28

 前田友里(女子十九番)は島の南東の集落にいた。

もう限界だった、さっきから幻覚が見え続けていた。

「クスリ・・・・クスリ・・・・・」

 立つことさえままならない状態になりながらも、先ほどの放送で聴いた通り(そのときはまだ何とか意識がはっきりしていた)この辺りH=8が禁止エリアになるということは認識できていた。とにかく離れなければいけないと思い立ち上がったのだが、地面がぐるぐると回転し、すぐに転倒した。それ以来もう立とうともしていなかった。怖かったのだ。なぜなら今自分は凄く高い建物の上にいた、そこは自分一人がやっと座れるくらいの幅しかないとてつもなく細長の高い建物の屋上だった。もちろん金網なんてない、少しでも動けばまっさかさまだろう。周りは何もなくただ黒い穴がすっぽりと開いている。下なんて見えなかった。

 もちろんこれらはすべて友里の見ている幻覚だったのだが、友里がそれを理解することはなかった。

「クスリ・・・・・クスリ・・・・・・」

 頭が自然とそう言わせているのだろうか、その言葉だけを連呼していた。

 ちょうどそのとき彼女が背を預けて座り込んでいた、家の壁の一軒向こう側の家の前を黒い影が横切っていた。その影は友里の姿に気づいた様子ですっと陰に身を潜めた。しばらく隠れて友里の様子を見ていたが、大きく前方に回り込むような形で姿を現した。友里の様子がおかしいことに気づいたのかもしれなかった。

 その影の正体は古賀龍時(男子十二番)だった。茶色に染めた短髪の男で友里と同じ不良グループに所属していた。

 彼は集落の中でも外れの方にあった少し大きめの家の中に隠れていたのだった。時間的にはまだ余裕はあったが、禁止エリアに選ばれたこの区域にいるって言うことが耐えられなくて、早めに他の場所に移動する途中だったのだ。

 古賀龍時は友里を見つめて(いや、実は友里を見つめていたというのは少し表現が違うかもしれない。彼が見つめていたのは、ある部分一点だったから)、近づいた。

 友里は右膝を地面に付け、左膝を体に引き付けて少し立てる感じの姿勢でぐったりとしていた。ひだスカートは腿を滑り、白い脚が大方露わになった状態になっていたのだった。

 龍時の目はその部分だけを見ていたのだった。すぐ近くまできたときには、下着の端まで見えた。

 友里は相変わらず俯いたままであったが、気配に気づいたのかゆっくりと顔を上げた。

 龍時は慌てた感じで、友里の下着から顔へと視線を動かしていた。

 突然友里の顔が変貌して、驚愕の表情になった。龍時にはそれは自分が友里の下着を覗いたことによるものだと思った。しかし実際には違っていたのだったが龍時には知る由もなかった。

 クスリ中毒による幻覚で苦しんでいた今の友里にとってその突然現れた龍時の姿は殺人者よりももっと恐ろしい生き物として映っていた。それがどんな生き物だったかはわからない、ただ友里にはそう見えていたのだった。

「きゃあああああ」

 友里のその悲鳴に驚いた龍時はとっさに言った。

「ごめんよ、そんなつもりはなかったんだ」龍時は相変わらず誤解していた。それというのも同じ不良仲間とはいっても、龍時は彼女がクスリをやっていることなどしらなかったのだ。

 友里の悲鳴が変わった。

「ひいいい。来ないで!来ないで!」

 龍時は訳がわからなかった。下着を見ただけでそんなに嫌われたのか、俺は?

――違う! 彼女の性格からしてそれなら怒るはずだ。来ないでというのは、俺が怖いのか? それで友里に向かって言った。

「前田! 俺だよ、坂口だ。大丈夫だ、信用してくれ!」そして手をポケットに入れてあったものを取り出して、続けた。

「ほら、俺の武器はこのカッターだ、こんなもんで人を殺せるわけないだろ」

 しかし友里は顔を左右に振りながら、座わった姿勢のまま、両手を地面について尻を持ち上げた体勢になっていた。背中を壁でこすりながら、壁伝いに下がろうとしているようだった。だがそれは友里の傍らに置いておったデイパックに阻まれた。それでもなお構わずに下がろうとしていた。

「なんで逃げようとするんだよ。一緒にいようぜ・・・・」

 友里にはそれは自分に襲いかかろうとしている怪物の呻きにしか聞こえていなかった。もう我慢できなかった。友里はデイパックへと手をかけた。中にはあれが入っていたのだった。

 〝あれ″が友里の手に握られた。それはキウイのような形をしており、周りにはでこぼこの模様が入り、一番上には缶ジュースのように栓があった。

 龍時は友里がなにかを取り出そうとしているのを見ていたが、それが友里の手に握られたときには、心臓が飛び出しそうになった。それは手榴弾だったのだ。

「――嘘だろ――おい、前田、やめろよ・・・・」

 龍時は逃げたかった、だが脚がいうことを利いてくれなかった。まったく動いてくれないのだった。脳が拒否していたのだ、逃げた瞬間友里はそれを投げてくるだろうと。つまり友里との間合いを広げなければ、友里はそれを使えない。使えば俺だけでなく、友里自身も死ぬことになる。一瞬にして脳がそう考え出したのだ。

 だが龍時の考えには大きな間違いがあった。今の友里にとってそんなことを考える理性は存在しなかったのだ。あったのはただ一つ、目の前の怪物から逃れたいということだけだったのである。

 友里の指は何の躊躇もなく、その手榴弾の栓に掛かった。そして何の躊躇もなく抜いた。

 龍時はもう動くことさえ忘れていた。ただ友里の顔がいつもと違うことだけ気づいた。いつもは、悪ぶってはいるもののとてもかわいらしい女の子だった。少なくとも自分はそんな友里のことが好きだった。しかし今は髪の毛が顔一面にかかっていて、目はほとんど白目を剥いている。肌もかなり荒れていた。――まるでリングという映画に出てくる幽霊の貞子だった・・・

 それが最後だった。目の前が真っ白になったかと思うと、物凄い音が鳴り響いた。だが一瞬にしてそれは聞こえなくなった、鼓膜が破れたからなのか、死んだからなのかはわからなかった。

跡には何もなくなったその場に、それを少し離れたところで見ていた一人の人物が出てきた。壁や地面のあちこちには赤い肉片や、白い骨の残骸が散らばっていた。友里と龍時と判別できるようなものは何一つ残っていなかった。

それらを見てその人物は言った。

「ああ、危なかった。すぐに出て行かなくてよかったわ。まさか手榴弾なんてもっているなんてね。全く、無茶しすぎよ、あなたたち」

 そしてその人物はその場から走り去った。その後ろ姿、セーラー服の肩からウージ・サブマシンガンを吊るして、背中側ベルトにはナタらしきものが見えた。相馬光子であった。

[残り29人]





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