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 あら、かわいいお人形さんね。亜由ちゃんそっくり。それでねママ明日お仕事で東京の方までお出かけしなくちゃいけないの、お留守番一人でも大丈夫よね。パパは遅くなるから、お夕飯はお弁当を買ってきてたべなさいね。

 あ、亜由ちゃん?パパはまだ帰ってない?ママちょっとお仕事のお付き合いでまだ帰れそうにないの。ご飯は昨日のお金まだ残ってるよね。それで何か買って食べなさい。

 ごめんね、来週から一ヶ月間おばあちゃんのお家で過ごすことになったの。亜由ちゃんはもちろん平気だよね。おばあちゃんもとっても楽しみにしているみたいだし、いっぱい遊んでもらいなさい。え?ママ?ママはねー、少しお仕事が忙しくなりそうなの。たまには帰れると思うから、そのときはママとも遊んでね。

 へー、そうなんだ。亜由ちゃんはそんなことしておばあちゃんと遊んでいるんだ。で、どうかな?ここは楽しい?そっか、亜由ちゃんは自然が大好きなんだね。あのね、あっちの方にはねすごーくきれいなお花畑があるんだよ。ママは子供の時そこに行くのが大好きでね、花の冠とか作って遊んだんだけど、亜由ちゃんも今度あばあちゃんと一緒に行ってごらんなさいね。ごめんね、ママは行けないんだ。

 あれれ、亜由ちゃんまた新しいお人形さん買ってもらったんだ、そっかお父さんに買ってもらったの。よかったね、ママも今度何かおねだりしてみようかしら。

うん!!

 

 眼前に緑が茂っていた。一瞬ここがどこなのかを思案しようと頭が働きかけたが、すぐに理解できた。一種の寝ぼけとでもいうのだろうか。夢の中の映像が鮮明に焼きついていた。平田亜由美(女子15番)は一度だけ大きく息を吸い込んだ。次第に意識がはっきりしてくる。

 再び夢の内容を回想してみた。まだ小学校入学前くらいだろうか。当時の母はすごいキャリアウーマンであり、常に仕事をしていたように思う。一言目にはわたしの話題をしてくれるが、二言目には仕事であった。母と父がそろって家にいるときなんて滅多になかった。例えいたとしても、どちらかが自室に篭ってなにやら仕事をしていることがほとんどだった。でもわたしにしてみればそれはいいほうだったといえる。悪いときは、何週間も両親ともに家にいない時さえあったのだから。さすがにそんな場合、幼稚園時は祖母の家に預けられてはいたが、ある出来事があって一人留守番ということがほとんどになった。

その出来事はというと祖母に預かられていたときに、母のために作った花輪から始まった。それを母にかぶせてあげようと大事に持ち帰って、飾っていたのだけれども、次に母が訪れたのは2週間後だった。もちろん花は残らず枯れ果ててしまった。母が帰った後、とめどない悲しみがわたしを襲ったのを覚えている。悲しみが去ると、今度は八つ当たりみたいな感情が沸き起こった。その日のうちにわたしははさみを抱え家を飛び出し、花畑へと向かった。気づいたときには、ほとんどすべての花の茎から上が切り落とされていた。後日すぐにそのことが祖母の知ることとなっていた。なぜ祖母に知られたかというのは不明だが、とにかく叱られた。さんざん命の尊さを述べ、どういうわけかその後人間の命へと話題は変わり、最終的にはまったく関係ないあたしの人生についてまで話が飛んだ。あの時の祖母の顔は忘れられない。子供心には話の内容というよりも、いままで接していた祖母の顔がまったく違うものへと変化した事、生まれて初めて叱られているという事実。すべてが津波のように押し寄せてきてものすごく恐ろしかった。

 祖母に家を飛び出したのが、その後すぐ。母から持たされていたかわいらしい刺繍の入ったポシェットだけを両手で抱え、とにかく気づかれないように飛び出した。どうやって自宅に帰ってきたのかは覚えてない。

 父がその日の夜中に帰宅し、いないはずの娘がいるということで不思議に思い、祖母宅へと連絡を取ったみたいだったが、特に何を言われるわけでもなく元の日々が始まった。

 それ以後祖母を訪れることはなくなった。

 自分の中で人生観がかわり始めた時期がそれからだ。叱られるということが完全にトラウマと化していた。常に人の態度を伺って行動するようになってしまった。小学生になったころから、完全に八方美人、自分でも認識していた。荒波をたてるようなことはしないで、常にいい子ちゃん。自分が嫌いだった。おびえて過ごす毎日。それが繰り返す日々。

 ある日の出来事、クラスの男子が突然喧嘩を始めた。今思えば所詮小学生の喧嘩、かわいいものだ。髪の毛の引っ張り合い、摘み合い、10分近く続いていたところに騒ぎを聞きつけた先生が止めに入った。その先生はというと休み時間というのに、教室の中にいる生徒全員を着席させた。何が始まるかと思えば、説教だった。なぜ止めなかった、原因はなんだ、など。わたしはなにも悪くないのになぜ叱られねばならないのか?なぜあたしに関係のないことがあたし降りかかってくるのか?全員が黙ったままなのでいっそう先生の声が強まる。その声に怯えながら、あたしの目の前には机がいっぱいに広がっていた。

 もはや限界だった。いくらいい子にしていても無駄だったのだ。叱られるときは叱られる、いくら回避しようとしても亡霊のように迫ってくるその恐怖を逃れることはできない。

 その日の帰り、いろいろと考えていた。もし家の自分の部屋でずっと過ごすなら、誰とも関わりを持たなくてよいなら叱られることはないのかもしれない。でもそれは不可能だとすぐに知ることとなった。学校を1,2日仮病で休むことくらいはできても、その後、正直に親に話してもそのことが親を怒らせることになるだろう。結局逃げ道なんてないのだろうか?

 数日後偶然見かけた路上でのやりとり、今で言う親父狩りとでもいうのであろうか。それが再び人生の分岐点となった。一方的な暴力、悪いのは確実に若者風のグループだ。一方の中年の男性は必死で抵抗しながらも暴行を受け、バッグを取られてしまい、財布と思われるものだけを抜き取られていた。そして一言、免許証はっけーん、いいかチクったらどうなるかわかってるだろうな、家までいくぞ、とだけ言い、紙幣だけを抜き取り財布を男性に投げ返した。

 『チクったら』という言葉は亜由美は使ったことはなかったが、意味は知っていた。そしてその言葉を心の中で反芻した。

 悪いことをすれば叱られるという固定概念を根底から覆された瞬間であった。悪いことをしても叱られるとは限らないのだろうか、ばれることさえなければ・・・・・・。

 本当にそうなのであろうか、翌日から私は慣れない新聞、ニュースに目を通し始めた。

殺人犯時候寸前で逮捕、ひき逃げ証拠なし依然捜査難航・・・・・。

 結論はすぐに出た。世の中には三通りの人間がいる、罪を犯し挙句の果て刑を科せられる人間、それを免れ狡猾に世の中を欺き生きる人間、常に規律を守り平和に生きる人間。

 

わたしの手元にはお金は山ほどあった。母は毎月10万ほどを棚へと入れておく、自由に使ってよいお金であった。もちろんあたし一人ではなく父も母も何かの支払いの際に使用するお金であったが、ほとんどあたし一人しか使用する者はいなかった。そのお金を持って町の空手道場に入会したのは、そのころだったと思う。毎日通った。帰りが遅くなったときもあったけれども、親には塾といってあるから問題はない。それ以前に両親が先に帰っていることがほとんどなかったのだが・・・・・。

空手を始めたのは、力を得るためであった。このことは今でも前に出くわした不良グループに感謝している、相手を黙らせるには圧倒的な力の差を見せ付けてあげることに限る、ということをまざまざと教えてくれたからだ。1年も経てば道場でトップの実力をつけるほどにも成長していた。もともと才能があったのか、努力の結果かは分からないがスピード重視の独特の空手にみんなはついてこれない様子であった。

メダルや優勝カップなんかには興味なかったし、親にも内緒で行っていることだったので公式試合はことごとく断り続けたが、立場上断れない状況になったときは道場を止め、新しい道場を探した。面白いことにいくら強くても、入門3ヶ月以内は公式試合は出場できないというお決まりがあった。お陰で中学生になるころにはいろいろな流派を経験していたが、最終的には近場の格闘技道場で通うところがなくなって終えた。

それから今周りに私のこの能力を知っている人間は、ほとんどいない。時に隠す必要もないと思っていたのだが、知られないほうが女の子としては世渡りしやすいらしい。

 

ふぅ、と吸い込んだ息を大きく吐いた。

「おはよう」隣からこえがかかった。

 少しだけ顔を傾け相手の顔を確認した。そこには中西恵(女子14番)が腰を落とし、周囲を見張りながら口だけを動かしていた。「眠れた?予定まではまだあるからもう少し眠ってても平気よ」

「いや大丈夫。」それだけ答えた。こうして熟睡できたということは何も異常なかったのだろう。それ以上口を開くのを止めた。そこで初めて体を起こし腕時計を覗いた。9時半を少し回ったところであった。

 さて、少し早いけど行動開始といきましょう。

【残り16人】





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