「ほんとうのアフガニスタン」 中村哲 (光文社) \1200
◎ 中村哲という人
中村哲の話は聞かなくちゃいけないと思っていた。アフガニスタン問題が盛んに報道されていた頃、たまたまTVで彼を見た。18年間ハンセン病(らい病)の治療とアフガニスタン難民の診療に心身を捧げているクリスチャンの医師と聞いて、勝手に作り上げていたイメージ(偏見・・反省)とはだいぶ異なる彼の様子に興味を持った。
中村哲は地方の武士団の大将のような感じだ。気骨があり、心意気というものを感じさせる。PSM診療所が銃撃を受け2名の死者が出たとき、彼は職員に反撃を禁じた。「このままではわれわれが殺されてしまう。」という職員達に向かって「命は惜しいが、惜しがってばかりでも何もできない。」と答えたという。この覚悟があってこそ、この地で18年間も人々の先頭に立ってやってこれたのだろう。彼の言葉には、自分の決定が人の命を左右する立場に立ってきた人の厳しさがこもっている。同時に彼は状況を冷静に分析する力も持っている。この人の話を聞けば、ほんとうのアフガニスタンに近づくことができると直感した。
この本は中村哲が米国同時多発テロ事件の後帰国し、行った講演会の記録である。この講演会には私も行きたかったが、都合が付かなかった(>_<)。講演会場での質疑応答も後に載っているが、これがなかなか面白くお役立ち。また、はじめには井上ひさしの講演、「世界の真実と中村哲のこと」(山形県立置賜農業高校百周年記念講演)も掲載されており、氏の中村哲への敬愛がひしひしと伝わってくる。
◎ 「人間の事実」という言葉
「真実」という道徳臭のする言葉でないところがいい。中村氏の依って立つところはあくまで人間の「事実」。それは”爆撃やら先頭やら何があっても日々の暮らしをやっていかなければならない。生きていく権利を優先しなければならない。”ということだ。従って協力者達に、政治的なもの、倫理的なもの、大きなものを要求しない。これが彼の人を裁かないという態度につながるし、多様な人々の集まりであるPMSを維持して来られた理由だと思う。
またそれは現地の人々をありのままに認めることへもつながるだろう。アフガンの人々の惨状だけでなくその生きるたくましさ(ある意味ではずるさ)をも彼は見逃さない。元ゲリラの村民が井戸掘りに地雷や不発弾の火薬を上手に使うこと。人々がいろいろな旗を用意しておいて、タリバンが来ればタリバンの旗を、北部同盟が来れば北部同盟の旗を振ること。また「隠れ学校」もちゃんとあって、そこでは女性も学んでいたし、TVだって闇で売られていたということ。こういう話を聞くと人々の等身大の姿が見えてきて、近所のオバチャン・オッチャンのように思われる。悲惨な生活を送っているはずの人々が明るく感じられ、やはり生活するというのはこういうものかもしれないと思うから不思議だ。
また「人間の事実」という観点からの外国のNGOや国連のやり方への批判は、ボランティアや海外援助を行うときの心構えを教えられる。彼らは金になることに次々と乗り換える。彼らのいう識字教育や女性解放という取り組みは現地が喜ぶのではなく支援者が喜ぶ支援である。中村氏は「英語を話せないような人々の話をよく聞き、彼らが望むことを実現する」為に尽力する。そのため例えば大規模な干ばつ対策として井戸掘りを推進することになる。(
「医者井戸を掘る」)そのやり方も、現地で伝統的になされてきた方法を尊重し成果をあげた。外国NGOなどは幹線道路沿いの目立つところを選んでPRの為に井戸を掘る。それが人々の生活に殆ど役に立たなくてもだ。この本は「アフガニスタンを知る」ことを通じて、あるべき支援とは何かを考えさせる。
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「ベント」(イギリス映画)  2001/8/13
 ナチスの強制収容所の話だが、「シンドラーのリスト」なんかぶっとぶシビアさだと思う。(まあ、あれはアメリカの娯楽大作という側面もあるから救いと甘さがあるのも当然でしょう。)この「ベント」で描かれたナチの冷酷さと人間の精神に与えるダメージの描き方は、比べものにならないと思う。同じようにどうしようもなく辛い映画として「ソフィーの選択」もありますが、あの世界は全体にダークな感じ。こちらは白い。だから精神が裸になったような感じがする。それが何とも言えません。
 私は知らなかったけど、ナチはユダヤ人と政治犯以外にホモセクシュアルも弾圧したそうだ。ユダヤ人は黄色い星、政治犯は三角、ホモセクシュアルはピンクの三角のマークをつけさせられた。アウシュビッツに送られたホモセクシュアルの話。
 印象的だったことの第一は、収容所へ移送される列車の中の出来事。マックス(主人公)の恋人の男の子が、めがねをかけてるという理由でナチの将校に目を付けられ、殴り殺される。その時に同じ囚人の一人が言う。「しょうがないよな。めがねだもんな」。理由にもならない理由で人が殺される、その不条理な冷酷さ。それが「めがね」っていう言葉で妙にリアリティを持って迫ってくる。「シンドラーのリスト」にも訳もなく人を撃ち殺す将校が出てきたが、あちらはその将校の個人的な異常さってのが割と目立ってた様に思う。しかも後に彼は処刑される。でもこちらは、めがねっていう平凡な言葉のおかげで、あり得る事だと思えて、しかも恐ろしくなる。その場面で、汽車のレールと敷き詰められた砂利に映った車軸や車輪の影が凄いスピードで流れて行く映像があるのだが、またそれが何とも言えない恐怖感をよく伝えている。この手の映画は思想が先行して頭でっかちになり映像はいまいちって事が多いが、この映画はなかなかのものだと思う。殴られる恋人を見殺しにするマックスの演技も良かった。精神が崩壊する寸前で踏みとどまっている人の様子がありありと伝わってきた。
 二つ目は、収容所での作業の場面。石を運んで積んではそれをまた別の場所に移す、そして同じ意味のないことを繰り返すと言う作業をマックスは命じられる。その作業場の映像がすごくインプレッシブ。露天掘りの採石場なんだろうけど、コンクリートよりももっと白い、広い穴の底。その、無機的な白さが、凄いのを通り越して悲しい感じがする。 最後に、ホルスト(マックスを愛する同じ収容所のホモセクシュアル)がいう言葉もなかなかでした。「君を愛しているのは僕の勝手だ。君には関係がないからほっといて。」うーん、これが本当の愛なのかなって思ってしまった。相手に何も求めない。彼も殺されるんだけど、彼が死んでから初めてマックスは自分の中の彼への愛を認める。彼の死体を抱きしめる。ホルストはマックスの言葉を聞くこともないまま死ぬのだけれど、それが辛いとも悲しいとも何とも言わない。ただ「勝手に」愛して、死んでしまう。凄いと思った。
 興行成績抜群の、ハリウッドスタイルのジェットコースタームービーも好きですけど、こういうハードなのも好きです。
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ダッハウの強制収容所」追悼記念資料館
 ミュンヘンのマリエンプラッツ駅から、Sバーンで行った。Sバーンは都市部は地下鉄だが、郊外では地上を走る。線路の両脇は鬱蒼と茂る巨木で覆われており、木の葉の色が日本よりも濃い。所々、開けたところには民家が数軒かたまっている。民家はいわゆるドイツ風というのだろうか、渋い目のオレンジ色の屋根には必ず2〜3つ、煙突がある。そして窓辺を彩る花々。素朴で、ちょっと冬の厳しさを思わせる郊外の景色の中を20分ほど行くとダッハウ駅だ。
 電車がダッハウに近づくに従って、ドキドキが大きくなっていく。多くのユダヤ人や「ベント」のマックスのような人達が、こうやって鉄道で収容所へ送り込まれたんだと思うと、平静ではいられない。
 ダッハウは郊外の小さな駅だ。駅前もちょっとしたレストランが2〜3軒と服屋や雑貨屋が何軒かあるぐらい。そこから収容所跡までは更にバスで20分ぐらいかかる。バスは観光客でいっぱいだ。殆どが白人で、日本人は一人もいない。確かにアウシュビッツほど有名ではないし、多分観光コースにも入っていないと思うので仕方がないのだろうけど、ちょっとさびしい。
 収容所跡は管理棟が展示室として残っている。展示室には収容者の衣服(あの、縞の囚人服)、様々な写真や資料などが展示されている。ダッハウの収容所は主に人体実験が行われたそうだ。「夜と霧」の著者,V、フランクルも、最初はここに収容され後にアウシュビッツに移されたそうだ。実験に協力すれば助けてもらえると信じて、低温実験や、減圧実験の被験者となり亡くなった人たち。中でも実験の写真はショックだった。実験開始前の被験者が笑顔でちょっと手を挙げた写真と実験中の意識がもうろうとして殆ど死ぬ直前のような写真が並べられている。二枚の写真の中の彼の「瞳」の変わり様!一人の人間がわずかの時間の間にこうやって命を失っていく。その静かな過程を写した写真は胸を締め付ける。涙が出てきた。
 展示室で高校生達が教師らしい人の引率されて説明を受けているのに会った。生徒を捕まえてこっそり聞いてみると、ドイツの高校生だという。
 バラックが2棟を残してすっかり取り壊されたあとはとにかくだだっぴろい。その真ん中をポプラ並木の広い道がまっすぐに通っている。この道も収容者によって造られたそうだ。彼らが植えたときにはこのポプラの木はどれぐらいの大きさだったのだろう?その先には「礼拝堂」「追悼碑」などがある。真夏の日ざしの中で白く見える道。先ほど展示室で見かけた高校生達が、花輪を持った生徒を先頭に礼拝堂に向かって歩いていった。
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倫敦アルバム 04/8/17
敦煌・西安アルバム 02/8/13
「ほんとうのアフガニスタン」02/5/20

ダッハウの強制収容所 01/8/13

「ベント」 01/8/13

〜六花草子〜