TRIP



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11月28日 月曜日 はれ       (その5)

結局親戚さんのところで食事をすることになった。
ここの晩御飯もチョンチョンだった。
ソーリーの家で食べたのよりも少し甘めだが、
ほとんど同じような味だった。
ただ、ご飯に砂が混じってないのがいい。
食事をしながら、二人はラジオの放送に一心に耳を傾けている。
聞いたところによると、マリでは毎日3回ほど不幸の知らせや、
病気になった人の名前がラジオで放送され、
家族や親戚、知人、友人に何かが起きたら
ラジオを通じて知ることができるのだそうだ。















食事の後は親戚さんの家の屋上に上がってお茶をご馳走になった。
親戚さんも少し英語が話せるので
早速話しかけてみた。
「ねぇ、俺思うんじゃけど〜、
 ここで出会う人達は旅行者もガイドも
 みんな、いろんな国の言葉が話せるよね〜!」
「そうだな、トムもまたマリに来るために、
 語学を勉強するといいね。
 バンバラ語を勉強するか?」
「ヒェ〜、すごく難しそう・・・」
「バンバラ語で“おはよう”は何だ?」
「え〜、アニソゴマ!」
「じゃあ、“こんにちは”は?」
「アニウラ!」
俺がちゃんと答えられたことに親戚さんは大喜びだ。
「すごいな〜、どこで覚えた?」
「ソーリーに教えてもらったんだけど、
 知ってる言葉はそれだけだな。
 あっ、あとアクナマタタ!」
「そりゃバンバラ語じゃなくて、ケニアの方の言葉だよ。」
「あ、そうか!」















「じゃあ、今度は俺に日本語を教えてくれ。
 日本語で“グッド・モーニング”は?」
「オハヨウゴザイマス。」
「オ・ハウゴ・・・」
「ハハハ・・・違う違う、
 オハヨウゴザイマス。」
「オハユーゴザミマス」
「ハハハ・・・まあ、そんなところかな。」
「じゃあ、“グッド・ナイト”は?」
「オヤスミナサイ」
「オヤ・ミス・・・」
「オヤスミナサイだよ!」
「う〜ん、日本語は難しいな〜。」
そんな調子で音楽のことやアジアの国々のこと等、
話が弾んであっという間に時間が過ぎていったが、
夜が更けていくにつれて、
オスマン君と遊ぶ約束をしていたことが
気になり始めた。
「ねぇ、ソーリー、オスマンは
 俺たちと一緒にご飯を
 食べたがってたんじゃないかな〜?」
「あぁ、そうかもな。
 あいつが寝てしまわないうちに早めに帰って、
 鶴の続きを作るか〜!」
「そうしようよ。」
すると親戚さんが「じゃあ、そこまで送って行くよ。」
と言ってくれ、三人で外に出た。















再び暗い夜道を戻る。
出かけるときには曇っていた夜空も
今はすっかり晴れて、
また驚くほどの数の星が夜空を埋め尽くしていた。
「ソーリー、明日はどこに行くんだ?」
親戚さんが尋ねる。
「明日はドゴンに向かうんだ。おまえはどうする?」
「俺はしばらく家にいるよ。」
親戚さんもガイドの仕事をしているけど、
いつも仕事にありつけるとは限らない。
今の時期、マリは旅行シーズンなので
ガイドの仕事も多少はあるけど、
これからは、昨日見たモプティの川が
干上がってしまうほどどんどん暑くなり
観光どころではなくなってしまう。
そうなるとガイドの仕事も、
ほとんど無くなってしまう。
そういった時のために、
いくつかの仕事を掛け持ちしている人も
多いのだそうだ。
「じゃあ、俺はこの辺で帰るよ。」
親戚さんともここでお別れだ。
「トムも、ソーリーも元気でな!」
「どうもありがとう!」
そして親戚さんは別れ際に、
覚えたての日本語で挨拶してくれた。
「オヤミスマシタ!」















家に戻るとまだ21時前だったので、
オスマン君もまだ起きていて、
テレビを見ていた。
うぉ〜、テレビじゃ・・・
それにしても、マリのテレビ番組は
いなげなんが多いよ!
(“いなげな”は広島弁で“奇妙な”の意味)
「オスマン、折り紙の続きやろーぜ!」
「うん!」
千代紙を二枚出し、オスマン君に一枚を渡した。
俺が折るのを真似しながら
オスマン君は一生懸命作っている。
海外旅行に出たとき、
今まで何人かの人がこうして折鶴にチャレンジしたけど、
未だに最後まで作れた人はいないのだが、
オスマン君は結構難しいところも頑張って作っていく。
ナイス、オスマン!!!
形は少し変だけど、なんとか完成だ!
オスマン君にはフランス語と英語を駆使して、
明日ここを出発することを伝えておいた。
「じゃあね、オスマン!」
「うん!」















部屋に戻ると、ソーリーは俺の部屋の前の
渡り廊下のようなところで
すでに眠り始めていた。
その姿を見ながら、インドのホテルでの出来事を
思い出していた。
2年前にインド旅行をしたとき、
ホテルの従業員らしき人が、
俺の部屋の前の廊下に布団を敷いて
寝ていたのを見てビックリした。
インドでは、今でもカースト制度を意識せずに
暮らすことは難しいといわれているので、
身分の低いとされている人が、
部屋も与えられず、
一生を廊下で過ごすのだろうと、理解していた。
しかし、インドの人達も
単に部屋の中が暑かったから、
ソーリーやマリの人達のように
廊下や外で寝ているだけのことなのかもしれない。
本当のところは
俺のような一介の旅行者には解らない。















俺もかなり疲れていて早く眠りたかったが、
今日も蚊取り線香とロウソクに火を点けて、
ゆれる灯りの下で日記を書いた。
明日はまた、タクシー・ブルースで移動だ!
大変そうだけど、頑張んなきゃね!
今日もグッスリ眠れるといいんだけどな〜・・・
おやすみなさい!
 ボン・ニュイット! 

21:45


〈その日の日記の落書きより〉

ふ〜、月曜ジェンネ市 みたぜ〜!
オスマンともっと遊びたかったな〜
千秋はネイル・コンテストでトロフィー取ったかな?
明日はドゴン族のとこに行ってくるベー
おやすみ〜〜〜!




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