36 島のやや南東、分校からさほど離れていないところには一本の大木があった。そしてその大木を取り囲むように柵が設けられており、一箇所ある出入口らしい扉のところにはしっかりと施錠がされていた。そんなことしても、おおよそ柵の高さが不十分なため、ある程度運動神経のよい者なら、子供でも乗り越えることは可能であろう。まったくの無駄金だ。こんなものを作るくらいなら、他にやるべきことがあるだろうに。そう思い、七原秋也(男子十五番)は自分の後方に建つ神社らしき建物を見つめた。そこは鳥居も朽ち果てて無残な姿をさらしていた。さきほど確認したところ南村神社という名前らしい。神主はいたのだろうか? いたとしたら相当な自然恵護者だったに違いない。自分が暮らすところがあんなに朽ち果てているというのに、この大木の回りの柵を優先するとは。見たところ、柵はまだ新しいようだ、作られたのも最近だろう。 そうしてまじまじと大木の上方を見上げた。もちろん誰も登ってはいないはずだ、登れるとしたらそれは猿ぐらいに違いない。人間にできるとは思えなかった。幹の太さは大の大人五、六が両手を目一杯広げ、ようやく届くくらいであったし、おまけにその幹皮はというと、樹齢何万年(まあこの大きさからいって恐らくそのぐらいだろう)にもかかわらず、生き生きしていて、つるつるしていた。足をかけるところなどないし、もちろん掴むところもない。この上に登って隠れていたら、確実に最後までは生き残れるだろう。 こんなふうなことを考えている間、秋也は全身を無防備にも周囲に晒していた。それは危険であるということは言うまでも無かったのだが、秋也自身はそれほど危険性を感じていなかった。それは今が幸運にも曇りで月明かりがほとんど効果をなしてない夜中だったこともあったが、それ以上の理由もあったのだ。 秋也は何気に自分の胸の辺りをさすった。窮屈さを感じたのだった。普段着込んでいる服とは別にその学生服の下にあるものを着込んでいたのだ。防弾チョッキだった。 改良に改良を加えられてきて、重さこそはそれほどなかったのだが、やはり普段着馴れた服と比べると、やや重みを感じるし、一番の問題はその感触だった。当たり前のことだが柔らかさというものが微塵もなく、動くたびにその硬い感触が胸に伝わっていたのだ。 だがその防弾チョッキのおかげで秋也は幾分大胆に動くことができた。たとえ拳銃か何かで、不意打ちを食らったとしても、素人が狙うところは、やはり体だろう。これは決まっている、顔を狙うやつなんてそうそうはいないだろう。一般に言われていることでは、体は狙いやすいとかなっているが、実のところそれは違うのだ。人間が普段生活していて、きれい、汚い、美しい、ブサイクなどと判断する決定的な基準というのは、やはり顔なのだ。ということはもしその顔が変形してしまったとしたら、人はもっともグロさを感じるのである。誰が好き好んでグロい光景を目にしようとするだろうか? 人は無意識に顔を避けているともいえるのかもしれない。その点自分の体には防弾チョッキというものがあるし、武器こそないが、そこそこの体術は身に付けている。まあ、杉村弘樹ほどではないかも知れないが。 とりあえずこれからどうするかだ。偶然にもこれまで誰とも会わなかった。結構動き回ったはずだったのだが、まあ、それはそれでいいことなのだが。秋也はというとあまりこのゲームには乗り気ではなかったのだ。もちろん相手が向かってくれば、こちらとて相手しないわけにはいかないだろうが、一方的に殺しをしようとは思っていない。それよりも無差別にこのゲームの選ばれた者のためになるようなことをしたいとさえ思っていた。ただ坂持が言ったあの洗脳≠ニかいう言葉により、彼らが自分を信用してくれるとは思えないが。分校で紹介されたときに政府の連中に事前に言われていたこと(教室に入る前にふざけた態度をとったら、撃ち殺すと脅されていたのだった)に反しておちゃらけた態度をとっていたら、事態は変わっていただろうか・・・・・。 秋也は意味のないことを考えるのは止め、他のことを考えることにした。 ここはやはり脱出する方法を考えるべきだろうか。それで秋也はふと思った。そもそも自分が脱出の方法など存在するのだろうか? 脱出などしてもすぐに見つかってしまうだろう。いや、それ以前に遠隔操作による心臓の爆弾で一発で殺されるかも知れない。どちらかといえば後者の可能性の方が高いだろう。もちろんそれは、ここにいる坂持らによりそうされるとは限らない。安全なところで悠々と過ごしている政府の役人によりスイッチを押されるかもしれない。秋也はそういう連中にこそ腹が立った。こちらからそんなやつらに立ち向かうことはできないだろう。自分が生き残るには今の政府の役人全員を潰すしかないというのにだ。 ――やはり万に一つも自分が生き残る術はない。たった一つ自分が、勝ち残るということを除いて・・・・・・。他のみんなを殺して生き残ろうとは、思っていないし、どう転んでもやはり死ぬだろう。それじゃ、やることは決まった。自分のためでもあり、なおかつ他のみんなのためでもあること。それは、この島にいる政府の連中に立ち向かうことだ。せめて最後ぐらいは人間として生きた、という証を残したい。今まで、言われるまま生きてきて、言われるままの行動をしてきた、ただのロボットでしかなかった、最後の抵抗をするときがまさに、今なのだ。 秋也は踵を返し大木に背を向けた。目の中に先ほど確認したとおり、無惨な姿を晒した境内が飛び込んできた。相変わらず薄気味わるい。幽霊でも出るんじゃないか。信じちゃいないけれど、背筋に寒気が走った。 ふう、と深く深呼吸をした、怖くはないが、気味は悪い、そんな感じがしていた。だがそんなことを気にする場合ではない。とりあえず、今晩は境内の中ででも過ごすとするか。こんなに気味が悪いんだ、こんな場所に好き好んでくる者なんていないだろうし、ゆっくり休むことができるかもしれない。比較的運動が好きな秋也のとっては、一日中動きまわったというわけでもなかったし、それほど疲れが溜まってはいなかったが、明日はどうなるかは、わからない。眠れるときに眠っていた方がいいと踏んだのだった。 それで秋也は境内に向かって歩を進め始めた。 だがすぐに止めた。何か違和感があった。何かが違っていた。最初にここに来たときとは、何かが違っていた。 ――何だ? 朽ち果てた鳥居、荒らされた庭、庭石、記憶の範囲では何も変わったところはない。だとすると境内か? そこまでくるとすぐその違和感の正体が分かった。扉だ! 境内の中へ入るための、観音開きの扉の片方は、自分がここに来た当初は確実に開いていた。それが今は両方ともしっかりと閉じられていたのだ。俺が大木に注意を向けていたときに、誰かが入ったのか?それとも元々中にいて、俺に気づいて閉めたのか? いや、ひょっとすると・・・・・幽霊か? そんなことを思い秋也は苦笑いを浮かべた。まったく少しは焦れよな、俺は。あの中に恐らく誰かがいるんだぞ。 しかし、それはそれでおかしなところもあった。まあ元々中に隠れていたのならともかく、もし外から入ったというのなら、なぜわざわざ俺がいるところに隠れたんだ。それ以前に俺に気づかなかったとでもいうのか? とにかくおかしなことばかりだった。 どうするべきだろうか? 相手を下手に刺激せずにこのまま去るべきだろうか。 だが、やはり俺に気づかなかったわけがない。あんなに姿を晒していたのだ、それなのに襲ってこなかったということは、その誰かがやる気になっているとは考えにくい。どうにか話し合いに持ち込んで折り合いをつけることができないだろうか。 しばし考えた――、 無理かもしれないが、やってみる価値はありそうだ。とりあえず何か新しいことを始めなければこのままじゃラチがあかないと思ったのだ。 それで秋也はなるべく相手を刺激しないように、ゆっくりと境内に近づいた。木段がありゆっくり足を乗せたのだが、思った通り年期の入ったその木段は悲鳴をあげるように、きしいだ。 秋也は悟った。この境内に中にいる誰かは、元々この中に隠れていたのだと。さもなければここの入り込んだとき、今自分がやったように音を立てていたはずである。その間、注意を大木に奪われていたとはいえ、それなりの音だ、気づかないわけが無い。まあそんなことは今は関係ない、秋也はじっと閉じられた扉を見つめながら、段を踏んだ。 扉の手前まで来ると、一呼吸ついた。自分がここにいることは音で気づいているかもしれない。あとはここからどうすべきかだ。いきなり中に踏み込むのは避けた方がいいだろう、ここはいったん話しかけるべきか。――それしか方法が思いつかなかった。意外と単純な方法しか思いつかない自分に腹がたったが、自分に腹を立てても仕様がないので気にしなかった。 「誰かいるのか」秋也は言葉少なげにそれだけ言った。 ―――。 返事はなかった。それでもう一度言った。 「誰かいるなら答えてくれ。俺はやる気はないから大丈夫だ」 ―――。 やはり答えは返ってこなかった。警戒しているのだろうか? もっと具体的に、やる気ではないということをアピールすべきなのか。 「聞いてくれ、俺は武器は持っていないし、やる気もない。信じられないかもしれないが、信じてもらうしかない。ほら、だってそうだろう、やる気になっているなら、わざわざこんなふうに話しかける必要などないだろ」 それで秋也はいったん言葉を切った。信じてくれるだろうか。 ―――。 相変わらず返事はなかった。聞こえていないのだろうか、しかし今以上に声を張るわけにはいかなかった。そうすれば、誰がその声につられてやって来るかわかったものじゃない。俺自身はいいとしても、中の誰かにも危険が及ぶだろう。 仕方なく秋也は扉に手を掛けた。これ以上待っても返事はないだろう。それならこちらから直接入るまでだ。もちろん相手がどんな武器を持っているかわからないし、扉の向こうで待ち構えている可能性もある。ここは慎重にいくべきだろう。 扉にかけた手は意外と簡単に押し込むことができた。鍵は掛かっていないらしかった、もっとも鍵なんかあるとは思えないが。おまけに開かないように固定さえされていないらしかった。そういう場合は一般的に罠という可能性が高いだろう。秋也はそれで何かが仕組まれているだろうと察知した。力を込め扉を押し、まだほとんど開かないうちに秋也は横へと身を隠した。 扉が開ききって、どんっ、という音とともに内壁にぶつかった。しかしそれだけだった。何も起こらなかった。秋也からは中は見ることができなかったが、少なくとも誰かが待ち受けているという感じはしなかった。それで顔をそっと入口に近づけ、そっと覗き込んだ。 中の様子が見て取れた。すっかり夜目も利くようになっており、はっきりと見えたのだが、その範囲では誰もいなかった。 ―――おかしい。誰かいるはずだ、――そうは思ったのだが、少しずつ自信がなくなってきた、俺の勘違いだったのか? もともと扉は閉まっていたとか? ありうる! 昔からそそっかしいところがあったし、俺。 だが一応中に入り確認することにした。もしかすると怖くて隠れているということも有り得なくはない。 秋也は警戒心を怠ることなく扉をくぐった。一歩ずつ足を進める度に床がきしいだ。相手が動いたらすぐ分かるはずだ。だがさっきからその様子はないし、やっぱり自分の勘違いだったのだということで結論に達した。 はあ、と一つため息をついた。第三者から見たら、とんだ間抜けだったろうな、そう思った秋也だったが、外に出ようと踵を返そうと首を後ろに振り向けたそのとき―― 一瞬にして体全体が凍りついた。 先ほどまでは確かに誰もいなかったはずだった(いるはずがない今自分はそこから入ってきたのだから)扉の前にセーラーを着た、肩よりも少し長く美しい髪をした人影が立っていた。じっとこちらを見据えて。 ――相馬光子(女子8番)だった。 その光子の口が開いた。「あなたねえ、人がせっかく同じ施設で育ったよしみで殺さないでおこうと思ったのに、人のこと干渉しすぎよ、それにあなたみたいに善人ぶった人もあたしは大っ嫌いなの、悪いけどここで死んでくれる」 そういうと光子は腰からぶら下げた、カステラ箱みたいなものを持ち上げた。秋也はその箱の先に短い鉄パイプみたいなものがついており、そのパイプは空洞になっているのが見て取れた。マシンガンか!!? 危険を察知した秋也は、生まれ持った抜群の運動神経で、ほとんど爪先だけの力に頼り、側面へと跳んだ。同時にぱららららら、という音が響いていた。的を外れた弾丸の群れは、後方の壁へと突き刺さった。吹き飛んだ壁の木の破片が三十畳ほどの広さに部屋へと散らばった。 秋也は第一波は横に跳んでかわせたが、光子はすぐに秋也の体を追ってマシンガンの銃口を向けてきた。もちろんその間も、弾は放たれ続けていた。ぱららららら、と凄まじい銃声を立て、銃口からはそれに呼応するように火花を散らしながら、銃弾が秋也のすぐ横を通過した。秋也はもはや横壁によりそれ以上横には逃げられなかった。光子の構えるマシンガンの銃口が容赦なく火花を上げ続けた。 ずしんっ、という衝撃が秋也の体に伝わった、かと思うとその後連続して、どどどど、と同じ衝撃が伝わった。気づいたときには秋也の体は宙を舞っていた。だがそれもすぐに終わった。一気に目の前が暗くなり始めたのだった。 秋也の体が床に落ちた。そのときにはもう秋也の意識はなかった。ぐったりと横たわった秋也を見ると、光子は言った。「お気の毒に、あたしは殺すつもりなどなかったのよ、ほんとよ。だけどね、そうねぇ、一つ言えるとしたら、干渉されるのが嫌いだっただけかな」 それで光子はいったん周りを見渡した。「ちょっと音を立てすぎたわね、まったくまた動かないといけないじゃない」それから入口近くに置いてあった秋也のデイパックに手をかけようとしたが、止めた。「必要ないわね。もうたくさんあるし」 光子は再び秋也を振り返ると、言った。「さようなら、七原くん。天国に行けるといいわね」それで秋也に向けて投げキッスをすると、その場を後にした。 [残り23人]
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