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 内海幸枝は全力で軽い勾配になった土手を駆け下りた。今にも転びそうだったが転ぶわけにはいかなかった。転んだらときはそれは死を意味していた。

 ぱん、ぱん。二発続けて銃声か聞こえた。体には異常がないことから、当たってはいない。それでも幸枝の筋肉を硬直されるのには十分だった。一瞬の油断から足をとられてしまい、そのまま土手を転げ落ちた。

 転げながら貴子の顔が浮かんだ。ああ、自分はなんて愚かだったのだろう、貴子にあえないどころか、桐山和雄に見つかってしまうなんて、ああ最悪だ。

 

 幸枝は尚継と別れた後、すぐに貴子がいたという場所へ急いだ。それでもできる限り慎重に行動していたつもりだ。そこまではよかった。でも突然銃声が響いた。それは貴子と関わりがあると考え一層用心深く脚を進めそこへ近づいた。

 そこで見た光景は自分が予想したのとはまったく異なっていた、なぜならそこには桐山和雄がいたのだ。前に崩れていた男の子の顔は吹き飛びまるでこの世の光景を見ているとは思えなかった。恐ろしかった、とてもとても恐ろしかった。状況から見て彼がやったに間違いない。まさかここまで冷酷だとは思わなかった。今までは危険だとは分かっていたが、それはあくまでも常識の範囲内であった。本当の殺し合いなどやったことはやったことなかったのだから仕方ないのかもしれないが。

 それでそこから逃げなければならないと思い、音を立てないように全集中をかけて離れたつもりだった――自分でもまったく音を立ててないという自信はあった――が、後方から走り出す音が聞こえた。自分が気付かれたはずはないと思ったが自分に向かって一直線に向かってくる足音、相手が桐山和雄だということ、この二つは十分な理由だった。もはや音を立てないように逃げることなど意味をなさなかった。全力で走り出したのだった。

 

 勢いがついていた分、かなり激しくバランスを崩した。幸運にも地面に身を傷つけるような物はなかったため、かすり傷程度ですんだようだ、実際のところそれを確認する余裕はなかったからわからないが・・・・。だが転げ落ちたときの受身が完全ではなかったため腰を打ち付けてしまった。そこがじんじんと痛みを放ちはじめていた。だがそんなことを気にしている場合ではないことぐらい百も承知だった。幸枝は立ち上がるというよりもそのまま四つん這いになり、無理やり体を動かした。その無茶な動きのせいで今度は手首に痛みが走った。しかしそれが正解だったということをすぐに知った。

 ぱんっ、という銃声が聞こえたかと思ったら、今自分が倒れていた場所から砂埃が舞い上がっていたのだ。

 幸枝は経験から知っていた。彼、桐山和雄に狙われてじっとしていたらそれこそ命はないと、彼の狙った弾丸はその対象が止まったものであったら百パーセント外れないであろう。もちろん動いているものでさえかなりの確率で当てることは可能だろうが――、けどやはり止まったままと動き回っているのとはそれなりに差はあるはずである。

 とにかく銃弾の餌食にはならずにすんだ。だが彼から逃げられた訳ではなく、変わらず危険な状態だ。そのまま極度な前傾姿勢になりながらも両手を地面から外し、二本の足だけで走り出した。後ろを振り返る余裕さえなく一直線に走り出した。

 ざざざっ、という崖を滑り降りるような音が後方から聞こえた。それで間違いなく桐山和雄が自分を追ってきているとわかった。

 心臓が激しく打ち始めた。恐らくこれは疲れのせいではないだろう。この程度走ったくらいで疲れるようなことはない、ということは桐山和雄という男に恐怖を感じているせいだ。さすがわたしの体の一部、よく分かっている。その通り、わたしは心底、彼が怖い。あの完璧ともいえる顔は始めて見たときはある意味感動すら覚えたが――、あの感情がない目、あれはまるでサメのようだ。サメはあの漆黒に包まれた目で平気で人間に襲い掛かる。前にみたジョーズという映画のうけうりだが、自分なりにその映画を見たときは桐山和雄をそれに写し見たことは事実だった。それ以来彼を見るたびに恐怖心を起こさせるようになっていたのだった。

 幸枝は全力で走った。逃げられるかどうかは分からない。どう考えても向こうの方が足が早いからだ。しかし動かずにいはいられなかった。動いていれば少しは恐怖も忘れられるのだ。

 このように幸枝はもはや助からないだろうとは分かっていたが、ただ恐怖心を少しでも忘れようと逃げていたのかもしれなかった。

 再びぱん、ぱんっ、と二発続けて銃声が響いた。その瞬間太腿ががくっ、と押し付けられたようになり、今度は正面から転倒した。顔を地面に打ち付け、少しの間滑り続けた。

 転ぶ前に左わき腹にもちりっ、とした痛みが走ったことからこちらも銃弾がかすったはずだ。しかしそちらは大したことはなかった。問題なのは左太腿である。確認してはいないが、間違いなく撃たれた。そこまででようやく時間差的に痛みが沸いてきた。重症な分だけ痛みを感じるのが遅かったのかもしれなかったが、それを感じ始めた途端、前代未聞の激痛が襲ってきた。

 ぎっ、と歯を食いしばり痛みに耐えた。すぐに上半身を起こそうとしたが、左脚が動かなく、手間取った。だが何とか起こすことができた。スカートが邪魔で腿がどうなっているのかは確認できなかったがべっとりと湿った感覚だけは感じられた。出血がひどい。おまけに感覚がないんじゃ、走ることもできそうにもなかった。ましてや立つことさえ困難に思われた。幸枝はそのまま顔を今自分が走ってきた後方へと向けた。桐山和雄の影が走ることは止め、ゆっくりとこちらへ向かってきていた。その距離およそ十メートルってところか。そのまま射撃すれば確実にわたしは殺されるはずだが、どういうわけがそれはせずに歩み寄ってきている。幸枝にとってはこちらの方が恐ろしかった。

 脳裏に少し前の(ほんとに少しだな、時間にしたらまだ三分くらいしか経っていないんじゃないかな)光景が蘇ってきた。顔が吹き飛んだ人間の前に何気に佇む桐山和雄。自分もあんなふうに殺されるのかもしれない。至近距離で撃たれれば人間の顔くらい木端微塵に吹き飛ぶ、彼はそれを楽しんでいるのだろうか?

 幸枝はその迫りくる影を見つめたまま動けなかった。まったく躊躇することもなく一直線にこちらへ向かってきた。今になってあのときの子、名前はえっと、ああそうだ前原、前原尚継だ、彼に銃を貰ってなかったのを悔やんだ(今手持ちの武器といえば、アイスピックだけだった。こんなもの格闘戦にならない限り役にもたたかなった)。今なら確実に・・・・・・・・・、やめた。後悔しても仕方がなかった。

 そのときだった。桐山和雄がすっと後ろへ飛んだ。その後一秒と経たないうちに(正確にはコンマ五秒ほどだ)びゅん、と何かが今その桐山がいたところを横から何かが掠めたようだった。なんだったかはわからない。ただ月明かりに反射して一瞬キラリと光ったのだけ確認できた。

 桐山和雄の顔はもはやこちらを見てはいなかった。左手の方をじっと見つめ、体勢をやや低くし、すぐに動けるような構えを取っていた。自分もつられてそちらに顔を向けた。

 そこにはセーラーを着た人影が顔の前にボウガンらしきものを構えたまま、桐山にじっとポイントしていた。そのボウガン(これは彼女がまだ明るいうちに眉間に銃弾を撃ち込まれた死体と共に見つけたものであって、元々の支給武器はミンクのコートというこの真夏においてまったく無意味な産物であったのですぐに捨てた)で顔が隠れてはいたが、メッシュの入った美しいロングの茶髪、すぐに誰だか分かった。貴子! 千草貴子だ! 

 喜びが体中を駆け巡った。しかし状況を考えるとそれはすぐに絶望に変わらざるを得なかった。貴子はわたしが追われているのを見て駆けつけてきてくれたはずだ。それは嬉しいがその相手というのが桐山和雄だ。これじゃわたしのために貴子までも犠牲になりかねないのだ。

 そうこう考えているうちに桐山の銃を持った腕がすっと貴子めがけて上がった。その腕が上がりきる前に再びびゅっ、という音がした。今度はその正体がはっきりわかった。貴子が矢を放ったのだ。

 桐山の体が弾けるように後方に跳んだ。

当たった? 幸枝はそう思った。

その隙を見計らって、貴子が駆け寄ってきた。新しい矢を装填させながらであったが、すごい速さだった。さすがだ、そう思った。

「幸枝、大丈夫!」貴子は到着する前にそう言った。

「貴子! だめよ逃げて、危険だわ! わたしは動けそうにないから逃げて!」

 貴子は幸枝の言葉などには耳を貸そうともせず、そのまま自分の傍らに到着するとさっと腰を下ろし、桐山が倒れた場所へとボウガンをポイントした。

 自分もまたそちらを見た。

 それで二人して我が目を疑うことになった。さっき倒れたはずの桐山和雄の体がそこから消えたようになくなっていたのだ、跡形もなく初めから誰もいなかったように。

 ぎょっとしてすぐさま辺りを見回した。誰もいなかった。逃げた? 矢が当たって負傷して逃げたの? 本当のところはどうなのかは分からなかったが、とにかく彼はいない。今がチャンスだ、貴子を逃がすなら今しかない。そう思った。

「貴子、早く逃げなさい。わたしのことはいいから、あいつが戻ってくる前にはやく!」

またもや貴子は幸枝の言葉などには気もくれていなかった。ただビリビリという音を立ててスカートを破り取った。それでただでさえ短めだった貴子のスカートは今時の言葉で言えば超ミニスカへと変わっていた。貴子は幸枝のスカートに手を掛けて持ち上げた(なんかスカートめくりをされているような気分で恥ずかしかったがもちろん何も言わなかった)。下着が見えるか見えないかのところまで上げたところでようやく傷口が見つかった。銃弾が入り込んだ太腿が真っ青に変色しているのが、血で覆われている上からでも見てとれた。破り取ったスカートをそこへ巻きつけた貴子の手はやや震えていた。

 最初その理由が分からなくて、『どうしたの』と聴こうかと思い貴子の顔を見上げると、怒りに満ちたように歯を固く食いしばっていた。それで何となくだけど理解できたような気がした。貴子はわたしを傷つけた桐山和雄に憤慨しているのだ。つまりわたしのために感情を高ぶらせているのだ。さっきは命の危険を冒してくれてまで助けにきてくれたし、今度は怒ってもくれている。なんだが泣きそうになってきた。こんなに自分のことを想ってくれる友達はそうそういないだろう。

「ほらつかまって」我に返ったときには貴子の手が自分の前に差し出されていた。

「まさかわたしを背負ってでも連れて行く気? だめよ、そんなことしていたらあなたまで――」まだ言い終わらないうちに貴子が無理やり幸枝の腕を掴んだ。そのままぐっと首へと回した。

「いいからあたしの言う通りにして、ほんとに置いていくわよ」

 ああ――、貴子だ――、この強引さ、やると決めたことは信念を変えず、あくまでもやり通そうとするやり方、これこそ貴子だ・・・・・。

貴子が幸枝の腕を首に回したまま、立ち上がろうとしたので、幸枝もつられて立ち上がらざるを得なかった。依然として左脚は動かなかったが、貴子の支えのおかげで何とか立つことはできた。立ち上がるとそのまま進み始めたのはいいが、自分というお荷物のせいでどうしようもなくスローペースだった。こんなときに再び桐山和雄が戻ってきたらもはやどうしようもないだろう、それだけではない、他の誰かに見つかる可能性だって高い。

「幸枝、あんたまた変なこと考えているんじゃないでしょうね。無駄なこと考えている暇があったら少しでも生きるための案でも考えていなさい」

 はあ、幸枝は溜息を吐いた。まったく貴子は何でも見透かしている。それともわたしの考えがワンパターン? それで聞いてみた。「ねえ貴子」

「なあに」貴子は前を見つめたまま言った。前だけを見つめているが、その様子から全方向に注意を傾けているようだった。

「どうしてわたしを助けてくれたの?」全く無意味な質問だとは分かっていたのだが、どうしても聞いておきたかったのだ。恐らく答えはこうだろう、『友達だからよ』もしくは貴子のことである、こう答えるかもしれない『なにばかなこといってんの、そんなのあたりまえじゃない』。しかし貴子の答えは予想もしないような真剣なものであった。

「幸枝・・・・、あなただけだったんだよね」

「え?」何のことか分からなく言葉が口から洩れた。貴子は続けた。

「あたし、こんな性格じゃない。だから今まで誰とも真剣に友達とか、そんな風に思えなかったところがあったんだ。なんていうのかな、なんか相手をばかにするような感じのだったのよねえ。あたしがそんな態度だから相手もあたしのことを煙たがったりしてね。幸枝、知ってるでしょ、あたしが他の子たちから陰で何て言われているかぐらい――」

 幸枝は知っていた。『鉄仮面女』それが貴子のあだ名だった。わたしといるときはそんなことは全く無かったのだが、他のみんなにとってはそう見えたのだろうか。わたし自身はそう言っている子には注意を与えていたつもりだったが、そんなの聞く子などいなかった。

「それは別にどうでもいいんだけどね、言いたいやつには言わせておけばいいことだから。けどね陰で言うことには腹が立つんだよね。言いたいなら堂々とあたしに向かって言いなさいってね。あたしはただうわべだけの付き合いなんてしたくないしね。ただそんな連中の中、幸枝だけは違ったよね。あんたの場合何を考えているのか分からない――、最初はそう思ったわ。だってあたしが何言っても次には何もなかったように普通に接してくれたでしょう。そんなあんたをきつくあしらっていた時もあったかもしれない。けど本当は嬉しかったのよ。」

 それで幸枝は思い出した。まだ貴子とお世辞にも仲がいいとは言えなかったとき、よく言われた言葉があった。〝やめてくれる、そんな偽善嬉しくもなんともないのよねえ〟あのときは正直ショックを受けたときもあった。それは彼女が言ったことがその通りであったからでもあった。どうしてもみんなから浮いた存在であった貴子を放っておくことなんてできなかったのだ。だが貴子と接しているうちに次第にその考えは変わっていった。彼女は他の誰よりもプライドというものが高く、それが災いしたのかただ人との付き合いが下手であっただけなのだ。実際彼女は誰よりも優しい心の持ち主であり、誰よりも信頼できる人物であった。

 貴子は続けた。「それでね、あたしはあんたにお礼が言いたかったの。初めてで最高の親友のあんたにね」

 幸枝は目の奥から温かい液体が溢れ出してくるのを感じた。貴子の言ってくれたことは今までの自分の行動を肯定してくれてるような気がしたのだ。それはもちろんこんな怪我を負っても貴子を探しに来てよかったということも――。

 幸枝は言った。「ううん、貴子は分かってない。ほんとに感謝しなければならないのはわたしの方なのよ。貴子の生き方を見習ってわたしは強くなれたんだから、なんていうのかなあ、あの悪に屈しない強さ。そうそう、光子に唯一歯向かうことができた子は貴子だけなのよ。わたしなんかとても真似できない。でもねえ、貴子のおかげで少なくとも逃げることだけはしなくなった、歯向かうことはできなかったけどね。わたしの中では貴子は親友以上の存在になっていった。憧れという存在に・・・・・」

 それで貴子はくすっ、と笑むと言った。「やめてよね、あたしはそんなに大それた人間じゃないわよ。幸枝の方こそあたしの―――」

 ぱーん。

 銃声が鳴り響いた、と思ったら突然自分を支える貴子の体に突発的な力が加えられ、それと同時に胸の辺りから何か赤い霧状のものが散った。

 その体がスローモーションのようにゆっくり前のめりに倒れていくのが分かっていたが、なんせ自分の体を支えることもできない幸枝の脚ではそれを支えることなどできるはずもなく、貴子の腕にもつれて共に倒れ落ちた。

 自分の方は咄嗟に手を地面についたため衝撃は減らせたが、貴子は受身を取ることもなく頭をそのまま打ち付けた。

「貴子っ、貴子っ! しっかりして」幸枝は叫んだ。

 反応がなかった。セーラーの背中には丸く直径三センチくらいの穴が開いていた。頭の中が真っ白になった。事態は理解できた、がそれを受け入れたくないという脳が錯誤していたのだ。幸枝は後方に視線を送った。

 そこに立っていたのはまたもやあの男、桐山和雄だった。

 一気に怒りが込み上げてきた。もう感情をコントロールできる範囲ではなかった。これこそキレるということなのだろう、無意識に貴子の横に転がっていたボウガンへと手が伸びた。矢は装填されたままで、引き金を引くだけで撃てる状態だ。

 幸枝は貴子の体に覆いかぶさる形でそれを取ると、そのまま桐山目がけて引き金を引いた。もちろん狙っている暇などなく、適当に撃ったと言える。

 びゅっ、という音と共に矢が飛び出したところでようやくその矢の行方が確認できた。

 少し高めではあったがそれはまっすぐと桐山和雄に向かっていた。

やれる! 相手はただぼうっと立っているに過ぎなかった。こちらが手負いと思って油断したらしい、構えを取っていなかったのだ。銃とは違って一撃で戦闘不能に陥れるのは難しいが、それはあたりどころにもよる。矢は桐山の喉、いや角度から言ってもう少し上――、顔、少なくとも頭か――、どこに当たっても致命傷は間違いなかった。

 桐山を見つめる幸枝の心にある想いが込み上げていた。『貴子、わたし勝ったよ、桐山和雄に勝ったのよ。貴子のようになれたんだよ』

 そう、勝ったと思った。そのはずだった――だが次に幸枝の目に映ったのは信じられないような光景だった。

 間違いなく桐山の顔へと突き刺さるかと思われた矢が、まるでそこに何もなかったかのように、通り抜け、そのまま後方へと消えたのだった。

 もはや新しい矢を装填することはできなかった(恐らくそれが入っていたと思われる貴子のデイパックは、自分を背負う際に邪魔になるといって置いてきたのだ)。その上もしその矢があったとしても桐山自体がそれを行う暇さえ与えてくれなかっただろう。目を見開いた状態の幸枝の目にすっと桐山の腕が上がるのが映った。もちろんその手には銃(こちらはベレッタだった。貴子を撃ち抜いたのは最大威力のワルサーPPKであった)が握られていた。

 ぱーん、単発の銃声が轟いた。

 幸枝の胸に太腿とは別の穴が開いた。

「うっ」というため息にも似た言葉が口からこぼれ同時に鉄のサビたような味のする液体が口中を溢れさせた。幸枝の体は再び貴子にかぶさるように崩れ、そのときであろう、後ろで太めに一本に束ねられた三つ編みの髪がばさっとほどけていた。くせがついているのだろう、緩やかにウェーブがかかったその髪は幸枝の大人びた顔にマッチし、貴子にも負けぬ美しさを引き出させた。

 幸運というのか不幸のいうのか、銃弾をまともに喰らいながらも、幸枝はまだ絶命してはいなかった。体は動かない、が脳は弱々しくだが働いていたのだ。その脳で思った。

「ごめ・・・・・ん・・・・・・・ね・・・たか・・・・こ・・・わた・・・・し・・・・の・・・せ・・・・いで」

 それで思考が途切れた。

 

 ここで幸枝の放った矢が当たらなかったいきさつについてふれておくのも悪くはないだろう。彼女は矢が通り抜けたと感じたのだが、実際のところ正確な表現ではなかった。なぜなら矢はかわされたのだから。矢が当たる瞬間に桐山は首から上のみを傾けてそれをかわし、すぐにそれを戻したのだ。ただそれは矢のスピードに負けぬほどの早さであったので、確実の命中するものという固定概念に捕らわれていた幸枝の目には見えなかっただけであったのだ。

 

 桐山は銃を下ろしてそのままその場に立ち尽くしていた。その体にはどこにも傷は見あたらなかった。それは最初に貴子が放った矢が当たっていなかったことを意味しているであろう。ではなぜ彼はいったん姿を消し、再び現れたのか。

女子二人に対し、ぬか喜びをさせるため? それとも彼なりに最後のお別れの猶予を与えるため? それとも―――。

いや、すべて違うだろう。彼にはそんな相手のことを思いやる感情なんてないのだから・・・・・・。

ただ彼は思ったのである。相手が幸いにも窮地から逃れることができたらどういった行動をとるか、そしてそれを仕留めるためのやり方を知っておくのも悪くはないと――。

だが今回の場合は余り役に立ったとは言えないのかも知れない。彼には縁のない友情劇というもののせいで・・・・・・。

桐山和雄は歩き出し、幸枝と貴子の体の方へと向かうと、その二人には目もくれることもなくそのまま通り過ぎ、茂みの中へと消えた。

(残り19人)




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