉じ込めたことによってかえって後々、悲嘆を長引かせたり悪化させることがあるのではないかと懸念される。

 この詞は自分がいなくなっても遺される人々は悲しまないでほしいと願う死にゆく者の気持ちを忖度(そんたく)しており、愛する対象を喪(うしな)って落ち込んでいる人の悲しみを和らげてあげたいと願う善意から生まれたであろうことは想像がつく。しかし原作者や訳者は、愛する者を亡くしたときに人はなぜ涙を流して深く悲しむのかということや、喪者へのふさわしい接し方についての理解に疎いように思われる。

 喪者はこの雄渾な楽曲によっていっときすがすがしい高揚感が醸しだされて、しばし悲嘆から解放されたような気分を味わうかもしれない。しかし、この詞は喪に伴う死者に対するさまざまなとらわれや悔いを伴った思いには何ら答えていないために、しばらくの後、喪者はふたたび落ち込んでゆくのである。

 この詞は服喪中にある人のあるべき基本的態度を認めない作品であり、喪者に対してつらい悲嘆には向き合わなくてよいという誤ったメッセージを送っているのである。喪者を悲しませないという配慮は実はまちがっている。愛する対象を亡くした人への周囲の対応としては、心ゆくまで十分に悲しませてあげることが、もっとも大切な配慮なのだ。

 この詞は、死者は遺族の涙を見ることを望んではいないのだから、泣かない方がいいよといっているのと同じであり、それゆえに遺族に悲嘆に向き合うことをさせずにはぐらかして回避させてしまう可能性を持っている。その点からいって、この曲はグリーフ・ケアの面からは、使い物にならないどころか、逆効果をもたらして順当な回復を阻みかねないのである。

 では、そうであるにもかかわらず、この歌はなぜペットロス体験者に受け入れられていったのだろうか。それはそのようなつくりであっても、この詞は霊魂の存続を説き、原詩に手を加えてよりいっそう現代日本人にも受け入れられるよう伝統的な花鳥風月流の自然観を散りばめて情緒的に構成されているからである。また歌い手の秋山雅史氏の卓越した歌唱力とパフォーマンスに支えられている点も大きいといわねばならない。その証拠に、作曲者の新井満氏ご本人が歌う「千の風になって」をかつてネット上で聴いたことがあるが、失礼ながら陰湿な感じすらして再度聴きたいとは思わなかった。

 悲嘆者は悲嘆中は泣きたいのだ。それが愛する子を亡くした飼い主としての自然で本来の姿であり、悲しかったら泣いて構わないのだ。また泣くなと言われれば、余計に泣きたくなるのが人情でもある。だから実際には、悲嘆者はこの曲を聴いてこっそりとではあるが、さめざめと泣けるのである。人は偽らざる正直な心理に逆らうことなどできない。喪者は死別の悲しみを隠す必要などもともとないのだ。

 この詩歌にひとつ救いがあるとすれば、それは別れの悲しみを振り切って先に進んでほしいと願う先だつ者の意思を汲んで喪者を前向きに引っ張り上げようとする点である。しかしそうなる前に人は、思い切り泣いて悲嘆を受け入れなければならない。そこを通過しなければ立ち直りはないのだ。

 しかしこの詞の中で吹いている風は、従来日本人の心に吹きつける風とは明らかに異なっているように思われる。原作者が不明とはいえ欧米人(?)の作だからだろうか。元来、日本人に吹く風は仏教的諦観を漂わせたものが多い。それは無常の風である。たとえば、鎌倉時代の僧・日蓮の手紙を見てみよう。息子を亡くした母親に日蓮はこんな心のこもった一文を送っている(抜粋)。

 降りし雪もまた冬になれば降り、散りし花も春の訪れとともに咲く。どうして無常の風に消えた人ばかりは、再びこの世に帰ってこないのだろう。ああうらめしいことである。うらめしいことである。他人でさえも、
「よき冠者(かんじゃ)かな、若者かな、玉のような男かな、男かな」
とほめられていたのであるから、まして親の身として、どんなにか嬉(うれ)しいことであったろう、と思っていたのに、満月に雲がかかり、晴れずして山に入り、いまを盛りに咲いていた花が、にわかに風に吹かれて散ってしまったように、ご子息が亡くなられたことは、まことに痛ましく、あさましいと思わずにはいられない。
 日蓮は病気のために、ほかの人びとの手紙にも返事を書かないでいたが、このことはあまりに嘆かわしいことであるから、筆をとってこの文をしたためた。
 こう申す日蓮も、もはや久しくはこの世におらぬであろう。そうすれば、きっと必ず五郎殿に行き会うと思う。もし母であるあなたより先に会ったならば、母の嘆き申し伝えるであろう。(太字は筆者)[石川教張著「日蓮聖人の手紙1−死別の悲しみ」(国書刊行会、平成18年)からの引用]

 この手紙は日蓮が亡くなる十か月前に書かれている。自身も死期が近いことを察知しており、あの世で息子さんに会ったならば、あなたの嘆きを伝えようといっている。この手紙では、息子さんの死を無常の風に消えた人と形容するほかに、満月に雲がかかりその月が山に隠れてしまったことや、いまを盛りに咲く花が風に吹かれてはかなく散ってしまったことに譬えている。「千の風」の詞とは自ずとトーンが異なるが、自然描写を多用した表現手段という点ではお互い通じ合うところがあるように思う。

 また、室町時代の僧・蓮如が家族を亡くした人へ宛てた手紙は次のようだ。

 人の世の定めなきありさまをよく考えてみれば、ほんとうにはかないものは、生まれ、育ち、死んでゆく幻のような生涯である。まだ人が一万年の寿命を受けたということを聞かない。一生はすぐに過ぎてしまう。
 [人の寿命が五十六歳となった]今では、誰も百年間からだを保つことはできない。死を迎えるのは、私が先だろうか、人が先だろうか? 今日かもしれぬ、明日かもしれぬ。先に死ぬ人も、生き残る人も、生死の別れは絶え間がなく、草の根もとの雫(しずく)と、葉の先の露のように、寿命の長短はあっても、人はいずれもはかなく死んでゆくーと、古書にも見えます。
 だから、私たちは、朝には若々しい顔つきをしていても、夕方には白骨となってしまう身なのです。現に無常の風が吹いてきて、二つの目がたちまち閉じ、最後の一息が永久に切れてしまえば、せっかくの血色のよい顔も色を失って、桃(もも)や李(すもも)の花のような美しさをなくしてしまうでしょう。
 その時になって、親族の者が集まって嘆き悲しんだとしても、もはやなんの甲斐(かい)もないでしょう。
 そのままにしてもおけないので、野外に見送り、夜半に荼毘(だび)に付せば、煙となってしまって、ただ白骨のみが残るのです。とても言いようのないほど悲しいことです。
 人の世は老少不定(ろうしょうふじょう)のはかない世界です。いずれの人も、早く後生の一大事を心にかけて、深く阿弥陀仏(あみだぶつ)にお頼りして、念仏(ねんぶつ)申すべきであります。(太字は筆者)[大谷暢順著「蓮如御文読本」(講談社学術文庫、2001年)からの引用]

 この手紙は「白骨の章」とか「白骨の御文(おふみ)」といわれ当時、多くの人々に書写されて読まれたり、節をつけて歌われたという。いわば、中世版千の風ともいえるものである。蓮如は人間の寿命が五十六歳といわれた時代に、八十五歳という長命を全うしたが生涯に四度、伴侶を亡くしている。この手紙は、近親者を喪(うしな)った信者さんに宛てて書かれたといわれているが、その心境は自らの死別体験にもとづく告白のようにも思われる。

 また、平安時代を生きた弘法大師・空海が二十年連れ添った愛弟子で甥っ子の智泉(ちせん)を亡くしたときの嘆きに至ってはこうだ。

 哀(あわれ)なる哉(かな)、哀(あわれ)なる哉(かな)、また哀(あわれ)なる哉(かな)。
 悲しい哉(かな)、悲しい哉(かな)、重ねて悲しい哉(かな)…
[続遍照発揮性霊集巻第八、日本古典文学大系「三教指帰 性霊集」(岩波書店、昭和51年)から]

 このように弘法大師といえども愛する対象を亡くせば悲しくてしょうがないのだ。それに弘法大師にしても、先の日蓮や蓮如にしても、大切な人を喪って落ち込む人々に泣くと死者が成仏できなくなるから哀しむなとは決して言っていない。そのようなことからも、この宗教的天才らは仏教者である前に優れたサイコロジストであり、非凡な人間観察者だったことがわかる。

 お大師さんや日蓮さんや蓮如さんを吹き抜けた風は、つらく虚しい一陣の悲風だ。千の風とは、たくさんの風を意味しているとすれば、心地よい風ばかりではなく、なかには切ない風ややるせない風もあるだろう。今日もどこかで風が吹いている。伴侶動物を喪った人にも風が吹きつける。その人はいま、どんな風に吹かれているのだろう。

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■ある若い侍とその妻子のこと

 
 ある若い侍とその妻子のことが気になっている。侍は相馬藩(今の福島県)の家老で、名を相馬左衛門尉貞勝といった。いまから六百年くらい前の室町時代の人である。家老というのは、藩の殿様の家臣たちのなかでも最も上位にある人をいう。だから家柄は悪くない。左衛門尉(さえもんのじょう)という裁判官兼警察官のような官位を持っていたが、これは親の代から受け継いだものだろう。

 官位といってもこの時代になると朝廷が正式に授けるのではなく、大名が臣下の者に受領名(武功のあった者に与える非公式な官名)として出していたのでそれを引き継いだのだろう。仮に正式の官位を受けたとしたならば以前、京にのぼって有力な公家のもとなどに身を寄せては都の警護などに当った経験があったかと思われる。伝統的に武人はそういったことをして官位を得ていたのである。

 貞勝(さだかつ)はまだ若かった。二十歳をいくらか過ぎたくらいではなかったかと思われる。しばらく前に妻をめとっていたが子どもはまだいなかった。その彼があるとき領民から取り立てる年貢に手心を加えた。その年は不作のためにいつものように作物が実らなかったのだろう。窮状を見かねたこの男は農民が収めねばならない年貢米に手加減を加えてやったのである。

 この行為は、他の家老や重臣たちに貞勝を追い落とす格好の材料を与えた。だが政敵の讒言(ざんげん)を跳ね返すだけの政治力も人脈もこの男にはなかった。無実を晴らそうと必死に抗弁もしたが無駄だった。それどころか彼の身が危ぶまれる状況に追い込まれていったため、やむなく妻を伴って逐電した。そのとき妻は身ごもっていたという。

 美濃の国(今の岐阜県)まで逃げたふたりは、犀川(さいかわ)の近くの小さな祠(ほこら)の阿弥陀堂を見つけ、そこに仮寝のいおりを結んでしばし逗留することにした。しかしいつまでもそんなところに留まっているわけにもいかなかった。美濃に逃れてきたのも特に当てがあってのことではなかった。取るものもとりあえず妻の手を引いて逃げ落ちるだけで精いっぱいだったのである。ただ、もはや侍には戻れない。それに身重の妻もいる。

 貞勝は考えたすえ京に行くことを決めた。京に行けばなんとかなるかもしれない、そう考えた彼は、妻を残して単身京に向かった。安住の地を探した後そこに妻を迎える手はずだった。だが不破の関あたりまで来たとき、彼は追手に捕縛されてしまった。貞勝がその後どうなったかは記録に残っていない。しかし当時の武士の習いにしたがって相馬藩に送られたのち切腹を申し付けられたと風聞は伝えている。

 ではその後、妻はどうなったか。妻は生き延びることができた。この女性が無事だったのは、貞勝が彼女のことは最期まで口を割らなかったからではないかと推測されている。妻はその後も阿弥陀堂に留まり、ほどなくして男児を産み落とした。彼女は夫の帰りを待ちわびたが、夫はついに帰ってくることはなかった。しばらくの後、風の便りに夫が捕まって切腹したことを知らされると、髪を下ろし夫の菩提をとむらいつつその阿弥陀堂の堂守となった。名を秋月禅尼といい、人々からの尊崇を受けたという。

 この女性は、当時の婚姻の形態からいって武家の娘だったと思われる。伴侶を喪ったとき彼女はまだ二十歳前後であったかもしれない。尼となり異郷の地で親類や縁者のいない中でどのようにして生活し、子どもを育てていったのだろう。近在の人びとからの布施のみを頼りとして生きていたのだろうか。そういったことは今となっては知る由もないが、この人は信仰をほとんど唯一の支えとして気丈に生きようとしていたことは間違いなさそうである。秋月の禅尼という名は、誰が付けたのだろう。秋の月は澄んで美しい。だが、どこか淋しげである。

 その後、一子は長ずるに及んで天台宗の僧となった。中世の強固なヒエラルキー制度のなかにあってもはやどこにも属さない逸脱者が生きる道は出家しかなかったと思われる。彼はその後、農民一揆を主導し浄土真宗・中興の祖となる本願寺蓮如と出会い、その弟子の末席に連なり、名を了念(了然)と称した。浄土真宗に改宗した了念は、寛正元年(1460年)、今の岐阜県本巣市に西照寺という一寺を預かりそこに住んで開基(寺を最初に開いた僧侶)となった。以上のことは、西照寺縁起として語り伝えられているが、同様のことは岐阜県史(通史編中世六二五頁)にも見えている。

 浄土真宗は、宗祖・親鸞が妻帯に踏み切ってからその法灯を受け継ぐ者は結婚し子どもを設けながら信仰生活を続けるようになり、それを教義とするようになった。了念もそれにもれず妻帯し子を設けた。小さなお堂で、ててなし子として育ったアウトローの了念が、住む家を持ち家族を持つようになったのである。その子どもは寺を継ぎやはり結婚して子をなした。そうやってこの家系は代々命脈を保って今日に至っている。私はその子孫である。

 このことをこうして語ることは私には多少のためらいがある。私は私の先祖である相馬貞勝という悲運な男とその妻子が哀れでならないのである。いったい貞勝がどんな悪事をはたらいたというのだ。年貢を勝手に軽くしたのは誤解を招く軽率な行動であったかもしれないが、領民を慈しみ負担を軽減することが切腹に値するほどの蛮行なのだろうか。それとも重臣らには貞勝の口を封じたい何か特別な理由でもあったのだろうか。讒言を企んだ佞臣を佞臣と見抜くこともできない暗愚な殿様も殿様である。しかしもっとも忌むべきはこの腹黒い佞臣たちであろう。私の先祖は計略に嵌められて詰め腹を切らされた。この佞臣たちは、その後も藩を牛耳っては人生を謳歌していったに違いない。相馬藩とは実に腐りきった藩である。

 私は思うのである。相馬貞勝という青年は世間知らずのお坊ちゃまだったに相違なく、さほど苦労することなく成長し家の家老職を引き継いだのであろう。しかも組織の中でうまく立ち回ることがはなはだ不得手な要領の良いとは言えない若者だったと思う。そして情にもろく純な正義感すら持ち合わせていた。老獪な重臣たちから見れば尻尾を振ってこちらと交わろうとしないそんな不細工な青年の姿は、自分たちの特権を脅かしかねない煙たい存在に映っていっただろう。すでにその兆候は貞勝の言動からは幾つか出ていたかと思われる。

 私は若くして家老に参入してきた貞勝が重臣たちの何か重大な秘密を知ったのではないかと思う。そうでなければ組織ぐるみで貞勝を取り押さえてすぐに切腹させてしまうようなことはないだろうと思うのである。私は年貢の横領をしていたのは他ならぬこの家老たちであり、その発覚を恐れて濡れぎぬを貞勝に負わせたのではないかと思う。岐阜県史にも「(相馬貞勝は)領主におもねる家老や重臣により讒訴」と書かれているではないか。

 讒訴(ざんそ)とは、他人をおとしいれるために目上の人に、ありもしないことを告げ口することをいう。重臣らは貞勝に罪をかぶせて犯人に仕立てたニセ話をでっち上げたうえで殿様に報告する。家臣にとって殿様が凡庸であればあるほど、日ごろから持ち上げておもねってさえいれば自分たちに都合のよい藩命を出させることなどたやすいことだったろう。

 貞勝は死ぬとき何を思っただろう。薄幸の道を歩ませる妻とまだ見ぬ子を思っただろうか。父母のことを思っただろうか。それとも愛すべき相馬の領民たちのことを思っただろうか。自分をおとしいれた輩(やから)への恨みを抱いたであろうか。ともかくも、貞勝の人生は本来であればこれから悠悠しく始まるはずだったが、ここで未完のまま終わらせなければならなくなった。その無念さは想像するに余りある。

 早世を余儀なくされてはかなく散った相馬貞勝も若くして寡婦となって異郷で一生を終えた秋月禅尼も、望んだ生涯ではなかった。ふたりはこの世での栄達と至幸にはうとかったが、それを定められた宿命として生きたと思う。そのためだろうか、父を知らぬ念仏僧の了念やその子孫はどこかに厭世観を抱き不条理なこの世にではなく浄土になぐさめと希望を見出そうとしていたようである。湿っぽい話だが、これが私のルーツであり、この人たちが私の太父と太母である。以上のことは私が今日、このようなことをしていることと遠い縁において何ほどか関係しているのかもしれないと思ったので、書きしるすことにした。

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■ペットロス・カウンセラーは世の中に必要か?

 
 「ペットロス110番」という名称でペットを失った人々のサポート活動を始めてから今年(2013年)で17年になる。最近はペットロス・カウンセラーと称する人々も少しずつ増えてきたために、相談が私に集中することはなくなってきている。ペットロス・カウンセラーの中には弊会で学んだ人もいるし、そうでない人もいる。また弊会で学んだといっても、ペットロス・カウンセラーやパラカウンセラーとして認定された人もいれば、認定されなかった人もいる。

 先日、ある地方のペット霊園の方からご連絡があり、私のところで学んでペットロスケアを行っている人と会ったといいその人のことを問われたが、私にはその名前に聞き覚えがなかった。だが、その人は私のところでペットロスを学んだといっているということだった。その人にとっては私の講演などを一度でも聞いただけでそういうことになっているのかもしれなかった。昨今、人間・ペット関係やペットの死別についての知識が不十分だったり、ペットロスの事例をさして持たないうちに臨床実務を始める人がでているようである。

 だがこれはペットロス・カウンセラーを称している人だけではなく、医療従事者のなかでも似たようなことが起こっている。最近はやや減ってきたが、以前は「ペットが死んだくらいでどうしてそんなに落ち込むのですか?」とか「早く次の子を飼えばいいじゃないですか」などとペットロスの悲嘆者に平気で言う医師やカウンセラーも後を絶たなかった。ペットロス・カウンセラーと称する人の中には、さすがにそんなことを言う人はいないと思うが、それに匹敵するような誤謬を犯している人もいる。

 こういったことは、ひとえにペットロスの知識が広まっていないことから起こるといえるだろう。これはペットロス教育が不備なるがゆえの問題といえるが、その一つには、ペットロスを教える側のレベルの問題がある。最近は、ペットロス講座が各地で増えてきた。そのことはたいへん喜ばしいことである。しかし中には派手な宣伝ばかりが目立って、その内容となると空虚なペットロス講座もあるようだ。何も知らない人は、目くらましの誇大広告にまんまとはまるわけである。

 また、信じがたいことだがペットロスについての講義がほとんどないという面妖なペットロス・カウンセラーの養成講座もあるという。これは、その講座を受けた人から聞いたことなので、たぶん本当なのだろう。そこではカウンセリングや各種心理療法の話ばかりで肝心のペットロス悲嘆のケアとHAR(ヒューマン・アニマルリレーション)の解説はさわり程度だったという。これで受講者は先々どうやってペットロスのケアにあたるのだろうか、気がかりである。

 当然のことながらこの教育に携わる者は、ペットロスの専門者でなければならない。この分野の教師であれば深いペットロスの知識と十分な臨床歴(他領域の臨床歴でもなく、ペットの臨床歴やトレーニング歴でもありません)を持ったうえでその知識と経験を切り売りするものだと思うのだが、恐らくこの人たちはその一方か両方が欠落しているのだろう。しかしそこはそれらがなくても、専門家の顔をしてぬけぬけと教壇に立てば、何の知識も持たない素人や学生はペットロ ス・カウンセラー講座とはそういうものかと思ってしまうだろう。受講生も正しくないことや通り一辺倒の底の浅いことばかりを教えられたとしてもそのことにさえ気づかず修了していくのではないか。

 こういったことは学ぶ側にも一半の責任があると思う。生徒の真剣な問いかけによって教師は鍛えられていくのであり、それがなければ両者の発展もないのである。弊会に学習したいと問い合せてくる人のなかには、この資格を取って就職口はあるのかということと、いくらかかるのかだけを聞いてくる人がいる。どんなことを学習するのかや、 その内容について、ペットロス・カウンセラーはどんな社会的役割や意義があるのかということはどこかにいってしまって、仕事になるかということと、かかる費用にだけ関心が集中している。それらが重要なこともよくわかるが、私の方とすれば、このような人になぜペットロスのカウンセラーやパラカウンセラーになりたいのかを聞いてみたくなる。

 以前、問合せの電話をしてきた人に、ペットロスは飼い主さんという人間の命にかかわることもあるので学習は大変ですよ、難しいし毎回レポートの提出もたくさんありますよと説明すると、「それじゃあ、いいです」といって電話を切られたことがある。この人はペットロスケアをいったい何だと思っているのだろうかと思い、がっかりもした。こういう人は、このようなことにはもともと不向きでありボランティアといえども行ってはならないのである。教える側にも教えられる側にも、そしてサポートする側にも初めからペットロスを舐めてかかっている者がいるのだ。このような人はペットロスの本質を理解しない怖いもの知らずであり、実のところこれほどペットロス体験者を馬鹿にした者もいないだろう。 ペット死別も人間・動物関係学も甘く見られたものである。

 では、ペットロス・カウンセラーの適性としては、頭が良いとか高学歴のエリートであればいいのかというと、それも違うと私は考えている。確かに、この領域の知識や考え方をマスターし、自立していくには知力や理解力も必要であり、その学習に耐えられなければならない。だが、ペットロス・カウンセラーとして最も大切なことは何かと問われれば、それはそういったことよりも誠実さではないかと私は思う。知識や思考力は、時間をかければ後からでも何とかなる。しかし人間の誠実さとなると、時間をかけて長く生きたからといって得られるものではないように思う。これは天性の部分が大きいように思うのである。すなわち、その人に生まれつき備わった性質である。

 医聖ヒポクラテスは、医師の適性としてまず第一に必要なものはその天性だといっている。天性の素質がなければすべてはむだになるとも述べている。この生まれつきの素質の備わった者が、よい環境のもとで長期にわたる教育を受けて初めてものになるという。この資質が具体的にどのようなものをさしているのかはよくわからないが、ヒポクラテスは世俗者すなわち俗物が医業をやってはいけないといっている。このことは医療に携わる者に厳しい覚悟を迫っているように思われるのである。いま医師になる人は高校生の時の偏差値が異様に高いか、親が医師か家が裕福かなどで決められている。これらはいずれも本人によい医者となる素質があるかどうかとはあまり関係がないことである。こういったことは、 ペットロスのケアリストにも同じことが言えるように思う。

 私は、この先天の気質はその人の先祖や親から受け継いだ遺伝的な形質と、生まれ変わりによって本人がそれまで繰り返してきた過去世(前世)における体験の双方の集積によって作られるのではないかと考えている。ただそうなると、今生(今回の人生)の本人のあずかり知らぬ無意識下でそれが決められているということになり、本人の努力がさして及ばないのではないかという厄介な問題を含むことになる。ややこしくなるのでこれ以上の深入りは避けるが、ともかくも私は、 こういったことをしていくにふさわしい素因のある人間を全国から集めて、よいペットロス・パラカウンセラーやペットロス・カウンセラーをたくさん世の中に輩出したいのである。そして、わが国を世界に冠たるペットロスケア大国にのし上げたいのだ。それが夢である。

 受講料に対する費用対効果はと問われると、答えに窮してしまうが、お金のために教育が受けられない状況は避けたいと考えている。このことは、かつて私も苦労させられたことなので、理解しているつもりである。学習したいという強い熱意があるのなら、叶えさせてあげたいと思うので、経済的に厳しい場合は、可能な限りの分納制をとっている。また今後は、地元農産物や作品の物納や、事務作業などによる労働納も考えている。年齢、キャリア、学歴はさほど重要ではない。要は、誠実な志(こころざし)があるかどうかである。世渡りに長けた小利口な人間は向かない。私は、この分野を形作る人は、そういう人間であってほしくないと願っている。

 さて、タイトルにもなっているペットロス・カウンセラーは世の中に必要かどうかについて答えなければならない。その回答として行方不明になったペットを捜索するレスキューの第一人者であり1984年以来開業されているこの分野では世界的な先駆者のひとりでもあるアイペット探偵局の白澤実先生の言葉を引用したいと思う。

 白澤先生はその著書のなかで、「私達は利益を得るにはほど遠いが、行政機関で同じことを行って貰えるまでは続けて行きたいと考えている。おおよそ社会に必要なものは自然に生き残り、不必要なものは淘汰されていくと信じている。」 (「この猫 誰の猫?」近代文芸社、1995.)と述べている。これはそれまで誰も取り組まなかったことを科学的知見に基づいて一から始められた白澤先生の実体験から出た言葉だと思う。生き別れのペットロスの問題は飼い主にとってもペットにとっても非常に深刻であり、まことに同感なので、この言葉をもって答えに 代えさせていただきたいと思う。

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■私のペットロス体験者体験

 
 私が学生をしていた獣医大では3年生になるとひと夏、臨床実習が課せられていた。そのため、どこかの動物病院にしばらく行かなければならないのだが、私は特にどこのペット病院で実習したいという希望はなかった。しかしどうせ行くなら自宅から通える近場で、なるべくいい先生のいるところへ行きたいものだと思っていた。

 そこで以前行ったことのある近所のペットショップへ行き、オーナーのおばちゃんに、「この辺で一番腕の良い獣医さんはどなたですか?」と聞くと、それはK先生だという。それで決まりだった。だが、もちろんその先生とは面識はない。そこでその先生の動物病院の電話番号を調べてお電話をかけた。K先生とつながったので事情を話すと、偶然同じ大学の先輩であることがわかり、そのこともあってか、すんなり私を受け入れてくださった。それから程なく、私は実習生としてK動物病院にお伺いすることになった。

 実習初日の朝、病院へ勇んで行くと先生はあいさつもそこそこに、これからある飼い主さんの家へお骨を届けに行くので、ついて来るようにといった。先生が運転する古びたバンの軽自動車の助手席に同乗させてもらい道すがらお話を伺うと、そのお骨は犬で、入院治療に専心していたが薬石の効なく死亡したのでペット霊園で火葬してもらい、今から自宅に届けに行くのだという。飼い主さんは、愛犬が亡くなったと告げられたと同時に、動けなくなってしまい火葬を先生に一任したようだった。

 飼い主さんの自宅に着くと雨戸は閉まったままになっていた。玄関に入ると奥から泣きはらしたため顔がクシャクシャになった熟年のご婦人が廊下を壁伝いによろよろしながら現れた。その様子からは、歩くこともままならないほど憔悴しきっていることが見て取れた。ご主人も奥にいるのだが、もう会社を三日も休んでいるという。そのご主人は終始、顔を見せることはなかった。

 先生は、ご婦人に白い袋に包まれた骨壺を渡し、亡くなる経過や病状について手短に説明したが、彼女はうつむいたままつらく悲しそうに聞いているだけだった。私はただ唖然としてたたずむのみだった。そして先生とともに深々と頭を下げておいとました。

 私はペットを失ってここまで落ち込んでいる人を見たのは生まれて初めてだった。しかもこの方が自分以外では初めてのペットロス体験者だった。帰り際、「吉田君、まれにこういう人がいるんですよ。でも、あそこまでなってしまうとなあ」と、臨床家として着実に信頼を築いてきたさすがの先生としても、こうなるとどうしてよいかわからず困惑している様子だった。

 これが私の動物病院実習の第1号のクライエントさんである。これは1973年のことであり、この時アメリカでもまだペットロスという言葉は生まれていなかった。これが私の二十歳の夏の体験である。この衝撃的な体験はその後、どんなことがあっても忘れることはなく、瞼の奥に深く刻まれたまま、ことあるごとに思いだされた。この体験がなかったら、私はその後ペットロスケアの道に進むことはなかったかもしれないと思う。そういう点から、このご婦人と故・K先生には、感謝しても感謝しつくせない思いがある。

 それから7年後の1980年、私は心理学を専攻する大学院生をしていた。27歳になっていたが、まだ学生をしていた。その夏、東京と川崎にある動物霊園に足しげく通っては、お参りに来る人々にインタビューをして回っていた。お盆のころだったので多くの人々が、亡くしたペットのお墓や納骨堂に来ては手を合わせていた。現代人にとってペット動物はどのような存在なのか、日本人は動物霊をどうみているのかをペット霊園に来る人を対象に調査していたのだ。

 調べていくうちに、参拝に来ている人の中には、ペットロスから立ち直れずにいる人がいることがわかってきた。ある中年のご婦人は、愛犬を3年前に亡くして埋葬したが、それからというもの毎日のようにその小さなお墓にお参りに来ては花や食べ物をお供えし、掃除をしていた。それがこのご婦人の日課であり、生きる目的のようでもあった。ご本人とお話ししたとき、「周りの人から見れば、私のしていることはキの字がつくでしょうね」といっていた。その人とは、その霊園に通っている間、何度か出会っていた。

 また、ある高齢の男性は、不自由な足を引きずりながら参拝に来ていた。愛猫を何年も前に亡くしていたが、ときおり来るという。その人は昔、転落事故のため障がい者となったため歩くこともままならなかった。「私は新幹線をまだ見たことがありません。どこそこまで行けば、そこからは実際に走っている姿を見られるそうです」といっていたが、そこまで出かけたことはないという。その人は外出することも難儀なのだが、ペットのお参りには出かけていたのだった。障がいのある方は、行動範囲が狭く一日中、ペットと室内にいることが多いためペットへの愛着はおのずと深くなる。その結果、ペットロスが重くなりやすいということも、このころ理解したことだった。

 私は、こういった人たちの聞き取り調査をしていく中で、ペットの死別体験が想像できないほど重くなる人がいることを知った。また、ペットロスによって後追い自殺をした人がいるといううわさ話も、この頃こういう人たちから聞いたように思う。そしてそれはあり得ることだと思うようになった。そのことは後年、私の臨床経験と信頼できる獣医師との個人的接触などからペットロスを主因とする自殺のケースがあることもわかってきた。

 その頃の私は、心理学を正式に学び始めて2年位しか経っていなかった。加えてペットロスについての知識も決定的に不足していた。そのため、ペットを亡くした人のグリーフ・カウンセリングやケアをしますなどということは、口が裂けても言えなかった。そもそも私の場合、大学でもペットロスについて教えてくれる先生がいなかった。指導してくれる師がいなかったのである。

 私が大学や大学院でお世話になった先生方は、それぞれの分野では一家言をもつ先生たちだったが、ことペットロスやHAB(ヒューマン・アニマルボンド)ということになると、素人とあまり変わらなかった。専門が違うのであって、それは求めるべくもないことだった。よって、あとは自分で調査するなり臨床歴を積んで知見を増やすか、外国文献を読んで研究するしかなかったのである。

 しかし当時の私は、カウンセリングや心理療法についても学業途中であり、それらを一通りはマスターしなければならない身だった。私は、大学内外の講義やセミナーなどに参加しながら、学生相談室でケースを持っては心理臨床に親しんでいった。そのころは、禅と瞑想の心理をはじめ、青年期以降の学校・職場不適応、適正心理学、神経症などに関心を持っていた。

 大学院の後半には結婚し子どももひとり生まれたので、家庭教師と塾の講師をして生計を立てていた。一時期、先のK先生のところで助手をしていたこともあったが、それは研修のためであって収入にはならなかった。それにそのときには、ペットの臨床ではなく人間の臨床に進む道を選んでいたので、動物病院の臨床獣医師になることは考えていなかった。そんな環境の中で、ペットロスやアニマルセラピーに取り組むということは時期尚早で現実味がなく、それはまだまだ先の話に感じられた。

 大学院を修了した時は、すでに30歳になっていた。ともかくも働かなければならなかった。知人の協力を得て都内にカウンセリングルーム(名称「マインドリサーチセンター」、翌年「マインドセラピ−センター」に改称)を作り心理相談や適性相談を行いながら学研やリクルート社と関係して教育誌や就職情報誌に性格テストや適性テストを作成していった。また、そんなことをしながら専門学校や大学で心理学の非常勤講師の職を得て生活していた。

 今となっては私がかつて職業適性検査紙を作成していたことを知る人も少ないと思うが、そのエビデンスの一端を示すとすれば、今日(2013年)でも稼動しているものが一つだけある。それは、教育産業の中央出版社が高校生向けに行っている職業適性検査がそれで、今日でも高校生の進路指導の参考に使われている。

 心理カウンセリングに関しては、学生や社会人を対象に学校・職場の人間関係上の問題や就職・転職指導などの相談をしていた。そうやって臨床実務をしているうちに、まれにペットロスが絡むケースが出てくるようになった。それは主訴は別にあり、そのために相談に来たのだが、話をしているうちに「実は、最近ペットが死にまして、そのため余計に落ち込んでいます」という内容のものだった。同じようなパターンはその後、数件あった。しかし、ペットロスを主訴として相談を希望する人はペットロス110番を始めるまで、ひとりもいなかった。ペットを失った側もカウンセラーの側も、ペットロスがケアの対象になるとは考えていなかったのである。

 その頃には、ペットロス体験者が潜在的にはたくさんいることや、その中には重くなる人がいることもわかっていた。しかし相変わらず全体像がどうなっているのかがよくわからない。だが何かを始めなければ、この先わからない状態がいつまでもつづく。もうやらなければという想いからやや押されるように、「コンパニオン・アニマルロス・サポート・ホットライン・ペットロス110番」という名前をつけて無料電話相談を開始したのが、1996年11月24日。年齢は、40歳をとうに過ぎていた。

 なぜこの日なのかといえば、そのころ何かの用件で取材を受けた読売新聞のM記者に、こういったことを始めようと思っていると計画を話したところ、ほどなく記事として新聞に掲載してくれたのが、その日なのである。紙面は、たてよこ数センチの小さな扱いだったが、「ペットロス110番 川崎の吉田さん、国内で初の開設」として社会面に紹介された。

 これは日曜日の朝刊だったが、その日から電話がかかってきた。受付は毎週月曜日と水曜日の午後5時から7時までとしたのだが、初日から日時は守られなかった。翌日の月曜日になると、5時前から電話が鳴りはじめ、受話器が置けない状態となった。仕方がないので8時に電話してくださいとか、9時にかけてくださいと後回しにしてもらい、夜遅くにやっと終わった。その後、月・水曜は同じような状態となり、終わるのが12時を過ぎることもあった。この間、私は必死になって話を聞き、わからないことはクライエントさんに尋ね、その時点で正しいと信ずるケアを行い、記録に書き留めた。

 そのうち電話番号のみが独り歩きしだし、曜日と時間に関係なく四六時中かかってくるようになった。真夜中や朝方にかかってくることもあった。ペットロス110番というのだから、いつかけてもよいと思われてしまったようだった。当初のこの一種異常な喧噪は、当時国内にはペットロスの相談所が他にはなく、非力ながら私がひとりで応対しなければならなかったという事情があった。また無料だったことも、電話をする側には気軽さがあったと思う(現在は、お支払い能力のない方は別として原則有料です)。

 そんな状況なので、電話がかかってきてもすぐに出られないことが多かったため、相談者の中には「いつかけても話し中じゃないか、一体どうなっているんだ!」などと電話の向こうで怒りだす人も出てくる始末だった。相手にしてみれば、こちらは潤沢な資金のある法人団体か公務員でもやっており、電話をしたらすぐに出てくるのが当然だとでも思ったのだろう。こちとら時間をさいてはボランティアで一人でやっているのに、なんで怒られねばいけないのかとも思ったが、それだけ相手も必死なのであった。

 それにペットロスでは怒りや敵意が強くなり、だれかをスケープゴートに仕立てて非難して欲求不満を晴らそうとすることがあり、その安全な対象にカウンセラーや援助者がなりやすいということもだんだんわかってきた。これは電話相談のとき、起こることがあった。支援を求めてきて何とかしてほしいといっておきながら、こちらを敵視したり悪者視することによって怒りを晴らそうとする矛盾に気づかないくらい混乱している人がいるのだ。

 またその後、面接による事例も増えることによって、カウンセラーは失われたペットの身代わりになることもわかってきたことである。これはペットロス・カウンセリングの技法や治療構造にかかわる事柄である。ペットが生きているとき飼い主さんはペットに癒され、ペットに支えられていたが、死別のカウンセリング場面ではカウンセラーは飼い主の支え手(イネブラー)であり癒し手となってペットの果たしていた役割と同様の立場をとることになる。この両者の役割の類似性は、愛するペットを亡くして傷心している飼い主にとってカウンセラーがペットの代理者となる素地を十分に秘めている。

 ある熟年女性のクライエントさんは、私との面談中に私の背後に亡くしたペットが終始いるように感じると述べた。たいがいの飼い主は喪ったペットに対し、かわいらしく愛おしい存在といった肯定的な陽性感情を抱いており、その愛する重要な他者としてのペットに持つ特別な感情をカウンセラーに投影させる。この面接場面で悲嘆するクライエントがカウンセラー(治療者)を偽ペット化・偽動物化する心理は、転移現象の一種であり、ペット転移と呼びうる。

 先の怒りも発生原因からみて、本来的には自分を置き去りにしていなくなったペットに向けられる感情を抑圧して他者に転嫁して向けていく点からいって一時的に起こるペット転移と考えられる。ペットの死別相談では電話相談を含めて、この転移感情と、その影響を受けるカウンセラーの感情(対抗転移)をどのように扱うかによってケアの成否が左右される。

 ペットロス臨床の技法や治療理論については稿を改めるが、面接実務に多く携わることによって、日本人のペットロスの実像とその人たちへのケアの実際的で効果的な進め方に関して多くのことが解明されてきた。また、欧米の文献を見ていても感じていたことだったが、その後外国の研究者や臨床家らと交流をはじめたことによって欧米人と日本人のペットロス体験ではさまざまな点で異なることもわかってきた。

 したがって、面接治療の進め方もそのことを念頭にして進めなければ、うまくいかないこともわかってきた。欧米のペットロスケアの考え方や手技を信奉してそのまま模倣することは危険なことであった。そういった点から日本人や東洋人のペットロスを調査研究することは、十分意義のあることである。

 それらのことが一応理解されてきたため、2000年の10月、協力者を得て、日本ペットロス協会を立ち上げ、パラカウンセラーの養成を始めた。この会を作った当初の主たる目的は、ペットロスのケアリストを育成することにあった。パラ(準)カウンセラーから始めたのは、その方が気が楽だったからである。ペットロス・カウンセラーを作るとなると、これは大事であり責任も重く感じられた。

 ペットロス・カウンセラーになることが楽ではないことは、私が一番よく知っているつもりだ。私は学生として獣医学を4年間(私のころは4年制だった)学び、仏教と宗教学を3年間学び、心理学を5年間学んだ。ずいぶん回り道をしたようでもあるが、そうすることによってなんとかペットロス・カウンセラーとなる下地を作ることができた。しかし後続の人には、私と同じ道を歩ませたいとは思わない。だがそうなると、ペットロス・カウンセラーとなる人には、それらの中の必要な知識をコンパクトにまとめて教えなくてはならない。これは大変な事だと思えたのである。

 カリキュラムに関してペットロス教育のスタンダードが欧米にも明確にあるわけではなかったので、最低でもこれだけは知っておいてほしいと思うものを網羅した。教育内容については少しずつ整備されてきたと思うが、今も不備な点があることは否めない。だが、そうであったとしても、ペットロスのサポートができる人を作っていくことが必要だったのである。

 私は多くのペットロス体験者から大切なことを教わって、ここまでやってくることができた。ペットロスがどういうものかは、ペットを失ったクライエントさんが感情を交えながら真実の言葉で語ってくれる。その声に虚心坦懐に耳を傾けねばならないが、その飼い主さんたちは大切なことをまた、動物たちから教わっている。この人間と動物の間を行き来するものの中にペットロスの理解とその解決法が隠されている気がする。

 ペットロスケアは飼い主という人間を対象にするので、人の心理や社会についてよく知っておかなければならないが、大本はその動物が存在することから始まっている。よってペット動物の生老病死についてはよく考えておかなければならないと思う。飼い主の一生を左右し、操る者がいる。おまえは、いったい何者なのか?

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■人間は動物によって生かされる

 
 ペットは現代人の心の防波堤になっている。今日の社会、とりわけ都市部からペットたちがいなくなれば、現代文明は衰亡してゆくのではないかと私は大真面目に考えてきた。過去、人間はつねに動物たちの力を借りて困難を乗り越えてきた。原始社会であれば野生動物に衣食住を全面的に依存してきたが、その動物たちを捕獲するためにオオカミを飼い慣らして犬を作り狩猟に用いることに成功した。古代ではおとなしい動物たちを家畜化したことによって食料問題から解放されたことで余裕が生まれた結果、文明化の道を歩むことができた。

 中世や近世は、動物を人の手足の代わりとして交通や農作業の労役に用いることで集約をはかって生産性を高めてきた。近代に入り動物は、愛着対象として人々の生活の中に深く浸透していった。父親や夫が労働力として職場や工場に出て行ったために不在となった家庭に彼らは入れ代るように入ってきて、そのすき間を埋めてくれた。また、シングルの人々やお年寄りの精神的要求に答えるために、動物はペット(愛玩動物)、すなわち愛着動物として重要な役割を担っていくこととなった。

 彼らはどの時代にあっても常に縁の下で私たちを支えつづけてきた。今日、われわれは依然として動物を重要な食料資源としているし、そのからだはバッグや靴や財布などの皮革製品としても用いている。この生活スタイルはすぐには変えられそうもない。

 そして今日、ペットがコンパニオン・アニマル(伴侶動物)と言われるようになってきたことからもわかるように、動物と人間は心理社会的な距離を縮めながら一段と親密さを増している。また、盲導犬や介助犬などのサービス・ドッグ、さらにはセラピーアニマルとして心身の治療や療育に利用されている現状を見ると、動物の果たす役割が時代によって変遷を遂げながら人間と動物がより強い情愛的きずなを形成しつつあることは疑う余地のないところである。

 危機に遭遇すると人間は動物に助力を求める。それは小さな子供が不安を感じた時、母親に助けを求めていく姿にどこか似ている。子どもは安心や安全が脅(おびや)かされたとき、何の疑いも持たずに母親にしがみついていく。子どもにすれば身の危険を感じた時、母親に救いを求めることはごく当たり前であり、そのことを改めて考えることがないほどに自動化、無意識化している。

 それと同じことをどの時代でもわれわれは動物に対してやってきた。そして彼らはそれにけな気にも答えてくれている。現在、多くの人々がこの困難な時代を乗り越えようとして動物の力に頼っている。そういった点からみて、今日現代人が抱えるさまざまな危機の解決に向けてペット動物、コンパニオン・アニマルたちは、私たちの精神生活を陰で下支えする最後の砦といえるのではないか。

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■もう二度と動物は飼わない

 
 ペットとの死別体験を経て、もう二度と動物は飼わないという人がいる。この人たちのなかにはペット離れを起こすだけでなく、そこから動物嫌いになっていくことがある。また、動物は以前にも増して好きなのだが別れの後、新たに次の子を飼いたくても飼えなくなる人もいる。どうしてそのようなことになるのかといえば、それは動物との別離があまりにもつらく悲しかったからである。

 このような状態はいずれもペットロス体験から未だに立ち直っていないことを示すものである。時間の経過とともにいつしか悲しみが癒え普段どおりの生活に戻ったとしても、動物を避けるようになったり、いつまでもペットに触れられないのであれば、その人は立ち直りのプロセスのどこかで今もつまずいたまま部分的に留まっていると考えられる。死別の悲嘆からの回復に定まった期日は存在しない。時が癒してくれるというが、時間薬がうまく効かない人もいるのだ。

 この場合、この人たちの喪失体験のなかに立ち直りを妨げている何か否定的要因が潜んでおり、それを見極めて取り除いていかない限り、この人たちはいつまでも動物と暮らせずに過ごすことになる。

 私は、このような人々こそ動物と暮らせないでいる原因を探り、問題を解決して新たなペットライフを楽しめるようになっていただきたいと願っている。その理由は死別による悲しみや罪責感がいかに大きいにせよ、動物とともに生きる喜びや恩恵のほうがはるかに大きいからである。

 ペットブームと言われて久しい。昭和30年代の高度成長期に始まるこの流れはすでに2・3世代目に入る。この間、ペットを愛する人たちがたくさん生まれた。しかしその一方でペットとの別れによる挫折感や後味の悪さからペット嫌いになる人も作ってきた。ペットロス問題を長年放置してきたことによってこのブームの陰でペット離れを起こす人を多数生んできたのである。

 ここに、かつて朝日新聞が行った興味深い調査がある(2004年9月25日朝刊)。それは無作為に選んだ2833人にアンケートをしたもので、それによれば「ペットが好きですか?」という問いに対して68%(1927人)が「はい」、32%(906人)が「いいえ」と答えている(これは、2010年の内閣府世論調査で、ペット飼育が好きだと答えた20歳以上の人(ペット愛好率)が約72%、したがってペットは嫌いだという20歳以上が約28%いるというデータと近似しているので、まず信頼してもよいだろう)。

 そして、「いいえ」と答えた人にその理由を聞くと、1位が「世話が面倒」(535人)、2位が「家に汚れや、においがつく」(499人)、3位が「ノミやダニなどが心配」(444人)であり、4位が「死に別れが苦痛」(415人)というものであった。なお、5位は「自分が動物嫌い」(251人)、6位は「家族が動物嫌い」(97人)、その他(102人)となっている(いずれも複数回答)。

 ここで、注目してほしいのが、この4位の「死に別れが苦痛」すなわち、ペットは死ぬから嫌いだという人であり、複数回答とはいえ動物嫌いの人の実に46%を占めているという点である。朝日新聞と内閣府の調査を総合すれば、日本人の成人の約3割がペット嫌いであり、そうなった人の4割強にペットロス体験が絡んでいるということになる。

 このデータを信ずるに足るとすればーその蓋然性は高いと私は踏んでいるのだがーこれを日本人成人の実数に直せば、その数は半端な数ではなくなる。どのくらいの人数になるのかといえば、約一千三百万人である。この人たちは、今もペットロスの悲嘆が解決されることなく胸に秘めたまま、ペット離れを起こしているということになる。

 この人たちは、まぎれもなくかつてはペットと暮らしたことがある人たちである。これは1位から3位の人たちにもその可能性はあるが、そもそも1位から3位と、4位の「死に別れが苦痛」では、ペット嫌いになる原因が本質的に異なっている。1位は飼養管理が大変で手に負えないとか面倒くさいというものであり、2位・3位は衛生面の問題であったりペットの病気が人にうつる心配であったりする。しかし「死に別れが苦痛」というのは、それらとは明らかに異質であり、これはペットを亡くす飼い主の精神的苦しみの問題であって、被る情緒的ストレスがテーマである。

 一千三百万人という数は、目下の犬と猫の飼い主を合わせた総数である約一千四百万人(註)に肉薄する人数である。このことは日本では、犬猫が好きでともに暮らしている飼い主数に迫る勢いでペットロスを原因としてペット嫌いになる人が増加していることを示している。
(註)この犬猫の飼い主数は現在、国内での犬猫の総数約二千百万頭に対し、犬の飼い主は平均1.3頭、猫の飼い主は平均1.7頭飼育しているというペットフード協会の調査から導きだされる。しかし夫婦や家族で共同所有している人々も多いために、自らを犬猫の飼い主と考えている人は実際にはさらに多いと思われる。

 また、朝日新聞の調査では、ペットが好きだと答えた人の59%はペットを飼っていないという。その理由は、「マンションがペット禁止」(大阪、38歳女性)など住環境の制約であったり、「一人暮らしで帰宅も遅い」(奈良、46歳女性)、「高齢のため、ペットより先に本人があの世行きの心配」(東京、70歳男性)など世話をしたくてもできない事情があるほかに、「家族同様に暮らした愛犬の死に耐えられない」(神奈川、34歳女性)と死に別れのつらさをあげた意見も多数寄せられたという。

 このペットの死に別れに耐えられないと答えた人が多数いたというデータには、実数が提示されていないために詳細は不明だが、ペットが好きでも飼えない人々のなかにも少なからずペットロスが深い影を落としている人たちがいることを示している。

 このことから、ペットロスを機にペットを飼わなくなる人は先のデータよりも実際はさらに多いと考えられる。だが、その実態は調査されたことがないために私を含めてこのことに正確に答えられる者は誰もいない。しかしペットロスの後遺症が、ペットが好きな人にも嫌いな人にもさまざまなかたちで影響を及ぼしていることは、私の臨床経験から確実にいえる。

 今後、この人たちを増やすか減らすかは、ペット専門者や精神保健従事者のみならず、ペットを愛する飼い主さんたちを含めた人々が、ペットロス対策に関心を示し、どれだけ力を注いでいくかにかかっている。ペット離れを起こす人々が増えつづけて皆が「ペットは死ぬから飼うのは止めよう」といいだしたら、ペット産業にとってもペットにとっても明るい未来はないのだ。そして、そのツケはまたペットの飼い主が負うことにもなる。ペット数が減ったときの例を二、三あげれば、ペットそのものを始めペットフードや医療費の単価は高くなるだろうし、この品種の犬猫がほしいといっても、その時にはもう国内には良いブリーダーもいないかもしれない。

 米国では1980年代の初めにペットロス対策の重要性にいち早く気づき、取り組みを始めた。わが国としてもペットロス問題にいつまでもフタをしておくのではなく、真剣に向き合う時が来たといえる。ペットロスのサポートは、まずはペットにかかわる仕事をしている人たちが率先して当たるべきだし、このことにペット関係者はもっと敏感でなければいけないと思う。「ペットロスなんて俺たちには関係ない」「わたしはペットロスに関心がない」などと動物関係者が言っているようではまだダメだ。

 また、「ペットロス、ペットロスとあまり騒ぐな。人がペットを飼わなくなるじゃないか」と心配するペット産業の人もいる。この人たちは、ペットロスが抱える問題をわかっており、それが知れることを恐れているのだ。ペット専門者ならば、この問題を避けて通ろうとするのではなく、飼い主にペットロスについての正しい知識を教え、それ以上悪化しないように見守る責務があるのではないか。この問題への取り組みは、静かに眠る子を起こしているのではなく、具合がよくないといって起きだした人を支援する行為なのだ。

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■アニマルセラピーとボリス・レビンソン

 
 1998年の秋も深まった頃、私はニューヨークのホテルに滞在していた。訪米の目的は、あるビデオ会社の依頼でDVD「ペットロス〜悲しみから癒しへ」を製作することになり、監修者として私も取材に同行したのだった。撮影は順調に進み、アニマルセラピーの大御所であるグリーン・チムニーズのサムエル・ロス先生をはじめ、ペットロスの第一人者のフォーウィンズ病院のハーバート・ナイバーグ教授、ニューヨーク・アニマルメディカルセンターでは飼い主支援で重要な役割を果たした動物医療ソーシャルワーカー(VSW)のキャロル・フュディン博士らに出演していただいた。また、アメリカ最古のペット霊園であるハーツデール動物霊園や、ウエストサイド動物病院にも訪れた。

 それらが一段落したあと、ビデオ会社の人たちとは別れて私はひとりニューヨークに残りある人物の家族を探そうとしていた。そのある人物とは、ペット犬を世界で初めて人間の心理治療に導入してアニマルセラピーとヒューマン・アニマル リレーション(人間・動物関係学)の先駆者となったボリス・レビンソンである。

 レビンソンは、1984年にすでに亡くなっている。私は、レビンソン博士とは遂にまみえることはなかった。その悔いはこれからも持ちつづけるだろう。だが、もはやレビンソンに会えないのなら、せめてご家族がいたら会いたいと思っていた。

 しかし、そのときレビンソンの近親者についての情報はほとんど持ち合わせていなかった。唯一わかっているのは、コロンビア大学のマローンがレビンソンの評伝を書いた一文(Mallon,G.P. 1994. A generous spirit: The work and life of BORIS LEVINSON. Anthrozoös, volumeZ, number 4, pp.224-231. これはその後、レビンソンの記念すべき第一作目の著書「ペット・オリエンテッド・チャイルド・サイコセラピー(ペット指向児童心理療法)」の改訂第2版、邦訳「子どものためのアニマルセラピー」に収録された)から、奥さんはルース・バーコウィッツという名であり、二人の息子がいるという事くらいだった。

 だが、それだけではどうしようもない。何か情報は得られないかと思って、面識はなかったがDr.マローンの研究室にホテルから電話をしてみたが、あいにく不在で留守電になっていた。これは後でわかったことだが、マローンはレビンソンのご子息とは接触したことがなかったことから、マローンに聞いてもレビンソンの家族の消息についてはわからなかったかもしれない。

 レビンソンは生前、自宅の一室を面接室にして心理療法を行いながら、ニューヨークのイエシバ大学で教べんをとっていた。だからニューヨークのどこかに住んでいたはずだ。そうなれば未亡人(といってはいけないそうだ。今は「夫を亡くした妻」と言わなければいけないことになっている)か、ご子息が今もニューヨークにいるかもしれない。そんな淡い憶測をしながら、そのとき私にできることといえば、ホテルの一室から電話帳を見ながらレビンソンと名のつく人に一人ひとり電話をかけて問い合わせてみることだった。

 私はさっそく実行に移した。「ハロー、実はボリス・レビンソン博士という心理学者のご家族を探しています。あなたは、レビンソン博士の近親者ではありませんか?」「いいえ、違います」「どうも失礼しました」。次のレビンソンにかけてみる。「ハロー、実はボリス・レビンソン博士という心理学者の・・・・」「知りません!」。また次のレビンソンにかける。「関係ありません!」

 そうやって、幾人もの見知らぬレビンソンにかけたあと、ひとりの男性が電話口にでてきた。私は同じ問いを発すると、電話の向こうでその男性はゆっくりとした落ち着いた声で「それは、私の父です」といった。これが、レビンソンの長男マーティン・レビンソンさんとのはじめての接触だった。

 私はたどたどしい英語で事情を説明し、ぜひお会いしたい旨を伝えた。すると彼は明日、ちょうど母が自分の家にくるので宜しかったら、どうぞおいでくださいといってくれた。翌日、私は教えられたとおりニューヨーク・クイーンズ地区にあるマーティンさんのご自宅へ押しかけていくことになった。

 家につくと、そこには中年のご夫婦とキリリとした小柄な老婦人と一頭のミックスと思われる大型犬が出迎えてくれた。マーティンさんとその奥さん、そしてアイーダ・ペナランダ・レビンソン夫人とマーティンさんの愛犬であった。ご自宅は、平均的アメリカ人の住む広さで、大きくもなく小さくもなく、室内も比較的簡素な作りだった。部屋のむこうには猫もいた。父親譲りのせいか、やはり動物好きのようだった。ご夫婦には東洋趣味があるらしく壁には細密な水墨画が飾ってあった。

 マーティンさんは、高校の歴史の先生をしており、今は定年のため非常勤で学校にいっているという。ご夫婦には、大学で法律を学んだという息子さんがひとりいるが、すでに独立してビジネスマンをしているということだった。

 レビンソンはアニマルセラピーのフロイトともいわれる。その彼が、なぜアニマルセラピーをはじめたのか、私はそれを知りたいと思った。ご家族を訪問した最大の理由もそこにあった。昼食をはさんでマーティンさんとレビンソン夫人からは在りし日のレビンソン博士についてさまざまな貴重なお話をお聞きすることができた。また、私の質問に対してもおふたりは、それぞれの立場から丁寧に答えてくださった。以下、覚えていることを書きとめてみるが、まずはアイーダ・レビンソン夫人のことからはじめよう。

 アイーダさんは、後妻でレビンソンが亡くなるまでの晩年の十年間をともに過ごした。彼女は、ボリビア出身の元外交官であり、日本にも赴任したことがあるという大変なインテリの方だった。しかも、なんと父親がボリビアの大統領だったという。会話のさなか彼女が、"My father was a President of Bolivia."といったときには、一瞬耳を疑った。改めて"President of Bolivia?!"と聞き返すと、彼女ははっきりとした口調で"Oh,yes yes! "と念を押した。

 彼女によれば、ニューヨークの同じマンションで当時ひとり暮らしをしていたレビンソンと地下にあるランドリー室ではじめて出会ったという。根掘り葉掘り聞くわけにもいかなかったので詳しくはわからないが、彼女もレビンソンと同じく再婚ではないかと思う。

 アイーダは、レビンソンはとてもハンサムで優しい人だったという。しかも女性にもよくもてて教会(彼は熱心なユダヤ教徒だった)に行くと、来ている女性たちからは「先生、キスして!」「私にもキスして!」とキスをせがまれることもあったという。

 また、レビンソンは研究面に関して新しい着想が常に溢れ出てくるタイプだったらしく、あるときアイーダに「つぎつぎにアイデアが出てくるんだ」と漏らしたという。そのため、ベッドの脇には記録紙とペンが常においてあり、何か考えが浮かぶと夜中でも起きて書き込んでいたという。まさに、ひらめきの人だった。レビンソンはユダヤ人特有の明晰な頭脳の持ち主だったようだ。

 しかしそのレビンソンには一つの弱点があった。それは健康に関することで、彼は難病とされるリューマチ(今日、膠原病とも称される)を若い時から患っており、ときおり入院をしていたという。アイーダが持参してきてくれた、レビンソンの写っているアルバムを見せていただいたが、そのなかには入院中に撮られたベッドに腰掛けているレビンソンの壮年のころの写真もあった。

 彼は決して健康な人ではなかったのだ。そのため、若いころは兵役も免除になったし、生涯自動車の運転もしなかったという。あのアメリカ社会を車なしで生活することは、何かと大変だったと思う。

 私はそれまで、レビンソンをアニマルセラピー(彼は、はじめペットセラピーと呼び、その後ヒューマン・コンパニオンアニマル セラピーともいっていた)やペットロス問題を強力に推し進めたバイタリティーあふれたパイオニアだと思っていた。それは一面では正しかったが、彼が持病のために入退院を繰り返していた人だったということは想像していなかった。

 しかしその後、レビンソンが病弱であったということが、彼を理解するうえで重要な鍵概念だと私は考えるようになった。レビンソンの研究歴をたどるとき、彼のまなざしが常に社会の弱者に向けられていたことがわかる。大学を卒業し、ニューヨークの行政マンである福祉調査官として働き始めると、彼の視線は社会の最下層であえぐホームレスの人々に向けられていった。彼はその後、幾つものホームレス問題に関する論文を書いている。

 また、大学院をでて臨床心理士として活動するようになってからも、自閉症をはじめとする障害をもつ子どもたちの心理療法にあたっている。彼の鋭敏な感性は、常に弱者や生活困窮者に向けられていたが、それは自らの病気体験に深く根ざしていると思われるのである。苦しむ者の本当の気持ちは、自らが苦しみを味わった者にしかわからないものだ。

 さらに、レビンソンを考えるにあたって、もうひとつ重要なことがある。それはロシア革命のあおりを受けてのことだろう、1923年、彼が16歳のころ移民の子として東欧リトアニア共和国のポーランド国境に近いカルバリア(Kalvarija)という片田舎から両親とサイモンとソロモンの兄弟とともに新天地アメリカに渡ってきたという点である。非英語圏の人間がティーンになってから渡米したのだから英語の習得にも苦労しただろう。彼には終生、英語にやや強いなまりがあった。

 また、レビンソンの父親は衣服を扱う商人であったというが、経済的には恵まれた家庭ではなかったようだ。マーティンさんによれば、そのため父親は靴を売って学費を稼いでいたという。靴屋で働いていたのではない、靴の行商をしていたのだ。彼は働きながら学ぶ正真の苦学生だった。

 レビンソンは、ニューヨーク市立大学ではサイエンス全般を学んだ。アイーダによれば、レビンソンは広く自然科学に興味を持ち、天文学にも関心があったという。大学院修士課程では教育学を、博士課程では臨床心理学を専攻した。

 私は、ふたりにレビンソン博士はどうして医学部へ行って医師にならなかったのかと質問してみた。するとアイーダは、主人はからだが丈夫ではなかったからだといい、息子さんは父はお金がなかったからだといった。お話を伺って私には、その両方があてはまるように思えた。

 レビンソンには、彼の精神の志向からいって医師となって恵まれない人々の役に立ちたいという強い憧れがあったのではないかと思う。しかし医師となることは、また早くから諦めていたと思う。だが、レビンソンが医師にならなかったことが、彼自身のためだけではなく後世の人々にとってむしろ大きく幸いしたと私は考えている。彼が精神科医や小児科医になっていたならば、1950〜60年代のすう勢からみて、生きたペット動物を人の治療に用いる着想を得て実行に移すなどという前代未聞の取り組みができるはずもなかったと思うからである。

 そのことは、レビンソンがペットセラピーを臨床応用し有効性を確認したことを学会発表したときから彼が亡くなる直前まで執拗につづいた精神科医による批判をみても明らかである。レビンソンの行った方法(レビンソン法Dr. Levinson's methodといわれる) が批判にさらされたのは、彼の治療理論とその技法が当時としては斬新すぎたためでもあったが、もうひとつは彼が医師ではなかったことがあげられるだろう。

 レビンソンは、当時アメリカで勃興しつつあったクリニカル・サイコロジスト(臨床心理士)であった。レビンソンが、「偶然の発見」と呼ぶ自閉症児ジョニーとレビンソンの愛犬ジングルズ(この世界一有名なセラピードッグはシェルターからもらってきたミックス犬だった)が自宅の面接室でたまたま接触したことからアニマルセラピーの着想を得たのが1953年。この問題をアメリカ心理学会に最初に発表したのが1961年、時代は60年代に入っていた。

 この時代、アメリカはケネディの暗殺にはじまりベトナム戦争やドラッグ、人種差別、公民権運動(医療におけるインフォームド・コンセントへの関心もここから始まる)の高まりなど多くの問題に直面した。そして、その心理面での対応策としてさまざまな心理療法が編み出された。彼の革新的な試みを可能にしたのは、60年代の比較的自由な雰囲気のなかで、心理臨床に有効なものがあれば何でも取り入れていこうとする気風を備えた臨床心理学の流れと呼応している。

 現在では、精神科医をはじめとする医師らのアニマルセラピーに対する見解も徐々に様変わりしているが、レビンソンが先鞭をつけたころ彼は精神科医からはずいぶん嫌な思いをさせられたらしい。それはペットを治療に用いたということに合わせて、彼が臨床心理士だったという点もあるだろう。精神科医でもない者が医師まがいのことをして自分たちの領域を侵し始めたばかりでなく、そのやり方が冗談ならいざ知らず常識はずれの手法を取り始めたことにある。アイーダは、「主人は、精神科医を嫌っていました(My husband hates psychiatrist.)」といっていた。これが、何を意味するのか・・・。

 どの領域でも先覚者は、的はずれの批評やあざけりを受けるものらしい。それがファーストランナーの宿命なのだろう。しかし、それがたとえどんなに馬鹿げた批判であったとしても、論戦をいどまれれば自説の正当性を認めさせるために受けて立たなければならない。それが、学者というものだ。レビンソンの後半生は、多くの時間が論争に費やされた。だが、そんな論駁が日々繰り返されたとしたら、レビンソンにかかるストレスは甚大なものとなっただろう。彼の健康は、彼に対する評価の高まりとは裏腹に徐々に衰退していった。

 会話の中でアイーダは、レビンソンが大変優しい、すばらしい人だったことを幾度となく語った。しかし私は、本当のレビンソンの姿を知りたいと思っていたので「Dr.レビンソンは、そんなにいつもいつも優しい(ジェントルな)人だったのですか、聖人のように? 私にはそうは思えないのですが・・」と、率直に聞いてみた。すると、私の意図を読んだのかマーティンさんは、この男なら少しは父のことを話してもよいかと思ったのか、こんなエピソードを披露してくれた。

 それは、マーティンさんがまだ子どものころ、あることで父親を怒らせてしまったことがあったという。そのとき、レビンソンは腰のベルトを抜き取ってムチのように振り回し「これは応用心理学(アプライド・サイコロジー)だ!!」といって怒りを露わにしたという。私は、このジェントルマンらしからぬレビンソンの話を聞いて、ますますレビンソンが好きになった。彼も人間らしい感情の通った人であり、深く子どもを思うひとりの父親だったことを理解したのである。

 また、レビンソンには日本人の知り合いが誰かいるかと聞いてみたが、おふたりともレビンソンには、日本人との接触はなかったということだった。マーティン夫妻にとっても、ネイティブの日本人と会うのはこれが初めてだという。ご夫婦は、映画「シャル ウィ ダンス」(もちろんオリジナル版)を面白く見たといっていた。このご夫婦が日本映画を見ていたことは、やや驚きだった。あの映画の後、周防監督と主演の草刈民代さんは結婚したと伝えると、ご夫婦は、ふーんという顔をしていた。奥さんは、日本文化にも関心があるらしく、"seppuku"という言葉も知っていた。

 マーティンさんは、そういえば父親が生前、自らを語った記録があるといってカセットテープを二階から持ってきて聞かせてくれた。そこには、レビンソンの肉声で生い立ちや今までのことが語られていた。なまりの強い英語のため聞き取りにくかったが、しっかりしたやや早口の話し方だった。頭の回転が速いのだろう。私は持っていたカセットレコーダーにテープの許す限り録音させていただいた(この未公表だったレビンソンの肉声はその後、何度か研究会や講演会で発表した)。

 私はレビンソンの誕生日についても質問した。マローンの評伝には、彼は1907年7月7日生まれとなっている。7が三つも並んだおめでたい日なので、これは本当かどうか疑問をもっていたのだ。これに対し、マーティンさんは、父の誕生日はユダヤ歴で表されているので、西暦に直さないとわからないということだった。息子さんもキリスト歴ではいつになるのか、よく知らないようだった。1907年の生まれは、間違いないようだが、7月7日というのは、レビンソン一流のジョークかもしれない。

 マーティンさんが親切にも、何かご質問がありますかと聞いたとき、私は思わず「お年はおいくつですか?」と聞いてしまった。彼は、舌打ちして苦笑したが、私はレビンソンが何歳のとき子どもを持ったのかは、マローンのレビンソンの評伝にも書かれていなかったので知っておきたかったのだ。妙な東洋人が突然やってきて、なんでもよいから父親のことを話せ、あなたは今いくつなのかと不躾に聞かれたのだから、なんとも礼儀知らずな奴だと思ったに違いない。いま思い出しても赤面してしまう。

 また、マーティンさんは、父親がアニマルセラピーを最初に始めた自宅を見たいかというので、ぜひ見たいというと、そこまでわざわざ車で私を連れてってくれた。途中、市立図書館の横を通ったとき、父はひんぱんにそこに通っては仕事をしていたと教えてくれた。

 レビンソンが住んでいたという家は、やはりクイーンズにある静かな住宅街サニーサイドにある二階建ての二軒長屋の左半分だった。イギリスによくある一軒の家を半分に仕切ったスタイルで、決して広くない。ここに最初の奥さんルースとマーティンさん、そして次男のデイビットさん(現在、映像学の大学教授。その後、彼が撮影したレビンソンの生前の写真を数枚送っていただいた。そのなかには、レビンソンが実際にセラピー犬を用いて子どもの治療中の貴重なものもあった)と愛犬ジングルズがいた。

 マーティンさんが家のベルを押すとなかから中年の女性が出てきた。ふたりは会話をはじめたが、初対面のようだった。どうやら、現在の住人はここが元レビンソンの自宅で、この家がアニマルセラピー発祥の地だということは知らないようだった。マーティンさんはその所有者の許可を得て、私を裏庭に連れて行ってくれた。そこからは1階の白く縁どられた窓のある部屋が見えた。彼は、その部屋がレビンソンの心療室だったと教えてくれた。小さな部屋だ。そこは隣がキッチンだという。偉業もはじめは、わずかな空間から人知れず起こるもののようだ。その室内には入れなかったので、家の外から何枚か写真に収めた。

 レビンソンのことを考えるとき、彼は学問を職や地位を得るために使わなかったし、衒学(げんがく)―学のあることを誇ったり、学者ぶって見せびらかすことーともしなかった。もしそうしたかったならば、このような当時としては将来どうなるともわからないリスクの多い領域に踏み込むことなく、もっと賢いやり方があっただろうと思う。この分野の発展は、他の専門者からの嘲笑やさげすむ批判に屈することなく研究と実践をつづけたレビンソンの勇気と信念に負うところが大きい。

 アイーダは、レビンソンが亡くなる日のことも話してくれた。その日は、イエシバ大学を定年退職したあと奉職していたブルーベリー小児治療センターで、ふたりの精神科医とひとりの心理学者と会見したという。その後、心臓発作によって職務中に亡くなったということだった。彼女は、愛する夫の命を奪った原因が精神科医と心理学者との議論による心労があると思っているようだった。レビンソンは亡くなる直前に彼女に電話をかけてきて「アイーダ、私はもうだめだ、アイラブユー」と言い残し、その30分後の1984年4月2日、午前11時に息を引き取ったという。76歳だった。

 「主人が生きていたら、あなたとなら喜んでいろいろなことをたくさんお話ししたことでしょうに、それができないことが何よりも残念です」と、アイーダはいってくれた。お別れの時、彼女とは左右の頬と頬を軽くつけてキスした。その時、アイーダは小声で「アイラブユー」と私にささやいた。とっさのことだったので、私は何といえばよいかわからず「ミー、ツー」としかいえなかった。

 アイーダからは、その後、今となっては手に入らないレビンソンに関する資料を含む多くの文献を送っていただいた。そのなかには、レビンソン自身によって作られた自著目録もあったし、3冊目にして最後の著書「AUTISM(自閉症)」も含まれていた。そのおかげもあって、レビンソンの主要な著作はおおかたそろえることができた。

 私がアイーダにお目にかかったときは、夫レビンソンを亡くして14年目にあたる。彼女がレビンソンと暮らした時間をすでに超えていた。アイーダはいずれ母国のボリビアに帰るというようなことをいっていた。帰ったとすれば、とうに帰っただろう。そのとき、私にも見せてくれた思い出のつまったあのレビンソンのアルバムと、彼の著作とともに南米に旅立ったのだろう。彼女の思い出の中に生きるレビンソンは、今日も優しく微笑みを絶やさないジェントルマンのはずだ。アイーダにお会いしてから今年ですでに15年が経つが、その後はお会いしていない。もはや、この世にはおられないかもしれない。

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■ペットとの別れを悲しんでいい

 
 大切なペット(伴侶動物)を失ったとき涙を流して悲しみに沈んだり、落ちこんだりすることは、飼い主としてきわめて正常なことである。それは人間が愛する動物と別れたさいの自然な適応的反応といえる。

 ここでいう適応的反応というのは、ペットを亡くした人に表われるさまざまな変化の多くは喪失の衝撃に対する心的防衛機制(ショックや動揺から自らを守ろうとする心のはたらき)であったり、心の恒常的な均衡(いつも一定になるようバランスを取ろうとする心の作用)を保つために、なくてはならない変化という意味である。つまり、ペットロス時の心理や行動は、最愛の者との別れという特異な体験からいってそのような反応を引き起こすことがむしろ理にかなっているということである。

 よって、ペットを亡くしたときの大半のエピソード(できごと)は、その目的にそって必要があって表われていることなので、むやみに抑え込んだり避けたりすることは、悲哀が正常に推移していくプロセスを妨げることになるために、結果として回復を遅らせたり立ち直れなくなったりしやすい。しかし、この明瞭な事実が今まで見過ごされたり誤解されるなどして正当に理解されてこなかった。それにはいくつかの理由があるように思われる。

 その第一は、私たちの社会、とりわけ近代社会にいたって悲しむことを暗黙裡に認めない社会を作りあげてきたことがあるだろう。悲しむことは、軟弱な人間のすることであり、泣くことは恥であり、そのような感情を表明する者は不適応者として社会は悲嘆者を排除しようとしてきた。近代人は悲しむという、こまやかで大切な情緒を劣った性質とみなすようになったのである。

 その理由は、悲しむことが近代を支える支配原理である集団主義と競争原理のいずれにとっても弊害を生むものであったからに他ならない。工場や職場で同時に共同作業を営むとき、ひとりだけ集団から外れていつまでも悲しまれては全体の生産性や効率が著しく低下してしまうのである。

 また、よき国民であり産業人を育成するための学校教育も、集団を対象にして一定の知識や技能を短期間に身につけさせて世に送り出すためには、生徒にゆっくり悲しまれるという非効率な感情を持たれることは不都合なことであった。

 また、競争原理の導入は、その精神にさらに拍車をかけた。産業界も教育界もこのことを黙認するどころか、後押しをしてきたと思う。さらに、歴史的に近代国家を陰で支える軍国主義思想、すなわち強い軍隊と良き軍人を作るためには、敵となる他者の悲しみを知る人間などは実に不要な存在だった。富国強兵を目ざす近代国家にとって、悲哀の感情はその目標を阻害し志気の低下を招く最大の敵でもあった。

 第二に、私たちは死と向き合わなくなったことがあげられる。現代社会は、死を喪失した社会でもある。私たちにとって死はつねに不可解な現象であり、未知のものごとである。近代人の合理主義からいっても死は遠く理解の及ばないあの世のできごとだ。

 それゆえに私たちは、死の問題を関心の中心からはずし、意識のかなたに追いやってしまった。死後の世界や霊魂の問題などといった不可視の事象は、かっこづけにして抑圧の対象としてきた。そして、それに代わるものとして、この世の物質的繁栄や経済的成功に最大の関心を払ってきた。

 その点、近代人は今までのどの時代人よりも死を嫌悪し、厭うてきた人たちだといえるだろう。私たちは、死について触れることをタブー視し、死と向き合うことを避けてきた。死の死をもっとも願っているのが、われわれ近代人である。そして、私たちは死を軽視することによって死の問題を表面的には克服したかのように振る舞いながら、内心は死を非常に恐れているという不均衡な状態をつづけているように思う。

 考えまいとすればするほど、追いかけてくる。払えば払うほど、近づいてくるのが、死の問題だ。動物の死が疎(うと)んじられるのは、死一般が社会から疎んじられているからでもある。

 第三にあげられるのが、人間中心主義の考えである。動物の死をいたずらに軽視する傾向は、動物や自然との接触が疎遠になるにしたがって起こっている。狩猟民族など野生動物に生活を強く依存する人々は、生きるために動物を殺害するが、むやみに殺すことはないし、その死を軽んじることもない。射止めた動物は丁重に処理され、その霊は手厚く弔(とむら)われる。

 しかし、私たちは動物や自然を周縁に追いやって自らの優位を得ようとした。近代人の失敗は、この母なる大地は自分たち人間のために存在するのだと錯覚したところにあるのではないか。そこでは動物の地位は相対的に低下し、動物とは劣ったもの、賢くないもの、価値の低いものとなる。また、動物は人間に奉仕(サービス)すべきものであり、本能衝動のままに生きる愚かな存在などと歪曲した解釈を人は彼らに与えてきた。私たちはそういった人間中心の主観的世界から動物を捉えてきた。

 その一方で、動物の地位を低めようとするもう一つの理由は、母である動物を資源として長年にわたって殺して食してきたことへの罪悪感とコンプレックスがわれわれの深層心理にあると私はみている。また、動物を殺さないまでも、人間は動物の生理や心理を無視して奇形を固定化することまでして自然界にはない形体を作り出して使役動物や愛玩動物としてきた。

 また、芸をさせて見せ物にしたり、観賞用に供するなどして人間側の一方的な都合や欲求で彼らを消費してきた。そういったことへの後ろめたさもあるだろう。こういった事実を覆い隠すには、動物は人間よりも著しく劣った生き物であり、知性や情意能力も乏しい低級な存在だとみる方がはるかに楽であったといえる。

 アニマルセラピーの先覚者である臨床心理学者の故ボリス・レビンソンは、かつて「ペットによって人間の社会は、人間らしさを回復することができる」と述べ、ペットを心理治療に用いる道を開いた。この一見奇妙とも思えるが瞠目すべき見解にレビンソンの思想の核心がこめられている。

 また、あるクライエントさんは私に「動物は普通の感情のある人間に自分を導いてくれる」と述べた。ちなみに、この方はつづけて「父親から受けた教育だと普通の感情のある人間にはならない」といった。この人は、小さいころから高圧的ともいえる英才教育を父親から受けた結果、不安障害をかかえたのだった。

 レビンソンやこのクライエントさんのような動物と人間の関係についてのすぐれた洞察は、従来の近代人の発想や人間至上主義の考えからは導き出されることはなかった。なぜならば人間が人間らしくなるのは、あくまで人間の力や所作によるのであって、それをペット動物(伴侶動物)が人間に人間性を与えるなどという発想は、人間の理性や悟性に最大の価値を置く人間中心主義からは生まれるはずもないからである。

 しかし、いま多くのペットを愛する人々は、動物が大きな精神的支えになることや、彼らが教えてくれることのいかに大きいかを体験から知るようになっている。そして、その動物たちとの別れは、私たちに命の大切さや生きる意味についても身をもって教えてくれることに気づきはじめている。動物専門者やこの分野の研究者らは、そのような飼い主さんたちの姿を後ろから追いかけているところがある。

 この混沌とした時代にあって、いま私たちがしなければならないのは、人間と動物との新たな関係を捉え直しながら、私たち自身やこの社会システムの枠組みを再構築していくことではないかと思う。そのような折、私たちは何を信じ、何を頼りとして生きればよいかの指針を動物たちは私たちに黙って示しているように思えるのである。

※この文は、「天国にいるペットへの手紙 第2集」(アスペクト・1999年刊)の監修者あとがきに若干の加筆修正を加えたものである。本書はすでに絶版となっているが、筆者の主張は今も変わっていない。変わらないどころか昨今の世相を見るにつけて、さらにその感を深くしている。よって出版社の許可を得て掲載した。

 

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■ペットの死を弔(とむら)う専門者が必要

 
 昨今、マスコミ等で動物の葬儀にかかわる話題の取り上げられる機会が増えてきた。その背景には、ペットのお弔(とむら)いや、ご供養にたくさんの人々の関心が集ってきたことが原因としてあげられるだろう。しばらく前、ペットの遺体を火葬せずに山に捨てていた不心得者の葬祭業者がいたが、問題のあるペット葬儀屋として取りざたされる多くは、火葬上のトラブルか、当初と異なる料金の請求か、喪主への配慮が欠けている点である。

 ペットを失ったばかりの悲嘆者のなかには、これから何をすればよいのかもわからなくなるほど憔悴し、傷ついている人がいる。その弱みにつけ入れば、さまざまな悪行も可能となるだろう。では、そのような誘惑を廃し、ペット葬儀者として高い職業倫理を保ち続けるためには、どのようなことが必要なのだろうか。

 そもそも動物葬祭業は、「もやし」と「うめ」をきちんと行い、クリーンな料金体系を設定すればそれで済むことなのだろうか。いや、それだけではあるまい。なぜならば、火葬とは遺体をただ燃やすだけの作業ではないし、埋葬とは骨や遺体を土に埋めるだけの行為ではないからだ。仮に遺体をていねいに扱ったとしても、「もやし」「うめ」を行って、費用を徴収するだけならば、市の清掃局や土木作業員の仕事とさほど変わらない。

 ペット葬儀者、すなわち動物葬祭ディレクターの本来の仕事とは、動物の魂を天にお返しすること、すなわち仏教でいうところの安楽浄土への旅立ちを見送ることと、遺族となる飼い主の立ち直りに向けての悲嘆ケアを行うことである。それは火葬・埋葬や供養祭などの葬礼を通じて動物の鎮魂慰霊(ちんこん・いれい)(動物の霊魂をしずめ、なぐさめること)を司る者であり、動物の魂をあの世に送りとどける弔いの専門者でもある。こういった導き手は、お坊さんや神主さんなどの宗教家でなければしてはならない、ということはないはずである。

 また、お墓や納骨堂の守り人であり番人である墓守をしながら遺される飼い主の精神的支援者としてはたらく者でもある。つまり、この業務に携わる者とは、死と再生を繰り返すこの世とあの世の循環のなかで、動物と人間の紐帯(ちゅうたい)すなわち、断ちきることのできない大切な結びつきや深いきずなの形成と確認を手伝う精神的、霊的先導者に他ならない。こういった認識と自覚なくしてペット葬祭業者や動物葬祭ディレクターとしてはたらく誇りや、職業的使命感も育たないのではないか。

 ペットを亡くした飼い主がその傷心から立ち直っていくには、ペット葬儀者の力が不可欠だ。今後、動物の葬祭業は、重要な社会資源の一つとして、さらに必要性を増すと思われる。したがって、この仕事に携わる現任者や新たにこの領域を志す人々が、この重く貴いミッションを成し遂げるためには、より高度な専門技能の修得とともにペットロスのグリーフ(悲嘆)ケアの知識が不可欠である。

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■ネズミへの愛着

 
 今から半世紀以上も前になる1956(昭和31)年4月29日の朝日新聞に一つのエッセーが掲載された。以下、その全文を紹介しよう。

ネズミへの愛着「カンガルー式飼育法」の思い出 吉田俊秀

 このエッセーは、私の父が36歳のとき書いたものである。父はその後も学究生活を送り、職場を定年退職してからも三島の自宅のガレージを改良してネズミを飼っては繁殖したり、野生ネズミの遺伝進化の研究をつづけていた。エサやりは母も手伝っていた。この作業は、父が66歳で亡くなるまでつづけられた。この一文が書かれたとき、私は3 歳だったことになる。

 父が他界してから今年ですでに27年がたつ。母も4年前に亡くなった。このエッセー は実家の母の遺品を整理しているとき、偶然見つけた。母はこの記事の切り抜きを大切にとっていた。冬の札幌でネズミを抱いて暖めたという話は父から当時は食べるものがなくて栄養失調だったということとあわせて聞いたことがあった。しかし、詳しいことはこのエッセーを読むまでよく知らなかった。

 今日、D系マウスは、実験動物として医学や獣医学の研究や新薬の開発に盛んに用いられている。人間やペットの病気や障害の克服に向けて多くのネズミたちが尊い犠牲になってくれている。父は自らがカンガルーの母親のようになってふところで育てたネズミの子孫たちが科学の発展に寄与していることを、また見てきた。

 このエッセーでは、はじめにネズミに無限の愛着を感ずると述べ、最後に再び同じ言葉を繰り返して終わっている。父にとってネズミはアルファにしてオメガであり、エンドレスの愛着対象のようだった。実験動物はペットではないが、このような形での動物愛もあるかと思う。

 父は生涯ネズミを生かすことに執心したが、実際はネズミによって生かされていたように思う。エッセーには大学の卒業と同時に中部第四部隊に入隊することになっていたとあるが、終戦までにまだ一年五カ月ある。この部隊がその後、北へ向かったのか南へ向かったのか、それからのことはわからない。

 ネズミのことがなければ、父は戦争に駆りだされて死んでいたかもしれない。父の世代の男たちは、あの愚かな戦争のためにもっとも多く命を落としている。父がいなければ、母と出会うこともなかったのだから、私もいなかったことになる。

 生前、父は自分の戒名を作っていた。「忠忠院苦労母想夢(チュウチュウイン クロモソーム)」という。クロモソームとは、「染色体」のことであり、苦労した母を想うということらしかった。寺の生まれだった父には、そんな遊び心もあった。

 しかし、この戒名は、実際に使われることはなかった。小浜の寺を継いだ父の兄が本物の立派な戒名をさずけてくれた。だが、自作の戒名の方が父にはふさわしい気がする。父にも母にももう一度会いたいと想う。会いたいと想うが、それはあの世に往くまで「待て、おあずけ」と自分に言い聞かせている。 かつて、こんな人間がいたということを知っていただければ幸いです。

(付記)
 この父は、かつてタヌキに化かされたことがあった。一匹のタヌキにだまされたという話を父から聞いて以来、私もタヌキはやはり人を化かす動物なのだと思うようになった。父はその体験談をエッセーに書いている。昔話じゃあるまいし、そんなバカなと思う方は、 こちら もお読みください(掲載にあたっては、出版社の許可済み)。

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■擬制的親子関係としての飼い主とペット

 
 ペット仲間はお互いを「○○ちゃんのママ」と呼び合うことが多い。飼い主どうしは、そのことをおかしいこととは考えないし、自らも「私はママよ」と思っている。ペットを愛する人にとってペットは子どもであり、飼い主は親である。しかし、親子といってもペットは人間ではないし、飼い主とはむろん血縁がない。

 血のつながりはないが、親子の間柄になろうとする行為は、擬制制度といわれ、昔から広く存在している。養父母と養子、職人の徒弟制度における親方と子方、任侠世界の親分と子分の関係などがそれである。

 捨て犬・捨て猫の保護活動でも、新たに飼い主を見つけることをペットの里親探しといっているが、これは明らかに養子や養女の縁組制度にならっている。飼い主となる人を里親と呼んでいるのだから、もらわれていくペットは里子である。

 ペットを厳しくしつけたり、トレーニングを徹底的におこなって従順なペットに仕立てあげることに熱心な飼い主であれば、父性的で親方気質の強い人といえるかもしれない。また、多頭飼いをしている飼い主であれば、たくさんの子分たちに囲まれた親分として暮らすことを望んでいるのかもしれない。

 しかし、血縁もなく異種間だというのに、それらを超えて親子のように深く結びつこうとする人間と動物をどう考えればよいのだろう。両者にはいったいどんな縁、すなわち関係性があるというのだ。

 強いて縁があると言えば、そこで出会ったという地縁はありそうだ。ブリーダーさんが同市にいたので見に行ってその子と巡り会ったとか、子猫がたまたま迷いこんできたので飼い始めたなど、出会いが同じ地域で起こったという縁である。そういえば、最近は野良猫を地域猫といっている、コニュニティ・キャットのことだ(これを私なら地縁猫と呼びたい)。

 しかし、多くの飼い主さんは、ペットとの出会いをもっと深い運命的なものと捉えている。運命的な出会い・・・運命的な出会い・・・では運命的な出会いとは何か。そういう時、わたしたちはまっさきに前世からの縁、宿縁を思う。この子とは前世のどこかでともに暮らしたのだから、今世でも出会って暮らすのだと考える。深い宿縁によって結ばれた仲なのだから、いま会うべくして会ったのだと思う。

 それだけだろうか。いや、もうひとつ大切な想いがある。それはあの子は、神様が私のためにさずけてくれた大切な贈り物なのだという想いである。彼らは、天の配慮によって私のところに来てくれた天使のような、菩薩のような存在だと信じていることである。

 そこでは、ペットはペットでなくなり、神聖味をおびた聖なる動物、すなわち聖獣であり、スピリチュアル・アニマルになっていく。そうなれば両者の関係は、他人が入り込めないほど純度の高い魂と魂の結びつきとなろう。これは純愛である。そうなったとき、人間と動物の姿の違いや血縁の有無などといったことは、もはやどうでもよくなっていくだろう。

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■擬人化されるペット

 
 擬人化とは、人間でないものを人間のようにみる見方をいう。人間化ともいい、動植物や自然現象など人間以外のものごとが、人間と同じ性質を持っていると見たり、またそのように扱うことをいう。ペット動物の擬人化に関して言えば、飼い主と同じような感情や能力をペットが持っていると認めることであり、そのために人と同様の待遇や地位をペットに与える態度である。

 擬人化は、対象や外界を捉えるための認識方法のひとつであって、よくわからない相手を自分と似た存在として理解することにより、不可解だった対象を了解可能な存在にするのを助けている。飼い主とペットの関係でいえば、ペットに人間的な属性を与えて彼らの行動を解釈することによって相手がわかったような気になるのである。それは飼い主からみれば両者の距離がグンと縮まってペットがより身近な存在に感じられるし、親しみさえ湧いてくるのだ。

 この基礎には、感情移入sympathyのメカニズムがはたらいていると考えられている。すなわち、ペットを前にして飼い主はさまざまな感情を持つが、それらをペットに向かって投げかける(投影)ことによって、飼い主ではなくペットが抱く感情として認知するのである。

 例えば、「ペットがすねている」とか「うちの子は甘えん坊の子」と飼い主はいうが、「すねる」とは、「心がねじけて我意を張る。不満で従わない」(三省堂新小辞林)ことであり、「すなおに従わないで不平らしい態度をする。ふくれる」(角川国語辞典)ことである。

 しかし、犬や猫は面白くないからといって心がねじけて我意を張ったり、不平や不満のためにすなおさを忘れてふくれることがあるだろうか。このような表現をするときにはすでに飼い主の感情移入によってペットは人間的に修飾されているのである。

 また、「甘え」は土居健郎によれば、人間の母子関係における依存と自立をめぐって発動されるもので、人間存在に本来つきものの「分離の事実を否定し、分離の事実を止揚(しよう)すること」と定義し、人間の本来的な心理であると考えている。

 さらに、土居によれば甘えは普遍的な人間心理というより日本人の心性に根ざした特異な心理であるという。ペットを甘やかす、ペットが甘噛みするといったペットを擬人化した表現の他に、ペットに甘えるという飼い主の表明は日本人特有であり、そこにはわが国固有の飼い主・ペット関係が展開しているとみなければならない。

 動物の習性や行動を学んだことのある人ならば、教師から動物の行動を擬人化して憶測してはいけないと厳しくいわれたことがあるだろう。動物の心理や行動を自分中心に解釈したり、人間のレベルまで引き上げて理解することは客観性を求められる観察者としてあってはならないというわけだ。

 この例として有名なのが、初めて宇宙旅行をして帰ってきたチンパンジーの話だ。彼は宇宙から無事生還したとき歯をむき出した表情をしていたため、報道人らは、このチンパン君は宇宙旅行を満喫して楽しんできたと説明した。しかし、チンパンジーにとって、ニッと笑っているように見えるこの表情(泣きっ面)は実は、恐怖の表現であった。擬人化した解釈が事実とは真逆だった例である。

 飼い犬に関してこんなこともある。愛犬を飼い主の胸のあたりのポシェットに入れて持ち歩くことが流行っているが、犬たちはブラブラした不安定な環境や高所は本来的に好まない。犬は人間や猫などのように進化の過程で樹上生活を体験してこなかったため地に足がつかない場所や高いところは不得手だ。それを子犬のころからしつづけていれば、ストレスによって情緒不安定な性格ができあがってしまうだろう。

 人間の母親が赤ん坊を両腕で抱きあげてあやしたり、抱っこひもで胸に固定して移動するのは自然な姿であって、これは人間の養育行動(授乳は通常この姿勢で行われる)や愛情の表現でもある。しかし、犬は自分の子どもにこのような養育行動は取らない。

 われわれは、知らず知らずに人間や霊長類としての養育行動や愛情表現をとっており、それをペットたちにすることに何の疑いも持たなくなっているし、そうすることが彼らの幸福だと信じている。

 だから、ペットを愛する人にとっては、ペットと同じ家に住み、同じ服を着て、同じものを食べ、人間と同じ治療を施し、ついには同じお墓に入りた いと望むことに何の違和感もないのだ。ウイズ ペットと、ペットを人間並みに扱うことは、ペット愛好家にとってごく普通のことである。

 そう考えると、ペットと暮らす喜びとは、ペットを擬人化して楽しむことではないかと思えてくる。その証拠に、ペットショップに行けばペットを人間化するグッズがところ狭しとならんでいるではないですか。そんなことから、ペット産業とはペットの擬人化産業に他ならないと思ったりする。ペットの医療も人間並みを目ざして高度化が進んでいる点からいって擬人化産業の一種とも思えるのだ。だが、ペットの擬人化のしすぎが、ペットロスを重くする一因になっていることは、付記しておかねばならない。

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■ひとりプラスワン家族と母犬家庭

 
 シングルの人を、ひとり家族と称したりする。その人が、ペットと暮らすことによってペットがかけがえのない家族の一員となるだけではなく、ペットを養うことが生きる目的になっていくことも少なくない。この人たちにとってペットは、愛する子どもであり、支えてくれる親のようでもあり、苦楽をともにする朋友の三者を兼ね備えたような存在であり、さらに言えばペットが飼い主の自我を補強することで自らの一部分にもなっている。

 このようにひとり暮らしの人が一頭の犬などのペットとともに過ごす家族形態を私は、「ひとりプラスワン家族」と呼んでいる(ワンというところに注意してほしい!)。今後、一人住まいに犬一頭または、猫一頭というような家族が増えていくのだろう。

 かつて、「私の家は、母犬(ぼけん)家庭です」といったクライエントさんがいた。お話を詳しくうかがうと、その方にはご主人がいるのだが単身赴任で遠くにおり、たまにしか帰宅しないという。子どもはふたりの合意で作らなかった。犬を一頭飼っており、その子とふたりだけでいつも暮らしていたという。だから、母犬(ぼけん)家庭なんですと。

 この方は、もちろん母子家庭をモディファイしてそう述べたのだが、子どもの所に犬がきているのが、いい得ていると思った。この人にとっては、やはり犬はわが子なのだ。そして、来る日も来る日もふたりは肩を寄せ合うようにして棲(す)んでいた。

 この人が、わが子である愛犬を亡くした。いつもふたりだけで親密な時を過ごしていた愛児が、ある日を境に母親の目の前から姿を消してしまった。そのため、これからどうやって暮らしてゆけばよいのか、何もわからなくなった・・・。母ひとり子ひとりの家庭の子どもが親よりも先に死んでしまう。ひとり遺(のこ)される母親の嘆きと哀しみが、この人のペットロス体験だ。

 ひとりプラスワン家族も母犬家庭も、実態は同じようなもの。そして、両者はともにペットロスを重くする要因を幾つもはらんでいる。

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■どの国の人々よりもペットの死を恐れる日本人


 米国人の宗教学者カール・ベッカー氏は、世界のなかで日本人がもっとも死を恐れていると述べている。私はこの言葉を見つけたとき、胸に響くものがあった。その理由は、日本人はどの国の人々よりもペット(家庭動物)の死を恐れているのではないかと思っていたからだ。

 今日、わが国は小家族化やシングル化の問題をかかえながら未曾有の超高齢化社会が進行している。そんななかで、ペットと暮らすことによってペットが大切な家族となり、心の拠り所となるにつれてペットの死を恐れ、忌避しようとする傾向がますます強まっているように思う。このことは、世界のなかで日本人のペットロスがもっとも危ないと言い換えることができるのではないか。

 ペットロスへの対応策として欧米では、飼い主支援をおこなう動物病院カウンセラー(VC)や、動物病院ソーシャルワーカー(VSW)や、ペットロスカウンセラーが徐々に増えてきている。

 しかし、わが国におけるペットロス・ケアを中心とした飼い主への支援体制は、動物関係者、精神保健専門者、ボランティア活動家ともに未だ不十分と言わざるを得ない。このことが、日本人のペットロスがもっとも危ないと危惧す る第二の理由だ。今後の手厚い対策が望まれる。

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■依存と強迫的ペット飼育


 依存という言葉は、あまり良い意味では使われない。「あなたは、ペットに依存して生きている」といわれて喜ぶ人は少ないだろう。英語では依存は、ディペンデンスdependence だが、これには「従属」とか「隷属」とか「他人にたよって生活する人」というような意味もある。いずれもネガティブな響きをもった言葉だ。

 ここでは、ペット依存について考えてみたいのだが、その前にそもそも依存とは何かについて触れておかねばならない。アメリカ精神分析学会では、依存を「充足や適応を目的として他者に頼ろうとする傾向のこと」(アメリカ精神分析学会 精神分析事典、新曜社、1995.)と定義している。

 私たちは常にさまざまな欲求をもって生きており、それらを満たすことによって自らをうまく環境に合わせていこうとしている。その力になってくれそうな人がいたり物があれば、それに頼っていくことが依存であるという。

 この定義の「他者」のところを「ペット」に置き換えれば、ペット依存の定義として通用するだろう。すなわち、「充足や適応を目的としてペットに頼ろうとする傾向」である。しかし、充足や適応を目的にペットに頼るとは、そもそもどういうことなのだろう。

 一般的にはペットに依存している人といえば、「私はあの子がいないとダメ」とか「ペットがいないと夜も昼も暮れない」などと言う飼い主を連想するだろう。また、この子さえいれば他には何もいらないと心の底から思ってペットと暮らすことに最大の価値を見いだし、他のことに関心を示さなくなっているような人をイメージするかもしれない。このような面が顕著であれば、ペットに依存しているとみてよいだろう。

 事実、世界保健機関(WHO)は依存症(依存症候群)を「ある物質あるいはある種の物質使用が、その人にとって以前にはより大きな価値をもっていた他の行動より、はるかに優先するようになる一群の生理的、行動的、認知的現象」(ICD-10)と説明している。

 この場合、「ある物質あるいはある種の物質使用」の部分を、「ペット(といること)」に直して「ペット(といること)が、その人にとって以前にはより大きな価値をもっていた他の行動より、はるかに優先するようになる一群の生理的、行動的、認知的現象」とすれば、ペット依存症(ペット依存症候群あるいは、ペット嗜癖(しへき))の定義にもなるだろう。 つまり、それまで楽しいとか、大切だと感じていたものごとよりも、ペットの方が格段に優先されるようになった場合ということである。

 また、そのとき依存症だといえるには、それらの行動が常に強迫的になされている場合をいう。ここでいう強迫とは、ペット依存症に関して言えば、ペットから受けるさまざまな精神効果を得たいという欲求が非常に強く、それを止めようにも止められなくなっていたり、ペットがかたわらにいないことによって生ずる不快感や違和感を避けるためにペットを常に近くに置こうとする切迫した思考や行動をいう。

 このような強迫的ペット飼育に陥っている飼い主の大半は、ペットと暮らすことに無上の喜びと満足を見いだしているが、その一方でペットが老いることや病むこと、そして遂には死んでしまうことへの強い拒絶感と恐れを抱きつづけている。ペットを頼みとする飼い主の心理を阻(はば)み、ひいては充足や適応への試みを妨げる最大の元凶は、ペットの老病死だ。だから、ペットの保健医療やフードをはじめとするペット産業の多くは、人事を尽くしてペットの天命に抗(あらが)う産業だといってもよいかもしれない。

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■後悔と懲罰(ちょうばつ)


 ロンドン・オリンピックが閉幕した。連日、日本人選手の活躍がマスコミを通じて報じられていた。そのなかで、惜しくもメダルをのがしたり、金メダルに手がとどかず銀や銅メダルとなった人のテレビインタビューを見ていて、「うーん、これはペットロスの体験者と同じではないか」と思った。

 彼・彼女らは持てる力を振りしぼってがんばったと思うのだが、みな一様に目に涙をにじませながら悔(くや)しさと、申しわけなさを表明していた。 試合が思ったように運ばずライバルに負けを期してしまったのは、さぞ無念であろう。また、メダルを信じて長年応援してくれた家族や周囲の人々の期待に答えられなかったことを思えば本当にすまないという気持ちも沸き起こるだろう。

 ひどく悔しがるのは負けず嫌いの性格の持ち主といえる。もっとも、オリンピックという世界最大のスポーツの祭典に、国内でのし烈な競争を勝ち抜いて出てくるぐらいだから負けず嫌いも相当のものに違いない。 悔しさが強いということは、また悔(く)やむ気持ちが強いということだ。 この悔しさがいつまでも残ったとしたならば、後悔の念もひとしおだろう。

 ペットを喪(うしな)ったほとんどの人も程度の違いはあれ、悔しさや後悔を口にする。流す涙は、愛する子を亡くした悲しみだけではなく、多分に悔し涙も含まれている。

 ペットロスとは、飼い主としてあの子の命を助けられなかったという悔恨(かいこん)の念と、申しわけなさ(罪悪感)を思いきり味わわされる体験といっていい。この悔やみは、あの子が死んでしまった原因が結局は自分にあると考えて自分を責める心理であり、許せない自分を罰する姿でもある。あの子は私のせいで苦しんで死んでしまったのだから、その責めを当然のこととして負わなければならないと考える。

 また、そうやすやすと立ち直って元気になどなってはいけない。おまえは一生苦しまなければいけないと思ってしまうこともある。これらも自分に与える懲罰(ちょうばつ)−こらしめ罰すること−である。また、この時よく起こるのが、拒食を背景とした食欲不振だ。あの子は苦しんで何も食べられなかったのだからおまえも食べてはいけない、あの子のつらさを分かち合いたい等と考えて食べられなくなっていくのである。

 また、懲罰意識が極端になり自虐的になる人もいる。この例として以前、カウンセリングをしたあるご婦人のケースをあげよう。彼女は愛犬を亡くしたが、ペットの命をあずけた動物病院の処置に非常に憤慨しており、その病院とその獣医師を選んだ自分をひどく責めていた。そんな自分をどうしても許すことができず、台所に立って包丁を手にしたある日、自らの指の一本を切り落としてしまった。その後、切り落とした指先をくっつき合わせて病院へ行き接合してもらったという。

 ここまでの自傷行為は極めてまれだが、これは怒りや敵意を内向化させて自らを罰した結果といえよう。この方は、強い情緒的ストレスや苦悩に耐えられないために極端ともいえる行動をとってしまった。

 私たちが失敗したり挫折感を味わったときの感じ方や反応は、対象が異なっていてもどこか共通する部分があるようだ。ペットロスをペットを愛する人たちの特殊で風がわりなエピソードとみることは簡単だ。だが、人生における喪失体験や挫折体験のひとつとして捉え直した時、そこには普遍的な広がりをもって私たちに問いかけてくる重要なテーマがあるように思う。

 オリンピックに続いてパラリンピックが始まる。参加選手の中には、かつて障がいをこうむった時、大きな喪失感や絶望感を味わった人もいるに違いない。そういったことを乗り越えてアスリートとして邁進していることを思うと、この選手たちの姿にどこか神々しさを感じるのは私だけだろうか。

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