立ち尽くす影













 見下ろした影が、不意に立ち竦んでいると、漠然と思った。
長い影を描いて立ち尽くすソレは、行き場を失ったかのようで、手塚はらしくない感傷に苦笑する。


『腕、大丈夫っスか?』

 朝の練習時、相変わらず桃城と二人で現れたリョーマは、誰の元に行くより先に、手塚にそう声を掛けた。
 相変わらず何処か一本調子の声だと思う。けれどその声の内に潜む心配を、気付かない手塚ではなかったから、『大丈夫だ』とだけ返した。
 二日間部活を休んだ手塚とリョーマに、けれど問い掛けて来る者は居なかった。視線で問い掛けて来る者は多数居たが、言葉に出して問われはしない手塚とリョーマだった。
 自分と越前が揃って部活を休んだ事で、些かの波紋を呼ぶ事を手塚は危惧していたが、そんな危惧は無用だった。リョーマは相変わらずマイペースに練習をこなしていたし、レギュラー陣も無用な詮索をする者はいなかった。
 テニスコートの端に佇み、部員に鋭い視線を投げている手塚に、大石は少しだけ気遣わしげな視線を投げているが、手塚は綺麗にソレを黙殺している。
 心配させた自覚はあるが、自分にすべき事をしただけなので、黙殺する事が一番だと言うのは、手塚の理屈だった。きっとそんな手塚を心配して『頑固者』と毒づいているのは大石だろう。
 伊達や酔興だけで、一癖も二癖も有るテニス部の面子を、一喝でグラウンドを走らさせる事はできない。手塚の実力と統率力と、テニスに対しては一歩も引かないその頑固さがなければ、テニス部が此処まで纏まる事は不可能なのかもしれない。
「それで手塚よ、どうだったんだ?」
 部員の練習姿を凝視している手塚の背後から声を掛けたのは、顧問の竜崎スミレだった。
「腕は大丈夫なのか?」
「そっちの方ですか?」
 勝敗を尋ねられたと思った手塚は、竜崎を振り返り、年不相応な苦笑で応えた。
「無理をするんじゃないぞ。都大会前だ」
 漏らされた苦笑の意味に、気付かない竜崎ではなかった。
日曜日、休日出勤している自分の元に訪れた手塚の真摯な面を思い出す。


『越前と試合をさせて下さい』


 真摯な声だった。それに相反し、静かな気迫とも言えるものが、手塚の背後に横たわっているのが見て取れた。そんな時の手塚は、とても中学生には見えない端然さが全面に出る。威勢で人を従わせる事のない静かな淵を湛えた気迫が、凛然と横たわっている事が竜崎には判った。
 テニスの技術は高校生級と称される手塚が、何を望んでリョーマとの試合の許可を求めに来たのか、気付かない竜崎ではなかった。手塚の求めた事を、気付けないようでは、顧問などしてはいられなかった。けれど腕の治療が漸く終わったばかりの手塚に、無茶な試合をさせる訳にもいかないと言うのが、顧問の立場だった。だから理由を示せと告げたのだ。
どんな時でも、理由が必要なのは大人の理屈だ。
「それで、お前さんはどうだったんだ?」
 訊くまでもない事だったが、取り敢えず訊く事も顧問の立場なのだろう。竜崎の何処か茶々いれたような台詞に、けれど手塚は礼儀正しく背後に向き直る。
「まっ、訊くだけ野暮だろうね」
 アノ小生意気なリョーマが、手塚に負けてどんな顔をしてみせたのか、見てみたかったと思う竜崎だった。そう思って手塚を通り越しコートに視線を向ければ、桃城とストレッチをしているリョーマが映る。
「アノ生意気が、懐いてるもんだねぇ」
 大抵ストレッチは桃城と一緒にしているリョーマを竜崎は知っている。
身長があわない筈の二人は、けれど軽口を叩きながらストレッチをやっていて、其処に大抵は菊丸英二の茶々が入るのが日常的になっている。
 部のムードメーカの桃城と英二の二人が、リョーマを可愛がっている事が、個人主義のリョーマが部にスンナリ馴染めた一端でも有るのだろう。元々実力主義のテニス部だから、能率主義のリョーマが馴染み易かったのは間違いがないだろう。
 茶々を入れながら、リョーマを凝視する竜崎の視線は冷静なばかりのものだった。
 リョーマを窺えば、昨日の手塚との試合に、一片の蟠りも拘りも見せてはいない事が判る。
 リョーマの中で、ナニか変化したものが有るだろうか?こうして遠目から見ているだけでは判らない。きっと結果は都大会で顕れるのだろうと思えたし、顕れてほしいと竜崎は願った。でなくては、リョーマのテニスは遅くない内に潰れるだろうし、腕の怪我を押してまでリョーマに壁の形を指し示した手塚の気遣いや苦労が無駄になる。何よりも、掌中に握る可能性の在処を、失ってほしくはなかった。
「アレの天衣無縫さは父親譲りでも、確かにお前さんの言う通り、乗り越える壁の形を知らなけりゃ、潰れるからね」
 リョーマの父親の南次郎を育てたのは竜崎だった。南次郎のテニスの才に気付き引き出し、その可能性の行く先と在処を示したのは竜崎だった。だから思う事もあった。
 リョーマのテニスは父親である南次郎のコピーだと。手塚が気付く程なのだから、南次郎を育てた竜崎が気付かない筈はない。
 テニスの才と言うなら、きっと南次郎の方が数段上なのだろうと竜崎は思う。
 リョーマには、確かに環境的な因子と、血と言う因子によって受け継いだテニスの才が備わっていたが、南次郎は自分で見詰め、極め、伸ばした才だったから、その天衣無縫さは、自分のテニスを信じる強さだったのだろうと竜崎は思う。自分のテニスを自分で探し、確立した者の強さを、南次郎は確かに持っていた。けれどリョーマは違う。どれ程の才が有っても、リョーマのテニスは父親のコピーだ。確かにコピーは簡単にはできないから、リョーマの才は確かに天の才だろう。見ただけで他人の技術を再現出来るなど、確かに天の才がなければ不可能に近い。それでも、コピーである以上、本物の相手に適う筈もない。その事を、手塚はリョーマに気付かせたかったのだろう。
 コピーを再構築して自らの物にしなければ、リョーマのテニスに先はない。今はまだいい。
小手先の技術で誤魔化しは訊くだろう。誰もが誤魔化されてはくれるだろう。けれど遅から
早かれ、リョーマのテニスがコピーだと気付かれる。どれ程の才があっても、盗んだ技術を
自らに還元できなければ意味はない。
「それで、お前さん的に、手応えはどうだった?」
「気付いてほしいと、思います」
 竜崎を見詰める手塚の眼差しに、澱みはない。
燃え立つ眼光を隠す事なく立ち向かってきたリョーマに、手塚は確信する。
「手応えナシ、そんな事はない筈だけどね」
 手塚の性格を考えるのなら、リョーマに対して全力で対戦しただろう事を考えるのは容易い事だ。元々それでなくては意味はなさない、手塚が全力を出さなくてはならない相手だっただろう。どれ程リョーマのテニスが父親のコピーだったとしても、その才は嘘ではないから、軽く掛かれば手塚の勝算確立は格段と下がる。
「結果は、都大会に出てくれればと、そう思います」
「お前さんは、本当、中学生にしとくのは惜しいねぇ。南次郎はまったく礼儀なんて知らない奴だったけど、お前さんはもちっと砕けた方がいいくらいだねぇ」
 自分を平然と『クソババア』と呼んでいた南次郎程傍若無人でも困るけれど、手塚は礼儀正しすぎる。
 元々祖父が警察に出入りし武道の指南をしている程だから、礼節には煩かったのだろう。
「それで、お前さんは、何か得たかい?」
 リョーマの成長に必要な事を、手塚がしてくれたのは判る。けれど一方では、意味はないようにも思えた。腕の傷を推してまでリョーマとの試合を望んだ手塚だ。得たものもある筈と竜崎は思う。
「怖いだろう?」
 竜崎の、意味深に笑った笑みに、手塚は竜崎を凝視する。滅多に表情を崩さない手塚の、らしくない動揺に、竜崎は笑う卯。
「そういうもんさ。自分のすぐ後ろに追いつく相手っていうのはね。可能性の在処を見極めるのは、怖いもんさ」
 いつだって、選択の時は怖さが付き纏う。
「だけどね、選んじまったもんに対して迷ったらダメだって事だね」
「そうでしょうか?」  
 端然とした揺るぎない視線に、手塚は見透かされていると悟った。
「お前さんは未々選んでないからね。リョーマを成長させるのに、自分も成長が必要だと気付いたんだろう?リョーマだけじゃないよ、可能性を突き詰めるのは。お前さんだって同じだ。忘れるんじゃないよ。怖いのは、誰だった同じさ。可能性を求めて突き詰めて、見極める事は簡単じゃない」
 それでも、走り続ける事が大切なのだと、竜崎は思う。
「まぁお前さんも未々だ。頑張るんだね」
 パシンっと、手塚の背を叩く。
その掌が、南次郎を世界に押し出したのだろうか?不意に手塚は思う。
「彼も、そうだったんでしょうか?」
「アイツはねぇ、傍若無人で可愛げなかったからねぇ」
 手塚の言う『彼』が、誰を指し示すか判らない竜崎ではなかった。
 それでも、だからこそ、南次郎が見極める怖さを知らない筈はなかったと思う。
 天衣無縫な強さは傍若無人な程だ。けれどどんな時だって、選択の怖さは付き纏う。
けれど南次郎は選んだ事に、揺らぐ事はなかった。プロになると決めた時。そしてプロをやめた時。表情に出ない分、考えた筈だ。自分ができた事は、いつだって見守ってやる事だった。 
「誰だって怖いもんさ。だけどこれだけは覚えときな。可能性に挑戦する時、知らなくていい言葉は『限界』って奴だってね」
 最初から限界を設定して手加減をする場所に、可能性は存在しない。
「生かすも殺すも、自分次第だよ」
 可能性の在処。見極める事の難しさに行き着いたからこそ湧く怖さ。それは成長なのだろうと竜崎は思う。
「まぁ私からみれば、お前さん立ちは未々ヒヨッコだ。精々悩んで精進おし」
 迷いも悩みみ足掻きも、成長には必要不可欠な素材だ。迷いもなく完成されるものに、本物はない。
「悩んで迷って、それでも走り続けて行けるのは、若いうちだけだよ」
 限界は、いずれ来る。個々によって個人差は当然存在するけれど、いずれ来る。それでも、可能性は誰にでもあるのだ。
どんな状況に陥っても、諦めさえしなければ。
「お前さんもリョーマも、これからだ」
「そうですね」
 本当に、そうなのだろう。
「頑張りな。取り敢えず、都大会だね」
 そう笑うと、竜崎は部員の元へと歩いて行く。




 夕日に伸びる長い影。
存在する可能性の在処。見極める困難さに、立ち尽くしている自分の影。
 時には立ち止まる事も必要だろう。けれど、立ち止まったままでは何も始らない事は判っている。それだけは、判っていた。だったら自分のすべき事を、するべきなのだろう。
 足下から、眼前に視線を移す。
竜崎にボール出しをされ、コートの端から端を走り回っているレギュラー達が在る。
相変わらず桃城と英二にかまわれているリョーマは、それでも楽しげにテニスをしている。
 気付いて欲しいと願った。可能性を否定するようなテニスは、してほしくはなかった。
他人の技術を簡単に再現できてしまう才を持っているから尚更だ。気付いてほしかった。
その可能性の在処に。
 どれ程の技術も、コピーはコピーだ。再構築して初めてそれは自分のものになる。
 自分のテニスを見極めた時。リョーマは何処まで走って行く事ができるだろうか?
「簡単には、勝たせてはやらんぞ」
 未々後輩に追いつかれるつもりはない。リョーマが成長する分、自分も成長する努力を惜しむつもりはなかった。
 夕日に伸びる長い影。立ち尽くしているソレ。
きっとこれからもこうして立ち尽くして、自分の足下を見詰める事は多々あるだろう。それでも、走り続けていきたいと願う。
 可能性は誰もが持っている。生かすも殺すも自分次第だ。
見極める困難さ。選択する難しさ。考えれば足が竦む。けれど、走らなくては何一つ始らない。かろうじて、それだけは判っているから、走り続けていくのだろう。可能性は、無限にある。確かに、今自分達が知らなくていい事は、『限界』なのだろう。


 手塚は、足下から顔を上げると、ゆっくり歩き出す。
都大会まで時間はない。感傷も今だけだ。目の前の目標をクリアーしてこそ続く途だ。
 続く怖さ。続けて行く怖さ。全国区だからこそ、目標にされるその怖さ。勝ち続ける困難さも、勝ち続けていく困難さも。続く事の怖さを恐れないなら、可能性は無限に広がるだろう。 暮れゆく夕陽。続く空。立ち尽くす影。それでも歩いて行く為に足はあるし、成し遂げる為に腕はあるのだから。




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