インターネットをつかって、大井沢の事典をつくることを提案します。
とりあえず、タイトルは「おおいさわ大事典」
大井沢が好きなひとたちがあつまって、じぶんたちでつくる、
大井沢事典編さんプロジェクトです。
いろんな書きこみや、アイデア・写真などの提供をおねがいします。
動画・音声なども、ぜひ、くわえていきたいですね。
●作成
2003. 6. 1
●更新
2004.11. 9
転載・引用・リンクはご自由に。
【あ】 【い】 【う】 【え】 【お】 【か】 【き】 【く】 【け】 【こ】
【さ】 【し】 【す】 【せ】 【そ】 【た】 【ち】 【つ】 【て】 【と】
【な】 【に】 【ぬ】 【ね】 【の】 【は】 【ひ】 【ふ】 【へ】 【ほ】
【ま】 【み】 【む】 【め】 【も】 【や】 【ゐ】 【ゆ】 【ゑ】 【よ】
【ら】 【り】 【る】 【れ】 【ろ】 【わ】 【を】 【ん】
【あ】
ああるらいず【R・ライズ】横瀧欣爾さん・節子さんがやってるペンション。ホームぺージは http://www.asahi-net.or.jp/~ej7k-yktk/ 大井沢地域だけど、住所は月岡(Rin・み)
アイコ 山菜。ミヤマイラクサ。葉にふれると虫さされのようにイライラといたい。おひたしやいためものにするとおいしい。(み)
アオ あおじし。かもしかのこと。天狗おんどに出て来る。最近は、カモシカが人間をカンサツ。(英)
あおきとうまはかせのせきひ【青木當摩博士の石碑】七軒東小学校の校庭に、青木當摩博士に対する顕彰碑が、寂しくポッンと建っているそうです。昔亡き母に聞いた話です。この石碑は、時の総理大臣田中義一男爵の筆による、青木當摩博士に対しての顕彰碑だそうです。私も話だけで確認していません。何時か暇を見つけて、帰省の折小学校にお邪魔し、確認したいと思います。因みに當摩博士は私の叔父に当たります。墓は柳川に有り、青木一族の墓・奥戸城(大宝院)の端に有りました。其れに、カタクリの花が大変綺麗でした。青木當摩博士は、千葉大を卒業し、大正・昭和の戦前に、東京で医学博士として、活躍した人物と聞き及んでおります。詳しい事は、亡き母が叔父の所で看護婦をしていた為に、良く覚えており、私は部分的しか知りません。亡き母の話では、代々神主や先達をしており、学問に精通していたようです。亡き母も幼き頃、叔父さんに漢詩など手解きを授けたそうです。(熊野神社代理人)
あおのうまや【あおの馬屋】かもしかのねぐら。
アオダイショウ 蛇。ツバメの巣をねらうのは、ほとんどが青大将。気温の高い日は要注意。ヘビが動きやすい。(英)
アオミズ 山菜。ヤマトキホコリ。おひたし、浅漬。(み)
あおやぎくまのじんじゃのゆらい【青柳熊野神社の由来】古老の話では、祭神として「伊弉諾尊・伊弉冊尊」脇立「正一位稲荷大明神」を祭り、創立は、村上天皇天徳二戊午年(958年)9月19日で、61代朱雀天皇承平年中(931-937年)当村に優婆塞宝泉と言う者がいた。紀伊国御熊野権現を崇拝し、遠路を難とせず、食料を担ぎ参詣する事21回、ついに年老い血気衰え復詣できなく、病になるが17日掛けて帰路の途中、権現様が夢の中に現れ「汝は誠の精進成りし者」其の時目が覚め、夢の事を思い起こし、涙が止めどもなく溢れ出た。長い旅路から戻り、朝夕勧行を怠らず、権現様を拝しておりました。或る時、空から権現様の声があり、「栖の沢や大里の辺に行きなさい、其処には必ず示現がある」と告げられ、大里の辺に行くと山の岩場に紀伊御熊野権現の宝印の御札が貼り付けられていた。熊野大権現の啓示とし此処を熊野山と号し、堂宇を建て守り続けた。62代村上天皇の天徳二戊午年(958年)当国守護修理太夫が祈願し、有名な宮工人を招き、宮宇を修造した。又天正年中(1573-91年)出羽守最上義光より、慶安二年(1549年)寄進ある、以後徳川時代には、御朱印地として、大宝院・定宝院に20石3斗が与えられた。しかし明治に入り、神仏混合が禁じられ、熊野神社とし、朱印地は国に召し上げられた。(熊野神社代理人)
あかこごみ【赤こごみ】山菜。あぶらこごみ。ゆでて干してからもどしてたべると一段とうまい。(み)
(撮影:広)
アカショウビン 鳥。雨が降りそうな日に鳴く。(み)
あかまむし【赤まむし】蛇。かまれたらすぐ医者へ。(み)
アカミズ 山菜。ウワバミソウ。もし遭難したらこれを食べて生きよう。生野菜といっしょにきざみ「だし」にするとうまい。(み)
(撮影:広)
あかみどうだけ【赤見堂岳】1446m。
あかもの 野草。アカワン。花:白にピンクのすじ。実は赤くて小さい。食用。ジャム・果実酒。(英)
アキノキリンソウ
あきはさん【秋葉山】上島。火の神さま。大宝院でおふだ受ける。毎年、旧の4月8日。(み)
アケビ 三つ葉と五つ葉あり。(み)
あさづき 疲労回復に生みそでうまい。(み)
あさひぐんどう【朝日軍道】
あさひかわ【朝日川】
あさひけいてつのけいりゅうにっし【朝日渓哲の渓流日誌】八久和川などでの渓流釣りに関するサイト。イワナ・ヤマメや山歩きなどの情報が満載。http://homepage3.nifty.com/hiromoto3/
あさひこうせん【朝日鉱泉】
あさひさんそう【朝日山荘】萱野。そば。前田義昭さん・倫一さん・栄子さん宅。http://plaza.harmonix.ne.jp/~r-maeta/index.htm
あさひだけのれきしをたずねて【『朝日岳の歴史をたずねて』】長岡幸月著。
あさひまち【朝日町】
あさひやまのいえ【朝日山の家】志田さんの民宿。フライフィッシングの基地。ホームページは http://www.ooisawa.com/p/h/top.html http://www.asahiyamanoie.com/ 大井沢の情報はまずここで。(Rin・広)
あさひれんぽう【朝日連峰】朝日連峰に登った有名人:深田久弥・
あさひれんぽうのかりうど【『朝日連峰の狩人』】志田忠儀さん・西澤信雄さん著。山と渓谷社、1991.9。
あだちみねいちろう【安達峰一郎】山形県山辺町出身。国際司法裁判所所長を務めた。夫人の著書「夫安達峰一郎」には博士と同じ山辺町出身で後に山形選出の佐藤啓と、月山・湯殿山・朝日山等学生時代に登山しており、友人等にも出羽三山の登山を勧めております。若槻礼次郎(後の総理大臣)も夏休みに登山した事を彼の著書「古風庵回顧録」にあらわされております。博士の学生時代の性格がこれ等で知る事が出来ます。他にも「安達峰一郎博士追悼録」等も貴重な資料です。
明治2年山辺町にて誕生・明治25年7月東京帝国大学法科大学仏法学科を次席にて卒業・明治25年外務省入省・明治26年イタリア赴任・明治29年イタリア臨時代理公使・明治38年日露講和会議に、小村全権の随員として会議に参加・明治40年法学博士授与・大正2年メキシコ特命全権公使として赴任・大正6年ベルギー特命全権公使として、ロシア鉄道経由にて赴任・大正9年ベルサイユ講和条約実施委員拝命・同年日本国より勲一等旭日大綬章授与・大正10年ベルギー公使館より大使館に格上げの為、安達大使となる。国際連盟総会(2〜10回)へ大正10年より昭和4年まで日本国代表に就く・昭和5年常設国際司法裁判所判事選挙に51票中49票のトップ得票にて当選。翌6年国際連盟理事会にて参加国51カ国の全会一致似て、第四代常設国政司法裁判所所長にアジアで始めて就任する。昭和9年12月に現職中オランダ国にて客死、オランダ国は安達博士の死を悼み、翌10年1月3日国際司法裁判所葬と伴にオランダ国国葬をとりおこなわれた。他に各国より送られた最高の勲章は12カ国にも及びます。日本国も勲一等旭日桐花大綬章を送りました。現在オランダ国に有ります、国際司法裁判所の「日本の間」に特別にしつらえた安達博士のメダイヨンが、イイゼルに於かれ観光客を出迎えています。オランダに観光でいかれましたら、是非国際司法裁判所に出向き、博士の足跡を確認してください。又、今山辺町の安達峰一郎生家(北部公民館)では入場無料にて、関係資料を展示・配布(安達峰一郎博士・豆知識)しております。博士を知る絶好の機会とおもいます。(熊野神社代理人)
あだちりゅういち【安達隆一】原。隆一さん・ミエさん夫妻。
あたごさま【愛宕様】中村。湯殿山神社(大日寺跡)から北へ向かう。かつては見晴らしがたいへん良く、花見を開いたという。戦の神様。ご神体は馬に乗っている武士の姿をしている。参照「大井沢の史跡について」『峠の小鳥』第6集 p87
あたらしいむらづくり【新しい村づくり】
あてらざわ【左沢】大江町。
あまざけまつり【甘酒まつり】上島。春。
あまどころ 山菜。
あめふりばな【雨降り花】キクザキイチリンソウ。
アメリカばし【アメリカ橋】
あらいまさや【新井雅也】助っ人隊参加以来大井沢の魅力に取り付かれた一人。助っ人山形支部長貴重な山大コネクション(Rin)
あらかわ【荒川】
あわばたけ【あわ畑】天狗のスモウ取り場近く、無人観測所のところ。(英)
あんざいとおる【安斎 徹】旧制山形高校の地質学教授、かつ、山岳部長。大正11年の夏、山岳部の学生をつれて、大朝日岳から以東岳への主脈縦走を果たし、大鳥池から大鳥川をくだる。参照:五百沢智也「ふるさとの自然・朝日軍道」『山形新聞』2002年1月10日(広)
あんちゅうぼう【安中坊】吉川。鎌倉幕府の重臣、大江広元(ひろもと)が、1189年に寒河江荘の地頭に任命。その後「承久の乱」が起こり、広元の子、大江親広(ちかひろ)が朝廷側について敗れ、北方に逃れて寒河江荘に落ちのび、親広の母方の祖父にあたる多田仁綱(のりつな)の居居である吉川のこの地に、晩年「安中坊」と名のり住んだといわれている。大江家の遺跡や墓地がある。参照:「安中坊のなぞを探る!」『町報にしかわ』平成13年9月14日号(広)
(大江家の墓 撮影:広)
アンテナやま【アンテナ山】竹の子あり。
【い】
イイヅナ コエゾイタチ。
いきいきちょくばいかい【いきいき直売会】水沢。銘水館前。
いこまながゆき【居駒永幸】明治大学教授。『大井沢の祭りと伝承』平成10年度・明治大学居駒ゼミ調査報告書。『大井沢の民俗』平成11年度・明治大学居駒ゼミ調査報告書
いしばしぐみ【石橋組】志田やほ子さん・張美さん宅。
いしばしや【石橋屋】志田信也さん宅。
いしみどうだけ【石見堂岳】1286m。
いせき【遺跡】「大井沢の遺跡」荒木利見『峠の小鳥』第三集p71-。
イタチ
イタドリ
イタヤカエデ こけしの原料。
いとうだき【いとう滝】
いとうだけ【以東岳】1771m。
いととり【糸取り】機織り用語。かいこのまゆから糸を取る作業。(千鶴子)
イヌワシ
いぶくろけんじ【衣袋賢二】写真家。登山家。地図『朝日・出羽三山』昭文社の作者。
いもがわじょう【五百川城】朝日町?
イリトウヌシさわ【イリトウヌシ沢】
イワウチワ
イワカガミ
いわツバメ【岩ツバメ】
イワマス
イワナ 岩魚。
イワナシ 花:ピンク。実は青白。熟すと黒ずむ。味・香り上品。(英)
いわねさわ【岩根沢】地名。丸山薫が赴任。
いわねさわさんざんじんじゃ【岩根沢三山神社】嘉暦元年(1326)、中興の祖清亮が建立、日月寺と称した。現在の本堂は天保11年の再建。参照『月のぼる町』p121
(撮影:広)
いわねさわさんざんじんじゃだいだいかぐら【岩根沢三山神社代々神楽】明治初年、日月寺から神山に改祀した頃、祭祀楽として福島県伊達地方から伝わったといわれている。日月寺住職、西山盤根が復活したもの。参照『月のぼる町』p121
【う】
ウグイス
ウコギ
うさぎ 飼うときは、乾燥した草をあたえる。生の草をあたえると、下痢をして死んでしまう。参照『朝日連峰の狩人』志田忠儀・西澤信雄p172
ウスバサイシン
ウツボグサ
ウド 山菜。
(撮影:広)
うばがたけ【姥ヶ岳】1670m。
うばがみ【姥神】優姥神。姥神様。古寺。古寺よりブナ峠に至る平坦地にある。明治13年建立。参照『朝日岳の歴史をたずねて』長岡幸月p6
うばさわ【姥沢】
うばさわこや【姥沢小屋】志津。
うむし(千)
ウメバチソウ
ウルイ 山菜。おおばぎぼうし。
(撮影:広)
ウルシ
ウロ 樹木の幹にあいた穴。空洞。
ウワバミソウ 山菜。あかみず。夏すぎ、くきにつく赤い球根もうまい。(み)
ウラジロヨウラク
【え】
えいりんしょ【営林署】中村。
エズラ 地名。
エゾニイハルゼミ やーけんぜみ
えどやりょかん【江戸屋旅館】中村。佐藤耕二(浩二?)さん・のり子さん宅。
エノコログサ 毒草。
えんがくぼう【円学坊】中村。志田章一さん宅。
エンジュ 樹木。
えんめいこやすじぞうそん【延命子安地蔵尊】中村・地蔵堂。町有文化財彫刻に指定。胎内の銘によると、永禄4年(1561・室町後期)京都七条の大仏師大貳法眼の作。廃仏毀釈により大日寺に置くことができなくなった像を、大井沢の人が地区に残しておきたいと考え、隠し守ったものという。地蔵堂にはまた、千手観音像が奉られている。地蔵堂は、元大井沢村戸長稲葉山三郎氏の発案により明治30年に創建。主尊の延命子安地蔵尊は地蔵尊としては珍しい姿をしている。参照「失われた仏像たち」『峠の小鳥』第6集p.73
エンメイソウ 薬草
エンレイソウ
【お】
おうしゅうひらいずみ【奥州平泉】
おおいさわ【大井沢】山形県西村山郡西川町、寒河江川の上流。北に月山・湯殿山、南に朝日連峰、東に大江町との境になる上峠(大井沢峠)・下峠、西に障子ヶ岳・天狗角力取山などに囲まれた山間地域。南北に流れる寒河江川沿いに、上流より根子・見附・清水原・中上・萱野・中村・原・黒渕・上島・桧原の各集落がある。
海抜標高450メートル、積雪3メートル、積雪期間は12月から翌年5月まで。かつて出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)への参拝口のひとつだった大日寺を中心に、寺院集落として繁栄する。ながく徒歩による交通手段しかなかったために、きわめて独自性のゆたかな風土や文化を現在に残している。弘法大師による大日寺の開基、平家の落人伝説などのいいつたえなどがある。
明治22年、独立した自治体として大井沢村になる。昭和29年、川土居村・西山村・本道寺村および大井沢村の4村が合併し、現在の西川町となる。養蚕・林業・木工業・農業・土木業などがさかんであった。
おおあさひだけ【大朝日岳】1870m。
おおいさわ【大井沢】茨城県守谷町。守谷町トップページ(http://www.town.moriya.ibaraki.jp/culture/index.html)。参照:大井沢村
おおいさわおんせんゆったりかん・もくもくこうりゅうかん【大井沢温泉湯ったり館・もくもく交流館】平成15年春開館。ひばと御影石の2種類の湯船がある。入浴料は大人300円小学生100円。休憩室は大人200円小学生100円。営業時間は冬期(11月〜4月)が8時〜19時で毎週火曜日定休。夏期(5月〜10月)は7時〜20時で休館日は月1回、第3火曜日。泉質はナトリウム硫酸塩の弱アルカリ性。西山杉をふんだんに使用し“木の建物”を強調。内部に囲炉裏を設置。ホールは床暖房。
○源泉名/大井沢道智源泉
○温度/38.2°C
○湧出量/172,800リットル/日(ドラム缶846本分)
○泉質/ナトリウム―塩化物・硫酸塩温泉(含芒硝―食塩泉)(高張性弱アルカリ性温泉)
○入浴の適応症/きりきず、やけど、慢性皮膚炎病、虚弱児童、慢性婦人病、動脈硬化症、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進
○飲用の適応症/慢性消化器病、慢性便秘、慢性胆嚢炎、胆石症、糖尿病、痛風
○構造/木造平屋建て
○配置/南北に縦長(浴室は北側)
○規模/のべ床面積 約720m2(建築面積 約680m2)
○機能/交流・研修室(1回当たり最大利用人員80人、畳敷き)
実習体験・調理実習室(1回当たり最大利用人員13人、板張り)
玄関、ホール、トイレその他、駐車場(催し物広場兼用)
参照:「広報にしかわ」平成14年8月号
おおいさわおんせんゆったりかんしゅうへんみどころマップ【大井沢おんせん湯ったり館周辺見どころマップ】志田龍太郎作。
おおいさわおんせんかんりうんえいくみあい【大井沢温泉管理運営組合】
おおいさわおんせんせいび【大井沢温泉整備】林野庁「木のふれあい緊急整備事業」。事業費2億4千万円。温泉掘削を入れると総事業費は3億6千万円。基本設計は間沢の荒木建設事務所。その内容を東北芸術工科大学や町の検討会を経て、県から承認をもらう。参照:「大井沢ふるさと通信」no.3
おおいさわかいどうクリーンさくせん【大井沢街道クリーン作戦】
おおいさわ、がっさん、にしかわかんれんのぶっくまーく【大井沢、月山、西川関連のブックマーク】http://park11.wakwak.com/~the/bm.htm(菊池)
おおいさわがわ【大井沢川】
(撮影:広)
おおいさわがわふどうそん【大井沢川不動尊】原。お不動さま。大井沢川沿いの崖ふちにある。県道より500メートルほど上流。明治期に建立、昭和23年に建て替え。岩の下で雪が積もりにくい。旧暦1月15日のおさいとう、旧暦1月16日の朝に白装束を着てお参りする。普通の年は12個、うるう年は13個のだんごを持っていく。4月28日のお祭り。参照「大井沢の史跡について」『峠の小鳥』第6集 p87(広)
(撮影:広)
おおいさわきのこまつり【大井沢きのこ祭】
おおいさわきょうせいかい【大井沢共盛会】
おおいさわくそうかい【大井沢区総会】
おおいさわこうりゅうセンター【大井沢交流センター】中村。地蔵尊となり。
おおいさわししょ【大井沢支所】中村。西川町役場支所。
おおいさわしぜんはくぶつかん【大井沢自然博物館】昭和35年落成。
おおいさわじぞうどう【大井沢地蔵堂】中村。別当は志田国太郎さん。神仏分離令が施行された明治8年、当時初代村長であった稲葉山三郎氏が大日寺から地蔵をゆずりうけ隠し守った。明治30年に、稲葉氏らによって現在の場所に安置。参照:菅野 玲「信仰伝承」『大井沢の祭りと伝承』平成10年度・明治大学居駒ゼミ調査報告書p78
おおいさわしょうがっこう【大井沢小学校】茨城県北相馬郡守谷町。http://www.town.moriya.ibaraki.jp/school/syooisaw.html
おおいさわしょうちゅうがっこう【大井沢小中学校】http://gassan.co.jp/n.es.jh.ooisawa/
沿革(参照『峠の小鳥』第6集・平成14年3月)
明治12 | 金蔵院に大井沢学校設置。 |
18 | 金蔵院焼失。志田嘉門宅に学校を移す。 |
21 | 金蔵院跡地に新校舎落成。清水原冬季分教場を設置。 |
34 | 大井沢尋常高等小学校と改称。現在地に新校舎落成。 |
昭和6 | 新校舎増築落成。 |
20 | 終戦(翌年、憲法公布)。 |
22 | 教育基本法、学校教育法公布。大井沢村立大井沢小学校と改称。大井沢村立大井沢中学校設立。PTA結成。 |
24 | 学校林造成。 |
26 | 自然研究発足。 |
28 | イワナとマスの交配、人工ふ化に成功。校章制定。 |
29 | 郷土室、県より博物館として認定。10月、町村合併により西川町立大井沢小中学校となる。 |
30 | 11月、中学校校舎新築落成。 |
31 | 7月、全国僻地教育研究大会開催。本道寺小中学校・入間小学校と共に分会場となる。 |
35 | 12月、大井沢自然博物館新築落成。 |
38 | 高松宮殿下、博物館見学のため来訪。分校が開校。 |
41 | 11月、新校舎新築落成。 |
42 | 12月、体育館新築落成。 |
44 | 年間研究集録「かもしか」創刊 |
45 | 11月、教員住宅「窓雲寮」落成。 |
50 | 9月、新グラウンド造成完成。 |
51 | 12月、学校裏山にスキー場造成。 |
52 | 小学校完全複式学級となる。アルミプール完成。 |
54 | 11月、大井沢小学校創立百周年記念式典挙行。 |
55 | 小学校百周年記念誌『山の学校百年』刊行。 |
58 | 冬季分校、休校となる。 |
60 | 体育館新築落成。 |
平成元 | 7月、自然と匠の伝承館・大井沢自然博物館落成。 |
2 | 11月、寒河江エダム竣工式において「水源地宣言」を群読。 |
6 | 1月、新校舎落成。 |
8 | 2月、檜原・清水原冬季分校、解体。 |
14 | 3月、大井沢中学校閉校。 |
天文4年〜元亀 | 最上出羽守 |
元亀元年〜天正16年 | 最上駿河守 |
天正16〜35年 | 大江備前守 |
元和9年〜寛永15年 | 酒井長門守 |
寛永15年〜慶応4年 | 柴橋代官所 |
慶応4年5月〜10月 | 寒河江役所 |
明治2年 | 柴橋民政局 |
明治3年壬10月4日 | 山形県庁 |
種類 | 小中学生 | 一般 | 備考 |
宿泊研修 | 1,000円 | 2,000円 | 18:00〜翌日8:30 |
その他 | 2,000円 | 3,000円 | 18:00〜翌日8:30 |
室名 | 単位 | 使用料 |
各研修室 | 1時間当たり | 400円 |
調理室 | 1時間当たり | 500円 |
施設名 | 利用期間 | 利用時間 | 休日 |
寒河江ダムスポーツ広場 | 6/1〜10/31 | 9:00〜16:00 | 毎週月曜 |
山形県立自然博物園 | 4/26〜10/31 | 9:00〜16:00 | 毎週月曜 |
弓張平公園 (植物園・スポーツ施設) |
6/1〜10/31 | 9:00〜17:00 | 期間中無休 |
弓張平公園 (オートキャンプ場) |
6/1〜10/31 | 9:00〜16:00 | 期間中無休 |
弓張平公園 (パークプラザ体育館) |
通年 | 9:00〜17:00 | 無休 冬期毎週月曜 |
月山湖水の文化館 道の駅にしかわ |
通年 | 9:00〜18:00 | 毎週水曜 |
【あ】 【い】 【う】 【え】 【お】 【か】 【き】 【く】 【け】 【こ】
【さ】 【し】 【す】 【せ】 【そ】 【た】 【ち】 【つ】 【て】 【と】
【な】 【に】 【ぬ】 【ね】 【の】 【は】 【ひ】 【ふ】 【へ】 【ほ】
【ま】 【み】 【む】 【め】 【も】 【や】 【ゐ】 【ゆ】 【ゑ】 【よ】
【ら】 【り】 【る】 【れ】 【ろ】 【わ】 【を】 【ん】