白比丘尼

陰陽師収録 第六話のSpoilerっスから、良い子は読んじゃダメだよ。


白比丘尼に関して云えば日時関係のヒントが少ない。推論で推し進めて行くしかないのが現状ですな。

 霜月の半ば−−−
太陰暦の十一月−−−太陽暦で言えば十二月である。


 十年以上も昔−−−今の帝が、まだ即位して間もない頃都の周辺を荒らした盗賊の一団があり、その盗賊たちを討つために遣わされた武士の中に、博雅の父が入っていたのである。

村上天皇の即位は天慶 9年3月16日(ユリウス暦 946年4月20日)。
博雅の父とは克明親王の事であるが、 この克明親王の没年は 延長 5年9月24日(ユリウス暦 927年10月22日)で辻褄が合わない。
しかし、黒川主の話中に興味深い話が出てくる。 仮に博雅の実父が死亡してから母方の実家関係の紹介で母が再婚したとする。 すると、武士の義理の父が博雅にはいると云う事になる。 義理の父ならば生きていてもおかしくない。 盗賊討伐に出向いたのは武士の義理の父であれば矛盾は無くなるという事でこの話はそう云う事だと思われる。

さて、十年以上も昔で、且、即位して間もない頃であるから 956年以降と云う事に為るだろう。


「何年ぶりかな」
三十年ぶりでございます」
「そうだったな」
「あの時は、賀茂忠行さま−−−」
「まだ、おれが、陰陽の道に入ったばかりの頃であった−−−」
「そして、今夜は晴明さま−−−」

30年前に晴明と白比丘尼は合っている。 賀茂忠行に弟子入りして師弟関係を結んでいなければならない。
仮に晴明がユリウス暦921年生まれとして 10歳で白比丘尼で合ったとする。30年を加えるとユリウス暦961年となる。

この前後‥‥‥960年と962年では太陰暦の十一月−−−太陽暦で言えば十二月と 云う条件に符合しないので961年と推定できると思われる。 つまり、応和 1年11月15日頃(ユリウス暦 961年12月25日頃)と思われる。

ユリウス暦和暦記事
961-12-** 応和 1年11月15日頃 博雅、晴明の屋敷に行く。 白比丘尼、晴明の屋敷を訪問。

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