『自然休戦期の憂鬱』



夏。
世間では、何故か幻獣の出現しないこの時期を『自然休戦期』と呼ぶ。
それまで、人類の敵である異形の怪物たちと死闘を繰り広げていた学兵た ちも、この時ばかりは年頃の少年少女たちに戻って、束の間の夏休みを満 喫していた。

が。


■エピソード・2■
 『真夏の羅部呼女(らぶこめ)』

「あっちぃなあ」

ブリックパックのコーヒー牛乳を飲みながら、瀬戸口はプレハブに続く 廊下を歩いていた。
こんな暑い日は、城内プールにでも泳ぎに行きたいものだが、今日は「当 番の日」なので、そういう訳にもいかない。
自称『美少年』を名乗っている身としては、みっともない真似は控えたいが、 ここまで暑いとなりふり構わず、腰に差した農協のタオルで、顔を拭きた くなってくる。

「まあ、随分とだらしのない」

そんな瀬戸口の心情を見透かしたように、背後から棘のある少女の声が届いた。
その声に、瀬戸口は振り返る事無く柳眉を顰めながら、
「なんだ、お前さんか」
と、苦々しげに呟いた。
「人の顔も見ずに挨拶だなんて、お行儀が悪いですよ」
「察しろよ。ただでさえクソ暑いのに、お前さんの暑苦しいカッコなんざ 見たら、余計に暑くなる」
瀬戸口の言葉に、和装の少女──壬生屋は、僅かに表情を曇らせる。
夏だから、多少素材を通気性の良いものに変えているとはいえ、彼女の身に着 けているのは、瀬戸口の指摘通り、白い胴衣に赤の袴であった。
「服装はともかく、せめてもう少し姿勢を正されたらいかがです?そのだらし ない顔に、益々拍車がかかっていらっしゃいますけど」
「んだと!?」
「先に言ってきたのは、あなたでしょう!」


校舎内は、意外と声が反響する。
女子高の生徒たちが、何事かと自分たちを見ているのに気付いた瀬戸口と壬 生屋は、慌てて口を噤んだ。
ちっ、と舌打ちをしながら、瀬戸口は壬生屋から遠ざかろうと、早足で廊下を 歩き出す。
すると、壬生屋もいつもより大股に脚を踏み出すと、瀬戸口に負けじと同じ 方向を歩き始めた。


「何でついてくんだよ」
「今日は、わたくしも当番なのです」
「……ついてねぇ」
「それは、わたくしの科白です」

いつの間にか、ふたりは並んで渡り廊下を抜けて、プレハブ前へと進んでいた。
両手を頭の後ろに組みながら、瀬戸口は、ちらりと横目で己の天敵を盗み見る。
かっちりと道着を着込み、長い黒髪を真っ直ぐ下ろしているにもかかわらず、そ の横顔は、憎たらしいほど涼しげであった。
自分のよく知る『小隊一の漢前』の少女とは、また違った凛々しさを持つ壬生屋に、 瀬戸口は、己の意識の底に眠る何かをつつかれたような感慨を覚える。
彼女の横顔に重なったヴィジョンを慌てて打ち消しながら、視線を遊ばせると、ふと 壬生屋の手に握られた、フタ付きのポリバケツを捉えた。

「何だ、そりゃ?」
「え?あ、これは…」

よく見ると、壬生屋のもう片方の手には、新品と思しき柄杓が握られている。
「もう昼も近いってのに、そのバケツと柄杓で水撒きでもするつもりか?よせ よせ。水撒きっつーのは、早朝にするモンだ」
意地悪そうな笑みを張り付かせながらの揶揄に、壬生屋は黙って前を歩き続ける。
「おいおい、俺は、お前さんのために言ってるんだぜ?」
「別に、わたくしが恥を掻いて笑われようが、あなたには何の関係もないでは ありませんか」
「俺は、そこまで悪趣味じゃないぜ」
「どうだか。それに、あなたはわたくしのする事に、興味などないので しょう?」
「……ああ、そうだな。俺は別に、お前さんのモノにもお前さんにも、興味なん ざないさ」
半ばやけくそ気味に返すと、瀬戸口は、空になったブリックパックの容器をゴミ 箱に投げ入れた。
「…クソっ。益々暑くなってきたぜ」
「心頭滅却すれば何とやら、です。少しはそのおしゃべり口を慎みなさい」
「うるさいな。お前さんにそこまで言われる筋合いは……!」
「壬生屋は〜ん」

その時。
絶妙ともいえるタイミングで、小隊長室から事務官の加藤が駆け寄ってきた。
「おはようございます」
「壬生屋はんも、今日が当番やったんか」
「ええ」
加藤の問いに微笑んで答える壬生屋を見て、瀬戸口は面白くなさそうな顔をする。
「ところで…その手に持ったバケツと柄杓、どないしたんや?」
指で軽く柄杓をつつきながら、加藤は、先程の瀬戸口と同じ質問を壬生屋にしてきた。
話をするふたりを置いて、瀬戸口はさっさと持ち場に行こうとしていたが。

「実は、出掛け前に行きつけの商店で、氷の塊とカルピスを買ってきたのです。今、 この中に入っていますから、きっと昼には溶けて飲み頃になると思いますよ」

続けられた言葉に、瀬戸口は足を止めると、弾かれたように振り返る。
「みぶやん、でかした!ウチの分もあるんやな?」
「ええ、勿論。みなさんで飲みましょうね」
歓声を上げる加藤に手を振りながら、壬生屋は再び足を動かすと、彼女の仕事場である ハンガーへと向かった。

「どうかなさいました?」
伏し目がちに自分を見てきた壬生屋に、瀬戸口は、何も言えずに立ち竦む。
「あなたは、わたくしの事やモノには、興味がないのでしたね。……そして、当然 『コレ』にも」
クスクスと笑みを漏らしながら、壬生屋は手にしたバケツを瀬戸口の前に突き出 してきた。
瀬戸口は、暫しバケツの表面についた水滴を凝視していたが、

「すみません!僕が悪かったです!…頼むから、俺にも飲ませてくれーっ!」

暑さに負けたのか、あるいは何か他に思惑があるのか、突然態度を翻した瀬戸口が、 拝む真似をしながら壬生屋に縋り付いてきた。
「な、なんですか!?」
「お願いします!神様、仏様、壬生屋さま!どうか僕にも『初恋の味』のお恵みを!」
「判った、判りましたから、その手を離して下さい!……暑苦しいーっ!」


普段の彼女なら、瀬戸口の腕に「破廉恥な!」と金切り声を上げていたところだ が、流石の彼女も襲い来る猛暑に、些か思考能力が低下しているようである。 (奥様戦隊にバレても知らんぞ……)


■エピソード・3■『サウナの女』に続く(もーいいって……)


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