TRIP



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背景にも注目!
デゲデゲおじさんと・・・






















11月30日 水曜日 はれ       (その2)

しばらく歩くと大きく開けた
丘のようなところに出てきた。
赤土の大地が広がり、
遥か彼方に地平線が見える。
「あの向こうはブルキナファソになるんだ。」
なんて雄大な景色なのだろう・・・
これぞ、思っていたアフリカの風景だ!
しかし、そこを過ぎるとそのうち道が無くなり、
岩だらけの合間を縫うようにして丘を降っていく。
ソーリーは、ジギボンボ(カンプメントのあった村)は
すでにドゴンの村ではあるけど
丘の上にあるのだと言っていたから、
これを降っていくと次の村があるのだろうけど、
とにかくすごい急斜面で、
両手で身体を支えながら降りないと落ちそうになる。
「デゲデゲ!」
おじさんが声を掛けてくれる。
「えっ、何?」
「おじさんは『デゲデゲ!』って言ったんだよ。
 ドゴンの言葉でゆっくりゆっくりって意味だ。」
「おもろい言葉じゃね!」
それから三人でデゲデゲを合言葉に急斜面を降りる。
その言葉を言うたび3人で笑いあうのだが、
俺は顔では笑っていても
急斜面がおっかなくて結構ビビッてる。













岩場を飛び越え、
人一人歩くのがやっとという細い岩場を通り、
デゲデゲ降りていく。
道らしきものはまったく無く、
ガイドをつけなければ
ドゴンの村を訪ねることはできないと言われるのは
決め事なのかと思っていたのだがそうではなく、
この辺りを熟知している人がいなければ
本当にたどり着くことが
できないからなのかもしれない。
しかし、こんな断崖絶壁の向こうに
人が暮らしているなんて信じられない。
ドゴンの村のことを“陸の孤島のような村”
と表現しているのも解る気がする。













湧き水のあるところで少し休憩。
手を洗い顔を洗う。
冷たくてとても気持ちがいい。
「ソーリーのフラニ族では
『デゲデゲ』のことを何て言うん?」
「フラニ語では『セ・ラム、セ・ラム』だ。
 バンバラ語では『ドニドニ』、
 ケニアの方では『ポレポレ』、
 でも『デゲデゲ』が一番響きがいいと思わないか?」
「うん、そうじゃね!」
「じゃあ、デゲデゲ行くか! ハハハ・・・」
三人で笑うと辺りの岩に反響して大きく響いた。













再び歩き始めて10分くらいすると
ようやく下まで降りてきたようだ。
あ〜、大変だった。
でも、帰るときにはまたここを登らなくては
ならないのだとしたら、
降りるときより大変そうだ。
そんなことを思っていると、
一緒に来たおじさんはこれで帰るという。
え〜、何で?
おじさんは背負っていたリュックを下ろすと、
中から俺が契約していたミネラルウォーターが
10本近く入っていた。
おじさんはドゴンの村に用事があるから
一緒に来たのかと思っていたのだがそうではなく、
わざわざ俺のために重たい水を
背負ってきてくれていたのだ。
知らなかったとはいえ、申し訳ない。
「メルシー・ボクー」
何度もお礼を言ってチップを渡すと、
おじさんは笑いながら今降りてきた道を
引き返していった。













疲れた〜・・・
断崖を降りたところ


















左の木がバオバブだ!
カニコンボリの村






















強烈な日差しの中を歩く。
今日は雲ひとつない快晴だ。
歩いて数分のところに泥でできた
小さなモスクを囲んで小さな村がある。
カニコンボリ村だ。
村の入り口に小さなお土産屋さんがあり、
そこに荷物を置かせてもらって
村を見学することにした。
モスクの前には沼のような、
川のようなところがあり、
そこで泥のブロックを作っている人がいる。
これを乾燥させ、積み上げて家を作るのだそうだ。
その沼を囲んで大きなバオバブの木が生えている。
ドゴンの人にとってはバオバブはとても重要で、
木の皮ではロープ、葉っぱは料理に、
実は薬やアクセサリーにと、全てを使うのだそうだ。
その向こうにある泥壁で出来た囲いはトイレ。
屋根なんて無いから日中に“大”をしたくなったら
日射病になりかねない。
村からすこし離れた所に青や赤の
日よけがはめられた泥の建物があるが、
ここは学校なのだそうだ。
ドゴンの学校で子供たちは
どんなことを習うのだろうか?













デゲデゲと村を見て周って、
先ほどのお土産屋さんに戻ると休憩だ。
よく冷えたコーラをもらってグビグビ飲む。
う〜、うまいぜ!!!
「トム、これから次の村に行くけど、
 約3〜4Kmある。大丈夫か?」
「おう、もちろんよ!」
「よし、じゃあ行こう!」
リュックを背負い、
ソーリーは相変わらず重たい水を持って出発だ。
周りは一面畑で、ミレッツ(粟 あわ)なのだそうだ。
「ドゴンではミレッツも重要で、食事用のトヨリ
(粟を砕いて練ったもの 記憶が確かでないので
 間違ってたらごめんなさい)
 や、ビールも作ることが出来るんだ。
 ドゴンのビールはドローとかコンジョと言うんだ。」
「コンジョか〜、飲んでみたいもんだな〜!」
「解った、覚えておくよ。」













子供たちの声が聞こえる!
ドゴンの学校
















日射病に注意!
ドゴン式トイレ















そんな話をしていると、
向こう側からガイドと一緒に歩いてきた
フランス人のおばさんと擦れ違った。
なんとなくうちのおかんに似ている。
それにしても、歳もうちのおかんと
たいして変わらないと思うけど、
一人で旅しているようだ。
たくましい!
3〜40分歩いてようやく次の村
“テリ”が見えてきた。
村の入り口には泥の建物があり
子供たちの声が聞こえる。
「あそこも学校なんだけど、
 あの学校は日本人が作ってくれたんだ。
 だからドゴンの人々は日本人を歓迎してくれるよ!」
建ててくれた日本人のお陰で、楽しく旅が出来そうだ。
感謝!













村の中心辺りに休憩所があり、そこに入る。
中は、昨夜のカンプメント同様、
土壁で仕切られているだけで、
倉庫のようなところ以外は屋根など無いが、
土間というか庭というか、
そこには木が茂っているので
木陰に入ると涼しい。
ふ〜、くたびれた〜・・・
とにかく暑いので少し動いても疲れる。
「夕方次の村に行くけど、
 それまではここでゆっくりしよう。」
奥の方にボンボンベッドがあるので、
そこに座って日記を書きながら
休ませてもらうことにしたのだが、
物売りが来てお土産を買えだの、
お守りを買えだのとうるさい。
しかし、いらない場合はちゃんと断れば、
あまりしつこくはなさそうだ。
無視して日記を書いていると、
物売りのおじさん数人が日記を覗き込み、
不思議そうに笑っている。
マリの人にとっては日本語はかなり奇妙なようだ。













「トム、山の中腹にあるグレネリを見に行かないか?」
「うん、行こう!」
ドゴンの村は、先ほど苦労して降りた
バンディアガラの断崖の中腹辺りに、
たくさんのグレネリ(朝少年が描いてくれた倉庫)や
小さな家が無数に有る。
この景色は実に独特で、
岩山をよじ登りながら聞いた話によると、
その昔この断崖にはテレム族という
ものすごく背の低い人々が暮らしていたのだそうだ。
テレムの人々は狩をしたり野菜や果物を栽培して
生活していたのだが、
そこにドゴン族が入り込んできて
テレムの人を追い出してしまった。
ドゴン族はそのまま
テレム族の住んでいた断崖に住むことで
眺めが良くなり、
攻め入ってくる民族を見つけ
戦いが耐えなかったのだそうだが、
その後フランス人が仲裁に入ることで
今では平和を取り戻し、
山の中腹で暮らすのは何をするにも不便なので、
断崖を降りたところに新しく村を作って
今日に至るのだそうだ。
確かに、ちょっと出かけるにも
この断崖を降りたり上がったりしなくては
ならなかったとすれば、
かなり大変だっただろう。
興味深い風景だ!
断崖の中腹にあるグレネリ




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