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 診療所のあるエリア、その診療所がなんとか見えるほどの距離には数件の小さな古屋が建っていた。その中でもっとも由緒がある、別の言葉でいえば最も古い家の玄関先に腰を下ろしたその女は、両腕を立てた膝の上に乗せ、その腕をさするような仕草を見せていた。そしてそのさすられた腕にはすっ、と白色の線が延び、まるで京都の舞妓さんの顔のように色白の肌へと変化したのだが、その色白の肌も数秒後には再びもとの地肌の色と同化するように消えていき、後に残るのは無数の赤い斑点のみだった。

 その女が空を見上げると、肩に掛かるくらいまで伸ばした少し茶髪のストレートヘアが流れるように背中側へ流れた。それで顔にも日光が差し込んだのだが、その顔もまた無数の赤い斑点で覆われていた。その女とは古賀沙紀(女子六番)だった。普段は髪の毛のつや同様肌の方も負けずに色白できれいな女の子だったのだが、今の彼女は腕、顔のみではなく全身が斑点で満たされていた。それを少しでも抑えようと薬用のクリームを塗っている最中だったが、意味のないことでもあった。ゲーム当初からもう何度も塗ってはいたのだが、この首輪がある限り収まることはないのだ。

沙紀は思った。こんなことならピアスなんて空けるんじゃなかった、と。

ちょうど半年ほど前になるだろうか。沙紀は友達の付き添いで買い物に行き、そのときに雑貨屋で見かけたのがピアス開けの道具(ピアッサー)だった。もちろんまだ高校生だし、買おうかどうか迷ったが、結局買った。それがそもそもの間違いだったのかもしれない。友達にはピアスをしている子は何人かいたけど、そろって言う言葉は痛くないよ=A簡単簡単、誰にでもできるよ≠セった、確かに開けるのは簡単だった、ほとんど痛みなど感じなかったし、血さえでなかった、それですべてが終わったと思っていたあたしにとっての問題はその後に起こった。

体質に合わなかったのか、それとも手入れが十分でなかったのか、はたまた他に原因があったのかのかは分からない。理由はどうあれピアスをあけた二週間後くらいから金属に触れるとアレルギーを起こすという疾病、いわゆる金属アレルギーにかかってしまったのだった。

 

まったくもって自分の肌とは思えなかった。とても人に見せられるようなものではなく、こんなところを見られたら一生の汚点になるかもしれない。そういった理由もあり沙紀は今まで誰とも出会わずにずっと隠れてきた。

それももう限界だった。といっても別に隠れ続けるのが限界だと言っているんではなく、この身体に限界を感じ始めたのだ。この暑さのために否応にも発汗が起こり、いくら薬用クリームを塗ってもアレルギーは収まるどころかひどくなる一方だった、それにもプラスして痒みまでがある。

限界だった――、沙紀はほとんど無意識に腕を掻き毟った。痒くてたまらなかった。

はっ、と我に返って止めたときにはもう、掻き毟られた腕には潰れた赤い斑点から透明の液体が漏れ出していた。沙紀は顔を歪めた、これでさらにひどくなるだろう。

すべてはこの首輪のせいだ! 沙紀は両手を首輪に触れた。自分の体温を吸い込んだそれはなまじ温かく、無性に腹が立った。何でこんなのがあたしの身体の一部になっているの! 憎たらしくてたまらなかった。そのせいであたしは今どんなひどい目にあっているのかわかってるの! 

沙紀は勢いよく立ち上がり、決心した。そうよ、この首輪が悪いのよ! この首輪さえなければあたしの身体は元通りに戻る。それで再び首輪に両手を運んだ、ただし今回は人差し指と中指の第一関節くらいまでを首の肉へと食い込ませてできた隙間へと強引へ差し込み、がっちりと掴んだ。

これさえなければ―――これさえなければ――あたしは――元にもどれる――。

両サイドから指を食い込ませたことでやや首を絞められた感じを起こさせたが、それは特には問題はなかった。ただ問題があったのは、指先に走った感触であった。首輪の下、直接金属が触れている皮膚には目では確認できなかったが他の場所とは比べようもないほどのアレルギーが発症していた。そのことを認識した途端、鳥肌が立ち赤い斑点と混ざり合うような形で全身に広まった。

沙紀の顔が歪んだ。自分自身の身体がおぞましかったのだ。

これ以上ひどくなる前に何とかしなければ・・・・・・・、そうだ、分校に戻って、『あたしは金属アレルギーなんです、プレスチック製のものと交換しえてくれませんか?』などと訴えることはできないだろうか? 引き換えにこのゲームに乗るとかいう形をとってでも・・・・・・。―――無理、いったいどうやってあそこに戻れる? 一番初めに禁止エリアになってしまって近づくことさえできないのに。

それで沙紀は首輪の内に差し込んだ指を軽く外へ向かって力を込めた。――ビクともしなかった、しっかり固定されていて少しの力では外れそうもない。だが所詮厚さ0,5センチほど、高さも3センチくらい、思いっきり引っ張れば外すことは可能だろう。

どうしようか迷った。確か話ではこの中には爆弾が組み込まれてあって、無理に外そうとすれば爆発するとか言っていたのを思い出したのだ。もしあれが本当なら今やっていることはほとんど自殺行為ではないか。

―――本当なら?―――ってことは嘘の場合もありうるのではないのか? あんなこと言われたら例え嘘であっても誰も外そうとしないだろうし、元々死という固定概念がひどく植え付けられているこのゲームの中で、その嘘は120パーセントの効力を発揮するだろう。そもそもこの不況の中、一々こんな意味のないことに使う首輪なんかに莫大な費用をかけるなんて国の財政事情から考えて無理ではないのか? 

それで首輪に対する疑惑が軽減したが、やはりまだ開き直ってしまうには程遠かった。そりゃ、大手デパートかどこかで爆弾を仕掛けた、などという電話が入ったら、例え子供のいたずら電話だとしても客を非難させるだろうし、爆弾処理班だって出動するだろう。まさに今のあたしがそれだった。半信半疑なところはあるが、踏み切れない。どうしようもない状況なのだ。

沙紀はふう、とため息をつくと指を引き抜いた。だめだ、できない。そのまま頭を抱え込んで地面とにらめっこをした。

そのまま五分くらいその姿勢を保っていたら、突然、「沙紀?」と自分を呼ぶ声が耳に入った。びくっとして顔を上げると、ちょうど家の外壁代わりに植えてある潅木の隙間から顔を覗かせている一人の人間の姿が目に映った。本田雪子(女子十八番)だった。

沙紀はばっと立ち上がると、すぐに後ろの入り口へ駆け込んだ。雪子とは一年の時も同じクラスだったこともあって仲がいいし、別に彼女が怖かったわけではなかったが、今の自分の姿を見せるわけにはいかなかったのだった。これは自分だけの秘密であって、もちろん家族さえも知らない、一人に知られると確実に他のみんなにも知られることになる。

沙紀は屋内に入りすぐに階段を駆け上ると子供の寝室みたいな部屋へ入り、そこにあった二段式のベッドに敷いてあったシーツをつかみあげると全身を覆うようにして包まった。

おねがいこないで、おねがい・・・・・、こんな姿見せられない・・・・

祈りように心の中で繰り返していた。

 その祈りを全く無視するかのように声がどんどん近づいてきた。

「沙紀、あたしよ、雪子よ。何で逃げるの?」少なくとも家の中には入ってきたようだった。「沙紀、どこ?」今度は階段を上がってくる音すら聞こえてきた。

「な、なんでこっちにくるの! お願いこないでよ!」今の姿だけは絶対に見せられない、誰であろうと、絶対に。

外見を気にする沙紀にとって今の姿を見られることは死よりつらいことだった。いっそプライドとか羞恥心とか捨てて、『見て、これ、毛虫みたいでしょ、これなら誰も近づいてこないし、生き延びられるよね』なんて言えたらどんなに楽だろう・・・・・・。

空想に浸っている間にも雪子の声はすぐそばまで来ていた。

二階には部屋が二つあったはずだ、もしもう一方の部屋に入っていったらその隙を見計らって一気に外へ走り出よう、それしかない。雪子はあたしを殺そうとする気配なんてないから別に命の心配なんてする必要もないし、問題はないだろう。

がちゃっ、とドアノブを下ろす音が響いた。

「えっ、どうしてこっちの部屋から先に入ってくるの?」もう一方の部屋のドアは自分がここに入る前に確認したときは開け放たれていたはずであった。普通そちらを先に調べるのが人間の心理ってもんじゃないの! おかしい、おかしすぎるよ、雪子!

「沙紀、そこにいるんでしょ、なんで逃げるの?」入ってきたと思ったら、雪子が声を発した。

「ごめん、雪子、あたし・・・・・ダメ・・・・・、ダメなの、ごめん、一人にしてて」言葉にならない言葉を必死で並べ、沙紀は雪子がそのまま立ち去ってくれるのを祈った。本当なら一緒にいたい、だけどそれができないのがこの上なく辛かった。

 シーツの中で沙紀は首輪の中に指を入れ込んでどうにかならないかと頭をフル回転させながら考えていた。どうしよう・・・・・どうしよう・・・・・・どうしよう・・・・・。

 そのときはっ、と思いついた。そうだ、指が入り込むんだから、布かなにかを差し込んで直接肌と触れ合わないようにすればいいんだ。簡単なことだったんだ、あたしこんなことに気付かなかったなんて、なんてばかだったんだろう。雪子が迫ってくるまえに沙紀は言った。

「わかった、わかったからちょっと考える時間をちょうだい、ね、おねがい、雪子」とにかく時間が必要だった。対処策はわかった、それさえ行えればだいたい五分もするとアレルギーは完全でないにしろ人前に出れるほどには収まるのだ。

「どうしたの、沙紀、ちょっと変よ。だけどあなたが待てって言うんなら待つけど。その代わりあたしをちゃんと信用してよね、待ってる間に逃げたりしないでよね」

「うん、ありがと」よし、時間は稼げた。それで沙紀はポケットを探りはじめた、たしかハンカチが入っていたはずだ、それを首に巻くことにしよう。

 手探りでスカートの両ポケットを探ったが、ハンカチは出てこなかった。あれ、どうして、たしかここに・・・・、今度はセーラーの胸のポケットに手を入れた、――やはりなかった。なんでないのよ、さっきはちゃんとここにあったじゃないの!

 ――あ、玄関先だ、汗をふき取るとき使って、横において――なんてこと! 台無しじゃない。

 沙紀は考えた、何か変わりになるもの、薄くて、柔らかいもの―――あるじゃない、今あたしが包まっているもの、シーツが。

 自分を覆い隠すためのバリケードになっているそのシーツを内側から掴み取るようにして引くと、足の方がはみ出したような気がしたが、そんなことは構うこともなく首輪の中にシーツを差し込んでいった。まずはやりやすい前から、次に横。

 残りは後ろ側だけだ。これが終わって立ち上がったときの姿を想像した。おそらく頭から羽織っただけの安物のワンピース・・・・、さもなければ民族衣装でも着ているような姿になるだろう。

 別に問題はなかった。ただアレルギーさえ治ってくれればそれでいいのだ。

 雪子の声が聞こえた。「ねえ沙紀、何してるの? もういいでしょ」

 シーツに包まってごそごそと・・・・・。雪子から見るとその姿は奇妙に見えたに違いない。ここまで黙って見ていたこと自体が雪子の気の長さを表していたといってもよかっただろう。しかしさすがの彼女にも少しのいたずら心というものが起こったのだった。それは雪子にとってはほんのいたずら心に過ぎなかったのだが、沙紀にとっては一生にかかわることになるなど思いもよらなかった。

雪子はそっと沙紀が包まっているシーツのあるベッドへと近づいた。近づくとそのシーツへと両手を伸ばし、ぐっと掴んだ。沙紀は相変わらずごそごそとなにやら行っていたので、全く気付いた様子もなかった。

びっくりさせてやるわよ、沙紀。雪子は脚を踏ん張り一気に力を出せる体勢を作った。

 いくわよ、沙紀。

 せーの、腰を入れてシーツを一気に引いた。

 

 沙紀はちょうど首回り全部にシーツを差し込むことができそうなところだった、あとはこのまま数分待てばすべてが解決、それからがあたしにとって始まりになるんだ、そう思えたところだった。

 そう、思えるところだった。だが突然シーツが外部から引っ張られる力を感じた。咄嗟の出来事でよく分からなかったが、そのとおりだと思う。一瞬にして明るい光が眼中に広がり、まぶしさを感じた。同時に首と首輪にしっかり挟み込んでいた部分にも引っ張られる感覚が襲い、瞬時に擦れる痛みと首ごと引っ張られる痛みへと変わった。

 だがシーツがそこから取れる前に事は起こった。

 ぼんっ、という鈍った重い音が身体の中に響いたような気がした。一種それは、サイレンサーを付けるか、枕にでも押し付けて撃つかした拳銃の音によく似ていた。果たしてそれがプログラム専用首輪に内蔵された爆弾によるものだったのか、あるいは爆発音が彼女自身の体内に反響したためだったかはわからない。

 途端に真っ白なシーツが真っ赤に染まった。雪子は爆発音とともに手を離していたが、そのだんだんと広がる赤い液体を見つめたまま唖然としていた。何が起こったのか全くわからなかった、ただ沙紀が生きてはいないということだけはかろうじてわかったのだが・・・・・・・。

雪子は恐ろしくなりそのまま部屋を飛び出し、外へ駆け出した。

(残り16人)




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