25

 森田康輔(男子十九番)は農家の母屋の手前の壁につっつくようにして姿勢を低くしていた。

 こんなことになるなら、まだあの場所にいるべきだったと悔やんだが、いまさらどうしようもないことだった。康輔はついさっきまで丘から北へ下る林(草場亮とは丘を挟んだ反対側、距離にしたら、そんなに離れていなかった)に隠れていた。放送でF=1が禁止エリアになると訊いて、動き出したのだ。厳密に言えば康輔が隠れていたエリアはというとF=1ではなくてその一つ北に当たるE=1だったのだが、何せ正確には知りうることができなかったので、自分はF=1にいるかもしれない、という不安のもと北へ動いたのだ。まさにそうしていたときのことだった。

 今こうして、他のクラスメイトと遭遇する羽目になってしまっていた。

 康輔は庭を挟んで、侵入口からすぐのところにある農機具小屋のところを覗った。その侵入口には女の子らしい影が覗いていた。その頭がちょっと上がり、それは谷口香織(女子十一番)だった。そしてその影――香織は銃を手にしていたのであった。それは康輔も同じではあったけれど。

 康輔は初めデイパックを開けたとき、そこには銃(ベレッタ)が入っているのを認めた。だが康輔自身はそれを使ってクラスメイトを殺す気などまったくなかった。使う気はなかったのだが――ぱん、という音がしたかと思うと、同時に康輔からは少し離れた小屋の柱が砕けた。こちらが何もしていないのにいきなり撃ってきたのだった。

 香織の銃はワルサーPPK五十口径だった。威力が高い分、命中力も低く、撃った後の振動も激しいその銃は普通の女の子にとっては使いづらい武器かもしれない。それはどっちかというと、近距離戦用の銃だった。近くで当てることができれば、どんなものも一撃の下で破壊できる威力を持っていた。

 康輔は銃を使う気はなかった――それは人を殺すことなどできるはずもなかったからだ、だがこんな状況では話は別だ、いくら温和な康輔でも、ただ殺されるのを黙って待つなどできなかった。自分を守るためには使うしかないと思った。

 再び、ぱん、という音が響いた。今度は先ほどよりも少し近くに当たった。

 康輔は銃をベルトから抜き出すと、上に向けた。康輔は思ったのだ。彼女は混乱しているだけだろうと、僕が銃を持っていることも知らないだろう。じゃあそれをわからせてやればいいのだ。そうすれば、彼女も怖くなって逃げ出すかもしれないと。

 康輔は空に向けて、銃を撃った。ベレッタの銃口から火花が散り、弾爽が舞った。体の小さな康輔にとっては、比較的使い易いベレッタのその衝撃でさえ、腕がじんじんと痺れた。

「これでどうだい、僕も銃を持っているんだぞ。」呟いた。

 康輔はしばらく姿を隠したまま様子を見た。相手が撃ち返してくる様子はなかった。

「にげたのかも?」再び呟いた。

 康輔はゆっくり体を起こして顔だけをそっと壁から出し、向こう側を覗こうとした。

 ぱん。

 康輔はとっさに顔を引っ込めた。逃げてなかったのだ。

 

 谷口香織は逃げなかった。それは当然のことであった。なぜなら彼女はこのゲームに完全に乗っていたのでから。だが森田康輔が銃を持っているというのは予想外だった。もし相手が飛び道具を持っていなかったら、香織は麻峰高校女子陸上部エースのこの脚を使い一気に差を詰めて、この銃を撃ち込むつもりだったのに・・・・・。

 ああ――そういえば転校生のあの子は・・・・確か・・・・千草とか言ったっけ、足速そうだったな。これは陸上をやっている者にしか分からない感覚みたいなもので、香織にはその人の体系、筋肉を見ればその人が脚が速いのかなどをわかるようになっていた。いつか勝負してみたいな。

 そんなことを考えていた。余裕だったのだ。何せ相手が銃所持の男といっても、あの森田康輔である、どこから見ても小学生みたいなやつだったし、自分が負けるはずがないと思っていたのだった。

 香織はその場に屈み込んだ。それで足元に落ちている小石を集めだした。それにはある意図があったのだ。その意図はというと、名付けて小石のシャワー作戦であった。相手に向けて小石を上から降らすという、名前そのままの作戦である。

 香織は子供の頃から男の子とよく遊ぶ女の子であった。彼女にはこれまでの人生の中で女の子ならみんなが経験していると思われるおままごと″などやったこともなかった。香織にとってはおままごと″に相当する遊びは、戦争ごっこであった。香織自身それは楽しかったし、おままごとなんて退屈そうだとさえ思っていた。そんなこんなで自然と女の子より男の子と遊ぶようになっていたのだ。簡単に言ってみれば、香織はやんちゃな女の子だったのである、常に動いてないと気がすまない性格でもあった、だからこそ陸上という競技がすきだったし――。戦争ごっこの中で男の子たちは何かをやるにつけて、それに名前をつけてやっていた。何々作戦とか・・・・・。それが香織にも伝染してしまっていたのかもしれない。

それが今やろうとしている作戦、小石のシャワー作戦だった。

 こんな撃ちあいの状況で、突然頭上から小石が降ってきたらそれは驚くだろう、だけどそこで驚いたときにあんたは死ぬことになる――

 香織は立ち上がった。手の中には持てるだけの量の小石がびっしりと詰まっていた。

 康輔が隠れている母屋の空に向けてそれを全力で投げた。数秒後、一番体積が重かったらしい小石が落ちた音がした。それが、よーい、スタートの合図となった。右手にしっかりワルサーPPKをもったまま、母屋の方へと走り出した。もちろん正面から突っ込むようなおろかなことはするつもりはない。庭はかなり広かったので康輔がいる場所からは死角となり、康輔が少し体を壁から出さなければ攻撃できないポイントを目指し、距離を縮めにかかったのだ。

 走り出したそのとき、ぱん、という音で香織は振り上げかけた左足が前から押されて、押し戻されるようになり思いっきりバランスを崩した、上半身は前、左足は後ろというアンバランスな圧力を受けた体は、地面と平行に近い状態で浮き上がり、そのまま右回転しながら(軽く二回転はしただろう)ざざざっと地面に落ちた。

 そんな状態になっても香織の頭には、これこそスクリュー式ダイビングヘッドスライディング、なんてことが浮かんだ。

 香織は左足を襲う激痛の正体は分かったが、それを確認するのは怖かった。前に一度足を骨折したことがあった。あのときは激痛だった。だが今はそれさえ遥かに凌ぐ激痛だった。足がちぎれてしまっているのではないか、とさえ思った。

 激痛でどんどん意識が遠のいていくのがわかった。倒れこんだ自分の足元から腰にかけて血が広がっていくような生ぬるい感触が伝わった。

 そして自分がどれだけおろかだったかを今更ながら、思い知った。

 それはこのゲームの乗ってしまったおろかさを悔やんだのではなかった、ただ小学生レベルの作戦なんか実行した自分を悔やんだのだ。

 すぐに香織は気絶した――

 

 森田康輔は両手で銃を構え、煙の上がり続ける銃口を谷口香織の方に向けたまま、硬直していた。心臓は別の生き物のように暴れまわっていた。

 康輔には上から何か降ってくるのがはっきりと見えた、というよりそれが空に向けて放たれる時点をちょうど見ていたのだ。もちろんそれが、何かのきっかけになるということすら見当はついた。そのきっかけというのは、こちらに向かってくることだということも予想できた。

 そしてそれは見事に的中した。小石が自分が背を預けていた壁に当たったかと思うと香織が一気に飛び出すのが見えた。康輔には小石が降ってくることが分かっていた分、冷静に対処できたのだった。それが当たっても別に傷を負うことにもならないと推測し、無視して香織にだけ注意を払っていた。すぐにその姿はここから死角になる庭の端に向かって飛び出した。

 香織はとにかく隠れようとしたらしい場所をまっすぐ見据えて走っていて、こちらは見ていなかった。康輔が小石による不意撃ちで、再び体勢を立て直すには時間がかかると踏んでいたためだろうが、康輔にとっては体を十分に相手にさらして、銃を構えることのできるチャンスであった。とにかく当たれと思って彼女めがけて引き金を絞った。

 そしてそれは命中した。左足だったが、康輔は命までは奪おうとは思わなかったので返って都合がよかった。

 香織の体がぴくりとも動かなくなってから康輔はやっと銃を下ろした。だが心臓は相変わらず暴れまわっていた。

 しかし安心するにはまだ早いと思った。当たったのは脚だから、死んだはずはない、恐らく気絶しているだけだろう。いつ目が覚めるともわからない。このまま逃げてもよいのだが銃くらいは奪っておくべきと思った。

とりあえず康輔は下ろした銃を再び香織の方に向け、そのままの状態で近づいていった。 

 香織の体は倒れたまま動く様子はなかった。香織の銃は少し離れたところに投げ出されていた。とりあえずそちらへ向けて、方向を変えた、そして――

 次の瞬間、目の前に木製の物体が鋭く回転しながら飛び込んできた。康輔はこれには全く反応ができなかった。顔面に当たるかと思ったが、それは鼻先をかすめるようにして手の方に向けてカーブした。

 手に衝撃が走った。その物体は直接手には当たらなかったのだが、その手に握っていた銃を弾き飛ばすように命中した。その物体の勢いがそのまま銃に加わり、握っていた銃が大きく宙を舞い、その代わりに飛んできた物体はすべての勢いを銃に託して地面に落ちた。

 それはブーメランだった。くの字に曲がったカーブをまっすぐにすると、四十センチくらいの大きさのものだった。

 気づいたのが自分に当たる寸前のところであったため、康輔にはそのブーメランがどこから飛んできたのかはわからなかった。それで咄嗟に首を回しまわりを確認したそのとき――、

さっきまで自分がいた場所、母屋の手前の壁にひとりの学生服姿の男が立っていた。一見変わったオールバック、康輔の頭に坂持の言葉が蘇った。彼は桐山和雄くん、ザッツ・パーフェクト。彼に勝てるかな?″

 そのときには康輔は銃へ向かって動き出していた。もちろん自分の銃はさっきの一撃でかなり遠くまで飛ばされていたので香織の銃に向かってであった。

 同時に桐山和雄(男子八番)も動き出していた。こちらは吹き飛ばした康輔の銃めがけて。桐山のスピードは物凄いものがあった。これをもし谷口香織が意識を取り戻していて、見ていたとしたら、たとえ男女という性別の差があるにしても、香織の今後の陸上短距離走選手としての自信をずたずたにしていたかもしれなかった。

 康輔はというと相変わらず遅かった。この光景を例えるとしたらまさにウサギと亀だったのだろう。ただ幸運にも、康輔と銃とは元々そんなに離れていなかったということあり、なんとか桐山より早く銃のたどり着くことができた。安全装置は外れたままになっていた、すぐに桐山へと向けて構えた。勝てると思った――だが――

 さっきまでまだ銃にもたどり着いてもなかったはずの桐山もまた、ちょうどこちらに銃を向けて構えていた。まさに神業的スピードだった。脚の速さも、もちろんのこと、銃にたどり着いての桐山はというと片足でそれを蹴り上げたのだった。銃は見事に桐山の胸の高さまで上がり、桐山はそのまま銃をつかみ(それもその時点でもう撃てる状態の握り方をしていた)そのまま腕を伸ばしただけであった。それはすべて込みで一秒もかかっていなかった。桐山はわずかにリードしていると思えた康輔に一瞬にして追いついていたのだった。

 ぱん、と二発同時に銃声が鳴り響いた。引き金を引いたのはまったくの同時だった。(実際のところこれは桐山が故意に合わせたものであったが、康輔には知る由がなかった。理由はわからないが、あるとすれば、スリルを味わうことぐらいであろう)

 しかし康輔の弾道はというとはるかに桐山から外れていた。ただでさえ扱いづらかった香織の銃、おまけに急いでいたために冷静に構えることさえできなかった。康輔の細い腕は銃を撃ったときに大きく跳ね上がってしまったのだった。

 一方桐山が放った銃弾は、比較的に距離が近かったからだろう、康輔の眉間を貫通し後方へと抜けていた。前から見た点じゃ、ただ眉間に大き目の黒子ができたようにしか見えなかったかもしれない。だが後ろからの光景は凄まじいものあった。銃弾が貫通したときに、頭の後ろ半分も一緒に吹き飛ばしていた。康輔の後頭部は理科の授業で使う人体模型のようにすっかりなくなり、脳みそらしき白いゼリーの塊のほとんどは地面に落ちてしまって横いっぱいに広がっていたのだけど、まだ頭からぶら下がったまま地面に到着しているゼリーもあった。

 そして思い出したように康輔の体はそのままちらばった脳みその上に後ろ向きに倒れていった。

 桐山はその康輔の死体へと歩み寄ると、体の横で一度立ち止まった。それから康輔のわき腹の下に脚を差込み、軽く蹴るようにしてその体を反転させた。それで、もはや何にも入っていない康輔の後頭部の中が露になった。桐山はしばし見入るように見つめた後、自分の頭へと手を掛けながら、康輔の持っていたワルサーPPKへと手を伸ばした。

 その銃の弾が入っていることを確認しながら、谷口香織が倒れている方向へと進んだ。桐山がさっき康輔の頭を見たのは人間の頭の中がどうなっているのかを知るのもいいかな、と思ったからであった。そしてそれはもう知ってしまった。そして今度は人間の構造組織ではなくて、その銃の威力を知るのもいいかなと思っていたのだった。桐山は香織の頭を見下ろす形で立ち止まった。その顔めがけて銃を構えた。その距離1メートルもなかっただろう。 

ぱん、という音とともに香織の顔面が完全に吹き飛んだ。その姿は首なし人間になっていた。首から上はもはや砕け散った残骸が少し残っていただけだったのだ。近距離でのワルサーPPKの威力はそこらの銃とは比べ物にならなかった。まあ香織にとっては気絶したままだったので、死の恐怖を味あわなくてよかったことは、幸せだったといえるかもしれない。

それで桐山はそっと場から歩き出すと、二人のデイパックから弾の入った箱を取り出した。

こうして殺人マシーン桐山和雄は一度に二丁の拳銃を持つことになった。彼に取っては別に銃などなくてもよかったのかもしれなかったのだが、ただこう思ったのだ。

銃があってもいいかな、と。

[残り32人]





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