46

時期が時期であったので、まだ六時前だというのに周りはすでに明るかった。あと五分もすればあの聞きたくもない声を聞くことになる時間だ。夜の間にどれくらいの犠牲者が出たのだろうか。かなりの銃声が響きあっていたので、誰も死んでいないということはないことくらい昨日一日ですでに分かりきっていた。

宮崎欣治は隣でかすかな寝息を立てる井上和美を起こさないように気を使い、静かにデイパックから地図とペン、それに名簿を取り出した。これで新たに三ヶ所が禁止エリアに追加されれば、行動範囲がかなり制限されてくる。これまでのところは何とか誰とも会わず危険な場面に陥ることはなかったが、それは裏を返せば信頼できるかもしれない人物とも出会っていないことだ。この先は何が起こるかはわからない気を引き締めなければならないだろう。自然と全身に力が入った。そうこう考えているうちに時刻は六時になっていた。

それと同時に音楽(ラジオ体操のときに流れるアレだ)が流れ出し、少し遅れて言葉が出てきた。

『みなさーん、おはようございまーす。朝でーす、みんなよく眠れましたかあ、寝ている人は起きろよお』快活な声だった、存分に寝たに違いない。その音により和美はすでに目を覚ましていた。目覚まし代わりがこれじゃあ、眠った心地もしないかもしれない。

 しかしその和美はというと寝起きのいいことにすぐに地図と名簿を取り出して次に流れる放送に耳を傾けていた。

『まず、死んだ人からでーす。だんしぃ、二十番、山部昭栄くん、以上一名。はい次、女子、三番、内海幸枝さん、十二番、千草貴子さん。以上二名。計三人かあ、夜にしちゃあまあまあだなー。それにしても、うーん、女子転校生は残り一人か。がんばれよお。期待してるんだからなあ。相馬ぁ、天国から見守ってくれてる他のみんなのためにもがんばれ』

 欣治は内心ほっとした。死んだのは昭栄だけで、転校生は二人もいなくなってくれたのだ。

 ―――すぐ思い直した。何考えてるんだ、オレは。一人死んでるじゃないか、クソ。死というものの感覚がおかしくなりつつある自分を叱咤した。

 放送は続いていた。『禁止エリアをいいまーす、準備はいいかー。八時からE=3、十時から、H=7、十二時から、H=5でーす。それでは今日も一日がんばりましょう』

 E=3は島の北東の方で大通りの最先端に当たる場所だ。H=7はというと島に二つある神社のうち分校の南東の方を含むエリアで、H=5は南の山山頂の東側であった。禁止エリアが南に集中している。地図上ではまだまだ動き回ることはできそうだが、実際に境界線が記してあるわけではないわけだから、やはりこの先は北に人が集まるだろう。今自分たちがいるのは島の北側、海が見える位置のB=4だった。海はいい、心の疲れを和らげてくれる効果がある、今になって改めてそれに気付いた感じがした。だが今後はそうも言ってられなくなるだろう。

なおも放送は続いた。『あー、それと残りはあと二日でーす。やる気になってない人も、なっている人も、残れるのはあ、一人だけだからなあ。そこんところ――』

 坂持は何かを喋り続けていたが、もはや聴く必要もないと思い、手に持った地図をデイパックに仕舞おうとした。

 そのためにデイパックを手繰りよせようとしたまさにそのとき、ばさっと黒いものがすぐ隣に茂っていた茂みから眼中に跳び込んできた。

 びくっ、として体が凍りついた瞬間には、余りにも近すぎて正直確信は持てないがそれが人間だと無意識的に感じていた。

 腰を下ろした体勢だったので始め目線は相手のちょうど股間あたりの高さだったが、このときにはそれはすでに顔を捉えるところまで上がっていた。

 よ・・・弘! そこにはやや引きつった笑みを浮かべて飛びかかってくる古賀弘の顔があった。愕然とした。転校生ならまだしも同じクラスメイトが襲い掛かってきたのだ。しかし本当に愕然としたのは、その顔を見たからではなく、その顔のさらに上、上段にしっかりと握られた日本刀が目に入ったからであった。 

くっ、弘は放送の音に乗じて俺たちの近くに忍び寄っていたのだ。だから厄介な禁止エリアをメモることもできなかっただろう。だが禁止エリアのメモは俺たちのものを奪えばいいと思ったのかもしれない、ちょうど禁止エリアの放送の直後に襲ってきやがった。冷静な行動だ。そしてこれは考えていたのかはわからないが、こちらは地図を直そうとしていた時のために、完全に無防備でもあった。とてもすぐ動けそうにもなかったのだ。

一瞬の閃きがなかったらやられていたかもしれなかった。欣治は無理に体を動かしてでもその一撃を避けようとはせず、ちょうど手を伸ばしかけていたデイパックを持ち上げ、それで弘の刀を受け止めた。

クッション性があったため両断されることを免れたデイパックではあったが、それでも半分は切られただろう、それを持つ両手におかしな力が加わったと思ったら、中に入っていたものがこぼれ落ちた。水も滴ってきたことからペットボトルが切られたはずだった。

欣治はすぐにそれから手を離し、素早く立ち上がった。和美の方を見る余裕もなかったが、少なくとも立ち上がるときに映った視界には捉えることはできなかった。

弘が自分を襲ってきてくれてよかった。和美に襲い掛かっていたとしたらどうしようもなかったにちがいない。多分彼女は後でゆっくりでも始末できるとふんでいたのだろう。

欣治はすぐに弘との間隔をとった。あまり離れるわけにもいかなかった、離れすぎると今和美がどこにいるか分からない以上、彼女に襲い掛かる恐れすらあるのだ。

「弘! ばかな真似はよせ! 冷静になれ、俺たちは敵じゃないんだ!」咄嗟に出てきた言葉だった。

 弘はというとそんな言葉など聴こうともせず、布のみとなったデイパックもろとも刀を持ち上げ、それを振り落とそうとしているところだった。その刀には血糊らしき赤いものがべっとりと付着していた。

 欣治はそれを見てぞっとした。やったのかこいつ? もうすでに誰かを殺したのか? 

 それで目の前にいる弘がただ我を忘れているクラスメイトから殺人者へという見方に変わった。

 同時に恐怖心から脚がすくんだ。もし自分ひとりだったら逃げ出していただろう、だが和美――守らなければならない存在――が、かろうじて勇気を与えてくれていた。

「弘、刀を捨てるんだ!」とにかく弘を落ち着かせることが先決だと考え欣治は言った。「殺し合っても事態を悪化させるだけだぞ! 今は一人でも多くの仲間を集めて、この島から逃げることを考えるべきなんだ」

「そうよ、古賀くん、落ち着いて。わたしたちは敵じゃないから――」後方より和美の声が聞こえた。

 そうだ言ってやれ、女のきみが言ったほうが弘は聞いてくれるに違いない。彼女は続けていた。

「だから、だからお願い」そう言いながら欣治の隣にまで来ていた。「信用して、宮崎くんはわたしのことも助けてくれたの、本当に大丈夫だから・・・・」

 それでも弘は刀を下げようとはしなかったが、変化はあった。現れて以来ずっと欣治のみを見据えていた彼の目はすっと和美へと移ったのだ。そしてその口がゆっくり動き出した。

「・・・・・・まれ、・・・・まれ、だまれ、だまれだまれ」突如叫びだした弘に圧倒された二人は、そのまま立ち尽くしていた。「いい加減なことばかり言いやがって! 生き残れるのは一人だ! 大体つるんで行動して何の意味がある! 本当のところおまえらが俺の仲間にならないといけないんじゃねえのか。武器もねえやつががふざけたこといいやがって。いいか俺はもう二人殺している、おまえらなんかの助けも必要ない、生き残るのはオレだ!」

 弘の右脚が動いた。相変わらず和美を見据えたままであり、それは欣治にある危機感を起こさせていた。

 まずい、和美を狙っている。もはや一刻の猶予もなかった。それで欣治は弘に飛び掛かった。突きの構えに保たれていた刀が自分の顔の横をかすめた。もっとも自分から飛び込んだのだが、弘が少しでも反応していたら、ぶすり、といっていたことだけは間違いなかった。それがなかったのはやはり弘が和美に集中していたからであろう。

 ごんっ、と肩口から弘の腰へぶつかり、腕を巻きつけ、ラグビーのタックルそのものにそのまま勢いで押し倒そうとした。

 体格のいい弘の体は、スリムな体系の欣治には荷が重すぎたのかもしれない、飛び掛ったほうの欣治のほうがまるで何かで殴られたような、ぴきん、とした痛みが全身を突き抜けたのだった。それで顔を歪めながらも、突発的な力を受けた弘の体が倒れるのは分かった。だが欣治の体もそれと共に大きく体勢を崩し、弘の上の半分重なるような形となった。

 今度は両腕に痛みが走った。弘の背中部分に回した腕が二人分の体重に押しつぶされたのだった。すぐにそれを抜き出そうと引いた。地面に擦れて皮が剥ける痛みが走り、それと同時に首よりすこし下、背中側にも新たな衝撃が貫いた。弘が刀の縁で思い切り殴りつけたのだった。一回、二回、三回と。密接している分、長い刀では切りつけることは無理だったのだろう。短刀なら三回刺されたことになる、そうではなかったことには感謝すべきだった。

 いろんなところから痛みが生じるなか、その新たな激痛のおかげで、手にかかる痛みをさほど感じることもなく引き抜くことができた。抜けたとたん、再びずしんっ、という背中の衝撃。クソっ、いい加減にしろよ。ほんとうに頭に血が上ってきた。

 

そのまま弘の体に張り付いていたら五発目を喰らっていただろう、欣治はそうなる前に――言わば、腕が抜けた瞬間に――転がるように横へと逃げ、それを避けた。そしてそれは弘自身の腹へとヒットした。

うごっ、という声が洩れたようだった。ざまみやがれ、欣治はそう思った。

先ほどから和美の声もしきりに聴こえていたが認識の域までは達していなかった。それはせっぱ詰まった状況からなのか、それとも怒りからなのだろうか、答えは簡単に分かった。少なくとも怒りからではなかった。自分は至って冷静さを保ち続けていた。ただ緊迫した状況で他に意識を向けることさえ困難にしていただけだったのだ。

まずやらなければならないことははっきりしていた。武器を手に取ることだった。素手のままでは今度こそ本当にやられてしまうだろう。さっきはたまたま運がよかっただけのことだ。弘が本気だということは今ので身をもって実感できた、次はもうあんなふうにはいかないだろう。

そもそも現在、欣治たちには二つ武器といえるものがあった、鎌と木刀である。はたから見ると当たりとはいえない武器であろう、それでも木刀は欣治にとってはこの上ない武器であった。それは殺傷力のない木刀は相手を死に至らしめる危険性はないということもあったが、実はもっとれっきとした理由があった。欣治には剣道歴があったのだ、小四で始めて中二までの四年間、全国大会ベスト四入りという肩書きを持つ父親の影響と言うより、その当の本人に無理やり道場へと通わされたのだった。自分自身、別に好きではなくいやいややっていた感は否めないが、それでも四年間もやっていれば自然と実力はついていた。もっとも中二までという中途半端な期間は、ちょうど御洒落に目覚めた欣治にとって剣道なんか汗臭いスポーツなんてやってられなく、親に黙って道場を止めたことによってだった。その後一週間くらい経って、そのことがばれてひどく怒られた記憶も鮮明に残っていた。だがその親とも二度と会えないかもしれない。せめてそのことだけは謝りたかったが、それも叶わないだろう。けれどその技術を使って人を守り抜く、それを実践する時がきた。倒すための剣ではなく、守るための剣――。これをつらぬこう、それがせめてもの親孝行になることを祈って・・・・・・。

欣治は弘が起き上がろうとしている隙に、自分のデイパックの中身が散乱している場所(元々座って放送を聴いていたところだ)へと素早く移動し、無造作に転がっていた木刀を手に取った。そのとき体を曲げた瞬間、背筋にぴりっ、とした痛みが走り、それを掴んだ手の甲は皮が擦り剥け赤い血が流れ出そうとしていた。そして強く握れば握るほどヒリヒリした。

耐えられない痛みではない、自分に言い聞かせると木刀をぎゅっ、と握り締めた。

欣治が体勢を整えたときにはもう弘の体も起き上がっていた。間髪を入れずその体が自分へと向かってき、同時にふざけやがって、そう声を発していた。

ふざけているのはどっちだ、と思いながらも剣道でよくやるように脚を前後へと開き、軽いくリズムをとった。

そんなことにはかまうこともなく、弘は突進してきた。再び突きの構えだ。ただ違うのは、その顔からは怒り、というよりも殺気しか感じられなかったことだった。

欣治は一瞬、躊躇した。というのは剣道の突きに対しての対処法は十分熟知しているつもりだ、だがそれは剣道での話だ。今の試合(いや死合と呼んだほうが適切か)を剣道と見立てればそれまでの話だが、最大の相違点はそんなことではない。すなわち相手は本物の刀を持っているということだ。剣道では何度斬りつけられようと、メン、ドウ、コテ、ツキの四体にクリーンヒットしなければ負けにはならない。しかし今の死合ではそうはいかない、どこに食らおうとそれは負け――最悪死だ――を意味することになる。はたしてすべての攻撃をかわすことなど可能なのであろうか。

どう考えてもそれは無理であろう。

ではどうする?

答えはひとつしかなかった。この一撃に賭ける!

ツキへの有効手段は、その突き出してきた刀を払い、そこへコテを決めることだった。防具も着けていない素手に竹刀よりも遥かに硬い木刀での攻撃を確実にきめることができたならば、もはや刀を握ることもままならないほどのダメージを与えることはできるだろう。

成功するかしないかは、一種の賭けでしかありえない。ミスしたときは死が待っている。だがもはやためらっている時ではない。一瞬のためらいが敗北を招くのは勝負の世界では当たり前のことなのだ。

弘は欣治との間合いを十分詰めたと判断したのだろう、そこからこちらの胸目掛けて腕を突き出してきた。そのぶん刀が別の魂でも吹き込まれたかのようにさらに加速を増し、襲い掛かってきた。

意識的なのかそれとも無意識的なのか、それはマニュアル通りの攻めであった。

 しかしそれは欣治にとって好都合、マニュアル通りの攻めならば、マニュアル通りにかえせばよい。

 すっ、と伸びてきた刀を欣治の木刀が右横からはたいた。刀の重量がある分、叩いたこちらの手にも痺れを起こさせたが、重さのぶん刀は大きく左に反れそれを持つ手もまた同じ方向へと運ばれた。そこを見逃さなかった、欣治は素早く一歩踏み込むと既に中段に構え直していた木刀を、今や露わになった弘の手目掛けてコテを放った。

 ちょうど右手の親指と人差し指の付け根辺りにヒットし、鈍い音を立てた。指の骨は細く間違いなく砕けただろう。

 っいつつつ!! 弘は声にならない叫びをあげ、咄嗟に右手を刀から外した。ここまではまさに計画通りだった、少なくともやつは痛みのため戦意喪失、さもなければ逃げるものと思っていた。だが違った。

 左手一本で握られた刀はその重さのために剣先は地面の落ちていたのだが、それが地面を這うように動き始めたかと思うと、体の回転をさせ遠心力を利用させながら刀を再び欣治へと切りつけてきたのだった。下から上へ飛行機が飛び立つように向かってくるその刀は、まったく欣治が予想だにしなかった動きだった、いやそもそもそんな攻撃剣道では存在しなかった。

 とてもかわすことなどできそうになく、ただ木刀を持ち上げるので精一杯だった。

 その間、数秒の出来事であったのもかかわらず何十倍もの長さを感じた。

 完全にやられたと思ったのに生きていることの喜び、死を覚悟した後の精神力の向上、あらゆる感情、感覚が体中を満たし、全身が一種のエネルギー体にでもなったように火照っていた、それは恐怖心を通り越し、快楽すら感じさせた。

 そう、自分は生きていた。

 紙一重で持ち上げることができた木刀、刃はその半分ほどまで食い込んではいたが、そこままでしっかりと勢いを殺してくれていた。

 この状況で二人とも考える余裕はなかったかもしれないが、刀が木刀を貫くことができなかった要因は二つあった。

 一つは弘が左手しか使えなかったこと、ほとんど身体の回転のみで振り回した刀はその勢いさえ失ってしまえば、ただの鉄パイプも同然だった。もし押し込む力が加わっていたらその剣先は木刀を両断し、欣治の首まで届いていただろう。

 もう一つはその切れ味であった。

 二人の血を吸った魔剣は手入れをされることもなく、初期に比べるとその機能は半分程度にまで低下していたのだった。

 さまざまの条件が整い、欣治は九死に一生を得たのであった。

 そのときぐっという力が欣治の腕に伝わった。我に返ったときには弘が食い込んだまま固定されている刀を引き抜こうとしていた。切口を垂直にすればすっと抜けるであろうが力任せでは容易に抜けそうになかった。

 さらにその力は強まった。引くほうにかけては両手も片手もさほど関係なかったのだろう、ものすごい力だった。まるで綱引きでもしているように刀を引く弘の力は、身体の大きさがそのまま比例して欣治へと伝わっていた。

 あと数秒もそのままの体勢が続いていたら身体ごと持っていかれたか、もしくはそうでないとしても木刀は手放すことになっていたかもしれなかった。

 だがそうなる前に事は起こった。摩擦音がキュッ、キュという耳の悪い音を放った後、その二つは分離したのだった。しっかり固定されていたぶんの力が一気に離れようとする力へと変わり、欣治と弘は弾け飛んだ。

 欣治はバランスを崩し後ろ向きに転倒しそうになったが、すぐさま身体を捻り踏ん張り、数歩後退しただけでそうならずに済んだ。

 一方に弘の方もバランスを大きく崩しそうになっていた。欣治と同じように身体を捻りそのまま耐えるかと思えたがそうはいかなかった。刀を片手で引いていたため、後ろに弾け飛ぶ力にプラスして少々回転力も混じっていたのだ。

 人間危機を感じたときには無意識に体が反応する、これを反射と呼ぶがまさにそれであったのだろう、弘は身体が地面に激突する前に手をつこうとしていた。

 ――右手を!

 その後の展開は予想通りだった。手が地面に触れた途端、悲鳴に似た叫びが起こった。

「うぎゃぁぁぁぁぁ!」

 指の骨が砕けているんだ、激痛どころでは済まなかっただろう。

 普通なら同情心が浮かんでいたところだろうが、そんな感情は微塵も感じなかった。それどころか欣治はうつ伏せに倒れた弘へ向けて間髪を入れず走った。足音くらいは聞こえていただろうが、反応される前に、それを行う! それが俺からおまえに対するはなむけだ、恐怖心を感じずに済ませてやる!

 欣治は弘の足元まで達したところで勢いよくジャンプすると、振り上げた木刀を降下と共の勢いを乗せて振り下ろした。

 これほどの力を込めて人を殴りつけるなど最初で最後、それほどの強さであった。

こーん! という乾いた音が響いた。

 そこで初めて弘は刀から手を外し、代わりにその手へと右手を添えて転げ回った。

 欣治は弘の左手目がけて渾身に一撃を振り下ろしたのだ。これで完全に両手とも使えなくするという名目において! 

 弘はすでに戦意を消失しているようだった、というよりそれよりも痛さにのたうちまわっているだけかもしれないが、そんなことはどうでもいい。ただ早くこいつから逃げることが先決だ。それで欣治は和美を探した。すぐに見つかった、自分のやや後方、少し心配そうに弘をじっと見つめていた。声をかけた。

「井上さん、荷物を纏めて!」それではっと我に返ったようなそぶりを見せたことから、今まで放心状態だったことが窺えた、同じクラスメイト同士で殺し合っていたこと(とはいっても俺は殺そうとはしていなかった、実際弘はまだ生きているし、死ぬほどの怪我も負わせていない)がまだ信じられないといった感じだ。

 欣治は散らばった荷物を一瞥して、とりあえず無事だったペットボトル(最悪だ、まだ封も切っていない方のボトルがダメになってしまっていた)と地図、名簿だけを手に取った。デイパックが使えない以上、多くの荷物を運ぶこともできそうもなかったので最小限必要なものだけを集めたのだった。

 そこまででやっとこの場から立ち去れるための条件が揃ったのだが、和美の方へ向かおうとしたとき横目にまたもや弘が起き上がってくるのを捕らえた。

「弘、立つな、そのままじっとしてろ。俺たちはおまえを殺す気はないからこのまま行かせてくれ」そう言って、ゆっくりと注意を払いながら和美の方へ歩いた。当の弘はというとじっと左手を右手で抑え、俯いたまま動こうとしなかった、それは自分の言葉に同意してくれたのだと思った。

 和美も同じように思ったはずだった。それを示すように彼女もありがとう、と言ったし。

 しかしすぐにそれがいかに愚かな勘違いだったかを思い知らされることになった。

弘はふしゅー、ふしゅー、という妙な音を立て始めたのだ、それは興奮やらなにやらで呼吸を落ち着いてできていないときにでる音だったのだが、欣治には何を意味するのかなど考えもつかなかった。自分なりにこのままいけるだろうと確信してのことだったので、一応警戒はしていたものの、それでも脳の緊張感が解けてしまっていた。ちょうどそのときに弘の体が自分へと向かって突進してきたのだった。とても避けられそうにはなかったが、今度は欣治の体が反射反応を起こした。だがこちらは長年の経験から作られた反射反応であり欣治だからこそ起こった反射だといえるだろう。その反射というのは剣道から培ってきたもので、無意識の内に木刀を構えていたのであった。それにかまうことなく突き進んで弘の巨体は、自動車に轢かれかけた苦い記憶を蘇らせ――そのときは何とか車の方が急ブレーキをかけて止まってくれたから無事だったが(運転手は窓から顔を出してひどい罵声をとばしたかと思うと、去っていった)、今回はそうはいかない。ただ人と車では衝撃の度合いは比べようもないが、弘の体に手加減なしに体当たりされたなら無事で済むとも思えなかった。

欣治は何も考えることなく、例えそれが相手を殺すことになるかもしれなくとも、木刀を大きく振りかぶり、距離が詰まったところで振り下ろした。

再び、こーん、という骨を打った音。弘の脳天へとヒットした、だがその瞬間木刀の方も剣先半分ほどが空を舞った。折れた? 前に刀が食い込んでいた場所からだった。衝撃に耐えられなかったのだろう。弘の体はややがくっ、と落ちかけたがそのまま欣治へとぶつかった。折れたぶん威力が失われ、倒すことができなかったのか!? 勢いに耐えることができず、弘に密接した状態で吹き飛ばされた。視界がものすごい勢いで急転し、頭の中までもかき混ぜられるような感覚に襲われたが、すぐにどんっ、という衝撃がしてそれは収まった。地面に叩きつけられたのだ。まだ危険な状態だった。弘の体が上に乗っかってまさに馬乗り状態になられていた。

体を揺すり、跳ね除けようとしたとき異変に気づいた。まったく抵抗という圧力を感じられない、欣治は顔を持ち上げ、自分の胸あたりに顔を埋めている弘を覗き込んだ。そこで分かったことは弘の意識がないということだった。殺してしまったのかと背筋が凍るような思いをしたが、一撃を見舞ったときの手に残る感覚からは死に至らしめるほどの衝撃は感じられなかったはずだった。脳震盪を起こしているだけだろうか、弘の身体下から抜け出した欣治は、その呼吸を確かめてみた。それははっきりと聴き取ることができた、まったくもって正常も正常、怪我はしているかもしれないが、命に別状なし、欣治医師は判断をそのように下した。

やっと終わった戦闘に安堵感を覚えたが、ゲーム自体から逃れることができた訳ではない、これからも同じようなことが続くだろうと思うと、正直気が滅入りそうだったがそうはいかないのが現実だ。仲間だ、仲間さえ増やすことができたらもっと楽になるだろう、もしもっと多くの仲間がいたら弘も自分の行動に賛成してこんな風にはならなかったかもしれなかった・・・・・・。

仲間が必要だ。

欣治は和美に軽く笑むと「行こう」とだけ言った。

(残り19人)





前章へ 目次 次章へ