おおいさわ大事典


インターネットをつかって、大井沢の事典をつくることを提案します。
とりあえず、タイトルは「おおいさわ大事典」
大井沢が好きなひとたちがあつまって、じぶんたちでつくる、
大井沢事典編さんプロジェクトです。

おおいさわ大事典
編さん参加者
利用と著作権について
参考文献


いろんな書きこみや、アイデア・写真などの提供をおねがいします。
動画・音声なども、ぜひ、くわえていきたいですね。

れんらく掲示板


作成
2003. 6. 1

更新
2004.11. 9


転載・引用・リンクはご自由に。



【あ】 【い】 【う】 【え】 【お】 【か】 【き】 【く】 【け】 【こ】
【さ】 【し】 【す】 【せ】 【そ】 【た】 【ち】 【つ】 【て】 【と】
【な】 【に】 【ぬ】 【ね】 【の】 【は】 【ひ】 【ふ】 【へ】 【ほ】
【ま】 【み】 【む】 【め】 【も】 【や】 【ゐ】 【ゆ】 【ゑ】 【よ】
【ら】 【り】 【る】 【れ】 【ろ】 【わ】 【を】 【ん】        


【あ】
ああるらいず【R・ライズ】横瀧欣爾さん・節子さんがやってるペンション。ホームぺージは http://www.asahi-net.or.jp/~ej7k-yktk/ 大井沢地域だけど、住所は月岡(Rin・み)

アイコ 山菜。ミヤマイラクサ。葉にふれると虫さされのようにイライラといたい。おひたしやいためものにするとおいしい。(み)

アオ あおじし。かもしかのこと。天狗おんどに出て来る。最近は、カモシカが人間をカンサツ。(英)

あおきとうまはかせのせきひ【青木當摩博士の石碑】七軒東小学校の校庭に、青木當摩博士に対する顕彰碑が、寂しくポッンと建っているそうです。昔亡き母に聞いた話です。この石碑は、時の総理大臣田中義一男爵の筆による、青木當摩博士に対しての顕彰碑だそうです。私も話だけで確認していません。何時か暇を見つけて、帰省の折小学校にお邪魔し、確認したいと思います。因みに當摩博士は私の叔父に当たります。墓は柳川に有り、青木一族の墓・奥戸城(大宝院)の端に有りました。其れに、カタクリの花が大変綺麗でした。青木當摩博士は、千葉大を卒業し、大正・昭和の戦前に、東京で医学博士として、活躍した人物と聞き及んでおります。詳しい事は、亡き母が叔父の所で看護婦をしていた為に、良く覚えており、私は部分的しか知りません。亡き母の話では、代々神主や先達をしており、学問に精通していたようです。亡き母も幼き頃、叔父さんに漢詩など手解きを授けたそうです。(熊野神社代理人)

あおのうまや【あおの馬屋】かもしかのねぐら。

アオダイショウ 蛇。ツバメの巣をねらうのは、ほとんどが青大将。気温の高い日は要注意。ヘビが動きやすい。(英)

アオミズ 山菜。ヤマトキホコリ。おひたし、浅漬。(み)

あおやぎくまのじんじゃのゆらい【青柳熊野神社の由来】古老の話では、祭神として「伊弉諾尊・伊弉冊尊」脇立「正一位稲荷大明神」を祭り、創立は、村上天皇天徳二戊午年(958年)9月19日で、61代朱雀天皇承平年中(931-937年)当村に優婆塞宝泉と言う者がいた。紀伊国御熊野権現を崇拝し、遠路を難とせず、食料を担ぎ参詣する事21回、ついに年老い血気衰え復詣できなく、病になるが17日掛けて帰路の途中、権現様が夢の中に現れ「汝は誠の精進成りし者」其の時目が覚め、夢の事を思い起こし、涙が止めどもなく溢れ出た。長い旅路から戻り、朝夕勧行を怠らず、権現様を拝しておりました。或る時、空から権現様の声があり、「栖の沢や大里の辺に行きなさい、其処には必ず示現がある」と告げられ、大里の辺に行くと山の岩場に紀伊御熊野権現の宝印の御札が貼り付けられていた。熊野大権現の啓示とし此処を熊野山と号し、堂宇を建て守り続けた。62代村上天皇の天徳二戊午年(958年)当国守護修理太夫が祈願し、有名な宮工人を招き、宮宇を修造した。又天正年中(1573-91年)出羽守最上義光より、慶安二年(1549年)寄進ある、以後徳川時代には、御朱印地として、大宝院・定宝院に20石3斗が与えられた。しかし明治に入り、神仏混合が禁じられ、熊野神社とし、朱印地は国に召し上げられた。(熊野神社代理人)

あかこごみ【赤こごみ】山菜。あぶらこごみ。ゆでて干してからもどしてたべると一段とうまい。(み)
(撮影:広)

アカショウビン 鳥。雨が降りそうな日に鳴く。(み)

あかまむし【赤まむし】蛇。かまれたらすぐ医者へ。(み)

アカミズ 山菜。ウワバミソウ。もし遭難したらこれを食べて生きよう。生野菜といっしょにきざみ「だし」にするとうまい。(み)
(撮影:広)

あかみどうだけ【赤見堂岳】1446m。

あかもの 野草。アカワン。花:白にピンクのすじ。実は赤くて小さい。食用。ジャム・果実酒。(英)

アキノキリンソウ

あきはさん【秋葉山】上島。火の神さま。大宝院でおふだ受ける。毎年、旧の4月8日。(み)

アケビ 三つ葉と五つ葉あり。(み)

あさづき 疲労回復に生みそでうまい。(み)

あさひぐんどう【朝日軍道】

あさひかわ【朝日川】

あさひけいてつのけいりゅうにっし【朝日渓哲の渓流日誌】八久和川などでの渓流釣りに関するサイト。イワナ・ヤマメや山歩きなどの情報が満載。http://homepage3.nifty.com/hiromoto3/

あさひこうせん【朝日鉱泉】

あさひさんそう【朝日山荘】萱野。そば。前田義昭さん・倫一さん・栄子さん宅。http://plaza.harmonix.ne.jp/~r-maeta/index.htm

あさひだけのれきしをたずねて【『朝日岳の歴史をたずねて』】長岡幸月著。

あさひまち【朝日町】

あさひやまのいえ【朝日山の家】志田さんの民宿。フライフィッシングの基地。ホームページは http://www.ooisawa.com/p/h/top.html http://www.asahiyamanoie.com/ 大井沢の情報はまずここで。(Rin広)

あさひれんぽう【朝日連峰】朝日連峰に登った有名人:深田久弥・

あさひれんぽうのかりうど【『朝日連峰の狩人』】志田忠儀さん・西澤信雄さん著。山と渓谷社、1991.9。

あだちみねいちろう【安達峰一郎】山形県山辺町出身。国際司法裁判所所長を務めた。夫人の著書「夫安達峰一郎」には博士と同じ山辺町出身で後に山形選出の佐藤啓と、月山・湯殿山・朝日山等学生時代に登山しており、友人等にも出羽三山の登山を勧めております。若槻礼次郎(後の総理大臣)も夏休みに登山した事を彼の著書「古風庵回顧録」にあらわされております。博士の学生時代の性格がこれ等で知る事が出来ます。他にも「安達峰一郎博士追悼録」等も貴重な資料です。

明治2年山辺町にて誕生・明治25年7月東京帝国大学法科大学仏法学科を次席にて卒業・明治25年外務省入省・明治26年イタリア赴任・明治29年イタリア臨時代理公使・明治38年日露講和会議に、小村全権の随員として会議に参加・明治40年法学博士授与・大正2年メキシコ特命全権公使として赴任・大正6年ベルギー特命全権公使として、ロシア鉄道経由にて赴任・大正9年ベルサイユ講和条約実施委員拝命・同年日本国より勲一等旭日大綬章授与・大正10年ベルギー公使館より大使館に格上げの為、安達大使となる。国際連盟総会(2〜10回)へ大正10年より昭和4年まで日本国代表に就く・昭和5年常設国際司法裁判所判事選挙に51票中49票のトップ得票にて当選。翌6年国際連盟理事会にて参加国51カ国の全会一致似て、第四代常設国政司法裁判所所長にアジアで始めて就任する。昭和9年12月に現職中オランダ国にて客死、オランダ国は安達博士の死を悼み、翌10年1月3日国際司法裁判所葬と伴にオランダ国国葬をとりおこなわれた。他に各国より送られた最高の勲章は12カ国にも及びます。日本国も勲一等旭日桐花大綬章を送りました。現在オランダ国に有ります、国際司法裁判所の「日本の間」に特別にしつらえた安達博士のメダイヨンが、イイゼルに於かれ観光客を出迎えています。オランダに観光でいかれましたら、是非国際司法裁判所に出向き、博士の足跡を確認してください。又、今山辺町の安達峰一郎生家(北部公民館)では入場無料にて、関係資料を展示・配布(安達峰一郎博士・豆知識)しております。博士を知る絶好の機会とおもいます。(熊野神社代理人)

あだちりゅういち【安達隆一】原。隆一さん・ミエさん夫妻。

あたごさま【愛宕様】中村。湯殿山神社(大日寺跡)から北へ向かう。かつては見晴らしがたいへん良く、花見を開いたという。戦の神様。ご神体は馬に乗っている武士の姿をしている。参照「大井沢の史跡について」『峠の小鳥』第6集 p87

あたらしいむらづくり【新しい村づくり】

あてらざわ【左沢】大江町。

あまざけまつり【甘酒まつり】上島。春。

あまどころ 山菜。

あめふりばな【雨降り花】キクザキイチリンソウ。

アメリカばし【アメリカ橋】

あらいまさや【新井雅也】助っ人隊参加以来大井沢の魅力に取り付かれた一人。助っ人山形支部長貴重な山大コネクション(Rin)

あらかわ【荒川】

あわばたけ【あわ畑】天狗のスモウ取り場近く、無人観測所のところ。(英)

あんざいとおる【安斎 徹】旧制山形高校の地質学教授、かつ、山岳部長。大正11年の夏、山岳部の学生をつれて、大朝日岳から以東岳への主脈縦走を果たし、大鳥池から大鳥川をくだる。参照:五百沢智也「ふるさとの自然・朝日軍道」『山形新聞』2002年1月10日(広)

あんちゅうぼう【安中坊】吉川。鎌倉幕府の重臣、大江広元(ひろもと)が、1189年に寒河江荘の地頭に任命。その後「承久の乱」が起こり、広元の子、大江親広(ちかひろ)が朝廷側について敗れ、北方に逃れて寒河江荘に落ちのび、親広の母方の祖父にあたる多田仁綱(のりつな)の居居である吉川のこの地に、晩年「安中坊」と名のり住んだといわれている。大江家の遺跡や墓地がある。参照:「安中坊のなぞを探る!」『町報にしかわ』平成13年9月14日号(広)
(大江家の墓 撮影:広)

アンテナやま【アンテナ山】竹の子あり。

【い】
イイヅナ コエゾイタチ。

いきいきちょくばいかい
【いきいき直売会】水沢。銘水館前。

いこまながゆき
【居駒永幸】明治大学教授。『大井沢の祭りと伝承』平成10年度・明治大学居駒ゼミ調査報告書。『大井沢の民俗』平成11年度・明治大学居駒ゼミ調査報告書

いしばしぐみ
【石橋組】志田やほ子さん・張美さん宅。

いしばしや
【石橋屋】志田信也さん宅。

いしみどうだけ
【石見堂岳】1286m。

いせき
【遺跡】「大井沢の遺跡」荒木利見『峠の小鳥』第三集p71-。

イタチ

イタドリ

イタヤカエデ 
こけしの原料。

いとうだき
【いとう滝】

いとうだけ
【以東岳】1771m。

いととり
【糸取り】機織り用語。かいこのまゆから糸を取る作業。(千鶴子)

イヌワシ

いぶくろけんじ
【衣袋賢二】写真家。登山家。地図『朝日・出羽三山』昭文社の作者。

いもがわじょう【五百川城】朝日町?

イリトウヌシさわ
【イリトウヌシ沢】

イワウチワ

イワカガミ

いわツバメ
【岩ツバメ】

イワマス

イワナ 岩魚。

イワナシ 花:ピンク。実は青白。熟すと黒ずむ。味・香り上品。(英)

いわねさわ【岩根沢】地名。丸山薫が赴任。

いわねさわさんざんじんじゃ【岩根沢三山神社】嘉暦元年(1326)、中興の祖清亮が建立、日月寺と称した。現在の本堂は天保11年の再建。参照『月のぼる町』p121
(撮影:広)

いわねさわさんざんじんじゃだいだいかぐら【岩根沢三山神社代々神楽】明治初年、日月寺から神山に改祀した頃、祭祀楽として福島県伊達地方から伝わったといわれている。日月寺住職、西山盤根が復活したもの。参照『月のぼる町』p121

【う】
ウグイス

ウコギ

うさぎ
 飼うときは、乾燥した草をあたえる。生の草をあたえると、下痢をして死んでしまう。参照『朝日連峰の狩人』志田忠儀・西澤信雄p172

ウスバサイシン


ウツボグサ

ウド 山菜。
(撮影:広)

うばがたけ【姥ヶ岳】1670m。

うばがみ【姥神】優姥神。姥神様。古寺。古寺よりブナ峠に至る平坦地にある。明治13年建立。参照『朝日岳の歴史をたずねて』長岡幸月p6

うばさわ【姥沢】

うばさわこや【姥沢小屋】志津。

うむし(千)

ウメバチソウ

ウルイ 山菜。おおばぎぼうし。
(撮影:広)

ウルシ

ウロ 樹木の幹にあいた穴。空洞。

ウワバミソウ 山菜。あかみず。夏すぎ、くきにつく赤い球根もうまい。(み)

ウラジロヨウラク

【え】
えいりんしょ【営林署】中村。

エズラ 地名。

エゾニイハルゼミ やーけんぜみ

えどやりょかん【江戸屋旅館】中村。佐藤耕二(浩二?)さん・のり子さん宅。

エノコログサ 毒草。

えんがくぼう【円学坊】中村。志田章一さん宅。

エンジュ 
樹木。

えんめいこやすじぞうそん
【延命子安地蔵尊】中村・地蔵堂。町有文化財彫刻に指定。胎内の銘によると、永禄4年(1561・室町後期)京都七条の大仏師大貳法眼の作。廃仏毀釈により大日寺に置くことができなくなった像を、大井沢の人が地区に残しておきたいと考え、隠し守ったものという。地蔵堂にはまた、千手観音像が奉られている。地蔵堂は、元大井沢村戸長稲葉山三郎氏の発案により明治30年に創建。主尊の延命子安地蔵尊は地蔵尊としては珍しい姿をしている。参照「失われた仏像たち」『峠の小鳥』第6集p.73

エンメイソウ 薬草

エンレイソウ

【お】
おうしゅうひらいずみ【奥州平泉】

おおいさわ【大井沢】山形県西村山郡西川町、寒河江川の上流。北に月山・湯殿山、南に朝日連峰、東に大江町との境になる上峠(大井沢峠)・下峠、西に障子ヶ岳・天狗角力取山などに囲まれた山間地域。南北に流れる寒河江川沿いに、上流より根子・見附・清水原・中上・萱野・中村・原・黒渕・上島・桧原の各集落がある。

海抜標高450メートル、積雪3メートル、積雪期間は12月から翌年5月まで。かつて出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)への参拝口のひとつだった大日寺を中心に、寺院集落として繁栄する。ながく徒歩による交通手段しかなかったために、きわめて独自性のゆたかな風土や文化を現在に残している。弘法大師による大日寺の開基、平家の落人伝説などのいいつたえなどがある。

明治22年、独立した自治体として大井沢村になる。昭和29年、川土居村・西山村・本道寺村および大井沢村の4村が合併し、現在の西川町となる。養蚕・林業・木工業・農業・土木業などがさかんであった。

おおあさひだけ【大朝日岳】1870m。

おおいさわ【大井沢】茨城県守谷町。守谷町トップページ(http://www.town.moriya.ibaraki.jp/culture/index.html)。参照:大井沢村

おおいさわおんせんゆったりかん・もくもくこうりゅうかん【大井沢温泉湯ったり館・もくもく交流館】平成15年春開館。ひばと御影石の2種類の湯船がある。入浴料は大人300円小学生100円。休憩室は大人200円小学生100円。営業時間は冬期(11月〜4月)が8時〜19時で毎週火曜日定休。夏期(5月〜10月)は7時〜20時で休館日は月1回、第3火曜日。泉質はナトリウム硫酸塩の弱アルカリ性。西山杉をふんだんに使用し“木の建物”を強調。内部に囲炉裏を設置。ホールは床暖房。

○源泉名/大井沢道智源泉
○温度/38.2°C
○湧出量/172,800リットル/日(ドラム缶846本分)
○泉質/ナトリウム―塩化物・硫酸塩温泉(含芒硝―食塩泉)(高張性弱アルカリ性温泉)
○入浴の適応症/きりきず、やけど、慢性皮膚炎病、虚弱児童、慢性婦人病、動脈硬化症、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進
○飲用の適応症/慢性消化器病、慢性便秘、慢性胆嚢炎、胆石症、糖尿病、痛風

○構造/木造平屋建て
○配置/南北に縦長(浴室は北側)
○規模/のべ床面積 約720m2(建築面積 約680m2
○機能/交流・研修室(1回当たり最大利用人員80人、畳敷き)
    実習体験・調理実習室(1回当たり最大利用人員13人、板張り)
    玄関、ホール、トイレその他、駐車場(催し物広場兼用)
参照:「広報にしかわ」平成14年8月号

おおいさわおんせんゆったりかんしゅうへんみどころマップ【大井沢おんせん湯ったり館周辺見どころマップ】志田龍太郎作。

おおいさわおんせんかんりうんえいくみあい
【大井沢温泉管理運営組合】

おおいさわおんせんせいび
【大井沢温泉整備】林野庁「木のふれあい緊急整備事業」。事業費2億4千万円。温泉掘削を入れると総事業費は3億6千万円。基本設計は間沢の荒木建設事務所。その内容を東北芸術工科大学や町の検討会を経て、県から承認をもらう。参照:「大井沢ふるさと通信」no.3

おおいさわかいどうクリーンさくせん
【大井沢街道クリーン作戦】

おおいさわ、がっさん、にしかわかんれんのぶっくまーく
【大井沢、月山、西川関連のブックマーク】http://park11.wakwak.com/~the/bm.htm(菊池)

おおいさわがわ
【大井沢川】
(撮影:広)

おおいさわがわふどうそん
【大井沢川不動尊】原。お不動さま。大井沢川沿いの崖ふちにある。県道より500メートルほど上流。明治期に建立、昭和23年に建て替え。岩の下で雪が積もりにくい。旧暦1月15日のおさいとう、旧暦1月16日の朝に白装束を着てお参りする。普通の年は12個、うるう年は13個のだんごを持っていく。4月28日のお祭り。参照「大井沢の史跡について」『峠の小鳥』第6集 p87(広)
(撮影:広)

おおいさわきのこまつり【大井沢きのこ祭】

おおいさわきょうせいかい【大井沢共盛会】

おおいさわくそうかい【大井沢区総会】

おおいさわこうりゅうセンター
【大井沢交流センター】中村。地蔵尊となり。

おおいさわししょ
【大井沢支所】中村。西川町役場支所。

おおいさわしぜんはくぶつかん
【大井沢自然博物館】昭和35年落成。

おおいさわじぞうどう【大井沢地蔵堂】中村。別当は志田国太郎さん。神仏分離令が施行された明治8年、当時初代村長であった稲葉山三郎氏が大日寺から地蔵をゆずりうけ隠し守った。明治30年に、稲葉氏らによって現在の場所に安置。参照:菅野 玲「信仰伝承」『大井沢の祭りと伝承』平成10年度・明治大学居駒ゼミ調査報告書p78

おおいさわしょうがっこう【大井沢小学校】茨城県北相馬郡守谷町。http://www.town.moriya.ibaraki.jp/school/syooisaw.html

おおいさわしょうちゅうがっこう
【大井沢小中学校】http://gassan.co.jp/n.es.jh.ooisawa/
沿革(参照『峠の小鳥』第6集・平成14年3月)

明治12 金蔵院に大井沢学校設置。
  18 金蔵院焼失。志田嘉門宅に学校を移す。
  21 金蔵院跡地に新校舎落成。清水原冬季分教場を設置。
  34 大井沢尋常高等小学校と改称。現在地に新校舎落成。
昭和6 新校舎増築落成。
  20 終戦(翌年、憲法公布)。
  22 教育基本法、学校教育法公布。大井沢村立大井沢小学校と改称。大井沢村立大井沢中学校設立。PTA結成。
  24 学校林造成。
  26 自然研究発足。
  28 イワナとマスの交配、人工ふ化に成功。校章制定。
  29 郷土室、県より博物館として認定。10月、町村合併により西川町立大井沢小中学校となる。
  30 11月、中学校校舎新築落成。
  31 7月、全国僻地教育研究大会開催。本道寺小中学校・入間小学校と共に分会場となる。
  35 12月、大井沢自然博物館新築落成。
  38 高松宮殿下、博物館見学のため来訪。分校が開校。
  41 11月、新校舎新築落成。
  42 12月、体育館新築落成。
  44 年間研究集録「かもしか」創刊
  45 11月、教員住宅「窓雲寮」落成。
  50 9月、新グラウンド造成完成。
  51 12月、学校裏山にスキー場造成。
  52 小学校完全複式学級となる。アルミプール完成。
  54 11月、大井沢小学校創立百周年記念式典挙行。
  55 小学校百周年記念誌『山の学校百年』刊行。
  58 冬季分校、休校となる。
  60 体育館新築落成。
平成元 7月、自然と匠の伝承館・大井沢自然博物館落成。
  2 11月、寒河江エダム竣工式において「水源地宣言」を群読。
  6 1月、新校舎落成。
  8 2月、檜原・清水原冬季分校、解体。
  14 3月、大井沢中学校閉校。

おおいさわしょうちゅうがっこう・こうか【大井沢小中学校校歌】いわゆる、自然の歌A。作詞は職員一同、作曲は丸子喜一。

一、南をかぎる 山なみは
  夏なお残る 雪の渓
  縞馬の群 かけるごと
  ああ うるわしの 朝日連峰

二、白雪とけて 流れ来る
  水豊かにて 清冽は
  底の小石も 数うべく
  永久の 姿の 寒河江川

三、ああ山高く 水清き
  狭に建てる学び舎に
  自然の多き 恵みうけ
  研き 究めん 吾等こそ(広)

おおいさわしんりょうじょ【大井沢療養所】

おおいさわスノーモービルランド【大井沢スノーモービルランド】見附。

おおいさわセミナーハウス
【大井沢セミナーハウス】

おおいさわだいいち
【大井沢第一】根子・見附・清水原の3集落の統一呼称。

おおいさわだいこ
【大井沢太鼓】

おおいさわちいきづくりけいかく
【大井沢地域づくり計画】1998年策定。策定委員長・佐藤昭一郎さん。1995年から、大井沢区内全世帯の意識調査を実施。この計画を受けて「大井沢の元気を創る会」が発足。参照:上田崇平「大井沢中村の社会伝承」『大井沢の祭りと伝承』平成10年度・明治大学居駒ゼミ調査報告書p6

おおいさわちゅうがっこう
【大井沢中学校】平成14年3月閉校。55年の歴史を閉じる。閉校時の校長は冨樫是行。参照:「学校通信 みやまうすゆきそう」平成14年3月29日号

おおいさわちょくばいかい
【大井沢直売会】平成15年4月発足。会長・松田円治さん。

おおいさわつけもの
【大井沢漬物】

おおいさわでんとうまえく
【大井沢伝統前句】会長・志田国太郎さん。

おおいさわとうげ
【大井沢峠】853m。昭和中期に国道112号が整備されるまでは、外部との主な交通手段は徒歩による峠越えだった。大井沢峠(上峠)は左沢柳川・矢引沢へ至る。下峠は大井沢中村と左沢柳川・道智畑をむすんだ。かつて左沢は、最上川舟運の拠点の一つとして栄えていた。食料などの物資や郵便物、病気の患者などは、これらの峠をこえて行き来していた。

おおいさわとくさんひんせいぞうはんばいきょうどうくみあい
【大井沢特産品製造販売協同組合】昭和60年設立。国有林内に産するメノウ石の商品化に取り組む。参照『月のぼる町』p129

おおいさわトンネル
【大井沢トンネル】昭和61年秋、開通。昭和初期、田ノ沢の渡辺惣次が私財を投じてトンネル掘削の政治運動を展開。徳沢の今野忠蔵もトンネルの実現を強く求めた。昭和51年、当時の区長佐藤喜太郎をはじめとした推進運動の結果、当時県知事板垣清一郎によりトンネル開通事業が完成する。参照「大井沢トンネル大井沢側入口顕彰碑」
(撮影:広)

おおいさわトンネルどうすい
【大井沢トンネル導水】

おおいさわなかむらのみんぞく
【『大井沢中村の民俗』】佐藤義則著。昭和43年、孔版。

おおいさわなんでもかたるかい
【大井沢なんでも語る会】

おおいさわのとうふ
【大井沢の豆腐】武田順一さんのつくる手作り豆腐。とうふを作って40年になる。

おおいさわのげんきをつくるかい
【大井沢の元気を創る会】平成10年7月発足。総数39名、代表・鈴木嘉則さん。
○人工再生プロジェクト講演会の開催(大井沢でできる仕事探し)○先進地視察研修○仕事量の聞き取り調査○報告書と仕事マップの作成と報告会の開催○上記をもとにした学生助っ人隊への意見調査

おおいさわのとちりようけいかく
【大井沢の土地利用計画】秩序ある大井沢の風景整備にむけて大井沢独自の土地利用計画を定めるべきというもの。「元気を創る会」による提言。

おおいさわのななふしぎ
【大井沢の七不思議】
一、宝性山(ほうしょうざん)の法螺(ほら)の貝
二、舎那山(しゃなざん)の夜の雨
三、道智塚の口輪蛇
四、清浄池(しょうじょういけ)の蛙(かわず)鳴かず
五、勢眞上人(せいしんしょうにん)のうなり石
六、水上沢(みずかみさわ)の片実(かたみ)くるみ
七、大井沢に葛(くぞ)は無し
参照『西川町大井沢の七不思議』志田章一著。

おおいさわのねんかんぎょうじ
【大井沢の年間行事】
2月15日 おさいどう
2月   雪まつり
6月15日 道智祭
9月   秋まつり

おおいさわのまつりとでんしょう
【『大井沢の祭りと伝承』】平成10年度明治大学居駒ゼミ調査報告書のタイトル。

おおいさわのれきしねんぴょう
【大井沢の歴史年表】

おおいさわばし
【大井沢橋】発注/日本道路公団。構造形式/5径間連続ラーメン箱桁。橋長/474.0m。最大スパン/112.0m。工期/H8.3〜H10.12。(http://www.pcken.or.jp/006/kyo_05.htm)

おおいさわふじんかい
【大井沢婦人会】平成15年度会長・渋谷節子さん。

おおいさわぶんかじんむらこうそう【大井沢文化人村構想】大井沢にある空き家を県内外に住む文化人に提供。参照『月のぼる町』p128

おおいさわふるさとおうえんだん【大井沢ふるさと応援団】大井沢の地域づくりに参画し大井沢を側面から応援する組織。平成15年5月に設立総会ひらく。

おおいさわふるさとつうしん【大井沢ふるさと通信】

おおいさわふるさとほぜん・なつ・くさかりさぎょう【大井沢ふるさと保全・夏・草刈作業】

おおいさわほいくえん【大井沢保育園】平成15年3月、休園に。

おおいさわむら
【大井沢村】山形県の地名。

おおいさわむら
【大井沢村】茨城県守谷町。〔近代〕明治22年〜昭和30年の北相馬郡の自治体名。鬼怒(きぬ)川下流域に位置する。大木・立沢・板戸井・大山の4か村が合併して成立。旧村名を継承した4大字を編成。役場を板戸井に設置。明治24年の戸数382、人口2,188、厩192、船84、世帯・人口は、大正9年401・2,205、昭和10年390・2,225、昭和25年484・2,810。物産は米・麦など(沿革誌)。昭和30年守谷町の一部となり、村制時の4大字は同町の大字に継承。『角川日本地名大辞典 8茨城県』より

おおいさわゆうびんきょく
【大井沢郵便局】中村。

おおいさわゆきまつり
【大井沢雪まつり】参照:雪祭り

おおいさわリバーサポート
【大井沢リバーサポート】2002年発足。http://www.bi.wakwak.com/~the/ors/top.htm 2004年現在、正式に解散。(菊池)

おおいさわりょう
【大井沢領】
天文4年〜元亀 最上出羽守
元亀元年〜天正16年 最上駿河守
天正16〜35年 大江備前守
元和9年〜寛永15年 酒井長門守
寛永15年〜慶応4年 柴橋代官所
慶応4年5月〜10月 寒河江役所
明治2年 柴橋民政局
明治3年壬10月4日 山形県庁
参照「中村部落の発生について」佐藤友子『峠の小鳥』第三集p105-。

おおえ
【大江】町名。

おおえひろもと
【大江広元】

おおかわたけつぐ
【大川健嗣】参照『月のぼる町』p44-

オオカメノキ

おおくびど
【おおくびど】山の名。大井沢川おおくびど。大桧原川おおくびど。出谷向沢から障子岳ののぼりの途中。右、桧原川。左、大井沢川。大きな沢がある。(英)

おおくればし
【大暮橋】大越川にかかる橋。

おおこし
【大越】川名。

オオタカ

おおたにまさみ
【大谷正実】『峠の小鳥』第三集発行のときの校長。

おおとりいけ
【大鳥池】地名。朝日村。幻の魚タキタロウ。

オオバコ 
びっきぐさ。薬草

オオバキスミレ

オオバギボウシ

おおはらじんじゃ【大原神社】原。お明神さま。

おおばっぱ【おおばっぱ】みずばしょう。

おおひばらがわ【大桧原川】

おおひばらやま【大桧原山】1880m。

おおやまざくら【大山桜】樹木。根子。

オオルリ

おかだせいいち
【岡田清一】東北福祉大学「西川町大井沢の将門伝承−東北の将門伝承−」

オカトラノオ

おくのいん【奥の院】

おぐにまち【小国町】

おくやまきんや【奥山欣哉】海味。前西川町文化財調査委員。

オコジョ 山イタチ。

おさいとう おさいど。お柴燈。高さ2〜3mほどに積み上げたわらに火をともし、豊作を願う。毎年2月、各地域ごとに雪を踏み固めておこなう。

おしん NHK朝の連続テレビ小説。橋田寿賀子作。母親役の泉ピン子や、狩人役の中村正俊が大井沢でロケ撮影。志田みどりさん・ゆり子さん母娘が代役で撮影するが、まぼろしのおしんとなる。(広)

おっしゃぁさま【おっしゃぁ様】原。おしら様、養蚕神社。

オトギリソウ 薬草

おどごゼンマイ【男ゼンマイ】胞子ぜんまい。胞子のないものが、おなごぜんまい。
(撮影:広)

おとみゆき【おとみ雪】お灯明雪。障子岳の残雪。このうえに御殿(ぜんまい取り場)がある。(英)

オニグルミ

オニユリ
(撮影:広)

おみょうじんさま【御明神様】原。御明神様近辺の田んぼがむかし湖であり、その湖の主を奉るために建てたという。9月1日、御明神様のお祭り。(英)
(撮影:広)

おらだのかわかせんこうえん【おらだの川河川公園】中村。雪まつり会場。

【か】
かいこ【蚕】飼い子。おかいこさま。

かいはつセンター
【開発センター】西川町開発センター、間沢。利用期間12月30日〜1月1日を除く毎日(休館日:第2月曜日)開館時間9:00〜21:30(宿泊の場合は6:00〜21:30)
種類 小中学生 一般 備考
宿泊研修 1,000円 2,000円 18:00〜翌日8:30
その他 2,000円 3,000円 18:00〜翌日8:30
各室使用料
室名 単位 使用料
各研修室 1時間当たり 400円
調理室 1時間当たり 500円
西川町開発センター内・生涯学習課

かぎっぱ
 木出し用語。(千鶴子)

カキツバタ

ガザのは
【ガザの葉】たにうつぎ。秋にいっぱいひろっておき、ほうの葉などといっしょに、トイレの紙の代用とした。(千鶴子・英機)

カサブランカ 

カジカ 
魚。

カジカガエル

カシバミ

かぜまつり
【風まつり】かざまつり。

かそか
【過疎化】参照:少子化・高齢化

カタクリ 
山菜。かたご。ヒメギフチョウが蜜をすう。
(撮影:國美)

がっさん
【月山】1984m。
(撮影:広)

がっさんあさひかんこうきょうかい【月山朝日観光協会】

がっさんおおはし【月山大橋】月山沢から仁田山牧場へ向かう橋。

がっさんこ【月山湖】寒河江ダム。

がっさんこまねきのおか【月山湖まねきの丘】地名。
(撮影:広)

がっさんさんろく……【『月山山麓月山沢・四ッ谷・砂子関・二ッ掛の民俗』】山形県教育委員会編。

がっさんさんさいかこうくみあい【月山山菜加工組合】

がっさんさんろくワイン【月山山麓ワイン】虎屋西川工場。

がっさんしぜんすい【月山自然水】上水道の余剰水を利用して昭和58年より発売した。昭和60年、環境庁の名水百選にえらばれる。自然水を利用した商品に「鉄観音茶」「麦茶」「炭焼珈琲」がある。製造:西川町役場水道課。参照『月のぼる町』p.20-

がっさんじざけ【月山地酒】設楽酒造。

がっさんそう【月山荘】志津。

がっさんそば【月山そば】玉谷製麺所

がっさんダム【月山ダム】朝日村。

がっさんつけもの【月山漬物】

がっさんてんねんせき【月山天然石】http://www.ooisawa.com/agate/

がっさんとざん【月山登山】

がっさんなつスキー【月山夏スキー】
(撮影:広)

がっさんはくたん【月山白炭】

がっさんはながさライン【月山花笠ライン】国道112号。

がっさんまち【月山町】参照『月のぼる町』p61-

がっさん〈みず〉フォーラム 2001【月山〈水〉フォーラム 2001】

がっさんめのう【月山めのう】朝日山麓の根子沢上流で発見。

がっさんめのうこうぼう【月山瑪瑙工房】

がっさん・ゆみはりだいらこうえんしゅうへんしせつ【月山・弓張平公園周辺施設】
平成15年度利用案内(西川町企画開発課開発整備係)
施設名 利用期間 利用時間 休日
寒河江ダムスポーツ広場 6/1〜10/31 9:00〜16:00 毎週月曜
山形県立自然博物園 4/26〜10/31 9:00〜16:00 毎週月曜
弓張平公園
(植物園・スポーツ施設)
6/1〜10/31 9:00〜17:00 期間中無休
弓張平公園
(オートキャンプ場)
6/1〜10/31 9:00〜16:00 期間中無休
弓張平公園
(パークプラザ体育館)
通年 9:00〜17:00 無休
冬期毎週月曜
月山湖水の文化館
道の駅にしかわ
通年 9:00〜18:00 毎週水曜

がっさんわし【月山和紙】西山和紙。岩根沢の飯野博雄さん(故)が継承。

がっさんわしこうぼう【月山和紙工房】

かっちゃば【合戦場】地名。

かっぽすがり【かっぽす刈り】羊や馬の冬の間のえさとなる草を、秋に刈りとる作業。(千鶴子)

かとうきゅういち【加藤久一】写真家。ネイチャーセンター客員。『鳥海・蔵王・月山』山と渓谷社。

カヌーきょうぎじょう【カヌー競技場】寒河江エダムまねきの丘そば。

かねいけやま
【金池山】

カノカ 
カノガ。ブナハリタケ。

カブトムシ 
製材所の多かった昭和30年代にはたいへん多くのカブトムシがいた。オガクズの少ないいま、大井沢のカブトムシはほとんど皆無か。

かみつか
【髪塚】

かみとうげ
【上峠】

かめぶち
 国太郎さん宅うらにあった。

かもしか
 天然記念物。山形県の県獣(広)

かもしか 『かもしか』大井沢小中学校の自然学習の成果をまとめた記録集。参照『峠の小鳥』(広)

かもしかがくえん 『かもしか学園』戸川幸夫作、山形新聞に連載。(広)

かやの【萱野】地名。

かやのばし
【萱野橋】
(撮影:広)

かやぶきやね
【かやぶき屋根】

カワウソ

カワガラス

かわごえかんじ
【川越寛二】『峠の小鳥』第四集発行時の校長。

かわだかんしろう
【川田勘四郎】蔵王在住。写真家。山菜の撮影に大井沢へ来る。『樹氷幻想』みちのく書房。(國)

かわめをたてる【皮目をたてる】けものの皮をはぐまえに切り口を入れること。熊撃ちでは、皮目をたてるまえによその組が来れば、よその組の分も人数分分配することになる。「ワラワラ皮目たてろ」参照『朝日連峰の狩人』志田忠儀・西澤信雄p119

かんこうざん
【寒江山】1695m。

かんじき

カンテラ

かんのんこう【観音講】お観音さま。慈悲の神様。ご詠歌をとなえる。

かんぺいくん【寒平くん】寒河江エダムのマスコット。ホンドオコジョ。平成に完成した寒河江エダムというわけで「寒平」。参照:「寒河江エダムにつれてって。」パンフレット

【き】
キクザキイチゲ

キクザキイチリンソウ

きくまろ
【菊麻呂】参照:志田菊麻呂。

きくまろカフェ
【菊麻呂カフェ】中村。カレー・スパゲッティ。

きくまろこけし
【菊麻呂こけし】中村。志田菊宏さん宅。大井沢の木地業は明治32年、当時の部落長志田五郎八が部落の振興と秋田県の川連より木地職人を招聘したことに始まる。はめ込み中央胴細菊くずし胴模様や大正時代の復元こけし。参照:「自然と匠の伝承まつり2002パンフレット」

キクラゲ 
切って3年目の木(おもにブナ)に、春先、雨の降ったころ出る。(千)

きじひき
【木地ひき】参照「大井沢の木地製造業の沿革」『峠の小鳥』第四集p148-。

キジムシロ

きだし
【木出し】ソリ出し。3月ごろの積雪の上を、男女2人組でソリを使い、ブナやナラ・トチノキを切り出して運んできた。四寸はた、ひっぱって山へもっていく。うしろでハンドルを切り、足でブレーキをかける。とち沢のダム、竜ヶ岳の下、木だけ平、みなまた平、とろくだり。炭倉庫で昼食。汽車の枕木、学校の机・椅子。半日に2回。ひと月で2000円になった。橋の上は雪が消えやすいので、芝を敷いた上に雪をのせ、その上をソリをすべらした。

きち、きんしち、にのくらいんきょ
【吉、金七、二の倉隠居】熊撃ちの話。参照『朝日連峰の狩人』志田忠儀・西澤信雄p83

きつね
【狐】鉄分に弱い。参照『朝日連峰の狩人』志田忠儀・西澤信雄p148

きつねあな
【狐穴】地名。

きつねあなごや
【狐穴小屋】

キツリフネ

きのめ
【木の芽】きのもえ(木の萌え)。あけびの芽。

キハダ

キビタキ

キブシ

キャッチアンドリリース

キャンプじょう
【キャンプ場】中村。おらだの川河川公園。

ギャラ 
むくどり

ぎょうじゃにんにく
【行者にんにく】山菜。
(撮影:広)

きりどめ
【切留】地名。

きんぎょくすい
【金玉水】地名。

ぎんぎょくすい
【銀玉水】地名。

キンポウゲ

ギンリョウソウ

【く】
クオリティ・ライフにしかわ【クオリティ・ライフにしかわ】昭和60年12月、第3次西川町総合開発計画を策定。その名称。参照『月のぼる町』p25-

クオリティ・ライフけんきゅうしょ
【クオリティ・ライフ研究所】昭和62年4月設立。参照『月のぼる町』p130

クズ

くちのみやゆどのさんじんじゃ
【口之宮湯殿山神社】本道寺。

クヌギ 
樹木。

くびなしじぞう
【首なし地蔵】中村・大日寺境内。幕府に直訴したものの打ち首の刑をいいわたされ召し捕らえられた農民がいたが、家族が大日寺に祈願したところ、ぶじに戻ってきた。よろこんでお礼参りにきてみると、地蔵さまの首が落ちてなかったという。昭和になって、志田幸吉さんが首をとりつけた。参照『西川町大井沢の石仏といしぶみ』志田章一p35

クマタカ

くまなべ
【熊鍋】

くまのい
【熊の胆】くまの胆嚢(たんのう)。腹痛などに効く。熊の体重とは比例しない。冬眠から覚めたばかりの時期が大きい。えさを食べるようになると小さくなる。ナラの実がよくなった年は胆が大きい。ブナの実がなった年は肉がいい。参照『朝日連峰の狩人』志田忠儀・西澤信雄

くまぶぢ
【熊撃ち】桧原は赤御堂・白糸・中沢・松花・青倉・大井沢川。中村は出谷の大赤沢・枯松・大巻・戸立・平七・ウツボ・西俣・中俣・トガリ。八久和とは大赤沢・枯松・大巻が重なる。

クリ 
樹木。

クリタケ

クリンソウ

クルマユリ

クルミ 
樹木。

くろぶち
【黒渕】地名。

くろぶちのどうもん
【黒渕の洞門】地名。写真あり。(英)

クロモジ

クロユリ 
高山植物。
(撮影:広)

クワの実
【クワの実】

【け】
ゲートボールじょう【ゲートボール場】中村。湯ったり館駐車場にある。

けいおうざくら【啓翁桜】組合長・金子恵一郎さん。
(撮影:広)

けいせいあん【渓声庵】桧原。金子義寛さん・照代さん宅。

ゲタや【ゲタ屋】

ケナシヤブデマリ

ける【ける】あげる。与える。

けんこうまつり【健康まつり】

けんりつしぜんはくぶつえん【県立自然博物園】志津。ネイチャーセンター。

【こ】
こあさひだけ【小朝日岳】1647m。

こうあん
【孝庵】中村。そば・ラーメン。小山 孝さん・裕子さん宅。http://www12.ocn.ne.jp/~kouan/kouan-uppersite.htm

こうげんじ
【光源寺】朝日町立木。享保年間、巨海院に釈迦三尊像を寄進した利海上人が、同時期にこの寺へ釈迦三尊像を寄進。参照「失われた仏像たち」『峠の小鳥』第6集p.

こうじんクラブ
【巧人クラブ】大井沢巧人クラブ。自然と匠の伝承館の巧人の人たちで組織されている団体。上野 勝・三浦一之・杉浦幸次・志田菊宏・安久津邦子・松田淳子・田作悦子。

こうせん
【香煎】(千)

こうぼうだいし
【弘法大師】空海。約1200年前に湯殿山を開山したといういいつたえ。天長3年(785)に大日寺を開基したという。

こうやぶち【こうやぶち】センター前。泳いだ。

こうれいか
【高齢化】大井沢の中では、とくに、上島の高齢化率が高い。参照『大井沢の民俗 平成11年度・明治大学居駒ゼミ調査報告書』p11

1997年現在、大井沢の高齢化率は39.4%。参照:上田崇平「大井沢中村の社会伝承」『大井沢の祭りと伝承』平成10年度・明治大学居駒ゼミ調査報告書p8

こかいいん【巨海院】こかいん。大江町左沢。享保11年、大日寺の住職をつとめていた利海上人というひとが、出身地である大江町の寺に釈迦三尊像を寄進したという。参照「失われた仏像たち」『峠の小鳥』第6集p.

こがねい
【小金井】久治さん。

こきおび
【古着帯】裂き織り。(千)

こくうぞうさま
【虚空蔵様】中村。虚空蔵菩薩を奉っている。湯殿山神社が管理。参照「大井沢の史跡について」『峠の小鳥』第6集 p89

コクワ 
サルナシ。

こくわソフトクリーム 月山銘水館の特産品。

こくどう112ごう
【国道112号】月山花笠ライン。旧六十里街道。
(撮影:広)

こくないがいけんしゅうはけんせいど
【国内外研修派遣制度】西川町の制度のひとつ。

コケモモ


コゴミ 山菜。くさそてつ。

コシアブラ 山菜。おたかぽっぽの原料。
(撮影:広)

ごしきぬま【五色沼】志津。

こしみずきじこうじょうえんかく【『古清水木地工場沿革』】志田五郎右衛門家の文書。

ごしゃぐ【ごしゃぐ】怒る。しかる。

こでら【古寺】地名。古寺鉱泉。

こでらやま【古寺山】

ごとうしょうじ【後藤商事】大井沢出張所。

こどもかい【子供会】

コナラ 樹木。

こまつえんかこうぎょう【小松煙火工業】雪まつりのハイライト、打ち上げ花火を担当する。

こもりじんじゃ【子守神社】

コバイケイソウ

こばやしあきら【小林彰】先生。

こびる【小昼】おやつ。

コブシ タムシバ
(撮影:広)

コンビニエンスストア 大井沢にコンビニは、ない。

こんぴらさま【金比羅さま】桧原。



【あ】 【い】 【う】 【え】 【お】 【か】 【き】 【く】 【け】 【こ】
【さ】 【し】 【す】 【せ】 【そ】 【た】 【ち】 【つ】 【て】 【と】
【な】 【に】 【ぬ】 【ね】 【の】 【は】 【ひ】 【ふ】 【へ】 【ほ】
【ま】 【み】 【む】 【め】 【も】 【や】 【ゐ】 【ゆ】 【ゑ】 【よ】
【ら】 【り】 【る】 【れ】 【ろ】 【わ】 【を】 【ん】