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 島のほぼ中央、分校からやや東に当たる山奥には、藪林が広がっていた。その藪の中、暗闇に包まれた空間に、一箇所月明かりが差し込んでいる場所があり、そこには比較的大きめの池が水面をかすかに揺らし、ダークブルーの水をたたえていた。

 ウシガエルと思われる、グオーグオー、という泣き声が響いており、泉の家の隣にある排水溝から響き渡るカエルの音楽そのものだったので、昼間の明るいときに見たとしても、ここの池の水はそれほどきれいなものではないのかもしれない。それは今この場にいる伊那泉(女子一番)にとっては重要なことであった。というのは彼女の支給の水はもはやほとんど残っておらず、補充しておく必要があったのだ。

 泉は今一度、水と同じく与えられた、地図に見やった。さきほども確認したのだが、やはりこの場所は載ってなかった。池など記載されていなかったのだ。まあ湖でもあるまいし、当然のことといえば、当然のことかもしれないが。

泉にとってはこの場に行き着いたことは、うれしい偶然だった。水がいくらでもあるからだ。だがやはり飲み水にするなら、きれいな水に越したことはない、しかしそれは状況によるのかもしれない。それを証明するように彼女はつい先ほどほとんど空のペットボトルにその池の水でいっぱいにしていた。お腹をこわすかも知れないが、今自分がいる状況を十分に理解した上の判断だった。

 そして今、泉は池から少し離れたにところにある木陰に姿を隠していた。先ほど水を汲みに池に近づいた時には、ウシガエルの鳴き声が一斉に止んだ。それで思いついたのだが、誰かがこの池に近づいたときはウシガエルが知らせてくれるのだ。ウシガエルが鳴き止んだときこそ、注意すればいいのだと。そもそも彼女の支給武器はサラーリーマンがよく使う携帯情報端末みたいな機械だった。初めはそれが何なのか見当もつかなかったのだが、説明書をひねくりかえして調べた結果、それがレーダーだということがわかった。あの坂持がいる分校にあるらしいコンピュータは、生存者全員(島全体のだ)のいる場所がわかるらしいが、いま自分が持っているソレはそのコンピュータの小型版だと考えていいだろう。ただしその探知範囲というのは比べ物にならないほど狭いが・・・・・、だがこれはどんな武器にも劣らず大当たりだと、思っていた。

 もちろん泉はこれまでに誰とも遭遇していなかった。まあ正確に言うと、遭遇することを自ら避けた、と言えるだろう。まだ明るい内にこのレーダーには何度か反応があった。それは即ち、誰かが近くにいるということだったのだが、その度にその反応の正反対の方向に足を進めてきたのだ。泉は思っていた、これさえあれば、最後、うーん、少なくとも最後の二人になるまでかな、あたしは、生きていられるということを。そしてその相手は間違いなく殺し合いを続けてきて、ぼろぼろになっているのは言うまでもない。おまけにその誰かがいる場所をあたしは、正確にわかる、ときている。勝負は見えている、相手がどんなにすごくても、どんなにすごい武器を持っていたとしても。

あたしは帰れるのだ、お父さんとお母さんのいる、あのすっごく居心地のよい、あの家に・・・・・・。

 そんなことを考えながら、ただひたすら隠れていた。一晩中その端末を見続けるのはさすがに疲れるだろう。だからそれはウシガエルたちに任せて、もし彼らが(蛙を彼らなんて呼ぶなんて今まで考えられなかったが、なんか恵着が沸いてしまったのだ)静かになったときには、あたしはその後端末を見て逃げればいいのだ。けれどこんな山奥の辺境に来る人物などいるのだろうか? 特にこんな夜中に。それで泉はちらっと腕時計に目を移した。十一時を回っていた。十二時には坂持の放送があるはずだった。問題はそれだった。それを聞くまでは安心できなかった。いくらクラスメイトから逃れることができても、禁止エリアに引っかかれば、アウトだった。それを聞き逃すわけにはいかなかった。贅沢をいうなら、今自分がいるE=5も禁止エリアに入ってほしくなかった。今日はここで休みたい昼間にあまりにも動き回りすぎた。文化部に所属しており日頃から運動から全く疎遠だった泉の体はいまや悲鳴を上げていたのだ。

 それにしてもウシガエルの鳴き声は凄まじかった、よくもまああんな可恵げもなく鳴けるものだ。意識をその鳴き声に集中するあまり、ひどくうるさく聞こえてきた。しかしうるさければうるさいほどそれが止んだときには、すぐわかるときている。皮肉なものだなあ、あたしは蛙なんかに命を預けているなんて。世の中どうなるかわかんないものね。

それで泉は、レーダーを傍らのデイパックの上へと置き、軽く手足を伸ばした。少なからずがさがさ、という音が響いたが、レーダーには何の反応もないので、それなりに大きな音とか立てない限り、問題はないと踏んだのだ。音といえば銃声がこのゲームが始まって以来数多く響き渡っていたが、それは当然としても、昼間に聞こえた爆発音は何だったのだろうか? あの音からして自分からそんなに離れていなかったはずだ。といってもレーダーの探知範囲というのが半径二百メートルぐらいのようなので、それ以上は離れているということにはなるが。

 ――やめた。考えるのはよそう。無駄に疲れてしまう。ここはじっと疲れを癒すことが先決なのだ。ただ眠るわけにはいかないという条件付きだが。やはり一人は疲れる、もし交替で見張りなどをやってくれる誰かがいたら、ずっと楽になるには違いないのだが――。それも無理だった。自分が今持っている武器は一人でいることで最大限に利用するべきなのだ。誰かと組んだりしたら、この武器の魅力で裏切られ、寝首をかかれるかもかも知れない。それに生き残れるのは一人だ。最後に二人いたとし、二人とも仲間だった者同士であっても、結局殺しあうことになるのだ。そのときにはこのレーダーなんて役に立たないだろう、敵(といっても味方だった人)はすぐ傍にいるだろうから。そうなると、武器を持たない自分は不利だ。仮に勝てたとしても・・・・・、その可能性はかなり低いだろうが、どんなひどい怪我を負うか分かったもんじゃないし。

 やはり確実に生き残り、このレーダーの機能を最大限最後まで活用するためには、最後まで誰とも手を組まず、独りで過ごすことが一番なのだ。

 もう少しの辛抱だ。現に自分は全く手を汚すことも無く、クラスメイトたちはどんどんと減っていっている。あと二日耐えさえすればいいのだ。一生分の忍耐をここで使う気で行こう、泉はそう決心した。

[残り23人]




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