疑問と謎と不思議 2

「アレ?」
「何?」
 駅前に出来た新装オープンのファーストフードの店内で、トレイを持った小坂田朋香が立ち止まる。その横で、竜崎桜乃は不思議そうに親友を眺めた。
「ホラ、あそこ」
 顎でしゃくった先には、見覚えのある三人組が在る。その中に目当ての人物が居ない事に事に、桜乃は無意識に残念そうな表情を造っている事に気付かない。
「ねぇねぇ、リョーマ様は?」
 桜乃の疑問に応えながら、彼女の内心を気にかけた様子もなく、朋香の足は既に店内の片隅に在る三人組に向っていた。
「ちょっと朋ちゃん」
 その後を、桜乃が追った。
「アレ、小坂田に竜崎」
 掛けられた声にいち早く反応したのは、テニス歴2年が自慢の、リョーマと同じクラスの堀尾聡史だった。
「三人だけ?リョーマ様は?」
「ちょっと朋香ちゃんてば」
 隣のテーブルから椅子を借りてきて、ちゃっかりと三人組に交じってしまった朋香に、桜乃は溜め息を吐いた。
「ホラホラ桜乃も、突っ立ってないで」
「もぉ〜〜」
 親友の何事にも動じない神経だけは真似ができないと思う桜乃は、朋香に倣って隣から椅子を引っ張ってきて、三人組に交じって座り込む。
「何してるの?こんな所で、それよりリョーマ様は?」
「何してるのって、お前達こそなんだよ」
 訊くか普通?と、堀尾は物怖じしない小坂田朋香に反駁を見せる。
ファーストフードに、食べる目的以外で来るかよ、そんな言外に滲んでいたが、朋香は当然そんな言葉を気にはしなかった。
 物怖じしない性格が、彼女の長所であり、短所でもあるのかもしれない。親友の桜乃に言わせれば、もう少しでいいから物怖じしてほしい、そういう事になる事を、けれど当然朋香は知らない。
「男テニと同じ。女テニも先輩達が来てサ、練習長引いちゃったの」
「この時間で長引いたんだ。僕達は普段より短かったもんね、練習」
 邪気のない台詞は、カツオの台詞だった。
腕時計の時間をチラリと確認すれば、午後6時半を少し回った所だ。土曜日の授業は午前だけで、12時半にHRは終了する。一時間の昼食時間の後、大体2時から部活が始まり、5時半まで部活時間になっていた。それでも通常の曜日より、若干練習時間は短かった。
「そうそう、俺達男テニは女テニと違って、全国大会常連校だし。土曜だから普段よりこれでも練習短いんだぜ」
「堀尾君が、威張って言う事じゃないけどね」
 バーガーをパク付く堀尾の台詞に、呆れた加藤勝郎の声が重なる。
「見物人多かったんでしょ?」
 朋香の横で、フライドポテトを口にした桜乃が、口を開いた。女テニも、引退した3年生が練習に参加はしていたが、男テニの元レギュラー陣が久し振りに練習に参加とあって、女テニの部員も交互に見学に行っていた。その見物人の多さに桜乃は圧倒されたものの、隣の親友はやはり物怖じせずにリョーマに声援を送っていた。
 リョーマのファンクラブを作ってしまうあたり、その物怖じしない性格とパワーは、桜乃には羨ましいものだった。決して自分には真似は出来ない。リョーマに一目惚れして一年近く、未だ声を掛ける事にも一瞬の躊躇いがはずせないのだ。
 アノ、何処か鋭利に研ぎ澄まされた濃く深く瞬く黒曜石の双瞳。まっすぐ凝視されれば、ついつい声を掛ける躊躇いが湧いてしまう。けれど朋香はそんなリョーマの視線に憶する事なく声を掛ける。その行動力が、羨ましいと思う桜乃だった。
「多いなんてもんじゃかったよ。でも流石先輩達、顔色一つ変えずに、伸び伸びプレイしてたよ」
 3年が引退して、手塚の後任に桃城が部長になって半年。それなりに部は桃城と副部長の海堂によって新しい部となりつつあった。何処か近寄りがたかった前任の手塚と比べ、桃城は部長になっても気負う事もなく、飄々と部員を統率している。あれも一種の才能だと、カツオやカチローは思う。
 以前そんな事を話したら『アア見えて、桃先輩、クセモノだよ』、リョーマは淡如に口を開いた。けれど何がクセモノなのか?自分達一年と居るより、桃城と居る事の多いリョーマの口から『クセモノ』と言う台詞が出ても、その意味まで彼等が判る筈はない。
 卓越したテニスの技術と精神力を持つ同級生と居る所為か、先輩達には他の一年より顔と名前を覚えられたのは早かった。 特に部長になった桃城からは、何かと目を掛けてもらっている。その所為だろうが、未だ桃城がテニスの鬼のようだった手塚の後任と言う事に、ピンとこない。何よりも当人の桃城自身、部長と呼ぶと『勘弁してくれ』そう笑うから尚更だ。
 『部長』と呼べば『勘弁しろ』と言われるから、ついつい 『桃ちゃん部長』と呼んでしまう。それでも、他の一年などは、そんな言葉も口にできはしないから、やはり彼等はリョーマと居る事で、先輩達の覚えは早かったのだろう。
「桃ちゃん部長なんて、手塚部長の事『部長』って呼んで、何回も怒られてたよね」
 今日の練習中も、手塚を『部長』と呼んでは、睨まれていた。その都度肩を竦めて笑っている桃城の印象が残っている。
「越前の奴は、相変わらずだったけどな」
 ストロベリーシェイクを口にして、堀尾は口を開いた。
元レギュラーが練習に参加しても、リョーマは相変わらず淡々とプレイをこなしていた。
明らかに嬉しそうに笑顔を漏らす桃城とは対照的だ。それでも菊丸などは久し振りの練習参加ではしゃいでいたのが誰の眼にも明らかで、『オチビちゃん』と何かとひっついては、リョーマと対戦していた。
「それで、肝心のリョーマ様は?」
「俺達が帰る時は、アレ?あいつ居なかったよな」
 思い出したように、堀尾が言う。
「ひどい、あんた達、リョーマ様の事、置いてきたの?」
「違うよ。どうせリョーマ君、僕達とは帰らないし」
「そうそう、あいつ専属アッシーの桃ちゃん部長居るし」
「……言いつけてやろ」
「専属アッシー」
 朋香と桜乃の台詞に、けれど堀尾は動じなかった。
「だって皆言ってるからな」
「特に不二先輩と菊丸先輩」
 
『桃ってさ、オチビの専属アッシーみたいだよねぇ』

 ネコ科のような靭やかな動きをする菊丸が、いつだったか言っていた台詞だ。その時遠巻きに聞き耳を立てていた誰もが、その台詞を否定はできなかった。きっと当人だって、否定する気はないだろう。誰の眼からみても、それは後輩の自分達の眼からみても、桃城は後輩のリョーマを喜々として構い倒しているのだから。
 何がそんなにと思う時は多々ある。
卓越したテニスの技術。それに担う精神力や体力。臨機応変、自由自在にプレイできるだけの判断状況能力。それらのものをリョーマは持っている。とても張り合う事などできない。
自分達同年代とは元々持っているものが違う。張り合うと言う言葉さえ湧いてはこない。
 けれど桃城がそんな同級生を構うのは、違う気がするのだ。気が合ってはいるのだろう。でなければ、個人主義で団体行動の苦手なリョーマが『桃先輩』と、懐いている筈はない事だけは、漠然と判っていた。
 そんな事を思うのは自分だけなのかとカチローは思うけれど、時折そんな事を口にしても、『越前は違うからサ』と、簡単に片付けられてしまう。
 何が違うのかと線引きするのなら、それはレギュラーかそうでないか、なのだろうか?
卓越した技術。実力でレギュラーで在り続ける強さ。そういった諸々のものなのだうか?
リョーマの同級生の堀尾は、どう思っているのだろうか?けれど彼の口からは何も話される事はない。
「まぁ、面白い組み合わせだとは思うけど」
 不思議って言えば、不思議よね?
朋香は首を捻った。
「アレ?朋ちゃん、ホラ」
 そんな時、桜乃の何処か舌足らずな声が、店内の片隅に在る階段を示した。桜乃の声に、一斉に視線が集中し、
「ア〜〜リョーマ様」
 喜々とした朋香の声が、叫ばれた。瞬間、誰もが深い溜め息を吐いた。











「オイ越前。お前なぁ〜〜」
 スタスタと、何も持たずに二階へと続く階段を上っていく薄く細い背をした後輩に、桃城は呆れた声を掛ける。
 リョーマの手には、テニス道具が入っているだけのテニスバックが肩から下げられている。だから当然トレイを持っているのは桃城と言う事になる。きっと不二や英二がみたら、面白がって盛大に揶揄かうだろう場面だ。
「だって、桃先輩の奢りでしょ?」
 振り向いて足を止め、鰾膠もない一言を告げると、再びクルリと背を向ける。
「だったらせめてトレイくらい持とうって気にはなんねぇのかよ」
 言っても無駄だと知りつつも、毎回繰り替えされる会話は、既に言葉遊びのノリなのかもしれない。
 些か自分でも物好きだと言う自覚の一つや二つ有るのだ、桃城にも。
小生意気で時には尊大な後輩。そのくせに、時折覗かせる無防備さに惹かれてしまう自分を意識してしまうから、『ヒトタラシ』、桃城は内心で毒付き嘆息を付く事も少なくはない。
そのヒトタラシが、無自覚なくせに、何処か確信犯めいて見えるから始末に悪い。
 恋愛は、惚れた方が負けと言う言葉がある。桃城はこの一つ年下の小生意気な後輩に手を出して、その言葉を想い知らされたのだ。けれど恋愛ならマシだし救われもするだろう。未々自分達の関係は恋人未満の要素に近く、肌を重ねてさえ見えない相手の心根に、時折苛立つ感情が意識を波立たせる。けれど決してそんな内心を桃城は周囲に見せないあたり、手塚がクセモノと言う所以でもある。
「だって俺、奢ってって言ってないっスから」
 シレッと言っては、店内に足を進めていく。
「お前なぁ〜〜」
 リョーマの台詞に、桃城は先刻部室で繰り広げられた会話を痛感する。


『オチビの『何々ほしい』は『何々してね』って意味なんだよね』

『桃の場合、喜々として構い倒してるからね』


「どぉせ俺は構い倒してますよ、自分で」
 3−6コンビの台詞を思い出し、憮然とした呟きが声に出る。    


『『桃先輩ジュース飲みたい』『何がいいんだ?』『ファンタ』本当、よく繰り返してるよ。やっぱ桃って、下僕体質』

             
「新装開店って言うからどんなもんかと思ったけど、マックと変らないっスね」
 店内の作りも殆ど変らないし、レジの店員の作りものの笑顔も気味悪いしと、リョーマは独語に呟いている。
「そりゃ、こういう店って、そうなんじゃねぇ?」
 駅前のファーストフードは、大抵中学生や高校生を相手にしているから、何処もメニューに大差はないだろう。店内の作りも殆ど大差ない。3階までの店内は、店の片隅に幅の狭い階段が付いているし、新装開店と言う事もあってか、店内は学生服が目立っている。
「フ〜〜ン」
 桃城の台詞に、リョーマはさした興味はなさそうに返事をしては、桃城の苦笑を誘った。
「席空いてるか?」
「桃先輩の方が高いんだから、俺より良く見えるでしょ?」
 その眼何の為に付いてるんスか?リョーマの台詞には、そんな言外が滲んでいる。
「……お前本当、俺を先輩って思ってないだろ」
「部室での会話繰り返したいんなら、いいんスけど?」
 チラリと背後を振り返り、リョーマは色素の薄い口唇に、意味深な笑みを浮かべた。
「ヘイヘイ、俺が悪ぅございました」
 何故か口では勝てない気分にさせられる桃城だった。これも惚れた弱みなのかと思えば、そうなのだろうと苦笑が湧くから、重症だと言う意識が嫌でも痛感する。
 小生意気なリョーマがこんな生意気な言葉を口にするのは、確かに自分だけなのだから、多少は自惚れてもいいだろう。
「……桃先輩、上いきましょう」
「何だ?」
 二階の店内に足を踏み入れた途端。リョーマは珍しく桃城の腕をとって3階へと続く階段に向った、途端。
「ア〜〜リョーマ様〜〜〜」
 叫ばれた声は、嫌と言う程二人には聞き覚えがあった。
いつもいつも、リョーマに声援を送る声。顧問の竜崎スミレの孫娘の親友の小坂田朋香の声だった。
「ホラ、お呼びだぜ、王子様」
 トレイを持ってニヤリと口端で笑えば、リョーマは隣に並び立った桃城を嫌そうに見上げ、
「ッ痛ぇ〜〜〜越前ッ!」
「まだまだだね」
 思い切り桃城の足を踏み付けると、仕方なさそうに呼ばれた声に向っていった。
此処で無視を決め込むのは簡単だ。けれど無視をしても、アノ奇声が付いて回るだろう。
それだけは勘弁してほしいリョーマだった。











「お前らも来てたんだ」
 気さくに後輩に声を掛ける桃城は、だから後輩に人気が高かった。堀尾達の隣の席は空席で、二つテーブルをくっつけて、桃城とリョーマは彼等の席に加わっていた。
「アレ越前、お前何も食わねぇの?」
 リョーマがトレイを持っていない事に気付いた堀尾が、声を掛ける。まさか後輩が先輩に奢らせた揚げ句、トレイまで持ってもらっているとは思わないだろう、普通は。だから彼等は、未々引退した3年生の洞察力や何かには追いつかない。そういう事にもなるのだろう。
「ホレ」
 けれど次の桃城の行動に、彼等は確かに言葉を失っていた。
「どうも」
 それをまた当然のように、差し出されたチーズバーカーをリョーマが平然と受け取ったから、益々彼等は言葉を失う羽目に陥った。
 否確かに、二人の間ではそんな事は珍しくはないのだろうし、日常的なのだろう。慣れた会話と仕草が、それを正確に現している。けれど体育会系の上下関係の厳しさを知っている堀尾達にしてみれば、二人のこの行動は、非常識にあたる類いのものだった。
 普通しないだろう。後輩が先輩にトレイを持たせた揚げ句、差し出されたバーガーを平然と受け取る事など。少なくとも、堀尾達には出来なかった。
「越前お前……」
「桃先輩、味も大して変らないスよ」
 堀尾達の言葉を失った表情など構いもせず、包みを解いてバーガーを一口口にしたリョーマは、駅前周辺に並び建つファーストフードと変らぬ味に眉を顰めた。尤も、元々味に期待をしないのがファーストフードだと言う事を、知らないリョーマではなかったから、一言言った後で、おとなしくバーガーを食べている。
「お前が此処来たいって言ったんだろうが」
「だから俺一応、確認とったじゃないスか」
「味まで責任持てるか」
 リョーマと同じチーズバーガーを口にした桃城は、けれど一口口にして、やはりリョーマと同じ反応を示した。
「本当、何処も味は変んねぇな」
「やっぱ近辺なら、モスが一番無難スかね」
「だなぁ」
「でもアレっスよね、味も良い分、高いスけど」
「お前なぁ〜〜自分で出す事少ないくせに」
「だぁから、俺別に」
「どうせ俺が勝手に出してるんだろうよ」
「だから嫌だなんて、言ってないじゃないスか」
「言われてたまるか」
 自棄気味に話すと、バーガーをパク付いた。パク付きながら、先刻の部室での会話が頭を過ぎり、半瞬脱力してしまう桃城だった。
 脱力し、周囲の沈黙に、桃城は、
「どした?食わねぇのか?」
 後輩の、何とも言えない戸惑う表情に明るい声を掛ける。
後輩の色抜けした表情の意味に気付き、飄々と明るい声を掛けられるあたり、青学のクセモノと手塚が評する部分なのかもしれない。反対に、リョーマはマイペースで、周囲の沈黙など気に掛けてはいなかった。
「そっ…そう言えば、リョーマ様」
 いち早く立ち直ったのは朋香だった。
「明日桜乃の家で雛祭りやるの、ネッ?桜乃」
「ウッ、ウン。リョーマ君、よかったら遊びに来ない?」
 突然朋香に話しを振られ、戸惑った桜乃は、けれどリョーマを誘う事は忘れなかった。
「明日?」
 桜乃と朋香の誘いに、リョーマはチラリと隣を眺めた。
隣では、バーガーを食べ終えポテトを頬張っている桃城が、オヤオヤと言った様子で、面白気に自分を見下ろしているのに、リョーマは内心下品に舌打ちした。
 明日は桃城の家に雛人形を見せてもらいにいく約束ができていた。けれど桃城はこんな時何も言わない。横から口を挟む事もせず、必ずリョーマに選択させる。これでリョーマが雛祭りの誘いを受けても、別段怒る事もしないだろうし、呆れる事もしないだろう。同級生との交流が大切な事も、桃城は理解しているし、以前リョーマに告げた事もあるのだ。
 元々年齢に不釣り合いなテニスの技術を持ち、レギュラー陣と在る事の多いリョーマだったから、誘われたら同級生と在る事も必要な事だと、以前桃城はリョーマに忠告した事が有る。
 元々リョーマは個人主義で、同級生の誘いも断っている事が多い事を知っての助言だった。
周囲と摩擦や軋轢を生まない処世術を学ぶ必要が在る事も、桃城はちゃんと理解しているのだ。
 中学生の年齢なら、個人主義より友人達との戯れが楽しい年代で、帰国子女で能力主義的なリョーマのクールな性格が、周囲と摩擦を生む事を危惧しての言葉だった。けれどリョーマは相変わらず桃城の助言など聴いた様子も見せず、個人主義に徹している。尤も、リョーマがそういう性格で、悪意がない事を今では周囲の人間も知っているから、入学当時に比べれば、周囲のやっかみは少なくなった方だった。
 そんな桃城だから、こんな時、何一つの口は挟まない。それがリョーマの勘に触る事を、恐らくは知らないだろう。
 不意の苛立ちがリョーマの神経逆撫でる。けれど感情をコントロールする術さえ持ち合わせているから始末に悪く、リョーマは内心忌ま忌ましげに舌打ちすると、
「売約済み」
 オレンジジュースを口にしながら、これ以上ない程淡如で端的に断った。その台詞に隣で桃城が吹き出し笑えば、睥睨する眼差しが桃城を射った。
「悪ぃな、こいつ明日は俺とデートなんだ」
 睥睨してくる眼差しを平然と受け、リョーマが嫌がると承知で、目線の下に在る小作りな頭を撫で、サラリとした髪をクシャクシャに掻き回す。
「デッ…デート〜〜〜?」
 桃城の吹き出した笑いに、堀尾が呆然と口を開いた。
「誰がデートって言いました?」
 鬱陶しいと髪を掻き回す手を払い除ける。そんな仕草は、二人の間では日常茶飯事で、レギュラー陣なら見慣れている光景も、堀尾達には衝撃は大きかったのかもしれない。
やはり言葉を失い、呆然と二人を視ている。
「家に来てから、打ちっぱなしだろ」
「いつそういう事になったんスか?」
「今」
 ニヤッて笑う桃城に、
「まっ、いいっスけどね」   
 どうせコート空いてるんだし、半ば呆れた様子で溜め息を吐き出した。
「でもだったら、桃先輩の家に行くの面倒」
「お前な〜〜雛人形見たいったのお前だぞ。目的逆にするなよなぁ」
 リョーマの事だから、雛人形を視るより、テニスの打ちっぱなしが目的にすり変ってしまう事など、考える必要もない。
「判ってるっスよ」
 まぁ奢ってもらったし、呟くリョーマの態度に、もう何を言う気力も根性も失っていた堀尾達だった。流石の朋香も、これ以上誘う勇気は湧かなった。
「桃先輩」
「おし、帰るとすっか」
 食うもの食ったし、桃城は威勢良く立ち上がる。手にはやはりトレイが持たれていて、リョーマは極当然のようにテニスバックだけを担いで立ち上がる。当然、自分のテニスバックだけをだ。


『桃ってやっぱ下僕体質〜〜〜』


 英二の殊更明るい笑みが、リョーマの脳裏を過ぎった。

「どうせ桃先輩なんて、下僕に決まってるじゃん」
 ボソリとした呟きを、けれど誰も聴く者はいなかった。
一歩前を歩く後ろ姿。がっしりとした肩幅。骨格に沿い、鍛えられた筋肉が綺麗に付いている。
 フト、自分の指を見詰めた。
「消えちゃってるし……腹立つ…」
 肩に立てた爪跡。殊更強く立てた痕。もうとっくに消えている。
「どした?」
 立ち止まる気配を感じて、桃城が振り向くと、
「別に」
 リョーマは苛立つ内心を綺麗に消し去った。





「なんか越前と桃ちゃん部長って、面白い組み合わせだよな」
 会話の内容から察するに、どうやらリョーマは先輩の桃城に奢らせたらしい。それをまた桃城が喜々として構い倒しているのだから、一体どういう関係かと首を傾げてしまっても、不思議ではない。
 どういう関係なのか?問われても、恋人と端的に告げられる筈もない二人だ。それは世間的な意味合いではなくて、自分達の関係を、未々自分達で自覚していない、擦れ違っている内心が、躊躇いを生むからに他ならない。











 すっかり陽の暮れた夜の簡素な住宅街の中。ライトを付ける事なく、桃城は慣れた道程で自転車を走らせる。住宅街だからなのだろう。其処かしこから、春めいた花の匂いが漂って来る。
 自転車の二人乗り。けれど今まで一度も警察官に注意された事はない。名門私立の青春学園中等部に寮はないから、生徒は皆近隣から通っている事も幸いしているのだろう。桃城とリョーマの家は、さして離れてはいなかった。
「桃先輩って、健全スね」
「アア?」
 突然の台詞に、桃城は背後を少し振り返ると、自転車の背後に乗せている小作りな面差しに視線を投げた。
「明日桃先輩ん所行ったら、SEXかと思った」
「お前なぁ〜〜〜俺はケダモンかよ」
 あまりと言えばあまりの台詞に、ハンドル操作を誤る所で、桃城は絶妙のバランスで態勢を持ち直した。
 第一中学一年生が、飄々とセックス云々はないだろう、嘆いてしまう桃城に、けれどリョーマを責める権利は何処にもなかった。
「ケダモンでしょ?」
 手ぇ出したの桃先輩だし、笑うリョーマに、桃城はガクリと肩を落す。
「家族の居る家で、できるかっての」
「いなきゃOKなんだ」
 やっぱりねと笑うと、掴んでいる両肩に爪を立てた。
「中学生なら、それこそそっちの方が健全だ」
「明日俺の家誰も居ないったら?どうします?」
 謎めいた意味深な笑みは、けれど悪戯を仕掛けて反応を愉しむ子供のソレのようにも見えるし、情事の最中の娼婦のような笑みにも見えた。
「お前な〜〜」
「寺の本堂って手もあるし」
「……このバチ当たり」
「俺別に無宗教ですから」
「そういう問題じゃねぇだろ」
 仮にも父親は寺の住職代理だろうがと嘯けば、
「意気地無し」
「お前なぁ〜〜」
 リョーマの台詞に呆れた溜め息を吐き出した。そんな桃城に、リョーマは部室での菊丸と不二の会話を思い出す。
「ねぇ桃先輩、不二先輩と菊丸先輩が言ってたよね」
「なんだよ」
「俺の『ジュース飲みたい』は『ジュース買って』だって」
「言われたなぁ。お前の『何々したい』は『何々してね』で、そのうち『何々するからね』になるってな」
 其処まで言って、桃城は今更ながらに自分の発言の迂闊さに気付いた。
「お前……本堂でするからねって事………」
 恐る恐る背後を窺えば、
「まだまだだね」
 莞爾と笑ったリョーマの笑みに、乾いた笑いを漏らしてしまう桃城だった。
「ねぇ桃先輩、明日はウチまで迎えに来てくれるの?」
「もぉ下僕とでも何とでも言ってくれ……」
 力なくうなだれる桃城に、けれど責める権利はないだろう。所詮、小生意気な相手に惚れた自分が悪いのだ。




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