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 黒々とした闇が辺りを包み込んでいた。すぐそこからはいまやすっかり聞き飽きた、波が岩肌に打ちつける音のみが、響き渡っている。

宮崎欣治(男子十八番)は、顔を上げて、木立の間から透けるように見える月を眺めた。これでここで見る月は二回目だ。自分は一体何をしているんだろう? 一日中ずっと同じ場所にとどまって足腰が少し麻痺寸前だった。

「どうしたの?」ささやくような声が耳に入り欣治は顔をそちらに向けた。井上和美(女子二番)の心配そうな顔が自分に向けられているのがわかった。

 彼女の体調は十分ではないにしろだいぶよくなっているようだった。そしてそれはもう自分がついておく必要がないということを意味していた。そもそも自分は一箇所にとどまり続ける気などはまったくなかった。ただこそこそ隠れていたとしても所詮三日間の命だ。そんな時間の無駄なことをしている時間があるなら、信頼できそうなクラスメイトを集めて、この状況から抜け出すための対策を練りたかったのだ。だがそれを行動に移す前に彼女が現れた事によってその計画は今の今まで忘れ去っていたのだ。今こそ計画を実行に移せる時ではないのか?

 和美は心配そうに言った。「宮崎くん、疲れてるよね。寝てていいよ、あたし、もうすっかりよくなったから、見張りくらいできるよ」

 その言葉は普通なら喜んで受け入れられたかもしれなかった。だが今の欣治には寝る時間も惜しかった。とにかく早くしないと手遅れになるかもしれない。一日が終わってみんな冷静になるどころか、逆に死亡者が増えている。これ以上このクソゲームの犠牲者を増やしたくはなかった。

 欣治はもとの楽しかった三年B組にどうしても戻りたかったのだ。それには一人も死亡者を出してはいけなかったのだが、もはやそれはかなわない。それならせめて自分の想っている女の子――平田亜由美だ――にだけは会っておきたい、それでできれば助けてあげたいというのが望みだった。

 彼女の裏の顔を知っている欣治は始め、そう簡単にやられる彼女ではないという思いがあったのだが、それは飛び交う銃声を聞く度に別の思いに変化していった。当初の考えでは彼女は強い、それは自分が助けたりしなくても大丈夫だろうと思っていた。だがそれは裏を返せば彼女は、大胆に移動しつづけている(もしこのゲームにのっているならばだが)ということもありうる。今の自分のようにずっと隠れているのなら誰とも遭遇せず、生き延びられるということもあるが、動き回るというのはいくら彼女が強いといっても危険すぎる、下手をすると殺される可能性だってあるのだ。

 やはり自分も行動すべきなのだが、そうすると井上さんはどうなるってしまうのか? 自分の身勝手で彼女まで危険に晒すわけにはいかない。かといってここに置き去りにするのはそれこそ無責任ではないのか? こういうときこそ話し合うべきだ、話し合いもしないで一人であれこれ考えても何も始まらないだろう。それで心配そうに自分を見つめ続ける和美に言った。

「井上さん。もう体のほうは大丈夫なのかい?」

 それで和美の顔が元気そうに、にこっと笑むと言った。

「うん、宮崎くんのおかげでほらこの通り」それで小さくガッツポーズを作ってみせた和美だったが、ガッツポーズというより、冷たい水かなにかをかけられてはしゃぐようなポーズに見えた。とりあえずそんなことは置いといて欣治は言った。

「実は今後のことでちょっと話がしたいんだ。えーと、つまり、ここで隠れ続けるか、動いて誰か信頼できそうな人を探すとか・・・・」はっきりと言うことができなかった。どうしても彼女に気を使ってしまう。いやこれじゃだめだ、自分の意見をはっきり言うべきなのだ。その後の判断は彼女に任せるとしても。

 それで意を決して言った。「井上さん。俺、もうここでじっとしているわけにはいかない。このまま隠れていたとしてもあと二日の命だ。それなら残りの時間精一杯やれることをやっておきたいと思うんだ。もちろん井上さんを俺の身勝手で危険な目に合わさるわけにはいかない。だからここにここまま隠れていても構わない」その間和美は真剣な眼差しで聞いていたのだが、すぐに言い返した。

「宮崎くんの考えは間違ったはいないとは思う。けどそれは危険すぎるよ、どこに誰が隠れているか分からないし、いきなり襲われる事だってあるかもしれない」

 欣治はそれを聞いていて和美が自分の反対をするものだと思った、だが違った。

「けど確かにこのまま隠れていても仕方がないようにも思える。わたしもできる限りのことをやるべきだと思うわ。もちろん宮崎くんが許してくれるのならわたしも一緒に行きたい、けどわたしのことが邪魔というのならこのままわたしのことは構わず行っていいよ。」

 正直その言葉に欣治は迷った。彼女にとって安全な方をとって自分ひとりで行くことを選ぶべきだろうか、それとも危険でも彼女を連れて行くべきだろうか。―――だめだ、分からない! どっちにしても危険が伴うことには変わりない。決心が揺るぎそうだった。やっぱり二人でここに隠れておくべきなのか?

 だがその迷いを中断しなければならないような物音が突然として耳に入ってきた。

 がさがさ、と誰かが茂みをかきわけてこちらへと向かってくるような音が聞こえ出したのだった。和美もその音に気づいたようだった。口に左手を押し当て息を殺すようにしていた。今は夜に入ってしまって周りも真っ暗だったので、このままやり過ごせるだろうと思っていた欣治だったが、それは甘い考えだった。

 その音はちょうど自分達が隠れている茂みに向けて一直線に近づいてきたのであった。欣治は自然と傍らに置いていたカマへと手を伸ばしていた。武器といえばこのカマと和美の支給武器である木刀しかなかった。木刀の方は未だに和美のデイパックの中にしまったままであったので取り出すことはできなかった。そんなことをしたら物音を立ててしまうことになり、相手にこちらの存在がばれてしまう。相手は誰だか知らないがこちらには気づいている様子もなかった。ただ不運にも偶然こちらに歩いてきているのだ。だがこのままだと自分たちと鉢合わせになるのは時間の問題だった。

 自分が隠れていたときは相手が誰であろうと殺す気などないと思っていたが、実際こうして誰かと遭遇する場面になって、いかにその考えが愚かだったかを実感することになってしまった。アニメのヒーローじゃあるまいし、相手が容赦なく自分を殺しに向かってきたら、傷つけずに追い払うなんてそんな器用なことはとてもじゃないができるはずもないだろうし、そんなことしながらやりあったら自分自身の命がいくらあっても足りないだろう。もちろんこの音の正体が敵とは限らないが、こんな夜中に動き回っているやつは敵と考えた方が妥当だろう。

 やっぱり殺すしかないのか? このまま隠れていて相手がすぐそこに来たときに飛び出せば、不意を突いて確実にこの勝負は勝てる。いくら自分の武器がカマだといっても、一応凶器である、思いっきり切りつければ当たり所では即死させることさえできるだろう。

 そうこう考えているうちにその音はもうすぐそこまで迫ってきていた。いったん和美を見やった。体が震えているようだった。相変わらず左手で口を押さえていたが、右手は地面をしっかり押さえつけて、体のバランスを保ち少しの音も出さないようにしているらしかった。欣治はその和美が自分の方を向いたのを確認して、カマを持っているのとは反対の左手でここから動かないで″といったジェスチャーをした。和美は理解したのかただ目を大きくして欣治の目を見返してきた。おそらくそれはどうする気なの?とかいう合図だったのだろうが、欣治はそれに答えるまでもなく再び音のするほうへと顔を戻していた。

 今の和美の怯えた様子で欣治の気持ちは固まっていた。自分がやらなければならないことは和美を守ることだ。例えそれが相手を殺すことになっても、彼女を守るためには自分が手を汚すことになってもいい・・・・・・。

 人影の足元が茂みの隙間から覗けた。すぐ傍まで来ていた。欣治はここしかないと思い一気に茂みから飛び出した、もちろん右手のカマを振り上げながら。だがやはり殺すことはできそうになかった。その人影が目の前に迫った、完全の不意を突くことができただろう。最初の一撃は当てるというよりただ威嚇のために振り回すという考えだった。その間に相手の顔を確認するのが目的だ。

 だがその誰かは、欣治が飛びだしてきたというのに驚いた様子もなかったのだ。というより欣治を見もしなかった。ただ俯いたままであったのだ。それで欣治はまったくわけが分からなくなった。これは作戦なのか?とも思ったがこんな作戦そもそも存在しないだろう。そんなことをしていたら逆に殺されてしまう。だが欣治は訳がわからない一方で戦闘体勢は解いていなかった。何が起こるかはわからないのだ、相手がやる気が無さそうでも完全に信用するには早すぎる。それにその相手(顔をしたに向けたままでまだ誰かは分からない)はやる気がないというより、人間的におかしかった。普通驚くか何かの感情を示すだろう・・・・!

 そんな思いの中、その相手の顔がゆっくりと上がった。闇の中でもその顔をしっかりと確認することはできた。秋山洋二(男子二番)だった。不良グループの一人だ、信頼できるやつとは言い難かった。それで欣治は再びカマを構えようとしたが、洋二は焦点の合わない目で欣治を見つめた。唇を震わせながら、その口が開くのがわかった。

「た、たすけて・・・・・」

 欣治はそれが何を意味するのかが初め分からなかった。というよりあまりに消え入りそうな弱々しい声だったので聞き取るのもやっとだった。

 欣治は何も言えなかった。いつの間にか右手のカマを握る力が抜けていた。ただ洋二の腹部に無意識に目が動いていた。そこからは鼓動に呼応するかのように、一定のリズムで血がどくどくと流れ出していた。

 洋二は腹からしぼりだすような声でもう一度言った。「たすけて・・・」

 目をかっと見開いたまま、洋二は一瞬静止したように見えた。それがゆっくりと動き出した。前のめりに倒れてきたのだった。欣治の横をかすめるように倒れたのだが、欣治は全く動くことができなかった。出来たことと言えばスローモーションのように流れるその光景を見つめることのみだった。

「秋山くん!」という声が背後から聞こえた。和美の声だった。それが欣治の思考を正常にした。はっ、と我に返るとすぐに屈み込んで洋二の体を仰向けにした。

 完全に息は止まっていた。「死んでる・・・・」欣治の口から洩れた。

 死んでいる。それはわかったのだが、相変わらず腹部からは血が流れ出し続けていた。先ほどは気づかなかったのだが、そこには深々と包丁が突き刺さっているのがわかった。血がどす黒いところを見ると、肝臓まで達しているらしかった。恐らく刃渡り三十センチくらいあるだろう。

 思った以上に冷静な自分に驚いた。秋山洋二がまだ生きていたときには、心臓がばくばくいっていたのが自分でもわかったが、相手が死んだとわかったとたんにこうも冷静になるとは、クラスメイトの死に安堵を感じているのか、俺は?

 自分が恐ろしくなった。知らず知らずのうちに自分がこのゲームの取り込まれていっているようだった。

 欣治は顔を和美の方へと向けると、俯いたまま震えていた。声は出していないが泣いているのかもしれない。欣治はその和美の姿をしばし見つめていた。

 このとき初めて自分の愚かさに気づいた。自分が彼女を守ってやるとかそんな考えが、なんて愚かだったのかということがわかったのだ。守られていたのは自分自身だったのかもしれない。自分がかろうじてこのゲームに取り込まれなかったのは彼女のおかげだったのだ。彼女こそが、自分をこのマトモな状態で維持させてくれていたのだ。それは守られていたのは自分だったということになる。

 それで欣治は和美の震える肩へと手を乗せて言った。「井上さん、俺はようやく気づいたよ。君がいてくれたおかげで俺は生きてるんだ――、いや、正常でいられたんだ。危険が伴うかもしれないがこれからも共にいてほしい」ごく自然に言葉が出てきた。もはや恥ずかしいという感情すら無くなっていた。それほど彼女の存在が自分の中で大きくなっていたのだった。

 和美はただ頷いた。そしてそれは和美に勇気を与えたのか、和美の震えは止まったようにも見えた。そして言い出した。

「宮崎くん、早くこの場所から――離れないと――」やはりまだ震えているのか言葉が途切れ途切れだった。「秋山くんを――刺した人が追ってくる――わ」

 欣治はあくまでも冷静な思考を保つことができていた。あくまでも推測の域ではあるのだが、和美に切り出した。

「大丈夫だよ。だれもこない。秋山があの状態で追っ手から逃げ切れたとは思えない。つまりもし追っ手がいたら秋山は俺たちのところまでは来れなかっただろうし、その前に殺されていたはずだ。多分最初に刺した時点でそれが致命傷だということでとどめを刺さなかったのだろう」自分でも驚くくらいにすらすら物事が浮かんできた。

 だが秋山洋二のことにこれ以上ふれることはやめにした。つらいがもう亡くなってしまった人間だ。今やるべきことに集中すべきだった。

 急ぐ必要はなかったが、これは自分たちがこの場所から動き出すというきっかけになるだろう。そして今度は和美も一緒に行く。

「井上さん! さっきの話だけど俺と来てくれ。もちろん危険は伴うけれど、俺には君が必要なんだ!」それは普通の状況ならまるっきり恵の告白だったに違いない。だが今の状況、そんな青春に満ち溢れてはいなかったのは言うまでもなかった。

 ただ和美は欣治の目を見つめて大きく頷いた。

 欣治は洋二を殺ったのは誰なのかと考えたのだが、分かるはずもなくすぐに止めた。回りは敵だらけ、その中で信頼できる人物を見つけ出す方法だけを考えることにした。あるのか、そんなの、とも思ったができる限り頭を働かし続けた。

 二人は荷物をまとめるとその場を後にした。その間欣治はカマは背中側にベルトに差し込むことにし、木刀を手にしていた。木刀なら思いっきり殴りつけても殺すことはないだろう。

[残り24人]





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