『自然休戦期の憂鬱』
夏。
世間では、何故か幻獣の出現しないこの時期を『自然休戦期』と呼ぶ。
それまで、人類の敵である異形の怪物たちと死闘を繰り広げていた学兵た
ちも、この時ばかりは年頃の少年少女たちに戻って、束の間の夏休みを満
喫していた。
が。
■エピソード・1■
『納涼・フロム・鹿児島』
「……暑いですねぇ」
書類の束を片手に、5121小隊隊長善行忠孝は、照りつける真夏の太陽の下を、
とぼとぼと歩いていた。
休戦期とは言っても、管理職に就く彼にはあまり休みがない。
他の部下たちが、指定された登校日や当番の日に学校に訪れるだけで良いのに
対して、休戦期に入っても、彼の忙しさはそれほど変わらないのだ。
「──まあ、それでも戦闘がないだけよしとしておきましょうか」
誰にでもなく愚痴を零しながら、善行は歩を進めると、校舎の渡り廊下から
プレハブ前に移動した。
ポケットから出したハンカチで汗を拭うと、小隊長室の前に立つ。
「…おや?」
てっきり施錠されていると思っていた小隊長室の鍵が、開いているのに気付
いて、善行は小首を傾げた。
「加藤さんでも来ているのでしょうか」
通常、同じ部屋で仕事をする事務官の名前を呟きながら、善行がドアを開け
てみると、そこには。
「………」
小隊長特権の備品である扇風機が、カタカタと古めかしい音を上げながら、
部屋に生暖かい風を送っていた。
それだけではない。よく見ると、扇風機の両脇に、何やら白い異質なものが、
風に煽られてゆらゆらと揺れている。
「善行か。休日出勤、ご苦労様だな」
呆気に取られていた善行の耳に、嫌というほど凛々しい少女の声が届いた。
顔を上げると、小隊の夏服に身を包んだ舞が、マジックとトイレットペー
パーを手に微笑んでいた。
「……何なんですか。これは」
キリキリと痛み出した胃を抑えながら、善行は、出来るだけ穏やかな声で彼
女の傍にある扇風機を指す。
吹き流しかと思った白い物体は、細長く切られたトイレットペーパーであった。
よく見ると、ペーパーの先端部分に、おそらく舞がマジックで描いたと思われ
る、小さな目と手が付いていた。
「ここの扇風機には、『吹き流し』が付いていなかったろう」
「だから、何だってその吹き流しが『一反木綿』なんですか」
「似ておらぬか?」
![だから、これは「吹き流し」であって、
決して扇風機に巻き込まれている訳じゃ…](ariake_no_rakugaki.jpg)
九州は鹿児島出身の、超メジャーな妖怪姿の吹き流しに、善行は表情を歪める。
「私としては、郷土色豊かな納涼グッズを目指したつもりだったのだが」
「だったら、せめて熊本出身の妖怪にでもなさい。『油すまし』とか」
「油すましでは、吹き流しにならぬではないか」
心外そうな声を上げる舞に、善行は肩を落としながら自分のデスクに腰掛けた。
胃の痛みに加えて、心なしかこめかみの辺りもズキズキしてくる。
「……とにかく。そのマジックは、ここのものですね。返して下さい。トイレ
ットペーパーも、後で女子トイレに戻しておくように」
事務的に告げながら、善行は机上にファイルを広げた。
扇風機がこちらに向く度に、「涼風ですば〜い」と、一反木綿が善行の前を
ちらつくような幻想を覚えたが、
『しっかりしろ、善行。暑さで少々参っているだけだ。お前の幻視技能は、大
したことないだろう』
と、必死に心の中で言い聞かせる。
「……顔色が悪いな」
「誰のせいですか、誰の。それよりも、この馬鹿げた納涼グッズとやらを、ど
うにかしていただけませんか」
「休戦期の間だけなのだから、良いではないか。吹き流しの涼しさに加えて、
地元密着型の妖怪の怖さも手伝って、効果倍増だぞ」
『ンなわけねぇだろ、この釘バットバカ一代』という暴言が、喉まで出掛か
ったが、善行はどうにか堪えると、鞄の中から水筒を取り出し、カップに
冷えたお茶を入れる。
ひと口飲もうとした所で、物欲しそうにこちらを見つめてきた舞に気付くと、
もうひとつのカップにお茶を注いで、彼女に手渡してやる。
ニコニコと嬉しそうに微笑みながら、お茶を飲む姿に、善行は、一瞬だけ目
を奪われそうになったが、
「こんな子供じみた吹き流しで怖がる人間など、ここには誰もいませんよ」
身体に入ってきた水分に、幾らか落ち着きを取り戻したのか、軽く息を吐き
ながら、口元を綻ばせた。
「───そうか?私は、確実に怖がっている人間を知っているが」
「は?」
そう言って、舞が指を突きつけた先には。
「だーかーらー!ただの吹き流しだろうが!お前、陳情に来たんじゃないのかよ!?」
「……」
扇風機と共に揺れている『一反木綿』を、真夏でも元気な同僚の影に
隠れて、僅かに身体を震わせながら窺っている、『寡黙で屈強だが、お化
けが苦手な精霊戦士』の姿があった。
■エピソード・2■『真夏の羅部呼女(らぶこめ)』に続く
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>>第2話に続く