空の色
act2


うつむいた私に あなたは
今見える空の色を告げる
たとえ なんにも返せなくても
あなたの声が聞こえていた
 とばっちりだ……。

 その瞬間、リョーマは絶句し、次には盛大に溜め息を吐いた。


「俺、オチビと組む」
 英二の科白に、リョーマは瞬時に絶句し、虚ろに視線を周囲に巡らせた。
「おいで、オチビ」
 桃城不在で彼を心配する大石は、些細な事で英二の不興を買っていた。
黄金ペアと言われる青学のダブルスの柱で在る二人の喧嘩に、動じる事なく、間に入れたのは、レギュラーだけだった。
 ダブルスの相手を代えてみると言う乾の発言に、原因も忘れたように、英二は心底愉しげに、リョーマを指名した。
 リョーマにしてみれば、大石と英二のソレは、痴話にしか見えない。それでも、英二は愉しげにしているのだから、タチが悪いし、始末に悪い。大抵こんな時はさり気なく助け船を出してくれる筈の桃城は、当然観衆に混じっている筈もない。
 大体、元を正せばその桃城が原因なのだ。
部のムードメーカの役割と立場を自覚している筈の桃城が、無断で3日間部活を休んでいる。レギュラー落ちしたのが原因だろう事は疑い様もなく、だから大石は桃城を気遣い、苛立ち、その苛立ちが、黄金コンビの片割れである英二の不興を買った。
 桃城が先輩として気さくに懐いていたのが英二だからなのか、英二も桃城の本質を見誤る事はなかった。だからほっとけば戻って来ると、大石に言わせれば、無神経な楽観視だと言える態度を崩さない英二が、大石には理解できなかった。そのすれ違いで生じた痴話だけに、巻き込まれたリョーマにしてみれば、理不尽だと内心桃城に悪態を付く権利は、有るのかもしれない。
 桃城が原因で発生したこの事態に、不覚にも観衆の中に桃城の姿を探してしまったのだから、自分もマダマダだと、リョーマは桃城に悪態を付きつつ、溜め息を吐き、
「いっスよ、別に」
 そんな言葉しか出なかったのは、仕方ないのかもしれない。
「ガンバローニャ」
 ネコ科の小動物さながら、英二はリョーマに抱き付いた。
けれどそのネコが、桃城と並ぶ部内のムードメーカでありながら、見た目より繊細で、そして自分と変らぬ鉄爪を持っている事を、リョーマは知っていた。
 明るい笑顔と元気満点の態度から推し量れない英二の内側に在る繊細さや猛禽さは、何処か桃城に似ているのかもしれない。




「オチビも嫌いだッッ!」
「………そんな事、言われても……」
 オーバーアクションで跳躍を付け、鋭いショットを打つ英二の科白に、勘弁してくれと溜め息を吐いたリョーマに、罪はないだろう。
 天真爛漫な子供のように、喜怒哀楽の激しい英二は、けれど内心ひどく冷静な部分を残している事を知らないリョーマではなかった。それでも、今のこれは完璧に事態を楽しんでいる節が垣間見えて、リョーマは益々溜め息を吐いた。
 冷静なくせに、事態を愉しむ状況判断は、流石3−6コンビと言われる不二の友人なのかもしれない。
 普段なら、英二の軽口を聞き流す余裕のある大石に、余裕がなかった事が敗因だろうその騒ぎは、遅れて現れた手塚の一喝によって幕を閉じたが、リョーマとしては、もう二度と御免だと言う代物だった。
 英二はいい。思うようにストレス発散できただろう。けれどリョーマにしてみれば、却ってストレスが溜まってしまうばかりだ。理不尽この上ないとはこの事だと、リョーマは苦々しげに毒づくと、
「大体、桃先輩がサボルからいけない」
 きっと桃城が聞いたら脱力するだろう悪態を吐き、リョーマはもういい加減戻って貰おうと、思った。 
 猶予期間も限界だ。良いも悪いも桃城は部内のムードメーカで、彼が居る居ないでは、部内の空気が違ってしまう。自覚してもらわなくては困ると、桃城が聞いたらやはり脱力を深めるしかない科白を内心で吐き、リョーマは夏に移ろう蒼い空を眺めた。











「そいや、お前何で俺がココに居るって、判った?」
 心底不思議そうに聴いてくる桃城に、やはり心底リョーマも呆れた顔をして口を開いた。
「俺の事言えないくらい、テニス莫迦の桃先輩が、部活サボッて、おとなしく帰宅してるなんて、思ってないよ」
 別段、推理も必要としない桃城の行動形式だろう。
以前桃城はリョーマの事を1にテニス、2テニス。3、4がなくて5にテニス。俺の事なんて、十番目くらいだろう?そう笑った事があるが、何もそれは自分の事だけではないと、リョーマは思っていた。桃城も、リョーマと変らぬテニス莫迦だ。
「だから、この近辺でテニスできる場所って、ココだから」
「そっか」
「そう」
 苦笑する桃城に、リョーマは即答する。
夏の風が吹いていく夕暮れに、半瞬の沈黙が流れて行く。
「ねぇ桃先輩」
 夏を告げる生温い風が、前髪を揺らして行く。
「ん?」
「ファンタ」
「ヘイヘイ」
 小生意気な態度に小生意気な口調。何一つ変らないリョーマのソレに、安堵している自分を意識し、桃城は幅広い肩を竦め、苦笑しながら、自動販売機に向かって歩いた。
「……本当に、莫迦…」
 昼休みに見慣れてしまった広い背中を見送り、リョーマは深々溜め息を吐き出した。




「ホラよ」
 珍しくも誰も居ないストリートテニス場。そのベンチに腰掛けているリョーマの額に、冷たい缶を押し当てると、桃城もその隣に滑り込むように座った。
 プルトップを開け、一口飲むリョーマの横顔を眺め、桃城はその白さと細さに、改めてリョーマの幼さを思い出す。
 線の細さ、折れそうに細い首筋。けれど幼い未成熟な部分とは相反し、雄を受け入れ、のたうち快楽を知っている躯。時折滲み出すそのアンバランスさが、人を惹き付ける事を、リョーマは知らないのだから、桃城の気苦労は計り知れないのかもしれない。
「桃先輩、俺が何か飲んでる時、そんな顔してるよね」
「どんな顔だよ」
 桃城もリョーマと同じファンタグレープを飲み、嘯いた。
「スケベ親父の顔そのもの」
 予測していたリョーマの科白に、桃城は苦笑するだけだ。
「相変わらずだな、お前は」
「当然。3日会わない程度で、相変わらずなんて、言われたくないっスよ」
「お前、心配した?」
 大石が、3日間。部活をサボッていた自分を心配し、昼休みに教室を尋ねてきた事は、級友の荒井に聴いて知っていた。
「何で?」
 ファンタを飲む手を止め、不思議そうに自分を見上げてくるリョーマの空色の瞳に、桃城は深い笑いを漏らした。
「薄情だな」
「心配、してほしかった?」
 この嘘つき。
リョーマは酷薄な口唇に薄い笑みを刻み付ける。
「そりゃな」
「本気で心配させる事なんて、できないくせに」
「言うな、お前も」
 断言する科白には、事実だけに肩を竦める事しかできない。リョーマに心底の不安や心配など、与えられる筈もない。
「桃先輩、自分で言ったじゃん」
 薄く蒼い空の瞳が、桃城を凝視する。
「何か言ったか?」
「言った」
「何だっけか?」
 即答に切替えされても、心底思い出せない。
「当事者の俺が、テニスで決着付けようとしてるの判ったから、口は挟めない」
「アア」
 半瞬考え、リョーマの科白の意味が繋がった。
それは亜久津が、リョーマを理不尽に傷つけた時の科白だ。
「それが何だ?」
 判ったけれど、それが今回の事とは結び付かない桃城だった。
「不動峰の時も、そうだったよ。桃先輩だけが、判ってた」
 空色の瞳が凝視する桃城から、天へと伸びる。初夏の日差しは夕刻を告げている。
「ん〜〜?」
 リョーマの科白は、答を突き付けてはこない。考える事を要求するばかりだ。それはとどのつまり、自ら考えて、答に辿り着けて言う事なのだろう。与えられる答に意味はない、そういう事だろうと桃城は判断し、想起する。
「本当に、莫迦だね。大事にするだけで、全然判ってない」
 少しだけ呆れた声と笑みが、桃城に戻る。
大事にされて、それこそ呆れる慎重さで大事にされて、けれど桃城はやはり此処肝心な時。肝心な要素を見落とすのだ。
「本当に、俺の事大切?」
「心配、掛けたか?」
 恐る恐る窺うという言葉が適切な程、恐る恐ると言った態で、桃城はリョーマを間視する。そんな桃城に、珍しくも大仰に溜め息を吐くリョーマだった。
「部活サボってテニスしてるかと思えば、女とラリーしてるし」
「……お前の心配、まさかそっちってんじゃないよな?」
 本気で心配している様子の桃城に、リョーマは益々呆れた溜め息を吐くばかりだ。
「取敢えず、そんな心配しないっスよ。今更あんたの手の早さ心配しても、俺の心労が増えるだけだから」
「越前〜〜〜」
「フン」
 情けない声を張り上げる桃城は、確かに情けない。年下の恋人に、とことん弱い一面だ。
「心配してほしい訳じゃ、ないでしょ?」
 心配されて、自らの立つ位置を確かめる程、桃城の精神値はガキではないだろう。
「大事にして、それで満足して終わりだったら、俺今すぐ帰るっスよ」
 心配を、まったくしていなかったと言えば、それは嘘になりはするけれど。けれどリョーマの心配は、堀尾達とは方向性が違っていた。
「発言した責任くらい、持ってよね」
「悪いな」
 漠然と判る要素は有りはするが、明確に言語に置き換える程、リョーマの言葉に答のでない桃城だった。
「数学、得意なんでしょ?桃先輩」
 答えが一つしかないから楽なのだと、やはり同じように数学が得意なリョーマは、その意味を判っている。けれど人間関係に於いての数式など、何処にも存在はしないのだ。
「俺は、心配なんてしなかったよ。どーせ薄情だから。俺はね、大事にされてるだけなんて、まっぴらゴメンっスよ」
「そりゃ俺の勝手だから」
 大事にして、安心しているのは自分の勝手な精神安定剤だと、桃城は理解している。
「桃先輩、本当に判らない?」
 ファンタを一挙に飲み干し、リョーマは立ち上がる。桃城に背を向け歩き出すと、数歩歩いて、離れた位置に置いてあるごみ箱に缶を放り投げる。それは見事なコントロールでごみ箱に入った。       
 リョーマは、桃城に薄く細い背を見せている。
梅雨の合間の快晴だった蒼い空は、今は綺麗な夕日に染まっている。一日の終わりを告げる太陽が、まるで断末魔のように燃える赤に色付いて、地平線に消えようとしていた。
 二人の距離に、夏の匂いを含んだ風が通り過ぎて行く。
リョーマの柔らかい髪が、フワリと舞った。その沈黙が、桃城にいたたまれない罪悪を抱かせて行く。
「悪い」
「謝る事、何かしたわけ?」
 ゆっくりと、リョーマが振り返った。抑揚を欠いた声。振り向いた一瞬。泣いているのかと桃城には思えた。思えたと言うより、感じたのかもしれない。実際リョーマは泣いてなどいなかったのだから。
「仕方ないね、タラシな事言う詐欺師のくせに、肝心な時外すの、あんたの致命傷だね」
 クスリと、リョーマは笑った。
「今回限りね。執行猶予上げる」
 俺もあの時、判らなかったし、リョーマはポツリとそう告げると、桃城に近付いた。
 ベンチに座ってする桃城の真上から見下ろす格好で、リョーマは精悍な造作を覗き込んだ。
「テニス莫迦のあんたが、簡単にテニス捨てられる筈ないって、俺はちゃんと判ってたよ。だから心配なんてしなかった。あんたが自分にケリ付けるまで、見てようってね」
 アノ時。テニスで決着を付ける自分を知ったからこそ、黙って見ていてくれた桃城のように、今回は黙って見守っていよう。そう決めたのだ。
「万が一テニス辞める事になったとしても、自分で考えて出した結果なら、後悔しないだろってね。たかが1回レギュラー落ちして辞めてしまえるテニスなら、先の結果なんて見えてるし」
「きついな、お前は相変わらず」
 淡々と告げる声に、桃城は肩を竦めた。けれどそのきつい科白こそ、リョーマの労りなのだと、気付かない桃城ではなかった。
「甘やかして、ほしいわけじゃないくせに」
 クスリと笑う仕草に、桃城の腕が伸びる。
「悪かった」
 心配はしていないと言っていた。それは決して強がりではないだろう。けれど、どうしても、今のリョーマの柔らかい笑みは、その華奢な姿態の背後に、桃城には泣き笑いの表情が垣間見えてしまうのだ。
「心配かけた」
「だから、してないって」
 触れてくる指先は、少しだけ躊躇いを滲ませ、髪を掻き乱して行く。それが離れていた時間分の距離に思えた。
「罪悪抱くくらいなら、触れてこなきゃいいのに」
 三流詐欺師と、リョーマは桃城の髪を盛大に掻き乱す。
無駄な嘘ばかり得意で、肝心な要素は綺麗に外していくのだから、始末に悪い。
「オイ越前」
 グシャグシャと掻き回され、セットした髪はスッカリ乱れきってしまった。
「俺も少しだけ、判ったから。おあいこ」
 今回だけね、リョーマはそう言うと、テニスバッグを担いで歩き出す。
「オッ…オイ待てよ」
 桃城も慌ててテニスバックを担ぐと、後を追った。
ストリートテニス場の入り口の向こうは、階段になっている。その階段を下って行くリョーマの姿が、桃城の視界から消えて行く。ただ階段を下って視界から消えただけだと言うのに、急速に喪失感が湧いて、桃城は慌てて走り出した。



「オイ、越前」 
 華奢な姿。けれど決して脆弱にも非力にも見えない綺麗な姿は、けれど綺麗に気配が消え、夕日の中に立ち尽くしている。
「どした?」
「俺もね、見てるよ」
 一度くらい、この詐欺師には言葉に出さないと伝わらないのだろう。だから一度だけ、言葉に出してみようとリョーマは思ったのかもしれない。
 どれ程想いあう関係でも、実際言葉に出さなければ、想いなど伝わらないものだ。
判っているとしたら、判っていると自己満足している、勝手な解釈程度だろう。
「越前?」
 振り返って来た笑みに、抱き締めたい衝動が沸き起こったが、公道でそんな事をしたら、当分口をきいてもらえなくなりそうで、桃城はどうにかその衝動を怺える事に成功した。
「案外辛いし、しんどい事も、判ったから、だから今回だけは、許してあげるっスよ」
 見守っていると言うのはおこがましい気もしないではないが、桃城が自分なりの答えを出し、戻って来るまで待つ事は、案外しんどいものだった。そう実感すれば、いつもいつも、何も言わず見守っていてくれる桃城のしんどさも、多少なりとも判った気分だった。
 それでも、桃城はいつも何も言わない。春先、2日間、部活を休んだ時も。結局桃城は何も訊いてはこなかった。見守る位置に立つ意味の片鱗が、垣間見えた気分だ。隣に立つ事の方が余程楽な筈なのに、半歩後ろに下がっていつも見守っていてくれるその強さに、リョーマは苦笑する。
 大切にされている実感など深まるばかりで、切なさしか湧かない。まったく詐欺師の悪党だと、内心で二律背反の想いが湧いた。
「桃先輩、覚悟した方がいいっスよ」
 何かを思い出したように、リョーマは桃城に意味深に口を開く。
「なっ、なんだよ」
「あんた自分が部内のムードメーカーだって判ってるでしょ?」
「たかが3日部活サボッただけで」
 自覚はある。けれど、たかが3日部活をサボッた程度で、乱れる程、自分の存在がムードメーカーだと思える程、桃城は自意識過剰ではなかった。何せカリスマ的な存在である手塚が部長なのだ。そしてムードーメーカーと言うなら、菊丸も居る。
「あんたやっぱ致命傷。菊丸先輩と大石先輩なんて喧嘩するし、俺はそのとばっちりされるし」
「あの二人の喧嘩に、何で俺が」
「当然っしょ。大石先輩は桃先輩心配して、反面菊丸先輩は、流石あんたが懐いてただけあって、あんたの事判ってたみたいだし。意思疎通のすれ違いで喧嘩した二人の八つ当たりに、俺は菊丸先輩とダブルス組まされたんスよ」
「英二先輩とダブルス。そりゃ見たかったな」
 そう笑う桃城が、実際都大会で菊丸と即席ダブルスを組む事を、この時点の二人が知る由もない。
「いいっスよ。あんたがそういう態度とってられんのも、今のうちだから。部内であんたが何周走らされるか、トトカルチョの対象にされてるの知らないから、そーんな無責任発言できるんだろうし」       
「オイオイ…トトカルチョかよ」
「今の最高は50周。俺賭けてるんスよ」
 悪びれなく嘯くリョーマに、桃城は頭を抱えた。
「勝ち続ける強さを要求されるのが校内ランキング戦だって、あんたそう言ったでしょ?」
「ああ」
「だったら、早く復帰して下さいよ。今の俺達に知る必要のない言葉は『限界』なんでしょ?」
 此処に至って、桃城は先刻のリョーマの科白の意味が繋がった。
 アベックのメッカに誘ったデート。万華鏡を見せてやると連れ出して、都内の夜景を見せてやった。その時に交わした科白だった。


『俺の半歩後ろに下がって、その位置から、何が見えるの?』

 気付かされて失敗したと思っていたそれは、随分感傷的だったのかもしれない。哀しませたと思ったそれは、随分傲慢なものだったのだろう。
 手の中にある未来。その可能性の在処。願う願いなど、未々程遠いものだと気付かされて行く。
「俺もマダマダだな」
 実感は深まるばかりだ。
「何当然の事、言ってるんスか」
「見ててくれよ。俺は、復帰するから」
 大事にされてるだけなんて、まっぴらゴメンだとリョーマは言ったのだから。
「あんま遅いと、見捨てますよ」
 だから来月は復帰するようにね、そう笑うリョーマの笑みが、夕暮れの中に綺麗に溶けて行く。
「それとね、部活サボッて女とラリーしてたいい身分は別だからね」
「だから、誤解だって」
「言い訳してる時点で、桃先輩のそれはアウト」
 立ち止まると、リョーマは意味深に笑い、
「だから今夜は俺の機嫌をきっちり取る事。OK?」
 言うだけ言うと、歩き出した。
「機嫌とりきれなかった場合は、当然部長にチクりますからね」
「オイ〜〜〜〜」
 それだけは勘弁してくれと、内心情けなく叫ぶ桃城だった。


『俺もね、ちゃんと見てるよ』


 泣き出しそうに笑った笑み。夕暮れの時間。気配を消して立ち尽くしていたリョーマの姿に、見守られていた事を改めて実感すれば、まだまだだと意識せずにはいられない。
 いつだって、見ているのは自分だと思っていたけれど。綺麗な空の色で、黙って見ていてくれたのだ、リョーマは。
 言葉に出される事の少ない彼の言葉。やはり心配させたのだろう。言葉に、出させてしまう程度には。
「桃先輩、何ボーとしてるんスか?」
 置いてきますよ、立ち止まってしまった桃城を、不思議そうに振り返る小生意気な態度を、桃城は感慨深げに眺めた。
 綺麗な空色の瞳。知っていた筈だ。昼休み。咎める視線一つなく、見守られていた事を。心配させまいと、リョーマが昼休み其処に在ると知っていたから、敢えて見せていた背。けれど、実際は違うのかもしれない。見ていてほしかったのだろう。だろううと、桃城は苦笑すれば、
「やっぱマダマダだな」
 ボソリと呟いた。
 夏の夕暮れは太陽は地平線の半ば以上その姿を隠し、鮮やかな紺色が広がっていた。