CAT

latter part
act1











「ただいま」
「オ〜〜青少年、彼氏連れか?」
 リョーマの声に、リビングから横着に顔だけ覗かせた南次郎は、息子の背に居る桃城を見付けると意味深に笑い、リビングから出て来た。
 相変らず黒い作衣を着て、飄々と廊下を歩いて来る。
いつもいつも気怠そうにしているくせに、素足で廊下を歩く足音を、聞いた事はない。何とも剽悍な身のこなしは、彼が今でも鍛練を怠っていない証拠だろう。現に実際南次郎と対戦した事のある桃城は、南次郎から1ゲームも奪えないでいる。
「お邪魔します」
 何度となく訪れ慣れていても、桃城はこういった挨拶に手を抜く事はなかった。それは桃城の育ちの良さを現しているのだろうと、リョーマと南次郎は思う。
  所詮金持ちの私立に通う中流以上の家庭環境に在るのだ。でなければ、金のかかるばかりのテニスになど、興じているのは難しい事だろう。
「オ〜〜上がれ上がれ、晩酌付き合え」
 ガシガシと髪を掻き、相変らずの自堕落ぶりで、南次郎は桃城を出迎えた。
その飄々さは底が知れないと思う桃城だった。 
 嘱望される選手を引退し、それでも自堕落に生きる事を心底愉しんでいる様は、子供のリョーマや桃城には、その内心など到底推し量る事などできないし、足許にも及ばない。
 南次郎と面識し、ラーメンを奢って貰った礼だと招かれた酒の席で聴いた台詞が、彼のこの性格の基礎になっているように桃城には感じられた。感じれば、大人なのだと痛感する。


『あの歳になって、女の扱い方もしらねぇバカ息子だ。ったく、テニスだけが人生じゃねぇだろうが』


 テニスだけが人生ではないと、南次郎が悟れるようになるまでに、一体どれ程の月日を必要としたのか?当然の事ながら、その内心を、桃城が推し量れる筈もなかった。飄々とした外見からは、何一つ見透かせるものなど存在しない。
「中学生相手にバカ言うなよ親父。俺達これからアッチで宴会」
 中学生相手に言う台詞かと父親を一瞥すると、リョーマは桃城を促した。
「その顔は、どうやら勝ったみてぇだな」
「当然」
「可愛くねぇな」
 息子の小生意気な声にクツクツ笑うと、南次郎は桃城に同意を求めるかのように視線を動かした。同意を求められ、けれど桃城は何とも言えない顔をして、肩を竦めるにとどまった。
  この場面で南次郎の台詞に肯定を示したら、リョーマの機嫌は悪化する。した場合、ニッコリ笑って報復手段に出られる事など、考える以前の問題になる。
 『現物支給』など平然と告げるリョーマだから、報復手段はその限りの中に限定されてしまう。そんな恐ろしい事態、桃城としては招く訳にはいかなかった。いかなかったから、曖昧な笑みに肩を竦めて苦笑するしかできなかった。けれどリョーマはやはり桃城のそんな笑みを視界の片隅にとどめ、些かの憮然さで佇んでいた。言葉でどう言っても、父親が桃城を気に入っている事は知っていた。
 クワセ者同志気が合う、リョーマが内心溜め息を吐き思う事の一つだ。
 そんなやり取りの時だった。何とも可愛らしい鳴き声がしたと思ったら、白い物体が桃城の足元に纏わり付いて来る。
「オ〜〜タヌキ、元気にしてるか?」
「カルピンっスよ」
 足元に纏わり付く愛猫を『タヌキ』と呼ぶ桃城に、リョーマは無駄だと判っていて訂正するのは毎度の事だ。いい加減呼ばれるネコも判っているのか、桃城の声に穏やかな鳴き声を上げ懐いている。
「何だって言いじゃねぇか、なぁ?タヌキ」
 足元に纏わり付いてきたリョーマの愛猫を抱き上げる桃城を眺め、南次郎は意味深に笑う。
「買い主に似て、人見知りするんだがなぁ」
「うるさいよ親父」
 これでは先刻の不二とのやり取りを繰り返す事になる。
言われるまでもなく、駆けずり回って探した愛猫が、何故桃城にだけはおとなしくお持ち帰りされて来たのかなど、愚問にもならない、今更の事実の一つでしかない。
 ヒトの嗅覚には判らない匂い。けれど動物は適格に嗅ぎ分ける。敵と味方と言う分類の中、更に検索項目を狭めて、桃城と言う男の体臭が、自分に移っているものなのだと適格に嗅ぎ分けたからこそ、その腕におとなしく抱かれて帰宅したのだろう。それをして、不二と父親には盛大に揶揄と哄笑で数日遊ばれた記憶は未だ新しい。
「そんでお前達は、実際どこまで進んでるんだ?」
 忌ま忌ましい程飄々とした態に誤魔化してはいるが、笑う笑みは笑っていない事が桃城には判る。自分に判るのだから、彼の息子を10年以上しているリョーマには今更だろうと、隣に佇む頭一つ分以上小さい姿を間視する。すれば、リョーマの舌打ちが聞こえた気がした。 
「脚ケイレンさせて勝ったご褒美に、現物支給してあげようって程度には、進んでるよ」 忌ま忌ましげな眼差しが反転し、ピタリと焦点を絞って笑う笑み。研ぎ澄まされた冷ややかなソレは、流石に親子だと感心してしまう桃城だった。
 似ているのだ。研ぎ澄まされた切っ先のような笑みや視線や、それ以上の言葉にしないやり取りと言うものが。南次郎の試合と言うものは、当然見た事はない。けれど想像する事は案外容易な事に思えた。
 今のリョーマがそうなように、確実に受け継がれる血の中に、相手を魅了せずにはおかない冷ややかな熱や、切っ先のような視線の強さが在っただろう。
 リョーマのテニスが南次郎のコピーだと言うのなら、きっとそんな部分も似ているのかもしれない。しれないと思えば、見てみたいとも思う。決して公式戦を見る事は叶わない事であったとしても。
「………浮気しないように…」
 飼い猫を抱き上げ、戯れるように笑っている桃城に、リョーマは不機嫌そうにボソリと呟いた。
 桃城が、口ではどう言ってもクワセ者同志父親と気の合う事は判っている。時には自分以上に気が合う場面が垣間見えて、その都度たった1年の年齢差に、歯噛みする羽目に陥るのだ。
「脚をね…」
 リョーマの台詞に、南次郎の視線が桃城の脚に伸びた。
「確か、捻挫したのが癖になったとか言ってたな」
 無意識に庇う右足の僅かな動きを見抜き、指摘したのは手塚以外には南次郎とリョーマだけだった。
 特にリョーマは、新入生入学一週後に開かれるクラブ勧誘オリエンテーション時には、既にテニス部に入部を決めており、オリエンテーション時間は熟睡していた人間だった。(因みに、その時の勧誘オリエンテーションのテニス部紹介は、当然ながら部長の手塚だったが、不二と乾のやらかした悪戯で、体育系、文化系の多在るクラブの中。新入部員獲得数最高を弾き出していた)
 リョーマが、入学式翌日、テニスコートで対峙したのは桃城で、その時何をどうやって見抜いていたのか未だに桃城にも判らない部分で、リョーマは桃城の利き足が負傷している事に即座に気付き、右手で対戦していた人間だった。
 だから今回の山吹中との試合で、癖になってしまっている右足を庇う動きが克服された事を、内心の何処かでリョーマが安堵している事を、桃城は薄々気付いていた。
「だったら痙攣したのは左脚か」
「そうっス」
 流石っスね、と桃城は乾いた笑みを漏らした。
軽い調子に誤魔化されても、南次郎は決して誤魔化されてはくれない。鋭利な眼差しが左足を観察するように冷静に凝視している。
「だったら、右足を庇う癖は、克服できたって事だな」
「まぁ、多分」
「親父……」
「なんだ青少年」
 息子の地を這う声に、南次郎は楽しげに視線を上げると、
不機嫌極まりないリョーマの姿に、珍しい者でも視るように笑う。
「趣旨変えしたんじゃなきゃ、おとなしくエロ雑誌でも見てなよ」
「オーオー怖いねぇ。大変だな、こんな小生意気なガキ相手にしてると」
 憮然とする息子を揶揄いながら、南次郎は感慨深げげに思っていた。
 自分よりテニスの資質も技術も何もかも、上の人間でなければ付き合わないと、意思に関係なく自分の周囲に鬱陶しく纏わりつく人間達に下してきたリョーマの鉄槌は、桃城にだけは有効性はなかったらしいと思えば、リョーマが時折呟く『クワセ者』と言う桃城の愛称を思い知る気分だった。
 明るい笑顔に見せかけて、他人に手の内など曝す事はないと、出会った瞬間に判ったのは、自分と共通する何かを認めたからだろうと思う南次郎だった。
「うるさい親父」
「本堂で、バチ当たりな事すんじゃないぞ、バカ息子」
「フン、余計な世話だね、無宗教なくせにちゃっかり僧籍とって、生ぐさ坊主してる親父に言われたくないね」
 それも始末の悪い事に、見たくれだけはちゃっかりとした容姿を誇っている南次郎が住職代理を勤めて以来、檀家数は増える事は合っても、減る事はないと言う事だ。
人間所詮外見に騙されるものだと、リョーマが心底呆れたものの中の一つだった。
「桃先輩、部屋行こう。親父相手にしてたら、こっちで宴会に雪崩込みになるから」
 自分と父親の会話を、苦笑しつつ聴いている桃城の手を取ると、リョーマは桃城を引っ張って行く。
「よく判ってるじゃねぇか」
「俺のプライド、エベレストより高いから」
「強度はダイヤモンド並みだしな」
 半瞬覗かせた鋭利な視線の意味を、南次郎が判らない筈はなく、挑戦的に向けられた視線の鋭さに、クツクツと嗤った。
 つまりは、『手を出すな』と言う牽制。





「まったく、変れば変るもんだな」
 桃城を引っ張って行くと言うより、半ば引き摺って行くリョーマの後ろ姿に、南次郎は苦笑を漏らした。
 一人が好きで、孤独の意味も知らなかった息子。
テニス馬鹿と言われた自分より、余程タチの悪い方向性のテニスを極めている事を危惧していた自分の内心の心配を嘲笑するかのように、リョーマは変った。
 コピーで在る意味。他人の技術を盗む意味。自分のテニスという意味を知ったリョーマのテニスは、これからどれ程進化していくのだろうか?
 そうとは遅くない時間の中。訪れる幾重かの分岐点で、リョーマが迷うとすれば、桃城の存在だろうと、南次郎は思う。
「ガキの内に、本気に出会っちまうってのも、あるからな」
 未熟な思考の中、恋愛が恋愛と認識され発達する事は難しい。大抵は溺れる熱の熱さが優先して、恋に恋する道化で終わる。けれどそんな中、本気の相手と言う人間に出会ってしまう事も、ゼロではない。
 その時間がさして遠くない未来だと知るからこそ、南次郎は苦笑しかできなかった。
 誰だって、自分の人生の中でしか生きられないし歩けない。だとしたら、選択の答えを出すのは、出せるのは、どれ程迷っても、未来へと進もうとする意志でしかない。
 望む事の難しさ、願い掲げる困難さに直面し、足掻きながらも進のなら。
「少しは、成長しててくれよ」
 その時が来たら、どれ程迷うのだろうか?
迷ってくれる事を心の何処かで願う南次郎を、未だリョーマは知らない。




TOPBACKNEXT