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午前七時四十分を少し回っていた。

遠くでセミの鳴く声が聞こえてくる。まだ朝だというのに太陽の光線が肌を焼きつけてくるほどに強い。今日は晴天のようだ、熱中症という新たな敵とも戦わなければならないかもしれない。

金子隆平(男子六番)はできるだけ、日陰を選んで歩を進めていた。日陰ができるところではそれだけ障害物も多く見つかりにくい点もあるが、突如襲われる可能性も高いだろう。そんな駆け引きを行いつつも、こちらを選んだのは暑さという天敵を考えての選択だった。

隆平は残り少なくなった水の入ったペットボトルを取り出すと隣の金星智美(女子5番)へと差し出した。

「ううん・・・・・まだ大丈夫・・・・・」力無さげにそう言った智美はすでにストレスと疲労がピークに達しているようだった。無理もなかった。日頃からバレーの練習に明け暮れて今やエースと呼ばれるに至った自分に合わせて行動してきたのだ。そもそもの基本体力が違っていることにもっと気を使うべきだったのかもしれない。

「いや、飲んでおいた方がいい。この暑さじゃ無理が命取りになるかもしれない」隆平は保健の授業で学んだことを思い出し、飲ませておくべきだと感じていた。男と女では体脂肪の差からどうしても女性の方が多くの水分を必要とのことくらいは知っていた。それに智美の場合、自分のことより他人のことを優先する感もある。こちらが何も言わなければいつもでも我慢し続けることさえありうるのだ。

 それでようやく水を受け取った智美であったが、それでも一口飲んだだけで返してきた。本当ならもっと飲んでおいた方がよいのだが、自分も彼女もどれだけ水が貴重かを知っている分何も言わなかった。

 まばらに建つ農業用の倉庫らしき建物をやりすごすと、前方には木々の生い茂った小さな林が見えてきた。そしてさらにその向こう、木の隙間からは陽の光によってギラギラ輝くスカイブルーの海面さえ覗ける。遠くに一艘の中型船が停泊しているだけで他は一艘の船も見えない。あれが坂持の言っていた見張りの船であろうということは予想がついた。隆平は智美を促しながらとりあえずそちらに向かうことにした。

朝から歩き詰めだったので少し休憩を取るべきだと考え、それなら海際のほうが風は気持ちよいし、眺めもよい、そんな思惑があったのだ。

林の中は木漏れ日が差し込み、適度な風も吹き込んでいて絵本の中にでもいるような錯覚さえも起こさせた。

「すてき・・・・・」智美の声が聞こえた。隆平が振り返ると智美の顔が微笑んでいた。このゲームが始まって以来見ていなかったものであり、そう言えば自分も笑っていなかったことを思い出した。

 そこで隆平も笑みを浮かべて言った。

「ああ、ここにいるとすべてをわすれてしまいそうだね」あからさまに大袈裟にいったのだったが、それに対し智美はそうね、とだけ答え再び表情が曇ってゆくのが分かった。

 すべては現実なのだ、自分たちがどんな場所にいようとも・・・・・殺し合いは行われている・・・・・。

 ほんの一瞬の幸福感も過ぎ去り、沈黙の中、先に進むことにした。

 四,五歩進んだところで振り返ると、脚を止めたまま佇む智美の姿が映った。じっと地面を見つめ表情こそうかがえなかったが、隆平が話しかける前に言葉を発してきた。

「あたしたち・・・・・明日・・・・・・・死ぬんだよね・・・・・」

 何も言えなかった。このままだと確実に死ぬ、それは事実だったからだ。何とか逃げ出そうとしても方法がない。仲間を集めようと昨日、一日中歩き回ったが結局出会えたのは秋山洋二ただ一人だった。しかも結果は散々たるものであった。

 智美が絶望するのは分からないでもなかった。自分も何度も気が狂いそうになったし、今でさえギリギリの状態である。例えるなら、感情というものがヒビのはいった堤防にかろうじて収まっている程度なのだ。もしそれが崩れれば、今度こそ立ち直れそうにないかもしれなかった。それほど今の状態は切羽詰っていた。

 自分自身感じているがゆえに智美に対し何もいえなかったのだ。そんな自分が悔しくてたまらなかった。

 隆平は引き返すように、智美の方へと行こうとしたとき、それを見つけた。自分の左手の方向、智美からすると右手のあたる木陰の隙間から覗ける散乱物を。

 一瞬にして緊張感が体中を走りぬけた。それはそこに誰かがいるとかいうことではなく、明らかにそこで殺し合いが行われた、という感じからであった。つまりそこには誰かの死体が転がっているだろうという緊張感だったのだ。

 それで目標は智美からそこへと変わった。智美は地面をじっと見据えたままだったので気づいてはいないようだ。気づかないほうがよいこともある、そのままそっとしておくことにして、とりあえず一人で様子を見てみることにした。

一応警戒しながらゆっくり近寄ると、カラになり萎れてしまったデイパックが目に入った。驚いたことにそれは何か鋭利な刃物で切られたように、ちょうど真ん中から引き裂かれて、なんとか繋がっている状態だった。あれが原因で中ものをぶちまけたのだろう。それくらいのことはわかった、次に目に入ったのが日本刀だった、持ち主を失った刀は所在無さげに地面に横たわっていた。そしてその近くには真っ二つに折れた木刀のようなもの。それで周りを一通り見回してみたはずだった。結局誰の死体はなかったのだが、おかしいことは山のようにあった。この状況から見て取れること、それは二人とも逃げきったということである。どういう状況で遭遇したかはわからないが、結果的に両者生き延びた。ただ戦いが行われたのは確かである。それは折れた木刀と、切り裂かれたデイパックが物語っていた。お互いの武器は日本刀と木刀だったのか、それとも片方がその二つとも所有していたのだろうか。いや後者の考えには無理がある、そこに落ちている木刀は半分くらいは折れ口がきれいに切られており、それが折れる原因を作ったのだろう。ということは日本刀で切りつけらていたということだ、少なくとも二つの所有者は別の人間ということになるだろう。デイパックも持ち主も自然と木刀のヤツというになるのは間違いないと思う。ただその二つの武器での勝負ならばどちらが有利かなど明らかだ。木刀のヤツが運良く逃げ切ったとしても、そこに落ちている日本刀はどうなる? それこそまったくわからなかった。なぜ捨てて逃げたのだ、ほかに銃とか持っているのか? だとすればそれを使っていただろうし・・・・・・、頭が麻痺してきた。どうやら考えても無駄ということでその場を後にすることにした(ただ日本刀だけは持っていこうとしたが、手に取る時に初めて血に染まっている剣先に気づき咄嗟に投げ捨てた)。

重なるように茂った木々の隙間から智美の姿を探した。さっきまでいた所から動いていないならすぐに見えるはずだった。そしてその通りすぐにその姿は見えてきた。

――姿は見えてきたのだが、智美の後ろ、ほとんどくっつくようにしている新たな人物の姿も・・・・・。

智美の苦しそうにもがいている顔、両手で首のあたりを掻き毟るようにしているその姿、それを捕らえたときには、隆平の脚は走り出していた。

迂闊だった! 近くにいるとはいえ、一人にさせておくなんて! これまで人と遭遇しようとして遭遇できなかったという安心感が完全に裏目に出てしまった。

木々の間を縫うようにして走り、なかなかスピードこそ上がらなかったが、それでも十秒ほどでたどり着くことができそうだった。

苦しそうに顔を歪めている智美の首筋から血が流れ出しているのが見て取れた。何かが食い込んでいるようであった。その向こう智美の頭の高さに胸がある人物は――古賀弘だった。目が充血し、正気を保っているとは考えられないような表情で両腕を交差させて、その腕は力を込め過ぎているためかブルブルと震えていた。そしてその両手首に糸のようなもの(ピアノ線だった)が巻きつけられて、それで首を締めているのだ。ただそのとき左手の甲が青く滲んで、見たこともないような形に腫れ上がっており、右手の方も見た目は異常はなかったが指がまったく動いていないようだったのがわかった。糸を巻き付けている弘の両手首も糸が食い込んで血が流れ出していた。

「やめろー!」事の重大さを知った隆平は叫んだ。

 声も上げることもできず襲われた智美の顔がどんどん青白くなっていくのがわかった。一瞬脳裏にあの秋山洋二に殺されていた中尾由美絵の顔が浮かんできた。なまこのように太くなった舌を垂れたあの顔が・・・・。その間も必死に走った。

 弘はまるで反応を示さずに、そのまま首を締め続けていた。それはこちらの姿など目に入っていないといった感じでもあり、智美を殺すことが唯一の目標かのような、神風特攻隊のらしき意思さえ伝わってきた。

 

 その通りだったのだ。隆平の感じたことは実に正しかった。古賀弘の脳は今や一時的な障害を負っていたのだから。欣治に殴られたことにより前頭葉の強いショックを受けた弘の脳は記憶障害を引き起こし、理性の働きをも狂わせていた。人間的理性を失ってしまった脳は何が正しく、正しくないかの判断さえできない。今の彼は人生の中でインパクトの強かった事柄のみを唯一覚えている状態だった。そして弘にとってそれは殺人という記憶であり、それが一番初めに思い出されたことによって、やるべきこと=殺人と見なされていたのだった。

 

 ようやくたどり着いた隆平は一気に弘の腕に掴みかかった。

「はなせっ、こっのやろー」隆平は必死に振りほどきながら叫んだ。その反動で弘の腕が上下に揺れ、それに応じて首に食い込んだピアノ線は智美の身体を動かしていた。その光景はまるで首で動かす操り人形であり、その通り手足はぶらんとして生気すら感じられなかった。

 弘の力は一向に緩むことはなく、更に力が加わっていた。どうしようもなく隆平は泣きそうになってきた。

「放せよ! ばかやろーっ」頭を殴りつけた。一回、二回、三回・・・・・。何度殴ったかはわからなかった――ただ殴りつけた自分のほうの拳からは血が噴出し始めていた。

 それなのに弘はまったく痛みを感じていないかのように、ただ智美に張り付いていた。

 隆平は意識とは反しその場に腰から崩れ落ちた。やらなければならないことはあるはずなのに、なぜか身体のほうは言うことを利いてくれなかった。

 どうしようもないという絶望感とゾンビでも相手にしているような恐怖感が入り混じり、もはやギリギリの状態であった康孝自身の理性も崩れかけていたのであった。

 隆平の手は次には学生ズボンの後ろ側、ベルトに差し込んでいた短刀へと伸びていた。

 もしそこに第三者がいたとしたら、隆平の表情の変化に気付くのは簡単だったであろう。それは心の堤防が崩れた瞬間でもあった。

 立ち上がったときには弘の背中に向かって短刀を突き刺した。少しも罪の意識も感じずそれは行えた。弘の声が洩れた気もしたが、もちろんそんなことどうでもよかった。今度は弘の体が崩れかけた。倒れる瞬間も倒れてからも隆平は短刀を刺しては、抜き、再び刺し、それを繰り返した。

弘の背中は恐らく二十以上の穴が開いただろう。ただガクランを脱がしてみなければ正確なことはつかめないだろうが――、隆平の方はというと顔から足まで返り血で真っ赤に染まりその顔は本物の殺人鬼のように醜く変貌していた。

弘の体は完全に倒れたまま動かなかったのだが、その体に押しつぶされるように倒れている智美もまた動かなかった。それでも刺し続けた、何度も、何度も――。

最後に刺した状態の短刀をぐっ、と押し込むとそれから手を離した。弘が絶命していることは誰から見ても一目瞭然だろう、例え遠くはなれた場所から見たとしても――、それほど死体はひどいものになっていた。智美もまた生きてはいないだろう、顔は変色し、口から図太くなった舌を垂れており、全身が弘の血でどす黒い赤に染まっていた。

隆平はうな垂れるように立ち上がると、ほとんど聞こえるか聞こえないかほどの声で言った。

「結局、ばかだったのは俺たちだったんだな、おまえたちみんなやる気になっているのに、そんなお前らを信用して、集まろうとした俺が・・・・・・・ばかだったんだな・・・・」

 

 隆平はゆっくりと日本刀が落ちていたところへと歩いてゆき、そしてその日本刀を拾い上げた。血に染まった剣先(今では隆平の全身のほうが真っ赤だった)を見つめ、想った。

 おまえらがその気ならおれは受けて立つ・・・・・・、誰であろうともう容赦はしない・・・・・、生き残ってやる。全員を殺してでも・・・・・・。

 それで再び二人に死体が転がっている場所へと向かった。たどり着くや否や、日本刀を逆手へと持ち替え、何をするかと思いきやいきなり弘の体に突き刺したのだった。短刀が首筋に刺さったままだったのだが、その左下の心臓のある位置あたりに背中側から新たな刃が生える形になった。剣先は弘の身体を貫いたのだが、隆平は力を緩めなかった。そして下にある智美の身体にも突き刺さりその身体をも貫通し地面に到達したところで初めて止まった。二人の人間の串刺し状態だった。しばしその状態を維持した後、刀を引き抜いた。悪くはない、十分に戦力になる、それだけ思っただけで他にはなんとも感じることもなかった。あるとしたら『生き残るのは俺だ!』といったことだけだったであろう。それはもはや知りうることではなかった。

 こうしてまた新たなる殺人鬼が誕生した、たとえそれが自ら望んでなったのではなかったとしても結果はこうなってしまった。一人の殺人鬼が死に、また新たな殺人鬼が誕生しただけのことなのだ。それが事実なのであり、このゲームが成り立つ要因でもあったのだ。

(残り17人)





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