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LUNE act1 |
| 『守って、やっから』 『お前一人くらい』 『トドメくらい、俺がちゃんと刺してやっから』 『お前の為になら、犯罪者になるくらいなってやっから』 『だから』 『戻ってこい、絶対にだ』 タチが悪いとは、この事だ。 それは自分が新一の言葉は決して裏切れないと十分承知しての言葉で、半ば脅迫に近い。そんな時ばかり、回らなくていい機微が瞬時に回るからタチが悪い。 「国語苦手なくせに、そんな時ばっか言葉巧くなるし、完全に確信犯なんだよね」 ついでに知能犯だしと、快斗は眼下の不夜城を何を考えるでもなく見下ろし、溜め息混じりに呟いた。 国語が苦手で、推理時以外は他人の機微には鈍感で。けれど隠したい時程、新一は適格にその内心を綺麗に見透かすから、始末に悪いしタチが悪い。誤魔化されて欲しい時程、正確に内心を見透かしていく双眸。言葉に語るより余程雄弁に想いを乗せ、そして少しだけ、困ったように笑う面差し。 稀代の探偵に言わせれば、視えるから見えるので、答えはいつも目の前に提示されていると言う事らしい。識りたいという意思が在れば、いつだって答えは見つかると言う事になるらしい。それでも、安易に易々と見つけ出せる答えもあれば、出せない答えもあるし、出せない答えが余程多い事も新一は正確に理解している。理解して尚。真実という不安定なものを求め、深淵を直視する強さが綺麗だと思い、だから怖いと思うのだ。切っ先の上に立つ強さ。 その怖さを、自分は良く知っている。踏み出した一歩。地上から、吹き上げてくる風の強さに竦んだ心と手足。 「肝心要な時程、誤魔化されてはくれないんだよねぇ」 綺麗に隠す術を持っていて、新一が困るような事など簡単に騙して隠している筈なのに、それでも極簡単に見透かして、反駁を口にせず、困ったような表情を覗かせる。 その表情の方が、余程幾重もの言葉を言い募るより説得力が有る饒舌的な表情だと、新一に自覚は皆無だから尚始末が悪い。その困った表情をもっと見ていたくて口を開けば、最後はサッカーをしていた嘘ではない脚力が飛んで来るし、長く細い腕が飛んで来る時もある。 悪ふざけの冗談に、誤魔化してくれているのだと気付かない程鈍くはなかったから、それに乗ってしまおうと思うのもまた事実だ。そうとなるように、新一は腕を差し出してくれているのだから。そんな優しさが新一らしい。いつだって他人の事ばかりに必死になって、自分の事など二の次もいい所だ。そんな時ばかり他人の機微には驚く程敏感で、動物的嗅覚を持っている。その、末路が判っていない筈はないというのに。 少なくとも自分は、自分の末路と言うものを、認識しているつもりだ。それでも、冗談に誤魔化す言葉を募る新一の優しさが、時には笑いたい程のものを孕ませるのも事実だった。 笑って、笑って。底抜けに大笑いしたい心境と言うのは、稀代の名探偵の番犬よろしく、自分とよく似た開放的な笑顔に誤魔化す盾を持つ西都の探偵がいれば、アホの一言で簡単に内心を見透かされ、呆れられるのは間違いない気がした。 褐色の肌に開放的な人好きのする笑顔が、相手の心理に深く鋭く切り込む心理操作の為のものだと、気付かない程鈍くはないし、相手もこちらに曝すべき部分の手の内は覗かせてくれている。それはある意味、とても自分とよく似ていたからなのかもしれない。時折、顔を見合わせ同じ発送に乾いた笑みを漏らしては、ついつい視線を逸らしてしまう他程度には、手の内が読める。 人間関係の形成手段を考慮すれば、誰かれの眼にも明瞭に判る境界線を引くより余程、簡単に周囲は騙されてくれる。とても使い勝手のいい盾なのだ、笑顔という代物は。笑っていれば、誰もが好印象を抱くのは老若男女、万国共通だ。騙されてくれないのは、稀代の名探偵と、そういった部分では嬉しくもなく似ている西の探偵程度、そして後は、聡明な少女一人だ。 「判って、るんだけどね」 言葉に出して言うあたり、未々自分も修行が足りないのだろう。 足下に在る夜景。とても綺麗で、綺麗だから却って自分とは無縁の世界の生き物のように思えてしまう。天然の宝石箱と言った稀代の名探偵のご母堂の科白は、ある意味で正鵠を射ているのだろう。 美術関係、取り分けて宝石を主に扱う怪盗の自分から見れば、宝石の原石の方が余程リアルで、快感を煽る代物だ。こうして見下ろす足許の光景は綺麗すぎて、自分とは距離が開き過ぎている。まるで無色の隔絶する硝子を引かれているように、身の裡の何処かが冷静で、感情が湧かない。だから天然原石の宝石より、人工的な光は、無関係な部分から覗く分にはとても綺麗で、綺麗と称賛するだけで事足りる程簡単に綺麗と言えてしまう。 それでも、アノ光を名探偵は守りたいのだというのだから、大概怖い人だと思うし、点灯する光の群を『星』と指差すなど、到底自分にはできない代物だ。国語が苦手なくせに、その感性は驚く程だ。 無関係に瞬く光の渦。無関係と判っていて、もう自分が、自分達が、その光からは随分かけ離れた位置を歩いていると理解して尚。その光を守りたいと願う稀代の探偵は、だから怖い。 『一生懸命生きている。間違っても傷付いても、必死に生きてる。だから綺麗なんだと思わねぇ?』 『ただ生きてるだけなら、命なんていらない』 自分達が歩く路など、果てしなく広がる沈黙ばかりの闇だと理解して、他人を守ろうとする細い腕が、だから痛々しい。 『星』 細い腕が、スラリと示した眼下の光景。 足許から吹き上げてくる風が、髪を嬲って行く。吹き上げてくる風が、怖くなくなったのは、一体いつからだろうか?心地好いと感じるようになったのは、いつからだっただろうか? もう思い出せない気がした。 一人で歩く路の行く先は、ちゃんと判ってるつもりだったし、判っている。父の名を継いだあの時から、ちゃんと、理解していた。泣かせるだろう大切な人達の事も。それでも、歩く事を選んだのは自分だから、後悔はできない。 いつか訪れる末路。その覚悟なく、名は継がないし穢がさない、決してだ。それは父の名を継いだ時、己に課したものだ。 それでも、大切な母親や、優しい時間を与えてくれた無邪気な幼馴染みの泣き顔を見たくはないと思うし、何よりも。言葉もなく、涙も流さず、きっとその時には引き止める言葉は持たないだろう東の名探偵を傷付ける事が、とても苦しい。苦しいから、もう少しと言い訳してしまうのは、自分の弱さなのか、純粋な痛みなのは未だ良く判らない気がした。 ただ、泣かせたくはないと思った。本気で哀しい時、泣く事のできない新一の為に。その反面、自分がそんな大層な人間ではないという事も、理解している。東の名探偵の隣には、常に番犬のような狼が控えているのだから。 東の名探偵の苦悩を見て取り、それでも引き止める事のない強さを持っている服部が在るから、きっと自分が一人消えたくらいで、痛みにはならないだろう。 それでも、新一の『戻ってこい』と言う言葉に揺らいでしまうのだから、未々精神修行はなってはいないのかもしれない。 「どうしよっかな」 フト見上げた夜空には、思いの他綺麗な月が在った。 「今夜は仲秋の名月だし」 蒼い闇に浮かぶ綺麗な銀盤は十五夜の名月で、もう少し先の季節になれば、その光は更に磨きかれ、冷たく綺麗で少しだけ淋しい光を鋭利に地上に投げ掛けるのだろう。 綺麗で、少しだけ淋しく冷ややかな光は、けれど柔らかく地上に投げ掛けられている。 まるで何処かの誰かを連想させる光を持つ地球の衛星。 「何で、こんな所に居るかな、俺も」 それも、仕事の格好ではなく、極単純に趣味と実益を兼ねた格好で、ビルの屋上の張出部分に腰掛けている。誰かに見咎められたら、それだけで立派に不審人物だろう。尤も、闇に埋没する空に近い部分に地上の光は届かないから、誰かに見咎められる可能性はゼロに等しい。 感傷的に浸っていた意識が急速に現実に戻って来る、そんな気分だ。夜は瞑想の刻と言うから、精神の眼差しを内界に向け過ぎていたのかもしれない。我ながら随分感傷的な事だ。 さぁてどうしたもんかと、快斗は奇妙に呑気に組んだ膝の上、横着に頬杖を付き、眼下の夜景を見下ろし、ついで空を見上げた。 綺麗で優しく淋しい光。名月と古来から愛でられてきた光。都会の腐敗は空まで穢がし、スモッグに覆われた空はとても綺麗とはいいがたい。それでも、夏より空気が澄んで行く秋は、幾分空も月も高く綺麗に見上げる事が可能だった。けれど星は少ない。元々秋の夜空に特徴的な星はないからそれは仕方ないのかもしれない。冬になれば、夜空ももう少し賑やかになるだろう。 これからの季節。月は冴々と身の裡を見透かすように鋭利に光り、星は輝きを増す。 水晶で磨き抜かれたかのような月の光は、何処か新一の眼差しを連想させ、思い出すと、少しだけ胸が痛む気がした。 絶望を直視し深淵を見通して尚、それでも逸らされない眼差しの在処。澄んだ光は身の裡にも届いて輝きを増して行く。 稀代の怪盗とマスメディアを賑わせている自分ですら、アノ真摯で揺るぎない綺麗な双眸で凝視されるとつい隠し持つ後ろめたさに視線を逸らしたくなるのだから、追い詰める事なく新一に犯罪を暴かれる犯罪者は、さぞかし身が縮む思いだろう。 新一に、断罪する優しさなど、欠片も持ち合わせてはいないのだから。ただ見える事実を、識りたいと願い識った真実の淵を告げるだけだ。追い詰める意思など其処にはない。だからこそ、追い詰められて行くのだ、犯罪に手を染めた幾多もの人間達は。 陰惨な事件現場の中。まるでその空間だけが不可侵の聖域のように、新一の身に集う空気は静謐だ。深淵を見続けて尚、立っている新一の周囲は。 綺麗に隠した筈のすべてを、新一は簡単に見透かし指摘する。断罪する優しさもなく、視た事実を視たまま言葉に乗せる。 それが稀代と言われる新一の特異性なのだと、気付くのに時間は掛からなかった。断罪も判定も、誰かを裁く権利など、本当は誰にもないのだと、新一は知っている。それでも、淵を告げる。澱んだ淵の在処を。人の身に巣喰う、淵の場所を。 ソコに在るのだと、スゥッと空気の動く感触や気配さえ感じさせず、新一は指差す。 人を指す意思のない指先に纏い付くのは、淵の在処でしかない。 澱みと歪みを内包させた増悪の涯。前触れなく意志を無視して切断されてしまった人達の沈黙の声を。声の在処を、新一はただ見て、ただ聴いて、言葉にする。それはとても慎重に。少しだけ哀しげに。端然とした抑揚を欠いた、揺らぎのない磨きぬかれた怜悧な眼差しの背後に、幾許の哀しみを横たわらせ、知る者だけが知る淋しげな笑みを垣間見せる。もう、間に合う事も届く事もなく、断絶された生命達に。 視る意思なく視える淵。聴こうと意識する事なく耳に届く声。死者の最期の言葉を。 人の淵に在る増悪の思いを、新一は語る。死者が見た最期の光景は、どんなものだったのだろうか?フト思う。炎の彼方に消えた父は? 墨になった父親の遺体など、在る筈もない。その父親が、炎の中で最期にみた光景は、どんな色をしていただろうか? 燃え盛る炎だろうか?それとも沈黙の闇だろうか?想像もできないはしないけれど。けれど今は冷静に考えられる。 レンズの役目を果たす瞳に、灼き付けられていく被疑者の顔なのか?まったく別のものなのか?そんな事は誰にも判らない。 新一の眼の奥に、自分の姿はどう映っているのだろうか?訊いたら、少しだけ困った顔をして、きっと冗談に誤魔化すに決まっている気がしたから、困らせてみようかとフト思った。 「それにしても、月の光が強いよ」 随分今夜は感傷的だと僅かに首を捻ってみたりする。 再度見上げた夜空に浮かぶ地球の衛生は、人の内心を綺麗に見透かす強く白い光を、綺麗に投げ掛けている。 沈黙に閉ざされた死の世界だという人間も在れば、兎が住み、餅を付いていると語る御伽話が有る。幼い頃は、月の表面に兎の面影を求めた事も、有ったように思う。月の兎が付く餅は、一体どんな味がするのだろ?食べる事が出来れば、食べてみたいとも思える。 『悪党に、今夜の名月は譲ったる』 午前中。前触れなくなった携帯から一方的に告げられた内容は、新一の元を離れる西の探偵からの要件で、一方的に話し、一方的に切れた。 その心は、考える事も必要とはしない。新一を大切にしている服部が、新一の元を離れる事など、そうそうはない。またぞろ大阪の実家関係の、それも新一を最優先する服部が、断れない事情など、そうそうは存在しないから、万が一の為にも保険を掛けてきたのだろう。 どうせ明日早朝の新幹線でも飛行機でも、東京着がより速い便で帰ってくるだろう。 新一の躯は、発作を起こす。新一に言わせれば十分過保護の領域に入ってしまう服部の気遣いは、けれど実際服部が居なければ倒れて手当てもされない可能性もあるから、服部とて心配しての要件だったのだろう。 「譲ってもらったし」 その言い方が、何とも服部らしくて苦笑してしまう。 今夜は望月を眺め、先日購入したハングライダーの試運転をする予定だったのだ。 服部からの電話は、通常なら一も二もなく新一の元に向う足を、今夜は少しだけ心持ち躊躇わせている内心の揺らぎが存在していた。いたから、少しだけ夜景を堪能してなど、自分に馬鹿馬鹿しく言い訳してしまう。 だから、試運転なんどという口実を持ち出してみたのかもしれない。実際、内心の在処さえ判りはしないのだ。不安定なのは、綺麗で雄大な満月の光、なのかもしれない。そういう事にしてしまおうと言う意識が、綺麗に働く。偽るのは得意で商売で趣味だから、そういう事にするのは別段躊躇いはない。精神衛生というのは案外大事なのだと理解しない程子供ではないし、新一のように、傷付く事を承知で深淵に手を伸ばす程、勇気はない。満ち欠ける冴えた光は、人の生命の満ち欠けにも影響しているから、何処か誘発される何かが、自分の内部に存在しているのかもしれない。そう納得するのが、得策だろう。 試運転は、仕事の為にと、最新式の小型ハングライダーを買った為だ。今まで使用していたものより小型で重量も少ないのが気に入って買い求めた。 背中に背負っての作業には、重いより軽い。大きいより小さいのはありがたい。ありがたいが、いつもの事ながら多少の手を加えるのは、これはもう倣い所為と言うより、立派に趣味の領域だろう。所詮他人の作った代物を安易に信用し、生死が表裏一体の仕事に使用する事など、到底できはしない。何ごとにも、プロというのはそういうものだろう。 「そりゃさ、失敗はできないよ、ウン」 足下に広がる不夜城を眺め快斗は独語し、一人納得したように頷いている。 何の変哲もない、都内のビル群の一角の屋上。点滅する赤いライトの群。自分には遠い場所。居場所など何処にもないかのような、綺麗な光。 平成のルパン、月下の奇術師、世紀末の魔術師転じて、新世紀の魔術師、様々な呼び名でマスコミから警察、一般のお嬢様方から奥様方までファン層の広い稀代の怪盗キッドとしては、仕事中、決してドジは踏めない。まして最新式のハングライダーの調子が悪くてなど、到底語れる代物ではない。 小型だから当然重量は軽いが、今までのものに慣れているから、バランス感覚に恵まれている自分でも、多少の使用訓練が必要なのは当然だろう。だから趣味と実益を兼ね、夜の散歩にと繰り出す予定だった。 プロはプロらしく。そして引き際も塵際も綺麗に。それがプロだ。だから試運転を重ねる必要があった。今夜はその試運転の初日だったのだ。それが午前中、服部からの問答無用と言い換える事の可能な携帯を鳴らされ、予定をキャンセルできず、こうして彷徨っている顛末が付く。 「待ってては、くれないだろうし」 それでも、服部の居ない今夜、自分が訪れる事など、予測の内にも入らないだろう、新一には。何せ前科が有る。どうせ不在の主の部屋で、赤灯を灯しているだろう。 快斗は苦笑すると、スゥッと立ち上がる。 蒼い闇夜に切り取ったように浮かぶ銀盤。吹き上げてくる風が心地好い。初めて飛び出した一歩のように、明確な恐れはない。むしろ有るのは、スリルとサスペンスだ。稀代の探偵には、言えないけれど。 言えば盛大な小言の後には、やはり困ったような顔をするのが可笑しい程思い浮かんでしまって、快斗は肩を竦めると、ヒラリと空に身を投げた。 |